最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「笑ゥせぇるすまんNEW」 5→5 まさか1クールで終わるとは思ってなかった。最後もまさかのリバイバルだったし、なんでこんな中途半端な本数だけ作ることになったんだろうね。元々はアニメシリーズでもそれなりの本数があったと思うんだけども……。 一応現代向けにリライトされた部分が多い「現代版」の作品になっている。原作の記憶も曖昧なのでもうちょっと詳しい奴に確認を取ったところ、原作通りって話はかなり少ないようで、かなりアニメオリジナルの話になっているとか。まぁ、ネット弁慶の話なんていかにもそうだし、小保方っぽい話も割と最近の世相を反映したものになっている気がする。スマホの使い方も割と現代的だったし、そうした細かいツールが変わっても、世界観は変わらずやっていけるもんである。 ただ、それにしたっていくら何でもエピソードが偏ってないか、ッて気がするんですがね。そりゃ毎度毎度同じようなパターンが繰り返される作品ではあるのだが、それでも原作は毎回手を変え品を変え、少しでも変化球を投げようとしていたはず。今作はその辺の「バラエティ」の部分は完全に捨て去っている様子で、序盤なんかは単にサラリーマンが酒飲みたいだけの話がやたらいっぱいあった気がする。「長期シリーズになるならしょうがないか」と思って見てたんだけど、たかだか12本だけなら、もうちょっと毛色の違う話でセッティングしても良かったんじゃなかろうか。 1話目を見た時にも感じたことだけど、やっぱり現代風にアレンジされた(というかそういう作画ツールになった)絵柄はちょっと軽い。もっとじっとりと陰気で影の多いタッチが藤子Aの売りだと思うんだけど、画の軽さでいったら「少年アシベ」と大差無い印象で、どうにも身が入らない。まぁ、ひょっとしたら懐古の情念が強くて新しいものに拒否反応を示す老害的な気分なのかもしれないが……やっぱりそういう部分はある程度維持してほしかったかなぁ。 散々文句はあるのだが、それでも現代に相応の形で甦ってくれたというだけでも一定の価値はあるのだし、今後も思い出したようにちょこちょこ続けてほしいという気持ちもある。どうせ1話1話を正座しながら凝視するような作品でもないのだし、もしこの制作スタイルが楽なのだとしたら、それはそれで良いだろう。是非とも、色んなキャストをゲストに読んで、色んな声優をひどい目にあわせてほしいのですよ。個人的にはやっぱり井上親子回と力ちゃん×柚姉ぇ回が忘れられなくてな。業界全力の悪ふざけが見られるのはここ! っていう作品になればいいのに。沢城姉弟の共演とか、それだけでネタが出てきそうじゃない? PR Magicプレイヤーなら絶対読み間違えるサブタイトル、第11話。結局、謎多きこのサブタイトルが何を言いたいのかは良く分からずじまいだったな。次回はもっと分からないしな。 もう、すっかり対決ムードのお膳立て完了。物語は「人類の敵ザシュニナ」と「人類の庇護者ツカイ」と非常に分かりやすい分化が行われた。別にザシュニナさんだって害意があるわけじゃないのに。単に自分勝手なだけなのに。まぁ、真道さんから見たら「再びであったらすぐに消されてしまう」危険性があるのだから、流石にわがままとかいうレベルでは済まされないのだけど。幸か不幸か、実際のザシュニナさんは真道の想定してなかった変化を起こしてるんだけどね。 閉鎖空間でツカイさんといちゃいちゃするしかなかった真道だが、2人で話し合った結果、対異方存在兵器みたいなものが一応あることが分かり、そこからはとんとん拍子で話が進む。ザシュニナは止めなきゃいけない。そのためには、ザシュニナに感づかれないところでこっそりと最終「交渉」への準備が必要なのである。とは言っても、今回真道が用意したのは、ある意味ではすげぇ簡単な対策。彼の必殺武器であるフレゴニクス兵器(あのハンドソニックとかがそうなんでしょうね)を一時的に無効化する反物質、その名もアンタゴニクスである。開発には、どんどん異方存在に近づいていく品輪博士の超頭脳と、過去に真道が築いておいた冶金技術のコネクションが役に立った。各業界に顔が広いと色々便利ですね。まぁ、どっちかっつうと閉鎖空間と言いながらホイホイ外に繋げて人員を拉致出来るツカイさんのスキルの方が便利だと思うんですけど。最初の品輪博士の段階でザシュニナは真道たちの動きに気付いてたみたいだけど、敢えて出方が見たくて泳がせてたんだろうね。 「ザシュニナさんは驚きたい」というのが真道さんの名推理。まぁ「驚く」というのはあくまで語彙をシンプルにした結果だと思うが、とにかく「瞬間的に意味の分からない情報」が快感なのだろうと踏んでいる。だからこそ、ここ一番で真道が「訳の分からない対応」をした方がお眼鏡に適うという話。実際にザシュニナが真道を野放しにしているのは、そうした「人類ならではの不確定」を楽しみたいからなのではなかろうか。そのためにも、ザシュニナとツーカーになり、更に彼の企みも全て知っている「オリジナル真道」は貴重なのである。 品輪マジックで開発されたアンタゴニクス兵器。どう考えてもクソダサいのはそういうセンスがあるスタッフがおらず、機能性を大事にした結果と諦めるしかあるまい。効能としてはせいぜい「最初の一撃をかわす」くらいしかできない気休めみたいなものらしいのだが、さて、真道はここから一体何を見せてくれるのか。ザシュニナさんの方はというと、最初に真道に嫌われちゃったところから何か歯車がずれてしまっているようで、順調に計画を進行しているように見えて、どこか上の空。オリジナルの真道と複製体の真道ではやはり何かが違うということなのだろう。退屈なのか興がのったのか、複製体の真道さんをボコボコ転がして暇つぶししてるところを見たら、ツカイさんなんてひっくり返るぞ。なお、そのツカイさんは真道さんとすっかりラブなモードが定着。まぁ、お互いに命を救い、救われてる関係ですからね。あとツカイさんは人類大好きですからね。真道みたいな人間のそばにいるのが楽しいのは、多分ザシュニナもツカイさんも同じ。ツカイさんの実家にあいさつに行ってもビクともしなかった真道さんが素直にキスシーンに応じてくれたのは意外といえば意外だが。ツカイさんのねだるような積極的キスシーン、とても煽情的で良いですね。 さて、お互いの思惑が大体分かったところで、次回はいよいよクライマックスでしょうか。でもさ、もう完全に品輪博士がフラグ立ててるんだよね。異方につながっちゃってるよね。単に彼女が自発的に旅立つエンドだったら穏当でよいのだが……。あと、花森の扱いがどうなることか。 「ゼロから始める魔法の書」 4→4 「スタミュ」に始まって「恋愛暴君」→「ID-O」と繋がり、ここが終着駅の子安地獄でございます(間に「笑ゥせぇるすまん」を挟んでも良い)。日本アニメの最終回の何割かは子安によって形成されている。 正直、あんまり真面目に見られなかった作品なのでシナリオラインの機微とかは判断出来る立場じゃないのだが、少なくとも序盤〜中盤で引き込まれる要素がなく、後半のゼロと13番のあれこれも、なーんかダラダラしてて惹きつけられなかったんだ。「悪い人が悪い人じゃなかったんだよ」っていう話を作ろうとしていて、多分そのために色々と心を砕いているのだと思うのだが、結局「この世界における魔法とは」とか「世界ってどんな広さなの?」とか「獣堕ちの獣って、この世界ではどう見えてるの?」みたいな部分が共通認識として得られないまま話が進んでしまい、細かいネタを評価するところまで掘り下げられなかった。 ただ、これが真面目に見てなかったせいなのかといわれると、多分それだけが理由ではないと思う。シナリオの切り方がラフで、ギミックを組むというよりただ「積む」印象だったこと、そして、何よりもせっかく「世界を作って」いるはずなのに、その世界を見せるためのアニメーションがショボかったことが最大の難点。ラノベのテンプレだから適当でもいいだろ、って思う人もいるのかもしれないが、テンプレだからこそ、しっかりと作品の味を出すためにはキャラや世界観の作り込みって大事なんだよね。「OVERLORD」とか「リゼロ」はそのあたりの意識がしっかり表れていた作品だったんじゃないかな。今作最大の見どころは「獣堕ち」の存在で、これをいかに「異物」として見せるかで世界の正の側面も負の側面も掘り下げやすくなるはずなのだが、この獣堕ちのご面相が本当に適当なデザインなんだもん。多分原作段階では「獣」っていう要素に「人と違うこと」や「恐ろしいこと」を前提として設定してるはずなんだけど、アニメだとそれが一切無く、なんだか教育テレビのアニメを見ているよう。まぁ、おかげでゼロがモフモフして布団代わりにするところなんかは説得力が増すが……そこから傭兵が教育テレビらしからぬ反応になっちゃうしなぁ。ロリ(ババア)っ子がでかい獣といちゃつく内容なのだから、そのあたりがもっと萌えなり燃えなり、画で見られるようになったらもう少しモチベーションが上がったんだろうけども。つまり、エンディングの映像が一番良かったということです。やっぱり「みんなのうた」じゃねぇか。 「リトルウィッチアカデミア」 6→6 とにもかくにも、2クールの長丁場をお疲れ様でした。いや、2クールが長丁場なのかどうかって問題は置いとくとしてね。 今更特に何を語るでもない作品だろう。とにかく初志を貫徹し、やりたい放題な作画を徹底してやりきる。そうして「画の賑やかさ」を最大のセールスポイントにした、アニメーションの原点に立ち返るかのような作品である。無事に2クールを走り切れた、というのは、その間作画のクオリティを落とさずに思い通りの画になっていたということ。それだけでも、満足出来るものになっていたのは間違いないだろう。元々今作は海外で人気に火がつき、資金面なんかも随分と海外のファンから助けられたとのことだったので、シナリオも何だかグローバルな展開になっている。いや、何か広がりを見せたというわけではなく、むしろ無国籍で分かりやすい王道展開になったってだけなんだけども。余計な小ネタで回していくのではなく、とにかくドタバタと、画で見て楽しいネタを仕込んだり、画にしたら盛り上がるシチュエーションだけを盛り込んでいったり。それこそ、無音でも全世界で通じる「トム&ジェリー」みたいな、そういう普遍的な面白さを目指した作品だったのではなかろうか。 王道展開はもちろんきれいに収束して不満などなかろうが、個人的には「もう少しロッテとスーシィに活躍してほしかった」ってのはあるんだ。ルームメイトの2人が1クール終わったあたりから影を薄くしはじめ、言の葉を探しているあいだはほとんど出番が無くなってしまった。スーシィ派としては寂しい限りだ。その分台頭してきたのはダイアナで、最終回を見れば完全にツイン主人公。「ふたりはウィッチMax Heart」みたいな展開になっていた。まぁ、これも「脳天気でアホなアッコ」と対比的に描いた時にバディものとして映えるのがダイアナだから分かりやすい展開ではあるのだけど。出来ればダイアナさんは最後までもうちょっとツンの要素を残しておいてほしかった……いや、でも2クールもあったら流石に「完全に認め合う」仲の方がいいのかなぁ。ダイアナエピソードはストレートに訴えてくるものが多いからなぁ。 理屈抜きでアツいアッコ・ダイアナの友情関係とは対比的に、どこかビターなものが残るのが後半の主軸になったシャリオとクロワ先生の関係性。この2人は「どちらも優秀」というぶつかり合いなのだが、最終的にクロワは「ラスボス」ポジションに回るため、2人のスタンスがこの世界における魔法の在り方を代弁することにもなっている。世界を描き出すために、「魔法とは何か」っていうなかなか触りにくいところまで踏み込んでいき、政治思想と魔法がつながったのも今作の不思議なところ。多分、このあたりの「問題の所在をはっきり描く」というのも、スパッと問題を切り分けて作品を見やすくするための工夫だろう。これもいわゆるジャパニーズ「魔法少女」とはちょっとズレた発想。まぁ、最近は魔法少女も商売だったり罰ゲームだったり、色々な概念になってますけどね。王道展開とは言いながら、こうしてきっちり「ならでは」も出ていた作品である。 今回のシリーズで作品世界の大枠を描ききってしまったので、これまでのように「じゃぁ続きを」と気軽に言えなくなってしまったのは残念だが、逆に言えばこれで描くべき基盤はしっかり固まったとも言える。個人的には、最終的に「セブンウィッチ」に紛れ込んでおきながらその実大してスポットが当たってなかったアマンダたち3人組がもう少し観たいね。特にヤスミンカ。あのデブ、まだまだ何か隠してる気がするんだよなぁ。あと、もう少しコンスタンツェにしゃべらせてあげて。画面には登場してるのにりえしょんが別キャラでクレジットされてたりする、何とも寂しいキャラである。いや、だからこそ個性が立ってるわけなんだが。あとスーシィを主人公にして(略) 海星ィィィ!!! 最終話! これだけたっぷり引っ張った結論が「海星可愛い」なのは最高ですね。何度でも繰り返すが、本作のヒロイン勢は本当に美狸揃いでこまってしまいます。 全ての決着。それは狸の争いであり、天狗の争いであり、京都を巡る天狗・人間・狸のごった煮の戦いでもある。幕開け一発目から、寿老人の電車で二代目の邸宅にぶっ込みかますという大事件。そんなに動きの多くないはずのこのアニメにおいて、おそらく史上もっともスペクタクルなシーンである。流石の二代目も電車アタックに対する備えまでは出来なかったようで、この厳しい一発で邸宅はおしゃかになってしまった。 ドタバタの中で正体を現す早雲。この期に及んでまだ上から目線で因縁の相手である矢三郎に対峙するが、彼が連れてきた海星を見て動転。聞けば天満屋に撃たれたという。天満屋は本来、早雲が金曜倶楽部に入るときに手引きをしたり、今回だって空気銃を手配して糸を引くように依頼したはずの人物なのだが、その天満屋がすでに裏切っていたことは先週明らかになっている。彼も何を狙っているのかはよく分からなかったのだが、結局、目先の一番儲かりそうな話に飛びついてただけなんだろうなぁ。人と狸が手を組んでの悪だくみなんてなかなか上手くいかないもんで。恨み骨髄で天満屋に飛びかかる早雲だったが、そこに飛び出したのは忌まわしき巨大な腕。弁天が面倒を片付けるためにあの地獄絵を開いたようだ。憐れ天満屋は再び地獄へ。そしてついでに早雲も連れて行かれてしまった。まぁ、以前は矢三郎を蹴り落としたこともあるのだから、まさに人を呪わば、といったところか。 狸の喧嘩はひとまずこれで収束。いよいよぶつかる天狗の意地と意地。しかし、二代目は邸宅を失ったことで茫然自失。別に彼がそこまで家屋敷を大事にしていたというわけでもないのだろうが、全能を自負する二代目にとって、自分の予想がひっくり返り、願わぬ展開になっているという時点で受け入れがたいのだろう。京都へ戻ってきてからのフラストレーションがついにあふれ出してしまう。何が天狗だ、何が狸だ。結局、彼が引きずっていたのは過去に認められなかった女性との思い出だったようだ。父に認められなかった苦い思い出。そして、そんな悔しい記憶を嫌でも思い出させる弁天の容姿。全てが嫌になった二代目は燃え盛る炎となる。対する弁天は、触れたものを凍てつかせる氷の女として対峙。万能を得ながらも不器用な生き方しか出来ない、男と女の大喧嘩。 その戦いには天狗らしい気位も品位もない。麗しい容姿もボロボロにし、仕立てた衣裳も無残に散らす。時に髪を引っ張り、時に噛み付き、ただ生の感情だけがぶつかる、実にみっともない争い。一応、戦いという意味では勝者は二代目の方。焼け付く炎で弁天を追い落とし、満身創痍で父との対峙を迎える。別に赤玉先生が勝ったわけじゃない。それでも、「思い通りにならぬ」という世の無常をこうまで叩きつけられた二代目は、すでに父を見下す天狗ではなくなっていた。父は知っているのだろう、息子が何故、弁天をあそこまで気にしているのかを。父はすでに天狗の矜恃とヒトの傲慢を並べて生きる道を選んでいる。しかし、若い息子にはまだそれが出来ていなかった。「強くなれ」と一言を残し、はた迷惑な親子げんかは、ここで終戦を迎えるのである。 狸の喧嘩の結果は、矢一郎の祝言で幕を引く。綺麗な花嫁に尻尾も出てしまいますが、早雲がいなくなったことにより、夷川も下鴨も、また一から始められるだろう。本物の呉一郎は適度に阿呆なようだし、檻に入った反省のスペシャリストたちと、これからもはた迷惑な生活を続けていくのだろう。 天狗の喧嘩の結果は、事実上の痛み分けである。激情に任せてみっともない姿を見せてしまった二代目だったが、矢三郎に対しては虚勢を張っても仕方ないと思ったのだろうか、思いの外柔和な態度で、今後も狸との関係性を維持してくれそうなことを臭わせていた。「私は天狗にはならない」。この言葉の2つの意味を、改めて噛みしめたいところである。そして弁天。あの日焼け落ちた髪は無残に、傷跡を残してただ一人ふさぎ込む。本当に面倒で、どうにも厄介なこの「天狗」を、救ってくれるヒトは現れるのだろうか。ヒトの世を抜け出したはみ出し者は、まだまだ孤独と戦わねばならぬ。 2つの結末の果てに、京都の阿呆な日常は戻ってくる。つちのこ探検隊にやってくるツンデレ海星。変身を解かないように背中合わせで対話する時点でもうヤバいが、転がり込んできたお婆ちゃん狸は、そんな2人を縛り付ける真っ赤な糸が見えている様子。矢三郎の得意な化けの皮。それを少しでも抑えつけられるくらいが、女房役にはちょうどいいのかもしれない。「ふわふわするのが一番良いの」「狸なんだから柔らかいのだけが取り柄でしょ」と、お婆ちゃんは相変わらずいい事しか言わない。 ズンズン立てた波風の果てに、相変わらずの騒動が待ち構えていようとも、矢三郎はこれからも変わらずに成るがままに。海星も、ちょっと距離をおきながら、それでもしっかりと、尻尾を握りながら。 すべては、阿呆の血の然らしむるところでございます。 「アリスと蔵六」 5→5 幼女は大切にしろよ、っていう話。うん、間違ってないな。 始まった時点では「これはSF寄りになるのか、それともハートフルホームドラマになるのか」と見るべきスタンスを定めかねていたが、どうやら「どっちも」が正解だったようだ。ベースはホームドラマの方。とにかく紗名というメインヒロインを中心に世界が広がっていくので、「可愛い幼女」「大切な娘」がどのように世界と向き合い、成長していくかを描いた育児ドラマだ。しかし、その紗名が単なる幼女ではなく「魔女」であることで大きな歪みが生じ、向き合うべき「世界」は一般的な幼女の見るそれよりも多少ヘヴィーなものになっている。大の大人でもなかなか対処出来ないような厳しい現実を、紗名はどのように乗り越え、学んでいくのか。そんな成長記録を、固唾を飲んで見守るのがこのアニメの正しい楽しみ方だ。 そうして紗名という少女1人の世界が収束するので、作品は非常に見やすい。「ワンダーランド」の存在など、ともすると世界観がとっ散らかってしまうのだが、たとえるなら少女がスケッチブックに適当な落書きをするように、世界は紗名の見え方によっていくらでも姿を変える。そこに他者を巻き込みながらも、他者がその世界をどう受け入れるかを知ることで、更に「関係性」が紗名にフィードバックされていく。そうしてサイクルを繰り返していく作品であれば、とにかく紗名が魅力的であれば全てが解決する。幸い、紗名は見ていて飽きないし、何よりも「良い子」なのである。視聴者は保護者目線からただ彼女を見守り、彼女が健やかに育って行く様子を楽しむ。万一道を誤った時にも、最終兵器蔵六がいるので問題無い。「アリスと蔵六」というタイトルではあるが、最終的には「アリスと、蔵六ほか諸々の愉快な仲間達」である。まぁ、少女の育成を担うのがジジイという組み合わせは我々としても心穏やかに見てられるので良いセッティングですけどね(ローゼンメイデンみたいな設定だったらまた話は変わっていただろう)。 こうしてしっかりとオリジナルな魅力を見せてくれた作品。まぁ、テーマ性は地味であるし、映像面もそこまではっちゃけたものにはならなかったので特別目を見張るようなものではないのだが、派手になり過ぎてもテーマ性からずれてしまうだろうし、このくらいの落としどころで良いのではなかろうか。 中の人については、とにかく紗名役の大和田仁美がいい仕事をしている。紗名がコケれば全てが台無しになる作品であるだけに、彼女が本当に魅力的に見えたことの功績は大きいだろう。周りの面々もしっかり雰囲気がマッチしてて良かったですね。豊崎ボイスは魔性のボイス。 「グランブルーファンタジー ジ アニメーション」 5→5 うん、まぁ、ファンタジーだったな……。ごめん、それ以外の感想はあんまり出てこないんだけども……。 やっぱりソシャゲアニメを新規層に訴える形で作るのは難しいというごく当たり前の結論しか出てこないんだよな。全体を通して、大きなミッションをこなした感は出ているものの、結局最終回が冒険の終わりにはならないわけで、「グランたちの冒険はまだまだ何となく続くぜ!」ってなことにしとかないとソシャゲとしては据わりが悪い。ただ、アニメでしか接しない人間からすると、何だか1つの物語の半端な部分だけ抜き取って見せられたような気分になってしまい、「お話」としての収束性が得にくくなってしまう。「仲間を集めてチームになって」という構造は比較的見やすいので減点要素こそ少ないものの、あんまり今作にこそ期待したい要素ってのはなかったかなぁ。 強いてあげるなら、やっぱりその独特な作画の風合いが注目点といえば注目点。これまたソシャゲアニメのお約束だが、おそらく資金はふんだんにあるのだろう。手の込んだ作画の作り込みは「ならでは」の世界観を醸し出す大きな要因の1つと言えるかもしれない。おそらくゲームのプレイヤーだったら「ゲームに近いイメージのままでキャラクターが動いてる!」ってんで更に印象は良くなるんじゃなかろうか。残念ながら私の場合はそうした副次効果が得られなかったわけだが、「こういうデザインでもしっかり動かせるようになってるのはすごいな」と技術面には素直に感心しました。ただまぁ、それが「このアニメをもっと観たいと思わせる良さ」になっていたかというと別問題ではあるのだが。まぁ、結局対象外の視聴者にとってはこんなもんだよね。でもまぁ、「ディヴァインゲート」とかと違って最初から最後までちゃんと見られたというだけでも、悪いことは無いと思いますよ。 キャストについては……まぁ、ソシャゲあるあるの3つ目は「とにかくキャストは金がかかっている」なので、重戦車みたいなラインナップでしたね。どこぞの船だとコックなのにこっちだと操舵手だから混乱する(しない)。 「ファルザと和解を果たす」じゃねぇよ! 最終話!! すげぇ、ラストなのに容赦無くツッコミどころをぶっこんできやがる! ホントに忙しい最終話。ラジーブ内でのイドとアダムスの会話、どっちもちょっと早口になってるし、絶対尺の調整間違ってるやん、っていう駆け足ぶり。でもまぁ、無茶苦茶なことは事実なので、こうして勢いでのりきってしまうプランに設定したのかもしれない。 一応理屈の上での解決を確認しておくと、アダムスのような「破壊」プランはラジーブの自己修復、変化プログラムのせいで無効化されてしまう。最後の最後までアダムスはラジーブ内部に飛び込んでの自己犠牲を望んでいたが、相手は巨大な生命体のごとき存在。矮小な人間一人が飛び込んで壊そうとしても太刀打ち出来るものではなかった。そこでイドが思いついたのはもう1つの打開策。アリスだと思ってたのがアリスじゃなくてジェニファーだったことが分かり、それってつまり宇宙中のオリハルトをかき集めた現段階なら、分散したアリスの意識が集まっているということ。そこでアダムスと同じようにラジーブのコアに飛び込み、マインドトランスで自己の意識も転送。ついでにジェニファーとアリスも全員オリハルト内で巻き込み、「人間がいるよ!」ということをラジーブに気付いてもらおうというのだ。アダムスのように「壊そう」とすればそれは拒否されるだろうが、「人間を知ってもらい、共感してもらう」という方向なら打開出来るのでは、というアイディア。まぁ、何の根拠も無いので失敗する確率の方が高かったとは思うのだが……なんか上手くいった。復活したアダムスと一緒に銃撃コントを行ったことでラジーブさんにも何かが伝わりやすくなっていたのかもしれない。 更に、ラジーブの今後の監視は内部にいついたアダムスが行うことが決定し、イドさんは結局外に追い出されてしまった。外敵は居なくなり、犯罪者は放免され、なんとまぁ、絵に描いたようなめでたしめでたしである。こうしてどんだけ強引でもハッピーエンドの雰囲気をがっつり出してくれるのは良いよね。ファルザはさておき、リックがアマンザといい感じになっちゃってるし(下世話な話ですけど、エバートランサーと付き合うのって大変そうですよね。色んな意味でね)。ラストではちゃっかりカーラさんがアダムスの使ってた机に座ってるあたりがずるいよな。 まぁ、めでたしめでたしには違いないのだが、最終話のシリアスでも一切テイストを緩めないという鉄の意志はお見事である。突然流れ出すソーラン節。一体何が起こったのか。もう、BGMが気になって何やってるか全然頭に入ってこないじゃねぇか! 「あぁ、なるほど。きっとソーラン節は炭坑を掘る時に歌われていた民謡で、ラジーブの掘削をそれになぞらえてるに違いない」とか無理矢理自分を納得させたけど、確認したら全然関係無かったしな。マジで単にやりたかっただけじゃねぇか。佐咲紗花はあんこう踊りとかこの手の仕事もナンボでもやってくれるのな。 まぁ、終わってみれば全部良い話でしたよ……多分ね。芸が細かいところなんだけど、サブタイトルクレジットがこれまでは「DIG」(掘る)だったのに最終話だけ「BRIDGE」(繋ぐ、埋める)なのね。ひたすら掘削業だけを繰り返してきたエスカベイト社が、最終的には人類とラジーブの接続役を果たし、ギャップを埋めるというファインプレイを実現したのだ。こういうコンセプトのまとめ方、良いよね。 「エロマンガ先生」 5→4 妹ってそんなにいいもんじゃないからな。いや、うちは幸い妹とはとても仲が良いですし、兄弟の中でも一番尊敬してるのは妹だったりするんだけども。それ故に絶対に性的対象になんかなるはずがないのだよなぁ。 今作における「妹」の扱いの救いようのなさは「俺いも」の時点で分かりきっていたことだが、「俺いも」のヒットで確信を得たのだろうか、今作ではよりダイレクトに、「妹とエロそうでエロくないいけない関係」が加速している。ご都合主義のハイパーな設定は「フィクションなんだからいいじゃねぇか」と言われればそれまでだが、実在妹を持つ身としては受け付けがたい気持ち悪さがどうしようもない。「俺いも」の京介はそれでもまだ他の女性に目を向けていたが、本作の正宗はほぼ妹しか見ていない。まぁ、桐乃と違ってエロマンガ先生は社会不適合者だからな……恋愛とか兄弟愛以前に「介護者」としての保護欲求が先立っているという認識が正しいのかもしれないが……。それが恋愛感情なんかとごっちゃにしてしまっているのがどうにもならない。 そこの気持ち悪さを追求するなら、もう妹一本に絞ればいいのだが、基本的に恋愛もので話を転がすにはライバルを出すしかない、という認識のようで、サブヒロインたちが次々と突っ込んできては玉砕するという不毛な展開が待ち受けている。いや、エルフの方は狙ってる方向性が分かるのでまだいいんだけど、ムラマサは恐ろしく都合のいい「デフォルトで主人公に無条件に惚れている女」というどうしようもない存在なので、これが何とも気持ち悪い。結局、正宗は小説の才能があるのか無いのか。無かったのだとしたら何がきっかけで面白くなったのか。そのあたりの「主人公を形成する背景」がなおざりすぎて、こいつが惚れられる要素がさっぱり分からないから「とにかく出てくる女が全員発情している」という世界が気持ち悪く見えるのだろう。 なお、映像面においてキャラが可愛いというのは認める。特に紗霧はわざわざ専門の作画を設定するなど「萌えキャラ」として全力で作り込まれているらしく、一挙手一投足が「萌え」のエッセンスで構成されているというのは伝わってくる。映像面においては、かなりハイグレードな作品なのは間違いない。あとはその萌えレベルの高い映像でどんな物語を描いてくれるかという部分が大事なわけだが……そこだなぁ。まぁ、こういうラノベもまだまだ元気に売れているということが分かっただけでも収穫ということにしておこう。 |
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HN:
Thraxi
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男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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