最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「ブブキ・ブランキ 星の巨人」 6→6 絶美さんの中の人の妊娠報告はいつになりますかね? いや、産休に入られると困るんだけどさ。双子が生まれた日笠家とか、想像するだけで賑やかそうだなぁ。 相変わらず、どこか気になる作品でしたね。2期目ということでキャラの立ち位置も確立し、色々といじって盛り上がりやすくなる……はずなのだが、今作の特徴として「いまいち敵対関係が分からん」という変な悩みがある。1期の頃から「なんでそこが敵対するん?」とか「なんでさっきまであんなに揉めてたのに和解するん?」みたいな部分があったのだが、2期になり、ブランキと勢力が増えた事でそうしたよくわからんモチベーション問題は増加。礼央子の扱いがどうにも処理しづらいし、ギーの野望をどこの誰がサポートしてるのかも今ひとつピンと来ない。レティシア、エピゾ、劉といった心臓の面々が、「今、何故ギーの側についているのか」を納得するのが色々と面倒で、エピゾが単なる馬鹿なのがかなり救いになっていた気がする。最終的な汀の処理についても、理屈の上では一応説明されているものの、感情的にはどこか飲み込みづらく、シナリオの隅々まで完璧に片付いたとは言い難い。最終回はまるまる1話をエピローグに使ってくれる贅沢仕様だが、あのエピローグでアズマのどんな心境を描きたかったのか、世界をどういう結末で閉じたかったのかも視聴者に解釈を委ねられている。そのあたりの「スパッと割り切れない展開」は、もやもやした視聴者も多いのではなかろうか。 でもまぁ、そういうなんかふわっとした部分も、今作の魅力の1つと言えないこともない。アズマと礼央子の関係性が最も象徴的だが、本作では絶対的に敵対する存在ってギーだけなのよね。残りのブランキ使いも、礼央子も、そしてブランキという存在そのものも、元々人類やアズマと敵対する存在ではない。ただ少しずつ見えている景色が異なり、勘違いが挟まったりすることで小競り合いが続く、そういうお話だった。そのせいで1期のシナリオはどこか尻切れになってしまったが、今期はギーという「はっきりした敵」がいたおかげでシナリオが「完結した」ことは理解出来たのだし、その他のキャラが緩く繋がり、拡散していく過程にも無理が生じているわけではないのだ。 こうしてシナリオが処理出来れば、あとはオリジナル要素であるCGデザインを楽しむだけである。2期になり演出も少しこなれた印象になり、フルCGでのコミカルな演出も随分見られるようになった。エピゾのふざけ方は相変わらずだったし、新キャラ薫子がコメディリリーフとしてかなりいい仕事をしてくれた。彼女が可愛く見える時点で、CGキャラデザインは成功である。また、最終話で出てきたアズマの先生みたいに、CG描写と作画が上手いこと噛み合ったデザインはかなりいいバランスで日本独自の「CGと手描き」の融和点を見出しているように思う。「ベルセルク」みたいなCGの使い方はなんか微妙だったが、キャラ作画の発展形としては、やはり今作は白眉だったと思う。そして、ブランキってロボものとしては割と格好良い部類のデザインに入ると思うんだけど、ロボ好きの人たちにはどう映ったんでしょうね。炎帝王舞とか、合体ロボの王道は最高だったよ。是非、サンジゲンにはこのままの方向性を突き詰めて新たな時代を作って欲しい。 中の人は1期からの続投組は全部素敵。木乃亜や静流にあんまり見せ場が無かったのは残念だが、その分薫子が一人ではっちゃけてくれたので賑やかさは相変わらずだったし。やっぱりひーちゃんのロリは良いね。あとは新キャラならレティシアの中の人・本渡楓、ラクシミの中の人・園崎未恵あたりが好み。もちろんギー役の山路さんの渋くてイカすお仕事は言わずもがなだ。 残念ながらブランキは活動を完全に停止してしまったようだが、ブブキ自体は生きてるんだから世界はまだまだどうにでもなりそう。続編……あってもいいんやで。もちろんメインテーマは「Beat your Heart」でお願いします。 PR バイツァダストが解除されてSEがついたよ、第39話。ズギャーンだのドギャーンだのが一体どんな音なのかを考えてSE付けるのはセンスが問われるところだが、なんか、曰く言い難い音がいっぱいついててスタッフの苦労が窺えました。 最終決戦。……の前に梨央ちゃんのパンティ。吉良さんが必死に携帯に向かってぺこぺこしてる構図だけでも割と面白いのだが、そんなにぺこぺこが嫌だったら別に電話口で頭下げなくてもいいんじゃないですかね。まぁ、どうしてもモーションが入ってしまうあたりが悲しいくらいに日本人なわけだが。「川尻浩作め、そんなに出世したかったのか」って言ってたけど、吉良さんの会社での様子はどうだったんでしょうね。毎度お馴染み吉良の同僚の話を聞く限り決して社内でぼっちだったわけでもないだろうけど、上司に対しては必要以上に媚びたりせず、境遇に満足して波風立てない程度の自由をキープしてたってところか。今の年齢ならいいけど、歳を重ねた時にどういう扱いになっていたかは気になるところだ。そして、そんなぺこぺこ吉良さんに食ってかかる「男性(キャスト表より)」。原作の時から無駄な存在感があったが、アニメでもやっぱり濃いな……まぁ、荒木作品のモブって本当にどうでもいい奴でも全員濃いんだけどさ。そして無駄にディティールを描き込まれたパンティ。それを見つけた時の見事な三段カット。スタッフはあのシーンをどれだけ重要視してんだよ。その分空気弾が進路変更出来るシステムの説明なんかはカットされてるんだぞ。すげぇ判断だ。なお、最後の目玉は放送コード上しっかり描けずに単なる黒い玉2つになってましたが、あれ、見えないせいで話の流れから睾丸に見えても文句は言えないような……。 さておき、仗助が中、吉良が外という奇妙な状態で遠隔攻撃どうしの最終戦という、一風変わった状況設定。本人も言っている通りに「絶対に仗助に近づかない」あたりが流石の吉良。仗助が転がり込んだ梨央ちゃんの家は杜王町にありがちな「なんかやけに広い」家で、一番最初に逃げ込んだ部屋なんて、家具も何にも無い上に「窓もない」という信じられない間取りである。梨央ちゃん、一体どんな住人だったんだろう。帰宅後にボッコボコになった自宅を見て絶望するんだろうな。杜王町はこの数ヶ月で結構な数の住宅が破壊されてますよ(由花子が閉じこもった別荘、靴のムカデ屋、露伴の家)。 遠隔攻撃バトルということで、勝負の鍵は相手の攻撃方法をいかに特定していくか。普通に考えたらロングレンジに向かない仗助が一方的に不利なのだが、天才少年川尻早人がいち早く空気弾の侵入に気づけたおかげで、何とかワンサイドゲームは回避。目に見えない空気弾も、室内ならいくらでも可視化出来るので大きな問題ではない。まぁ、煙草の煙でどれだけ広範囲に影響があるんだよ、って気もするのだが、多分一度見えたら後は煙の粒子とかがこびりついて何となく見えるようになるんじゃないかな(一応、あのシーンでは何となく煙が充満しているような描写にはなってたけど)。しかし、いくら見えていてもホーミングの解析までは出来ない。逃げるしかない仗助を一方的に追い詰めるのは吉良の狙い通りだったが、そこは賢い仗助君。事前に用意していた「俺の自動追尾弾」で反撃に成功。初撃は痛み分けとなった。ちなみに、この戦いのキーとなった「Cダイヤモンド製の自動追尾弾」のシステム、吉良さんは攻撃を受けた直後にすぐに仕組みを理解したが、ぶっちゃけ、読者側からすると未だにその理屈はよく分かっていない。「ガラスに閉じこめた血液」と「吉良の服についた血液」が引きあう性質を利用したわけだが、なんでその2つが引きあうんだろう。「どちらの血液も仗助の体内に移動しようとする」なら理屈は分かるのだが……仗助は事前に全てを予期し、「吉良に着けた血痕」と「ガラスに入れた血痕」を「同じ血」でまとめていたということ? いや、そもそも「同じ血」ってなんだ。そして、引力が発生するとしたら、ガラスも引かれるが当然吉良の服も引っ張られるはず。ガラス片の射撃速度からするとそれなりの引力が発生したと思われるのだが、吉良は「服が引っ張られた」ような感覚はなかったはず。電話に夢中で気付かなかったんですかね。 まぁ、この辺りの理屈も「こまけぇことはいいんだよ」の精神で吹き飛ばすべし。何にせよ、この変則的なラストバトルは充分に盛り上がった。説明要素が多い展開だからアニメにした時にダレないかな、と心配していたのだが、作画リソースを全力で注いでくれたこともあって、充分緊張感が出て良い映像になっていたんじゃなかろうか。そして、遠距離での丁々発止のやりとりが長ければ、その後の直接対決も盛り上がるわけで。「出せよ、キラークイーン」のところとか、仗助さんの一世一代の主人公感がたまらないですね。3部の承太郎も同じようにしてDIOに「抜きな」って言ってましたしね。直接のパワーではCダイヤモンドには太刀打ち出来ないキラークイーン。ここまで来たら終わりかな、って思わせておいて、運命が味方する吉良の強さ。「敵サイドも諦めかけた後でのハプニング的な逆転」っていう構図が更なる絶望感を駆り立てる。仗助は杜王町の全ての力で吉良に立ち向かったが、吉良だって写真の親父や猫草など、数少ない自分の仲間をフル活用して戦っているのだ。生前の最後の味方が猫ってのも、なんだか寂しい人生でしたね。 そして、逆転に継ぐ逆転で満を持して目覚める億泰。ホント、この2人の関係性は素敵過ぎるね。ジョナサンとツェペリ、ジョセフとシーザー、承太郎とポルナレフ、男臭い友情の繋がりは全ての部で通底してジョジョのテーマではあるが、理屈抜きでの「ダチ」っていう高校生らしい等身大のお友達は身近なだけにかけがえの無いもの。最終決戦とは思えない2人の気の抜けた会話も、4部らしい「日常の延長」を演出していておしゃれである。仗助は本当に友達に恵まれたな(露伴を除く)。 ピンチを乗り越え、次第に固まり始める趨勢。爆発音を聞きつけて難聴気味だった承太郎さんたちもようやく到着した。吉良吉影は相変わらず自己紹介もするので正体は明らか。ジョジョでは珍しく、6対1という圧倒的数の優位で向かえるラストシーンは、吉良吉影という男のこれまでの人生の清算の構図か。よりによって小学生のガキに決め台詞を叩きつけられるあたり、巡り巡って因果オホー。早人さん、あんたまだ正義の心に目覚めて1日しか経ってないけどな……。 そして、集まった正義のチームの中には、行動の早さには定評のある杜王町消防団のみなさんも。救急車も来ますかね、女医さんもいますかね。……モナリザって、知ってます? 次回、最終回! 「魔法少女育成計画」 6→7 楽しかったです。なんだろね、女の子が殺される姿を見てワクワクするタイプの人種だと思われたらマズいが……別に女の子じゃなくてもいいんですよ。基本的に好きなんだよね、デスゲーム設定。最近ちょくちょくいくようになった漫画喫茶でもデスゲームに限らずなんか胡散臭いゲームで命のやりとりをする漫画ばっかり読んでます。最近ホントにおっそろしくたくさん湧いてるのでね。 今作はデスゲームの中でも「殺し合う魔法少女」という殺伐感が愉快な一品。ぶっちゃけ「魔法少女もの」という認識は相当序盤でなくなってしまうので「特殊能力デスゲームもの」でしか無いのだけど、一応魔法少女の仮面を被っているそのギャップがまず楽しい。殺伐系魔法少女の草分け的存在であり、金字塔となった「まどマギ」と比べても「魔法少女」としてのデザイン性やファンシー感では見劣りしていないだろう。差があるのはキャラ1人1人の掘り下げの度合いで、今作のどのキャラを見ても、さやかやほむらの足元にも及ぶまい。しかし、今作の場合はそうした「掘り下げ」は必要最低限に留められているのだからしょうがない。あくまで描きたい物が違うだけであって、そこに優劣を定めるのはナンセンスである。何しろあちらは1クールで3人が死んだ(or魔女化した)だけだが、こちらはなんと1クールで16人の殺し合い。流石に同じペースで1人1人の顔を見ていくわけにはいくまい。 普通に考えれば1クールで16人は無茶である。しかし、今作は最低限の描写でギリギリそれを可能にしている。具体的にどうやってこの尺の問題をクリアしたかといえば、上手いことテンプレを活用して説明を簡略化させたのだ。デスゲームものがこれだけ定着したからこそ可能な芸当だが、「視聴者の方だって大体わかってんでしょ」って部分はザクザク省略し、みせたい部分だけをクローズアップして全編をクライマックスに仕上げているのだ。例えばシスターナナとウィンタープリズンの物語なんて、掘り下げようと思えばもっといくらでも尺を費やして面白い百合関係を描けただろうが、あくまであそこはシスターナナの善意(独善ともいう)が無残に踏みにじられる部分が描きたかったわけで、WPの最期も、シスターの失意も、少ないカットだけで大体こちらは理解出来る。そうして紡がれた「コロシアイ魔法少女もの」は、決して新奇なアイディアが見られたわけではないのだが、求められた殺伐要素をテンポ良く処理し、悲しんだり、惜しんだり、悔しがったり、嘲笑ったりと、色々な感情を1クールでギュギュッとみせてくれた。実際、あれだけの尺でなんとなーく描かれただけなのに、トップスピードの死はちゃんと悲しくなったし、カラミティメアリの死は爽快感があったのだ。シナリオの組み方、シリーズの構成の仕方は、ほぼベストだったと見ていいのではなかろうか。 あとはまぁ、どれだけギャップを引き立たせる画が作れるかだ。橋本監督は見事に「かわいいキャラ」の扱いを心得ており、最後まで徹底して「可愛らしい少女の生き残り」という、どこか現実感に欠けるファンシーなデザインを守り抜いた。その上で容赦無く残酷な部分も描くことで魅力は増していく。適当な作画、演出ではここまでの背徳的な満足感は得られなかっただろう。最後の1話までしっかりとキャラ画を維持して走り抜けたラルケスタッフの頑張りもありがたい。この作品、まだまだ姉妹品は多いみたいだし、是非とも続編を期待したいところですね。 中の人については、毎回色んな方向から楽しませてくれたのでどのキャラも完璧でした。捨てキャラが1つもないってのは素晴らしいところだが、やっぱり推しでいうと1人目はルーラ。あのキャラ、あのこけおどしじみた威厳があったからこそスイムスイムが成立したことを考えると、やっぱり日笠陽子の持つバイタリティって素晴らしい。厄介なボスキャラ級を井上喜久子・緒方恵美というベテラン2人に任せたキャスティングも絶妙で、特にクラムベリーは緒方キャラの中でも屈指の胡散臭さが絶妙にキャラの不気味さをかき立ててくれた。本当に恵まれた作品である。まぁ、当然一番はトップスピードの中の人なんですけどね! 突き抜けた良い人感。昔やんちゃしてたのも笑ってすまされる勢い。ギャル系声優と言われた内山夕実も、今となっちゃすっかり業界の一枚看板ですよ。沼倉愛美とのタカオ・キリクマコンビ、またどこかでお目にかかりたいもんです。 「DAYS」 5→5 サッカーしてるアニメでした。あとは……あとは……。 いかにもマガジン原作らしく、徹底して堅実な作り。最近でも「ダイヤのA」や「ベイビーステップ」など、マガジン発のスポーツアニメはとにかく堅実で失点が無い。となると、あとは評価が大体同じになってしまうわけで。「野球やってた」「テニスやってた」。だから、「サッカーやってた」。 今作の主人公、つくしの面白いところは、いわゆる「努力型」の典型だが、なかなかその後の才能が分かりにくいところだと思う。得てしてスポーツ漫画の主人公っていうと努力型に見えて「実はその遅い球が武器になるんだ」とか、「本人も自分の持ち味に気付いてない……」みたいな展開で強さを発揮するパターンが多いのだが、つくしの場合、本当に「努力すること」以外の才能が皆無。とにかく走ってとにかく蹴って、それだけで公式戦のレギュラーにまで上りつめるという、徹底した「努力型」である。その結果、例えば運動量が増えたり、いくらか勝負勘が養われたりはしているが、最後までシュートは入らないし、ピントのずれたこともやっている。このつくしの(表面上の)成長の無さを、もやもやと見るか、面白味と見るか。 個人的には実はこの辺りが何とも微妙なところ。多分理由は「私がサッカーをさっぱりしらない」せいだと思う。これまでサッカー漫画ならちょこちょこ読んできたが、流石に徹頭徹尾努力型の主人公なんていなかったし、どうしたって主人公には「劇的な必殺技」や「劇的な進化」を求めてしまう。だって、運動量が多くてとにかく走ってる人間がどの程度大事かなんて、サッカー知らないからピンと来ないんだもん。他にも、それぞれの選手の持ち味について、私は描いている方の意図している半分も理解していないかもしれない。誰の何が上手いのか、どこがドラマティックなのか、そのあたりがピンと来ないのは、作風と私の無知のどちらにも原因があるのだろう。 ただ、言い訳をさせてもらうなら、サッカーの試合描写にそこまで魅力を感じなかったのは映像面の影響もあると思う。これも突き詰めれば演出方向の話になるのだろうが、今作はあまり「スポーツのダイナミックな動き」に重きを置いていなかったように思う。おかげでどのシーンを見たらいいのか、熱量の分配が定まらなかったことは間違いない。ただ、さらに考えを進めればこれもまたサッカーという競技の性格故の問題であり、野球のようにドラマの中心となるシーンが分かりやすければいくらでも盛り上げる画作りが出来るのだが、サッカーのように終始動き続けるスポーツの場合、流石に全てのシーンを「見応えのあるもの」にするわけにはいかないし、クライマックスのシーンをそれ以外と区別してメリハリを付けるのは難しい。漫画原作ならコマの大きさやシーンの切り出し方で作れる流れが、アニメという流動的な媒体では活用しきれないのだ。そのあたりが、これまでサッカーアニメがいまいち盛り上がらなかった理由なんじゃなかろうか(キャプテン翼やイナズマイレブンはサッカーとは言えない競技なので除外)。つまり、今作が良かった悪かったという問題以前に、「サッカーアニメって難しいね」っていうのが、今作で得られた感想です。 まぁ、まだ続編も展開していくようなので、どこかで「あぁ、これが面白いのだ」って分かるタイミングがあるかもしれない。「ダイヤのA」同様、息の長いアニメになってくれればよいのではなかろうか。あ、マネージャーはかわいいです。 「ViVid Strike!」 5→4 なのはの名前が消え、一応ヴィヴィオの名前が残っているとはいえ、そのヴィヴィオの存在感もやたら希薄な本作、次作はリンネちゃんストライクとかになるんでしょうか。 悪くはない作品である。決して。描いているテーマはまっとうなものだし、かわいい女の子が真剣に格闘技に打ち込む姿だって見ていて気持ちの良いものだ。ちょっと女の子のエクササイズとしては行きすぎてる部分もあるが、血みどろ系のエンタテイメントだって多数あるのだし、いきすぎたくらいの方がドラマは面白くなる。今作の狙いに、不備はない。 ただ、……やっぱりこれ、なのはの世界観じゃなくていいんだよね……言わば「ロリっ子版はじめの一歩」だからね。新しくキャラを立ててボクシングアニメを始めれば良かったと思うんだけども……。別に高町家の物語の続編として描いたからってデメリットがあるわけではないだろうが、元の作品が好きだった身としては、やっぱり物足りないのだ。魔法がリングの上でスポーツの道具としてしか使われないのでは、努力の質も、勝利の質も、悲劇の質も違うのだ。今作ではフーカとリンネという2人のヒロインを中心に、生まれながらの苦境をスポーツによる健全な青少年育成で乗り越え、友情を育む様子が描かれているわけだが、ぶっちゃけ、2人の「苦労」の度合いが、諸先輩方に比べると段違いで軽い。思い出して欲しい。ヴィヴィオのママ(の片方)であるフェイトが幼少期にどんな人生を送ってきたか。ヴォルケンリッターやそのマスターであるはやてが何を乗り越えてきたか。スカリエッティナンバーズは、何を思って現在の生活を送っているのか。そういうことを考え始めると、「いうてもスポーツ大会で汗を流して笑ってられる連中は幸せだよな……」という印象が先立ってしまう。つまり、やっぱりこの世界観でこのお話をやるのは、デメリットがあるということだ。 まー、こんなことを言っている時点ですでに懐古老人なのかもしれないが、せっかくのなのはワールドはもっと「らしい」お話を見たいです。そして、もしなのはワールドとは別物だと割り切って見たとしても、お話自体はそこまで面白いものじゃない。おそらく今作のまっとうなスポ根・友情物語(多少バイオレンスだが)を楽しむには、フーカやリンネ、そして周りのお友達にどれくらい感情移入出来るか、というのが勝負の分かれ目だと思うのだが、その部分にもどうしたって「旧作」が付きまとうのだ。何の示唆も無ければ、視線はヴィヴィオやアインハルトの方を向いてしまうのだ。そうではなくてフーカたちだけを見て、と言われても、簡単に割り切れるものではないし、既存のキャラの追加情報がもっと見たいという欲求があるのは自然なことだろう。何故、新キャラの方の物語に限定して進められなければいけないのか。 一応、4話のリンネちゃん覚醒ストーリーのダイナミックさは割と好きで、やっぱりああいう「非劇」を容赦無く叩きつけてくれた方が視聴者側は盛り上がる。辛い過去があり、それをみんなが理解した上で乗り越えられるからこその友情。フェイトも、はやても、そうして完成したのだから。今一度、この世界で競技としてのルールを超えた魂の繋がりを見たいものだ。 なお、水瀬いのりの広島弁(?)キャラは割と楽しかった様子。キャスティングが変なところで極まってるのは今作のいいところなんだけどね。 約束されし終末、最終話。思ってたよりもハッピーエンド(?)でしたね。 ラストバトルは嵐のダムで。なかなか気の利いた舞台設定を選んだものである。ファヴの評によれば互いの魔法相性から有利がつくのはスイムスイムの方。というか、普通の肉弾戦闘において、スイムスイムはよほどのことがない限りは有利である。クラムベリーに負けたのだって、情報が取り引きされた上で相手が戦闘狂の試合巧者だったためで、それ以外の魔法少女なら、おそらく大体の相手には単体で勝てるだけのスペックを持っていただろう。実際、決死の覚悟で挑んだリップルも大方の予想通りに反撃の糸口を掴めないまま、ぬるぬるとつかみどころのないスイムスイムを相手に苦戦。魔法どうしの戦いなら攻めのリップルと守りのスイムスイムで拮抗したのかもしれないが、スイムスイムの手にした魔法アイテム(単なる刃物)によって、少しずつ体力を削られるリップル。あのアイテムって、スイムスイムの液態化能力の影響はどういう風に受けてるんだろう。スイムスイムは所持したものも身体と同一に液状に出来るようだが、硬化、液化のコントロールはなかなか難しそうだ。 長時間の死闘も、スイムスイムの一閃でついに均衡が崩れ、片眼片腕を失うリップル。しかし、絶望的な状況で破れかぶれで放った手裏剣が奇跡を起こし、落雷によってスイムスイムにダメージ。ここで改めて、ファヴの言っていた「光と音」がリップルの脳裏をよぎる。落雷の電気が効いたわけではないのだろうが、一瞬の衝撃に隙が生じたスイムスイムに対し、リップルは虎の子の閃光弾を叩きつける。「必ず命中する」能力のおかげで弾は見事に顔面を直撃し、光と衝撃でスイムスイムを昏倒させることに成功。ついに、リップルの勝利が決まったのである。ぶっちゃけ、弱点が分かってたんだから大量の閃光弾で攻めれば良かったんじゃないか、って気もするのだが、手の内が明らかになればスイムスイム側も警戒して攻め方を変えてくるだろうし、千載一遇のチャンスがあの一瞬だったということなのだろう。終わってみればリップル執念の勝利。スイムスイムの脳裏にはあの日のルーラが、あの日のねむりんが蘇るが、彼女には執念を燃やすべき目標はなく、生きること、殺すことへの貪欲さが勝敗を分けた形。がらんどうのお姫様は、叩けば崩れる脆いものだった。 一方、周りで勝手に巻き起こる惨劇に胸を痛めたSWはもう魔法少女に変身しないことを決意するが、それを聞いたファヴが異議を申し立て、その理由を詳らかにする。曰く、次のマスターを決めるのが目的だったのに、脳の配線がイカれたスイムスイムや跳ねっ返りのリップルが勝者では面倒だと。別にそのためにSWを生かそうと思っていたわけではなかろうが、結果的に無傷で、勝ち星無しのSWが最後まで生き残った。ファヴとしては、彼女を説得してマスターを担当してもらうのが一番手っ取り早いということだったのだろう。しかしSWは当然これを拒否。話のついでにスイムスイムたちの死闘の真相を知り現場に駆けつける。そして、「また誰も救えなかった」わけである。 ついに最後の1人となったSWは何かが吹っ切れ、とにかくファヴだけを駆逐しようと試みるが、魔法世界の淫獣は基本的にタフである。SWの力だけではどうしようもない。しかし、アイテムその1,幸運のうさぎの足によってリップルが奇跡的に復活。あのアイテム、この一瞬のためだけに存在していたのね。もっと早い段階で起動してればHAも救えた気もするのだが……所持者の必死さ次第なのだろうか。そして魔法アイテムその2,スイムスイムが持っていた長物。これが現状、唯一ファヴを打破出来るアイテムだった。SWの読心能力、リップルを助けたうさぎの足、そして数々の魔法少女を殺してきた彼女の武器。ファヴがばらまいたあれこれが収束し、最終的にファブにとどめを刺すことになった。この辺りの皮肉は上手く効いていて、あっけないながらも納得のいくエンディングになっている。まぁ、あくまで端末が破壊されただけなので、魔法世界の畜生システム自体は無傷なのだろうが……とりあえず、目の前の危機は去り、二人の魔法少女は生き延びた。 エピローグ。ファヴの軛を逃れたSWは宣言通りに「魔法少女にならない」のかと思いきや、その真逆でとにかく変身して世界中での人助けに奔走する。さらにあらゆる苦難に立ち向かうためのトレーニングにも積極的で、今やリップルと渡り合うほどの近接格闘術もマスターした。何も救えなかった過去から、彼女は「何かをする」魔法少女に生まれ変わったという。正直「遅すぎる」改心ではあるのだが、何事を始めるにも遅いはない。新たな時代に理想の魔法少女を貫き通すため、彼女は「自分の力」で生き続けていくのだろう。隻眼隻腕となったリップルも、場所は動かずに魔法少女を続けているという。彼女をあこがれさせた善行の魔法少女、SWを目指して。そして何より、彼女にいくつもの命を託し、友情を貫いたトップスピードを目指して。 たくさんの命の先に、魔法少女は育成されていく。 12月17日 ドラフト模様(KLD×3) ピック順 【Thraxi】→【Serra】→【Sangriter】→【Alessi】→【Mei】→【Sea-chicken】→
先週は土日連戦のクソみたいな日程でしたが、今週は1試合ですよ(当たり前だ)。ただ、1人予定が合わなかったので6人戦になっています。さらに来週はクリスマスに突入し、予定がつかない人間も出てきたので6人以下の試合になることが確定しています。現時点の予定では普通に土曜夕方にやることにしてますが、誰か予定入ってる人おらんの?? ねぇ。 もう1人以上キャンセルが出たら流石に中止にするので、欠席の人はお早めにご連絡ください(あと追加出席の人もお早めにご連絡ください)。
真意定まらぬ腹の底、第10話。奇しくもクリスマスシーズンに合わせてのエピソードとなったが、如何せん、ハッピージングルベルとはならぬもの。 前回の松永さんのエピソードは、どこか寂寥感のあるシリアスと救いようのないコメディのバランスが絶妙な、「こんな人もいるんだよ、将棋会館」というお話だったが、今回はコメディの要素が全部取っ払われ、単なる「他の会員」の紹介ではなく、将棋を続ける人生というものを零にフィードバックして、彼の人生観を掘り下げるお話になっている。もちろん「こんな人もいるんだよ、将棋会館」という意味合いもあるのだろうが、視聴者側からしても、あまり見たくなかった、心痛む話である。 他者との対局に際して、相手サイドの情報を持ち込むのはやっぱり香子。前回の松永さんとの対戦の時は「彼女なりに零にはっぱをかけている部分もあるのかな?」と思ったが、今回の対安井戦においては、彼女の発言のほとんどは「零を苦しめる」意味しか持たず、流石にこれをエールと受け取るのは無理があるだろうか。ただ、彼女も100%悪意や妬みだけから零に絡んでいるわけではないのも間違いないはずで、今回の一件で悪意のみが浮き彫りになったのは、安井の人生を語る上で、どうしても「親子」という話題に触れざるを得なかったためだろう。離婚が決まり、望まずに離れ離れになるという安井家の父子。そして、距離的な隔たりは無かったはずなのに、気付けば心が隔たっていた幸田の家族。自分たちの問題に引き寄せて語ってしまえば、香子だってどうしても「毒のある」言い方になってしまうのだろう。どこかで零を責め立て続けながら、彼の行く末を生ぬるい熱を孕んだ視線で見守る香子。彼女は、零がどんな人生を送れば満足してくれるのだろうか。そして、零はそんな香子に対して、どのように接するのが正解なのか。疎ましいばかりの姉の存在でも、彼にとっては数少ない「繋がり」には違いない。毒ばかりの姉の言葉すら求めてしまうほど、彼の「家族」関係は限られ、切実なものである。 前回の松永戦では「わざと負けたふりをしてあげる」という選択肢も一応は零の頭の中にあった(実際にはそれすらさせてもらえなかった)が、今回の対局では、彼は「負ける」ということを一切考えていない。姉の言葉に何を思ったかは分からないが、違う生き物を見るかのように恐れおののいた松永の生き方に対し、此度の安井の戦い方は、零にも理解出来るものであり、それだけに、絶対共感出来るものではなかったからだ。事前に先生との会話でちょっとおちゃらけた風に「生活がかかっているんですよ」と言っていた零。確かに経済的な問題もあるだろうが、彼が将棋を手放すことが出来ないのは、これまで歩んできた人生の歪みを正すことが出来ないため。それしか出来ない道を選び、それを選ぶために多くの人を傷つけてきたため。将棋が好きじゃないとは言っているが、彼の中には負けられない理由がたくさんある。 それに対し、安井の将棋はひどくみっともない。そして、棋士の将棋がみっともないということは、彼の人生もあまりにみっともない。松永のような異次元の格好悪さでないだけに、安井の「醜さ」は一層際だち、零の感情を逆撫でする。零の目から見れば、安井だって零と同様に「大切なもの」を賭けた戦いだったはずなのに、安井は勝負に真剣になれない。勝てないことの理由を自分に求めず、勝負の厳しさを他者になすりつける。そうして生まれた結果から目を背け、ますますみっともない道を転がり落ちていく。残ったものは、零に向けられた理不尽な敵意のみだ。勝負となれば、当然そこに勝者と敗者がある。勝者は祝福され、敗者は痛みを知る。自明の摂理であるはずなのに、それを受け入れずにただ負けたという事実を理不尽に他者になすりつけるという行為を、零は認めることが出来ない。努力しなかったことを批難し、弱いことを唾棄する。 彼が独り叫んだあの絶叫は、どこまでが彼の本心かは定かでない。彼は決して実力至上主義ではないだろうし、敗者を罵ったり、蔑む気も無いだろう。しかし、あの一戦に関しては、相手を呪わずにいられない。相手が自分を呪ったことに対し、それしか処理する方法が無いのだ。果たして、彼はこれまで「敗者の呪い」をどれくらい正面から受け止めたことがあるのだろうか。勝者と犠牲者という絶対的な構図と、それを受け入れられない敗者の傲慢を、どれほど身に感じてきただろうか。今回の一戦は、勝負の世界に常に付きまとうそんな理不尽を容赦無く叩きつけるお話。静謐な対局の構図は宮本さんによるコンテワーク。相変わらず、こういう突き放したような演出が印象的です。 零は、今後も「他人の人生を呪い、他人に人生を呪われながら」戦い続ける道を選ぶのか。生きるというのは、やはり難しい。 「終末のイゼッタ」 6→6 まとまった作品でございました。付け入る隙が無い分、なんだか、掘り下げる余地もない、そんな印象。 評価としては「平均以上」を付けられる作品だったと思う。アニメオリジナルというと、えてして訳の分からない方向に突っ走って視聴者を置いてけぼりにする身勝手な作品になりがちだが、今作はそうした「不親切」な点がほとんど無く、予想も期待も裏切らない。そんな出来になっていた。映像面でも見るべき部分が多く、特に最大の見せ場である「銃器を駆る魔女」の絵面は1話目から惹かれるものだったが、最終話まで様々なシーンで画面を盛り立て、魔法少女文化華やかなりし現在でも充分に目を引く、新しい「魔法バトル」の画を作り上げていたと思う。かわいい女の子が無骨なランスや狙撃銃にまたがってバッタバッタと戦車や戦闘機を落としていくというシチュエーションだけでも、今作は面白いのである。 ただ、そうした楽しさはありながらも、心のどこかで「もうひと味、暴れても良かったのでは」という気がしないでもない。期待を裏切らないのは大切なことなのだが、予想は出来れば裏切って欲しい部分で、シナリオラインがあまりに優等生的にまとまりすぎている感がある。いや、「自分勝手に暴れるのは良くない」と言ったその端から「でも予想外のものも見たい」というのは本当にわがままな視聴者感情なのだが、今作のストーリーテリングの穏当さを見るに、もう1つ2つかき回す要素があっても良かった気はするのだ。いや、かき回すより、もっと別路線での掘り下げを模索する方がいいのかな。あらゆる要素が「ストーリーを進めるためのコマ」として完璧に仕事をこなしすぎているせいで、世界観にあそびが出来ないところが物足りなく感じてしまった要因なのかもしれない。まぁ、要約すると「イゼッタと姫様のイチャイチャはもっと多方面から描いても良かったんじゃないか」ってことなんですけども……。作中でも2人のラブラブっぷりは嫌というほど見せつけていたはずなのだが、スタート地点であるイゼッタの献身にあんまり動機がないんだよね(その辺も理屈の上ではちゃんと説明されているのだけども)。どこかでもうちょっと喧嘩してみるとか、戦争以外の話で2人がゆっくり出来る日を作ってみるとか、そういうシーンが見たかったのかもしれない。まー、戦争がテーマになってしまうと、命のやりとりのお話が中心になるので、たとえ場面を切り替えてもあんまりおちゃらけられないんだけどさ。 もちろん、「もうひと味あっても良かった」というのが最終的な感想ではあるが、なくても成立していたのは間違いないし、これはこれで1クールアニメとしては充分な終わり方である。今後のフィーネさんの善政を期待しつつ、エイルシュタットの行く末を祈念しておくのが正しい視聴の終わり方なのだろう。ゾフィーのことを考えると、そこだけを見てハッピーエンドとしてしまうのにも抵抗はあるのだけどね……。 中の人については、やはりメインの2人が今作の屋台骨。相変わらずナチュラルボーンな高貴さを持つ早見沙織の姫ボイス、そしてそれを慕うイゼッタの無垢な憧れを孕んだ茜屋日海夏のヒロインボイス。元気な百合が見られれば、それだけで明日を生きる糧になります。最終的にゾフィー役の雨宮天も絡むことが出来れば、様々なカップリングを楽しむことも出来たんですけどねぇ。 |
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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