最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
泣いて笑って、最終話。清々しさの中に残る寂しさ、希望。ただそれだけのお話。 もう、特に書くこともない気がします。アニメの構成としては理想的な「1話まるまるエピローグ」。前回の大会では演奏シーンがカットされたわけだが、今回はきちっと在校生側の演奏が描かれ、ずるすぎる思い出回想シーン。やっぱり、今年の北宇治高校を象徴する曲といえば何を差し置いても「三日月の舞」なわけですね。もう、イントロの時点で涙がぶわってなる。そりゃ部長先輩たちだって泣くよ。笑顔で聞いてられる田中あすかのメンタルが鉄なだけで。 「卒業」がテーマになるのだから、当然「残す者」「残される者」という対比が重要になる。学校というシステムの良し悪しについては先生たちが語っていた通りで、「残される」側は、1年間必死で積み上げ、崩されたものを、出来るだけ維持しながら、新しい部活動を作っていくことが求められる。予想、というか願望の通り、新部長に任命されたのはなんと大天使・吉川優子。もう、ここまで来たら彼女についていくしかないでしょう。ズバッとものが言える実直さ、部員の端々にまで目が届く気遣いの細やかさ、あれだけバタバタさせながらもきっちりレギュラーに残っている確かな実力、そして何よりも、たくさんの人の心を引っ張ることが出来るエネルギー。同学年の子らはおちゃらけてみせたものの、おそらく彼女ほど部長に適任の人間はいないだろう。ぶっちゃけ、直近の大会でレギュラーに残れなかった中川パイセンの方が副部長就任に問題があるような気もするんだが、まぁ、別に上手下手だけが役員に必要な条件ではないからね。吉川・中川コンビによって、新たな北宇治高校吹奏楽部がスタートする。まだまだ三年生の先輩方には追いつけない部分も多いが、彼女達の学年は艱難辛苦を乗り越えて今の吹部の礎を作った、良くも悪くも転機となる学年である。きっと今まで以上に素晴らしい部を作り上げてくれるに違いない。 1年生は、そんな2年生たちを支える役割を担い、来春からは新たにやってくる新入生を指導する立場に回る。久美子や麗奈、緑輝に葉月。どうにも「先輩」ってポジションが似合わない連中が多いが、彼女達には三年生が残していった北宇治スピリッツが根付いているはず。責任ある立場に回ったとき、彼女達がどのように成長するのかは楽しみである。まぁ、麗奈さんの場合はそんなことよりも滝センとの関係性の方が気掛かりだが……おそらく彼女のコトだし、前回の騒動で一旦線引きは出来てるんだろう。「次にチャレンジするのは高校卒業後」ってんなら先生も安心だけど、多分、「全国行って金賞取れたらもう一回」みたいに思ってるんだろうな……。 そして、我らが主人公、「残された者」黄前久美子嬢。前回ちょろっとフラグを立てた(ような気がした)秀一はサラッと蹴飛ばしておいて、彼女の心残りはあすか先輩のことばかり。彼女の念願は全国大会で一部分だけは果たされたわけだが、もちろん、ゴールまではほど遠いはず。田中あすかの今後の人生に、ユーフォはもう必要ないのか。自分との思い出は過去のものになってしまうのか。あすか先輩の様々な顔を見ているだけに、久美子はその答えを知らないまま終わらせるわけにはいかなかった。楽器室にユーフォが置かれていなかったことから、まだ彼女のユーフォが「終わった」わけではないことだけは確認出来るが、その心の中までは分からないのだ。 卒業式の日、やはり「ラスボス」である田中あすかには1対1で挑む久美子。「性格の悪い」久美子は、事ここに至って、普段なら絶対に表に出さないような部分まで洗いざらい吐き出し、あすか先輩に「告白」する。彼女にユーフォを手放してほしくない、彼女の人生の続きが見たい、彼女の中で、自分を過去のものにしてほしくない。そんな気持ちの一部は単なるエゴでしかないのだが、もちろん、天下の田中あすかが久美子ごときの内面を知らぬはずもないわけで。笑顔で受け止め、新たな関係性として楽譜を託すあすか。彼女が「残す」のは思い出だけではない。彼女のユーフォの全てを後輩に引き継ぎ、新たな北宇治の糧とすることを命じる。もちろんそれは、あすか自身が終わったことを示すわけではない。「さよなら」は嫌だという久美子に、「じゃぁ、また」といつものように軽口を叩きながら去るあすか。しかし、彼女の言葉が力を持たなかったことは今まで一度たりともなかったのだ。田中あすかは終わらない。そして、久美子はその果てしない存在に近づくために、これからも信念を持って、ユーフォを奏でていけるのだろう。それこそが、「響け!ユーフォニアム」。 ラストシーンはそんなあすか先輩の「退場」から、次の世代を担う若手の未来を示唆するもの。つまり久美子と麗奈のツーショットで締め。「午後から合奏練習」は、番組開始前のCMで何度も流れてきた2人の定番台詞である。時代が移り、人は変わっていくが、そこに宿る信念は繋がり、明日に続いていくのだ。 「そして、次の曲が始まるのです」 PR 「WWW.WORKING!!」 4→4 思ったほど悪くはなかったのだが、だからって大きなプラスも無く終わった感。まぁ、多分1作目で馴染んでこの空気が好きな人は好きなんだろうけど。わたしゃどっちかというと飽きてしまった方なのでね。 前作の無印WORKINGの場合、最初は色々とかき混ぜられていたのに気付けばバイト連中の全ての関係性が恋愛沙汰になるというピンク脳の世界に流石に嫌気がさした。ぽぷらちゃんだけは頑なに萌えキャラ性能を維持し続けたが、その他の面々は延々くっつくのくっつかないのという話をしているだけ。そういう話が見たいんじゃないんだけど、っていう。今作においてその傾向はより顕著になり、もう1話の時点から「こことここがくっつきます」というのが明らかな3組の男女のお話を隠す気は無い。結局無印の終盤と同じ流れじゃねぇか、っていう。どのカップルも基本的に女性中心で男がないがしろにされるというのも一緒で、最終的にハッピーエンドになるとはいえ、なんか男の扱いに釈然としない部分もある。轟さんは優しかったのになぁ(そうか?)。 でもまぁ、そうした「あんまり見たくない」話の中でも、回数を重ねれば可愛らしさが見えてくるのも我ながらチョロいところで。やっぱり一番の牽引力を発揮したのはメインヒロインの宮越さん。前作の伊波さんは「暴力ヒロイン」ってんで賛否あったわけだが、村越さんの理不尽さも負けてはいない。「素直で一途」っていう部分も共有している部分であり、馬鹿だからこそ相手のことをいっぱい考えてくれるのは、ある意味で男冥利に尽きるのかもしれない。戸松ボイスによる理由無きエネルギーの充填率も凄まじく、どんな無茶をやろうとも「まぁ、宮越だったらいいか」という気にさせてくれる、愛嬌のあるヒロインであった。対抗はサブヒロインの村主さんで、こちらも全く別種の理不尽さに釈然としないものを感じさせながら、「笑顔」という分かりやすい最終兵器を決め球として投げ込んでくるファイトスタイルは男泣かせ。こちらも日笠陽子という万全のキャスティングを擁し、見事なヒロイン魂を見せてくれた。鎌倉さんももちろん強烈なキャラではあるが、「金が絡む」という一番生臭くて救いようのない恋愛模様だったので、どう応援したものか計りかねたので保留。 まぁ、こうしてみると「パターン化して飽きた」とはいえ、やはりそれぞれのヒロインの描かれ方は丁寧であり、はまれば楽しいアニメだったのだろう。一度この作者の恋愛要素全外しの作品が見てみたい気もするのだが、そしたら成立しなくなっちゃうかねぇ。 「斉木楠雄のΨ難」 5→5 まぁ、常のように、よくやってくれたのではないかと。 原作知ってるしわざわざ身構えて見るような作品でもなかったのだが、原作の持ち味が桜井弘明テイストにきっちり馴染んでいて、アニメ化によるプラス要素も割と多かった作品だと思う。コミックでしか成し得ないようなネタを強引にアニメに落とし込んだり、リアルタイムでの原作とのリンクを見せたり、非常にサービス精神旺盛でファンには嬉しいアニメになっていたんじゃなかろうか。その分、アニメとしての映像の妙味とかは一切無いわけだが、まぁ、元々原作の時点で絵のありがたみがある作品じゃないしね。むしろ早回し演出による詰め込みで、画なんておまけ程度でガンガンネタをまわす方が正しい方向性だったと思う。やっぱこういう無茶な展開を加速させるのが上手いなぁ。 あとはまぁ、中の人の話題を出すくらいしかやることがないな。贅沢極まりないキャスティングのおかげで斉木ワールドは大きな恩恵を受けた。斉木本人のボイスももちろんだが、おっふ度の増した照橋さんとか、破壊力に説明が不要になった燃堂とか。個人的に気に入ったのは目良さんで、原作でも理不尽な存在感を持ったキャラだったが、内田真礼ボイスによってなんだかギャグの速度が増したような気がする。「あいまいみー」で培った何かがいかされているね……。 「ユーリ!!! on ICE」 6→7 バケモンみたいな作品でしたね。オリジナルアニメでここまで革命的な仕事を成し遂げる作品は、年に一本出るか出ないか。 先に断っておくと、わたしゃホモは嫌いだ。正確に言うと嫌いというか、理解が及ばない。以前知り合いとそのあたりの話を喧々囂々で議論したことがあるのだが、自分に一切その気が無いので、その存在を頭で理解出来たとしても、絶対に共感出来ないと思っている。そして、共感出来ないキャラがいるということは、決してそこからプラスに働くことはなく、未知で不可知であるが故に障壁となることは間違いなくある。そういう意味で、「嫌い」なのである。過去にも様々なそっち向け作品のアニメを見てきたが、ギャグとして処理出来ればそれはそれでいい(「世界一初恋」etc)し、愛玩動物を愛でるような感情として処理出来る特例(「SUPER LOVERS」)なんてのもある。不可知であるからこそ、それを「真に迫ったもの」として認識しないことが求められるのだ。 しかし、本作はそっち方面で話題になり、確実に作り手側もそれを意識した演出、構成を施している。その上ですんなりと本作を受けいれられた理由として、おそらくフィギュアスケートという競技の特殊性があるのじゃないかと考えている。フィギュアというのはスポーツの中でも審査競技であり、表現の勝負である。実在の選手を見ても分かることだが、そこでは間違いなく、華麗さ、優美さに加え、何らかのエロティシズムが含まれる。「男の色気」ってヤツを、合法的・効果的にいかに発揮するかの勝負。つまり、ものすごく乱暴にまとめると「フィギュアが強い選手」は「色っぽい選手」であり、「エロい選手」なのである。そして、この色気というものはどうやら性別の垣根を取っ払い、同性にも効果的なものであるらしい。ユーリが描く「エロス」はその端的な表出だが、「楽しませること」「魅せること」がどこかで性的魅力との境界を排して接続し、キャラの魅力、キャラのエロスが曖昧になる。そこに、同性愛的な表現を掘り下げる余地があった。 つまり、世間的には完全にBL作品として処理されている本作を、私の場合は「極まったフィギュア選手同士の頂上決戦」と認識して受け入れることが出来るのである。ユーリがヴィクトルに、ヴィクトルがユーリに惹かれるのは、互いに持ち合わせた卓越した技巧によるもの。そして2人の志が重なることは、人生の目標を1つにして1つ屋根の下で共同作業を行う仲、とどのつまりは「結婚生活」を連想させることもおかしなことではない。つまり本作は、フィギュアスケートという題材をフル活用することで、「合法的にBLをスポ根として描くこと」を可能にしたのだ。もちろん、選手同士のリスペクトなんてものはどんなスポーツだろうが存在するし、そうした友情を描いた作品は多数あるわけだが、フィギュアの場合に互いを見つめる視線に性的な要素を含んだとしても(もちろん、含まないかもしれないがそう読み取れても)おかしくないのである。その傍証として、ユーリとヴィクトル以外の選手は、妹や母親、恋人との関係性の中で描かれている人間も多いが、そのどれもがユーリ同様、「男から見ても魅力的」な選手になっているのだ。この「性的官能の転写」が本作の特筆すべき1点目である。 そして、そうした描写のためには当然「フィギュアスケート」をとことん描く必要があるわけだが、本作では「話数の半分を全て試合中継のみで構成する」というとんでもない荒技で難題をクリアしている。ここまで徹底的に「試合描写のみ」に全てを託したアニメというのは、ひょっとしたら史上初なのではなかろうか。テレビのフィギュア中継をそのまま写し取った演出は視聴者を「スポーツ観戦」の枠組みに引き落としつつ、そこにアニメならではの演出を紛れ込ませることで、ドラマパートも油断なく掘り下げていく。6話で本当に驚いたのはぽっと出の新キャラが競技を終えた30分後にはしっかりと個性を定着させ、まるで長々と自己紹介を終えたような状態になっていたこと。キャラの濃かったJ.J.なんかを見れば分かりやすいと思うが、彼がリンク以外の場所で他のキャラと絡んだ時間は驚くほど短い。それなのに、12話を見終わった我々の頭には、「キング」J.J.の圧倒的な存在感が焼き付いている。そして、こうした「掘り下げ」は競技に参加した全てのキャラがほぼ同価値で実現させている。個人的にはジャコメッティの存在感が一番気に入っているが、最後に駆け込むように入ってきたオタベック、1話しか出ていない南くんあたりもちゃんと印象に残るキャラになっているのがすごい。普通のスポーツものとして、今作は相当なハイレベルに位置しているのだ。 すでに放送が終了している「ハイキュー」を評して私は「今期最もアツいスポ根アニメ」と書いたが、今作は「今期最も艶めいたスポ根アニメ」で間違いないだろう。今作を見れば、私のようにフィギュアに興味のなかった人間でも、「この冬からはフィギュアの中継を見てみたい」と思わせるだけのエネルギーと説得力がある。こんな力業でスポーツの面白さをたたき込んでくるアニメが作れるなんて、全く想像もしていなかった。これだから、アニメ視聴はやめられないのだ。 最後に中の人の話は……もういいかな。各国の選手の濃すぎるキャラはもちろん、ヴィクトルの存在感、そしてユーリという実に不思議なスタンスの「主人公」を一分の狂いもなく作り上げた豊永利行の手腕。あらゆる作り手たちに支えられて、今作は完成したのです。これだけ人気が出れば当然続編って話になるが……次はユーリVSヴィクトルが見られるんですかねぇ……。 「Lostorage incited WIXOSS」 5→4 テメェ、最後にあきらっきーを持ってくれば全部許されると思ったら大間違いだからな。いや、正直ちょっと笑ってしまったけど。僅かな登場の隙を逃さずにきっちりラスト提クレバックを奪っていくあきらっきー大先輩、流石やで……。 しかし、こうして前作の遺産を食いつぶしてネタにしていたことからも分かる通り、正直、駄目な作品である。期待していたものが何一つ出てこず、シナリオに全く心躍るものがなかった。これは、WIXOSSの皮を被った何か別のアニメだ。いや、前作だってWIXOSSの皮を被った何かだったけど、そういう意味でなくて。 前作は「カードゲームの販促アニメのはずなのに一切ゲームの内容が分からないし関係無い」という斜め上の投げっぱなしから、純粋に女の子たちの愛憎劇を描くという、岡田麿里ここに極まれりという作品だったのだが、今作はそうして「ゲームと一切関係無い」部分と、前作で受けた「何となくひどい仕打ち」の部分だけを踏襲し、さらに全く関係無い次元に足を踏み入れている。その結果残ってしまったのは、行き当たりばったりの思いつき脚本だ。前作では繭というルールがおり、彼女が産みだした世界の理の中で物語が進んだため、理不尽ながらも得心のいく物語が展開されたが、今作は前作の「繭」に当たる存在がおらず、本当に「何となくひどいゲーム」としてのWIXOSSがあるだけ。適当に作ったルールも細部がガバガバで、ラストバトルなんて「それやっていいのかよ」のオンパレード。最低限のコンセンサスが無い状態でバトルアニメなんて楽しく観られるわけがないのである。 じゃぁ、前作で最大の売りとなった「女の子の友情物語」部分はどうかというと、これも毎週の感想で少しずつ興が削がれていく過程が見えると思うが、相当駄目な部類に入る。一番のキモであるすず子と千夏の関係性があまりにも雑で、ラス前で和解する展開など、傍から見ている分には「なんでそんなんで今まで揉めてたんや!」とキレられても文句を言えないレベル。ラスボス里見も(キャラは面白いが)目的意識が低くて「適当に拵えた悪役」感が拭い切れず、本当にこの世界は「前作は血も涙もないひどい部分が受けたんやろ」みたいな感覚で作られていることが透けて見えてしまうのだ。そのくせ、清衣やらなんやら、微妙に前作の要素を引っ張り出してくるところがむしろ腹の立つところで、あれだけの完成度を誇った「selector」シリーズをないがしろにされているようで気分が悪い。いや、あきらっきーや伊緒奈さんがモデル活動で一花咲かせていることが分かったのは嬉しくはありますがね。もう、こんな茶番はどうでもいいので、「らきらき♡あきらっきー」みたいな新番組を始めてくれればそれでいいんですよ。結局カーニバルの正体は何の意味も無かったよなぁ……。もし2期目があるなら、もう少し統制の取れた状態で、1期キャラとの絡みを大事にしてほしいです。 一応、良かった点を多少でもフォローしておくと、中村悠一劇場としては最高でした。中村、ここからWIXOSSも始めてじゃぶじゃぶ課金するんじゃあるまいな。そして結局何も無かったけどカーニバル役のアスミスも普段は聞けない声だから非常に魅力的だった。そうだよなぁ。気付いたら阿澄さんも3×歳だもんなぁ。悪役の1つや2つ、回ってくるキャリアだよなぁ。 「ガーリッシュナンバー」 5→4 なんとも据わりの悪い作品である。当初懸念していたほどに抵抗はなかったのだが、作品全体として「勝ったな!」というわけにもいかないだろう。はてさて、どのように評価したら良いものか。 本作が始まった時の新番チェックでは、「今作がどのように終わる可能性があるか、そしてどのように終わるべきか」ということに触れた。簡単にまとめておくと、想定されていたエンディングのパターンは3つで、1つは、「甘い考えの彼女が業界の厳しさにボコボコにされ、真面目に努力することを覚えていく」、2つ目は「やっぱり彼女は失敗するが、そのまま立ち直ることなく、訓話的な結末を向かえる」、そして3つ目が「このまま、彼女が性根を入れ替えることなく、とんとん拍子で成功しちゃう」。さて、実際にはどのようなエンディングだったかというと、少なくとも2つ目ではないだろうから、1つ目と3つ目の間といったところか。確かに千歳は打ちのめされ、反省することで多少は努力をするようにもなったが、残念ながら「心を入れ替えた」とまでは言い難いだろう。彼女がやり始めたようなことは他の声優仲間達ならば当然のようにやっていることであり、言わばようやく声優人生のスタートラインに立てたという程度。まだまだ主人公に必要な努力からはほど遠い。基本的に彼女は3つ目のエンディングである「たまたまちやほやされる」属性の方が強く、ラッキーでのし上がり、幸運にあぐらをかいてぐうたらしていた時間の方が圧倒的に長いのだ。 もちろん、そういう主人公がいることは別に構わないのだが、今作は一応「声優のお仕事アニメ」という体裁をとっており、千歳の働きは大なり小なり「声優の仕事ぶり」として認識される。初見の時も書いたが千歳の態度は声優ファンからしたら不愉快以外の何ものでもなく、「ただ千歳がのし上がる」だけのアニメだったら、今作のメッセージは我々には受け入れがたいものになったはずだ。幸い、それなりに辛いシーンもあることで一応のバランスは取れたように見えなくもないが、実際、千歳はそこまで苦労しているわけではなく、どっちかというと泥を被ったのは悟浄君の方だろう。容赦無い社長の一言が突きつけられた時も、結局悟浄君が丸呑みして千歳への直接のダメージを避けている。彼女はどこまでのぬるま湯の中で、飼い殺しにされていくだけの存在だったのだ。彼女の幸運は周りの仲間達に本当に恵まれていたという部分で、4人の仲間達からそれぞれに最も効率的な方法で「生き残り方」を学んでいき、付け焼き刃でそれを振り回すことでギリギリ声優としての人生を守りきった。やっぱり、改めて見ても彼女の成功譚はラッキー以外の何ものでもなく、声優という職業を小馬鹿にしたことについての罪滅ぼしは一切行われない。そんな主人公を、好きになれるわけがないのだ。 ただ、こうして形成された物語が、一定の割合で「ネタ」であるという部分も理解しなければならない。こんな声優はいるかもしれないし、いないかもしれない。業界はこんな風になっているのかもしれないし、全くのフィクションかもしれない。我々素人には一切立ち入ることの出来ない暗部がこのアニメでは「フィクション」として描かれており、千歳の生態は、言ってしまえば巨人やエルフと同等の「イメージ」でしかないのである。そんなところに目くじら立てて「声優さんを馬鹿にするな!」と激怒するのも空しい話。「そういう風に噂されている業界なんですよ」ということを飲み込んで、ある種のゴシップストーリーとして、半笑いで見るのが正しい姿勢なのだろう。 ただ、そうした半笑いの作品としても、中盤以降の千歳の身の処し方はなんとも半端な印象があるのだけども。彼女は救われるべきなのか、打ちのめされるべきなのか。作品全体としてそれが明確ではないため、「ムカつく奴だけど今後も可愛がってね」というなんとも矛盾したオチになっているのだ。そのことについては、事実だろうとフィクションだろうと、あまり受け入れられるようなデザインではないんだな。個人的には、やっぱり見ていて不快感が先に立つテーマってのは、あんまりよろしくないかな、と。ネットの書き込み、つまりは便所の落書きみたいなものをわざわざアニメに仕立て上げるってのは、本当に末期になってからやって欲しい。 とりあえず、声優アニメだから声優は頑張ってたよ。ちーさま役の千本木彩花は、良くも悪くもここではっきりと名前と声が印象づけられたのではなかろうか。彼女の仕事ぶりが今後どんな風に広がっていくのかは楽しみなところだ。
「文豪ストレイドッグス(第2期)」 5→5 なんか、小難しい理屈はいらないタイプの作品だった。最終的に文豪要素は欠片も残らず、ド派手な能力バトルものだけが残るっていう。まぁ、それで良かったんでしょうね。 設定の妙味なんてものはほとんど無く、気付けば作家先生の名前、作品の名前だけを借りてきて、後は大味な異能力をぶつけるバトルアニメ。能力の強弱設定なんかも非常に大雑把で、2期目となる今回はラスボス軍団も揃い踏みしたおかげでインフレMAXで強さが突き抜ける。植物を操る能力と怪物を作り出す能力のどっちが強いかはよく分からないけど、闘って勝った方が正義、そこに理屈はいらないよ、というスタンス。まぁ、考えてみれば「聖闘士星矢」だってそういうジャンルなわけだし、古式ゆかしい少年漫画としては非常に正しい措置なのである。 王道バトルものとして見てしまえば、やはり五十嵐監督×ボンズの組み合わせは圧倒的に強い。映像は毎回説得力のあるものになっていたし、ギャグとの切り替えなどの演出上のめりはりも良好。最初のうちは「こんなもん文学もクソもないやんけ」と吐き捨てていた僕も、気付けば「まぁ、なんか盛り上がってるから別にええやろ」くらいの気持ちで。クライマックスはちゃんと中島&芥川のタッグ戦で見せてくれたり、ラブあり友情ありでまっとうな盛り上がりを見せている。また、2期はいきなり太宰のポートマフィア時代の話から始まってどうなるものかと思ったが、その後も乱歩の探偵ゲームの話とか色々と探偵社内の「見たい」お話をやってくれていたので、三つ巴の戦いになって多少わやくちゃになった後も視聴モチベーションはそこまで下がらなかったのはありがたい。変な作品ではあるが、アニメ化は成功したといえる部類ではなかろうか。個人的には国木田の活躍がもうちょい欲しかったところだが。最初はメイン級の扱いだったのに、どんどん扱いが軽くなっていっちゃったのは残念。 中の人は豪華過ぎて正直誰がどう良かったとも覚えていないのだが、女性キャストだとあみっけが「わっち」って言ってるのが何故か(?)似合いすぎてて良かったですね。そういやあっちのアニメは続編ないんですかねぇ。 「Occultic;Nine-オカルティック・ナイン-」 6→5 2クールでやれ。いや、ホントマジで。何故この企画が通ったのか、全く理解出来ないのだが……受け入れられる公算があったということなのだろうか……。 今世紀最大規模の早口アニメという謎の属性を手に入れてしまった本作。この早口っぷりは「てーきゅう」への挑戦なのか。いや、でも5分アニメのてーきゅうだから成立した(?)形式であって、設定説明が大変な30分アニメでそれが同じように出来るわけがない。そりゃもちろん「説明が大変」だからこそ、詰め込むためにこの早口が必要だったのは明らかだが、「説明しないと駄目だけど、どう考えても尺が足りない」→「じゃぁ全部早回しにしましょう」って、意味が分からない。過去に「フォークダンスDE鳴子坂」というお笑いコンビがとあるお笑いのコンテストで「普段やっているネタを倍速でやる」というとんでもないネタを披露したことがあったのだが、それと全く同じ衝撃である(もちろん、その時は予選敗退した)。 これがもし「普通の」速度で展開していたアニメだったら、割とすんなり受け入れられただろう。最初に期待していた通りに「ナイン」というタイトルに代表されるように多数の人間が入り乱れる群像劇としての賑やかさ、雑多さはよく出ていたし、そこから展開される「オカルト」を中心としたメインシナリオも、色々と突っ込みどころはあるものの、成立していないレベルではない。クライマックスの対決シーンなど、たっぷり尺を取ってアツい展開にすればガモたんの頑張りだって主人公らしくて盛り上がったはずだ。傑作にはならないかもしれないが、「まぁ、こういう話ってあるよね」くらいにまとめられる。そのうえでアニメーションとしての不気味さ、不可解さが際だてば、作品としては合格点である。ことり箱を巡る一連の描写など、充分に「オカルト」要素を作る映像は出来ていたのだし、腰を据えて見たい作品だったのは間違いない。 しかし、こうした「基本が出来ている」はずのアニメが、何故か早回し天国になってしまったことで、その存在意義ががらりと変わってしまう。だって、何をしていても「早回し」のことばかりが前景化してしまい、他の情報を受容する余裕が一切無いのだもの。必死に「作中で起こっている何か」を理解しようとしても「早口やなwww」っていう部分が気になって頭に入ってこないのだから、それ以上の演出意図や画面構成などをじっくり見ている余裕なんてあるはずがない。おそらく「単に長い尺のものを短くしただけ」ではなく「早回しを前提にしているので少しでも理解がしやすいものを」という意識は働いていると思われるので、本来ならば演出の努力を少しでもくみ取りたいところなのだが、常人の能力ではそれが叶わない。つまり、制作側がすすんで「理解出来ないアニメ」を作ってしまっているのだ。こんなに勿体ないことがあるだろうか。 正直、これが誰の責任なのかは分からない。もちろん最終的には1クールという尺でGOサインを出した人間なのだろうが……。脚本を組み、それを詰め込むためにここまでアクロバティックなことをやろうという突き抜けた発想は、一体誰が思いついたものなんだろう。監督なのか、脚本なのか。うーむ、千代丸だったらこれくらいの提案はしかねない気もするが……。とりあえずもう1回、「2クールでやれ」。 まぁ、無茶苦茶な企画になってしまったおかげで、中の人たちの苦労を楽しむアニメとしては上質でしたけどね。早口芳忠さんとか早口麻美子とか、普段はなかなか楽しめない方向性で色々楽しめましたし。あと、吉田仁美がまっとうなヒロインをやっているのは初めて聞いたので面白かった。「おっ、普通の女の子やん」って思ってても注意して聞くとそこはかとなくムーコに聞こえてくるのがちょっと楽しいのです。 終わり良ければとにかく良し、最終話ァ! ラストを締めるテーマソングの使い方が素敵よね。4部のメインテーマは「Great Days」ってことでいいッスね。ジョジョ関係のシンガーもどんどん数が増えているので、7部の最終回とか「We Are The World」みたいな状態で歌ってそう。 きっちりと原作通りに決着と余韻を持たせたエンディング。本当に「終わり良ければ」の精神であり、これを見せられたらここまで色々と抱えてきた不満も「まぁいいか」って感じで許せる気がする。原作もこの4部の終わり方は格別の達成感があったしねぇ。「こんな面倒な事件をどうやって世間的に収束させるのか」っていうのは、ぶっちゃけ漫画原作者なら投げ出してもいいくらいの部分だとは思うのだが、荒木先生は(この時代は少なくとも)そのあたりが律儀で、きちんとバイツァダストの発言条件として女性救急隊員に名前を「自白」させ、その後で救急車に轢かせて顔を粉砕、身元不明死体だけど身元が分かっている、というアクロバティックな状況を実現させた。普通はそれだけなら警察の身元捜査で違和感が出るところなのだが、一応吉良は行方不明になっているし、身体の表面こそ川尻浩作だが、体組織レベルまでいけば吉良であることは分かるわけで、おそらく司法解剖でも問題無く吉良と断定されるに到るだろう(「顔の皮が剥がれた」だけなので、一番手っ取り早いのは歯科治療記録との照合だと思う)。ご丁寧に、彼が抱えていた通勤鞄はちゃんと早人が確保してる描写が入ってるんだよね。吉良だって名乗ってるのに川尻の荷物持ってたら流石に混乱しちゃうからね。それにしても、吉良が轢かれる瞬間の描写、思ったよりもはっきりやったな。「ゴリッ」って……うへぇ。 決着のシーンはもちろん原作通りに「バイツァダストが発動した?!」と思わせてからの回想で表現。そのあたりの構図とかポーズのギミックも原作のデザインを意識しながらアニメならではのおしゃれ表現になっており、映像面でも吉良の感極まった勃起表情やらポーズやらがいちいち丁寧。そのあたりは津田さん自らのコンテ・演出でガッツリ見せてくれているので安心だ。突然川尻フェイスが吉良に戻るところとか、アーノルドのダイビングとか、細かいところが「最終回だから」という意識で全部インパクトのある映像に仕上がっている。毎回このクオリティだったら最高だったんだけどなぁ。 そして、アニメならではのお楽しみは、オリジナル要素も盛り込んでお送りするエピローグ部分。わざわざオリジナルでここを付け足すために頑張って尺を削ってきたのだなぁ。なんと、(存命の)スタンド使いはオールスターが集合するという贅沢なもので、「玉美と間田はなんで仲良くなってるんだよ」とか、「結局億泰の親父は街中を堂々と歩いていいのかよ(しかも飲食店)」とか、突っ込みどころも多いが楽しいので無問題。あと吉良の同僚(女性)とか、一般市民でもちょこちょこ関係無いのが映ってるのが面白い。吉良の同僚のシーンの直前に出てきた女の子って、辻彩のところに来てた「幸せなブス」だよね? 彼氏と続いてるんだねー。 猫草が虹村の家で飼われていることは原作でも触れられていたが、あんな風にして平気で外に持ち出しちゃうあたり、流石の億泰である。まぁ、彼の能力なら空気弾で暴れられてもそこまで怖くないからね。親父さんに猫草と、虹村家は人外のものが増えていくのね。そして露伴のエピローグにはなんとあの「準備運動」が登場。こういうの見てると、やっぱり4クールにしてそのまま「岸部露伴は動かない」と「デッドマンズQ」をやっちゃえば良かったのでは? って気になりますよね。いや、あれだけ劇的な勧善懲悪の後に突然デッドマンズQが始まったら原作知らない人はポカーンとするだろうけども。「動かない」の方は一応1話だけOVA化されるわけだが、いっそ「死刑執行中」で1シリーズアニメやるってのはどうですかね? とにもかくにも大団円。天晴れな空気の中に少しの寂しさを残したエンディングは、個人的にはやっぱりジョジョシリーズで一番好きなのです。しのぶがポロッと漏らす「最近背ぇ伸びた?」は、全シリーズを合わせた中でも屈指の名台詞だと思ってます。早人はこれからも黄金の心を持って、お母さんを守っていくことでしょう。 黄金の心を受け継いで、さて、次に康一君がイタリア旅行にでかけるのは、何年後になるでしょうかね……。 |
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HN:
Thraxi
性別:
男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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