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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 不器用な連中ばっかりだよ……第12話。この作品のタイトルを見れば分かっちゃいたことではあるが、やはり辛い仕打ちだ。誰が悪いってこともないのになぁ。

 今回も見せ場だらけのお話だが、AパートとBパートではっきりとその目的が分かれており、そのどちらにも目の覚めるような内容である。まずはAパート、二人会で演じられる菊さんと助六の一席。菊さんはあくまで前座の役割であり、わざわざ東京から持ってきた「八雲」の紋付きで上がらせた助六の高座が本番。ここで、満を持しての大ネタ「芝浜」。このネタを披露した意味は、Bパートのみよ吉との関係性が大きな役割を果たしているわけだが、それ以外にも、数年間のブランクを空け、本当に久しぶりに「やりたくねぇ」と言っていたはずの落語にも関わらず、こうして大ネタをぶち上げたあたりに彼の性分が窺えるだろう。流石に東京では真打ちを張っていた男。長年田舎の隠遁生活を続けていたものの、その腕は衰えず、これまで菊さんが見たこともないような新たな人情噺でさらに上のステージへと登っていた。「落語は人が作る」というのが彼の台詞であったが、まさに、稽古や日々の公演以外で培われた、「助六の人生」が集約された一席である。

 そして、多少メタな視点になるが、この「芝浜」のシーンは非常に冒険的な演出でもって構成されている。実際に見ている分には何も特別なところが無いシーンなのだが、「芝浜」というのは本来ならば最低でも30分、ものによってはたっぷり一時間は使おうという大ネタである。普通に考えれば、アニメの中にこれを押し込めるには、ほぼぶつ切りのダイジェスト状態にするしかない。しかし、今回のアニメの中では、助六がこの「速回しの芝浜」を違和感なく演じているのだ。確かに物語の要点だけを追うダイジェスト版になっているものの、そのピックアップに過不足が無く、限られたAパートの枠内で、自然に成立するギリギリのバランスを維持している。今作の高座のシーンはアドリブではなく、きちんと台本が用意されているらしいが、この台本を組み上げるのは相当な難行だったことだろう。さらに、これを演じて自然な呼吸を生み出す山寺宏一の手腕。彼の台詞にきっちり画で追いかけるスタッフの尽力。この辺りが全て集約されて、わずか10分そこらの「芝浜」が生み出された。簡単に見えるかもしれないが、これが簡単に見えてしまうことがむしろ恐ろしいことなのだ。サゲのワンシーンの余韻の持たせ方まで含めて、全てがパーフェクトだ。

 一転、そんな「落語」に心血を注ぎ込んだのがAパートであるなら、Bパートはタイトルから「心中」の要素を切り出したパートといえる。ラスボス的存在といえるみよ吉が満を持しての登場だ。それまで、菊さんと助六は和やかに講演会の余韻に浸っており、菊さんが「東京に来てみんなで一緒に住もう」と提案するなど、現時点で可能と思われる最大限の譲歩、雪解け案を提示している。昔とはすっかり変わった菊比古を見て、助六もまんざらでもない様子だった。しかし、そんな男2人の間にいるみよ吉はそんなに簡単ではない。菊比古を呼び出してしなだれかかる彼女には、これまでの波瀾万丈な人生で積もりに積もった澱のような「陰」が籠もっている。端的に言ってしまえば「今まで一緒にいた旦那を捨てて、昔惚れていた男に鞍替えしようとしている尻軽女」でしかないはずのみよ吉なのだが、彼女の依存性の性分は我々も、菊さんもよく知っている。彼女は決して悪女でもないし、ならず者でもない。本当に、「哀れな女」なのである。

 一昔前の菊さんならば、彼女の要求に対して「正論」で応えていたであろう。「今となっては助六が亭主で、小夏が娘なのだから、自分とは関わっちゃいけない」と、みよ吉をたしなめたことだろう。しかし、助六との関係でも分かる通り、菊さんも師匠との死別や田舎での共同生活を経て、随分変わっている。人としての度量も大きくなったし、助六たちが抱えている問題の大きさを理解し、それを受け入れるための最善の手を取ろうとしている。おそらく、菊さんの中には、引き続きみよ吉に対する愛情といったものは無い。一度は一緒にいた女だが、切れてしまった繋がりを戻そうとは思わないし、彼女の性分を分かった上で、「自分以外の何かを頼りにしてもらわなければいけない」と思っているはず。しかし、現状ではその理屈が彼女に通じないことも分かっている。だからこそ菊さんは全てに対して謝罪し、みよ吉の責める一言一句を受け止めた。かつてとは違い、柔らかく全てを受け止めてしまった菊比古を見て、みよ吉はかえって困惑した。あの頃のように固く正しい正論で自分を罰してくれない菊さんを見て、みよ吉はどうしていいか分からず、ただ目に涙を溜める。そして、菊さんはそれすらも受け入れる。

 パニックに陥ったみよ吉は、そんな菊さんの優しさを見ても、決してそれが自分の望んだ形でないことくらいは理解出来る。依存先を失う恐怖からか、「心中」を持ちかけるみよ吉。その様子は、かつてめったにいかなかった寄席に菊比古を見に行った際の「品川心中」を思い起こさせる。緊張感の走る2人の間に、唯一この問題を解決出来る人間、助六が割ってはいる。これまでずっといい加減に過ごしてきた助六だったが、菊比古が自分のことを思ってくれている気持ちを再確認し、自分がどれほど堕落し、情けない身の上だったかを痛感させられた。自分みたいなどうしようもない人間のことを、真剣に思い続けてくれている人たちの存在に気付いた。だからこそ、菊比古には申し訳ないことと思いつつ、そんな自分を支え、新たな落語を演じさせてくれた「恩人」であるみよ吉に、誠心誠意で頭を下げる。菊比古の望む落語家としての人生、みよ吉の望む落語のない人生。その二つから選べと言われたら、後者を選び、みよ吉についてきてほしいと。

 「芝浜」ならば上手くもいった話だろう。しかし、みよ吉にはそんな急激な環境の変化に対応するだけの度量はなかった。元々自分を失ってしまった女である。「落語が嫌い」という言い分にしたって、彼女は菊比古との関係性でそんな憎まれ口が出てきただけのこと。落語をやるとかやらないとか、そんなことは彼女のとって大きな問題ではなかったのかもしれない。ただ少なくとも、助六にとってはそれが誠意の見せ方だったのだ。一度は落語という夢を見ることが出来た。しかし、残りの人生を夢にしちゃいけない。それが彼の最後の高座の意味。しかし、その決意も、彼を巻き込んだ動乱の流れに抗うことは出来ず。一人の男と、一人の女が、互いに抱きしめ合いながら、その末路をともにした。一部始終を見届けたのは、またも「捨てられて」しまったという、菊さん一人。

 自分を心の底から必要としてくれる男が最後に現れて、みよ吉の人生は、救われたのだろうか。

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「アクティブレイド -起動強襲室第八係-」 5→6

 毎回ゆるゆると感想を書いてきた作品だが、それなりに楽しめる要素は多かった。拭い切れないB級感を漂わせつつも、ちゃんとアニメオリジナルでそれなりに発展が見込めそうなコンテンツが出てくるのは良いことだと思いますよ。

 先に難点をあげてしまうと、どうしても散逸的なシナリオ構成は気になる部分。「B級感」という言葉が個人的には一番しっくり来るんだけど、例えばポーカー回とか鉄オタ回とか、そういう単発でまとめるシナリオの組み立てが、本当にやっつけ仕事っぽい。ユルさをひとつの売りにしている作品なので、どこまでがマジでどっからがおふざけなのかが分からない微妙な空気も楽しむべき要素の1つなのだろうが、それにしたって諸要素の配置が適当過ぎる。今時純正子供向け作品でももう少し納得できる形で収める努力をしているとは思うのだが。こうしたチープな毛色というのは受け付けない人はとことん駄目だろうし、その一点だけで「クソアニメ」と言われたら、まぁ、そうかもしれないと素直に認めるくらいには、駄目な部分だったとは思う。

 しかしまぁ、やっぱりギャグってのはデリケートなものでね。こういうヘタレた感じを単純な欠点と見る向きもあれば、「これはこれで味がある」ということも出来るわけで。ポーカー回のブラッディマリーの設定とか、「どないやねん」しか出てこない部分なんだけどその無茶苦茶さが不条理ギャグになっているとも言える。ダイハチのお気楽な面々はそうした不条理さも何となく受け止めてヌルッと進行してしまうので突っ込み不在でもやもやしたものが残るのだが、「そういう理不尽な世界」だと思って見れば確かに面白いとも思えるわけで。そこに「世界平和を守ってるけどお役所だから書類がいっぱい必要」ギャグとかが絡んできて、この独特の空気を生み出している。「警察」「変身」「どこかシュール」という要素のかみ合わせとしては「デカレンジャー」に通じるものがあると思うんだけど、デカレンの場合は子供さん相手なので「こういう組織があるんだよ」という説得力を増す方向性にドラマを構築しているのに対し、今作は「こんな組織、あったら大変やろなぁ、他人事だけど」みたいなノリなので扱いがヘンテコになるのだ。最後の最後まであさみちゃんが監視者として外からの視点を貫いてくれていればある程度秩序も保てたのだろうが、彼女もチョロいからあっという間に転げて「愉快なダイハチの仲間達」になっちゃったしなぁ。

 こういうヘンテコ組織が楽しい、と思える人には良い癒しになったと思います。時たまシリアスもあったけど、それを突き抜けるアットホームなユルさは、個人的には割と好きなものでしたよ。製作スタジオがアイムズということで当初は作画面での不安があったものの、そこはそれなりのクオリティで西田絵がキープ出来ていた部分は良い。その分ウェアのCGモーションなども含めてびっくりするような素晴らしい画にもならなかったけど身の丈に合った品質でシリーズを完走出来たのだから一安心だ。谷口監督の作品といえば「コードギアス」があるわけだが、今作はあんな風に大きなムーブメントを起こすことは絶対に無い、どこまでも「B級」な楽しさに終始してくれればいいと思う。2期目もしっかり頑張ってもらいましょうね。

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「ディバインゲート」 4→3

 オープニングだけやけに印象に残ってはいるんだけど……正直あんま真面目に観た作品じゃありません。

 新番チェックの時点で書いていた懸念がある。そのまま抜き出すと「『艦これ』アニメと同じ方向性。……既存のファン以外の新規視聴者の放置と、背景世界が見えないままのキャラクターの独りよがりな展開という危険性」。基本的にこの文言だけで説明は片付くような気がする。溢れ出る大量のキャラクターと、バックグラウンドがぼんやりした世界観。幸い「艦これ」に比べるとまだ世界観についての言及はあったので「なんとなく」レベルで追いかけることは出来たのだが、肝心のキャラクターの心情面まで掘り下げられるほどに共感を覚えることは出来ずに終わった。真面目に観てればもう少し没入度が違ったのかもしれないが、序盤の数話での誘致要因が乏しくてなぁ。イラストレーションの面白さはあったと思うのだが、そこからさらにバトルシーンの魅力やキャラの描き分けといった部分にまで派生せず、結局は「ちょっとメリハリの強いキャラ作画」っていう程度で終わってしまったのは勿体ない。当初はこの絵が動いているだけでも割と新鮮だったのだが、すぐに慣れてしまったし、「それ以上」が出てこないことにはモチベーションを維持するが難しい。

 気になるのは、これって原作ファンにとってはどうだったんだろう、っていうところですかね。例えば「ガンスリンガーストラトス」みたいに映像面でもメタメタだった場合には原作ファンでも辛い映像化になってしまったと思うのだが、今作の場合は映像に不備があったわけではなく、単にシナリオ面で惹かれるものがなかっただけ。原作からしっかり世界観を知り、余裕を持ってアニメの細部まで観られた視聴者にとっては面白かったのかどうか。いかんせんまわりにこのゲームをやっている人間はいないのでそのあたりの感想は分からないんだけど。もし、「ゲームを知ってれば面白いんだよ!」という意見があるのならば、それはそれでマーケティングとしては問題ないんだよな。これだけの数のアニメが大量に垂れ流される時代なのだから、私一人が「あんまおもんない」と感じてもしっかり受け取れるユーザーが一定数以上いるならそれはそれでいいんだし。まー、せっかくこれだけ賑やかなキャストがわんさか出てる作品なのにいまいち楽しめないのは勿体ないんだけど。かな恵ちゃんが頑張ってる作品なのでそこはいいと思いました。まる。

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 なんかグダグダやな、最終話。ミュトスよわっ。単なるハートブレイク少年じゃないですか。全然最終回っぽさがなくて今まで通りの雑魚と同じくらいのテンションで退場しやがった。

 うーむ、ラストバトルはもう少し色んなところで見せてほしかったよねぇ。お話的にも、絵的にも。これまでずっと必死にパソコンいじってたからてっきり巨大ロボでも出撃させるもんだと思って楽しみにしてたのに、最終的なバトルは単にミュトスが装備してた「ちょっといいウェア」相手にしただけ。さらにその相手はダイハチのウェアを総動員しても最上位権限ブーストに勝てず、結局自衛隊とのドタバタ連携作業になるっていう……。まぁ、ある意味で非常にダイハチっぽいとも言えるんだけどさ。この緊張感の無さは。まー、ミュトスの計画の根っこを考えれば、確かに巨大ロボを出撃させて東京を破壊する意味もないわけだし、あの根暗がこそこそと過去のいじめの復讐を企てていただけだと考えれば、このくらいの小規模な騒動でフッと終わるのは説得力はあるんだけどね。

 それにしてもミュトスはだらしない。ここまで周到に準備してきたのに、あんなにあっさり国に負けるとは。しかも最大の敗因は「バードを信頼しすぎ」という何とも寂しい理由。最後の最後までバードが何を考えていたのかはよく分からず、「ミュトスが友情を示しちゃったもんだから逆に愛想を尽かした」っていう可哀相な展開。ボスは2人ではなく、あくまでバードの方が上位であり、ミュトスはそんなバードの興味を引いた単なる「ちょっと頑張ったぼっち」だったんだもんなぁ。視聴者目線からするとバードとミュトスの関係性は計りがたいわけで、彼ら2人の関係性について、もう少し事前に描写しておいてもらわないと今回の展開は肩透かしだわな。結局バードが高飛びしたのって、単なる司法取引ってことでいいのかしら? あんだけ世間を騒がせた奴を、そんな簡単に野放しにしていいのかしらね。まぁ、確かにバード単体で見れば大した罪は犯していないので、関係性を証明出来ない限りは実刑に持っていくのも面倒なのかもしれないけど……ミュトスが浮かばれないよなぁ(死んでないけどさ)

 というわけで、なんだかパッとしないエンディングでしたとさ。まぁ、このユルさ、ピントがずれたような変ななれ合いの空気も、今作の魅力の一つと思えば我慢も出来るか。結局係長は本気出したのって巨大ロボのときだけだし。どこまでも公務員的に、どこまでものらりくらりと。しょうがない、不燃ゴミは出さなきゃいけないからね。次の回収日でええやろ!

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「僕だけがいない街」 5→5

 非常に取り扱いの面倒な作品である。というのも、最初に断ったことではあるのだが、私は原作を読んでいる。普通、原作を読んでいる作品のアニメ化ってのは「原作厨」みたいな立ち位置になることが多くて、過去にも「めだかボックス」とか「ダンガンロンパ」とか、その作品が好きであればあるほど、アニメを見る時の目ってのは厳しくなっていく(今期もそういう作品が1つありますがね!)。今作も原作との差の部分がクローズアップされることも多く、原作を知っている人間ならば避けては通れない評価点だろう。ただ、「原作が大好き」かっていうと、そういうわけでもないんだ。全てはタイミングの問題で、「たまたまアニメ放送のちょっと前に原作を一気読みしてしまった」という間の悪い状態。こんな状態でアニメを観るのは初めての経験なので落としどころが分からない。確かに原作は面白かったし、だからこそ一気読み出来たわけだが、通読したのは一度きりなわけで、ディティールまで覚えているようなお利口な頭は持ち合わせてない。それでも何となく原作と違っている部分、不足している部分は目についてしまい、「正確には覚えてないけど確か……」という変な文句の言い方にしかならない。どうしたらいいんでしょうね。

 というわけで、非常に半端な感想にはなってしまうのだが、やっぱりアニメにするバランスとしては「詰めすぎ」だったのは間違いないだろう。原作8巻分をアニメ12話でやるなんてのは到底無理な話。そのくせ、完全に一本の筋立てのミステリなので途中のエピソードを削って尺をごまかすという、一番スタンダードな調整もやりにくい。結局、個々の要素をしらみつぶしに検討し、「ここはなくても成立する」という部分をつまんで消していくという、恐ろしく地道な脚本構成が必要になった。しかし、それでもやはり「足りていない」という印象は与えてしまうもので、原作の持っていた繊細な部分が失われてしまっている。特に今作は主人公・悟の心情を中心に、雛月、八代などのメインキャラクターの心情が大事な作品。ミステリと言っても物的証拠を持ち出してあれこれ推理するのではなく、「犯人は何故こんなことをするのか」「どういう心理状態を辿って真相に辿り付くか」が大切な作品なので、ほんの些細な台詞をいじっただけでも、その意味合いは大きく変わってしまったり、突飛な印象を与えてしまったりする。「ダンガンロンパ」ならばとにかく証拠品を羅列して「推理のヤリ逃げ」みたいなことも出来たわけだが(それでも全然足りなかったが)、今作はそうした一元的な物の見方で尺をいじれる作品ではなかった。トータルで観れば、やはりアニメ化は失敗だろう。もっと尺を持たせた枠で放送することが、必要最低限の条件だったはずだ。

 と、ここまでは批判であるが、「アニメ化は失敗」と書いたものの、それは「原作の忠実なアニメ化」に失敗したということ。アニメ化する目的、アニメ化の方法ってのは何もそれだけではないことには注意が必要だ。今作は、前述のように「1つずつ要素をつまんで削っていく」という作業が行われたわけだが、それでもまとめきれないことは分かりきっており、ラストの「15年後」パートに大きく改変が加えられている。そう、実はアニメは原作と「全然違う作品」になったのだ。こうなってくると、原作から削られた要素が本当に必要だったのかも考え直す必要がある。「原作のゴール」に必要だったパーツだが、「アニメのゴール」に必要だったかは分からないのだ。そして、この新たに用意された「アニメのゴール」は存外悪くない出来である(原作の方がいいのは間違いないが)。12話分でまとめられるように最善を尽くした、身の丈に合ったまとめ方である。「たられば」の話は身がないが、もし私が原作を全く知らない状態でアニメだけを観ていたら、これはこれでそれなりに満足したのではなかろうか。当たり前の話だが、アニメスタッフは12話では尺が足りないことなど重々理解しているわけで、その尺に合わせるよう、作品の魅力をギリギリまで維持しつつ、アニメ用の脚本構成を新たに作り出した。この努力と結果は、正統に評価されるべきものだ。放送中は不平不満もついて回ったが、改めて振り返ってみると、作中で駆け足だった印象というのはあんまり無かったし、1つ1つの要素の繋ぎに違和感は無い。脚本のバランス、そして画面のバランス、「このゴール」を想定してのプロジェクトは、問題なく完結したのである。それならば、今作のスタッフは褒められこそすれ、原作改変が駄目だったと非難するのはお門違いである。原作ファンが非難したいなら、こんな無茶な枠でアニメ化を決行した制作側である。

 なんだか当たり障りのない一般論になってしまったが、作品との距離感がつかめなかったのでこのくらいの穏当な結論にしておこう。「原作読んでなければもっと楽しめたのになぁ」という後悔は、今後のアニメ視聴に活かすことにする。あ、ちなみにメインキャストの配置については、当然納得してはいません。大人悟はまだいいんだけど、やっぱり子供がなぁ……。

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○「鋼鉄城のカバネリ」 6

 何となく思い立って行ってきました先行上映。普段、あんまり地上波放送作品を先んじて見に行くことに魅力は感じないのだけど、一応映像がウリの作品のようなので大スクリーンで観られることにも意味はあるし、何といっても荒木哲郎の新作ということならばそれなりにペイはあるかと思って。あと、4月の新番ラッシュ期に1作品をパス出来るのもありがたいし。一気に3話見たので、とりあえず3週間は録画だけしてスルーすることが出来るぞ(まぁ、もう一回観そうな気はするけど)。

 さて、そんなわけでちょっとイレギュラーな新番チェック。3話まで一気観な上に劇場で観たから印象は違ってくるだろうとは思うが、そのあたりの判断も含めての評価。ノイタミナ枠なのだからおそらく資金的な問題はないだろうし、こうして先行上映までやってるってことはスケジュールも余裕があるんだろう。今後大きな崩れは無いものとしての期待も込みだ。いや、それにしても映像は見事。事前知識が「荒木監督の新作」っていうだけで見に行ったのでその他の要素がどうなっているのかは全然知らなかったのだが、初見の印象はとにかく「美樹本晴彦やんけ」。そっち方向で予想も期待もしていなかったので、3話分、約1時間の放送中、ずっとそれ。とにかく「美樹本絵が動いてる」というのが一番強烈に残った印象なのだ。過去に似たような経験をした作品というと「LAST EXILE」があって、あの時は「村田蓮爾の絵が動いてる!」というので衝撃を受けた。あの再現度も素晴らしかったが、今作は美樹本絵の持つ独特の湿度というか、どこかけぶったような、水がにじんだようなあの質感をかなりのクオリティで再現している。動画部分については確約は出来ないが、1枚絵を大きく見せるシーン、特に女性キャラの場合、特徴的な造形美がこだわり抜いた絵でもって完成している。これはすごい。3話目までは徹底してこの見映えが維持されていたし、今後もそのままのクオリティを期待していいのではなかろうか。

 もちろん、そうしたキャラ絵以外に動画部分での充実も注目したいところ。そのあたりは「DEATH NOTE」にはじまって「進撃の巨人」に連なる荒木監督のこれまでの遍歴を知っていれば想像しやすいだろう(一応ギルクラも)。ぶっちゃけ、今回のストーリーは「進撃のカバネ」みたいなところがあり、カバネ軍団のモーションがまんま巨人の動きに見えて笑える部分なんかもある(メインヒロイン・ムメイの動きも立体機動っぽいしな)。でもまぁ、これまで監督やスタジオが培ってきた技術を駆使し、新たにオリジナルアニメを作ろうっていう姿勢は正しいものだろう。進撃があれだけの技術力を遺憾なく発揮出来たのだから、今作だってそういう部分での注目度は高い。

 あとはシナリオ部分がどうなるか、というところだね。今作は無理矢理一言でまとめると「お江戸スチームパンクゾンビパニック異能者バトル」もの。うん、よくわからねぇな。一番メインになるのは「ゾンビパニック」のところだと思う。巨人じゃなくてゾンビを駆逐するための物語であり、グロ描写もそれなりに気合いが入っているし、人はガンガン死ぬし、救いのないシチュエーションもいっぱいある。あとは、そうしたカテゴリーの枠をどのようにはみ出していくかが勝負の鍵。既存の概念を組み合わせただけの作品だったら、そりゃ映像は楽しいかもしれないがもう1つ何かが欲しくなってしまうのも当然なので。3話目までの時点では、割とまっとうに押さえるべき点を押さえている堅実な作りに見えた。(一気に観たためかもしれないが)シナリオの概要は分かりやすいし、理不尽な世界観も飲み込めないほどではない。「見捨てた人間に命を救われたという記憶を一生背負って生きていけ!」という主人公の何ともねじ曲がった性根も、どこか共感できる部分があるので求心力はあると思うし。あと、何よりヒロインが可愛い。ムメイが無闇に可愛い。エロイし、あざといし、抜け目ない。お嬢様の方はなんだか微妙な立ち位置だけど、今後突っ込みポジションとして偽りの常識人を気取ってくれるなら存在意義は見出せるかな? もう、3話目以降は主人公とムメイちゃんという2人のカバネリが好き放題に暴れてくれればそれでいいや。「進撃」の方はとにかく絶望的なシチュエーションをコテコテに上塗りすることばかりにご執心でそこから意味のある「結末」を迎えることが出来なかったが(まぁ、原作が未完なんだから当然だけど)、今作はアニメオリジナルで、きっちり収束する(べき)シリーズ作品である。是非、納得のいくエンディングを迎えるよう、脚本の手綱をキッチリ締めておいてほしい。幸い、3話目までの時点では毎回「来週どうなるんだろう!?」といういい感じの引きが多かったので、しばらくは地上波放送のドキドキ感は維持出来ると思いますよ。

 あと、いかにもノイタミナなセッティングだけどオープニングテーマにEGOIST、エンディングテーマにAimerっていう配置も嬉しい。こちらも期待してもらって良いと思います。トータルだと、技術力が遺憾なく発揮されるだけのステージは用意されているので、いくらでも秀作になる可能性はあると思う。やっぱり既存のドラマ作りからどこまで「はみ出せる」かだなぁ。ギルクラの二の舞だけは勘弁な。

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「ルパン三世」 6→6

 思いの外楽しめたシリーズでしたわ。本格的にルパンを視聴するのってほとんど初めてみたいなもんなんだが、断片的にエピソードをつまむのでなく、こうやってシーズンをしっかり観るのはまた違った楽しさがあるものだ。

 基本的にやっていることは「いつも通り」ではあるので取り立てて新鮮味があるわけではないのだが、今作は大きく3つのポイントで独自の楽しさを付加していたように思う。1つは、時代を経ても変わらず、いや、時代を経たからこそ敢えて「変え続けている」映像面のこだわり。過去のシリーズと比べればそのどれとも違うはずなのに、何故か懐かしさを与える不思議なキャラクター・世界デザインは、決して古くさいわけではなく、独特のこだわりを持って丁寧に作られたことがよく分かる「ならでは」の味。分かりやすいところではオープニング映像1つとっても実に様々なギミックが仕掛けられているし、「ルパンらしさ」を出すためにどこかに必ずおしゃれポイントを残して画を作っている。正直、話を抜きにしてハードでボイルドな銭形のおっさんの顔を見ているだけでも何か得るものがある。

 2点目はそんな作画面と繋がった要素だが、舞台になったイタリアという空間の楽しさ。今回、イタリアが舞台になっているのは冒頭でルパンが語ってくれていたように「芸術作品」というルパンに欠かせないターゲットが豊富にあり、これまでのシリーズとの毛色を変えながらもナチュラルに作品の雰囲気を維持出来るというのが1つあるだろうし、絵的な見映えも考えてのことだろう。1つの国の中に限定して、これだけホットな芸術・美術要素に溢れつつ、冒険や怪奇といったアクティブな要素も同時に満たすことが出来る国ってのもなかなかないのではなかろうか。いや、やろうと思えばどんな国でもたくさんの魅力はあるのだろうが、日本人が何となく理解しやすいバランスで言えば、やはりイタリアという設定は良かったと思う。そして、この「イタリアン・アドベンチャー」のゴールとして用意されたのが、かのレオナルド・ダヴィンチ。「ルパンとダヴィンチ」といえば「ルパンがダヴィンチの作品を盗むんやろ?」と思わせといて、まさかのラスボス・ダヴィンチ。ムキムキマッチョの全裸で歩き回るダヴィンチには正直苦笑いも漏れるが、大した説明も無しに「ラスボスです」と言われても「まぁ、そうかもしれん」と思える偉人の有能さ。こういう舞台設定の率直さとセンスの良さも、今回のシリーズを盛り上げる要因になったんじゃなかろうか。

 そして、これもやはりシームレスに繋がる部分だが、3つ目の要素はそんな舞台・キャラ設定を全て踏まえて、適切に2クール分のシナリオを構築出来たこと。特に注目すべきはレベッカやニクスといったオリジナルキャラの配置。彼女らはどうせ今シーズンだけの短い付き合いになることは分かっているわけだが、大看板であるルパン一味・銭形のとっつぁんといった面々に負けないだけの存在感を発揮しつつ、それでいてわきまえた配慮で作品作りに大きく貢献している。特にレベッカの「押しかけ女房」という立ち位置はルパンの女性遍歴を考えれば「数多いる使い捨てヒロインの1人」に堕してしまう危険性も孕んでいたと思うのだが、きちんと彼女の女性としての魅力をアピールし、お別れするのが勿体ないと感じられるような素敵なレディになっていた。中の人・藤井ゆきよの功績も大きかったと思うが、やはりこれは脚本のバランス感覚の手柄であろう。サブキャラをガッと一同に集めて展開した「最後の晩餐」のシーンとか、訳が分からないのに妙な説得力があって感心したものである。

 やはり長年続くシリーズというのは、それだけで重ねた年月による魅力があるものだが、今作はそうした過去の栄光に寄りかかるだけでなく、その上で新しい魅力を提供しようという気概があった。1つ1つのお話を観ていけばしょうもないエピソードもあったような気もするがそこはそれ。2クールという尺は存分に活用して、愉快な歴史の1ページを作ってくれたのではなかろうか。旧作リメイクばっかりの昨今のアニメ業界には閉塞感を覚える向きもあるが、こういう作品が出てくるならやっぱり意味はあるんだよな。

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<緑>

 

 

Benefaction of Rhonas ロナスの施し (2)(G) C

ソーサリー

あなたのライブラリを上から5枚公開する。その中から、クリーチャー・カード1枚か、エンチャント・カード1枚か、またはその組み合わせを手札に加えても良い。その後、残りを墓地に置く。

 緑名物、めくって入れる系呪文の新作。この手の呪文は2マナ以下と3マナ以上で大きく分かれ、2マナ以下の場合は探せる枚数に違いはあるが、基本的に手札に入れるのは1枚のみの「サーチ呪文」。そして3マナ以上になれば、手札に2枚以上入る可能性がある「ドロー呪文」となる。時に「獣狩り(ZEN)」みたいな地雷呪文もあるが、「暴走の先導(MBS)」やら「クルフィックスの洞察力(JOU)」といった秀作も多い部門だ。今回はその「ドロー」型の新作。コストは標準の3マナ、探す枚数も5枚と標準的。そして、クリーチャーを探すのは当然として、エンチャントも見つかればボーナス賞。めでたくアドバンテージへとつながる。わざわざロナスさんが出張ってエンチャント推しということは、このカードが探せと言っているのはカルトーシュか試練ということになるだろう。ぶっちゃけ、この環境ではそれ以外のエンチャントにあまり用はない。白や青と組んだ時に除去オーラが探せればやや加点、といったくらいか。そんなわけで、使えるとしたらカルトーシュをフィーチャーしたデッキだろう。これを使えば「試練がある時にカルトーシュ、カルトーシュがあるときに試練」を探せるし、カルトーシュはオーラなので、その下地となるクリーチャーも探して、全ての要素を1枚でまかなってくれる。あとついでに墓地にカードを送れるおまけ付き。狙ったデッキで狙った効果を果たしてくれるカード。ニーズはそこまで多くないはずなので、カルトーシュ狙いの人が遅めで回ってくるのを虎視眈々と待つことになるだろう。

 

Bitterblade Warrior 苦刃の戦士 (1)(G) C

クリーチャー・ジャッカル、戦士

2/2

督励 - 〜はターン終了時まで+1/+0の修正を受けるとともに接死を得る。

 督励戦士の緑バージョン。督励色である白赤緑は全てコモン2マナに督励クリーチャーがいる。改めて確認しておくと白が+1/+1と飛行で3/3フライヤーになり、赤は素の状態が2/1で劣るが、督励後は3/3トランプラー、そしてこの緑は3/2接死である。こうして並べてみると、どうしたことだろう、クリーチャー専科のはずの緑が一番能力的にショボいのである。接死だって充分強い能力だが、どちらかというと真価を発揮するのはブロック時。自分よりサイズの大きなクリーチャーと相打ちになってこその接死。攻撃時にパワーを上げながら獲得してもあまり嬉しいもんじゃなく、単なる2/2程度とも容易く相打ちになるので序盤から終盤まで、あまり積極的に督励する意味も無い。相手が1/4とか1/5を展開するタイプのデッキなら突破力になり得るが、流石にパワー2が全然出てこないデッキってのも無いだろうし、仮に通されたとしても2ターンに3点ではあまりプレッシャーにもなるまい。珍しく緑クリーチャーが損した事例である。

 

Cartouche of Strength 活力のカルトーシュ (2)(G) C

エンチャント・オーラ、カルトーシュ

エンチャント(あなたのコントロールするクリーチャー)

〜が戦場に出たとき、エンチャントされたクリーチャーと、対象の、対戦相手のコントロールするクリーチャーを格闘させても良い。

エンチャントされたクリーチャーは+1/+1の修正を受けるとともにトランプルを持つ。

 トリを飾るは5枚目、緑のカルトーシュ。除去性能を持った3マナのカルトーシュという部分は黒と一緒なのだが、なんとそこに内蔵されているのは「捕食」。いや、エンチャントされたクリーチャーは+1修正を恒常的に得ているわけで、これはエンチャントの形になった「弱者狩り」の上位種と見る事が出来る。「弱者狩り」より1マナ軽く、格闘しないという選択肢もあり、トランプルがつき、さらにカルトーシュでもある。「弱者狩り」でもリミテッドでは充分なカードだったというのに、あらゆる面でそれを超えてきた破格のコモン除去なのである。もう、カルトーシュだとか何だとか、どうでもいい問題だ。ここまでのカルトーシュサイクルを見ていると、どうも単体で強いカードばかりなので、オーラであるというデメリットを考慮しても割と早めに引かれる可能性はある。試練サイクルをおさえた人間はピックの順目に神経を使うんだろうなぁ。

 

Champion of Rhonas ロナスの勇者 (3)(G) R

クリーチャー・ジャッカル、戦士

3/3

督励 - あなたの手札からクリーチャー・カードを1枚戦場に出しても良い。

 どんなクリーチャーでも自由自在。実物を提示する教育的な督励能力を持つチャンピオン。督励のデメリットは「次のターンに起きない」という部分だが、このクリーチャーならそんなデメリットは関係無い。なんにせよこれで特大クリーチャーを一枚出してしまえばそれで仕事は終わるからだ。キャストするわけではないのでエルドラージとのシナジーは無いが、別に「霊気風浴び」くらいでも充分ゲームは決められるだろう。あとは、督励のもうひとつのデメリットである「攻撃しなきゃ駄目」をなんとかしないといけないわけだが。4マナのクリーチャーを出してワンパン入れるくらいはそこまで大きなハードルではないはず。こいつ自身も最低限の肉なのだし、何か一撃必殺デッキの夢を見られないものだろうか。なお、アタック後に「暁羽の鷲」を出して増強する、っていうプランは見た目に割と綺麗でオススメなんだけど、多分単に「警戒意味無いやん!」って言いたいだけ。

 

Channeler Initiate 媒介者の修練者 (1)(G) R

クリーチャー・人間、ドルイド

3/4

〜が戦場に出たとき、対象の、あなたのコントロールするクリーチャーに、−1/−1カウンターを3つ置く。

(T)、〜の上から−1/−1カウンターを1つ取り除く:あなたのマナ・プールに好きな色のマナを1点加える。

 日本語名の意味がよく分からないのだが……。「媒介者」っていう職業に就きたくて頑張って修練してる人、ってことでいいんですかね? 「開拓地の野営地(KTK)」とか、たまに変な日本語名がでてくるよな。さておき、2マナ3/4という化け物サイズだが、そこに今回緑が採用した「修行」ギミックが絡んで非常に興味深いマナクリーチャーに仕上がっている。自身にカウンターを設置すれば2マナ0/1で3回の期限付き「ユートピアの木(9ED)」。これだけでも充分構築級だが、単なる植物だった「ユートピアの木」と異なり、こいつは3度のお役目を終えたあとに3/4のボディが残る。なにそれずるい。また、1ターン目に適当なクリーチャーを置いておくことで、カウンターをそっちに押しつけて2ターン目に純正の3/4を展開することも可能。そこそこタルモの領域。なにそれヤバい。この世界では相手の対策手段も−1/−1カウンターが多くなるだろうが、ちょっとやそっとのカウンターを置くだけではこいつの力を削ぐことは出来ず、むしろマナに転換して美味しく頂かれてしまうという。なにそれ怖い。マナか肉か。どちらにしても一線級、これは将来が楽しみだ。

 

Colossapede 巨大百足 (4)(G) C

クリーチャー・昆虫

5/5

 ついにここまで辿り付いた緑コモンバニラ。5マナ枠は4/4や、ときに4/4トランプルあたりで争っていた枠が5/5に辿り付いたのは「ホロウヘンジの獣(DKA)」。こいつは一応ダブルシンボル。シングルシンボルでこのビーストに肉薄したのが、最近までお世話になっていた「茨隠れの狼(SOI)」の4/5。これでもリミテッドでは充分過ぎるサイズで、「ネシアンのアスプ(THS)」ってどんだけ化け物だよ、という話題にもなった。そしてついに、史上初の5マナシングルシンボル5/5へ。時代はまだ前に進んでいるというのか。圧倒的サイズ、圧倒的理不尽。これでこそ緑。雑な強さで相手をぶっちぎれ。しかし、この記念すべきカードが昆虫ってのもなぁ。ビーストたちが不憫でしょうがない。

 


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「プリンス・オブ・ストライド オルタナティブ」 5→4

 頑張って走ってたアニメ。決して悪い作品ではないが、まー、狙ってる層には含まれていないと思うので、途中で飽きてやや減点。

 改めて振り返ると、今期は割とまっとうなスポ根ものが多いシーズンだった。その中で、これと「フォーリズム」の2作品に共通しているのは「実在しない競技である」という部分。そしてそんなフィクションスポーツを描く時に、この「ストライド」という競技はちょいと地味過ぎた。「Free!」の競泳だって同じではあるが、とにかく根性を出して速度を競うしかないソロ競技ってのは、なかなか盛り上がるドラマってのは作りにくいね。「Free!」の場合、そこはメインとなるメンバーどうしの物語を中心に描くことで成立させており、今作も当然狙うところは同じ。ただ、人数を絞ってドラマが見やすくなっていた「Free!」と比べると、今作はちょっと目先が散ったかな。方南の6人(7人か)だけで話がまとまれば良いんだけど、団体競技だから全部の対戦校が同じ人数だけ出てきて、「こいつら誰やねん」みたいなことが多発してしまうので毎回のエピソードがとってつけたような印象になってしまう。でも全部必要なことだから、やっぱりこれを1クールで綺麗にまとめるってのはかなり難しかったんじゃないかねぇ。決勝戦ではそのあたりの諸々を諦めて全部陸の物語としてまとめ、競技の意味が無くなってしまったのも肩透かしではあったし。まぁ、ある意味で狙った通りの結果になったとも言えるか。

 ストライドの描き方自体は決して悪いものではなかった。単なるリレー競技ではなく、色々と変化をつけて走る以外の戦略性を設けるってのはアニメ的に正しいだろう。でも、それも全部「何となく」なんだよな。どこをどういう風にショートカットして、どれくらいの効果があったのか、ってのが分からないし、その選択がどの程度勇気ある行動で、各人がどんなレベルで試合をしていたのかもぼんやりしている。この辺りはフィクションスポーツなのでどうしようもない部分で、効果的に見せようと思ったら事前にコースを全部紹介したり、説明臭い台詞で効果を教えてもらわなきゃいけなくなってしまう。流石にそれをやっていたらアニメが成立しないだろう。そこで今作が採用したポイントに「リレーション」ってのがあって、ここにリレーショナーも絡めて一つの見せ場にすることでアニメがグッと締まる。でも、やっぱりそこもマンネリ化しちゃうとあんまり説得力がなぁ。うん、全般的に「やりたいことは分かるが、やっぱりテーマのハードルが高い」ってのが結論になるのかな。

 しかしまぁ、のぺっとした青が基調のいしづか演出は嫌いじゃなかったし、見ていてそこまで嫌いになるような作品でもない。2期があるなら大人しく見せてもらうくらいの付き合い方は出来るなじゃないかな。いっそ2期は将棋部編にするとかでどうでしょう。

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