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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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「シドニアの騎士 第九惑星戦役」 5→5

 あやっぺのスケベが爆発する作品であった……。洲崎派の人には良いご褒美である。

 2期目とは言ってもそんなに1期目と変わる部分もないだろ、と思っていたが、シナリオの要請であったのか、かなり印象は変わったような気がする。1期同様にハードですぷらったぁな部分も残しつつ(特に1話目ではそっち方面への期待もあったが)、今期メインとなったのは、ヘンテコのっぺり生物となったつむぎちゃんとの友情構築物語、そして、そんなつむぎの登場に微妙にやきもきしてみせる乙女覚醒イザナさんのラブのお話。要するに萌えアニメ方向。いや、観ているこっちの目にそういうフィルターがかかってるだけなのかもしれないけど、少なくとも1期の時ほど「宇宙で生き残らなきゃいけないんだぁぁぁ!」「ガウナこえぇ! 殺す殺す殺す!」みたいなノリは少なくなっていたのではなかろうか。

 今作最大の特徴はそのCGワークにあり、ぶっちゃけあまり良いとは思っていなかったのだが、2期目になると「なんか嫌」から「まぁ、いいか」レベルになり、更につむぎの存在によってプラス方向にまで転じてきた感もある。のっぺりした表情しか描けないCGデザインではラブコメとか萌え方向への展開は難しかったはずなのだが、これが逆転の発想なのか、「のっぺりしたCGデザインでも愛嬌があるキャラを描けばいいじゃない」ってんで、触手生物つむぎちゃんが、文字通りに八面六臂の大活躍。ぬらぬらと動きながら時に可愛く、時に切なく。表情豊かに動き回る餅のような謎生物に、ゆるキャラ愛が蓄積していく。そしてここにあやっぺボイスが合わさることで、萌えレベルは格段に上がるわけだ。中盤はずっとつむぎちゃんを愛でるためだけに観てましたね。

 もちろん、流石にそんな奇形生物にメインヒロインを任せるわけにもいかないので、健気なイザナも頑張ってくれました。「性別が揺れる状態からの乙女化」というのもなかなか興味深い題材であり、エロ方向に拡張するとまだまだ伸びしろがありそう。あけすけなエロ描写もこのCGだとなーんか生っぽさが無くなるわけだが、逆にそのおかげで好き勝手なエロシーンが作れたのだと思えば、これはこれで良かったのかも。戦闘シーンとエロシーン(日常シーン)がシームレスに同じデザインで接続されることで、ラストバトルの星白回収みたいなシーンも描けるわけだしね。ほら、スケベが爆発している。

 今回の放送分で原作はどのくらい消化したんだろう。普通に次がありそうな(というかいくらでも続けられる)お話だし、そのうち3期ってことになるのでしょうかね。その時には、更なる星白・つむぎちゃんの活躍に期待したい。あと艦長、あとノリオ、あと熊。

 

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「暗殺教室」 5→5

 きれいにまとめましたね。良いアニメ化だったのではないでしょうか。

 実は今作、1クール目終わりの時点で最終回だと思って一回感想書いてたのだが(勘違いと気付いたので削除済み)、その時に書いてた感想に、「せっかくの人気作なのにあっさり終わらせて勿体ないなー」ってのがあった。1クールで区切るには勿体ない、と思ってたのは間違いなく、その後無事に2クール目が始まったことでそうした心配は杞憂の終わったわけだ。

 実際、2クール目以降は1クール目よりも色々と楽しくなった気がする。イトナ戦で一段落させておいて、その後もイベントは目白押し。期末試験などを挟んで1期目のクライマックスは鷹岡編を持ってくる。殺せんせー最大のピンチであり、これまでの仲間たちの成長が分かりやすい鷹岡編は、1つのシーズンの締めくくりとして最良のものだろう。いかにも松井優征らしいクドくてサイケな殺し屋連中もたくさん出てくるし、ネタ回しもきちんと原作のテイストを活かしながらアニメ的に昇華されているので、ただでさえ人数が多くて賑やかな作品内での盛り上がりが際だつ。個人的には拳銃の人を子安に任せ、そのおかげで(?)ネウロとヤコの夢の共演がかなったところは素直に嬉しかった。別番組でアヴドゥルとDIOが死闘を演じてるのに、こっちでは鷹岡やガストロ(拳銃の人)が中学生相手にボコボコにされるという、何とも愉快なジャンプ中の人劇場である(なお、子安はソーマでも好き放題やっている模様)。

 無事に2期目も決定しており、原作は今でも盛り上がり続けている。このまま行けば2期目とか(ひょっとしたら3期目)で原作を全て回収することになるのだろうか。色々と刺激の多い展開が続くので、今後の広がりも楽しみだ。

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「放課後のプレアデス」 5→5

 ぬるりと始まり、ぬるりと終わる、謎多き作品。一つだけ言えるのは、一番可愛いキャラは誰かと聞かれたら、そりゃ部長しかいないということである。

 私の回りに1名やたら熱烈なファンがいるので、何か強烈な誘致要因があるのは間違いない作品なのだろうが、いかんせん私はそれにあまり引き寄せられてはいなかった。うん、確かに絵がとても綺麗で女の子が可愛ければ特に不満はない、というのはよくある状況なのだが、それだけに、「そこで終わる」ということもあるわけで。シナリオ面での運び方が特別上手とも思わなかったし、最後まで観ていても(部長を除く)キャラクターにそこまで入り込むこともなかった。多分、キャラの頭身(物理的な意味でなく観念的に)と、物語のフレームとして設定した諸々の世界設定があんまり噛み合ってなかったんじゃないかなぁ。あんまり真面目に観てなかったのであまり突っ込んだ話も出来ないのだが、今作はそのゆるふわっとした世界観の中で、かなりエッジの効いたお話を色々とやっているのである。何しろ多重世界線の話であり、タイムトラベルあり、因果の地平あり。最終的には大地の記憶すら存在しない「起源」まで遡り、そこからの世界創世にまでこぎ着けている。まどマギのように実際に「作る」という巨大な概念まで辿り付いたわけではないが、今作では「ちょっとした少女達の悩み」を、まさに宇宙規模にまで肥大化させて映像化させることで一大冒険譚を作り出すという、本当に頭のおかしいプロットを実行してみせたのだ。

 この発想はとんでもねぇと思うのだが、単に「とんでもない」成分だけが優先されており、それが面白さに繋がったかと言われると、そうではないんだよね。中心となったすばるとあおいの関係性についても、最初から最後まで微妙なところを行きつ戻りつしており、最後にすばるなりの「結論」は出すものの、それもあまり重要ではない。何しろ作品世界自体が「一大決心」というものを多重世界線の1つの誤差みたいに扱っているわけで、「すばるが今そういう決心をしても、それは馬鹿でかい宇宙という観点から見たら本当にどうでもいいよね」という解釈が先に立つ。同様に、みなとの悲壮な生い立ちのお話も「お前がそう思うなら(中略)お前の中ではな」って話である。宇宙の話をしたいなら宇宙ですればいいし、友情や恋愛の話がしたいなら、もう少し地に足つけて正面向いてやってくれ、と思ってしまうのである。

 まー、そうした「普通なら噛み合わないもの」を強引にまぜまぜした結果出来上がった世界は確かに唯一無二のものであり、平気で銀河を飛び出してみたり、光速を越えてみたりという荒技を女子中学生がしれっとやってしまうのは刺激が多いし、天文ショーの紹介番組としてはなかなか興味深く見ることは出来た。「これで女の子の話と繋がってるのかなぁ……」といぶかしがっていたわけだが、くだんの知人がこのアニメを評する言葉の中に「夏色キセキ」っていうタイトルを持ち出してきたので「あっ……(察し)」ってなってどうでも良くなったわ。なるほど、なんか、色々分かった。なお、個人的には今作の比較対象として出したいのは「キャプテン・アー(あっ……察し)

 繰り返しになりますが、部長は毎回とても可愛かったです。というか、藤田咲がやっぱり可愛いのです。咲子が活き活きしてるというだけで、確かに良いアニメだったのかもしれません。

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 大体想定通りの終わり方だよな、最終話。「想定通り」ってのは、「良くも悪くも」である。

 まず「良くも」の部分だが、幕引きとしては割とさっぱりしていて後にしこりを残さない終わり方。あれだけの大事件が色々と起こった結果なのだから、やはり犠牲者ゼロというわけにはいかず、元の遊太の方は正式に「死亡」扱い。前回予想していた「グリコがみかたんの身体に入れ替わって悪役だけ退場」という終わり方は当然選択肢としてあったのだろうが、「正義の味方」である遊太が、過去の親友であり、最大の悪役であるグリコの退場を許さないという決断をし、その結果、退場するのは遊太になったわけだ。遊太を失った古来館は、残った「幽体遊太」の処理をそつなくこなし、かつての「ラブラの天啓」の伏線回収。また、「ループが途切れるとタイムパラドクスが生じる」ってことで、改めて「あの日」にループしてのチャレンジという、ある意味一番恐ろしい選択もきっちり残されている。まぁ、正確にはループが繰り返される方がパラドクスとしては深刻なのだが、あのまま幽体遊太を放っておくと何かと面倒なので、古来館は「女の子だけが残りましたよ」というエンディングの方が(少なくとも見た目上は)さっぱりしているだろう。今週は完全にどこかへと消えてしまっていたチラ之助についてもよく分からないながらも一応「落としどころ」があったし、遊太ボディを受け継いだみかたんがこれからも少数精鋭ジャスティスパンチとして世界を守っていくという「後日談」はさっぱりしていて良いものだ。

 とまぁ、ここまでは「良くも」であるが、残る部分はやはり突っ込まずにはいられない諸々のほころび。シナリオの矛盾点は真剣に検討したら逆に色々と説明出来るかもしれないのではしょるが、いくら何でもグリコの突然の翻心は流石にどうなのか。彼(彼女)が何故Q-may会の庇護下に加わり、こんなとんでもない悪だくみに加担することになったのかは、彼の非常に短い回想シーンで何となく語られたわけだが、それで「地球を滅ぼしましょう」まで行ってしまう短絡思考がまず納得いかない。更に、そんな短絡思考かつ破滅思考の人間が、遊太と散々暴れ回った末に、みかたんのゲンコツ一発で突然憑き物が落ちたように拳を納め、急に反省し出す展開はどう頑張ってもついていけない。そんなすぐに落ち着くような野望で地球壊すな。そしてチラ之助は六十数億もループ繰り返すな。結局、最後の最後にチラ之助が一切関与しなかったせいで、「世界改変のルールってどうだったんや」という部分がさっぱりである。

 また、途中でぶっ壊されたメイカが復活した理由が明示されていない(一応、ムヒの再生力が関与したという解釈でいいのか?)とか、壺内Q冥があっけなさ過ぎるとか、米軍との軋轢が残り続けているはずの古来館があのまま存続していいのかとか、そもそも今回の大立ち回りで一番人殺してるのって確実にイトだよね、とか。特にイトの殺戮行為はどうあがいても見過ごすことは出来ない大罪だと思うんだけど。あれだけヘリとか戦車ぶっ壊してるんだから、軽く数十人単位で人殺してるはず。そりゃまぁ、おかげで数十億人が救われたのだから結果オーライなのだろうが、米軍側からしたらそんなことは「たられば」でしかないわけで。もちろん、米軍も壺内Q冥にいいように操られてしがない一般人を襲いに来たという負い目はあるんだろうが、それでも「一番心優しいはずのイトに殺戮行為をさせる」というシナリオは如何なものか。結局メイカの作った「バーリアー」があったから、イトが暴れなくても米軍を寄せ付けなかったんじゃないか、って気もするしなぁ。

 まー、クライマックスでの三局のクライマックスを同時多元中継で繋ぎ、古来館ガールズ(4人)の最大の見せ場を一気に畳みかけるっていう盛り上げ方は面白かったと思う。特に、ラブラがこの局面でやたらと大活躍してくれていたのは実に良かった。結局彼女、インチキだと自分で行っておきながら、九字印結んで悪霊ぶっ飛ばすくらいのことは出来る奴だったのね。古来館最強はメイカだろうが、メイカが生まれるための条件としてラブラが必要だったわけで、実は今作で一番の重要人物は彼女だったのではなかろうか。

結論:俺はパンツ見せるならイトのパンツだけでいいかなぁ。

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「ミカグラ学園組曲」 6→5

 凄まじい作品であった。これ、ラノベは現在も刊行中なんだよな……一体どんな中身なんだろう。ちょっと活字で読むイメージが出来ないなぁ。魔法の合い言葉は「ぱっぱっぱのぱっ」で全部処理出来るんだろうか。

 何が「凄まじい」のかを一口に説明するのはけっこう難しいのだが、端的に言ってしまえば「何も無い」部分である。世間的に「中身のあるアニメ」「無いアニメ」という(時に不毛な)議論が起こることがあるが、このアニメはいわゆる日常系アニメなどを揶揄する時に使う「中身が無い」とは訳が違う。何しろきちんとバトルはあるし、恋愛(?)はあるし、主人公の成長物語もある。決して「何気ない女子高生の日常を描いたゆるふわコメディ」とかではないのだ。しかし、そうしたメインプロットをひとたび掘り起こしてみると、その裏側に「何もない」。びっくりするくらい「そうなる理由」がない。これが怖い。

 初見の時点で「はやて×ブレードみたいだな」という感想を持ち、実際、お馬鹿主人公が様々な相手に「勢い任せの無手勝流」を使って「星を取っていく」というバトルスタイルがまるきり同じだ。しかし、「はやて」の場合はそれが剣術で行われる。何故星を取りたいかという理由も分かるし、主人公の成長過程にある人間関係や人並みの悩みも、およそ理解の及ぶものだ。しかし、翻ってこの「ミカグラ」は、そうした設定こそ共通するものの、「何故そういう世界なのか」という説明が一切無い。エルナは何となくミカグラに転校し、何となく能力に目覚め、何となく戦ったら何となく強かったのである。彼女が「おもちゃの銃」を使える理由も分からなければ、それが何故強いのかも分からない(「一宮の家系だから」でいいの?)。もちろん、彼女を相手取る様々なキャラクターについても、その能力が強いのか弱いのか、さっぱり分からない。新人戦ではアスヒが決勝まで行っていたわけだが、奴が強いと思える描写は全く無いのである。もちろん、おとねちゃんの強さも理由なんてあるわけがないし、星鎖先輩のキリングアートが何なのかなんて分かるわけがない。

 こうして「設定自体はどこかで見たことがあるから何となく理解できるけど、それはさておきこの世界では何故そうなっている?」という部分が一切説明されず、「まぁ、みんなそう思ってるから」というので進行する部分が凄い。「実は違うんじゃ?」と誰かが僅かでも疑問に思ったら崩壊してしまいそうな、危うい世界なのだ。実際、最終話ではエルナの白昼夢で全然違う世界が見え隠れしたわけだが、あのまま「実は全部一宮エルナの見た寂しい夢でした」というオチになってもさっぱり驚かない。というか、むしろそっちの方が据わりが良い可能性すらある。とにかく「何となく」進み、「何となく」終わった。そんな不可思議な浮遊する作品だったのである。

 で、そんなよく分からない世界は破綻してしまって面白くなかったのかと言われると、案外そうでもない。視聴中は特に退屈していないし、なあなあで終わった最終回にしても「まぁ、こんなもんじゃない?」と不思議に落ち着いた部分もある。昨今のラノベアニメを色々観て分かる通り、「個性ある世界観を理解してもらい、楽しんでもらうためにどの程度筆を割くのか」というのはアニメ化における大問題の1つであり、説明にばかり腐心すればアニメとしての彩りが無くなるし、説明をなおざりにすれば視聴者を置いてけぼりにしてしまう。そのさじ加減はなかなか難しい。そして、今作は「説明? しなくてもいいでしょ、勢いで押せば」という実に潔い手法を採っており、この「勢い」が割と有効に働いている。何もかもが分からないことだらけで陽炎のような作品世界の中で、たった1つだけ、はっきりと分かっていることがあり、それは「一宮エルナは馬鹿だ」という事実である。そのエルナの「馬鹿」を拠り所にし、そこだけを接続点として様々な物語を(足下の覚束ないままで)繋いでいく。全てはエルナの胆力次第。エルナがこければ作品全部がこける。そんな危うい状態ながらも、エルナは飄々と渡りきってしまった。そこが今作の凄いところだ。

 結局、我々はシグレと同じように「エルナちゅわ〜ん!」とルパンダイブするだけの存在なのだ。いや、「ことねちゅわ〜ん」でも「熊野すわぁ〜ん」でもいいんだけど。とにかく、「世界がどうこう」ではなく、「この女の子がどうこう」だけで作品を判断するしかないのだ。そしてこれが、別に悪いことではないのだ。まー、「何もなかったやんけぇ!」と突如冷静になってちゃぶ台をひっくり返したくなる人も少なからずいると思うが、個人的には「熊野さんは本当に可愛いな! つって!」と言ってる分には特に不満は無いし、エルナのネタ回しが毎週見られるだけでも割と満足しているのである。「これでよく分からないバトルをしないで、部活と称して色んな女の子といちゃいちゃしてくれるだけなら最高だったのに」と思わないでもないが、まー、そこはしゃーない。「空虚さ」を売りにするという不思議な作劇、今一度、色んな部分について考えさせられる作品でした。

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「ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセイダーズ エジプト編」 6→7

 毎週色々と書かせてもらっているので、今更特に言うことも無いです。

 原作ファンってのは、アニメ作品を見たり運営したりする上で、強い味方になるときもあれば、余計なことばかり気にする害悪にもなったりする。個人的にはあんまり「原作ガー」と言い続けるようなファンにはならない方が良いということは分かっているつもりだが、ジョジョの場合には流石にそこを抜きで語りたくないし、そもそも出来ないだろうと思ってた。実際、出来なかった。しかし、そんな「口うるさい原作ファン」を最大限に相手取り、そういう人間だからこそ満足出来るような作品作りが全編に行き渡っていたのが、今作最大の評価ポイントだったのではなかろうか。

 独特のデザイン性を本当に無理なレベルまでこだわり抜いた映像面、濃すぎるキャスト陣が本当に頑張ってくれた音響面、たっぷりと尺を取って「何もそんなとこまで」というくらいに見せてくれた脚本面。文句は何もありません。個人的な殊勲賞はポルナレフ役の小松さんに贈りたいかなー。

 そして、この第2期の濃密さはやっぱりあり得ないくらいのキャラの濃さが大きかったと思うんだよね。作中では「花京院、イギー、アヴドゥル、終わったよ……」だったが、こちらとしては「アレッシー、マライア、オインゴ、ボインゴ、ダービー、ヴァニラ、その他諸々……終わったよ……」ってな気分なわけで。後先考えずにやりきってくれたスタッフに感謝やで。

 ところで4部、さりとて4部。どうなる4部。

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 黄前久美子が主人公になった日、第12話。これにて今作は完成へと至る。

 説明不要の回ですかね。最終話へ向けて、これまで「観察者」であり続けた黄前久美子という1人のキャラクターが、スルリと物語内部に入り込み、ふてぶてしくも主人公の座に登り詰めるという展開。高坂さんとの魂の交感を経て以来、久美子は少しずつ「無気力な観察者」でいられなくなっており、前回もはっきりと「上手くなりたい」という台詞を漏らしていたわけだが、こうして作られてきた久美子像が、今週でようやく完成したことになる。

 周囲を次第に固めていく「臨戦態勢」に乗り遅れてしまった久美子は、非情にも滝センの選抜から転げ落ち、高坂さんと一緒に「特別」になるという夢を志半ばで絶たれてしまうことになる。そのことは悔しくて悔しくて仕方ないが、それが「勝つため」に正しい決断であることも重々理解している。これまでの久美子ならばそこでそっと一歩退き、身の丈にあった立ち位置から回りで起こっている「戦い」を見守っていたことだろう。今回久しぶりに登場した葵ちゃんも、そうした「過去の久美子像」を喚起しての対比が目的であるし、姉との関係性においても、久美子がこれまで波風を立てずに生きてきたことが改めて確認出来る。しかし、高坂さんという束縛要因が出来たことにより、既に久美子に「退く」という選択肢は許されていない。彼女は戦わなければならない。抗わなければならない。こうして、久美子はいともたやすく「主人公」になるのである。

 今回は(今回も)様々なシーンで今作独自の見どころが目白押しだったが、その中からあえて2点だけピックアップするなら、1つは冒頭から衝撃の通告まで続く「屋外での個人練習シーン」。時に一人で、時に高坂さんと一緒に練習を重ねる久美子。流石に日なたに出ていたらあっという間にやられてしまうし、おそらく楽器にも良くないだろうから必ず日陰を選んで場所を取っているわけだが、そんな「薄暗がり」でもはっきりと分かるその暑さと熱さ。久美子の表情、したたり落ちる汗、瞳に反射する景色と、日陰にも透過したかのように容赦無く降り注ぐ陽光。そうした全ての映像が、ただ一点、「夏の暑さ」に集約し、さらにそれが「久美子の熱情」へと繋がっていく。「夏」「水」といったオブジェクトについては、京アニは「Free!」シリーズの製作でたっぷりと経験値を積んだ部分で、今回はそれがダイナミックな動きとしぶきを伴う「動」の映像美ではなく、じっとりとしたたり、一目見るだに汗の漏れそうな「静」の映像美に繋がっている。高坂さんの表情や、皮膚に描かれる陰影も素晴らしく、この作品にどれだけの心血が注ぎ込まれているかが分かる。個人的に「暑」の京アニ、「寒」のP.A.みたいな印象が出来上がっている。

 そして2点目は映像もさることながら、キャストの好演が光る「橋の上を駆ける久美子」のシーン。これまであまり取り上げてこなかったが、黒沢ともよという役者は非常に面白い存在だ。「声優」としてはまだまだキャリアが浅く、はっきり言って「アニメ声優としての発声」だけを聞けば拙い部分も多い。しかし、役者としての蓄積は豊富であり、芝居の中に没入する心得は充分のようである。これまでも「なんかエロい」や「なにそれ」といった一言で「性格の悪い黄前久美子」像を容易く作り上げてきていたが、今回はそうした「これまでの久美子像」をぶっ壊し、繭を破って新しい久美子が生まれてくる重要なエピソードであった。その「新生」の極みとも言えるのが、橋の上のシーン。「上手くなりたい」と叫び続ける久美子の声は、一声ごとに様々な感情の色を持ち、彼女が走る速度に合わせて全てを脱ぎ捨てていくような切迫感がある。これまで高坂さんの前でしか見せてこなかった「特別な自分」を、ついに塚本にもさらけ出し、実姉にもさらけ出し、いよいよ黄前久美子がその姿を現したのだ。この芝居を一部のズレもなく作り上げられるというのが、ともよちゃんの最大の強みなのだろう。表面的な技術だけでは推し量れない「勝負勘」みたいなものの強さは、やはり子役あがりならではのものなのか(「紅」の時のあおちゃんに感じたものに似ているのかもしれない)。

 こうして久美子の物語としての完成を見た実質的な「最終回」と言ってしまってもいいお話だったが、本当の最終回は次回である。生まれ変わった久美子が、高坂麗奈、田中あすかといった「特別」達と肩を並べて「結果を出す」フェイズだ。指をバンテージだらけにした緑輝も、久美子との対比でついに長いトンネルを抜けた塚本も、全ての力が一点に集まり、滝昇の手で「次の音楽」へと向かう。一体どんな映像になるのか。どんな結末になるのか。今から正座待機もやむなしだ。

追伸:中川先輩、少ない出番で的確に可愛いです。吉川が許されたんやなぁ……。

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 賑やかしからのしっとりエンド、最終話。終わってしまったなぁ……4部……くるかなぁ……。

 大団円です。知ってます、もう何百回と読んでるんだからそりゃ知ってます。でも、やっぱりアニメになると良いものですね。特にラストのポルナレフとのお別れシーン。三者三様に顔のディティールが彫り込まれててめちゃめちゃ濃いんだけど、そんなむさっくるしい男連中がちょっと目を潤ませながら別れの挨拶をするその様子が本当に素敵。本当はねぇ、この後のポルナレフの運命を考えると「いかないでー!!」って叫びたくもなるところなんだけど、しょうがないよね。彼は彼で祖国を守るために戦ってたんだから。次にアニメでポルナレフが登場するのは……4年後くらいですかね。上手くいっても。

 さぁ、まずは好例のSE付きオープニングで最後を盛り上げる。今期OPは賛否両論あるけど、こうして映像とSEと(あと先週から引き続きの謎演出と)をくわえてるのを見ると、やっぱり愛に溢れた良い出来だったと思うよ。そしてDIO様との最終決戦。逃走経路を確保して無事に復活を果たしたDIO様。原作でも「お前、もう駄目だろ……」と不安になるくらいのハイテンションで、天国のお父さん(ダリオブランドー)も心配になるレベル。このあたりのDIO様の台詞はゲーム版の千葉ボイスでの再生が容易なのだが、子安版の「最高にィッ ハイッ!↑ てやつだぁ!↑」もなかなか愉快。ゲーム版だと本当に最終戦まで持ち込んだ時にDIO様が衣装を脱ぎ捨てながら「最終ラウンドだぁ!」と叫んでくれる演出がとても好きでした。今回のDIO様は、止まった時間の中で無限の1秒を弄びつつ、きっちりロードローラーを決める。1年以上前に「3部アニメ化したとき、オラオラとか無駄無駄とか、全部キャストにやらせたらどうしても間抜けになるんじゃぁ」なんて心配してたけど、ラストオラオララッシュは文句無しでした。小野Dもすっかり言い慣れただろうし、子安は子安だし。今の子安なら脳幹グリグリしても最高にハイなままアフレコ出来そう。

 そしてあまりにあっけないDIO様の最期。でも、このエンディングはリアルタイムで読んでたときにも一切文句なかったなぁ。それまでの緊迫の展開が良すぎて、「承太郎が怒ったならそうなるやろ」っていう説得力が半端無いのですよ。これまで散々頭を使ったり、精神世界を攻めたり、少年漫画に新しい風を吹かせすぎた荒木先生だが、やっぱり最後の最後は単純明快な力でのフィニッシュ。この何のてらいもないシナリオ作りが良いのだなぁ。この「力こそパワー!」の感じと、荒木イズムの融合の頂点は4部ラストだと思ってるのだが、「力こそパワー!」感の堂々とした見せ方はやっぱり3部かな(5部以降は最終戦が色々と小難しくなりすぎるからな)。承太郎さん、良い決め技。DIOさん、良い最期。

 ジジイ、良くない悪ふざけ。どんだけマジ描写だよ。笑うわあんなん。その直前にテロップで「完全敗北」って出てるのにな。あのときジジイは目覚めて最初に見た救急車の天井だけで、全ての状況を把握してあの冗談を思いついたんだよな。すげぇなジジイ。そして最悪だなジジイ。ジョセフジョースターここにありだ。なお、この時に長いこと血を抜かれて脳にダメージがいったせいで割とすぐにボケた模様(俺調べ)。まーね、アニメで改めて見せられると本当に無茶な蘇生シーンだからね。DIO様が砕け散るときに「あー、どうみても充分な量の血液なんて残ってないわー」って再確認したからね。まぁ、血液の量の問題じゃねぇけどさ。

 ラストシーンはアニメオリジナルとして、例の写真を見ている承太郎で締め。今回のアニメ化は色々とオリジナル要素で新しい功績が多かったが、あの写真のエピソード追加はその最たる事例なのでね。良い締め方だったと思います。あー、これで来週からジョジョないのかー。……4部早う。

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SHOW BY ROCK!!」 5→6

 最終回の展開になんか疑問が残ったけれども、毎週感想書いてた通り、やっぱり面白いアニメだったぴゅる。色々と革新的だったと思うぴゅる。

 今期は奇しくも、これと「えとたま」という2つのアニメが「萌えデフォルメ形態」のCG技術を意欲的に盛り込み結果を残している。そのうち、ライブシーン(とそれに準じる戦闘シーン)のみをCGで処理するという、比較的穏当な方策を採ったのがこちらの作品。しかし、そんな方策も実は色々と野心的な挑戦が盛り込まれており、特に演奏シーン、格闘シーンをはっきりと「普段の世界」と分け隔てるという「線引き」の概念が面白い。何が面白いって、今作で普段のアニメーションで描かれているパートも、主人公のシアンからしたら「ゲームの中の世界」なのだ。つまり、穿った見方をするならあのシアンが迷い込んだミディシティという町は、シアンにとっても1つ目の仮想空間であり、シアンは我々視聴者同様、まるでアニメを観るようにしてあの町の中に入っていた。そして、そこから更に次元があがって演奏パートになると頭身が更にさがり、完全に「イメージの産物・偶像」としての「アイドル」にまで昇華されるということが、CGによって描かれるわけである。おそらく、ダル太夫なんかはあの世界でなければ巨大なダルマを動かすことは不可能だっただろう(逆に、ダガーさんもあの世界でなければ巨大なダークモンスターを動かすことは出来なかっただろう)。「想像世界としてのミディシティの更に内側に、シティの住人の理想としてのCG空間がある」という入れ子構造はなかなか興味深いもので、それを表現するためのツールとして、CGというのはドンピシャだった。ま、一言でいうと「どっちも可愛かった」。

 あとは個人的にはレトリーとの仲直り合宿、モアのどさくさカミングアウトあたりがピークですかね。その後のチュチュさんの暴走も面白かったけど、あれは出来たらもう少し深刻な部分を掘りさげてほしかったパート。どっかの誰かは「描くにはあと40話足りなかった」なんて無茶なことを言っていたが、まぁ、あと4話あれば最終決戦の内実も含めて、もう少し掘りさげられたかな、という気はする。その辺はしょうがない。全部途中で余計な食い散らかしをしやがったシンガンさんが悪いのである。でも、シンガンさん面白いんだもん。故に。

 やっぱり「バンドもの」「歌もの」ってのはアニメにすると盛り上げやすい素材のようで、今作は「けいおん」と「シンフォギア」の間を取ったような内容ながら、どちらとも共通して、立派に歌も聞かせてくれる作品になっている。作中曲はそこまで多くないが、その分登場するバンドの数が多く、シンガン、霧幻庵、クリクリなど、バリエーション豊富な中から好きなユニットなり、メンバーなりを見出せればそれで儲けもん。受けの広い堅実な(つまり金になりそうな)デザインである。流石サンリオさまやで。それだけに、1期の終わり方があれだと続きが作りづらそうだが……あ、ひょっとして高校生チームが主人公の2期が……でも、シアンを失って廃人になってるレトリーさんのその後とか見たくないなぁ……。

 今期一番のヒロインは……社長かな……。

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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子
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