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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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「神様はじめました◎」 5→5

 良くも悪くも安定の2期目。決して外しはしないが、そこまでのロングヒットになってるかというとそうでもない。でも、そういうアニメがあるのは悪いことじゃないよね。

 1期目でもそこまで入れ込むことは無かった作品。1期の感想を簡単にまとめると「もともと少女漫画ってあんまり好きじゃないし、そこまで刺さるもんじゃないけど、やっぱり大地監督の演出は落ち着くな」というもの。そして2期も、大体そんなもん。1期との違いは、当然歴史を重ねた分のシナリオの厚みと、キャラクターどうしの人間関係(神様関係)の変化。2期に入ってこれまで以上にイケメン枠、ヘンテコ男枠が増えて、奈々生の回りはすっかりイケメンパラダイス。基本的にこういう「いかにも少女漫画」な設定は得手ではないし、今回メインとなった天狗絡みのお話や悪羅王関係のエピソードについても、「最終的にみんな奈々生様に押し通されてるわけでしょ」というくらいのものである。巴衛の時もそうだったけど、基本的に奈々生ってのは「なんだか人間味に飢えている変化の類」が人間と神の中間に位置する特異存在である奈々生に接して、「あ、なんかこの娘素敵」ってんでほだされるだけのお話。奈々生自体にそこまでのカリスマがあるわけじゃないだろうし、巴衛に助けられても関係性が固まらずにやいやい悪態ついてる姿なんかを見ると、下手したら我が儘すぎる部分まであるかもしれない。今期の花とゆめ作品で対比させると、ニケ、ヨナなんかよりもヒロインとしての魅力は薄い。

 とはいえ、そうした「ちょっとワガママな女の子」なりの庶民的な魅力ってのもあるもんで、さらに上手いことギャグテイストで丸め込んで、ノリと勢いで「いい子」にしてしまえるのが大地マジックってやつでね。ラブ展開あり、ギャグ展開あり、お涙頂戴ありで、最終的には「うん、いい話だった」と落ち着くように出来ている。こういうジャンルは多分これで良いのだろう。誰もここからドロドロぐちゃぐちゃの展開なんて望んでないんだし、お互い素直になれずくっついたり離れたりの巴衛と奈々生の姿を見て「あらぁ、若いわねー」と眼を細めれば良いのである。ジジイか俺は。

 あとはまぁ、非常に分かりやすい大地テイストを味わいつつ、懐かしい気持ちでみればいいのではなかろうか。やっぱりすごく独特で、抜けてるようで基本は守っているし、ユルいようだけど締める部分はきちっとお話をまとめてくる。なんだか知り合いのおじいちゃんから昔話を聞いてるような安心感があるわね。こういうのも一種の伝統芸能なのかもしれないなぁ。いや、やってる中身は全く伝統って感じではないんだけども。

 中の人については、新番チェックの時にも触れたけど、やっぱり奈々生役の三森がだいぶ聞きやすくなっている気はする。まだ「ハマる」ってほどの没入度にはなってないけど、1期目の時みたいに「そこは三森じゃないだろ……」という気持ちはあまり起こらなくなった。単に慣れただけなのか、流石に彼女もこの数年で腕を上げたのか。どっちなんでしょうね。あと、確実にバニラ声を聞けるのも今作の楽しみの1つ。弁師がちゃんと弁師の仕事してるアニメって、これくらいじゃね?

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 クるなぁ……第11話。いよいよもって核心に迫るお話。当然それはとても残酷で、とても苦しいお話である。

 ようやく蘇る智幸の記憶。彼女が失った死の記憶は、大体予想された通りのものになっている。スケートに人生を捧げた彼女は、若い身空でその人生を捨てることとなり、現実を許容出来ずに自ら幕を下ろすことを選んだ。正直、私自身が死を選ぼうなどと考えたこともないし、彼女のように全てを失ったと感じたことなんて人生で一度たりとも無いので、彼女が何故そのような心理になってしまったのかは理解できない。「スケートを失ったことに絶望した」人生であるというならば単純ではあるが理解も出来ようが、どうも彼女のモノローグはそういう描かれ方になっていない。生き甲斐を奪われたそのことは当然ショックだっただろうが、その後に自分の人生を考え、そこに何も「得られる」実感が無かったことで、彼女は「死にたくなった」のではなく、「分からなくなった」のではなかろうか。家族とはなんだったのか、友人とはなんだったのか。彼女の人生において、それらは全てスケートを介して存在するものであり、全てにおける基点となったスケートを失うことは、彼女の回りの世界を全て「分からないもの」に変貌させてしまった。人生とは何か、生きるとは何か、そして死とは何か。分からくなったから、彼女は散歩に出かけるのと同じように、死出の旅路への道のりを選択した。そこには希望も絶望もなく、ただの「喪失」だけが残されている。

 彼女がそうした記憶を失った状態であるにも関わらず「死んだ」という事実のみを覚えていたのは、ひょっとしたらそうした「死のとらえ方」が一般的な人間とは違っていたからかもしれない。普通の人間は、どれだけ急な死に様であっても、「自分が死んだこと」を理解する。そして、「死にたくない」と思ったり受け入れたり、とにかく自分の中で「死」に対して向き合う。ギンティの言っていた「死に直面した時に初めて考えること」というのがそれであろう。しかし、智幸の場合にはそうした「死と向き合うこと」すら存在しなかったのではなかろうか。彼女は死のうと思って死んだだろうが、そこには元々「分からない世界」「分からない生」があり、そこに「分からない死」が平等に与えられただけ。彼女にとってその行動は何か2つの世界を分かつ選択ではなかったのであろう。おかげで、彼女は記憶を失うことにはなるが、「死を選んだ」という記憶だけは残されたままでクイーンデキムにやってきたのかもしれない。

 こうして失われた彼女の人生が、今回はスケートのプログラムと共にゆっくりと立ち現れる。これまでの10話ではずっと黒塗りだった彼女の人生。同じように薄暗くモノトーンのスケートリンクでしなやかに動き出した彼女の人生が、スケーティングの速度と一緒に加速し始める。黒衣、黒髪、ずっとモノトーンだった彼女の回りに、少しずつ色がつき始める。フラッシュバックする様々な記憶と共に、彼女の人生が一気に画面に花開いていく過程は圧巻で、ただ無言で、1人の女性の記憶がなだれ込んでくるのを受け入れるのみ。ひょっとしたらこれが裁定者の受ける「記憶の奔流」なのだろうか。明るく楽しかった彼女の人生。活き活きと躍動するスケーティング。それらが素晴らしければ素晴らしいほどに、観ているこちらは締め付けられるような思いになる。それらは全て、失われた過去のものであることを知っているからだ。

 全ての記憶を取り戻し、彼女の演技は終わる。デキムとの一時で、彼女は自分が「失った」ことを語り、代わりにそれをデキムに与えることになった。死んでから分かることもあるし、生きているからといって全てが分かるわけではない。「死んでいないし、まして生きてすらいない」と漏らすデキムに対し、智幸は何か「生きた印」を与えることが出来たのだろうか。今回は、スケートシーンを含む全てのシーンが非常に緊迫感のある高質な映像で構成されているが、キーとなるシーンがいくつか、オープニング映像から採られているのがまた印象的だ。具体的には、メメントモリと名付けられた酒を飲む智幸のカット、エレベーターに向かうノーナのカット、そしてCパートの智幸を抱きかかえるデキムのカット。ここまで全て構成済みの状態で作品が提供されているのだなぁ、ということが実感出来ると嬉しくなる。

 そして、今回は智幸の物語と並行して、ウィーギンティではマユを巡る物語も展開されており、こちらも恐ろしいほどに重たいものになっている。いなくなったと思っていた原田のボディがどこからともなく現れ、マユには「原田を虚無から救うか、全く知らない人間を救うか」という選択を迫られる。原田が虚無堕ちしていたというのも驚きであるが、ひょっとしたらそれをとっておいてここで切り出してきたのは、本当に底意地の悪いギンティの悪辣な手口の1つなのかもしれない。他人の行く末を決めるという手に余る難行を押しつけられたマユ。彼女は結局、そんな無理難題を受けて原田を救う道を選んだのだろう。ギンティはそれを観て、「やはり人間とはどこまでも勝手な存在だ」というので、2人をまとめて虚無送りにすることを決める。これこそが既存の裁定。デキムが疑問を持った、人の血を必要としない裁定の形だ。マユは望まぬ形で結論を叩きつけられ、そのまま絶望と共に虚無へ堕ちる。最後に原田に意識が戻り、2人の魂が溶け合いながら消えていったことは、最後の救いを意味するのか、救われない2人の末路を描いただけなのか。

 ギンティの行った非情な裁定は、どう考えたってやるせないものだ。たとえマユでなくとも、あの場面で正解など出せるわけがない。そもそも正解がない。だからこそ彼女は、最後の最後まで自分を貫くことでせめてもの抵抗とした。原田がいなければ自分の人生など意味が無い。だから原田を救うことにどんな代償でも払うことが出来た。既に出来上がった彼女の人生に「原田がいなければどうするのだ」と問うことは、まったく意味が無いのである。彼女は自分の生と向き合う中で、それが自分の世界であると定めたのである。そして、ギンティの「職務」もまた同様である。彼は自分で何も決めない。ただ仕事として与えられたからこそ、裁定者の職務をどこまでも忠実にまっとうする。マユが自分で決めた「何も無い」死だったとするならば、ギンティは自分で決めない「何も無い」生である。

 他方、そうした「決める」という選択が出来なかったのが、智幸とデキムの側である。智幸は自分の生きる目的を決めたつもりであったが、いざそれを剥奪されると、全ての人生が意味を失ってしまった。彼女は「決める」ことが出来ずに終わった人生だ。デキムの方も、裁定者の仕事を与えられながら、それが正しいのかどうかは未だに迷っている状態で、決められない状態にある。マユの人生が正しかったと思う人間は少ないかもしれないが、少なくとも彼女は「考えて答えを出す」過程を辿った。そこにはきちんと「メメント・モリ」のメッセージが息づいている。今度は智幸の、そしてデキムの番だ。最終回で、ノーナさんはどんな幕引きを求めているのか。オクルスはどこまで介入するのか。緊迫の最終回である。

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「ユリ熊嵐」 6→9

 終わってしまったのだなぁ。こうして振り返ると今期はアニメ史でもまれにみる刺激の多いシーズンであった。富野由悠季と幾原邦彦作品が同時に放送してるクールって、凄くないか? (個人的にはこれに大森貴弘とかあおきえいまで噛み合ってくるのがすげぇと思う)。

 本作については毎回の感想で書き殴ってきたので改めて最後に語るべきことも無いのだが、ひたすら我が道を突き進み続ける幾原監督が、また新しい結果を残した記念すべき1作として記録にも記憶にも残るものになっている。正直、わたしゃ熱心なイクニ信者ではないし、ウテナすらまともに見ていないような人間ではあるのだが、「ピングドラム」でおののいたその技巧の高さが、今作ではまた別な形で実を結ぶことになったということは声高に主張しても問題無いと思う。最大の要因は「尺の短さ」だろうか。ウテナが3クール、ピンドラが2クール、そしてこのユリ熊は1クール。ただでさえ難解で敷居の高いイクニ作品において、1クールで詰め込まれたらもう何がなんだかわからねぇぞ、というのが最初の恐怖感であり、「ピンドラ」換算にすればこどもブロイラーすら登場していないくらいの話数である(この換算もどうかと思うが)。一体どうやって見られるものかと身構えていたのだが、そんな素人考えは杞憂でしかなかった。1クールを与えられたのなら、そのスパンの中で出来る最大限のことをやり、まざまざと見せつける。それが出来てこその映像監督である。

 そして今作の恐ろしいところは、その「短さ」までもを武器にしてしまったところだ。今まで通りの間尺でやったら流石に保たない。だから短くする、というだけの方法論ではなく、制限された中で表現をより洗練し、概念を精緻化し、より効率よく、効果的に伝播する方法を模索する。元々イコン性の強い演出傾向にあったところに、この間尺の問題が加わり、より端的に、それでいて暴露的なものに頼らない画面構成、シリーズ構成が極まったのである。誤解を恐れずに言ってしまえば、今作は「ピンドラ」に比べて、随分「素直に」見られるものになっている。タイトルにユリの名を冠し、12話を駆け足で見て「2人の女の子のラブロマンス」であると読んでも問題無く理解できるのだ。おそらくこれは、1クールの尺の中で描きたいものを敷き詰めるために、最初に作られたキャンバスのようなものだろう。そしてそこに、盛り込んで盛り込んで、熊と、嵐が掛け合わされて、「ユリ熊嵐」になるわけだ。そこには、見る人によっては「ユリ」が見えるし、「熊」が見えるし「嵐」が見えるという複層構造が出来上がる。象徴性の強い演出方向といえば、個人的には尾石達也や小滝礼といった名前を思い出すのだが、本作での幾原演出のすさまじさは、表層にまずベースとなる意味を与え、そこからカット割り、相互連関などを用いて意味を拡大していく過程だ。紅羽と銀子がかわした「本当のキス」の持つ意味、「最初からあなたたちが大嫌いで、最初からあなたたちが大好きだった」という文言の意味、さらには「透明な嵐」で表される存在など、いくらでも意味を重ね合わせ、有機的に物語と結びつかせることが出来る。そして、それはあまりに平易な形で、ほいと我々の前に投げ出されるのである。

 もちろん、だからといって安易になったとか、陳腐になるなどと言うことは決してない。1秒たりとも油断出来ない詰め込みは相変わらずの傾向であり、油断すればその真意は彼岸に消えるし、悩もうと思えばどこまででも考えられるだけの含意にも富む。「素直な」見方が容易になった分だけ、こうした重層構造の複雑さはより根を深くしたとも言えるかもしれない。私のような初心者が表層を追うだけでも普通に「物語」の存在を認識出来るし、重度のイクニ病患者にとってみれば、おそらく手放せない禁断症状を引き起こす劇薬にもなっているだろう。この期に及んで自己流を更に磨き上げ、被害領域を拡大させた幾原邦彦の世界は、現代アニメにおいては異端であり、「観る」ことを求める視聴者にとっての救いになっているのである。

 まー、そんなことを考えるか考えないかは個人の勝手なんですけども。わたしゃそういう泥沼のような多幸感に加えて、純粋に画を観てるだけで好きすぎたんです。百合が好きで、小動物が大好きな人間にとっては、「これ、俺のために作ってるの?」みたいな感情が出てきてすげぇ申し訳なくなるんです。ピンドラの時のペンギンだってすごく可愛かったけど、今回はあれよりも更に「熊」が出ずっぱりで、最終的には熊が主人公で、熊による熊のためのお話でしたからね。なんであんなユルいデザインなのに可愛いかなぁ。そして、これまたイクニ作品でお馴染み(あと榎戸脚本でもお馴染み)、「何かよく分からないフレーズのインパクトが強すぎる」現象。今作は1話目から「クマショック!」が登場したし、他にも「ゴリゴリゴリゴリゴリ」とか、るるたちのつける「ガウ」の愛らしさとか。キャラを愛でているだけでも満足出来るのが良いなぁ。個人的には蜜子が一番好きだったんだけど、最終話のこのみを観てどうしたらいいか分からなくなった。あと蝶子さんも最終話まで駆け抜けて一気に株が上がった子。精一杯生きてるキャラってのは、それだけで綺麗に見えるもんだ。

 中の人については、そういうわけであおちゃんとかりえしょんに目がいくのだけれど、今作ならではの働きをあげるなら、るる役の生田善子がお気に入り。ちょっと変な声ではあるんだけど、るるのキャラの良さとも相まって、大きな代表役になったんじゃなかろうか。あと、一撃の破壊力ならみるん王子かな。くぎゅう元気でショタがいい。

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「アルドノア・ゼロ(2期目)」 5→5

 無事に風呂敷はたたみました。ただ、その風呂敷はたたむことを望まれていたのかな、という不思議な読後感が。これも「ローリング☆ガールズ」と並んで、なんか色々と惜しいアニメだったような気がする。

 1期目と2期目ではだいぶ印象が変わっている。描いている展開が違うのだから印象が変わるのは当たり前なのだが、「へぇ、こっち方向にお話を作りたかったのか」というのが何となく意外だったというか。「良い部分」をあげれば1期目とほぼ同じ感想だ。やっぱり映像の質は非常に高いものになっているのは間違いない。こうした作品の場合にはどうしてもロボ戦闘と人間パートでは温度差が出てしまい、「メカ格好いいやろ?」とドヤ顔したい作品の場合、そちらの見映えにばかり注力して人間どうしのドラマは添え物になりがち。今作はそうした「人と人の対話」という部分にもきちんと意識を割かれており、「こいつら馬鹿しかおらんやろ」というようななおざりな印象にはなっていない。志村貴子によるキャラクターデザインというのも、バトルものと考えると浮きがちであるのだが、そういう「対話」を前提にするならば、他作品との差別化も図れる良いセッティングだったと思う。そして、2クールを通じてなんだかんだ言いながら風呂敷をたたみきったことも、昨今のアニメでは評価すべき点として取り上げてしまっていいだろう。

 こうして、様々な良い点、今作独自の売りというのはあるのだが、やっぱり「はたしてそれがやりたかったことなのだろうか?」という疑問が付きまとう。1期の時の最大の不満点は勢い任せでぶん投げた(ように見えた)幕切れの構図だったが、それをなんだか上手いこと収めた2期目についても、すっきりしない部分は依然残ったままだ。個人的に勿体ないと思ったのは、「たたむ」ことを優先したために、必要以上に小利口にまとまることを考えすぎたんじゃないか、と思える点。「天才軍師2人の戦い」を中心に描いた作品なんてものはシナリオラインだけで見せるとなると相当なハードルになるが、どこぞのルルーシュさんみたいに「こいつ、天才のふりした馬鹿だろ」まで吹っ切れてしまえば、笑いにも繋がるし、無茶なスケールでも強引にまかり通るだけの流れってのが出来るものだ(まぁ、この辺は好みの差なのかもしれないが)。今作のイナホは、実はルルーシュ以上のチート兵器を有しており、無茶のレベルで言ったら史上最強クラスのキャラである。彼が思いきりはっちゃけて、ドヤ顔でヴァースをブン殴りに行く物語ならば、非常に大きな流れが出来て楽しくなった気がする。しかし、実際には2期目の主人公はイナホではなくスレインの方である。「父殺し」を犯した彼は、惚れた女に尽くすためにトチ狂ったようにして権力を振りかざし、最終的に破滅へと向かう。しかし、改めて考えるに、彼がそこまでしてやりたかったことってなんだったんだろう。全部姫様が寝たり起きたりした間の悪さから起こったことではあるのだが、途中から「回り出した運命は止められへんのやでぇ」みたいな達観した顔で姫様さえ裏切ってしまう。1つ1つの段取りは「まぁ、そうなるかな」という説得力はもっているものの、彼の暴走はどこかお話のためのお話になってしまっており、今ひとつピンと来ない。

 そして、そんな「よく分からない妄念」に対し、もう片方の主人公であるイナホは区役所の職員のように淡々と業務処理を繰り返すのである。彼の動きを見ていると、マズゥールカさんを籠絡して反撃の糸口を掴む手管なんかはなかなか大したもので、1期で物足りなかった「大物感」をいい感じで増築していったはずなのだが、いかんせん全部真顔で無機質にこなしていくので、アニメ的な盛り上がりが作りにくい。彼もスレインみたいに人並みに悩んだり喜んだりしてくれれば、両サイドの対比でドラマに起伏が出た気がするんだけども。あー、でもチート兵器を手にした主人公が単に武力を振り回すだけってのも作り手側は避けたいセッティングなのかなぁ。ただ、2期目に入ってから、火星カタフラクト戦が本当に単調な作業に見えてしまってなぁ。もっとヘンテコマシンをヘンテコ戦術で倒すのが見たかったんだけども……最終的には、どの戦闘も「レベルを上げて物理で殴る」なんだよなぁ。「どや! 物理で殴れへんやろ!」→「でも物理で殴る」っていうのがどうにも。

 結局、あおきえいが見せるアニメの巧さってのは、今ひとつ「ロボが戦うバトルのけれん味」に繋がりづらい気がするのよね。「主人公がほぼ量産機で戦う」とか、そういう部分の面白さは、もうちょっと別な監督に任せてしまって、あおきえいにはこのキャラクターのままで「放浪息子」をやってほしいと、そう思ってしまうのでした。だから、個人的には散々思い悩んで青春してるキャラクターは割と好きだったのよ。イナホ、スレインに関しては上記のようにメインシナリオに深く関係しすぎているので上手いこと処理しきれてないけど、一切バトルに絡まず、悶々と悶えてるだけのキャラクター、つまりレムリナ姫は割とお気に入りになりました。1話目に登場した時には「絶対このアマが何かやらかしてスレインが没落する原因になるよな」って思ってたんだけど(まぁ、実際似たようなもんだけど)、思いの外健気で、最後まで賢いキャラを通してくれていた。個人的に、王国の全権を任せるななら夢見がちなアセイラムよりもレムリナ姫の方がいいと思います。多分、彼女の方が男のコントロール上手いだろうし、わがまま言いながらも尽くしてくれそうだし。それにしても、男2,女1がメインのストーリーで、最終的にお姫様が全然関係無いぽっと出の男とくっつくってのも斬新よな。一瞬NTRセンサーが反応しかけたが、考えてみりゃスレインもイナホもそんなことが言えるレベルまで姫様の内側には入り込んでないよな。イナホはインコといちゃいちゃしてればいいじゃない。でも絶対将来家庭に体重計置かなそう。あと、イナホが新婚の家庭築いてもユキ姉ぇは酒飲んでゴロゴロ転がってそう。毎週ユキ姉ぇの困り顔が見られるだけでも充分幸せな作品だったよ(いちファン並の感想)。

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「ガンダムビルドファイターズトライ」 6→5

 多分世の中の多くの人が持っている感想と大体同じ意見になってると思うのだが、「1期ほど盛り上がらなかったな……」というのが正直なところ。まぁ、今になって思えば1期のハードルってめちゃめちゃ高いからしょうがないのだろうけども。

 普通に考えて、1期で世界大会やっておいて2期目が中高生の部の全国大会っていう時点で何かおかしいんだよな。安定したシリーズ製作に向けて、より地に足がついた世界設定を考え直したのだろうか。確かにセイとレイジの場合、かたやいうても中学生、かたやガンプラどころか世間の常識もよく分からない異界の王子様で、なんでそんなに強いんや、っていう無茶苦茶な設定だったわけで、それを是正し、ある程度身の丈に合った部分でのスポ根ものをやり直すというのは1期の呪縛を払う手段としては充分アリだったろう。そのおかげで、シンプルな筋立てて様々なライバル関係も見やすくなったし、「3人で戦う」という条件のせいで課せられた「無闇に大量の人間を活躍させなきゃいけない」という制限もなんとかクリア。最低限の品質は充分にケア出来ているはずだ。その上で、かっ飛んだガンプラがたくさん出てきていつも通りの超絶バトルを見せてくれるのなら、ちょっと設定が違うとはいえ、1期と同等の盛り上がりを見せることは不可能ではなかったとも思う。

 ただ、実際にはどうしてもユルんでしまった部分はある。一番の原因はセカイのバトルスタイルなんだろうなぁ。1期の頃から散々「結局ゲンコツかよ」とは言われていたわけで、セカイはレイジ以上に攻撃がワンパターン。普通に考えればどんなロングレンジの攻撃もありで、合体、超必、さらには修復までもが戦略の一部として可能になった状況で、「単なるパンチ」の主人公が勝ち残って盛り上げるのはかなりの難行である。1期の頃だって泥臭い白兵戦の様子で色々と格好良いシーンはあったものの、それはあくまで他にも「格好良い戦闘」があった上での敢えてのステゴロ。全部が全部同じでは、いくらなんでも飽きは来るだろう。また、やっぱり「3人チーム」という設定は序盤から完全に持てあまし気味で、誰かにスポットが当たれば誰かは空気になってしまう。全体を通してみればそれなりにバランス良く分配していたのかもしれないが、やはりアニメシリーズ、特に子供向けの時間帯に放送していた作品となると、どうしたって30分の中身を見て判断してしまうことになるだろう。そうなると、いちいち「やっぱりユウマいらないんじゃね?」っていう感情が起こるのはどうしようもないことだ。回りの機体がはっちゃけ過ぎたせいで、主人公チームの機体が全体的に地味に見えてしまったのも残念。「僕の考えたヘンテコMS」がたくさん見られるのが本作の最大の売りなのだから、もっとガンガン機体を投入しても良かったと思うんだけどなぁ。つまり、最終話みたいな話をちょくちょくやれてればもっと盛り上げられたのかもしれないな。大丈夫、どんだけ混乱しても最終的にメイジンが出れば何となくまとまるよ(どうでも良くなるともいう)。

 まー、色々と文句はあるのだが、それでもやっぱり「ガンプラで戦う楽しさ」はしっかり維持されていたし、バトル描写だってやりたい方向性は分かりやすく、品質は高い部類で維持されていたんだ。これで不平をいうのも贅沢というものだろう。このまま次のシリーズにつないで、この世界をどんどん理不尽な方向に膨らませてほしいものである。とりあえずサザキ家の末弟(美形)を早く登場させるんだ。

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「クロスアンジュ 天使と竜の輪舞」 5→6

 先に懸念を書いておくと、これ、多分「楽しんじゃいけないアニメ」なんじゃないかな……こんな適当なジャンク品、「楽しかったです」と言ってもあんまりアニメ業界にいい影響を与えない気がする……「クロスアンジュ2」とか始められても、どうしようもないんですが。

 でも、楽しんでしまったんだよなぁ……そう、人間は油分と塩分を好むのでダイレクトにそれを摂取できるポテトチップがやめられないとまらないのと仕組みは同じ。阿漕なエロ、もうエロっつうか「お下劣」っていった方が良いような、とにかく「下ネタ」要素を嫌と言うほどぶち込み、それをくるむのは濃厚なレズだったり、分かりやすいドンパチだったり、すべり倒しても気にしないギャグだったりする。アンジュというキャラクターは、まさに「オタクはこういうことすれば喜ぶからチョロい」を全部ぶっ込んできただけのキャラクターであり、そこに「制作側の意図」は嫌と言うほど感じられるが、「物語の中の生」は特に感じないという。他のキャラも大体同じで、「エロくするため」「エグくするため」「ギャグに転化するため」に各所に配置された駄目人間の数々は、ひとネタかませばそこで任務はおしまいで、「その後どうなったの?!」とか、「彼女の心境やいかに?!」とかいう部分は一切気にならない使い捨ての「起爆剤」である。消費され、消化されるために作られたカップ麺みたいな存在であり、食ってる時は美味いが、栄養になる気が全くしない、そんな虚ろな存在だ。

 でも、楽しんでしまったんだよなぁ……だって馬鹿なんだもん。ちょろいんだもん。これで映像面がビビッと決まって、「流石サンライズ! ロボットもので戦争やらせればやっぱり天下一品だね!」とか褒められれば適当にお茶も濁せたのだが、今作は今期でも一二を争うくらいの作画崩壊作品である。そして、そのぐだぐだになった崩壊映像までもが、「クロスアンジュなら仕方ない」という、ネタ要素として受け入れてしまいそうな空気を作り出しているのである。「一周回って面白い」は絶対駄目な概念だと常々思っているのだが、この作品は、最初から「一周回す」ことを前提にして構築されている。大量のおまけ商品で固めてお値段もさっ引いて、分割手数料まで全部負担するから面白がればいいじゃない! という捨て鉢なデザインである。笑ってしまっている自分が本当に悔しい、なんだろね、この敗北感。

 でも、楽しんでしまったんだよなぁ……こうなってしまったということは、私は素直にサンライズプロデューサー陣に敗北を認めるべきなのだろう。「俺、ちょろいよ」と報告すべきなのだろう。楽しかったですよ。アンジュが最後までド外道のままで、きっちり落とし前つけてくれてホッとしていますよ。最終話のシルヴィアさんなんて最高ですよ。もう、設定も筋立ても無茶苦茶なのに、「こまけぇこたぁいいんだよ!」と切って捨てますよ。だって、真面目に考えようにも、「いや、クロスアンジュだから」で済んじゃうんだもん。歌えば解決するし、脱げばなんとかなるんだもん。ダイヤモンドローズ騎士団は偉大過ぎたんだもん。どうしようもないやんけ。あー、今後の世界ではどう考えてもタスクが種馬になることが確定してるわけだけど、あの世界は発展することが出来るのかな……。

 中の人についてとか……もう書くことねぇよ。毎回散々騒ぎすぎたよ。安易に載せられすぎたよ。「ゆいかおりの平気で友達裏切る方」じゃねぇよ。普段は絶対に認めない「実況向けアニメ」というカテゴリ、今作で初めて認識しました。こんなもん、一人で黙って見てても敗北感しかないわ。ある意味金字塔。そしてある意味産廃。すげぇ作品だなぁ。あと2年くらいしたら、改めて評価してみたい気もする。どうしよう、マジで「クロスアンジュR2」とか始まってたら……多分シルヴィアさんが黒の騎士団立ち上げてるんだろうな……。

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「聖剣使いの禁呪詠唱」 3→2

 語る言葉をもたねぇよ。文句無し、お前がナンバーワンだ……。

 私はできる限り、アニメを観るときは「いいとこ探し」をしようと思って見ている。チラリと1話目を見て、「なんかつまらなそう」とか「〜〜が駄目だ」とかいうのは簡単なのだ。しかし、どんな作品だって一期一会。切って捨てては勿体ないし、それでは分かりにくい良さってのものもあるのだ。「〜〜は駄目だけど○○は良かった」というように、いいとこ探しをすることがアニメと息の長い付き合いをするコツであり、その先に、収穫があるのである。

 でも、どうにも見つからなかったらどうしようもない。この作品は、残念ながら何一つ見つけられなかった。1話目の時点でキャラデザぐずぐず、お話適当、動画やる気なし、ラノベだとしても匂い立ちすぎる諸々の設定。「これは試練だぜ」と思っていたが、この試練、予想以上にハードルが高かったです。画面のクオリティは上を向くことを知らず、お話の適当さは回を増す事に強くなる。女の子のキャラに魅力を覚えることが困難だし、変な男キャラは鼻についたり興味が湧かなかったり。バトルファンタジーアニメなのに、困った時には「思い出した!」というだけで解決してしまうので何の盛り上がりもありゃしない。強さの理由をいくらでも後付け出来る主人公と、そんな主人公に一切の理由無しに付きまとうヒロイン勢、そしてそんなどうでもいい連中に絡んでくる痛すぎる敵キャラたち。まぁ、ある意味で私のラノベ観を煮詰めに煮詰めて凝縮した姿ではあるのかもしれないが……そんな素敵なものをぷるんぷるん天国ならぬざぶんざぶん天国で作られた日にはね……。

 1点じゃなくて2点なのは、多分あおちゃんの台詞が割と多かったから。あと、なんか主演の石川君が不憫に思えたってのもあるかもしれない。あと「これがあるおかげで今期他のラノベアニメを観るときに勇気が湧いた」っていう良さもあるかな。とりあえず、ディオメディアはちょっと休め。

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 綺麗だなぁ、可愛いなぁ……最終話。ホントに良い物を見せてもらったわ……ボロボロ泣いてるんだけど、何も悲しくないのでニヤニヤしながら泣いているという、傍から見たら気持ち悪さマックスの状態での視聴になりました。

 正直、そんなに明確に泣くようなポイントがあったわけじゃないとは思うんだよ。実際、るるの最後を看とった冒頭のシーンなんかは、前回たっぷり味わったのでそのまま自然に流せるようになっていたし、そこさえ乗り越えてしまえばあとは「悲しい」部分は一つもない。しかし、これまでの蓄積が1つ1つしっかりと答えを出していくごとに、やっぱり感極まる部分はあるものでね。二匹の熊が喜び踊り狂うシーンなんかでも、無駄に泣けてくるのはどうしたことだろう。

 今回最大のトピックは間違いなく「紅羽の真実と、紅羽の選択」である。ここまで3人の主人公を中心にして様々に視点を変えながら物語は展開していたが、やはり最終的には紅羽の物語に落ち着くことになった。言われてみれば確かに不自然な部分ではあったのだよね。「銀子がヒトになることを望んだために紅羽が記憶を失う」っていう因果関係は。「銀子が好きを失う」というのであれば、それは「銀子が記憶を失う」べきだった。実際、真実は裏返しの構図になっており、あの日銀子がヒトになることを望んだのは、銀子自身ではなくて紅羽の方だった。断罪のコートは、それは彼女を傲慢であると責めたが、幼い子供にそれを判断しろというのは無理な話だろう。「彼女が熊だからいじめられるのだ」と認識すれば、「彼女が熊でなければ」と思うのは当たり前のこと。そこに代償としての「好きの剥奪」を迫られても、小さな子供にはそれが釣り合った条件なのかどうかを判断することは出来ないだろう。結局、紅羽はこうして一番の「好き」を失い、銀子は熊の世界へ戻され、「ヒトと熊の間」で長い年月を待つことになった。これまで銀子は自分のことを罪熊だと言い続けていたが、改めて見れば、自分勝手な想いから銀子に厳しい人生を強いた紅羽も充分に「罪人」だったのかもしれない。

 その後の時代についてはこれまで語られた通りであるが、この記憶を紅羽が思い出したことで、彼女の決心は確固たるものとなった。銀子から紅羽へとかけられていた愛情は純粋に彼女の本心であり、彼女が壁を越える願いを抱え、ここまで苦労し、命を投げ出すまでの指命を果たそうとしていたのは、全て紅羽自身の責任だったのだ。となれば、もう彼女にこれ以上の負担を強いることは出来ないし、今度は紅羽の側が責任を果たす番である。クマリア様に改めて願う。壁を取り除きたい、二人で壁を越えて本当の好きを手にしたい。彼女を嵐に巻き込み、鏡を割って手を差し伸べてもらったのだから、次に紅羽がするべきことは、手を伸ばしてそれに応えること。自分を破壊し、紅羽は熊との境界を越える。

 好きが届き、クマリア様は再びその姿を取り戻す。これまでのモノローグなどから分かっていたことだが、その姿は泉乃純花のものである。純花の姿をした眼鏡のクマリア様が降臨し、ユリを承認する。そこでの紅羽は、純花の姿を見ても一切の躊躇いを持たず、その視線の先には銀子だけがいた。純花は大切な友達であり、彼女の「好き」を取り戻してくれた大切な人であることに変わりはない。しかし、今彼女が応えるべきは銀子であり、彼女を受け入れ、彼女に受け入れてもらう時に、そこに純花を介入させる余地は無かった。二人のユリは承認され、本当のキスを交わした2匹の熊は、そのまま次の次元へと旅立つのである。

 「次の次元に旅立つ」という結末は、常人には理解し得ないものである。彼女たちは一体何を成し、これからどのようになっていくのか。それは誰にも分からないが、少なくとも物語はここで間違いなく終わる。澪愛の描いた絵本もここで終わり、アニメもここで終わるのは間違いないだろう。しかし、それでも時間は進み、世界は続いて行く。彼女達が去った後にも、この世界には断絶の壁が残りつづけているし、学園はそのままの姿でヒトの世を作り続ける。その代表となったのは、最後までヒトとして、嵐の中心を維持し続けた大木蝶子である。残された「ヒト」として、蝶子は最後までめざましい活躍を見せてくれた。「壁を越える者への嫌悪」を強く示し、最後まで「私たちは透明であらねばならない」「悪は排除すべし」の姿勢を崩さずに透明な嵐を維持し続けた。「透明になったら、誰があなたを見つけてくれるというの」という紅羽の訴えに対しても、彼女は一瞬の躊躇いこそみせたものの、最後の最後まで、理屈ではなく信念で「透明であること」を崩さなかった。なるほど、これまでたくさんの「ヒト」が透明であることを望み、そのたびに熊に滅ぼされてきたが、最後の最後まで残った蝶子こそ、ヒトの体現者、嵐の体現者として最良にして最適である。熊へ辿り付いた紅羽を見て、他の生徒たちがその力を維持出来ずに挫けていく中で、彼女は必死に叫び続けていた。「迷うな」「考えるな」。それこそが「透明な嵐」であるための条件。彼女もまた、自分の世界を求め、貫き通したもう一人の主人公であったのかもしれない。

 透明な嵐には、常に「悪を排除する」ことが求められる。このことは、不可思議な矛盾を孕んでいる。何しろ悪になってはいけない、異分子はいけないと言い続けながら、その異分子を常に内部に見出し、排除することでシステムが回るのだ。椿輝紅羽という「悪」が消え去り、ヒトの世界は平穏になった。しかし、システムはまた次の悪を求め続けている。新たに登場した亜依撃子は、クマリア様をその目で認識してしまったおかげなのか、サーチイビルの最中に集団を抜け出し、排除された百合川このみに手を差し伸べた。彼女は新たに壁を越える存在として、嵐の中に飛び込んでいくことになる。最終的にこのみさんはとてもとても美味しい役回りになってちょっと嬉しい。サイボーグ熊にされたときには本当にどうなるかと思ったものね。毎週ゲスゲスビリビリいうだけの機械になるのって、どの熊よりも悲惨な扱いじゃないかと思っていたのだけど、最後にこういう救いが差し伸べられるのは良いな。常に嵐があり、熊があり、そこにユリがあるのだ。

 また、当然といえば当然だが、るるの物語にもきちんと結末が用意されていたのは嬉しいところ。そうだね、るるは銀子に想いを伝え、好きを、未来を残して退場したわけだが、彼女にはまったく同じようにして無償の愛を訴え続けていた大切な弟がいたのだった。ひょっとしたら、最終話で最大の救い、ハッピーエンドが与えられたのはるるだったのかもしれない。初めて心からの笑顔で会話出来た姉弟の笑顔は、本当に眩しい。みるんと2人で幸せに過ごせるといいなぁ。

 いい最終回だった。ユリに幸あれ、熊に幸あれ。


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「弱虫ペダル GRANDE ROAD」 5→6

 うむ、お疲れである。無事に幕を閉じることが出来たインターハイ。まさかここまでくるのにトータルで5クールもかかるとは思っていなかったが……。コミックもいつの間にか40巻近く出てるのかよ。……時代の流れが速すぎるよ、つい最近連載始まった気がしてたのに(7年前だとさ)。

 1期目はとにかく盛り上げておきながらもよりによってとんでもねぇところで終わってしまうというなかなかチャレンジングな構成だったわけだが、考えてみれば5クール使ってインターハイ1年分、その間で分割しようにも、なかなか綺麗に切るタイミングなんてなかったようで、いっそのこと盛り上がってるとこで休憩挟んでしまえ、っていう選択は正しかったんだろうな。あれよりも後で切るとこなんて絶対無かったわけだし。かといって間をつめてギチギチにしちゃうのも確実に駄目だ。このアニメはちゃんと尺を取って、伸び伸びやってくれたからこそ結果を出せたものであろう。原作は毎週読んでるとはいっても割と適当に見ているだけだったので、改めてアニメでみて「そういやこんな色んなことがあったんやなぁ」と懐かしく振り返らせてもらった。「自転車漫画」なんて、言ってしまえばどんだけ速いかを競い合うだけなので、ず〜っと見てても「俺が速い」「俺の方が速い」と言いながら野郎がぶつかり合っているだけ。どう考えても面白い要素なんて無い気がするのだが、これがちゃんと盛り上がるのが「弱ペダ」の偉いところ。結局後半2クールも特に退屈になるシーンってないんだよな。広島絡みのところなんかは言ってしまえばサブイベントなのでひょっとしたらダレるかとも思ったのだが、待宮のキャラが予想以上に立っていたために、充分過ぎるくらいに面白かった。御堂筋君だってバリバリ働いてくれたし、2期目になってようやく本領発揮できた荒北さんの溜め込んだ物を全部吐き出すような活躍も見どころ。もちろん御堂筋君だってナイスインパクトよ。

 結論:やっぱこのアニメ変。さて、次に3期が放送されるのはいつになるのか。

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