最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「プラスティック・メモリーズ」 5→3 これもわからんかった作品やねぇ。とても予定通りに、1話目で懸念していた通りの結末を迎えてしまった。1話目で怪訝に思っていた要素については新番チェック参照。まぁ、世間の人々の大半が持っていたものと同じですけどね。 結局、1話目で疑問符を乱舞させた「この世界の理不尽さ」について、何一つ納得のいく説明がされないままに、1話目でイメージ出来る「ひょっとしてコレがやりたいんじゃ……」という安易な方向へと進み続ける。おかげで中盤では「もうこれ、見なくても良いのでは」という気持ちばかりが先立ち、視聴はとても適当になりました。 殺人ドロイドを放っておくデンジャラス極まりないこの不完全な世界、こんなガタガタの法整備でも一応物語として穏便に済ませる手段も無いわけではない。一番分かりやすい手段は「愛の奇跡」の演出だ。こんだけ無茶苦茶で、文句を並べ立てたくなるような世界だが、主人公チームはとにかく頑張って頑張って、抗いぬいた結果、見事にこの理不尽に打ち勝ったのです! アイラ生存! 生存んん!! という終わり方。理屈が伴わないので「整合性」を求める視聴者からの文句は増えるかもしれないが、無茶をしてでも予定されていた筋立てをブレイクスルーすることが単純な盛り上げ方である。極端なアイディアとしては、「実はアイラはギフティアじゃなかったんですわー」なんてオチも一考の余地があるかもしれない。 しかし、今作はそんなことは一切やらない。「この亀、確実に十日後に死にます」と言われている亀を縁日で買ってきて、十日の間にありったけの手を尽くして亀との思い出を作り、最終日に「亀ぇぇぇ!」と泣きわめく。このあらすじの時点で受け入れる人間は減る。更に凄いのは、この「十日で死ぬ亀」は「人類の叡智を結集し、きっちり十日で死ぬ亀を開発しました、殺さない場合は、あんたが死にます」という特別ルールが付属しているということ。ほら、何一つ意味が分からない。「亀の死を悼むための世界」を作り、誰もが「まぁ、死ぬやろ」と分かり、そこで予定通りに「死を悼む」エンディングを見せられて、我々は13話・3ヶ月の時間に意味を見出せるだろうか。もちろん、アニメ作品なのだからその間のアニメ映像に存在意義を見出すことは出来るかもしれないが、スタッフは全力で「亀を失う悲しみ」を描こうと努力しているために、その全ては空回りになってしまうのである。無理だ、これでは泣けないよ。いくら僕でも、そこまで作り手側に譲歩する気は無いよ。 難しいよね、「泣けるアニメ」作るのって。(よく泣く奴並の感想)。これと「あの花」の何が違うのか、っていうのを真剣に考えるのは割と面白い題材かもしれない。多分世の中には「『あの花』も泣けるんだからこれだって泣けるよ」派、「『あの花』は泣けるけどこれは無理だよ」派、「どっちもくっさいわ」派がいるんだろうけども。あなたは何派? PR 「やはり俺の青春ラブコメは間違っている。続」 3→3 やっぱり嫌いです。以上。 なんなんだろね、これ。 普段、評価を下げる作品ってのはどこかしら「画が悪い」という要素が入ってくるものなのだが、今作は画に関しては特に問題は無い。特別良いとも思わないが、決して作画が崩壊してるとか、演出に手抜きがあるとかいうことはない。だからこそ最後まで観られているわけだし、むしろ1期よりも画は好みになったかもしれない。でも、嫌いなんだ。私は普段、このブログにおける作品評価で「嫌いだ」っていう言葉はあまり使わない。前提条件として作品のいいとこ探しをしようと心がけながら視聴しているし、もし「嫌い」だったとしても、「嫌いだから嫌い」は理由にならず、出来る限り自分の言葉で「ここが悪かったからダメ」と理由付けするように努力している(結実しているかどうかは定かでないが)。しかし、今作においては、どうしても「嫌いだ」という言葉を使わなければならない気がする。その世界を包む「律」が嫌いなのである。 1期の時と大体同じ感想になってしまうが、全てのキャラクターの心情が理解できないっていうのが最大の障壁なんだろうな。そして、その中心にいるのが比企谷八幡という男だ。人嫌いを自称しておきながら人から離れられない臆病者。自分は世界から逸脱していると自嘲しているのに、自分以上に世界を理解している人間はいないと謳う勘違い野郎。そんな人間が主人公をやっていればヘイトが溜まるのは当然であり、作品作りとしてはこのいけ好かない男を徹底的に叩くところから始めればいいのだが、何故か世界は奴を受け入れる。奴が正しいと声高に主張する。作品作りにおいて「天才」を描くためには回りを精一杯馬鹿として描くしかなく、「天才」を描く技量が無い作家がこれに挑戦すれば、相対的に世界の馬鹿は加速する。それと同じようにして、「ムカつく奴」を中心において、これを主人公として魅力的に描きたいと欲求するとき、世界は相対的に「よりムカつくし、理解できない世界」になっていく。今期中盤から登場した意識高い君なんかはその典型で、どう見ても馬鹿だし間違ってるし好かれるわけないことは一目見て分かるキャラになっているが、それをだしにして比企谷を持ち上げようとしても、あまりに底が低すぎて一切あがってこない。むしろ、そんな馬鹿の極みを相手にずるずると何話も状況を引っ張り続けた奴は同罪であり、より評価は下がる一方。 そんなゴミクズがウジウジしているだけなのに、何故か回りは比企谷に優しく、彼に同情の言葉をかけたりする。「友達関係を壊したくないから、友人が友人に告白するのを阻止しなければならない」というミッションで、「告白直前に自分が出ていって玉砕することで場を取り持つ」なんて頭が沸いてるとしか思えない行動に出るのに、メインヒロインたちは「正しい行動を取った」と認めるような発言をする。この世界の人間は、一体どういう思考回路で動いているのだろう。全く理解できない。それなのに、世界はさもそれが当たり前であるかのように進んでいくのである。 だからしょうがない。僕はこの作品が「嫌い」なのだ。とりあえず、画の点数、キャストの点数でこの辺りにしておきますが、流石に3期があったらそろそろ不毛なので避けて通ろうかと思います。あー、でも小町は可愛いんだよなぁ……。小町だけは、比企谷に対して「肉親だから」っていう理由で「嫌わない」理由があるのが大きいのかもしれない。 「うたのプリンスさまっ マジLOVEレボリューションズ」 5→6 同じ「最終回に運命のライブ」でもユーフォニアムとは雲泥の差、こちらが元祖「頭おかしい系作品」になります。 正直、僕は熱心な支持者ではないので、シーズン中はずっと生暖かい目で見守らせて頂きました。今期はST☆RISHの面々はユニットごとの処理だったので、個々のキャラクターの掘りさげというよりはキャラとキャラの間の普段見せないつながりを中心に構成されている。こういう組み方って、熱心なファンには嬉しいだろうけど、そうでもない人間にとってはむしろ印象が薄くなるんだ。いや、スマホ宣伝回とかやっぱり笑うけども。そして中盤からはカルテットナイトの面々のエピソードに入るので、興味はより薄くなる。いや、やっぱりロボ回は反則だと思うけども。とにかく、こうして3期目に入って拡散を続ける世界ってのは、「まー、こういう構成になるわなー」くらいの気分で何となく見ていただけだった。「やっぱり僕はシンガンクリムゾンズかな」とか思うレベルで。 でも……やっぱり元祖は強いわ。頭の悪さが一歩抜きんでている。無茶設定で振り回すだけの中盤の展開だったら別に気にならなかったのだが、最終回で全部持っていった。あんなもん、笑うしかないやんけ。すげぇ展開だ。「柱が……7本?!」じゃねぇよ。どんなライブイベントだよ。あの世界のアイドルファンたちはそうとう屈強な精神力を持っていないと押し寄せる理不尽の数々に対抗出来ない気がするぞ。そして最後は若本・杉田コンビで全部持っていくっていう。久しぶりだな、若本公認杉田。やっぱずるいわ、あれ。 さぁ、To be continuedしちゃったよ。次もあるよ。いいよもう、好きにしてくれ。僕はこのまま同じ上松作品のシンフォギアに切り替えていくので。最大の焦点は、1000%, 2000%, Revolutionと進化を続ける連中に対して、100%,1000%と進んできた響がどんな曲を披露するか、っていうところ。うたプリの馬鹿に対抗出来るのはシンフォギアの馬鹿しかいない。将来的に「上松大甲子園」みたいなイベントが開催されたらエラい事になるな。 あぁもう……あぁもうね……最終話! 言葉も出ませんわ。 何もかも完璧だった最終話です。話の盛り上げ方、各キャラクターの配置、演奏シーンのバランス、本当によくこれだけの構成が作りあげられるものだ。最終話コンテは山田さんなのだが、そちらの手柄と考えれば良いのか、全編通じてここまでを作りあげた石原監督の手腕なのか。……どっちもだろうなぁ。 冒頭、髪をポニテに結い上げる久美子からしてまずテンションがマックスまで上がる。そのポニテは何? 中川先輩の弔い合戦? 久美子の覚悟が朝のワンシーンで明確に伝わる。そこからいきなり電車内で麗奈とじゃれ合うシーンへつながり、二人のモチベーションの高さが窺える。「吹奏楽部が大会のために楽器の搬出入をする」っていうだけのシーンなのだが、これまで培ってきた部内の様々な人間関係の結末がちりばめられており、一切無駄なカットがない。もちろんデカリボン&中川先輩が至高であるが、緑輝や葉月のポジションだって、単なる脇役ではない、立派な舞台設定だ。部員全員が集まって初めて「北宇治高校吹奏楽部」なのだという、滝センの教えが力強く染み渡っているのを感じる。 そのことは、演奏前の音合わせから本番に至る場面でも確認出来る。どこまでも真っ直ぐな滝イズムが今では完全に吹部全体を調和させており、滝センはそのことに満足しながらも、決してそこで終わるようなことはさせない。会場をあっといわせる演奏を。そして、何よりもそのために、彼自身が汗だくになって生徒達を導く。野郎の汗が舞ってこんなに爽快な物語が出来上がるとは。その他、演奏シーンではこれまでの蓄積があったおかげで、各パートの音が1つずつ聞こえてくるようになっていたのが非常にありがたい。ぶっちゃけ今でも吹奏楽の音の良し悪しなんてさっぱり分からないが、今作の1クールの軌跡のおかげで、「これがチューバ、ここがクラリネット」という風に識別できるようになり、個々のパートの顔が見える程度にはなった(もちろん、それが分かりやすいように映像を作ってくれているわけだが)。特に、これまでほとんど注目されていなかったパーカッションだが、いざ演奏シーンを映像にするときには、動きが一際大きいので非常に画になる。おかげで今回はかなりパーカッションの細かい動きに魅せられることになりました。 その他、個人的クライマックスは、本当にたくさんあるけど大きく5つ。1つ、高坂さんの髪を結ぶ久美子。高坂さんが他人の手を借りて「何かをやってもらう」なんてことはあるはずがない。何しろユーフォを抱えて山登りする時にだって「平等に」ってんで他人の楽器を担いでいたような人間である。そんな高坂さんがわざわざ久美子に「結んで」と頼みにきた。たくし上げるうなじの色香も相まって、2人の近さが実に艶めかしい。「自分で髪を結い上げた久美子」と、その久美子に「髪を委ねた麗奈」という対比から、高坂さんの作りあげたい2人の関係性が垣間見られる。 1つ、会場外で音を確認してはしゃぐ葉月と中川先輩。二人の顔がくっつきそうな距離で聞き入っているシーン、アップで映る2人の顔のディティールが凄い。中川先輩マジ美人。なるほどね、こうして「外から音を聞いて反応する役」が必要だったから葉月というキャラクターがいたのだね。彼女の反応で、「演奏の出来不出来」が一発で分かるようになっているために、今回の結末に持っていく布石が揃えやすくなった。 1つ、舞台袖でキメる塚本。塚本君。いよいよ男になりましたね。久美子の耳元で囁いた後のカット、久美子から見た塚本は、気付けば男の子の頼もしさが出ている。見上げる視点から「大きさ」を見せる構図、光のあたり方も、確実に久美子が塚本に対して心動かされたことが分かる素直な「どきん」ショットである。いいね、これだけ出番が少なかったのに、ちゃんと「塚本君の成長物語」として完結しているのだ。 1つ、高坂さんのソロ。ここでこけてしまっては何もならないという最大の山場。ソロの冒頭部分は香織先輩の顔をナメるカット割りで高坂さんの勇姿を映し、更にその奥に吉川という並び順が憎らしい。最後には微笑む香織先輩も、最初はなるべく高坂さんの方を見ないようにしているし、吉川の表情も、決して全てが終わったわけではないという決意が見られる。高坂麗奈の晴れ舞台、とくと見よ。 そして最後の1つ。これは具体的なシーンではないのだが、心底感心させられたのが「あすか先輩の役割」である。前々から「田中あすかというキャラクターの暴虐はどのように決着がつくのか」と見守っていたのであるが、なるほど、最後には吹部全体で彼女を打ち倒すことで、「ラスボス戦」としたわけだ。蛇足とは思うが付記させてもらうと、今回、副部長先輩だけは、他の部員達と違う行動をしている部分がある。全員で「オーッ!」と声を上げた時に1人だけ無反応だったり、意気の上がる部員達の中で、1人だけ「これが楽しめる最後だ」と嘆息したりしている。これが何を意味するかといえば、「客観の権化」たる田中あすかは、盛り上がる部内でただ1人「現在の北宇治では優勝は不可能だ」と認定していたということ。彼女は、どれだけ自分の技巧が優れていようが、今の北宇治にはトップを取る演奏は出来ないと断じていた。だからこそ回りに合わせて盛り上がることもしなかったし、久美子に向かって「これで終わりだ」とさも当然のように言っていたわけである。この時点で、視聴者としては「あの田中あすかが終わると言っているのだから、北宇治はここで終わってしまう、なんてこった!」と思うわけだ(実際私はそう思った)。しかし、結果はその真逆。なんと、北宇治はあすか先輩の思惑、彼女の「絶対感」を打ち破り、見事に結果を出す。つまりこれが、擬似的に「田中あすかを倒す」ということである。こうして、「最後の逆転」のための布石として、絶対存在田中あすかが認定されていたのだ。まさにラスボス。「倒すのが無理だと思っていたものを乗り越えた達成感」が、彼女によってもたらされ、意外性を持った至福の結末を迎えることになるのである。 ほんと、よくこれだけの要素を配置して、一切の過不足無くまとめ上げたものだ。こんな最終回、見られて本当に良かった。 「黒子のバスケ(第3期)」 5→6 やっぱり今シーズンもつつがなく。これでもいいのだ。 無事に完結しましたなー。こうして全部通して見終わって、割とわたしゃこの作品が(原作・アニメ含めて)好きだったんだなぁ、っていうのを再確認した。この3期目にもなると完全にバスケがバヌケとして覚醒した後の姿だけが描かれているので非常に清々しい気持ちで見守れるし、何よりも赤司さんが格好良すぎるのでね。いちいちアイツが暴れるたびに腹抱えて笑えるわ。ただ、「2人目の赤司」が出てからの展開って意外に短かったな。こんなもんだったっけ。もう少し暴れてた印象があったのだが……まぁ、洛山は全員濃いから赤司だけに筆を割くわけにもいかないか。最後にやらかしてた実渕もアニメでよりキャラが立って印象に残るようになった気がします。 超次元バスケってのは、実は案外ありそうで無かったジャンルであり、そもそもバスケ漫画自体、それなりに数があるとはいえ、野球サッカーという2大スポーツに比べればまだまだ作品数は少ないし、いじれる要素も残っているフィールド。そこでジャンプがきっちりと「ジャンプ漫画として」拾える要素を拾って作りあげた「バヌケ」ワールドは、テニプリほどの異次元に突入しないながらも充分に頭がおかしいという、ほどよいあんばいでとても見やすい。能力バトル漫画だけどそこまで小難しい理屈を捻らずに見せられるだけの画もあるし、アニメはI.G.のアクション描写のおかげでそれが更に極まっている。ジャンプ漫画のアニメ化は(ここ最近は)大体が恵まれたものになっているが、そんな中でも、ファンからのプレッシャーも大きいジャンルだけに、アニメスタッフもしっかりと与えられた任務をこなしてくれたのではなかろうか。 今やってる外伝(続編?)もそのうちアニメになるんですかねぇ。「さわやかな青峰」とか「可愛い紫原」とか、憑き物が落ちた後のキセキの世代の活躍はもう少し見たいかも。 「ニセコイ:」 5→5 今シーズンもつつがなく。これでいいのだ。 2期開始時に想像していた通り、1期よりも更に穏当な出来になっている。「穏当」ってのはシャフト的演出がどぎつい方向に向かわず、どんどん普通のアニメになっていることを表している。元々大して中身がある作品じゃないのでシャフトお得意の引っかき回し方には向かないし、そうしたデコレーションを必要としていない作品なので、自然と原作のテイストに寄っていくのは当然のこと。そして、別にそれは悪いことではない。どれだけ普通と言っても「シャフトはシャフト」なので、それなりに自己主張をしつつ、数多の原作ファンに怒られない程度にアニメを陰から彩るだけである。 2期に入ってから「穏当な」出来になっていった理由はもう1つあって、ストーリーが進むことでキャラが増えたり、描く要素が増えたことで、自然と「それで足りる」ようになっているためだろうという気がした。ぶっちゃけ、アニメ見てても、現在の原作をリアルタイムで読んでてもほとんど代わり映えしないその圧倒的「変わらなさ」は恐ろしいくらいだと思うが、それでも一応、作中で時間軸は進んでいる。それがはっきりと分かるのはキャラクターの数で、今回のアニメでは主に春ちゃん、そして千棘の母親の華さんなど家族が増えた。これにより、単にエピソードを追いかけるだけでも充分賑々しく、話を進めることが出来るのである。個人的には春ちゃんの登場が一番大きなトピックですかね。いや、そりゃもちろんあやねるの仕事も立派なもんだけど、彼女のおかげで小野寺家の描写が増えたからね。小野寺母の出番も増えるからね。そういうこと。 結局、この作品の見方は「誰が好き?」っていうのを決めてやわやわとヒロインの戯れを見るのが正しいわけですよ。そういう意味でシャフトの大崩れせずに適度な崩しを入れてくれるデザイン性はやっぱり今作に向いているのかもしれません。 最終回は千棘回で幕を閉じたわけですが、僕はちゃんと途中でるりちゃん回(舞子回?)があったので不満は無いです。エンディングテーマも良かったし。あ、でも原作にあったるりちゃんのおじいちゃん回までは見たいな。原作持ってないから覚えてないけど、あれってどれくらいアニメが続いたら観られるんでしょうね。3期はあるのかなぁ。あるとして、羽先生が登場したらキャストは誰になるのかなぁ。 試合と試合の合間に行われた禁断のゲーム。それが新たな概念、「あほいや」。常に高みを目指し続ける我々は、いつだって「どうやったら広辞苑らしい文章が書けるか」に挑んでいるわけだが、この日新たな課題として与えられたのは、なんと「どうやったらタイラントらしい文章が書けるか」という無理難題。果たして「タイラント解答は作れるのか?!」この課題に挑むために、我々は必死に解答作成に勤しんだのである。
「あほいや」 ルール。 ・適当な言葉を考え、その言葉について、出来る限りタイラントらしい答えを作成する。 ・タイラントが自分でも答えを考え、全ての解答を読み上げる。 ・その中から、本当にタイラントが書いた答えを当てる。 ・ついでに、全参加者が、恥をかなぐり捨てて書いた全ての選択肢について、誰がどれを書いたのかを当てる。
以上のルールで全2戦の「あほいや」が行われた。1戦目は、本当に適当にその辺にある語列から抜き取った「意味の無い単語」。そして2戦目は、我々の運命を司る象徴的なあの言葉について、新たな意味の創出を試みた。さぁ、一体どこにタイラントが潜んでいるか、あなたには見つけられるだろうか……。ちなみに当然のことながら、必死でタイラントを憑依させようとした後遺症として、続く普通の試合で死ぬほど苦しむことになる。
Extra Round1・「えらだいみ」
1.(エロ大名の意)圧倒的絶倫を誇る男性器を敬って呼ぶ語。
2.代々の墓を暴き、先祖の骨を食すことによってその霊威を自らのものとすること。
3.エルシャダイであるさま。
4.(用のない偉大名から)偉くなればなるほど仕事が少なくなることを嘆く語。
5.古代ハワイで行われていた水上球技。敗者の頭部を次の試合のボールに用いたとされる。
6.えらで味わう醍醐味。
Extra Round2・「こうじえん」
1.己の心のおもむくままに裸形となって写真を撮影する技法。ポルノイド写真。
2.皇族を相手どった援助交際。
3.遺産を食いつぶす叔父。
4.五次元の猿。
5.肛門尻穴児童動物園の略称。
6.全国高等学校肛門科選手権。
7.(孔子の闇の意)傑物の汚らわしかった頃。
「山田君と7人の魔女」 5→5 思ってたよりも面白かったです。1クールで終わってしまうのは今後が気になってしょうがないが……原作読めって話なんでしょうけども。 「入れ替わりもの」ということで(原作は序盤ちょっと知ってる状態ながらも)何となく追いかけて行くと、「入れ替わり」という要素は本作においては特異な世界設定のほんの一部であることがすぐに分かる。そこから展開していく「魔女探し」の話、そして山田・白石を中心としたラブコメ展開。どちらも常に新鮮な刺激が続くので、一切退屈する暇がない。駆け足じゃないかと思うくらいにサクサク話が進んでいくし、個々のキャラがしっかり立っていて見映えがするので、それこそ「たくさんの仲間を集めていくRPG」みたいな感覚で追いかけることが出来た。入れ替わり能力によって様々なキャストの聞いたことのない演技がたくさん聞けるというのも声オタには嬉しいサービスの1つで、はやみんのバリエーションが豊富なだけでも充分に観る価値がある。それにしても白石さん可愛くなっていったな。 ただ、そうした「刺激の多さ」は性急さに繋がっている部分もあり、不思議現象が不思議なままで展開が加速し、後半はどこまでがルールで、どこからが超常なのかがよく分からなくなってしまったのがちょっと気になるところか。「もう少し腰を据えて見せてもらっても良かったかな」と思える部分が多く、中盤は魔女7人を見つけるために1話1人くらいのペースでどんどんクリアしていったために、流れ作業みたいに見えてしまうこともあった。小田切くらいに内面まできっちり描写された上で山田との関係構築が成立していれば文句無いのだが、そこから先の魔女は割と適当なんだ。能力もどのくらい強いものなのかがはっきり分からないままに進んだりもしたし。まー、ひょっとしたらその辺も原作通りなのかもしれないんだけどもね。ここからどういう風に進展するか知らないし。 とりあえず「可愛い女子高生とキスしまくるラブコメ」としては充分な中身があり、画の品質も安定していたので充分満足。きっちり2期に繋げてもらえればこの続きもまた楽しめそうである。
「えとたま」 6→8 今期最高作品の1つ。もう、毎回悶絶しながら観ていましたが、今作は私の「好き」が全て詰まっているといっても過言ではない。 細かい「好き」から始めれば「小動物好き」であるし、「長屋もの好き」だ。十二支という分かりやすいモチーフのケモ少女たちが1つ屋根の下でダラダラバタバタするお話。面白い。十二支のイメージは今後もどんどん変な属性が付与出来る伸びしろがあるし、何とか更なる展開を期待したい。もう、「十二宮星座なら聖闘士星矢がイメージを作りあげたが、十二支のイメージはえとたまが作った!!」と言えるくらいになってほしい。それぞれ黄金聖闘士に対応させるとするなら……鼠=双子座は確定で、蛇=乙女座も間違いないだろう。猪=天秤座にしておくと、残る師匠連中は虎=水瓶座、竜=射手座くらいに落ち着くだろうか。役割がちょうど被ったので羊=牡羊座、どうせなら牛=牡牛座もギリギリ当てはまりそう。残りをどう分配するかだが……とりあえず犬と猿は適当に蟹と魚に投げ捨ててしまおう。すると残るのは兎、馬、鳥と獅子、山羊、蠍か。不幸な立ち位置を考えると馬=蠍か? 兎=獅子になって、鳥=山羊か。まぁ、穏当なヒエラルキーじゃないでしょうか。なんの話だ。 その他の「好き」は具体的なスタッフへの「好き」。エンカレッジフィルムズは追崎監督の先導によるスタジオであるが、やはりその根底には現代萌えアニメの祖、佐藤順一の魂が根付いているように思える。サトジュンイズムが垣間見せるチャカチャカと賑やかさを優先した画面作り、そして人情芝居とギャグのさじ加減。そのどれもがどこか懐かしさを感じさせるひな形に収まっている。今作はそうした懐かしさ、ベタさ以外にも、白組によるCGワークという新しい見せ場も用意されており、決して手堅いだけでは終わっていない。既に世界的には日本はガラパゴス化したと言われるCGアニメ技術であるが、孤島けっこう。萌えも燃えも、新しいCGで新しい地平を切り開くことが出来るのだ。今作はそんなジャパニメーションの一つの方向性に先鞭をつけた形になっている。もちろん、2Dシーンでの渡辺明夫デザインもたまらなくキュート。エロがそこまでエロくならないのは作品の性質上仕方ないが、むしろ可愛らしさにちょいとしたスパイスとして紛れ込ませる分には、これくらいが丁度いいのかもしれない。 あとはもう、中の人大フィーバーですよ。最終話感想で書き連ねてしまったが、主人公・にゃ〜たんを演じた村川梨衣が、文字通りにこの作品の看板女優。看板娘。看板うざい。ほんとうっさい。オープニングテーマの「うるさいバージョン」とか聞いてるとホントに癖になるよ。りえしょんがりえしょんのままで活躍出来るアニメというのがこれほどまでに素晴らしいものになるとは、誰もが予想しながらも実現し得なかったものだったのだ(みならいディーバ除く)。もう、それだけでも金字塔。その他にもチュウたんについては最終話感想を参照してもらうとして、謎の存在感を加速させたウリたん役の花守ゆみり、作品の雰囲気を力強く支えてくれたモーたん役の松井恵理子など、若くて期待一杯のキャスト陣が実に伸び伸びと作品を作ってくれた。 画も良し、話も良し、芝居も良し、(りえしょん良し)。これ以上何を望もうか。何卒、続編を。何卒2期ををををおぉぉ。 |
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Thraxi
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趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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