最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「GANGSTA.」 6→4 ??????? え? おわ? り? うん? どゆこと? こんだけ投げっぱなしな終わり方は流石に……え? マジで終わり? 分割2クールでなくて? いや、だとしてもけっこうびっくりなんだが……どういうこと? でもどう見ても番組表には「終」って書いてあるし、公式ページ確認しても最終回って言ってるし……これがこの作品の「終わり」なのかよ。なんにも解決してないし、この後どうなるのか死ぬ程気になるやんけ。どうしたらええねん。 なかなか難しいところよなぁ。この終わり方から察するに、原作にあんまり良い切れ目が無かったんだろうな。だからって勝手にまとめるわけにもいかないってんで、いっそのこと「分からないまま」で終わらせたと。うーむ、無理矢理オリジナルでまとめるのもそれはそれで駄目だというのがいつも通りの論調ではあるが、こういうのを見せられるとやっぱり良し悪しだとは思ってしまうなぁ……。原作買えば片付く問題でもないよなぁ。 正直、最近では類をみないほどのぶつ切りエンドなのでかなり戸惑っている。「あかんやろ」とは思うけども、じゃぁどうしたらいいのかなんて分からないし。いつものことなら「アニメ化しなきゃ良かったじゃん」というのが身も蓋もない結論なのだが、このアニメ、割と楽しかったんだよね。だからこそ悩ましい。音響面での貢献もそうだし、こういう「おっさんたちが泥臭く頑張る話」は貴重だから、どうしても見入ってしまった。途中、作画がアウトになったなんて話も聞くのだが、こちら関西圏の放送では総集編も挟まらなかったし、知り合いに聞いたところではなんかものすげぇ紙芝居が他の放送局でながされたらしいが、特にそんなことは無かったし(まぁ、後半怪しいところはちらほらあったが)。別に「目の覚めるようなアクション」とかを求めているアニメでもないので、おっさんたちとか裸のおねーちゃんが野暮ったくズルズルと動いているだけでもいいんだよ。そこに雰囲気が出てくれれば。 そういう意味では、全体を覆う雰囲気はすごく良い作品だった。「BLACK LAGOON」と比較しやすいのだけど、あそこまでファンキー活劇に寄せるわけではなく、命のやりとりも渋め。それでもニコラスとウォリックの2人が何となく通じてる感があれば不思議と格好良い。他のキャラクターも色々とイカす奴らは多かったし、ベースとなっている物語もスタンダードなものなので特に違和感はない。そりゃ「もう少しメリハリあってもいいかな?」とは思ったけども、「そういう作品なんだ」と言われれば「そうかもしれない」と納得出来る範疇。むしろその中でどれだけ「渋さ」が出せるか、っていう制限プレイみたいな楽しさがあったのだ。 だからこそこの終わり方はなぁ……。惜しいなぁ……。 PR 「がっこうぐらし!」 5→5 結局何だったかよく分からないままに幕を閉じたがっこうぐらし。いや、やりたいことは何となく分かるんだけどさ、それって意味あるのか、と。 1話の衝撃は相当なものであったが、その後はずっと「何か精神的に不安定な日常生活」のお話になった。まぁ、ある意味でとてもタイトル通りといえるのだが、常に境界線上にいる微妙なテンションが、どのように視聴すべきなのかと終始悩ませることになる。溌剌萌えっ子アニメとして見ればいいのか、緊迫のゾンビホラーとして見ればいいのか。真逆に位置しているジャンルなだけに、この振れ幅の大きさは慣れないと大変だ。こうして「一見噛み合わないものを1つの作品の中に入れて美味しいとこ取りしよう」というのが今作の狙いだったと思うのだが、「噛み合わないものは噛み合わない」というのが正直な感想。「萌えものとして女の子の日常を見守る」視点の場合には「でも、これって外にゾンビが蠢いてるんだよな……」と思ったら集中出来ないし、「屋上の貯水槽で水着回」なんてやられた日には「いや、おまえらそんなことしてる場合じゃないし、そんな重要な施設で遊んでたらいざというときにとんでもないことになるやろ。水だって無駄に出来ないはずなのに何好き勝手やってんねん」という心配が先に来る。ではゾンビホラーとして緊張しながら見るのが正しいかというと、「でも、さっきまであんなに緩かったしなぁ」というギャップでいまいちのめり込めないし、そもそも、女子高生の数人組で太刀打ち出来る程度のゾンビ、ぶっちゃけ、あんまり単体では恐怖感が感じられない。普段はくるみのスコップでふがいなく倒れているゾンビが、いざクライマックスになって「割と怖かったんです」とか言って存在感をアピールしてきても、どうにもピンと来ない。「いいとこ取り」は「どっちつかず」なのである。 1話目のようにギャップ・ミスマッチを驚きに変えて新鮮さをアピールする路線ならばこうした設定にも意味はあるのだが、そんなに長らく続くわけでもなく、「実はこういう事態に対応するために用意された特殊施設だった」ネタとかも、普段のおちゃらけのせいで「どないやねん」という印象。なかなかどんでん返しと見るには難しい。ちらちら見た感じだと原作はより「ホラー」要素を強くしてそっち方向の漫画として読みやすく出来ているようだが、アニメの場合には常にオープニングが一定だし、キャラの動きもギャグっぽいパートとホラーでははっきりと差をつける必要があり、なかなか「根底にホラーがあるよ」という雰囲気を維持しにくい。結果的に「混ざり合わない萌えものとホラーものが何となく繋がった作品」に落ち着いてしまったのかな、と。 しかし、そうしてコンセプト自体に無理があった、というマイナス評価はありつつも、アニメーションとしては一定以上の品質を維持していたのは事実。キャラの可愛らしさを優先で考えれば絵のデザインは非常に良くできていたし、個人的には「ホラー要素が無い方が良さそう」と思ったくらいのノリ。まぁ、命懸けの極限状態という設定だからこそ、個々のキャラクターの絆が描きやすかったというのはあるのだけれど。「萌えとホラーの接合」という無茶なお題を解決する上で、ユキのぶっ壊れたキャラ設定は非常に思い切った、重要なものだ。彼女のキャラが紙一重で成立していたからこそ、今作は一応一本のお話としてまとまったといえる。ただ、他のキャラとの認識の差を埋めるには少々説得力が不足し、彼女の提唱する「学校行事」の是非については疑問の残るところだったが。あとはめぐねえの存在感かな。本作で一番の悲劇が彼女の存在だったわけだが、視聴者が全員分かっているようなあからさまな状況下でも、しっかりと中盤まで引っ張り、時間をかけて「めぐねえの喪失」を描いたのは正しい方向性だと思う。あれだけお世話になったからこそ、悲壮感も際だったわけだし。そのあたりのストーリーテリングは決して悪い作品ではなかった。 あとは中の人。当然上の2人の名前を出したなら、ゆき役の水瀬いのり、そしてめぐねえ役の茅野愛衣を筆頭にあげるべきだろう。いのすけの安定感は本当に見事。他にもメインキャラでは高橋李依、小澤亜李といった若手が活躍。亜李ちゃんは普段と少し違う役どころでもしっかりと「声の存在感」があり、千代ちゃんパピ路線だけではないことを示してくれた。今後も多方面での活躍が期待されるところ。 「のんのんびより りぴーと」 6→6 終わって……ねぇよ、明日もきっとれんちょんは俺のうちに遊びにくるよ。そうじゃなかったら俺が駄菓子屋に遊びに行くよ。そうじゃないと……救われないよ……。 日常ものは終わった時の喪失感が大きいと申しますが、今作は別に日常ものじゃない。だって、こんな日常経験してないもん。いや、別にひだまりだろうがきんモザだろうが、あんな日常は経験したことないけどさ。今作の場合特に、そこに描かれている「憧憬」は「異境」でもあるんだ。理想化された田舎世界に、エキセントリックなれんげという少女。そんな日常あってたまるか! でも、あって欲しいんだよ! 終わるかー、そうかー。……しばらくは空虚な喪失感が続くことになるんだよな。それだけ今作の存在感というのは大きい。唯一無二の作品世界だ。そして、それを真正面から作りあげてくれるスタッフのディレクションの確かさよ。最終話ではやっぱりやられますね、圧倒的長尺フィックスと無音。このあまりに堂々とした作劇こそがのんのんびより。最近のアニメじゃこういうのがなかなか許されないからこそ、今作でこれが出来るというのが唯一無二になるんだ。「日常もの」っていう風に一括りにしてしまうと見えにくいが、替えの利かないオンリーワンなんだ。3期は……無いんだ……。 今作で嬉しかったのは、相変わらず駄菓子屋が可愛かったことです。個人的には、本作のメインヒロインは駄菓子屋です。だって、ヒロインの条件である「恋をしている」を満たしてるのって駄菓子屋だけじゃん。駄菓子屋のあの献身的な態度を見たら誰だって胸がきゅんきゅんするじゃん。え? ほたるん? クレイジーなのはちょっと……。とにかく、駄菓子屋のハートウォーミングな日常が見られるだけでぼくぁ満足だね。駄菓子屋が幸せになってくれれば、ボクはそれでいいね。より正確には駄菓子屋とモーラおばちゃんとちひろさんが幸せになってくれればそれでいいね。 「ベイビーステップ(第2期)」 5→5 あ、特に書くこと無いです。ぶっちゃけ、終わったことすら認識してなくて今更思い出しました。 2期目も特に変わらずに原作通りに、っていういかにもNHKアニメらしい構成だったので取り立ててコメントもないんだ。褒める点といえば「原作通りに安定して」で、貶す部分も特にない。お手本のようなアニメ化ではあるのだが、やっぱり地味なのはしょうがない。2期目はアメリカ遠征からスタートして、最終的に難波江に負けて終わるという、なんかすっきりしないまとまり方なんだけども、栄一郎のテニス人生を考えるとこの敗退も1つの決着ではあるから、別に間違った終わり方でもない。 今期は栄一郎がかなり実力をつけて色んなことが出来るようになっていたので、試合ばっかりの展開でも特に退屈することはなかったのが良かった点かな。漫画で読んでると「ホント地味なスポ根だよなぁ」と思っていたけど、改めて見せられるとけっこう敵キャラのバリエーションは多いんだよね。 3期目ってあるのかなぁ。原作がどういう風に落ち着くかが分からないとここから先は作りようがないか……。 ここで水着回である、最終話。ぼんばじゃないけど、想像を絶する巨乳に出会うと、どうしてもガン見しちゃうよね。先日信号待ちしてたら横断歩道の隣にスイカ2個抱えたみたいな壮絶爆乳のおねーさんに並ばれて、そのまま思わず後をついていきそうになってしまったボクです。 最終話ということで、これまでの構成から一転、1話まるまるワンエピソードというスペシャルな構成。ただ、おかげでこれまでみたいなテンポの良い展開が無くなった上に家うまるの登場シーンが減るという……。かてて加えて、オープニングが無かったから「あー、これ絶対最後にオープニングで締めるパターンですわー」と思ったらそれも無くってちょっとしょんぼり。こういうアニメで綺麗に最後を終わらせるのって難しいよね……。 しかしまぁ、最後にこのエピソードを持ってきた理由は何となく分かる。何しろサブタイトル通りに「みんな」がまとめて出てくるお話ですからね。シルフィンはおまけ感が拭えなかったが、シルフィン兄に至っては台詞が「フッ」だけだからね。あれでギャランティが発生してるカッキーずるい。全員集合ということは、当然これまで溜めに溜めてきた「錯誤」が一気に交錯するカオスが訪れるわけだが、そのあたりは原作もまだ続いてるってことで割とうやむやになってしまった。1つだけ解消されたのは「切絵ちゃんがぼんばの妹」っていう認識がうまる側に出来たこと(そして切絵ちゃんがぼんばとタイヘイの関係を認識したこと)くらいか。あの状況で自分の妹の存在に気付かないというぼんばの神がかった鈍感力のおかげで、本場家に最悪の事態が訪れることだけは回避出来た。いやー、でもあそこでぼんばが切絵ちゃんに気付いててもそんなに問題無かったのかな。 それにしても、あれだけややこしい錯誤が発生していたことは知っていたはずなのに、片っ端から知り合いを呼んじゃう土間家の兄妹にも問題あるよな。「海老名ちゃんにはこまるの存在を知られてはならない」「本場兄妹はこまる状態のうまるしかしらない」という完全な矛盾を孕んでいるのに、それを気にせずに集めちゃったら成立するはずがない。もっとドタバタ風味の強いギャグ漫画だったらうまるが1人で必死に変身を繰り返して2チームをごまかす、っていう方向になるんだろうけど、本作はそこまでこの部分が重要ではないようで、切絵ちゃんとぼんばには「こまるは来られない」の一言で片付けてしまった。どう見ても小学生以下のこまるが「急用で来られない」のも変な気もするんだけども、切絵ちゃんがあまり細かいことを気にしないタイプで助かった。 問題は、うまるの方からそういう誤解を解く意志はないのか、という部分。ぼんばはどうでもいいとしても、切絵ちゃん相手に「妹がね」と言い続けるのは、傍から見ているととても不誠実な印象だ。しかし、これをばらすと「完璧JKうまる」が実は「こまる」であることをカミングアウトしなければいけないわけで、うまるからしたら死活問題である。一度は勢い任せで告白する流れだったにも関わらず、ぼんばの余計なちょっかいのせいでそのチャンスは潰えてしまい、結局うまるは「穏当にごまかし続ける」ことに決めたようだ。まー、切絵ちゃんサイドからしてもこれで困ることはないので構わないのかもしれないが……なんか釈然としないものは残る。うまるが真実を話すときが来るとして、海老名ちゃんと切絵ちゃんのどちらに先に教えるかなぁ。 というわけで、結局「大きな進展などなかったよ」という夏休みイベントでフィニッシュです。今回お兄ちゃんにあんまり出番が無かったけども、うまるのために自家用車をポンと買ってしまおうと思えるお兄ちゃんの年収が気になります。でも300万の新車だと厳しいくらい。まー、まだ二十代中盤だし、車を買うとしたら駐車場も探さなきゃいけないから月々の払いもけっこうでかくなるしなぁ。あんな適当な妹の一言で買えるわけがないよな。そして、買い物に行った先でも「営業って大変だ」などと社会のシステムにばかり気が行ってしまうお兄ちゃん。……どんだけ苦労性なんだろうなぁ。せめて女子高生の水着姿でも堪能してリフレッシュして下さい。まぁ、お兄ちゃんがそういう部分で精神的満足感を得ている描写は1つもないのだけど。全部ぼんばに吸われてるのかしら。 「青春×機関銃」 5→5 当初思ってたよりも随分楽しめる作品になっていた。みかこし元気でショタが良い(今作はショタではないが)。 サバゲアニメという謎の鬼門、そんな中に飛び込んでいく3つ目の作品。これまでのヘンテコサバゲアニメに比べると、今作が最もまともにサバゲをプレイしていたし、サバゲの楽しさが伝わってくるシナリオになっている。いや、ホントにこれまでの2本がおかしかっただけなのだが。まぁ、スポ根ものなんかの定石ではあるのだが、「何も知らないけどどこか突出した才能がある新人が、そのスポーツの楽しさを先輩に教えられてチームで成長していく」というフォーマットのお話である。ただ、サバゲの場合には野球やサッカーのゲームメイクと異なり、「何がどう上手くなればいいのか」がよく分からないので、あまり「競技としての成長劇」は作れない。結局作中で描かれた性能って、立花がやたらと身体能力が高いけどひたすらノーコンっていうことだけだったし、武器の性能差とか、作戦の機微とかもVSホシシロ戦でちょっとやっただけだったし。基本的には、サバゲを通じてキャラクターの人間関係を描くの主な目的。 そうしてみたときに、トイガンガンの3人の関係性はなかなか面白い。3人が3人とも積極的に個性を主張してくるし、どれもこれも「よくあるキャラ」で終わらないだけの魅力もある。まぁ、松岡だけはシナリオの展開上「なんかウジウジした奴」という残念なレッテルを貼られがちではあるのだが、別に悪人として描かれてるわけではないしな。立花の無鉄砲な性格は実に主人公向けで、色々と見当違いの悩みを抱えながらも真っ直ぐに生きているのが分かりやすいから印象は良いし、雪村のキャラも、いわゆるテンプレ的な「オタクキャラ」から逸脱して不思議な愛嬌がある。そして、そこに「立花は実は女なんですが」という今作最大の眼目が関わって面白い人間関係になるわけだ。まぁ、まとめると「雪村→松岡」が純正ホモ、「松岡→立花」が精神的ホモ、というくくりになるわけだが。その辺がホモにまとめられるのは時代の流れだからしゃーない(そうか?)。結局アニメでは作中で女性カミングアウト出来なかったけども、原作ではあの後ちゃんと打ち明けることが出来たんでしょうかね。あの直後に打ち明けてたら松岡のメンタルが色々大変なことになってたと思うけども……いや、むしろ安心するかな。「良かった、男に惚れた訳じゃないんだ」って。 大抵こういう「性別誤認」はなんだかやりきれないドロドロが付きまとうものだが、今作は立花が馬鹿なのでそういう心配もあまりない。男2,女1のセッティングながら、雪村がホモなので(??)余計な三角関係にならずに済みそうだし。そういう意味で、今後の3者の関係性も気になるので続きが見てみたい作品ではあるな。敵対するホシシロについても、最終的には「嫌な奴だけど悪人ではない」という結論に落ち着き、立花がスキルを上げて改めて直接対決になれば、案外すっきりさわやかなバトルが展開出来るかもしれない。まぁ、何にせよ「遊びなんだから気楽にやればええやんけ」の一言で終わるわけだけどねー。 というわけで、割と楽しんで観られた良い作品でしたよ。やっぱり「みかこし元気でショタが良い」だよな。今作はエンディング歌唱、挿入歌歌唱なんかで色々と活躍し、マルチな才能を披露してくれている。ホントに器用なスタンスである。あと雪村役の松岡禎丞。個人的に、あんまり松岡君に対しては面白味を感じたことはないのだが、たまにこうして飛び道具みたいな役が出てくると「やっぱり一線張ってる役者は色々持ってるもんだなぁ」と感心させられる。良いキャラでしたよ。 今回2人して連打してた魔法の中に1つくらいMagicのカードないかなー、ってずっと探してたけど見つからなかった、第12話。すげぇそれっぽい名前ばっかりなのに、絶妙にぴったり来るカード名がないな。「Wall of Bone/骨の壁」はあるけど「Wall of Skeleton」だと無い、みたいな感じで。 どうでもいい話はさておき、予想以上にガチでシャルティアさんとのタイマン勝負。てっきり操られた状態でレイプ眼のままのシャルティアと戦うものだとばっかり思っていたが、完全に意識を取り戻し、理性のある状態で巧みにモモンガ様の弱点を攻め立てるシャルティアさん。なるほど、ステゴロ最強の前評判は伊達ではない。コキュートスさんの「3:7」という見立てもあながち間違いでは無かったようだ。しかし、何でシャルティアちゃんがあんな状態になっているのかが未だによく分からないという……。ワールドアイテムが使われているのは間違いないらしいのだが、その使用者の意図が不明、さらに効果も現時点では未確定。見た感じだと「完全に思考をリセットし、敵対行為を行ったものを全力で排除する」という行動パターンをインプットする魔具のようだが……少なくともモモンガ様が知らなかったってことは、ユグドラシル時代には存在しなかったか、あまりにレアで知られていなかったかのどちらかということだよね。だとすると、この呪いは「今の世界」のオリジナルと考えるのが自然なのだが……1つ分からないのは、この道具は「この世界」においてはどういう文脈の兵器なのかということ。ゲーム世界だったら「NPCの思考パターンを狂わせて操る」で説明が付くのだが、この世界に住んでいる純然たる「人間」たちから見たら「NPC」などという概念は無い。つまり、「他人を操る絶対遵守の力」ということになる。シャルティアを倒しに来たパーティーは、そのあたりのことを全部分かった上でアイテムを使用したんだろうか。どうなることを期待していたんだろうか。謎である。 そして、敵対行動を起こしてしまったからには戦わなければいけないモモンガ様。彼はこれまで圧倒的なレベル差を利用して相手を一方的に屠ってばかりだったが、そこに至るまでにはちゃんとテストプレイを重ねる慎重さを忘れていなかった。「この世界の強者がユグドラシルのレベルでいうとどれくらい」っていうのをちゃんとチェックして、慎重に相手からのダメージをくらって、「大丈夫、死なない」って分かってからやりたい放題するようになったのだ。それもこれも全て「死なない」ため。今回本人が言っていたが、もし「死んで」しまった場合、ゲームと同じように復活出来る保証はなく、リアルの死である可能性は否定出来ない。訳の分からないうちに、そんなリスクを背負うことは出来ないのだ。しかし、今回のシャルティア戦では、心配するアルベドを置いてまで単身で乗り込み、正面からそのリスクに向き合っている。その理由は何かと自問した結果、あくまで「わがまま」であると結論づけている。ギルドのために自分が前線に身を置いているこの瞬間がたまらなく嬉しい、そして自分たちが作った創造物たるNPCたちが同士討ちしているのは絶対に見たくない。そんな「わがまま」が彼を突き動かし、シャルティアとのギリギリバトルを実現させたのである。 試合前にバフスキルを連打してるシーンは流石に笑った。あまりにもえげつない連打、呪文唱えてる日野さんが噛みそうなレベルでひたすら重ねがけ、重ねがけ。スクルトスクルトスクルト。フバーハ。もう、そこまでやったら絶対大丈夫やろ、と思ったけどもそうでもないのがシャルティアさんらしい。しっかりと自我を持ったシャルティアさん、動機は自分でもよく分かっていないという呪縛状態からでも的確にガイコツに効きそうな攻撃ばかりを連打する。どうやらモモンガ様にも秘密だった隠しスキルも多いらしく、制作者のペロロンチーノさんがかなりの実力者だったことを窺わせる。そりゃそうだよな、各人が1体ずつとかで階層守護者作ったのだったら、モモンガ様が全部知ってるって保証は無いよな。事前にアルベドさんみたいにステータス表示を全部調べておければまた違ったのかもしれないが……。結局、全貌が割れているモモンガ様は全ての攻撃をかわしきることが出来ずに虫の息。このままだと勝負は決まるが? というところで……さて、次が最終回か。 今回笑ったのは、他所から配下たちがパブリックビューイングしてたところ。デミウルゴスさんの忠誠心に対してアルベドさんが「女心」を理由に突っぱねてたあたりがなかなか可愛いなぁ、って思ったけども、何故かコキュートスさんはアルベドさんの味方するんだよね。あんななりだけど女心に理解のある人なんだろうか。そして、3人して「初手から攻めるわー」とか「HP削れるかなー」とか、完全に外野ムード。こいつら、ちゃんとHPとかMPとかいうステータスの概念まで理解してるんだよな。NPCって、本当に自分たちの存在をどういう風に認識してるんだろうなぁ。……考え始めるとそこそこ哲学の領域。 最近、配信期限ギリギリでやっと視聴してる気がするよ、第12話。なんかスケジュールが狂うというか、単にここまできちゃうと予定調和以外に無いから視聴モチベーションがあまりあがらないというか……ネット配信番組は怖いね! あ、でも前回に引き続いて作画状態は良好。アイオリア・アイオロスの濃い顔がたっぷりと描かれ、さらに2人して駆け回るシーンなんかも多かったので、兄弟ファンには嬉しい映像が多かったのではなかろうか(走り方は相変わらずだ)。ただ、最後の最後、黄金聖闘士大集合のあたりでやっぱり適当な絵も出てきたけどな。人数が増えると途端に力尽きるの勘弁して下さい。せっかくの大集合シーンだったのに画面奥でちょこっとしか映ってなかったアフロディーテさんがマジ不憫。 基本的に、ストーリーについて触れるべきことはほとんどない。何しろ(毎度のこととはいえ)サブタイトルでほぼ全部言ってしまってるし、今回は「オーディンローブをまとったアイオリアがロキを押し返すよ!」→「勝てそうだったけどギリギリでグングニルが間に合ったよ!」→「ボコボコに返り討ちにあったよ!」→「でもなんか祈ったら奇跡で復活したよ!」→「あとは黄金聖闘士勢揃いだよ!」まで全部予定調和。ちょっと面白かったところといえば、「どうせおまえらは俺が蘇らせた死人なんだから、さっさと眠れやー!」って息巻いてたロキに対して「いや、蘇らせたの私だし」とリフィアが出てきたところくらいだろうか。ロキは誰が蘇らせたかなんて分からない状態で好き放題やってたのか。蘇生術ってそういうものなんですかね。とりあえず、死人だ死人だと思っていたアイオリアは「生身の人間と同じやで」という身も蓋もない一言で元気溌剌となり、オーディンの力を受けてこれまでの鬱憤を晴らすかのようなワンサイドゲーム。でも、何故かとどめのライトニングプラズマで必ずロキを槍の方に吹き飛ばしてしまうっていう。この辺りの伝統芸なぁ。 結局、史上最強最悪の神器であるグングニルが復活(ここまでグングニルが悪く言われてるのは初めて聞いたな)。一振りでみんな消し飛ぶ。でも、祈れば大丈夫。すぐに全員復活出来るから。今週の見どころの1つとして、「突然色んな黄金聖闘士攻撃を受けるロキ」のシーンがある。エクスカリバーの斬撃をかわしたところに氷が襲い掛かり、逃げたと思ったら異次元に接続、それを切り伏せたら曼荼羅が見えるという、何というカオスフィールド。こういう形で黄金聖闘士が共闘してるシーンってのはなかなか観られないので、個性豊かな面々が好き放題やってるのは貴重なシーンである。そして、全員が颯爽と還ってきた黄金聖闘士達。「どうせご都合主義だから帰ってくることは知ってましたわ。ほんまに適当な話や」と思ったら、実は「アフロディーテは植物毒に強いから生きてたのさ! あとは彼が全員を死なないように守ってくれていたぜ!」という衝撃の展開。なんと、理由あったんだ! 単なる無駄死にじゃなかったんだ! きちんと自分の個性を活かして、アフロディーテは一番大事な場所で彼なりの戦いを演じていたという。ごめんアフロディーテ、最初に死んだから雑魚だと思ってて! あんた派手好きのくせにそんな縁の下の力持ちみたいなことも出来たんやな! 本日一番のドヤ顔頂きました。これで無事に黄金全員がきちんと見せ場を作りましたな。 さぁ、次回は12人でよってたかってロキを袋叩きにするだけです。簡単なお仕事。しかし、12人全員が「肉体を持って蘇った」とすると、歴史的に随分大変な事態になりますが……改めて全員でハーデス倒しに行く? 見てきました、ここさけ。なるべく早く見ようとは思ってたんだけど、流石に封切り直後は混むやろ、ってんでシルバーウィークは外すようにして。平日だろうがなんだろうが観に行ける人間の特権やな。なるべく早く観たいと思っていた理由は当然、これが長井龍雪作品だから。世間的には「あの花のスタッフ」って言われてるけど、きちんと「長井龍雪の新作」って言えばいいのに、って思う。まぁ、「あの花のスタッフ」には「岡田麿里の新作」っていう意味も込められてるのかもしれないけども。
(一応、ネタバレ注意? まぁ、ネタとかあんまり無いけど、以下は視聴した人間を前提に文章を書きます)
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声優のこと全般
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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