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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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「美男高校地球防衛部LOVE!」 5→4

 思ったほど面白くはなかったな! いや、そもそも何を思っていたのかも定かじゃないのだが。最近は魔法少女ものもキワモノ系が突き抜けちゃってるから、ちょっとやそっとのネタ作品じゃ動きにくくなってますなぁ。

 基本的にはいつも通りの高松信司作品。パロディ要素多めにして、本当にしょうもない笑いをメタレベル高めでお送りする。今回はその土台として選ばれたのが「そっち層向けの野郎だらけの世界」であり、遠慮ない┌(┌ ^o^)┐ 要素が随所にちりばめられてネタに文字通り絡んでいく。ただ、基本的に全キャラテンションがギャグなのだから、恋愛感情なんかも際だつ部分は特に無く、「そういう要素」もネタの一部分でしかない。だって、メインの連中の友情物語なんかよりも俵山先生の容態の方がよっぽど気になってしょうがないんだもの。老人の腐乱死体を引きずり回して笑ってられる作品って、すげぇ怖いわ。麦さんがCVやってくれてなかったら単なるホラーに成り下がっていた可能性も。

 そう、結局私の中でこのアニメは「おっさん成分満喫アニメ」であった。麦さんだけでも割と楽しいテンションだったのに、ラストでは敵側のボスとして大竹宏まで登場し、ジジイ対決花盛り。戦隊シリーズでいえば現戦隊ニンニンジャーのボスキャラ牙鬼幻月VSボーゾック総長ガイナモさんの戦いである。……うわぁ、ガイナモさんが勝てる気しねぇわ。その他にも征服部側は神谷兄ぃが相変わらず万死に値したり、世にも珍しいバリトンボイスのハリネズミが活躍したりと、なんだか愉快成分多めだった。他方の防衛部側は、基本が┌(┌ ^o^)┐ 要素であり、更に主役の有基がすこぶるウザいキャラなのであんまり親しみは湧かなかった。まぁ、主人公パーティーがなんかイラッとくるってのも高松作品の王道ではあるのだが。結局毎週「なんかこいつら腹立つわー」と思いながら、「今週のゲスト声優誰かなー」とぼんやり眺める程度の作品でしたとさ。ちなみに過労でぶっ壊れるんじゃないかと思っていたディオメディア製作であったが、今作は(元々そこまで作画に力入ってねぇけど)特にボロボロだった印象もなく、つつがなく終わりました。いっそこれでヤシガニってた方がネタ要素強くて良かった可能性も……いや、ないな。

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「冴えない彼女の育てかた」 4→6

 新番チェック時との点数の差が何故発生したかを顧みるに、一番大きな原因は「1話目を何故あの形にしたし」ということだろう。頭空っぽのエロハーレム作品だと思って1話目で見切りをつけた視聴者も0とは言えないだろう。かくいう私も「またこっち系か……」と思ってうんざりして「亀井幹太の無駄遣いはやめて欲しいなぁ」と思っていたわけで、なんだか随分勿体ない1話目(正式には0話目だったらしいが)であった。まぁポジティブに考えれば、そこからは大きく持ち直した(というか仕切り直した)ことによって印象がだいぶ良くなったおかげで、その温度差を楽しめたとも言える訳だけど。

 本作を見ていて感心したのは、「テンプレハーレムものとは言っても、ちょっと視点を変えるだけでも随分新鮮な印象になるものだな」ということ。まぁ、見る人によっては「別に変わらんやんけ」っていう程度の差なのかもしれないのだが、個人的にはかなり「異質な」作品に見えた。具体的に一番の特徴は、タイトルにも表れている「冴えないヒロイン」こと加藤恵の存在であろう。いわゆる「眼鏡はずしたら超美人」デザインともどっか違うし、主人公との関わり方も独特のスタイル。分類としては素直クールに近いのだろうが、的確に吐いてくれる毒舌(正論)が良いアクセントになっており、彼女との対話だけでもこの作品「ならでは」が楽しめる。そして、普通に考えたらこんな素っ気なくてやる気もないヒロインはなかなかそこに魅力を見出しにくいし、主人公とのつながりも出来るわけがないので滑り台どころか完全フェードアウトしてしまうのが自然の摂理となるはずなのだが、女神のような恵さんは、するっと自然に主人公パーティーに合流し、いつの間にやらまわりの英梨々や詩羽先輩の心の隙間に潜り込んでいる。「気付いたらそこにいる」系ヒロインという、新しいジャンルの始まりである。そしてそんな彼女がずっと倫也に対して無関心を貫くかと思えば、都合のいいことにちゃんと嫉妬心を抱いたりしてくれるのである。この加藤のポジションを作り上げただけでも、今作は「楽しみ」を増やしている。

 そして、そんな加藤の異質さとは対極的に、振り切った関係性を徹底的にご都合主義に、テンプレ要素で固めまくったのが、残りのヒロイン勢である。ラノベお約束のチョロさ130%増し、最初から好感度振り切れてる状態でのツンデレラッシュは、駄目だと分かっていても過剰摂取したくなるだけのこってり風味に仕上がっている。この辺りの描写で「もう食い飽きたわー」と思わせて終わるのか、「嗚呼! 身体に悪いとは分かっているけどやめられない止まらない!」となってしまうのかは、脚本構成の手腕よりも、アニメスタッフの映像構築の出来不出来にかかっているのではなかろうか。0話目では「なんか亀井スタイルには合わないデザインやなぁ」と思っていた主線強めのキャラ達も、あけすけなデレを前提として可愛さ半分、エロ半分の展開に非常にマッチしている。英梨々はテンプレツンデレとしての魅力を最大限に発揮しながらも、後半は「好きすぎてオーバーヒートする機械」として活躍してくれたし、詩羽先輩に至っては伝説のお当番回で圧倒的エロスを見せつけて以降はガハラさんすら上回るあけすけ下ネタクイーンとして恥も外聞も無しにセックスアピールを見せつけてくれた。美智留は僅か2話程度の活躍だったのでそこまでのアピールはないが、彼女のあまりに悲惨すぎるミュージシャン人生の罠は、それだけで割と笑えるお話になっていた。今作でこうした阿漕過ぎるヒロイン配置が上手く行ったことに、主人公の倫也は何一つ貢献していない。今作で一番の不満をあげるとしたら、(これまたラノベアニメではよくあることだが)「何でこの主人公にこんないい女たちが惚れる道理があんねん」という動機付けの部分だろう。そこはもう「そういう世界」と割り切るしかない。そして、普通はそこを割り切ることが出来ないからこそ「しょうもないラノベやで」という結論になるわけだが、今作で魅力的なのは、どっちかというと振り切れヒロインたちの相互関係、つまり女性同士の人間関係の方だったと思う。一番よく絡むエリリ・詩羽間の腹の探り合いも笑えるし、そこに独自のスパイスである加藤が混ざった時の相乗効果が実に刺激に富んでいる。美智留が登場した後は流石にマンネリ化するやろ、と思うところだが、その辺では既に英梨々と詩羽が雌奴隷化しているので、もう別なステージとして楽しむことが出来るのである。うぅむ、こういうヤリ逃げみたいな話作りもあるもんなんやな……これ、そのまんまエロ漫画原作に移行させようよ。あ、キャストはそのままで。

 というわけで、適当に批判しつつも「俺もラノベ文化ってのに着実に毒されているし、全く読まないから耐性が出来てないな……」ということを身に染みて感じさせる作品でありました。ノイタミナ枠ということで制作体勢に恵まれていたことが大きなプラスになっていたことは間違いないけどね。カワイイは正義だし、やっぱり亀井監督は女の子を可愛くするのが上手いのだろう。七々々ちゃんだって可愛かったことは可愛かったからね。そして、そんなヒロイン勢を盛り立てた見事なキャスト陣の仕事ぶりは大いに評価出来る部分。安野希世乃・大西沙織という若手2人の仕事の的確さ。特に難しかったであろう恵の配役を(阿漕っちゃ阿漕だが)美味しくこなしてくれた安野は着実にメインヒロインポイントを稼ぎにきている。あとはかやのんのエロキャラでご飯三杯、歌キャスという意外な仕事で良いビッチ感を醸し出す矢作パイセン。数少ないキャストながらも的確でした。ノイタミナよ、永遠なれ(無くなるわけじゃないけども)。

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「ガンダム Gのレコンギスタ」 6→6

 すげぇアニメだったな。何がすげぇって……いや、すげぇすげぇんだよ。分からないだとぅ? 俺にも分からん。

 ぶっちゃけ、シナリオについては3割も把握してない。「富野アニメなんだから流し見、流し聞きしちゃ駄目なんだ」ってのは重々承知していたつもりなのだが、どうしてもこのアニメ過多のご時世、ふと気が緩んで考えることを疎ましく思ってしまうこともある。するとどうだろう、一瞬のうちにGレコワールドは我々を置いて行ってしまう。このキャラクターたち、あまりにも生き急ぎすぎてる。普段の富野流の詰め込みももちろんあるのだろうが、今作は2クール作品ということで尺が短すぎたという側面はどうしてもあるのだろう。とにかく「要点」ばかりを詰め込んだ展開は、ついて行くのも大変だし、たとえ目を見開いて見ていても「はぁ?」ってな展開もあったことだろう。そこについては、「ちょっとキャラが共感出来ないッスよ〜」と文句を言ってしまっても良い部分だとは思う。ただ、あの爺さんは文句を言ったら軽々とこう返してくるだろう。「共感なんかするな、気持ち悪い」と。

 我々ユーザーが共感できるかどうかはさしたる問題ではない。理解が及ばないのはちょっと問題ではあるが、今回の物語において、制作側は「ドラマ作り」にそこまで重きを置いていない気がする。若かりし富野であれば戦争や生命、恋愛や愛憎についての何らかのメッセージを込めて送ってきた部分もあるのかもしれないが、今作はそうした「伝えること」が主体ではなく、誤解を恐れずに言ってしまえば「俺の知ってるアニメってのはこれなんだ」というおじいちゃんの昔語りになっている気がするんだ。アニメってのは元来子供が見る娯楽であって、そこに「楽しむためのお話」を突っ込むことはあっても、みんなであれこれ議論してもらおうなんてことは考えてない。古くからのアニメユーザー、クリエイターってのは大なり小なりそういうもので、たとえば庵野なんかも「俺が楽しいからやってるんだよ」を地でいくクリエイターだろう。今回の富野作品も、「俺がやりたいこと」を精一杯ぶっ込んで、「愉快なガンダム」を作ろうとしているように見える。

 そして、実際に愉快である。最終回に象徴されるように、何故ロボットアニメが日本のアニメ文化で一大勢力になっているかといえば、そりゃやっぱり「ロボが戦うと格好良いし楽しいから」である。見てるだけで楽しいじゃない。ガンガンぶつかる機械のボディ、理不尽に壊されていき、強さも信念も関係無い圧倒的な暴力と、破壊のおかしさ。ラストのニックのクレッセントシップひき逃げアタックなんて理不尽以外の何物でもないけど、そりゃニックがやりたいからそうしただけなのだ。主義主張じゃない、単なる感情である。富野作品のキャラは元々そういうもんだとは思うが、本作では特に、みんながみんな自分の言いたいことを叫ぶだけ叫んで相手を殴りにいく。モビルスーツの中にいる者同士で会話が遠いのが原因かもしれないが、とにかく独り言を叫び、そこに感情を込めながら、ひたすら相手を殴る。ベルリは本作では「とにかく平和が好き」というスタンスだが、そんなベルリだって「暴力なんて大っ嫌いだ! 暴力をふるうようなやつは俺がぶん殴る!」になってるわけで、他の荒くれ者連中は言わずもがなである。こうして各々が好き放題やりながら盛り上げ、殴り合い、散っていくという、あまりにも無責任で勝手な世界なのだが、それが蚊帳の外から見ている視聴者には可笑しくてしょうがない。だって楽しいじゃない。他人の喧嘩って。そしてそれが独特すぎる富野節、そして想像の斜め上を行くけったいな戦闘シーンで描かれるのだ。もう、それが毎週流れていただけでも奇跡的だよ。最近のサンライズのロボットアニメの不満点の1つに、「ロボ戦闘が良いって言う割に、1回その技術を見せると、あとは毎週同じようなことを繰り返すだけ」ってのがある。比較対象としておかしいかもしれないが、「クロスアンジュ」なんてメカ戦闘が本当に適当な添え物扱いだし、「ヴァルヴレイヴ」なんかも戦闘が楽しかったっていう記憶は無い。それに比べて、このGレコの戦闘シーンのなんと愉快なことか。無茶兵器歓迎、無茶展開歓迎ですよ。同時期にビルドファイターズで3体合体とかの無茶苦茶やってるのに、それすら鼻で笑って飛び越える雲の上の無茶。やっぱりガンダムってのは、富野の産んだ子供なのである。

 あー、馬鹿馬鹿しかった。これ、お話を理解しながらきっちり見ていったらもう1回楽しめるのは間違いないだろう。個人的に終盤はひたすら「マニィ死ぬな! マニィ死なないで! あ〜! 死ぬ〜! これ死ぬ〜!」って叫んでただけなので、その回りの記憶があんまりないんだわ。20年前の富野だったら確実に殺してただろうな、ってクェスが言ってる。

 中の人については……諏訪部が多すぎる。なんで富野その辺面倒になったんだよ。あんだけキャスト多かったのに、諏訪部声だけで4人いるってどういうことやねん。個人的に、やっぱり中原・小清水ラインってのはモビルスーツに乗る声なのかな、ってのはしみじみ思うね。一番好きだった女性キャラはバララだと思う。マニィも捨てがたいけども。

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「幸腹グラフィティ」 5→5

 サトリナの手料理が食べたいです(新番チェックのときと同じ感想)。うん、まぁ、特に何も無い作品だったよ。「そこに何も無いがあるんだよ」という哲学を感じてみよう。

 元々のスタート時点では、「シャフトが変な方向に気合い入れてるから楽しみやね」という切り出し方であった。そりゃま、「女の子が飯食うだけだよ」というのは事前に知らされていたわけで、超絶スペックのロボットアクションも、技巧に満ちたハイセンスな情景描写も、特に求められる作品ではない。「おいしいものをおいしそうに」ということのみを追求し、わざわざ「メシ作監」の専門部署まで用意して挑んだ作品なのだ。「夜中に飯テロやめろや」と言われればそれで御の字である。そうした一点豪華主義の方向性が成功していたかどうかと問われれば、まー、65点で「可」くらいじゃなかろうか。確かに気合いは入っていた。食べ物の見映えが他のアニメとは一段階違っていたのは事実だろう。ただ、それが「美味しそうか」と言われると……そうでもなかったかな? なんか色味がどうにもね、しかも扱ってる食材がコンビニのおでんだったり流しそうめんだったりするじゃない。別にそこまで引かれないんだよ。キャラクターたちの食べ方にも色気や食い気がほとばしるかと思われたが、こちらもまぁ、そこまで独特の持ち味にはならず。個人的にはチープさでいうとピザが美味しそうだったかな……単にゆかちの勢いに負けただけかもしれんが。結局、「この作品ならでは」という頑張りは正直あんまり私の胸には響かず、「シャフト演出で女の子がのんびりまったりいちゃいちゃしてるのを見てるだけでもそれなりだよね」という、別次元のひだまりみたいな楽しみ方に終始したのであった。

 別にそれが悪いこっちゃないと思う。「ひだまり」好きだし、あのジャンル開拓の一環として、シャフトに新しい銃弾が補充されたと思えば期待も持てる。まだまだ原作ストックが足りてないのかもしれないが、このまま2期3期とやられても特に文句は無く、リョウときりんがいつも通りにいちゃいちゃしてくれるのであれば、毎回見続けることに不満は無い。昨今の殺伐としたアニメ業界、優しい世界も必要なのです。そのためのサトリナだろ。そのための亀ちゃんだろ。「余計なことを考えずに飯を食えば人類皆幸せ」というとても大切な原理を教えてくれるアニメなのです。

 で、それだけだとやや点数さげ目でもいいかな、とか思ったくらいの印象度だったのだが、本作の最大の功績は、アニメの中にはない。誠に勝手な判断基準で申し訳ないが、番宣実写番組「ムネやけ」が良すぎたのである。そりゃね、サトリナが顔出しでしゃべってはしゃいで突っ込んでるだけでも充分楽しいのだが、この3人の組み合わせは実によろしい。亀ちゃんのいつも通りの暴走に加え、みかこしの「できる風なのに全く出来ない」というこのポンコツトリオ。「食い物で遊ぶな」とお叱りを受けそうなくらいに、しっちゃかめっちゃかで本当に微笑ましい。彦麻呂来訪の時の神がかった展開なんかも、アニメの番宣とは思えないクオリティで恐ろしいばかりであった。僕はあのみかこしの泣きそうなキメ顔だけでもしばらく生きていける気がします。あ、あと中毒性の塊である次回予告テーマ「しあわせグラフィティ」も忘れちゃ行けない。次回予告の映像自体がとても可愛らしくて良かったが、やっぱりあのヘンテコな歌があってこそ。フルで聞くと存外にレトロな雰囲気の昭和歌謡なのがまた愉快である。こういうよく分からないこだわりがいくつも積み重なってこそ、シャフト作品は完成をみるのであった。2期やってもいいのよ。タベルー、ツクルー、ふたりドゥビドゥバ。

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「新妹魔王の契約者」 3→4

 続編おめでとうございますぅ。意外や意外、今期の「区別がつかないラノベラッシュ」の中から、ちょっとだけ持ち直してきたのがこの作品だった。いや、先に断っとくと「面白かった?」って聞かれたら「いや、別に」って答えると思うんだけど、多分1話目の印象が悪すぎたおかげで、思い切りハードルが下がったからなんだろうな。

 作画のひどさについては、1話目が逆ピークだったという何とも不思議な状況。全編通じて「こいつぁ綺麗だ!」ってびっくりするような作画面ってのがあるわけではないのだが、2話目以降は平均値まで持ち直し、そのまま大きく崩れることなくクリア出来た。「俺ツイ」でボロボロになっていたプロダクションアイムズであるが、今回はなんとか制作体勢を維持出来たようだ。今作の最大の売りは「エロ」である。いや、もうそんなアニメは叩いて捻って蹴散らしたいほどにあふれているのだけれども、今期並んだ他のラノベアニメとの相違は、開き直りエロの正当化。何しろメインヒロインの従者にサキュバスがいるのだから、エロくなるのはしょうがない。エロい契約をして、エロを中心に人間関係を作っているのだし、積極的にエロいことをしようと思っているキャラが中心で活動しているのだから、それはちゃんとストーリーに関わってくる良いエロだ。描写も割と本気だったし、「ハイスクールD×D」とか「聖痕のクェイサー」みたいに「馬鹿エロチャレンジ」作品としては一定以上のクオリティを保っていただろう。惜しむらくはAT−Xですら本当に無粋な修正が入りまくったことであるが、分かりやすい「円盤買えばいいじゃない」作品なので諦めもつく。こうしてきちんとアニメのジャンルが二分され、無用なエロはさっさと取り除き、エロ専門アニメが頑張ってエロい画を作ればそれで良いのだと思う。

 シナリオラインについては「ふつーのラノベ」なので取り立てていじるポイントもないが、万理亜のキャラはそれなりに立っていたかな。ちゃんとシリアスに絡んでそれなりの設定もあったし、最初の契約部分さえクリアしてしまえば、メインとなる刃更・澪の関係も無理矢理って感じではない。魔王設定、勇者設定はあんまり活かされてた感じはないので、もっとあっさりした舞台でやれていれば余計な匂いもつかず、先入観も取っ払えたのでベターだった気もするんだけど。まぁ、これは後考えではあるな。やろうとしてることは潔いのだから、これで他作品との差をアピール出来る個性があればなぁ。

 中の人については、「中村と杉田が楽しそうにしてるからそれでいいんじゃね?」というので大体片付く。最初に杉田が仮面つけて出てきた時は流石に笑ったわ。「中村さん、それ確実に突っ込み待ちなんだからはよ突っ込めよ」ってずっと思ってた。そして万理亜役の福原香織が今作のキーパーソンかな。かおりん最近だいぶ落ち着いてきたけど、こういうちゃかちゃかした役はやっぱりしっくり来るわね。主演の朝井彩加は無難な仕事ぶりなので、まだ何とも言えない。プロダクションエース組は、いつもお疲れ様です。

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 前回との温度差、第10話。まぁ、今回もシナリオ的には大事な1話ではあるのだが。おばあちゃんのおかげで終始ゆったりまったりね。今回コンテが笹木信作氏なのね。

 物語もいよいよ締めに向かっている。今作最大の焦点となるのは瀬戸ちゃん改め智幸ちゃんの行く末である。彼女が「全ての記憶を失った死者」であったことは既に語られていたが、それがクイーンデキムに居座っているのは自然の摂理に反すること。「死者の魂が長居すると人形になってしまう」とのことで、智幸の身体もそろそろ限界が近いようである。あれ、それってつまり「モウタベラレナイヨ〜」なマユちゃんもそのうち壊れ始めるってことで……うん、まぁ彼女の場合はなんでギンティんとこに居座ってるかさっぱり分からないからな。意外とホームステイ感覚で滞在できるもんなんですかね。デキムとかギンティなんて超人的な能力を持ち合わせてるんだから、ギンティは邪魔だと思うならさっさとマユちゃんをエレベーター送りにできるとおもうのだが、それでも放っておいてるってことは、案外あの野郎もマユちゃんのこと気に入ってるのかもしれません。意外と気さくな裁定施設である。

 さておき、前回の辰巳・島田騒動は智幸の心を揺さぶり、その揺さぶりはノーナの狙い通りにデキムへと派生。あまりに凄惨な結末だったために、流石の鉄面皮デキムも自分の仕事に自信を無くしてしまった(まぁ、ああ見えてデキムって案外神経細いんだけども)。ノーナさんのところに相談、というか直談判に行き、「もう今の裁定システムやめません?」と提案する。もちろん管理職にあるノーナさんはしれっとそんな部下を追い払ってはいるものの、狙い通りにことが進んで内心ほくそ笑んでいる。続けて、クイーンのところに手土産持参で出張し、わざわざ智幸の記憶を全発掘・再構成する仕事を依頼した。どうやら、智幸はデキムの信条を揺さぶるお仕事をこなすのと同時に、彼女自身の人生においても、デキムを揺さぶることになる何らかの仕掛けが隠されているようだ。でもなぁ、おっかないおっちゃんに目ぇつけられちゃったからなぁ。オクルスさんの髪だか髭だか触手だかよく分かんない謎の器官により、エレベーター係の彼からノーナの企みはすっかりばれてしまった。「裁定者に人間の感情を植え付ける」というノーナ流イノベーションはここでオクルスに潰されてしまうのだろうか。大前提になる裁定者三箇条の「感情を持てない」にばっちり反してるからなぁ……。いや、でもノーナさんも含めて裁定者もみんな感情豊かなんだけどね……オクルスがどの程度「良くないこと」と認識しているのかが現時点ではよく分からないな。

 今回のゲームはババ抜き。おばあちゃんがやってきたのでそれにかこつけてなのかどうかはよく分からない。デキムの口ぶりからすると、ルーレットで決めると言っても今までの裁定は全部事前に競技種目は決まってたみたいだが、今回は誰か別な人間の意志(まぁ、ノーナ)が介在したのか、それとも本当にランダムだったのか。考えてみりゃ、死者の裁定なんてものは普通は老人を大量に扱わなきゃいけない部門なわけで、毎回ランダムでボーリングだのエアホッケーだのが出てたら、全国の死んでしまったおじいちゃんおばあちゃんが大変だよな。アーケードゲームなんて論外だし。そう考えると、ババ抜きはおばあちゃんに優しいナイスゲームだ。そして、そんなババ抜きの特殊ルールも、おばあちゃんに合わせて安心設計。これまでの流れから考えると「トランプの絵柄が各自の身体の部位になってます」になるかと思っていたのだが、なんと今回は思い出博物館である。漫画家をやっていたというおばあちゃんのレトロな絵柄がなかなかにハートフル。今回は初の3人プレイということで、どさくさに紛れて絵柄の中にデキムに関する品々も混ざっているのはどうかと思うけども。

 そして当然、そこには智幸に関する品物も混ざっていたのだろう。我々視聴者からは智幸関係とお婆ちゃん関係を見分ける方法が無いのでどれがどれだかは分からないが、ジョーカーに描かれたスケート靴だけは、間違いなく彼女ゆかりの品だろう。おばあちゃんは「ジョーカーは最後まで持っておくもの」との遺言を残していったわけだが、あのカードに描かれたスケート靴は、おそらく智幸の死の原因にも関わってくるのだろうし、今後デキムがノーナさんの企みに関わった事で突き上げをくらったときにも、ひょっとしたら何か重要な役割を果たすことになるのかもしれない。……スケートと「死の記憶」が繋がるっていうと……あかん、なんかひでぇ現場しかイメージ出来ないわ。その他に智幸の人生の手がかりとなるのは、チャボットという絵本のお話。優しそうなお母さん(CV伊藤美紀)に読み聞かせてもらっている幼い日の智幸ちゃん。そこにはとても幸せそうな家族の姿が映っており、こんな輪廻の狭間でくすぶるような女性には見えてこないのだが……あ、でも彼女の格好が無駄にエロ格好良いのは気になるな。あの姿は彼女の生前の何かに由来してるんでしょうか。それとも単にデキムの人形の趣味なんでしょうか。だとしたらデキムさんグッジョブであるが。

 真相に迫りながらも大事な部分には触れないエピソードだったので今回はそこまで盛り上がるという話でもないのだが、これまで散々酷かったりおかしかったりする「死」の姿を見せられてきたので、こうして普通の「往生」が見られると、「本来死ぬってのはこういうことなんだろうなぁ」ということを考えさせられる。もしデキムが今まで通りの裁定方法を維持し続けていたら、あのおばあちゃんにもなんか悪逆非道なゲームをやらせて、のたうち回る姿を見なきゃいけなかったんだよな。そりゃあかんわ。デキムは今回の一件ではっきりと決意を定めたみたいだ。ただ、そんなデキムと対極にいるギンティのいうことも真理だとは思うんだよなぁ。「人間は死ぬことを忘れていて、死んだ途端に生きる意味を探し始める。だが生きる意味なんか無い。いつか死ぬから生きるだけだ」。むー、そう言われればそうなんだけどなぁ。やっぱり、生きるために生きたいよなぁ(無駄に生きる日々を貪りながら)。

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「艦隊これくしょん -艦これ-」 4→3

 結局初見で持った印象が良くも悪くも、いや、悪くも悪くも最後まで続いただけの作品である。先に断っておくなら、「まぁ、原作ファンは楽しかったのかもしれないね」の一言に尽きる。

 今作の売りはいったい何だったのだろうか。CGでもって女の子を海面滑走させる戦闘シーンなのか、それともいちゃこらする女の子を愛でることなのか、ヘンテコ女の子キャラが格安大量販売されたハーレム状態を楽しむことだったのか。おそらく原作ファンからしたらその全てがYESになるのだと思われるが、何も分からない状態から入った新規視聴者層にはことごとくポカーン状態である。ぶっちゃけ私が理解しようという努力を怠った部分はあるのだが、その努力する気力を起こさせなかったのは、アニメ製作スタッフ側の責任だと思っている。

 努力を妨げた最大の要因は、何と言っても世界観がさっぱり分からなかったことにある。新番チェックの私の文言を抜粋すると「彼女たちは人なのだろうか。これまでの人生は、そのへんの女の子と同じように蝶よ花よと育てられた普通の女の子なのか? それとも、生まれながらに戦うことを宿命づけられた忌まわしい機械の申し子なのか。その辺の設定が分からない」という文句があるのだが、これ、最後の最後まで何一つ解決されてないんですよ。結局何となく艦むす学院(仮)があって、そこにはず〜〜っと外の世界を知らずに待機してきた大和がいたりする。艦むすたちは、まるで史実に引っ張られるように轟沈したり、出撃したりすることに恐怖を感じていたが、「史実」ってあの世界で何なのかが分からない。提督という存在が最後まで明らかにされず、誰がどのような目的で彼女達を突き動かしているのかが分からず、対するヘンテコ化け物娘たちも戦う理由など分かるわけがない。ないない尽くしで、各方面から「理解しよう」という気持ちを挫いてくる設定である。目的も何も無い「戦争の残骸」に、何のドラマがあるというのか。

 結局、「既にある理解」を前提とした物語は初見組には敷居が高い。「原作さえ知っていれば」というアニメはいつの時代もあるもので、私なんかは「ダンガンロンパ」を見ていて「原作ファンには割と面白いけど知らん人はどうなんだろう」とハラハラしていたものだが、今作の場合、「ロンパ」のように尺の関係で説明不足になっているわけではないし、いくらでも新規の客層に訴えかける作品作りは出来たはずなのだ。それをせずに、「出来上がった世界」が前提のお話を進められてしまっては、そりゃ私のような新規組はリタイアするしかない。「作品が悪かった」のでないならば、「相手が悪かった」のである。

 そして、これまた新番チェックで既に懸念していたことではあるが、結局地獄の多重キャストの効果はデメリットとなってしまっていた。「こんなにたくさんの演じ分けが!」と楽しんで観ることももちろんできたと思うのだが、その前提条件として、演じ分けられたキャラがそれぞれ「違う」ことを理解しなければならない。担当した声優はそれぞれ優れたスキルを持っており、「違うキャラだ」と思えば充分それが伝わったのだろうが。残念ながら私の脳内にはまだ「違うキャラ」がストックされていない状態なのだ。そんな状態では、巷でいうところの「駄目絶対音感」というやつは足枷にしかならず、根底に流れる「同じ声」ばかりを聞き取り、識別がどんどん困難になっていく。頑張って覚えようとしても「高いあやねる」と「低いあやねる」になるくらいが精一杯だし、島風と那珂は「浮かれたあやねる」だ。何故識別まで至らないかといえば、殆どのキャラはそこまで根本的に物語に絡んでこないので、識別する必要性が無いためだ。それなら余計なキャラを増やさずにもっと絞って話作りをすればいいのに、と思うのだが、まぁ、それが出来ないのは原作ファン向けの都合なのだろう。本当にどうしようもないのだ。そして、1キャラに割かれる時間が少ないということは、どんどん描写が形骸化することにも繋がる。私が認識出来た唯一といって良いキャラが百合バウムコンビ(大井・北上)なのだが、あの2人は(というか大井は)本当に「出てきてレズを叫ぶ機械」である。その裏に愛情もなければ情念もない。そんな百合は無理矢理押し込まなくてもいいじゃない。そこにかける時間を、もっとメインキャラに注いであげればよかったじゃない。それが出来ずにどんどん拡散していったのが、今作が「つまらなく」なった最大の原因なのじゃなかろうか。こうして見ると、キャラの絞り方、お話の作り方は「ガールフレンド(仮)」がよっぽど穏当で良かった気がする。

 以上が、大まかにまとめると「俺に分からないからおもんない」という結論です。まぁ、余計なゲームやらずにすむからいいんだけどね……。あ、でも曲は良かったよ。特にOPの海色はAKINO史上でもかなり上位のヒット曲だと思う。

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 語る言葉が見あたらない、第11話。なんかもうね、最終的に出てくるのは「綺麗だなぁ」っていうすごくアホみたいな言葉になってしまう。本当に色んなところで見映えが良くて、端正で、それがつまり「綺麗」。ギブミー表現力。

 今回がラス前ってことで、これまでモザイクのように組み上げられてきた全ての要素がどんどん透けて、見通しが良くなっていく。もうここまで来れば意外なことはほとんど無く、収まるべきところに収まっていく。そして、それが全て「今まで見てきた景色」に色をつけていくおかげで、単なる説明以上のカタルシスになる。わずか12話のお話で展開されるイクニ作品なんてどうなってしまうんやと冷や冷やしていたが、この尺だからこそ組み上がる絵っていうのもあるものでね。正直、濃厚なイクニファンにとってはこういう「端正さ」っていうのがどう映っているのかは気になるところなんだけど、私みたいに必死に1クールを追いかけている人間からすると、非常に助かるし、「こんな形もできるもんやなぁ」と感心し通しである。

 シナリオラインとして今回付加された「カイソウ」は銀子の「あの日の真実」。「ともだちの扉」を開けて出会った銀子と紅羽は、あの雪原で単に「銀子が救われた」だけではなかった。気付けば幼い紅羽は銀子を背負って歩くこともままならなくなっており、結局どっちがどっちを助けたのか分からないような状態に。あんな窮地だったからこそ生まれたのが「本当の好き」なのだろうし、その状況を知っていたからこそ澪愛も2人の間に本当の好きを見出すことが出来たのだろう。しかし、そんな2人の間にもやはり透明な嵐が吹き荒れる。今更になって、最初の最初に疑問に思ったこの作品タイトルの意味がはっきりと分かる。「ユリと熊が出会って嵐が起こる」。なるほど、まさに今回展開されていた回想シーンの通りである。銀子が雪原に倒れた「熊の社会」に、まず「排除」があった。「足手まといは排除しましょう」「排除だ」「排除だ」、そう言われて銀子は死を覚悟した。そして救われて移り住んだヒトの世界、今度は救ってくれた友人が自分のせいで排除される。足手まといでもなく、群れになんの危害も加えていないはずの紅羽が、「銀子が熊である」という理由だけで嵐を引き起こし、排除されてしまう。

 この「排除」のシーンも非常に刺激的な画面になっており、文字通りに「突き上げをくらった」紅羽は、一体何をされたものなのか、ボロボロの状態で地面に横たわることになる。これ以上無い形で自己承認を否定された銀子は、熊にも排除され、ヒトにも排除されたという事実をどんな気持ちで見ていたのだろうか。はっきりと異なっているのは、ヒトと熊は排除に全く別な意味を持たせているということだろう。熊の排除は「名付けの排除」。クマカロンたちによって「ヒトリカブト」と名付けられた銀子は、個として認識されながらも「足手まといになった」ために排除された、翻って、ヒトの世界では排除を行う個人の顔さえろくに見えない状態。透明な嵐によって突き上げられた紅羽は、顔の見えない力によって名を奪われる。彼女はあくまで「悪」でしかないのである。こうして苦汁をなめさせられた幼い銀子は、「自分がヒトであれば、透明にならずに済むものを」というシンプルな気持ちから断絶のコートに初めて立つことに。いつも通りの承認を経て、彼女は一度「好き」を手放す。ここで分かる新しい事実は、澪愛が彼女のペンダントを銀子に与えた理由だろうか。以前のエピソードでは「ユリーカとの大事な思い出をそんなに簡単に手放すのは何故?」と疑問に思ったものだが、澪愛から見れば、紅羽は何らかの外的理由で銀子との記憶を消されるという異常事態に陥っていたわけだ。このような異例の事態を打開するために、彼女は自分の「好き」の象徴である、2人を繋ぐ鍵を銀子に託すことで、娘たちの幸せを願ったのであろう。

 こうして熊の世界に戻った銀子だったが、既に扉を隔てた向こうの世界を経験した彼女は異物にしかならず、もとより入れるはずもなかった熊の世界から追い出され、ひたすらクマリア様からの神託を待つ。その途中でるるとの運命の出会いを果たし、彼女は「本当の好きを求める」傍らで、るるから無償の「好き」を受け取り続けていたという。これまで中心的だった「銀子と紅羽」の物語に、改めて「銀子とるる」の物語が浮き上がってくる。銀子はるるに対し、はっきりと「最初から本当の友達だった」と断言している。言い換えれば、既にるるとの間に「本当の好き」が存在していたということでもある。思えば何とも数奇なもので、るるはかつてみるんという最愛の弟から「無償の好き」を提供され続けたにも関わらず、結局それを受け入れることが出来なかった。そんなるるが今度は銀子に向けて無償の「好き」を提供し続けるものの、現状ではまだそれは形を成さない。更に銀子は紅羽に向けて全身全霊をかけて「好き」を訴えているのである。この一方向性はどうにも揺るがない。「るるは本当の友達だった」と銀子が述懐した直後にアイキャッチが入るわけだが、彼女達の持つその「好き」の一方向性は、「愛の弾丸(LOVE BULLET)」として形容されるものである。

 現在の銀子は、「欲望」であると語る自己に内在する感情、百合園蜜子によって走り続けている状態だった。何度も挫けた彼女の人生、あまりの苦境に挫けそうになり、いつの間にやら「好き」が理をこえ情をこえ、本能にまで行き着いた。狩るものと狩られるもの、熊とヒトとの戦いはここに極まり、熊は嵐と戦い続けるが、嵐とヒトも激しくぶつかる。既に「嵐」の頂点へと達した大木蝶子。今回彼女はあまりにもはっきりと彼女たちの真実を語っている。「この世界に神様なんていない。透明な空気だけが世界を支配する」。結局「嵐」とはそういうものなのか。上も下もなく、支配といえばそれは「空気」なのだと。個が失われ、世界が透明になることこそが、ヒトの生きる世界なのだと。絵本を破り捨て、神の存在、好きの存在を真正面から否定する蝶子。前回までは殺熊光線のためにサイボーグ熊を使っていたわけだが、今回ついにサイボーグ熊のこのみさんも力尽き、ヒトはヒトの力のみ、その猟銃で決戦に挑む。

 対抗する熊は何を持って勝負するか。百合園蜜子は「欲望」を振りかざす熊の化身であったが、最終決戦の地へ向かう銀子は、「本当の好き」に辿り付くために、そんな蜜子を振り払い、道を違えた。自分の中の「欲望」との決別、つまりは自分との対面。やはり、月と森を隔てる鏡に映っているのは自分自身だった。千に砕き、万に引き裂くことが、2人を遮る最後の「壁」を超える手段。銀子はついに、紅羽の下へと辿り付いた。最後の「好き」をためされるその場で、どうやらこれが最後の試練だろう、ヒトからの狙撃と、熊による自己犠牲。るるは、弟のみるんがかつてそうしたように、本当の好きを与え続けた相手のために、ためらいなくその身を捧げるのである。

 今回どうにも言葉にならなかったのが2つの「綺麗」。1つは銀子と蜜子の対話だ。自己の内部との対話、なんていうととても陳腐な印象もあるのだが、蜜子はあくまでも蜜子であり、「銀子のクマ性」とかいう単純な存在には還元されない。その証拠に、彼女は退場する際にその象徴である腕章を残している。彼女が単なる銀子の野生の体現であるなら、あそこで腕章はいらないはずだ。蜜子という別個の存在を銀子の内部に取り込んで対話させることで、銀子の孕んでいた問題をものすごく端的に、非常に少ないシーンで全て語ってしまっている。この複層構造がこんなにサラリと組み込まれているというのが既に驚きだし、構造がちゃんと「百合」に還元されて一歩も世界観からはみ出ないようになっているのがすごい。

 そしてもう1つの「綺麗」はやはりラストの銀子とるるの対話だろう。るるの登場に際し、ちゃんとその前に蝶子がLINEで「ともだちの扉が開いている」という情報を受け取っているあたりに如才なさを感じるのはもちろんのことだが、ここに来ていきなりド直球で描かれる「別離」は、ここまでのお話で「死」がどんどん象徴的なものになっていたこととのギャップのために、何とも不可思議なインパクトがある。るるが銀子に与え続ける無償の愛、それは理屈では説明されないある種理不尽なものであるのだが、このシーン1つでそんな疑問が指し挟まる余地は無い。何しろ、「るる、かしこ〜い」のだから。彼女が集めて来た「好きの未来」の存在も、この物語に結末を刻むための重要なパーツとなるだろう。ヒトが否定した未来を、熊が再構築して希望を与える。この状態になって、その渦中にある紅羽はどのような決断を下すのだろう。どのように嵐と向き合うのだろう。

 シャバダドゥ。

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 黒塗りになるってことはポルナレフのウンコ=承太郎のタバコ、第35話。1部の時にも話題になってた黒塗りタバコ、今回はかなりストーリーに関わる部分だったから、シリアスな場面をナイス邪魔。でもまー、制作陣としては下手に改変せずにそのまま描ききってくれたってことなのだから尊重しないとなぁ。問題なのはこんなアホな規制をかけてる放送業界の方だからな。そもそもあそこだけ黒塗りにしたって「煙草吸ってる」以外の何物でもないんだから隠す意味ねーじゃん。「いや、あれは承太郎が加えてるんじゃなくて、何故か宙に浮いてるんです」とでも解釈しろってのかよ。

 とまぁ、そんなちょっとしたことも気になってしまう緊迫の場面ですよ。ジョジョの象徴ともいえる大舞台の後編。改めて見てると、オシリス神の能力ってけっこうえぐいんだなぁ。だって「一筆書いてもらうだけでも我がスタンドは効果を発揮する」って言ってたけど、それってつまり花京院とかホリーの意思確認は一切必要無いってことだもんな。一応「魂を賭けの代償として差し出すことをいとわないくらいの信頼感」とかが制限として入ってるのかもしれないけども、それは確認のしようがないし、どうもダービーの言い方からするとそういうことは関係無くて、勝負してる相手がそれに同意するだけで第三者の魂を持ってこられるみたいだ。しかも、この場合は入院している花京院の魂を取りに行けるということになるので、スタンドの有効範囲がめちゃめちゃ広いってことに。公式では「射程距離D」らしいが、絶対嘘である。まぁ、ホリーの魂を回収しに行けるかどうかは、本人が言及してないので不明。一応「エジプト全土くらいは余裕」っていう射程距離なのかしら。あくまでも対戦相手との精神勝負なので、そのあたりの能力は付加的なもんなんだろうけどさ。ちなみに、今後登場する弟のアトゥム神との違いについてはよく「下位互換やんけ」などという話が出るが、大丈夫、オシリス神には「魂をコインに換える」という素敵な能力がある。おそらくこれは兄弟の性格の違いが現れており、弟はとにかく「勝負に勝つ」ことをのぞんだのであんな能力に、兄の場合はあくまでも「勝負を楽しむ」ことが目的だったので、相手の魂をより柔軟にゲーム目的で変える能力になったんじゃなかろうか。まぁ、戦闘でどっちが強いかって言われたらそりゃ弟なんだけども。多分「そんなイカサマはギャンブラーじゃない」ってのがお兄ちゃんなりの主張なのだろう。

 さておき、そんなダービーの能力をフルに発揮したポーカー勝負。何度も何度も原作を読み返している身には「突き詰めれば単なるブラフ対決」という記憶の残り方ではあるのだが、確かリアルタイムで読んだ時はやたら盛り上がったし、改めて見てもやっぱり盛り上がる。確かに承太郎がやってるのはどこまでもクソブラフである。これ見よがしにスタープラチナの素早さを見せるために色々と小細工を弄するところも、なんだか白々しい。だが、承太郎が上手かったのはそこまで持っていく手順だったのかもしれない。「ギャンブラーが最も得意としているであろうポーカーで勝負」という相手有利の状況を作り、ダービーが調子に乗るようにする。その上で相手の出鼻を挫き、「スタプラはえぇなぁ、やっぱり承太郎はどんな状況でも油断できねーぜ」という一種の恐怖感を植え付ける。そしてあの状況からの大ブラフ。ブラフといっても結局は「スタプラってどれくらいすごい? 実は想像してた以上に超すごい?!」という疑心暗鬼を産むことが目的なので、そこまでのセッティングが上手いこと効いてるわけだ。1セット目で負けておくことで、相手の心の緩みを生み出すことも忘れない。絶頂状態からの疑心暗鬼ってのは、勝負師であればあるほどに「こんなに上手く行くわけがない」という人生訓が足を引っ張るものである。最終的に、ダービーは己の完璧さに負けたみたいなもんである。

 そう考えると、承太郎の「単にイカれてるレベルで肝が太いだけ」ってのはやっぱりダービーの天敵だったわけだ。理屈じゃねぇからな(あとジュース持ってきた能力は1話目以来の遠距離スタプラだしな)。これまでたくさんの犠牲を払い、命懸けでやってきたエジプト旅行を、こんなところの気まぐれで全部捨てる気なんてそうそう起こらない。そう思わせた時点で勝ちなのかも。ダービーさん哀れ。でもまぁ、見せ場としては最高のところを見せられたし、戦績だけを見れば2勝1敗。この記録を残せたのはンドゥール以来の快挙。他を探しても3部スタンド使いでは残ったヴァニラアイスくらいのもんだろう。アヴドゥルたちが言ったように「1人で4人をまとめて相手した」ことは賞賛されるべき戦績なのであった(あれ? 残りの1匹は?)。

 そんな壮絶な試合の演出は相変わらずのコッテコテ。今回はOPカットしての尺のばし。オープニングやエンディングを切ると作画枚数が一気に増えるから負担が尋常じゃないって偽まるが言ってた。そしてクライマックスとなるダービーが灰になるシーンの愉快な演出。単に震えてるだけかと思ってたら、どんどん画面が白くなっていって、気付けば周りの連中までラフ画みたいになってて笑う。しかもダービーが頑張ってるところの細かい動き、リップシンクが完全に合ってたし、下手したらプレスコなんじゃないかしら。もしくはちゃんと画がついた状態のアフレコで、万丈さんが神業の合わせを見せたかのどっちか。今回はダービーが色々愉快だったので「流石のベテラン」ってなもんだが、こういう緩急が楽しめるのもベテラン声優のお見事なところである。これでおっさん声優対決も見納めかなぁ。今回他の声優としては、「その辺のガキ」役が石上静香でした。普通に考えるとダービー弟はCMのままでべーさんになる気がするので、残されたキャストはヴァニラ、ヌケサク、そしてウィルソンフィリップス上院議員……あと乞食。ペットショップは「鳴く」けどしゃべれないからわざわざキャストを当てるかどうかは微妙なところよね。当てたとしても福圓先生以上に無駄遣いになるしなぁ。

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