最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「転生したら第七王子だったので、気ままに魔術を極めます」 4→5 今期は視聴本数削減策を開始したため、なろう作品は当然真っ先に槍玉に上がり、切った9本の作品のうち4本がなろう作品であった。逆に考えればそうした選抜を生き抜いたなろう作品というものが確実に存在しており、今作はそんな「観られるなろう」の1つ目である。 まず最初に断っておくべきは、筋立ては1話目の印象通りに純正のなろう。特に主人公のマウント気質は如何ともし難いストレス要因であり、いかに相手を舐めくさるかだけを考えたような言動と、全能を気取ってる割に事態を理解していない難聴性質みたいな部分は基本文法とはいえやはりムカつくのはしょうがない。そこはもう様式として受け入れないと始まらず、そうしたチート主人公を中心としたストーリーなので、面白かったかと聞かれたら多分つまらない部分の方が多かったと思う。 ただ、そうしてシナリオラインが鼻につくことを受け入れた上で、「この素材でできるアニメ作品の上振れはどこか」を考えると、今作はよく頑張っていた。1話目で感じた「なんやこのショタ主人公のむちむち描写、キモッ」という感覚も数話見ていればすぐに慣れる程度のもので、むしろ他の作品にはない貴重なオリジナリティだったとも言える。合わない人は最後まで合わないのかもしれないが、ムチムチ絵とにょぽみ風絵(勝手にそう呼んでる)の組み合わせは、見た目に楽しませようというアニメ制作の基本理念がしっかり伝わってくる。そして、過去作が「明治撃剣」のみという謎のスタジオ・「つむぎ秋田アニメLab」は、最後まで熱量を落とすことなく、このクセ強デザインを描き切った。正直、アクションアニメとしてはかなり出来が良かったし、「とにかくクソでかい魔力をぶつけ合うバトル」という厨二じみた設定をちゃんと説得力のある画に落とし込めていたのは評価すべき点だろう。キャラデザの好みで上下する部分はあるが、純粋な作画クオリティだけなら今作はシーズン上位に食い込んでいる。 また、シナリオラインもバカにしたようなことを書き連ねてはいるが、キャラ造形なんかは意外とテンプレで終わらない部分もあるし、大きな物語の動きの作り方も意外とこなれている。作中は(グリモを除くと)パズズ戦、ギザルム戦と大きな山場が2つあるのだが、チート主人公ものの割にきちんとピンチの演出ができていたし、主人公周りのキャラの配置でドラマの形は立派にできている。絶望に沈む周りのキャラを勇者然とした主人公が救い出すシンプルな英雄譚だけに、絶望の描き方が丁寧だったのはプラス要因に違いない。 そうして作られたドラマで個人的に大きく評価した部分が敵キャラの造形で、ラスボスポジだったギザルムのクソエグい設定も「七つの大罪」っぽさがあって見応えがあったし、意外なことに一番気に入ってたのは中盤の強敵として立ちはだかったパズズ。一見すると分かりやすい「下卑た敵キャラ」なんだけど、台詞の端々にいちいち引っかかる言い回しがあったり、キャラデザのキモさが印象的だったり、こいつの活躍を見て「意外とバカにできない作品なのでは……」と思えるようになった部分がある。さらに加えるなら、本作の立役者としてパズズを演じた佐藤せつじさんというキャストの方の名前を挙げておきたい。これまでもたまにモブとかで見かけていた名前なのだが、パズズの人を食ったようなキャラ造形が見事にハマっており、忘れられないキャラクターに仕上げてくれていたのでやたらと印象に残ったのだ。普段は外画メインの役者さんみたいだが、今後もアニメ作品で出てくるならもっと活躍できる役を回していただきたいところ。 2期も決まったみたいだけど、この作品なら好意的に受け入れられそう。まぁ、ムチムチショタが好きになったわけじゃないけどね!
PR キウイちゃんの八重歯は左右どちらにもにょきにょき出てきてかわいいねぇ、第11話。八重歯がかわいいアイコンになっているのは日本だけだと言うが、海外の視聴者はあのキウイちゃんの口元をどう思いながら見てるんでしょうね。 というわけでキウイちゃんの決着回と言えるエピソードだが、同様のテーマを持ってメンバー3人の戦いが並行して描かれている。共通するテーマは「自己肯定」、そして「再誕」である。まず、前回時点でとりあえずの復帰を果たした花音。引き続き彼女のことを全面的にサポートしてくれているのがめいさんで、前回の衝撃生配信はおそらく今後の彼女の人生において黒歴史に認定されることはほぼ確実。しかしJELEEとしてはおいしいコンテンツにもなり、花音が全肯定してくれることでめいとしても何となくオーライみたいな雰囲気にもなった。そして、そんなめいのがむしゃらな行動に、一番の「推し」である花音が救われた。「歌えるかどうかはまだわからない」という彼女に対し、ファンにあるまじき近距離で応援し続けるめい。今回はキウイ・まひる組がずっと行動を共にしていたこともあり、こちらの花音・めいコンビも終始べったりである。そして悩み続ける花音に対し、「本当の花音の歌じゃない」とのダメ出しをし、問題点として「歌詞が前のやつじゃダメじゃね?」というクリティカルな指摘も出てきた。あのまひるとのドタバタのせいで、花音は深く傷ついたわけだが、その前後で人間的な成長があったのも事実。以前書いた歌詞では、すでに「今の花音が歌いたい歌」ではなくなっているということ。それを見抜き、歌詞のリライトを提案しためいさんは流石にトップオタである。改めて自分が歌う意味を考え、歌う相手を見定める。山ノ内花音の「再誕」は順調に行われている。 そして、今回新たに壁にぶち当たったのがまひる。好き勝手に創作をしているうちは自由でいいが、そこにオファーがかかり、「仕事」としてのクライアントが出てくると途端に創作は難しくなる。先方は「好きな絵をのびのび描いていい」と言ってくれているはずなのだが、それでも余計なことを考えてがんじがらめ。作品が迷走するなんてのもお約束だろう。海月ヨルのファンを自称しているもののお仕事となればクール&ドライなのが雪音という女。もちろんビジネス上の付き合いなのでとんでもない無礼は働かないが、最終的にはまひるの尊厳を叩き壊す非情な決断だって下してくる。「自分の絵が好きじゃないのだろう」という雪音の指摘は、まひるのど真ん中にブッ刺さる。 自己を肯定し、改めて自分のオリジンを探し求めることは、今後まひるがクリエイターとして生きていくためには避けて通れない道。かつての心を取り戻すためにまひるが求めたのはあの壁画を描いた頃の自分。そこには無垢だった自分の創作魂もこもっているであろうし、何よりあの絵は花音が好きだと言ってくれた「自分が好きな人が好きなもの」だ。一度他者に写した鏡像の自分を見れば、苦手だった自己肯定もとっかかりが掴めそうな気がする。そして捜索ついでに道中でキウイの男泣きも見られたことで、改めて「自分を好きになる」というモチベーションの向上がいかに重要かを気付かされるまひる。見事に雪音の試練を突破して1人のアーティストとして立脚することに成功した。 まひると時を同じくして「自己の探究」を余儀なくされていたキウイ。彼女の場合はリアルタイムでの「再誕」を要求された花音・まひると違い、すでに一度「転生」を経験した身。彼女の切った啖呵に全てが込められていたが、嫌いだった自分をいっぺんリセットして、再チャレンジできるフィールドでいちから自分を作り直し、それを世間が認めてくれた。そこに何の問題があるというのか。キウイは自分の才を客観的に分析できており、「何でも人よりできるけど、情熱を傾けられないからこそ、本当に好きな奴にはいつか抜かれてしまう」と漏らしていた。そして自虐的なジョークとして「だから他の連中に追いつかれる前に逃げるのだ」とも言っていたが、さて、この方法論はどこまで冗談なのか。 そう、別にキウイが本当にそのような生き方をしていたとて、否定されるいわれはどこにもない。できるタイミングでやれることを全部やり、自分に必要ないと思ったらすぐに切る。ヒット&アウェーのようなその生き方だって、自分の個性に合わせた立派な選択肢。確かにかつてのクラスメイトが言うような「普通」ではないかもしれないが、それが出来てしまったからこそ今のキウイがある。そして幸いなことに、彼女が同級生たちよりひと足先に生まれ変わったVTuberというお仕事においては、彼女はまだ「逃げ」る必要はないのだ。いろんなところに手を出して、結果として得られた自分の「居場所」。そこには恥もなければ遠慮も必要ない。堂々たる渡瀬キウイの、彼女なりの生き方だ。 歌詞が新たに生み出され、まひるも自分の絵の本当の姿を見つけ、キウイは自分の第2の人生に誇りを持てるようになった。みな、真っ白いキャンバスから新たな1ページを生み出したのだ。そしてまひるは、みんなにもらったかけがえのない勇気を使って、さらにもう一歩踏み出した。さて、この判断が吉と出るか凶と出るか。最後の勝負は、花音の胆力にかかっている。
「みぞれ目線」で大草原、第11話。いや、そりゃ視聴者みんな分かってたことだけども。わざわざ動画まで使って表現したかったのがそこかよ。ありがとうございます。 関西大会と全国大会の間をつなぐお話、そして久美子の進路捜索という大きなテーマに1つの決着をつけるお話でもある。ドラマの筋書きとしては狭間のお話ではあるが、それだけに重要な要素が着実に積み重ねられ、非常に印象深いエピソードになった。今回のコンテ演出はベテラン・北之原さん。安定のお仕事ぶりに感謝。 色々と取り上げたい要素があるが、まずは軽めの素材ながら絶対に無視できないOG組のお話。もう、中吉川の衣装コンセプトのギャップだけで昇天ものの満足感。音楽性が違いすぎるのバンド組んでる2人、その衣装でステージ上がったらどう考えても不協和音にしかならん。デカリボン先輩のブレない趣味はさすがだが、冷静に考えると夏紀の正装もかなり極まったコンセプト。そう考えると希美のチョイスが一番バランスのいいところ(そりゃみぞれだって大好物だろうさ)。かつての盟友の晴れ舞台に浮かれる3人と、そんな仲間たち(のごく一部)との久しぶりの再会にテンションが上がるみぞ先輩。今期初登場だが大学生になっても1ミリもブレない安定感は問答無用の鎧塚ワールド。元気そうで何よりである。 そんな先輩との邂逅で大きな転機を迎えたのが久美子の進路相談。関西大会という大きな山場を乗り越えて多少現実的な問題を見据える余裕ができた(というか現実を直視しなきゃいけなくなった)が、未だ定まらぬ久美子の未来図に親友たちも流石にちょっと不安げ。緑輝はド安定のその才能を武器に早々に推薦入学を勝ち取り、葉月も以前決めた保育士路線のために進学先は決まった。そして麗奈はアメリカへの留学を決めており、彼女の姿勢にもやはりブレはない。この時点ですでに三者三様、この春をもって4人の人生は確実に分たれる。4人で切った巨大なピザのピースは、そうして離れていく4人の未来を暗示したものであるが、葉月たちにはそうした「分断」を憂う気持ちは一切ない。希望に溢れた未来が見えている。 久美子はギリギリまで音大という選択肢が目の前にぶら下がっている。あれだけ麗奈から熱烈に勧誘され、「私と一緒にいたいならユーフォを続けろ」とプロポーズを受けている状態。はっきり断る要素も見つからず、隣の迷惑な友人に流される形で音大に進むのも1つの選択肢。自分1人では決定打を出せないこの問題に、人生の先輩2人から大きなエールが贈られた。まずは実姉の麻美子。単にコンサート前のメイクをセミプロの手でやってもらっただけだが、やはり血のつながった姉妹でしか出来ない対話というのはあるもので、これまで久美子が溜め込んでいた部長としての鬱憤や、何も決められない自分への苛立ちなどを、ひと足先に大人になった姉にポロポロと漏らしていく。そしてそんな妹の辛さを軽々と受け止め、ひょいと流して魔法のようなメイクを施してくれる麻美子。ほんのわずかな年齢の違いだが、麻美子は大人で、久美子はそうじゃない。しかし、その違いは微々たるもので「大人になるってのはそういうこと」。麻美子の言葉を受けて、久美子の中で進路選択という高い高いハードルがグッと下がったような、そんな手応えがあった。 そして決定打となるのはやはり怪物・鎧塚みぞれ。先週が田中あすか、今週がみぞれ、この世界を支配する2人の怪物の力をフル活用して黄前久美子の人生は動く。全てを見通し、何もかもを分かったかのようにアドバイスをくれたあすかと違い、みぞれはどこまで行ってもみぞれでしかなく、彼女に見えている世界は相変わらず非常に狭い(エンドカード参照)。しかし、だからこそみぞれにしか見えない世界があり、みぞれの視界には久美子の未来など映らない。視野の狭いみぞれだからこそ、「見えているならわかるはずの世界」が見えない。久美子へと叩きつけた強烈なヘッドショットは、みぞれからしたらそんな当然の世界を伝えただけのことなのだろうが、久美子にとってはあまりに衝撃的な事実である。みぞれは理解しているのだろう。久美子は、この先音楽の世界でやっていく人生を選択しないということを。 道は絞られた。唯一の心残りはこれで麗奈との関係性が1つ決着を迎えるということ。それが嫌だと麗奈は訴え、とんでもねぇ痴話喧嘩みたいな台詞を久美子に叩きつけるが、久美子の意思はすでに固まっている。彼女は横断歩道で麗奈の「背中を押した」。それは一見すれば突き放すような行為でもあったが、2人の距離は決して離れていない。横断歩道の先、2人の向かう先は分かれている。それでも未来で再び交わることが無いなんて、そんな決めつけをする必要はないのだ。希美とは決定的な別れを経験しても、みぞれは今、笑っていた。2人の未来には、まだまだたくさんの可能性があるのだ。まぁ、よりによってみぞれが登場するエピソードで「大好きのハグ」はやってほしくなかったけど(この2人は今更ハグなんかでいちいち驚かんからええけどな)。 さぁ、久美子の進路については1つの問題が片付いた。残す最後の課題は、ラスボス・黒江真由との決戦だ。今回も鍵を握ったのは忠犬(忠猫?)・久石奏。ユーフォ3人が直線で並んだ真由との対決シーンは今作らしく露骨なエゴのぶつかり合う緊迫のシーンである。今回の対峙シーンで気になったのは光源の位置である。いつも通り日陰で練習している久美子と、同じゾーンに踏み込んで対話を持ちかけた真由。2人の立ち位置を考えると周りに主だった光源はないはずなのだが、2人は明らかに下から照らされるようなライティングで描写されている。角度を考えると、2人を照らす光を放っているのは、久美子の手にあるユーフォニアムである。日陰なのでいかにユーフォとて反射光は薄いはずなのだが、まるでユーフォ自体が発光しているかのように2人の鬼気迫る表情が照らされる。2人の未来を決めるもの、それは互いに相容れぬ人生観を持ちながら、ただ一心に取り組んできたユーフォという楽器だけ。真由がこれまで再三久美子にぶつけてきたあの行動の欺瞞を奏が看破した。互いに自分のユーフォの実力というものに信頼を寄せ、そこだけは譲れないからこそぶつかり合うエゴとエゴ。 全てを決めるのは最後のオーディション。ユーフォにかけたその青春に、次週、決着がつく。
エンドカードの路近が格好ええな、第11話。敦房からは「路近ごとき」とか言われてたけど、あいつはいあいつでかなりやりよるのでは? ラストが急展開すぎてそこまでのじっとりしたお話が全部吹き飛びそうだったが、経過時間だけでいえば放送開始後一番の尺を使ったのが今回のお話。山内の時間の流れを四季の移り変わりの色彩で見せる美術設定が見事で、同じくNHKで放送してるユーフォのオープニングやエンディングの彩りを思い起こさせる。今作の制作はぴえろなんだけど、少なくともここまでの作画クオリティは文句なしで高いよね。 そんな綺麗な世界だが、中身はもうぐっちゃぐちゃだぞ、というのが若宮の説教。雪哉も自分の生まれがくそ面倒だったもんでその辺りの世知辛さはその身を持って知っていたはずなのだが、ちょっと心の傷をいじられて「どうせ私の身分が目的だったんでしょ!」と拗ねてしまうあたりはまだまだ子供なのかもしれない。いや、多分当人にとってはものすごく大きな問題なのだろうが……他の連中がそれに輪をかけてとんでもねぇタスクにぶち当たっているため、相対的に雪哉の懊悩については「お子様ねぇ」で終わってしまいそうになる。これは正直雪哉には申し訳ない。 でもまぁ、本人の中では充分大きな問題であることは、若宮たちも承知はしていたようだ。だからこそこれまでおくびにも出さずにしれっと雪哉を使っていたわけだが、ポロッと漏らしたのが長束さんで、「弟にダメだって言われてたのにうっかりしてた、てへぺろ」とのこと。こいつ、敵じゃないことがわかって急に憎めない奴になったな。ま、結果的にはあのまま雪哉を謀った状態で雇い続けていてもどこかでボロが出ていた可能性が高いだろうし、今回の騒乱のどさくさに紛れてお互い腹を割って話し、膿を出し切っちゃったのは正解なのかもしれない。 そして、そんな迷える雪哉に「お前はまだまだだ、宮中の凄まじさをみせてやる」という試金石の役割を(無理やり)果たしたのが、捕縛されてすっかりヘロヘロになった敦房さんだったというのもなかなかにエグい。彼の中では「長束への忠誠心」という綺麗で素敵な大義名分へと置き換えられていた必死のレゾンデートル。聞けばその発端は割と単純な保身であり、人を殺してでも情勢をコントロールして家柄を高めないとやってられないという現在の宮内のダメっぷりが敦房の実情に凝縮されている。「元は真面目な青年だった」とのことだが、真面目に生きようとした人間がぶっ壊れちゃうようなシステムはダメだよな。とんだブラック企業である。そう考えると路近さんとか澄尾とか、図太い連中ががっつりポジションを確保して生き残ってるのは納得できる構図だな。若宮としては、多分雪哉にもそうした強かさを身につけてほしくて、今回のような大騒動に巻き込んだ側面もあったのかもしれない。 そうして雪哉に現実を叩きつけ、「あとはお前が決めろ」と丸投げして約束していた雇用期間はあっという間に終了。すごい勢いで半年から1年が経過してしまったわけだが、これまでのすったもんだを考えると、多分端折られた1年にもいろいろあったんだろうなぁ。まぁ、最後の女房衆のリアクションとかから考えるに、多分若宮は1回も登殿しなかったんだろうけども。この1年であせびさんとススキさんはすっかり仲良くなっただろうが、白珠さんがどんだけいたたまれない状態で宮中に残り続けていたかは謎。ただでさえぶっ壊されてたメンタル、こんなとこにいて大丈夫だったんでしょうかね。 そしてこのタイミングでトドメを刺しにくる若宮。自在に烏形態に変形する若宮の登場はいちいちやり過ぎ感があって周りの人間は気が気じゃなさそう。後から追いかけてきたのは雪哉1人で、彼が無事に試用期間(?)を終え、ちゃんと正式な従者として登録されたことが暗に示されているので一安心である。そして行われる嫁選び、さて、何が起こるやら……。 「ダンジョン飯」 6→7 何がびっくりって、もう最終回シーズンだってことなんだよ……。そりゃ毎年この時期(とか年に4回ほど)になると「1クール終わるわねぇ」って思い始めるはずなんだけど、今期からさ、視聴本数削減計画をスタートさせたじゃない。そのおかげでね、「レコーダーの容量にいつもより余裕がある」状況になって、例年だと「やべぇ、なんとか最後の枠を確保しないと」ってんで途中からメディアに焼き始めたりしてたんだけど、今期はその作業の必要がなかったもんで、気づいたら終わりが近づいていた。どの作品も「間も無く終わるで」みたいな雰囲気を出し始めると、なんだかんだでやっぱり寂しいものである。 ということで、口火を切ったのは2クールでお送りしたこの作品。最終話感想も含めてだいたい書きたいことは書いてしまっているのでここでわざわざまとめることもあんまり無いのだが、とにかく「2期目やるなら早く戻ってきてね!」ってのが第一かな。いや、でもアドバイスもらった通りに、「1期目の内容を記憶しておく」っていう目的だけなら放送終了した部分まで原作買うのはありやな……どうしたもんか。 単に「面白かったね」で終わってもいいのだけど、一応最終評価記事なので良かった点をいくつか摘んでいくと、やはり特筆すべきはそのストーリーテリング。「ダンジョン」と「飯」という、(おそらく今作がスタートした時点では)およそ並び立たないような要素を強引に結びつけて唯一無二の魅力へと昇華しており、ファンタジー世界を扱う手つきにも一切の抜かりがない。きちんと原作者が自分の頭で世界を考えており、その世界を「飯」というテーマで見せるための物語を考えてくれている。昨今よく取り沙汰される「ファンタジー」という言葉、和訳すりゃ「幻想」とか「空想」になるわけで、単なるお仕着せの設定世界を転がすのではなく、自分なりに作りたかった世界を1から丁寧に積み上げて構築していくことこそが創造主の本懐である。 もちろんその過程で「なんじゃそりゃ」って思うようなことも出てきて、直近だとチェンジリングの解釈なんてのは「なんじゃそりゃ」って突っ込んだ部分だけど、別に突っ込みたくなることは悪いことじゃないのだ。それだけ「今まで見たこともないもの」なのだし、諾々とレディメイドのストーリーだけをがぶ飲みしている私の日常に、考え、想像せざるを得ない刺激を与えてくれているということ。作中のライオスを筆頭に、マルシルもセンシも「とんでもねぇこと考える連中だな」と思う瞬間がたくさんあるわけだが、それらは全て作者に対して「とんでもねぇこと考える奴だな」と賛辞を送っているに等しいわけだ。 そうして作られた替えの効かないのファンタジー世界。これを画面に展開していくのはそれこそ細心の注意が必要なデリケートな作業なわけだが……その任を預けられたのはまさかのTRIGGER。デリケートさとは正反対みたいなイメージのあるスタジオ。しかしまぁ、世界構築という点においてはこのスタジオはそりゃぁ見事なもんでして。端々に「TRIGGERメイド」すぎる部分も混ぜ込みながら、嫌というほどにオリジナリティを叩きつけてくれる確信犯的世界創造と世界破壊。このコラボレーションが実現したことは色々と面倒ごとの多い現代アニメ業界では素直に賛辞を送るべきだろう。TRIGGERというとどうしてもド派手なアクションシーンのクセにばかり目がいってしまうが、本作はむしろそうした部分よりも「食」につながる日常の延長部分が最も重要であり、「あり得ないもの」をあり得る形にしてしまうTRIGGERのほら吹き能力というか、嘘クセェものをあけすけに嘘っぽく描いたり、「嘘みたいに本当に」描いてみせたり、手練手管が尽きないのは、やはり圧巻のお仕事ぶりだったんじゃなかろうか。 さて、こんだけ褒めちぎっておくと2期目が怖くなってしまうが……ライオスたちなら、多少のブランクくらいあっという間に吹き飛ばしてくれるんじゃないかしら。 キメたぜ、キマったぜ、第11話。クライマックスライブ、トゲトゲのこれまでの歩みが、そしてガールズバンドクライというアニメの集大成が、ここに叩きつけられた。 今作では珍しく、ほぼ翳りがなくただひたすらに希望に満ちたお話。途中ですばるが沈みかけたように見えたので「ここですばるに損な役引かせるなよ!?」とドキドキしたが、なんとまぁ、婆ちゃんとの関係性は秒で解消。まぁ、元々あの婆ちゃんも割とトリッキーな存在として描かれており、孫娘が別な夢を見つけたと言ったらすぐにごくんと飲み込んでくれそうな度量の大きさも感じさせていた。どうせなら4話目時点で決着つけとけよ、とは思わんでもないが、おそらくここまでトゲトゲのスタンスがしっかりと固まり、それを見てすばるも本気の決心ができたからこそ婆さんに連絡できたってのもあるだろう。これにて5人のメンバーそれぞれの抱えていた「翳り」はほぼ全て解消されたことになる。 前回時点で懸念していたこととして、仁菜の両親との関係が改善されたことで仁菜の心の「トゲ」がなくなった時に彼女のモチベーションがどうなってしまうのかという問題があった。一応その部分には「まぁ、元ダイダスのボーカルへの敵愾心があるからまだ大丈夫だろ」と思っていたのだが、なんと今回のステージでそちらも不思議といい関係に昇華されてしまうという予想外の展開。なんなんだろね、高校ではまだお互いに見えてなかった部分が、文字通り「同じステージ」に立つことで透明化した部分はあるのかも。相手の子(ヒナ)も仁菜のことを認め、そんなヒナを見て仁菜も鼓舞される。掲げた小指に互いの闘志を乗せ、2つのバンドはいい感じの関係に落ち着いてしまった。 「これじゃ仁菜さんの持ち味である空気の読めないギスギス感がなくなって、トゲトゲがほんとにトゲナシになっちゃう!」と思ったが、その辺りはラストステージを見れば一切問題がないことが分かる。現時点での問題が解消したとて、メンバー5人がそれぞれに抱えてきたものは決してなくなるわけではない。そして、糧があればこそ何もかもを踏み台にして人は成長する。この跳ねっ返り具合の強さが仁菜の武器であるとすれば、まだまだ溜まってるものは多いに違いない。飛び出した世界は、まだまだ広くて果てもないのだし。 そんな決定的なシーンを描く今回のライブ。アニメシリーズとしても非常に重要なターニングポイントになるだけに、あらゆる技術を総動員した必死の作劇になっている。そのおかげで、今作の映像の良さもはっきりと表れて強烈なインパクトを与えてくれる。わかりやすいところでは変顔写真のところとか、CG一辺倒でなく作画部分も効果的に挟むことで印象的な画面を作れるのは本作では最大の武器。そこに違和感を覚える人もいるかもしれないが、印象に残るというのはとても大事な効果だ。 そしてぐりんぐりんとCGの旨みをフルで発揮するライブシーン。今回は「前座」としてダイダスが登場し、もうそっちのライブだけでも充分じゃないかと思えるくらいに出し切ってくれたので度肝を抜かれた。「ダイダスって、演奏を犠牲にしてキャラに振ったのが桃香の不興を買ったんだろ? こんなにちゃんとバンドとして成立してる感出しちゃったら解釈違いなのでは?」と訝しんだが、その後できちんと桃香たちの口から「うまくなってる」「仕上げてきてる」と持ち上げておいて、ダイダスはダイダスでしっかりと戦い続けているということが分かり一安心。本当に忌憚なく、ダイダスはトゲトゲの「ライバル」として立ちはだかっているのである。 そうして準備されたクライマックス。あとはもう説明不要ですけどね。個人的には本番前の音リハでリズム隊の2人がマイクチェックしてるとこがほんと好き。やっぱソロで音聴かせてくれるパートはいいよねぇ。すばるさんも「アニメだと私メインの演奏シーンってほとんどねぇからな!」とばかりに弾けてくれたし、ルパさんはルパさんすぎたし。そして「こいつはやる気だぜ!」と高まった期待感を一切裏切らない本番の映像。ぐりんぐりんカメラを回しすぎだとは思うが、やはりロックバンドの暴れっぷりってのはこれくらい大袈裟にやっちゃっていい部分なのよ。さらに、ラストに向けてのパートはなんと「歌詞でもねぇ独白をぶっ込んでメンバー全員を語る」という、ライブパートにあるまじき手法で「演奏のクライマックス」と「バンドとしてのクライマックス」を強引に接続。この演出はあまりにダイナミックだ。あとルパさんの過去をそこではっきり見せるのは卑怯だ。怒り悲しみ喜び苦しみ、全部が全部煮詰まってのワンステージ。文字通りの「晴れ舞台」お見事でした。 追伸:ルパ智の湿度がだいぶ上がってきたし、ちょっと僕は冷静でいられなくなってきました……。
次回予告に例のプール!? 第10話。まー、変なところで下世話なこの作品のことなので別におかしなことはないが……ちなみに「例のプール……だよな? こんなんだっけ?」と思って念のために調べようとしたら、Twitter上には「アニメに登場する例のプール蒐集家」がいて笑ってしまった。もう世の中にはなんでもある。 よるむん編の幕引き。今回の怪異について、確か前回は「付喪神だ」というふわっとした説明だったと思うが、今回はさらにそこに「絵馬に書かれた絵抜けの馬」、さらに「画霊」と繋ぐことで伝統的な怪異の1類型にまとめることができた。「製作者の思いが強すぎたために絵が念を持った」という構造はとても分かりやすいし、何よりこうしたVTuberやアニメキャラの話をする時には定番のやり取りとなった「絵だぞ」というツッコミフレーズにも上手く合致している。そして、古来より伝わる「人と創作物」の関係を、新たな世代のコミュニケーションツールで改めて考え直す興味深い機会にもなっている。今回の話の筋は妖怪ファンとしても割と満足なものでした。ちなみに余談だが、「現代的な妖怪の再解釈を行うという意味で先駆けていた「地獄先生ぬ〜べ〜」でも当然画霊は扱われてたよな?」と思って確認したら「人喰いモナリザ」が出てきて「あー」ってなった。まだあの時代だと美術品としての「絵」の霊にとどまってますね。 都合よく畦目先生が「中の人」と知り合ったもんで解決に漕ぎ着けることができた今回の騒動。「神上げ」を行うという化野の民俗学的解決法は多分正しかったのだろうが、そこに至るまでのすったもんだは多分フィールドワークでは絶対出てこないイレギュラーなもの。そもそも「よるむんはひたすらいろんな人を応援しすぎて困る」というのが怪異の中心的な問題だったはずなのに、病室に現れたよるむんがいきなり海を顕現させて周りの連中まで巻き込んで溺死させかけたのはどう考えてもおかしいのである。その辺はまぁ、勢い余って何かが暴走した結果とでも捉えるしかないか。ちなみに海に襲われたのは化野兄妹と団地妻とのどかちゃんの4人で、中の人の美甘ちゃんが除外されてるのはまだ分かるけど、ちゃっかり畦目先生も被害を免れているのは、もしかしたらVの者についての知識が薄かったからなのか。その忌まわしい血を避けてしまったせいか。 そして偶然避難できた畦目先生が久しぶりに塵輪鬼の能力を発動。しかもあんだけ水属性のよるむんを苦しめたってことは最初から「燃やす」能力フル展開の限界モード。先生、あの一件で反省して牛鬼は封印したとかじゃないのね。まぁ、元々そういうトーテム(族霊)の家系だって言ってたから、元々うちに宿ってるものなのかもしれんけど。相変わらず畦目先生の四つん這いぺろぺろポーズはエロいですね。菫子さんといい先生といい、この世界で怪異トラブルに巻き込まれた奴らは解決後に異能をうまく使いすぎだ。 とにかく先生の協力なんかもあって想定していた目的は達成。そこによるむんからのご褒美として病の治癒までセットだったのはできすぎた終わり方だが、まぁ、「神」の座に近づいた存在だったというならそれくらいのご褒美はあってもいいか。ちなみにこうして「VTuberとファン」の関係性を「御神体と信者」にナチュラルに置き換えている図というのもなんだか現代日本の縮図っぽい感覚もあり興味深い。なぜこんなにもVが市民権を得たのかということを考えるに、今回化野が語ったように、元来日本の精神性って、「モノに魂が宿る」というか、なんらかの偶像への「気軽な神性付与」がやりやすいのかもしれない。そう考えると、案外この数百年で人間なんてさっぱり変わってないのかもしれませんね。 で、結局先週の猫ダンスなんだったんや……何も回収されてねぇ……。 今週からタイトルが変更になりました、第20話。……ごめん、嘘だけど今だけ許してほしい。流石に今週くらいで終わりかなーって思って見始めたら来週もがっつりユキ回だったので、多分来週までは確定でにゃんだふるです。 無事にプリキュアが4人揃い、あとは消化試合みたいになるかもしれないという懸念もゼロではなかったのだが、ユキちゃんのメンタリティがそんなにすぐに変わるはずもなく、安心して猫らしさを堪能することができる。何しろ前回の記念すべきリリアン爆誕イベントですら、ユキ目線では地獄の一丁目みたいな表情で見守っていたのだ。まさに巷に溢れるファンアートの通り、まどかがキュウべえと契約した時の暁美ほむらと同じ感情。まだまだユキの「お姉さん」目線でまゆを放っておくことなどできず、「まゆさえ守れればそれでいいもの、他の動物になんて興味ないわ」というユキさんスタンスは不動のものだった。 というわけで、今週はたっぷり1話を使ってユキの精神性を変化させていく。まずはニコガーデンへの招待とメエメエとの面接。上述の通り、ユキさんからしたらニコガーデンなんて知ったこっちゃないし、なんならメエメエが憎きインキュベーターに見えてもしょうがないくらいの関係性だが、まゆの熱烈な勧誘で渋々同行する形。まぁ、この時点でだいぶユキの態度も軟化してたし、今までほとんどなかったはずなのに語尾に「にゃあ」をつけて話すなど、だいぶリラックスしてる(?)感はあるんですけどね。今週からはふつーに猫形態で対話するユキさんがいっぱい見られるのでとてもありがたいです。もちろん、猫状態の時は常に「猫らしく」という描写に余念がなく、個人的には序盤のシーンだとまゆの誘いに気が進まないもんだから外を見ながらしっぽをぱったんぱったんさせてるのが好き。ちゃんと猫の尻尾の動き。その上で久しぶりにまゆに吸われるユキが見られるので眼福である。人間形態を見てしまった後だと吸いにくいかと思ったが、まゆさんはその辺ブレないみたいで安心したような、ちょっとがっかりしたような(何を期待したんだ)。 ニコガーデンについてもユキの態度は変わらないが、「新しい世界に一歩踏み出したまゆ」を見てしまったことで心はちょっと揺れる。ユキはあくまでまゆの幸せを第一に願っているというだけで、きちんと結果が伴えば優先順位を更新するくらいの柔軟性はある。まぁ、元が猫なので多少気難しいところはあるが……まゆの言う通り、これまでのユキの人生(猫生)を考えれば、他者とのコミュニケーション手段が限られているのはしょうがないことなのかもしれない。言われてみりゃ、ユキってまゆのママンとじゃれあってるシーンすらほとんど描かれてないからほんとにまゆが世界の全てなんだよな。「でもいっつも店の前で寝てたし、お客さんと触れ合うのに慣れてるんじゃ?」という疑問への答えが「いや、単にひなたぼっこが好きなだけで、客が増えたら奥に引っ込んでたで」っていう衝撃の事実もなんか可愛くて草。触らせてくれる系の看板娘ではなかったかー。 でもまぁ、多少強引ではあったがキラリンアニマルとの接触を通じて、ガルガル浄化の価値をある程度は感じることもできたユキさん。他者とのコミュニケーションが苦手なので、彼女の価値観を更新する手っ取り早いきっかけは彼女自身の人生とどこかで重ね合わせること。「1人は寂しい、1人は辛い」。その寂しさを埋めてくれたまゆへの恩義が第一であるユキならば、他者を思いやる心を持つことはできるのだ。そしてもちろん、「あの時の自分と同じ境遇の他者を救う」というのはそれだけでは弱い動機かもしれないが、「それをまゆが望んでいる」が加わればあまりにも充分すぎるのである。出された結論は「仕方ない、かまってあげる」であった。 2人の気持ちが共鳴しあい、新たな商品が爆誕。なぜ陽キャ臭漂うタンバリンなのかは謎だが、ニャン・ドゥ・トロワでリズムを刻み、猫屋敷シスターズだけでもガルガルの浄化が可能になった(まぁ、先週はリリアン1人でやってたけど)。こうして浄化アイテムが2:2に分けて配備されるってのも多分プリキュア史上初のことじゃないですかね。最後にメエメエがバスケットも渡そうとしてたけど、アニマル送り返し業務もチーム猫だけでできるようになったら、ほんとに2:2で分業できる不思議なチームになるかもしれないな。 さて、これだけ周到にルート構築されたら、もうユキがデレちゃうのも致し方なし。なんと来週はユキさんの転校イベントですってよ。次回予告から早くも溢れるカオス感。こむぎの転校の時も「どないやねん」のオンパレードだったが、ユキさんは別方向に空気を読まない孤高の転校生。この学校、大丈夫だろうか? 最終回なんかい! 最終話! いきなり終わるんかい、言うて終わらんのかい。終わるんかおもたら終わらんのかい。……まぁ、漏れ聞こえてくる噂からして2クールで完結するとも思ってなかったけども……。 というわけでさっぱり幕切れ感無しに終わってしまったのは拍子抜けだが、思い切り尺を詰めまくって2クールにまとめるような暴挙に出なかったことは一安心だったんじゃなかろうか。今、原作だと何割くらいのところまで来てるんでしょうね。残りが1クールなのか2クールなのか……次の放送時期も分からないっぽいのでのんびり待つしかないが、こんだけ色々と要素がある作品でブランク空いちゃうと忘れることが多くてキツそうだなぁ……あと、完結したら原作買おうと思ってたんだけどそれが全部お預けということにも……もう大人しく諦めて2期始まる前に予習する方向に切り替えた方がいいのかしら? とまぁ、私の個人的な事情はさておき、一応「キリのよさ」を無理やり捻り出すとしたら、全く拠り所もないと思われていたファリン救出作戦に一筋の光明が見えたところでの幕引きというのは中休みを取るタイミングとしてはありかもしれない。そして、その唯一(?)の解決方法というのが「食べること」だという無茶苦茶な理論が今作の根幹を支えているのは潔くて良い。どこまで行ってもこの作品は「ダンジョン」であり「飯」でなければならない。普通は途中でギブアップしてしまいそうなそんな設定に、意地でも寄り添い続けようとするストーリーテリングは圧巻。よくもまぁ、こんな途方も無い話を思いつくもんである。 常に視聴者の想定を超えてくる男・ライオス。今回はマルシルのひらめきに助けられた部分もあるが、難敵・ガーゴイルの討伐にモンスターをそのまま転用し、さらにそこからマルシル投擲で強引にねじ伏せるあたり、絶対にこのパーティでなければ実現しえなかった討伐スタイルでピンチを乗り越えた。前回も触れた通りにチェンジリングの設定がいささか便利すぎてついていけない部分はあるのだが、無理やりで「まぁ、これがチェンジリングという1つの種の生き残り戦略なんだね」みたいな説明を付与されるだけで「まぁ、ほんならしょうがないか……」という気になる(かもしれない)。「単に表面に胞子がついているだけ」という認識と、後で調理したダンプリングの「中身まで変わってらあ」はどう考えても両立しない気もするのだが……仮に「本来小さかったのにデカく変化したもの」(チルチャックみたいな事例)を食べた場合、当然胃の中で消化されたら胞子の影響はなくなるはずだが、その時に腹の中で突然ものが膨らんだりしないもんだろうか。謎である。 まぁ、調理にチェンジリングを使うことを思いついたのはセンシの方だし、他のメンバーも納得づくでそれを食べているのだからこのくらいはもう理解の範疇だと思うしかないが……さらに飛び出た最強トンデモ理論が、「竜の部分を食えばファリンは助かるかもしれない」という「食えば全部解決する」理論。一応「魂の捕食」というこのダンジョンの摂理をもって説明としていたのでその部分に疑問を挟む余地はないのだが(文句言ってもしょうがないのだが)、やべぇのはそれをあっさり受け入れてしまった実兄のメンタリティ。以前私はファリンがモンスター化してしまった時に「ファリンを今までのモンスター同様に食物として見ることができますか? できねぇよなぁ!」みたいなことを書いたんだが、なんとまぁ、ライオスはそんなラインは秒で飛び越えられるやつだった……とんでもねぇ話だよ。ほんで「食べていいか否か」は問題にもせず、「誰にどんだけ食べてもらえるか」に発想が飛んでるあたりがやべぇ。カブルーは話の流れでライオスに合わせてモンスター食を肯定したことが今後一生の傷として残りそう……。 まぁ、とにかく食うか食われるかの兄妹愛でもって先行きの見通しは立った。残念ながらそんな「先行き」が何年後になるかは分からないが、今日も原作漫画をポチるかどうか悩みながら次の展開を待たせてもらおう。 |
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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