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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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「ハマトラ」 4→2

 今期の「何がやりたかったんだよ」枠。とある知り合いは「面白いじゃないですか、PSYCHO-PASSと同じですよ」って言ってたんだけど、残念ながらわたしゃこれとPSYCHO-PASSが同じに見える目を持ち合わせておりません。

 まず何よりも映像面が酷い。現代の世に残った貴重な貴重な「MUSASHI-GUN-」である。まずもって人員が足りてないだろうクオリティは語ることもないが、キャラクターデザインが軽かったせいなのか、独特の色彩を意識した美術設定が安っぽさを増長させたからなのか、とにかく全編通して画に重みがない。一応ミニマム発動シーンには独特のこだわりが見えたが、正直言ってそれが「良さ」になってた気はしない。軽さは変わらないし、なんだかお隣の国のパチモンお菓子みたいなイメージのままである。こういうセンスの好みって個人差はあるんだろうけど、このベタッとした色彩が好みの人ってどれくらいいるんだろう。

 そしてお話も同様にチープである。探偵アニメが始まったのかと思ったら中身が異能力バトルものだったのは別に構わないのだが、この作品はすっかり掘り尽くされた土壌で一体何を作りたかったのか。ミニマムの設定は実に適当、その能力を使ってのバトルシーンも特に工夫は見られず、最強と言われる主人公ナイスの能力も何が強いのか分からない。強さや方向性に関してはあまりに個体差が大きすぎて、そこに「ミニマムホルダー」という「群」としての共通性を見いだしにくく、「迫害される側」としての悲壮さが感じられない。そりゃたかひろ君みたいなあからさまな化け物ミニマムなら怖いのは分かるが、ハマトラの連中とか別に普通の人間と変わらないわけで、余計な煽りがなければ平穏な日常を送るのに不自由しないだろうに。敵キャラの思想がすげぇ厨二じみていて短絡的なのも釈然としない。迫害される側が歪んだ思想を持つのは自由だし、そういう人間が「強くても馬鹿」なのは許される設定だと思うが(槙島さんだって馬鹿といえば馬鹿だからな)、少なくともモラルが「強くて賢い」敵には見えないんだよな。なんで世界はこんなのにいいように弄ばれていたのか。そして、ナイスはあれだけの凶悪犯相手にどんだけヌルい対応をし続けたのか。余計なサイドストーリーばかりに時間を割いていたせいで、メインシナリオの掘り下げが一切出来ておらず、思いつきだけで進行している「アニメ製作の企画書」段階の出来に見えてしまうのである。もっとちゃんと観てれば中身に理解が及んだのだろうか……いやぁ、でもこの画は真剣に見るのは辛い……。

 そしてまさかのラストに度肝を抜かれる。もう、1クール必死にアニメを追いかけてきた人間を満足させるつもりないんだろ。もし興味を惹かれた人間ならば、あのラストを見せられたら「どうなってしまったんだ?! 気になるぅぅ!」ってなことになるのかもしれないが、一切惹かれなかった人間からすると「何一つ腑に落ちずに終わった」という最悪の印象である。続編あるんだろうけども……観るかなぁ……一応アート刑事を巡る諸事情は気にならないではないのだが……。

 レッテル貼りはあまり良くないとは思うのだが、今作で「岸誠二のアニメオリジナルは駄目」ジンクスが更に信憑性を増したことに。原作有りだと手堅い人なのになぁ。

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「キルラキル」 7→6

 いやー、終わりましたな。何だったんだろう、この嵐のような2クールは。こういうのって煽り方の技術みたいなもんがあるんだと思うんですよね。思い切り盛り上がりやすい土壌ってのは狙って作れるもので、ソーシャルメディアが花盛りのこのご時世なら、本当にちょっとしたことでも大きな差がでる。その差を上手く利用出来た作品なのは間違いない。しかし、ここで一人きりになってちょっと内省してみて、まぁ、少し落ち着いてもいいかな、とは思った次第。

 まず、問答無用で楽しかったという大前提は変わらないのだが、最初に期待していたようなミラクルな楽しさだったのか、と問われると、いささか疑問は残る。このスタッフであれば当然比較対象は「グレンラガン」であるわけだが、個人的には迷わず「グレンラガン」を上に置く。「キルラキル」は今石さんの最高傑作だとは思わない。理由は大きく2つあり、1つは思いの外、話の密度が濃くなかったこと。確かに急展開が多く、3話終了時点とかではどうしたらええねん、とドキドキしたものだが、そこからは大したブーストがかかるわけではなく、「普通のアニメ」の速度になった。いや、今から振り返ってみても、2クール分の中身があった、という実感が無い気もするので、広義での「中身」はかなり少ない方と言ってしまってもいいのかもしれない。結局ボスキャラって皐月編、羅暁編だけなんだよね。「グレンラガン」の4部構成の(馬鹿馬鹿しい)インフレ感に比べると、今回はまだ常識的な範囲に収まっているのである。

 そして、これは非常に自分勝手な2つ目であるが、今作のメインモチーフがそこまで心に響くものではなかったということ。モチーフってのは服がどうこうとか、着るだの着られるだのっていう部分ではなしに、「昭和の学園抗争もの」っていう部分。ぶっちゃけ、あんまり馴染みの無い分野だし、思い入れがないので、おそらくスタッフがこだわり抜いて作ったであろう世界観や、そうした先人たちの功績を下敷きとした演出部分を楽しむことが出来なかったのだ。ベタなSFの成長物語を基盤としていた「グレンラガン」はいちいち設定が盛り上がりに繋がっていたので、そこは大きな違いだったのではないかと。まぁ、ひょっとしたら狙いがど真ん中のストライクでスタッフ以上にびしびし楽しんだ層もいるのかもしれないけどね。その辺については私の生まれが悪いので致し方ない。

 こだわった部分が刺さりにくいと、後に残ったアニメの骨子は「同じことを馬鹿馬鹿しいくらいに毎回繰り返す大声バトルアニメ」ということになり、そりゃぁ単純だし飽きは来るだろうさ。中盤の流子と鮮血の関係性とか、針目縫の強さがどの辺にあるのかよく分からない勢い任せのバトルイベントとか、あんまり頭を使うアニメじゃないのだから、「次にどうなるんだろう」とか考えてみるような人間もなかなかいない。毎回「よく分からないもの」を楽しむのが正しい姿勢なのだから、「よく分からないものが分からない」と大変だった、っていうお話である。

 しかし、こうして気になった点をあげつらった上でも、やっぱり平均よりもググッと上に来るアニメだったのは間違いない。馬鹿は突き抜ければ楽しい馬鹿。こと映像の1つ1つのギミックへのこだわりは尋常ならざるものがあり、毎回テレビの前で「馬鹿だねぇ!」とため息をつかされるのは楽しいものだ。「密度が薄まった」おかげで溢れんばかりに並んだキャラクターの11人で「遊ぶ」ゆとりもあり、たとえば蟇郡さんみたいなサブカテゴリのアイドルだって生まれた。「グレンラガン」は登場キャラ全員にドラマがあり、個々の生き様が事細かに決められていたので、今作の蟇郡さんたちみたいに「よく分からん奴だけど見ていて楽しい」という本能的な享楽には繋がらないものだった。この「浮ついた愉快さ」こそが今作最大のセールスポイントだったのではなかろうか。ほんと、地に足のつかないアニメだなぁ。

 というわけで、「思ったほどではなかったけど、充分今年を代表するくらいの出来にはなったよ」という面白アニメ。最後は当然中の人の話だが、まー、とりあえずてっぺん取ったのはマコだろうねぇ。キャラとキャストの巡り合わせっていうのは本当に神様の与えたもうたものだと思うのだが、マコとあやっぺの出会うべくして出会った感。むしろあやっぺを見てマコをデザインしたんじゃないかと思える感。あやっぺは幸せ者には違いないが、これだけリアルマコになってしまうと、今後の仕事はどうやって繋いでいくのかちょっと不安。いや、心配するだけ野暮かな。あと、意外なところでは宝多役の粟根まことさんっていう人がすげぇはまった。宝多は本当に良いキャラだったからなぁ。残りはどうせ鉄板面子でしか固めてないけど、久しぶりにヒットが出た柚姉ぇとか、相変わらずの器のでかさを見せつけた針目役の田村ゆかりとか、「使われるものには理由がある」を再認識させられる見事なキャスティングであった。

 こないだ寝る前に「この世から突然稲田徹がいなくなったら今のアニメはどうなってしまうのだろう」って漠然とした不安に襲われたことがある。正確には「稲田徹と三宅健太と保村真と津田健次郎と黒田崇矢がいなくなったら」なんだけどね。最近「野太い雄の声」が出る新人ってホントにいないんだよなぁ……蟇郡さん、今後とも世界をよろしくお願いします。

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「ゴールデンタイム」 5→3

 荒ぶる堀江由衣タイム。後期OPはあの「インモラリスト」と同じ制作者ってこともあり、初見ではのけぞるくらいの衝撃があったのである。まー、結局ほっちゃんタイム以上の意味があったかどうかは怪しいのであるが……。

 「とらドラ」の作者の作品ってことでファンとしては期待せざるを得なかった作品だったのだが、色々と残念な結果になってしまったのである。大学生が主人公とか謎の部活動おまけんとか、色々チャレンジングな設定ではあったのだが、あんまり面白さには繋がってなかったんだ。その最大の原因を一言でまとめると「共感出来ない」。いや、「とらドラ」が共感出来たのかって言われたら確かに疑問ではあるが、高須目線で大河を愛でることは出来ただろうし、亜美ちゃんの歪んだ感情だって、身につまされて感じ取れる部分はあったはず。「典型的な学園ラブコメラノベ風に見せて、その根っこで人間的なドロドロした部分が見られる」っていうのがとらドラの面白いところだったのだから。しかし、今作の場合にはあらゆるキャラクターが特大のハードルを構えて待ち受けている。謎のお嬢様設定の加賀さん、彼女は結局一体どういう性格だったのか、最後の最後までゴールにはたどり着けなかったように思う。「元々ストーキングしてた男から乗り換える」という設定は面白かったんだけど、そのあたりの感情の機微もあまりみえてこなかったし、結局良い子なのか、痛い子なのか、その全部なのか、捉えどころのないメインヒロインだった。

 ただ、このことに関しては加賀さんを責めるのはお門違いである。この作品のラスボスは、当然万里である。序盤からガンガンストーリーをかき回してくれた上に、ほぼ完治せずに渾沌だけを産みだした彼の「病気」に関しては、共感はもちろんのこと、理解すらも追いつかない。フィクションの世界では「記憶喪失」とか「二重人格」なんてものはありふれているのだからそのフォーマットに当てはめて理解出来るかと思ったのだが、彼の場合、2つの人格・記憶の接し方にまったくルールがない。亡霊のように現れたり、何の前触れもなく入れ替わったり、イメージ空間で交流してた気がしたのに入れ替わったら相手の記憶を共有していなかったり。とにかく、彼の記憶はシナリオをかき混ぜこそすれ、盛り上げることはなかった。トラブルが起こればそれが恋愛ドラマの起爆剤として機能するのが普通なのだが、今作の場合には「乗り越えるべき困難に2人で立ち向かう」ではなく、「可哀想な万里という重病患者を回りのみんなで介護している」図にしかなっておらず、切なさ、悲しさというより、痛々しさしかついてこない。どれだけ関係性を進展させても都合のいいところで(悪いところで?)リセットされたり、かんしゃくおこされたりするんじゃ、まともな人間関係なんて構築できるわけがないだろう。多分、今作で一番盛り上がったのは、車がガードレールに突っ込んで亡霊万里が「違う! そうじゃない!」って訳の分からない悲鳴をあげてたあたり。

 そんな万里を中心においた結果、当然メインで相手をする加賀さんは壊れキャラになってしまったし、常識人だと思われていたリンダ先輩も、「彼の病気を前提として受け入れて接している人物」という時点で充分異次元の存在なのだ。途中からは適当にしか見ていなかったので定かじゃないが、多分彼女の言動を全て拾い上げていくと、万里に対してはかなり酷い扱いをしているのではなかろうか。病気を病気と思わないのは患者にとって良い側面もあるが、ここまで深刻な症状であるなら、病気に理解のある人は、回りの人たちと協力して治癒に努めるべきだろう。それが無理で、やる気もないのなら、中途半端に「普通の付き合い」をするというのはひどく残酷な行為である。あとはまぁ、やなっさんとか岡ちゃんとかは割と普通ではあるのだが……やっぱりどこかハズれてるよね。世間の大学サークルの人間関係って、みんなこんなカオスなの? 何それ怖い。

 結局、かなりチャレンジングな設定を作って、かつてないお話を作り上げようといたことは分かるのだが、やはり先人たちが扱わない設定というのは、それなりに理由があるんだろう。いや、ひょっとしたら原作を読んだら面白い可能性はあるんだ。もっと個々のキャラクターの内面まで掘りさげているだろうし、1つ1つのファクターの絡め方を丁寧に追えれば、もっと「共感」が生まれるように描かれているのかもしれない。しかし、残念ながらアニメはそうした作品性にはほとんど寄与せずに終わった。お世辞にも出来が良いとは言えない作画面はドラマを盛り上げる効果を得られなかったし、のっぺりと進行するために、万里の幽霊とかが出てくるとギャグにしか見えないってのはどうなんだろう。「とらドラ」が画面で得してた分、今作の残念さが際だつのである。

 むー、まぁ、ラノベアニメだとこういうこともよくあるわなぁ。残念である。ちなみに中の人に関しては相変わらずなのであまり書くことも無いが、こんなトンデモキャラでいきなり大役を任された万里役の古川慎君は頑張っていたとは思う。あと、岡ちゃん役の木戸衣吹は、可愛い。そして謎の名前キャスト(?)後藤沙緒里と伊藤静の存在感。後藤()さんがこういう役でキャスティングされるのってかなり珍しいんだけど、割と面白いよね。本人も無駄に肝が据わってるので、今後もイメージを覆し続けていけばいいと思うの。あと、わたくし個人としましては当然NANA先輩ですよね。おもろい役だった。

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「ウィッチクラフトワークス」 5→5

 「良い点」と「悪い点」が非常にはっきりした作品だった気がする。どんな作品だってそりゃ一長一短あるのだろうが、この作品は本当に「ココが良ければなぁ」としみじみかみしめることが多かった。

 良い点といえば、なんといっても独特のデザインワークである。アニメが終盤にさしかかったくらいにブックオフで原作1巻をちょいと立ち読みしたのだが、「へぇ、この絵をあのアニメにしたのか」と少々驚いた。割と荒削りで癖の強い原作絵であり、当たり前のことだがアニメはかなりスマートになっている。また、たんぽぽちゃんの動かしたウサギ人形や大きな身体を振り回して戦うメデューサ戦など、ダイナミックな動きを要するシーンではオレンジ製のCGを多用しており、ここでもかなりシャープなデザインに。これが「魔法」を表した独特な色彩を持つ世界でシームレスに動き回るものだから、画面自体は色々と目新しい部分が多い。CGとの複合にした恩恵なのか、動画が崩れることもほとんどなく、最終話まで毎回毎回安定した品質であのレベルの画が提供され続けたことも嬉しい部分だ。コンテワークにしても、ギャグを狙う時の押し引きにしても、これは流石の水島努である。特にやっぱり二瓶さんとタッグを組んだ時の息の合うコンセプトの繋げ方はお見事。おそらく「笑えるアニメ」としてならば、原作の魅力はかなりの精度で完成していたのだと思う。

 翻って気になった部分であるが、一言で言えばシナリオそのものである。「ここがつまらない」「あそこがダレた」というのではなく、全体的に、シナリオが「とってつけた」部分が多く、どうも今作の原作者の狙いが見えにくいのだ。具体的に言えば、今作は1クールの中でどれくらい「多華宮君が失神して目覚める」シーンがあっただろう。数えちゃいないけど、彼が気を失って画面がブラックアウトするという場面はかなりの数に上ったのではなかろうか。そのたびに、かなり短い尺で次のシーンへと繋がっており、そのたびに「あれ? ここで今までの勢いが切れるの?」と訝しんだものである。1話で気になった時には「まぁ、原作との兼ね合いでアニメが無理矢理尺を押し込んでいるんだろうなぁ」と思っていたのだが、全編通してそれが続いてしまうと、多分原作シナリオにも理由はあるのだと思う(読んでないから推測でしかないが)。何しろこの作品の主人公である多華宮君はお姫様であり、どこまでシナリオが進んでも守られる側である。そして、火々里さんは最初から最強設定であり、不死身やら何やらがついているので基本的に負けパターンが無い。そこをなんとか「苦戦させる」お話ではあるのだが、どうしたってそれは相手側に理由を求めたり、理不尽ですらあるような展開を導入する必要があり、1つの「積み重ねていく物語」として見えにくいのだろう。多華宮君の封印の話とか、分かりにくい要素が多いから後に繋がりにくくて、「まずはKMM団」「次にメデューサ」「親子げんかを挟んで最後にウィークエンド」という流れが、階段状ではなく、全て横一線で繋がっており、更にそれが間にクッションを置かずにベタッと粗野に貼り合わせてあるだけに感じられたのである。多少密度を薄くしてでも、1つ1つのシナリオの関連性を意識させて、個々のキャラクターの心情をもう少し真に迫ったものに出来れば没入度合いも違ってきたのだろうが。

 とはいえ、やはりベースとなる完成度は高く、無体なお話でも強引に笑える部分は多かったし、なんといっても可愛い子が多かった。まー、たんぽぽちゃんが反則だっただけって可能性もあるんだけども。敵キャラは全員が魅力的で、釘宮クロノワール、沢城メデューサ、平野ウィークエンドと、どれもこれも「魔女」らしいしたたかさ、怪しさが実に良かった。あとママンズも可愛かったし。原作は続いているようだし、2期も拝めるのかもしれませんな。

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 まーそーなるわなー、知ってたわー、それしかないわー、最終話。……で、何がどうだったんだ? とりあえず、史上もっとも全裸がフィーチャーされたアニメなのは間違いないだろう。一番のエロボディは満艦飾ママンだ。

 理屈は求めちゃいないけど、まぁ、それなりに常識の範囲内で終わりましたな。おかげで特に書くことも……ある。Bパートを見れば主人公はやっぱり流子ってことになるのだろうが、Aパートだけを見たらどうだろう。多分、この作品の主人公は蟇郡さんだったのである。まさか最初期の登場シーンからは想像も出来ないような優遇っぷりは、マコという重要なキャラクターと結びついたが故であろうが、最終的にマコよりも蟇郡さんの方がフィーチャーされてるという事態にまで。だって、四天王のくせに3人で立ち向かおうとして手を焼いてた敵を1人でやっつけちゃうんだぜ。しかも、縛りの装の究極形態は、誰がどう見てもガンメン。サイズ不定でおっきくなったりちっちゃくなったりしてた蟇郡さんのことだもの、多分、あのときのサイズはグレンラガンくらいは会ったに違いない。グレンインパクトとはちょっと違うけど、お腹蟇郡さんのガンメン圧力によって世界が救われているのは事実。そしてエンディング画面でもフィーチャーされてたのはやっぱり蟇郡さん。タキシードに花束で一体誰に何をしようとしたのでしょう。見ようによっては相手は皐月様とも取れるわけだが、普通に考えて皐月様にコクろうとしたら猿投山や蛇崩さんが協力してくれるとも思えない。ということは……ねぇ! 命を賭して守った「本能字の学生」ですから! お幸せに!

 あと、個人的に気になってたキャラの1人は針目縫。前回「出来れば凄惨な最期を迎えて欲しいなぁ」と思っていたわけだが、まーまー、予定通りのけじめではあったかな。最後の最後まで笑顔を残し続けたのはあっぱれ。ああして「羅暁に吸収される兵器」として最終局面を迎える展開になると、その前に吸収された鳳凰丸は何だったんだ、って話になるんだけどな。

 あと、純潔に出来れば何かチャンスをあげたかった、っていうのは叶わないまま終わってしまったのだが、それ以上に予想外の破壊力を持っていたのは、純潔を脱いだ皐月様の普段着姿である。普通に可憐な乙女過ぎてびびった。この姉妹、多分素材はすごく良いんだろうな。皐月様は鬼龍院の後押しや本能字のシステムがなくても今まで通りに強く生きていくことになるんだろうけども、出来ればこれまで通り女王然として活躍して欲しいと思っていたのだが……あの凜とした可愛らしさを見せられると、もうこのまま平和に暮らしていけよ、という気もする。まー、あの妹がいたんじゃ、平和にはならないかなぁ。

 そして、ハッピーエンドだらけの最終話にちょっとだけビターな後味を残したのが、神衣鮮血さんであった。あそこで鮮血が犠牲になる必要はなかった気もするのだが、確かにこれから先の時代、鮮血が生きていく目的も無いし、人々に「着られる」恐怖が残っている限り、服の形をした生命戦維は恐れの対象になる可能性もあるからなぁ。あそこで綺麗な未来を夢見ながら散っていく方が彼にとっては良かったのかもしれない。「良い服を無くしたもんだ……」っていうと、単に片付けが下手な人みたいでちょっと寂しい。

 良い番組を終わらせたもんだ……

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 すでに涙腺がボロボロなの。助けて。安藤監督、マジで勘弁して。

 ラス前エピソード。ここで最大のクライマックスとなるお船引である。これまで蓄えられてきたものが一気に放出されるカタルシスを伴いながらも、まだまだ予断を許さない状態で最終話にもつれ込む。もう、何が来ても辛いんじゃないか。どうなったらみんな笑顔で終われるかな……。

 前回「最終戦その1」が片付いた。要はさゆの優しさに出会い、孤独な人生にピリオドを打った。今回、彼はめでたく幸せを手に入れたことを存分にアピールしており、後腐れのないように紡に全てを話し、ちさきを託した。もちろん彼の中でちさきへの気持ちに整理がついたわけではないだろうが、現時点で彼がちさきのために出来ることを考えれば、自ずとそういう答えが出るのである。さゆという後ろ盾が出来て自分にも自信が持てるようになった今、多少なりとも紡との対話にも前向きで臨めたに違いない。そして、そんな彼の気持ちをはっきりと示すシーンが、荒れ狂う海の上、船から飛び込んでまなかを追おうとしたシーン。他の4人はまなかを追ったが、要だけは再び船の上に戻ってきた。そう、彼はさゆを守るために戻ってきた。それは、5年前のお船引でちさきを守るために海に放り出されたシーンと綺麗に対照を成している。かつては自分をかなぐり捨てて好きな人を守るために暗い海の底へ。現在は、自分を好きでいてくれる人を守るために、信頼出来る仲間に後を託して自分は陸へ。他の面々がエナを手に入れたりして常に海を目指している中で、要だけは地上を選択したことがはっきりとした意思表示として現れているだろう。自分のことなんてどうなってもいいと捨て鉢だったあの頃と違い、彼は、好きな人のために自分を守ることも覚えたのである。

 そんな要の協力により、どうやら片がついたようなのが、「最終戦その2」、ちさきと紡の関係である。伝言係からちさきの本心を(改めて)伝えられた紡は、全ての決着をつけるべく、一切捻らずに真正面からちさきに突っ込んだ。「どう考えてもお前が好きなのは俺のはずだけど、それを納得させる方法を考えている」。こんなに傲岸不遜で斜め上の発言もなかなか無いだろうが、不思議と紡だったらそれしかないんだろう、という気にもなる。案の定、そのとんでもない発言を聞いて、ちさきは理路整然と丸め込まれつつあるのだ。前回も確認した通り、元々ちさきの持つ感情の方が理不尽なものではあった。止まってしまった時間に振り回され、過去と決別出来ず、自分を許すことが出来ない奇妙な感情。それを打ち破るためには時間を動かすしかないだろうと思っていたのだが、紡はそれを待たずに、「間違ってないはずだから確認する」というプロセスでねじ伏せたのである。そして、ちさきがねじ伏せられた背景には、実は要の存在も関わっている。今回ちさきは改めて「自分だけが幸せになって良いはずがない」と涙ながらに訴えていたが、彼女よりも先に、要が1人抜けだし、「新たな時間」を刻みはじめたのである。これにより、ちさきの「自分だけが」という気持ちは多少なりとも軽減されることになった。紡がそのタイミングを計ったのかどうかは定かじゃないが、「時間が進みはじめるタイミング」というのは感じ取れたということなのだろう。

 そして、ちさきの呪縛が解かれることで、その中心となっていた光に向けられた矢印はいよいよ残り2本のみとなった。今回意外だったのは、ネックレスからの声に美海が改めて驚いていたことだ。てっきりまなかの気持ちについては美海も了承しているものだとばかり思っていたのだが、言われてみれば、はっきりと言質を取るタイミングは無かったか。紡に対して「何故言わなかったのか」と問い詰めていたが、それに対する返答もまた紡らしくてちょっと苦笑いである。しかし、この「まなかの思い」に直に接してしまったことで、美海の置かれている立場が本当に苦しいものになってしまう。普通に考えれば、相思相愛の2人の間に割って入ろうとしているお邪魔虫でしかないのだ。それを実感すればするほどに彼女の気持ちはどうしようもなくなる。そして光のことを思えば身を引くことが最善だとは分かっているのに、それが出来ずに必死に現実と向き合おうとしている。まだ幼い中学生の女の子に、この試練は本当に辛く厳しい。海岸で光に対して「もっと!」と迫るシーンは、光が「どんな趣味だよ」と突っ込んだ通りに滑稽ではあるのだが、それを迫った彼女の心中を思うと本当に辛い。光の口から本心を聞くことで自分を納得させる。それが出来るなら、今までこんな苦労はしていないのに。

 光を好きな自分がいて、同時にまなかを好きな自分もいる。美海はそんな葛藤とひたすら向き合いながらまなかと接し続ける。お船引の夜、まなかの命を最優先に考え、真っ先に飛び込んだ美海。ネックレスに封じられた「まなかの気持ち」を共有していたために、美海に与えられたエナは再び海中に溶け込み、それはまなかにも伝わる。そして、そんなまだるっこしい感情共有だけでなく、美海ははっきりとまなかに自分の気持ちを伝える。これでおあいこ、完全にフェアな2人の立場に立てる。しかし、そうして溢れる「好き」を、海神は放っておかない。新たなお女子として封じられた美海は、解放されたまなかの気持ちを聞きながら、自分の胸の内にある気持ちとも何度も向き合う。紛れもない「好き」がそこにあることを、目の前の光を見ながら実感する。光がいて、まなかに気持ちが戻って、自分が退いた理想の世界。それが叶って目の前にある。全ては、願いの通りに。

 しかし、笑顔に涙を浮かべた美海は、おそらく気付いている。まなかが戻ったはずのその世界でも、目の前の光は必死に抗っているという現状に。美海が失われて得られた世界など何の意味も無いのである。どこに向けて「好き」が現れようとも、それが苦しさに繋がろうとも、世界には光がいて、まなかがいて、美海がいなければ駄目なのだ。好きは海に似ている。しかし、海には好きだけでなく、苦しさも悲しさも混ざり合って出来ている。どれか1つだけを抜き取っても、本当の海ではない。光は、ここから最後の「海」を見つけなければならないのである。

 次回、海の底の村から始まったこの物語も終わりを迎える。海は、最後にどんな姿を見せるだろうか。

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「スペース☆ダンディ」 6→6

 何も終わってないじゃんよ。語ることなんてなんも無いわ! 一言でまとめるなら、「ずるい」。

 もう、やりたいことを散々にやり散らしているだけ。「そにアニ」の感想でコレと2つが今期の「野放図系作品」と位置づけ、過去に「ギャラクシーエンジェル」が同じジャンルとして存在していると書いたが、おそらく、野放図度合いで1つ次元が違う、まさにX次元へようこそな作品がこいつだ。他の作品は一応作品の枠を作り、ギリギリその枠内だと分かるような話がほとんどだが、この作品には守るべき枠すらほとんどないのである(まぁ、GAも時たま怪しかったが、あれは1話15分だから)。この作品の下敷きにあるのは、「BBPの3人が同じ船にのって移動している」という事実と、全力で馬鹿、ぼんくら、ポンコツであるということだけ。宇宙人ハンターという設定すら普段から怪しいし、ダンディと関係している設定のゲル博士まで行っちゃうと、存在しているのかどうかすら怪しくなってくる。ひょっとしたらこの宇宙はラガード星人が記憶を書き換えた後なのかもしれないし、どこにカメレオン星人が潜んでいるかも分からない。世界はオカマを掘られたことで超越現象が起こるかもしれないし、未だどこかでオッパイ好きな旋盤工とバーで飲み明かしている世界だってあるかもしれない。とにかく、この世界にはルールがない。

 そして、そんな世界を広げていくためのアニメ製作にもルールがない。元々、意欲のあるスタッフを集めて、毎話好き勝手やらせることが目的の「土台」でしかなく、かつて「全話監督が違う」なんてイカれてチャレンジをした「迷い猫オーバーラン」と同じような、いや、こっちの方がよりおかしなことになっている。宮地さん、クレジット名に☆入れてる場合じゃない。おかげで毎回やりたい方向性はてんでんばらばら、ダンディのキャラは毎回別人かと思うくらいに変わってしまうし、オチは投げっぱなしなのでシナリオ間の接続なんてもってのほか。もう、次に何が出てくるかなんて分かるはずがない。

 しかし、そんな「野放図」なのに、ダンディはダンディなのである。この紙一重の「まとまり」を任されるのが、中心に位置している渡辺信一郎ということになるわけだが、やはりナベシンの采配センスは素晴らしい。特に今作は氏の真骨頂である音響部分へのこだわりが強く、こちらもなにやら信じられない数のスタッフを集めてやりたい放題やっている。毎回癖の強い音楽がバックグラウンドじゃないレベルでながされているのだが、その馬鹿馬鹿しさ、ありえなさが、全てダンディという不条理に収束するように感じられてしまうのだ。そこが「ずるい」作品作りであり、空中分解してしまいそうな作品を繋ぎ止める最大の牽引役となっている。こんな作品作りもアリなんやなぁ。色んなものの無駄遣いが、最終的に無駄になってないという謎。これ、7月からのシーズン2で何か発展があるのだろうか……いや、多分今回と同じような困惑に包まれることになるのだろうな……ヤバいわ。確実に変な病気貰うわ。

 気付けば「じゃんよ」をつけてしまえば何でも楽しいほどにダンディはその存在を我々の脳に焼き付けた。もう、色んなものの勝利には違いないが、やっぱり僕は「(CV:諏訪部順一)」をつけてしまったが故の結末というのも大きいんじゃないかと思っている。すっかり新しい看板として定着した諏訪部ダンディ、いつも通りながらもダンディとは違う方向で魅力を十全に引き出されたよっちんミャウ。どちらも「いつも通り」の完璧な仕事。そして驚いたのが、QT役の佐武宇綺。1話時点で既に驚いていたけども……やっぱりこの子上手いよね。QTはすごく良いキャラになってたよね。アイドルなの? 歌手なの? ……このまま速やかに声優業界に定着してもらうといい。かなりの衝撃だぞ。今後もこういう伏兵の動向はしっかり見守っていきましょうね(まぁ、本人が声優業界に来る気がなければ意味ないんだけどさ)。

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「中二病でも恋がしたい!戀」 6→7

 大好きですけど何か?!(逆ギレ)。正直配点は維持にするかあげるかちょっと悩んだのだが、1期の時の感想確認したらあげてたので、「2期が1期より劣っていた点は……特にないな!」と思って同じように加点した。僕はこれが観たいんです。

 おそらく世間様ではそれなりに賛否が分かれる部分もあったことだろう。ラストの寸止め展開はその端的な部分だが、七宮の扱いとか、中二病というファクターそのものの扱いとか。もっと明確なシナリオがあった1期の時ですら「シリアス展開が邪魔」なんて過激派が存在していたわけで、この作品に求めるもの、この作品がクリアすべきハードルはかなり視聴者のスタンスによる部分が大きい。しかし、私が観たいのはこれだった。そして、「中二病」にしか求められず、正面から受け止めてくれる「正道」はこれしかないとも思っている。「中二病」と「恋がしたい」なんだぜ。この2つを足しあわせたタイトルに、これ以上の何を望むだろう。

 むしろ意外であったのは、「よくもこんなに六花と勇太の恋愛要素だけで引っ張って密度を維持出来たもんだな」ということ。2期製作決定の報を聞き、先行上映会で監督の話を聞いたときには「おそらく2期はサブキャラたちを中心としたどうでも良い話をオムニバスで繋いでいく構成なのだな」と考えており、実際に中盤はそういう側面もあったが、思いの外「六花と勇太」にお話があった。七宮という新規の要素も加わったが、彼女の存在も異物として感じられるわけではなく、2人のもどかしい関係性の延長線上にある「もう1人の六花」として描かれており、すっきりとメインシナリオがまとまっている。むしろ最初の予想より凸守たちのお話が足りないことがご不満なくらいだ。いや、4話の時点で既にお腹いっぱいでしたけども。常に森サマとセットで扱われることになってしまったわけだが、これはこれで正しい方向性だったのだろうなー。

 まぁ、1つ1つのファクターについては各話感想で書いた通りなので、結局得られる結論は「カワイイは正義」ということだ。今作は六花・凸守という愛くるしさの権化のような存在があまりにも活き活きとしすぎており、それだけに依存性の高い萌え成分が提供され続ける。更に今期は真っ直ぐな恋愛感情が眩しい七宮という伏兵も加わり、多方面から様々な萌え心がくすぐられる。シンプルに小動物的な可愛らしさを愛でてもよし、時にちょいと背伸びした背徳的エロスに欲情するもよし、まだまだ青い恋愛感情に悩む少女たちを観てヤキモキしながら涙ぐむもよし。これまで京アニが培ってきた各方面からの「可愛い」がズラリと揃っているのである。やっぱり、あの画のデザインは魔性だと思うわ。

 さぁ、3期はあるのか?! こればかりは神様仏様京アニ様でもわからねぇ。石原監督はやはりこっち方面での采配を振るって欲しいので、期待に期待を上乗せして待っています。邪王真眼よ永遠なれ。

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「未確認で進行形」 6→6

 可愛くて良かったです(直球)。萌え袖がいいなって思ったのは多分初めてなんですが、「そもそも萌え袖の原点ってなんだろう」って考えたら、多分「オバQ」のハカセだな。いや、欠片も萌えないけども。

 いわゆる日常系なんだろうと思っていたら、割と普通にラブコメ要素あり、妖怪変化との交流物語ありで、少なくとも同型と思っていた「ゆゆ式」とか「あっちこっち」「Aちゃんねる」なんかよりもずっと主軸があった。おかげで最終回の小紅と白夜の結ばれ方なんかはとても満足度の高い1つの「結末」として受け入れられ、この手の作品によくある「通過していくだけ」という感覚がなく、きちんと物語としてまとまっているように感じられる。そして、今作はたとえば「ちびっ子小姑」とか「ロリコンお姉さま」とか、人物設定が割としっかり人間関係に絡んでくる要素だったため、主軸をしっかりもって人間関係を彫り込むことで、それが萌え要素の補強に直結していたのは良いポイントだったと思う。小紅ちゃんの巨乳設定だけちょっと持てあましてた感があったけどね。

 メインシナリオのメリハリがそれなりに効いていて、「未確認生物」設定と恋愛感情が素直に繋がっていたし、未確認生物設定のおかげで真白ちゃんの浮世離れしたキャラも痛々しくなく、むしろ微笑ましく見ることが出来た。白夜のキャラは、最初は「これで良いのか」って感じだったけど、中盤以降はきちんとネタとして、男としてキャラも活きてきたし、多分萌え漫画の男キャラとしてはこれくらいの立ち位置が無難だったのだろう。あとは百合要素が適当に恋愛要素をカバーしてくれるさ。藤田咲は何故か百合作品御用達になっていて、大体可哀想なスタンスに回されるよな。でも、このはちゃんの立ち位置はすごく好きだったわ。

 こうしてみると製作スタジオ繋がりで「ゆるゆり」と同じような楽しみ方をしてたのかもしれない。ただ、こちらの作品にはもう1つ大きな誘致要因があり、それはメインを務めた3人のキャスト、つまり「みかくにんぐっ」の3人が軒並み新人だったのに、かなりしっかりこなしていたということ。特に真白ちゃん役の吉田有里はかなりのお気に入りになりました。こうして若手の声優を見つけて今後を見守る楽しみっていうのは、声オタの本懐ですよ。

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