最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「最近、妹のようすがちょっとおかしいんだが。」 4→3 横目で何となく観てた系作品。これは残念ながらあんまりピンと来ない方。まぁ、ピンと来たらきたでまずいのかもしれないけども。 エロ馬鹿という意味では、それなりに楽しんで観ていたはずの「マケン姫」とそんなに大きな差があるわけでもない。どちらもとにかくあほなシチュエーションでエロいこと描くことを目的としたアニメであり、その奥に何か高尚なものが眠っていたり、このアニメでしか絶対に見られないような唯一無二の勝負どころがあるわけでもない。その上で「マケン姫」の方が潔かったのは、「馬鹿」であることに徹したこと。この作品の場合、中心となるTSTシステムはかなり馬鹿なのだが、それ一本だけでシナリオを牽引するような力がある設定ではないし、何より、馬鹿なくせにその背景に人の死が絡んでいるというのは大層いただけない。一人の少女が命を落とし、平和に成仏するためにはエロと馬鹿が必要であるという。こんな理不尽がすんなり認められるわけもない。 そして、メインヒロインの1人である日和が「死者」であるという事実は、恋愛ものとしてもあまりプラスに働かないものだった。恋愛と死別というのは切っても切れない関係性がある大切なテーマであるが、普通「死別」が恋愛ドラマにおいて意味を持つのは、どれだけ大きな気持ちがその別れによって動かされるかにかかっている。今作の日和の場合、夕哉に対する気持ちのほどは定かじゃなかったし、彼女が生前どんな想いで過ごしていたかが分からない状態であんな脳天気な天使に取り憑かれても、そこに気持ちの動きを見いだすことは出来ない。すごく簡単にまとめると「日和がアホやからラブコメとしてなんか微妙」ということである。一方的に美月に迷惑をかけておいてあんだけ我が儘勝手し放題ってのは、キャラ以前に人間として受け入れ難いのだ。一度日和がいなくなって美月が探して回るエピソードがあったが、「もう、あんなトラブルの種は放っておけばいいやん」と心底思ったものである。 まぁ、この手のアニメに対してそんな真面目に考える必要も無いのだろうが……そんな理由が諸々重なって、この作品はお話がすんなり飲み込めなかったので、付属品として提供されたエロの方もあんまり興味が湧きませんでしたとさ。やっぱりTSTの設定はイメージが追いつかないよなぁ。いっそ開き直ってそういうシチュエーションのエロ漫画を描くってんなら、それはそれでニーズがあるんだろうけど。 一応フォローを1つ入れておくと、この作品で唯一楽しみだったのは次回予告でした。毎回持ち回りで中の人1人が全キャラの声を担当するというかなりの無茶ぶり。伊藤美紀による男の子声や萌え声など、不可解なサービスが多くて嬉しかったです。今作で主役デビューを飾った橋本ちなみという子は……まぁ、今後頑張れ。デビュー作は永遠にプロフィールに残り続けるだろうが、なるべく気にしない方針で。演技はそれなりに出来ていたと思うし、今後の頑張り次第だと思いますよ。 PR ラストの前の静けさか、第11話。上京するだけで1話かかるあたりは流石の地方アイドル。いや、でも田舎もんにとっての東京ってそれくらい大変なことなんですよ。わたしゃどっちかというと憧れるより近づきたくないと思う派だけど。 結局、早坂のしかけた同じ曲作戦は「WUGが歌えなくなる」というだけの結論に落ち着いた。当事者からしたら「やっぱりアイツはI−1のスパイだったのか!」となるわけだが、早坂の考えは、同じ曲である程度I−1を視野にいれつつ、きちんとWUGらしさで勝負出来る土壌を用意するってことだったんだろう。全く違う曲だけで攻めてもWUG独自良さは分からなかっただろうし、彼女たち自身で同じ曲を一度経験することで、I−1との差を実感し、自分たちの個性を模索させるっていう寸法だ。まぁ、その辺は作中では描かれていなかったので勝手な想像ではあるのだが……7人全員が早坂の無茶振りに対しても割とあっさり折れて新しい曲にチャレンジしたことを考えると、受け取る側も、それなりに覚悟と熱意があったってことなんだろう。菜々美あたりが無茶なミッションに逃げ出すんじゃねぇかとか不安になったけど、流石に事ここに及んでそれはなかった。今回はダンスシーンなんかも(この作品にしては)作画がまとまっていて、全員揃っているように見えてもやっぱり藍里だけ微妙にモーションが遅れたりしてるのは芸が細かいところである。 1ヶ月という短い練習期間で「7 Girls War」を練習して攻めあがるWUGと、それを迎え撃つI−1。どちらもそれぞれに覚悟は出来ており、特にI−1側は圧倒的強者であるにも関わらず、センターの子がむき出しの闘争心を隠そうともしないために、一切油断なく雑魚どもを返り討ちにする覚悟である(まぁ、アイドルの祭典自体でI−1が直接対決する場はないはずなのだが)。元々I−1側が「悪」ではないというのがこの作品の大事なポイントだったので、こういう姿勢がはっきりと出ているのは良いことである。どっちかっていうと、上京仕事で浮かれているのは挑戦者であるWUGの方。あんまり緊張しないおおらかな子が多いのは悪いことじゃないとは思うのが、I−1側の熱意と比べるとやっぱりまだ素人根性が抜けきってないのだろうか(まぁ、旅行を楽しむのは悪いことじゃないけど)。とりあえず、渋谷と原宿と秋葉原では全部着替えて出かけなきゃいけないという生き方は本当に大変だと思う。いや、そもそも何日滞在する予定なんだよ……。まぁ、そんなおちゃらけを除いても、各人の決勝に対する思いもそれぞれに違っていて色々と面白い。はたして、再び東京に戻ることになった真夢の心中はいかほどのものなのか。 そして、そんな緊張感と高揚感が高まる中、一人胃を痛めていたのが、苦労性のリーダー、佳乃。胃薬常備で迫り来るストレスと向き合わなきゃいけないので本当に大変そう。お気楽なメンバーが多いし、社長はあの通りだし、マネージャーは使えないし、全部の苦労が佳乃(と真夢)にのしかかってきそう。そして、最後にはお約束のバットイベントまでもが待ち構えているというハードモード。まー、足挫いちゃったのは自己責任ではあるのだが……なんか、「これ以上投げたらもう二度と野球出来なくなるよ!」って言われてもマウンドに立つピッチャーみたいな話になりそうで怖いな。超ハッピーエンドは期待してないけど、それなりに後味の良い終わり方に期待したいもんである。いっそ、苦しんでいる佳乃の脇で藍里が真っ先に盛大なミスをやらかして気絶、そのままリタイヤとかだったら逆に笑えていいかもしれない。ある意味うんめーにゃー。 「ファイブレイン 神のパズル3」 5→5 総決算で大団円でしたね。いや、この作品で何を総決算するのかはよく分からないけども。気付けばこれも合計で1年半やってるご長寿アニメやからな。それが全て集まってくる話が見られるだけでも、ある程度満足してしまうのは致し方ないところである。 そう、結局この世界は、大した意味など無い。どこまで言ってもキーワードは「パズルタイムの始まりだ!」であり、「俺に解けないパズルはねぇ」である。パズルさえ解いていれば幸せな主人公チームに、パズルさえ解かせていれば幸せな敵側が戦いを挑むという、誰も損をしない幸せな世界。もちろん、大体のパズルに人の命がかかっているし、オルペウスの腕輪は精神干渉、能力解放に加えて次元干渉やタイムリープまで身につけて完全に埒外の存在となった。「こんだけ何でもありの世界なのに、パズルは割と普通に解くのな!」と突っ込みたくもなるのだが、このアニメのパズルが普通に見えたら、多分それは末期症状だ。何一つ普通のことやってない。でも、それが癖になるのよ。「あー、今日もまた爆発してるなぁ」とか「ほーら崩れる崩れる」って思うと、ファイブレ見てる実感が湧くのよ。 そんな無茶苦茶ワールドなので話の中身は正直どうでもいいんだ。レイツェルの過去、ジンとの関係性、そしてカイトの信念。突き詰めれば「パズルが楽しいからみんなでパズル解こうぜ!」というのがこのアニメのテーマであり、それさえ伝われば世界や人の命がどうなろうと大した問題じゃない。レイツェルとカイトが延々ジンの人格についてあーでもないこーでもないと議論することでお話が進んでいったが、「パズルを愛する奴」だろうが「パズルを憎んで人を殺させる奴」だろうが、常識で考えてイカれてるって意味では大差ない。どっちが正しいかも結局パズルで決めるんだしな! それでも、「パズルを解くための適当な条件」にしては盛り上がる部分も割とあって、次々に儚くなっていく味方やライバルを見ては「えげつねぇ殺し方しやがる……」と戦慄したものである。ルークの死に様とか、ホントに救われなかったからなぁ(死んだとは言っていない)。 引っかき回すためのキャラクターがオールスター出演だったのも3期ならではの見どころであり、個人的にはメランコリィちゃんが予想以上に真剣に絡み、活躍してくれていたのが凄く嬉しかった。オルペウスオーダーの面々は2期で仕事を無くしてあんまり出番無いかなぁと思っていたので(実際ミゼルカやピノクルにはほとんど出番が無かったので)、メランコリィちゃんが腹を割って本音で会話してくれたことがストーリーに直接絡んだのは嬉しかった。フリーセルも、ちゃんと改心したなりにパズルと接点をもって無難な立ち位置を見つけていたし、なあなあになっていたギャモンにも割と気骨のある見せ場が回ってきたのも楽しい。つまり、「これだけキャラがわんさかいて、全部濃いキャラだから勢揃いしてるだけでも楽しい」。気付けばファイブレワールドに結構毒されてたんやなぁ……。 そして、そんなヘンテコ中毒性をいっそう強化する「もっともっと神のパズル」の存在感。まさかのイワシミズ君2週跨ぎとか、どう考えてもおかしなユニット形成が酷すぎてお見事であった。本編が必死にシリアスで頑張ってるのにあの空気でキャラいじりに終始するってのも潔いよな。おかげで中の人は本当に楽しそうでした。本当にキャストが恐ろしく豪華な作品でね……個人的にはギャモンがやたらお気に入りだったけど、壊れキャラを邁進したルーク・ビショップコンビの潔さも良い。この作品でキャスト集めてイベントやったら秒でチケットがはけるレベルの集まり方なんだけども、そういうイベントって無いものかねぇ。 あと、ラヴーシュカさんが安定して精神崩壊からの死亡遊戯を演じているのをみて、なんかホッとしました。不謹慎ですね。そうですね。 「いなり、こんこん、恋いろは。」 5→6 最大の不満はわずか10話で終わってしまったこと。まずそれだけ書いておきたい。なんでや、もっといくらでもお話はあったろうに……角川アニメ憎し。 毎週感想書いてたので改めて書くことはそこまで無いのであるが、一言で言うなら「とにかく可愛かった」である。独立後初の元請製作となるアニメスタジオアイムズの作品であるが、10話という短い尺の間とはいえ、きちんと画のクオリティを維持して、特に細やかな女の子の表情に見るべき点が多かった。シリアスなシーンでもへちょ絵的な崩し、ギャグのテイストも維持しており、コロコロ変わる表情が非常に魅力的。元気な女子中学生の青春模様が見られたので、それだけでも眼福である。また、絵の綺麗さという点では背景美術もレベルの高いものになっており、伏見稲荷の古式ゆかしくもまったく色褪せない鮮やかな景観が非常にアニメ映えする仕上がりになっている。そりゃもう、実際に聖地巡礼に行きたくなるくらいには。これまであまりそういう「アニメご当地」的な要素には興味もなかったのだが、実際に行ってみて、その後にアニメをリンクさせると、「あのあたりにうか様がいたのだなぁ」と思えるようになり、しかもなんだかそれがすごく自然なことのように感じられて、「こういう楽しみかたもあるものなのか」と妙に納得したものである。まぁ、「実際には見えない神様のお話」っていうのが、神社という霊験あらたかな立地と相まって何となく体感しやすかったっていうのはあるかもしれないけど。 そのままの素材としても充分楽しめるだけの中身を伴った作品だったと思うが、更に上映会に参加したことで愛着が深まったのは、アニメを楽しむ上で非常に良い効果があったと思う。普段はなかなかイベントには参加出来ない土地柄であるが、ああいうイベントは製作スタッフの生の声が伝わりやすいし、グッと距離が近づくのでとても良いものだと思えた。あまりにテンションが上がりすぎて普段なら絶対にやらない「アニメ放送中に原作コミック購入」に走ってしまったくらいだ。まぁ、絶対にアニメ放送よりも前に進まないように注意しながらの購入だったけど。原作を読んで驚いたのは、アニメはかなりオリジナル要素が強く、原作通りの話でも、色々と細かく変更が加えられていた点。「原作改変」なんていうとネガティブなイメージが強くなりがちだが、今作の場合にはアニメとして流すことを考えて非常に丁寧に要素を積み重ねており、原作のテイストと意図を壊すことなく、アニメでは「新しいお話」として組み立てが出来ていた。こういう関係性って、なかなか貴重なもんである。尺の短さが本当に悔やまれるのだが、「短い10話の間で1つの作品としてどのような完成形を目指すか」という短期目標がきちんと立てられており、アニメオリジナルのパッケージとして魅力が完結しているのがよい。こういう売り方は割とアリなんじゃないかと思いますね。まぁ、原作ファンからしたら、アニメ版が勝手に終わってしまうと続きが映像化されなくてちょっと残念な気持ちにはなりそうだけど。 そんなこんなで、とにかく色々な方向から楽しむことが出来ました。現在、ソフトを買いたい欲求と深刻なバトルを繰り広げている最中です(経済的に厳しいので)。なんかね、2巻のジャケットが確実にオレらを殺しに来ている。ヤバい、マジであの絵はヤバい。でも2巻だけ買うとかいう選択肢はない。誰か助けて。助けてうか様! このアニメの魅力の半分はうか様で出来ています。うか様の中の人も、まさかこんなところでミドルヒットを飛ばす当たり役に遭遇するとは思っていなかったんじゃなかろうか。原作漫画だともろにうか様が「薄桜鬼」やっててワロタ。あんた、沖田さんと普通に恋愛してましたやん。 うか様の挑戦を受けるという厳しいポジションにたたされたのが、メインヒロインいなりちゃんだったわけだが、何とあのうか様を相手に充分渡り合うという見事な活躍を見せた。今作はうか様の可愛さで完成はしたが、それを可能にしたのは、うか様を盛り上げ、世界を作り上げたいなりちゃんの可愛さのおかげですよ。大空直美ヒストリーは、ここから大きく広がるものになるに違いない。 ヲイ、紫龍、オイ、第96話。いや、そりゃまぁ誰も死んだとは思ってなかったけどさ。せめて一輝みたいにちゃんと「どっかに行ってた」アピールくらいはしろよ。単に瓦礫の中で気絶してただけなのかよ。黄金聖闘士ほぼ全員生存やないか。 なるべく簡単にまとめるなら、「元気玉展開」。青銅軍団が星矢の遺志を受け継いで戦いを挑むも圧倒的な力の差によって敗れ去り、地球は一時、サターンの手に落ちる。しかし、最後の希望は若い聖闘士に託されることになり、アテナの計らいで全世界の残された小宇宙が全て光牙の下へ。悲喜こもごもの全てを肩に背負い、残されたペガサスが、単身最後の戦いに挑む。まぁ、予定調和的な展開なのだが、「全ての小宇宙を一手に引き受ける」=「人と人を繋ぐΩの究極形」っていう図式は綺麗な流れだと思う。前回の星矢との問答の末、「昴のために覚醒したΩを昴に向けて使うことは出来ない」っていう結論になっていたわけだが、その矛先をこっそりすり替えて、「とにかく人がみんなで手を繋げば強いんだ」っていう理屈にしてしまえば、後は勢い任せで昴をぶん殴る事も可能になるだろう。ま、実際はサターンの中の残された昴を説得し、鉄拳制裁で目覚めさせるっていう展開になるのだろうが、そのあたりの下準備もエデンがやってくれたので、次回は綺麗に最終回を迎えることが出来るのではなかろうか。……最終回なんだなぁ。やっぱり考えたくないのだが……次の朝に待ち構えてる力士がドヤ顔でアピールしてくるから嫌でも認識してしまうよなぁ。 さておき、そんな分かりやすい展開だったのだから本来ならあんまり語るべきことも無さそうなのだが、色々とネタ要素も多いのが不思議なところ。冒頭、星矢が最後の一撃を見舞いながらも倒れ、「君たちにアテナを託す」というアイオロスの至言を残して散っていったところは素直にグッと来るシーン。ほぼ生身の状態で打ち果てたはずなのにその後に射手座聖衣がオブジェモードで残されたのはかなり違和感があるのだが、やっぱり「聖闘士が散った後に聖衣だけが残される」っていうシチュエーションはいつ見ても切ないし恰好いいものである。しかし、そんなことはサターン様の知ったことではないようで、「残された黄金聖衣を飴細工のようにたたき割る」という前代未聞の暴挙に出ている。酷い。聖闘士の高みであるはずの黄金聖衣がここまでぞんざいに扱われた例は過去に無い。元々ボロボロになっていたとはいえ、あまりに脆すぎてなんか悲しくなった。それだけサターンが強いってことなのだろうが……聖衣くらいそっとしておいてもいいじゃないのよ。 もちろん、そんなサターンの暴挙に若い世代が黙っているはずがない。前回のワンサイドゲームを忘れたわけじゃなかろうが、再び立ち上がって最後の晴れ舞台に挑むことになる。これまでなかなか出番が無かった6人、最後に何か「サブ主人公」らしい活躍を見せてくれるかと思ったら、何と全員が最大必殺技を突然開眼させてたたき込むという流れに。「ライオネットバーストフレイムボンバー」とか「廬山千龍覇」とか、なんかよく分からないけど多分強いんだろう。けど、この場で一回限りの必殺技として炸裂させちゃうのはどうなんだよ。もっといい見せ場あったろうに。それに龍峰、千龍覇ってなんだ。お前の親父さんでさえフィニッシュホールドが百なのに、勢いでそれを越えるな。あとロックシンガー、お前なんなんだ。そこで歌うな。そこでマイク持つな。せっかく良いシーンだったはずなのに、完全にネタ画像になってしまったやないか。ちなみに栄斗さんは、この後の「全員の小宇宙を届ける」シーンでも妙にイキったジャケット姿(普段着)になってて妙に浮いてる感じがたまらなかった。次週、平和になった地球で彼は音楽活動を続けることになるのでしょうかね。 結局、6人中4人は「壁役」というあまり扱いの良くないポジションだけでおしまい。残り2人こそが今回の主役。光牙はもちろんだが、エデンはこれまで時間をかけて昴との関係性を築いてきた苦労があるので、ここで多少なりとも報われないと可哀想だろう。仲間4人によって道を繋ぎ、最後に2人がコンビネーションをたたき込むという配置だったが、その作戦自体は「お前らのやり口は知っている!」と意気込むサターンに粉砕されてしまう。しょうがない、戦いがワンパターンなのは事実だからな。でもそれは光牙たちが悪いんじゃなくて原作者に文句を言ってくれよな。しかし、4人が倒れたあともエデンたちだけはなんとか奮戦し、結果的にはサターンに最終奥義を使わせるまでにはなったのである。エデンさんは光牙に全てを委ねる前に「神の孤独」について一言コメントを残しており、彼の思いの下には、かつて「神の力」に振り回され、自分を見失って滅んでいった父親の姿が確認出来る。昴の中に不可解な神の力を感じながらも黙って見守ってきたのは、新たなマルスを産みださないよう、神だと分かっていても極力「友人として」接しようと努めた結果だったのだろう。エデンは1期のころの頼りないお坊ちゃんからちゃんと成長していたのだなぁ。 しかし、そんな努力も水の泡。結局全ての人間の時間は停止し、光牙はもちろん、アテナやパラス、元パラサイトのタイタンさん、平気で復活してきちゃった紫龍・フドウ・貴鬼の3人組や、前々回颯爽と登場した邪武さんに至るまで、あらゆる人間が時間を止めた。訪れた静寂の中で悦に入るサターン様は、満足げではあるがどこか寂しそうにも見える。ちゃんと「胸の痛み」と独り言で言ってしまっているあたり、既に昴復活のフラグはびしびし立てられているのである。完全に沈黙した人類であるが、やはり最後はアテナの力。神による抑圧に辛うじて抗えたのはやはり神だったのだろうか。沙織さんの呼びかけに応じて、世界中の聖闘士が残った力を最後の希望として光牙に送り込む。よく見るとどさくさに紛れて行方不明だったインテグラさんもいる。パラドクスの亡骸からは小宇宙は出ていなかったので、多分彼女は本当に死んじゃったんだろうなぁ。あと、ついでに聖闘士じゃないのにタイタンさんやラキまで小宇宙を送っているのも気になる部分。ラキでもいいんだったら聖闘士じゃなくて世界中の全人類から力をもらえばいいと思うんだけど、残りの人類には沙織さんの言葉は届かなかったのかな。かてて加えて、「全人類の時は止めたわー」とサターン様が満足している中、平気で帰還する一輝兄さん。どうやらアイガイオンさんが最後の情けで異次元転移から守ってくれたらしい。やっぱり彼はいい人だった。一輝も彼の気持ちをちゃんと分かっているようで、「お前が興味を持った人間って奴の力を見せてやるよ」とまんざらでもない様子。まぁ、一輝だけだったらΩなんかなくても単体でサターンくらい倒せる気もするけども。時間停止効かない時点で完全に一輝の方が上やん。サターンの奥義発動のタイミングで地球上にいなかったから時間停止の影響を受けなかったのかな。もしこれで永遠に時間が止まりっぱなしだと、この後の一輝はすげぇ寂しい人生を送ることに。怖い。 とにかく、そんなフェニックスな小宇宙も含めた全ての力を受け止め、ついに光牙が最終Ω聖衣に進化。最後の戦いが始まるわけである。光牙のところにたくさんの小宇宙が駆けつけ(?)たわけだが、最初に飛び込んできたのが檄先生だったのがちょっと微笑ましかった(更にイチさんが続いたのも笑った)。さぁ、後はこの作品の2年間の集大成を黙って見守るだけである。多分、すげぇ普通の最終回だと思うぞ! すごく丸く収まる! 最終話。まー、こうなるしかないエンディングなんだろうな……ここで突然「何もかもが上手く行く方法があったよ!」なーんて言われても興ざめだろうし。やっぱり生まれながらにうか様とコンタクトが取れる燈日が一番恵まれてるってことになるな。以後、いなりはたびたび自室で一人Wiiをやりながらぶつくさ言っている兄を目撃することに……。 最終話の構成はこれまでの密度が何だったのかと思うくらいにシンプルあっさり。何しろ、Aパートは延々いなりが走っていただけである。実際に伏見稲荷を駆け上ったらそりゃ時間もかかるだろう(いなりたちが高天原に突入する際に到達したのは伏見稲荷山頂上の社だったので、実際に登っていたのは間違いない)。でも、それを延々流すのもどうなんだろう、とは思った。そしてBパートの半分は天の岩戸を引っ張ってこじ開けるのに費やされる。あたかもアクシズ墜落を止めるモビルスーツ群とサイコフレームの光のごとく、であるが、やっぱり「大きなかぶ」を見ているような冗長さは感じる。むー、最終話だからもう少し密度があると良かったのだが。いや、でもあそこまで時間をかけて、本気で頑張っているいなりを見たからこそのエンディングなのかもしれない。とにかく、いなりはこれまでのお話の中で一番頑張っていた。 結局、いなりが事の真相をしってしまえば、「会えなくなる」という寂しさは心苦しいものの、彼女にとっては「神通力を返す」以外の選択肢はあり得ない。うか様がそれを隠していたからこそ問題になったのであって、いざ通じ合ってしまえば、対面して、返還して、万事解決である。ただ、その1点にたどり着くまでの両者の気持ちというのはきちんと描かれていたし、この終わり方については文句を差し挟む余地は無い。いなりは頑張ったし、うか様はそんないなりのことを第一に考えてくれた。1つの友情物語の(少し寂しい)幕引きとしては、これ以上の形はないのだろう。その後の生活についても希望的な展望が見えており、いなりの回りには友達の輪が広がったし、何よりも丹波橋君との距離がグッと縮まったのである。人間的な成長があったのなら、短い間とはいえ神との交流には大きな意味があったということだろう。このお話は女子中学生のほんの少しの青春絵巻として幕を閉じるのである。良い話ではないですか。 ……なんで10話しかなかったんだろうなぁ……もう少しやってくれていいのになぁ……。 3月21日 ドラフト模様(BNG、THS×2) ピック順 【Serra】→【Sangriter】→【Sea-chicken】→【Metallica】→【Thraxi】→【Alessi】→
今度こそ本当にお別れだから! 嘘じゃないから! というわけで、正式に開催された「最後のドラフトの2回目」。「最後」にかこつけて何か上手いこと言ったり、華々しいことやったりしようかとも思ったけど、特に劇的なこともなく、普通に「僕らの楽しいドラフト」で1人の同志を見送るのでありました。もう生涯ドラフトとかやらないんじゃないかな。やるとしたら、次に感染が帰ってきたときですかね。結論:奴=ファイレクシア。
「宇宙兄弟」 5→5 2年に渡る放送に幕。途中で放送時間が変更されたが、気付けば土曜夕方の定番みたいになっており、無くなってしまうのがちょっと寂しいのは間違いない。 朝番組の時期からそこまで本気で見ていたわけではない。流石にこれだけ長尺の作品になると、その全部に集中できるわけでもないし、特に後半は別番組と時間が被ってしまったこともあって、録画分を流し見する程度になってはいた。でもまぁ、それでも大きな問題は無い作品だったとは思う。そこまで進度の速い構成になっていなかったので、ゆっくり雰囲気でストーリーの大意がつかめれば充分、くらいのスタンスである。まー、「ゆっくり」というにはなかなかハードな部分もありましたけどね。日々人の月面事故のあたりとか、時期的に総集編が挟まったりなんだりで本当にヤキモキさせられたもんである。 ぶっちゃけると、シナリオは総体としてはそこまで楽しかったわけではない。何せ、ヒネた見方でまとめてしまえば、「なんやかんや言いながら才能のある兄弟がそれを使って諸々成功する話」だからだ。六太の方はラッキーマンみたいな側面もあって、ケンジみたいな回りの人間から見れば「すげぇ羨ましい奴」である。もちろん、本人たちは結果に見合うだけの努力をしている描写もあるのだから真っ当なサクセスストーリーではあるのだが、少年漫画のように「努力→勝利!」という結びつきが直接的ではないので、「まぁ、日々人だから出来たんだよね」とか「六太は本当に環境に恵まれててずるい」とかいう感想が先に出てくるのも仕方ないところで。そこに絡んでくる「Mrヒビット」とか、どういう扱いにしたらいいのかもよく分かりませんわ。 しかしまぁ、それってこの作品の本質的にはあまり重要な部分ではない。あくまで「宇宙開発はこんな感じで行われているんですよ」「宇宙飛行士の養成ってのはこんなにも繊細で大変な行程なんですよ」というのを描いていくドキュメンタリー部分がメインボディだろう。これを見て「宇宙飛行士を目指したい」と思う子供さんが1人でも現れれば作品の目的は達成されているし、「宇宙飛行士って大変だな、尊敬するわ」と思ってもらえればそれはそれでOKだ。少なくとも私は「宇宙飛行士は俺には絶対無理だわ」という(当たり前の)畏敬の念を抱きました。こうして、普段見られないような「未知の世界」がアニメで見られただけでも充分な収穫なんじゃないでしょうか。 出来ることなら、この後ムッタがどういう道を歩んでいくのか、っていうのも見たいところなんだけども、まだ原作が終わってないのね。これ、どういう最終回になるのかなぁ。 「ログ・ホライズン」 4→6 2期決定で素直にワクワク、思いの外楽しみが増えた作品でございました。新番チェックを読み直してみたら第一印象があんまり良くなかったみたいで、「俺どんだけSAOの事嫌いやねん」とは思った。 さて、基本設定は確かに「SAO」に似たり寄ったりの出だしだった作品だが、見ている方向性は完全に別方向だった。キリトがひたすらゲームの外に出ることを切望し、次々と仲間を失いながら戦い続けたのに対して、シロエたちはいかにしてゲームの中の生活を良くするかを考え、次々に仲間を増やしながら交渉と和平を優先させた。そして、異世界ファンタジーとして見る限りにおいて、「それを障害と考え打倒していく」よりも、「それを新たな世界として受け入れ、調査発見を繰り返して拓いていく」方が選択出来る方向性は多いのである(もちろん、これはあくまで目的が違うだけであって、最終的な優劣を持つわけではないが)。そして、この「ログホラ」は、「拓いていく」過程でのドキドキ感が素直にファンタジー小説として見栄えのするものだったと思うのだ。 もちろん、真剣に政治経済やらを考え出したり、いわゆる「国取り」ものとして見ればそこかしこにチープな設定は散見されるし、取り立てて新しいことを産みだしたというわけでもないのだろうが、ゲーム設定を活かした要素の組み合わせ方が独特で、視点を一カ所にとどめずに常に複数の注意が必要な設定になっているところが面白かったんだと思う。具体的に言えば、序盤は当然「エルダーテイルの世界」に慣れるところに時間を費やし、「ゲーム世界に飛び込んでしまった謎」についての視点が必要になる。次第にゲーム設定と自分たちの置かれている世界の繋がりが見えてくると、今度は個々のプレイヤーという、「現実の反映」が見えてくる。ススキノでの戦いなんかは、「ゲーム世界に飲み込まれた現実世界のプレイヤー」の姿が良く現れた戦闘。そして、ここから更に「出られないならゲームの中を現実に近づけよう」という動きが現れ、食べ物の味を構築するというパラダイムシフトが起こり、最初に原動力となっていた「脱出への探究」が背景化。すると今度は現実世界の人間だけでなく、大地人という不可解な存在にスポットが当たるようになる。そこに「真っ黒クロエ」の謀略が大きく絡むようになり、次第にゲームが「大地人との関係交渉」に重きを置くようになり、異世界における異文化交流が主題となっていく。そこで完全にゲームとしての存在が消えたかと思いきや、今度はルディの物語でこの世界の「死と生」について掘りさげ、命の持つ意味や、大地人との存在の差をはっきり示す。ゴブリン討伐イベントでその要素に決着をつけた後は、再び「人対人」の構図に戻り、西国との戦いを通して改めてプレイヤー同士の対決へ。つまり、「プレイヤーと大地人」という区分けのおかげで、「現実」と「非現実」の2軸を同時並行で扱えるようになっており、それを適宜揺さぶることで、物語に多様性を与えることに成功しているのである。 あとは、シロエやクラスティにより、どこまで本当かよく分からないような権謀術数による戦いなんてのも胡散臭くてニヤリとさせられるし、お子様冒険者団による低レベルでの基本戦闘講習なんかも、微笑ましく見られるのにちゃんと真に迫っていて応援したくなるように出来ている。そして、一番大事なのはなんと言っても女の子たちである。アカツキちゃんがどうにもしょうがないくらいに可愛かったのは前提条件として、その他にもジワジワとメインヒロインのポジションを浸食してくる脅威のハイスペックであるミノリちゃん、幼女幼女アンド幼女、セララちゃん。マリエ姉さんとヘンリエッタさんのおねーさんコンビの破壊力も高い。どのキャラもきちんと生きるための志を持っており、単にシロエに引きずられるだけのヒロインになっていないところが良い。そして、ぐうたらお姫様レイネシア姫の不思議と守ってあげたくなる感。伊瀬ちゃんのキャラでこういう方向性は珍しいので、なかなか美味しいポジションであった。 原作を読んでいる知り合い曰く、「割と後半はグダって来るんですけどね」との話だが、少なくとも今回のアニメシナリオにおいては、緩急こそあれ退屈に感じるような部分はほとんど無かったように思う。めでたく2期放送も決定されたので、引き続きエルダーテイルの中で頑張る腹黒眼鏡の活躍が見られることが今から楽しみだ。 |
ブログ内検索
リンク
最新記事
(03/16)
(03/15)
(03/15)
(03/15)
(03/14)
(03/14)
(03/13)
(03/13)
(03/12)
カテゴリー
プロフィール
HN:
Thraxi
性別:
男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
アーカイブ
|