最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「なんでここに先生が!?」 5→5 文句があるとすれば、「もっとたゆたゆver」でも別に規制が外れるわけじゃなかったところです。雰囲気と全然関係ない目隠しは本当にやめてほしい。いえ、エロい目的とかじゃなく、画面に雑味が入るのが嫌なだけですよ。ほんとですよ。毎回言ってますからね。鬼印の時代からね。 金子ひらくがお届けするいつも通りのジャンル。きっちりふさわしい原作を見つけて、求められるフルスペックのアニメをお届けする職人気質の作品。もう、これは日本の伝統芸能と言ってもいいレベルなのではなかろうか。世界に誇れるかどうかは別として。今作は15分アニメで、なおかつヒロイン4人をサクサク展開させていくという、非常に身の丈にあったサイズがスナック感覚で良い。こういうオムニバスの場合はヒロインの属性をガラッと変えて4人のバリーエションを広げるわけだが、今作の場合はタイトルのおかげで全員が「教師と生徒」という関係性だけは共通なので、ヒロインのキャラ次第でその関係性も微妙に変わっていくという味わいがある。どのペアにしても「まぁ、さっさと卒業後に幸せになればいいんじゃない?」って思える関係性だし、存外我々の深い部分に「教師と生徒のイケナイ関係」というものへの憧れがあるのかもしれない。まぁ、人生において一度たりとも「ときめくような女教師」に出会ったことはないですけど。中学以降で記憶にある女性の教員って渡辺直美みたいな家庭科教師だけで、「お前に栄養管理がどうこうとか言われたくねぇよ」って思ってた。 あと個人的にはのじょさんが普段とはちょっと違うスタンスの役やってるのが印象的でよかったね。男主人公も含めて、結構好きなキャスティングでした。 PR 「賢者の孫」 3→3 なんかもう、これはこれでいいんじゃないかな。点は下げないよ。正直、スマホ太郎よりは黙々と観てたし。まぁ、人はそれを慣れというのかもしれないけれど。 「盾の勇者」と違って、こちらは本当に清々しいまでに「なろう系の系譜」をお届けしてくれる。いや、知った口を聞いてる割にはなろう小説なんて1冊も読んだことないから何がメインストリームでどんなムーブメントがあるかなんてのは本当に耳学問でしか知らないのだが、まぁ、そんな朧な知識から得られる「なろうの血脈」みたいなものがたっぷりと感じられる作品。でもさ、これって世に出て、出版されて、アニメ化されてるからバカにされるけど、思い返せば、男の子の脳内には、少なからずある世界なんじゃないのかな、って思うんだよね。 黒歴史でもなんでもなくて、私が初めて「創作小説」を書いたのは忘れもしない小学6年生の時である。おとぎ話とファンタジーのコンパチみたいな世界観で、設定も何も考えずに「よくあるRPG的なおつかい」をつないでいくだけのシナリオ。当時は原稿用紙に鉛筆書きだったが、確か主人公パーティを小学校のクラスメイトの名前にして、敵キャラとか、村の名前とか、武器の名前とか、そういうのも全部クラスの人間とか先生とかのパロディにして書いたんですよ(覚えてるのは、「ケンタ」っていう名前の奴を○○ケンっていう剣の名前にしたことくらい)。流石に日本中の男子がそうして謎ファンタジー小説を書いたとは思わないけど、ゲームなんかでそういう世界を知ったら、「自分ならどんなお話を作るかな」って考えたことがある人は多いと思う。人間、誰もがファンタジー作家の可能性を秘めているんですよ。 でも、メディアってのはそんな妄想を垂れ流す場ではなかった。面白くもなんともない妄想と行き当たりばったりの「どっかで見た設定」のパッチワークなんて、わざわざ金を払って読みたい人間はいない。みんなそれがわかってるから、仮に妄想があったとしても、脳内で収まってきたんだ。しかし時代は進み、そんな脳内がネットという形で外界に垂れ流されるようになる。検閲機構を持たない生の「子供脳」。それがじわじわと染み出して、最終的にこのアニメが出来上がったんだ。だから余計な設定なんて考えないし、とにかくその場で「格好いい」と思ったこと、「気持ちいい」と思ったこと、「読者がやってほしいんじゃないか」と思ったことをつなげていくのだ。やはり、このライブ感というか、「男の子が生きてる」感じってのは他の媒体では絶対出てこないものですよ。まぁ、出さない方が良いからだけど。 誰がこれをアニメにしようと言い出したのかはわからない。そりゃアニメ作ってる方だって、なんで作らなきゃいけないかもわからないだろう。でも、こうして「子供脳」の共有を行うことで快楽を得る層が一定数いることは間違い無いようなのだ(売れてなきゃアニメ化しないもんね)。今や、小説やゲームを飛び越えて、「脳内ファンタジー」は新たな時代を迎えているのかもしれない。そんな無限の可能性を見せてくれる、素晴らしい作品だった。 一言でまとめると、「最後まで見届けた俺ってえらくない?」 「世話やきキツネの仙狐さん」 5→5 モーフモフ(ハイ!)モーフモフ! ここまでステータス極振りしてる作品って案外久しぶりな気もする。中身はない。ほんとにない。こう言うこと書くと「中身があるってどういうことですか?!」みたいなことを突っ込まれることがあるけど、今作の場合、ただひたすらに社畜が癒しを求めるという作品の性質上、「無い」というのはむしろ褒め言葉である。浮世の雑事を忘れて、ただひたすらに虚無に浸る物語、それが今作の目指すべき姿であり、ぶっちゃけかなり成功していた気がする。似たような「押しかけ異種女房作品」としては「メイドラゴン」がそこそこ被る気がしていたのだが、あちらにあった指向性のエネルギーはこちらの求めているものではなく、当然エロスなんてものも必要ない。ただひたすら内に内に。全ては仙狐さんの尻尾の中へ。 あまりにも「癒し」の方向性を強く出しすぎたせいで、本来の顧客層であるはずの社畜連中が現実との差を処理しきれなくなりかえって今作でダメージを負ったなんて噂も耳にしたが、幸か不幸か、こちとらそんな不幸な社畜ではないので、そこまで強烈に仙狐を求めてもいないし、今作を見続けてリストカットしたいと思うようなことはなかった。もっと殺伐とした感情を抱えて観た時に今作がどんな風に映るのかは気になるところだが、そんな状態には絶対なりたくないので、今の自分の境遇に感謝することにしよう。とりあえず、そんなぬるま湯の人生をあゆむ人間からすると、「まぁ、普通に萌えアニメだったよね」で終わる作品である。ただ、やはり一点特化型なので打撃力が高いのは事実であり、「うちにも仙狐さんがいてくれればいいのに」とは素直に思った。僕は和食より洋食派なんですが、グラタンみたいなものもちゃんと練習してレパートリーを増やしてくれるんでしょうかね。仙狐さんにカロリーコントロールされるダイエットとかもやってみたい気がする。俺は何を言ってるんだ。 こうしてみると、やっぱり俺もいくらかは蝕まれていたのかもしれません。だって、もふもふは正義だもの。まぁ、僕はケモ娘よりも純正の獣でいいと思うタイプなので、今期もふクイーンの座は仙狐さんではなくフィーロちゃんに差し上げたいと思います。あ、でも「今期和氣ちゃんクイーン」はあげてもいい。いい具合に感染度合いが増してる気がします。 「Fairy gone フェアリーゴーン」 6→5 くじけちゃダメだ! やぁみんな! P.A.WORKS大好きおじさんだよ! 好きなものは好きだけどしょうがない。だって、なんかこう……ねぇ……。いや、終わってないからまだ判断を下すのは時期尚早なのはわかってんだけど。 映像部分には別に文句はない。「妖精のCG描写が微妙じゃね?」みたいな意見も聞いたことがあるが、積極的に狙いに行った異物感はむしろ好みのデザインで、むしろなんで妖精バトルをもっと中心にもってこなかったんだろう、と思ったくらいだ。他にもクッソキモい多脚の自動車機構とか、ちゃんと「どっか普通のファンタジーとはずれてる変な世界観」はソリッドで、それこそ制作スタジオの面目躍如である。同じタイミングで放送している「賢者の孫」と比べて欲しい。今作が映像部分でどれだけ多くを語ることが出来ていたかを。 ただ、そうして用意した世界をたっぷりと広げてお送りするのかと思ったら……あんまりいじりようがなかった……今作は何が描きたくて企画が持ち上がったんだろう。その中心となる要素が未だ見えてこない。最初はマーリヤとフリーのバディものになるんだろうと思ってたんだけど、2人が関係性を深めながら共闘していくシーンはそこまで多くなかったし、「親父さんの家に乗り込んで娘さんをもらっていくイベント」以外で二人の関係性が予想外の方向に広がることはなかった(まぁ、そのイベントだけでも充分って話はあるけどさ)。上述の通り、「いろんなタイプの妖精を駆使してバトるキワモノアクション」だったら面白いと思ったけど、むしろ妖精兵器はもっさりした動きの方が多かったし、オーソドックスなチャンチャンバラバラが主体であんまり個性は出てなかった。最終的に国家転覆を図る敵との壮大な戦争ムービーになるのかと思ったけど、上層部の人間に単細胞が多く、策謀を巡らせてる感が出てる割には実際に起こった事件はそこまで複雑にもつれ合わなかった。どこに今作「ならでは」が出てくるのかをずっと見守っていたのに、いろんな要素が「まぁ、そうなるやろ」くらいの尺度で収まっていく。次のクールでどう展開するかを待つしかない身だが、1クール目で見せてくれる要素はもうちょい期待感が多い方がいいんだけどなぁ……。 いや、大好きおじさんだから文句なしに2クール目も観るけどね。ちゃんとこの1期を復習して、「あぁ、続けて観ててよかった!」と言える作品になることを祈る。 「盾の勇者の成り上がり」 5→5 フィーロはずっと可愛い。それは偽りのない事実。個人的にはロリ形態よりトリ形態の方が好きです。日高里菜ボイスのもふもふ、無限にモフれる概念だと思う。 「なろう系にしては頑張ったよね」というのが正直な感想。頑張ったってのは主に映像部分で、2クールの長丁場ながら、あまり作画崩れもなく、ちゃんと最後まで責任を持ったアニメ化になっていたのは制作側の気合の入り方が伝わってくる作品だった。まぁ、盾関係のよくわからない概念の攻防は映像にしてもやっぱりよくわからないのでふわっとした表現になりがちだし、尚文はしゃきしゃき動くタイプのキャラじゃないので結局作画で得するのはラフタリアとフィーロの2人になるんだけど。うん、ありがたい話だ。この2人の活躍さえ見てればある程度満足できるしな。 お話については、最初期は「いろいろぶっこんで来たな」と思ったものの、割とすぐに「なろう系だな……」という諦観につながるようなものだったので早々に諦めた。いや、多分なろうだからって貶める必要もなくて、ラノベ時代にもこれくらいの作品はいくらでもあったはずなのだが、やっぱり媒体の違いから、「行き当たりばったり感」みたいなものは強く感じるんだよなぁ。ラノベだったら一応一本の小説の体を整えながら物語を作っていくと思うのだが、この手の作品は本当に直近の目標のみを見据えてシナリオラインを転がしていくので、後になって「なんか変だな?」と思ってもどんどん後付けで建て増ししていくので説得力に乏しくなってしまう。まぁ、そういうライブ感を楽しむというのも新しい創作技法なのかもしれないけど。 結局、そうして「次に進むべき抜け道」を探していると、どんどん安易な方向に作品が転がってしまうのは止められないんだよね。「オレツエーばっかりで飽き飽きだから、いっそ序盤はとにかく主人公が酷い目にあうようにしよう」っていうスタートだったんだけど、当然どこかで「成り上がる」必要があるわけで、そのためのルートを本来ならスタート時点で残しておかなきゃいけない。絶望的な状況でも、「こうして尚文はてっぺんを取ったのだ!」と納得できるように道筋をたてなきゃいけない。でも、絶対にこの作品でそれは出来ないわけで、最終的には「他人の謀略で貶められたけど、実はそいつらは全員馬鹿でした」という「周りを落とす」方向での解決しか無くなってしまうのだ。おそらく、作者だって当初の予定では四聖勇者をここまでどうしようもない人間にするつもりもなかったんだろう。描写を見る限り、少なくとも弓・剣あたりはまだ「なんか出来そう」な雰囲気を出していた気がする。しかし、周りに出来るやつがいると、どうしたって協力関係を結ばなきゃいけない尚文が助かってしまう。尚文の力で「成り上がる」のが大前提なのだから、周りの人間はとにかく愚鈍でいてもらわないと「尚文が問題を解決する機会」が奪われてしまうのだ。だから、どんどんあいつらがアホになっていく。そして、そんなアホがいても問題解決出来るようにするため、敵サイドはさらにアホになっていく。アホの無限スパイラルである。やっぱり上に上にキャラクターを伸ばすのって難しい。 でもまぁ、そうして尚文様格好いいをエンドレスで繋げていけば、そうした思考を臆面もなく展開できるラフタリア&フィーロの活躍の場も増えるわけでね。やっぱり女の子って大事だよね。奴隷女子・兼・生涯の伴侶候補とか、単なる妄想ダダ漏れキャラでしかないんだけどね。それでいいんですよ。CVが瀬戸ちゃんのキャラに死ぬまで介護されるんだから、そりゃ幸せにもなるさ。世話焼き狸のラフタリアさんと世話焼き鳥のフィーロちゃんをアニメ化すればいいと思うの。もふもふに癒されてよいのじゃよ。 「BAKUMATSUクライシス」 5→5 幕末とは(哲学)。もういいよ、近藤さんがエヴァみたいな巨大生物に取り込まれたってもう驚かないよ。いや、やっぱ笑うよ。 幕末キャラの名を借りた何かが様々な時間を駆け回りながら互いのわがままをぶつけ合う痛快時代劇エンターテイメント。本当にキャラ属性が一切無いので、「なんかそれっぽい名前の連中」がタイムパラドクスを相手にドタバタしているだけのアニメになっているのだが、時たま思い出したように「こいつら幕末の志士っていう設定なんだよな……」ってことを思い出させる展開が出てきて、その度にいちいち面白いっていう。実にファニー、そして実にフーリッシュ。一応、傑物ばっかりの世界なのでそれぞれが勝手に行動しててもそれなりに説得力があり(?)、中盤からメインの流れになった高杉VS龍馬のどこか白々しいばかしあいみたいな部分にも丸め込まれてしまった。龍馬も高杉もあんなんだから桂の心労がとんでもない状態になってたのも割と面白かった。松蔭先生、こんな世界を望んでたんでしょうか。 そして何と言っても個人的にツボったのはラストの「スサノオ十二神将大復活」シーンだよね。もう、強いんだか弱いんだか。いや、弱いんだけど。噛ませでしかなかった芭蕉とか五右衛門が復活してきて何が面白いんだよ、っていうね(いや、面白いんだけどね)。 「偉人たちがくんずほぐれつの歴史超越バトルもの」っていうジャンルでいえば今をときめく(らしい)FGOみたいな作品とも同じ方向性のはずなのに、なんでこんな作品になったんだろうな。まぁ、もともと「幕末カレシ」っていう本当に頭の悪そうなタイトルなわけでな……。よし、次は幕末彼女だな(すでにありそうな予感)。 「ストライクウィッチーズ501部隊発進しますっ!」 4→5 実家のような安心感だった……。なんかもう、懐かしの面々の話を見ているだけで満足できる身体だった。……これって、わかりやすく老化しているだけなのでは……。 いや、別に面白くはねぇんだよ。ギャグのバリエーションが大して多くないので同じネタで何回も話を回すし、活躍するキャラが割と偏ってるからそこまでバリエーションが多いわけでもないし。でもさ、そういうお約束芸だけでも満足しちゃう世界ってあるやん。僕は宮藤さんがおっぱいに埋もれている様子を見るだけでちょっと幸せになれるんだ。 あと、意外だったのはまさかのハルトマン大活躍な。中の人の状態を考えたら「出演するのかな」くらいの事前予測だったのに、下手したら一番活躍してたのはハルトマンなんだよな(あとトゥルーデ)。やっぱり中の人要素っていうのはこの作品の大きなところで、もうここでしか聞くことができないだろう、千和のルッキーニ声なんかは流れてくるだけでもタイムスリップしたような多幸感。ルキ声がしんどいのかどうなのかよくわからんが、今回ルッキーニの出番少なかったしな。 僕らはもっともっと501の活躍が見たいのです。この映像じゃなくて、ちゃんとしたやつで再開しましょうよ、高村さん。えっ、こっちの作品が劇場化? いや、そうでなくてだな……。 「異世界かるてっと」 5→5 まぁ、そうなるやろ。2期って言われても……この設定であと何するんだろ。完全に出落ち作品だからなぁ……。 とはいえ、たとえば中盤に参加したエリスをいじる流れみたいに、各作品からまだまだ追加できる要素はあるだろうから、そういう掘り下げ方で2期をやるつもりなのかもしれない。転校生の謎も解明されてないし。 「想像通りの作品」ではあるんだが、思いの外「異世界に来ちゃったからなんとかして帰らないと」っていうタスクは重くのしかかってきたね。完全におちゃらけギャグに振り切れるかと思ったけど、一応各キャラがそれぞれの世界観を守りながら回そうとするので、いまひとつ振り切れずにもやっとする部分もちょこちょこ。特に最シリアスのくせにそこまで持ち味が活かせない幼女チームがあんまり個性を出せずに損してる部分が大きかったのが残念。まー、そりゃ一作だけ毛色(ファンタジー度)も違うし、元々混ぜるのが無理な話だったんだけど。レルゲン少佐だけが必死に頑張ってたな。そのほかの作品は無茶な部分はきっちり無茶で活かせてる部分があって、意外だったのは「そもそもお前なんにもなくない?」と思ってたスバルがそれなりに個性を持ってほかの主人公と渡り合えてたこと。いや、やっぱりこうして並べると役立たず感というか、ムカつく感じが残るんだけどさ。汚れ役は最終的にカズマさんが全部引き受けてくれるっていう安心感があるよな。 というわけで、2期もアクア様頑張れ。ダクネスはもっと頑張れ。 「どろろ」 5→7 実に端正な作品だった。本当に最後の最後まで「どうなってしまうんだ?!」と手に汗握り、素直な気持ちで観られた作品というのは今期では特別な存在感を持っていた。 ほとんど貶すところのない作品で、強いてあげるなら中盤でやや作画部分にアラが出た気がするくらいだが、それもクライマックスに至る部分で持ち直し、最終話に至っては本当に素晴らしい作画・作劇で作品の魅力を叩きつけてくれた。アクション良しストーリー良しで、とてもじゃないが数十年前の作品のリメイクとは思えない出来である。 当初はシナリオ部分については単純なものかと思ってたかをくくっていたのだが、改めて最後まで観ていると、色々と周到な部分が確認できる。最後の鬼神を倒して終わることはもちろん想定されているわけだが、最後までずっと化け物相手で妖怪活劇を演じるだけではなく、多宝丸という依り代を設けることできちんと百鬼丸の人生にも答えを出すことに成功している。いわば「トロッコ問題で切り替えられちゃった方の個人」を主人公にした作品なわけだが、そんな人間が「1人の犠牲で大勢助かるなんて知らん! 俺が助からなきゃ意味がないんだ!」という盲信のみで突き進み、それでもなお、最後の最後には「人」に着地するという。考えてみりゃなんともアクロバティックな脚本。そのために用意された多宝丸、そしてどろろというもう一人(二人かな?)の主人公の配置が実にお見事である。いわば3つの視点で進行していくこの作品、どろろがいなければ百鬼丸は成り立たず、多宝丸がいなければ彼の人生はおそらく鬼の道へと至った。終わってみればもちろん悲劇もあるのだが、それぞれのキャラクターに与えられた救いの要素も充分に腑に落ちるものになっていて、ちゃんとゴールに向かって24話が構成されていたのだなぁ、ということが終わってみて理解できるのである。「未完」が1つの特徴になっている作品だからこそ、こうして「完結」が目に見えて際立つだけでも、なんだか嬉しくなってしまう。 また、地味な要素だが本作で無視できないのは、「全体のシナリオ構成も端正だが、1話1話のショートストーリーもしっかり観られるものになっている」という部分。もちろんこれだけの話数があるので当たり外れはあったかもしれないが、全体的に「一本の寓話」としてもすんなり飲み込めるお話が多い。昭和の時代のいかにもな人情話があったり、妙な妖怪が原因のちょっとコミカルな話があったりする中に、百鬼丸の生い立ちの悲しみを喚起させるヘビーな話が紛れ込んでいたり、現代でも充分通用するような冷淡な皮肉交じりの訓話が入ってきたり。そうして「百鬼丸・パーツ奪還の旅」をバラエティ溢れるロードームービーとして展開しておきながら、少しずつゴールへ向かうその手筋は見事なものだ。 そして、やはりこうした引きの強い魅力的な作品が成し得たのは、基盤となる設定が奇抜で目を引くものだったというのが大きいだろう。「だんだん弱くなる百鬼丸」はその代表的な部分だが、冷静に考えて、そんな不安定な主人公を支えるキャラがショタめいたロリという振り切れ過ぎた設定は、現代の阿漕すぎる萌え文化の中であってもなかなか正面切って描けるようなもんじゃない。むしろ、あの時代だからこそ臆面もなく実現できた、豪速球かつ変化球なのである。おそらく、幼少期にこのアニメをコンスタントに見せられ続けたら、どこかで性癖が歪んでしまう男の子も出てくるんじゃなかろうか。だって、どろろ可愛いんだもん。表情を含めた外見部分での愛らしさもあるし、忠犬のようにちょこちょこアニキについていく様子も本当に甲斐甲斐しい。途中で突然ひん剥かれて羞恥プレイに至った時には「この作者は一体どれだけ業が深い男なんだろう……」と恐ろしくなってしまった。まぁ、業が深い男ですけど。 こうして無事に走り切ったことだけでもまずは感謝だが、予想以上のものを提供してもらったことで「もしかして、今後もこういうリメイクでヒットが出せるのでは……」と余計な欲に火がつきそうなのがちょっと怖いところではある。業界的にはここまでのクオリティのリメイク作品ってほとんど存在しないからなぁ……次は何がでてくることになるか……。 |
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声優のこと全般
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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