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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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「聖闘士星矢 セインティア翔」 6→4

 終わるんか〜い! 10話しかないんか〜い! えぇ……まさかの幕切れに唖然呆然だよ。いや、でも、冷静に考えてみれば聖闘士星矢ってこういう作品だった気もするが……。いやいや、「ショボさを楽しむ」ってのは一周回っちゃってるやつだからダメだろ。

 エリス、むちゃくちゃ弱いな。結局何がしたかったのかもよく分からないままに瞬殺されたしな。いや、だってもうちょっと頑張るポジションのキャラなのかと思うじゃん。ハーデスとまで行かずとも、ポセイドンとか、マルスとか、それくらいは戦ってくれる敵だと思うじゃん。それなら1クールどころか3クールでも足りないキャラになるわけじゃん。まさかの10話だ。いや、この10話ですでに2回討伐されてるから事実上その半分くらいのもんだ。しかも「青銅よりも格下」であろうセインティアに何もされずに負けてるし……まぁ、今回はたまたま翔子と響子の姉妹関係が絶対的だったので器があんまりよくなかったと、そういうことにしておくか……。「終わるんかーい!」って思ってエンディング見終わったら、なんかよく分からない赤い鎧が出てきて幕切れだったしな。どう見てもサガだったんだけどな。なんだあれ。アニメ2期あるの? アスガルド編なの? なんなの?

 うーむ、当初は「正史の裏側じゃん! あのキャラもこのキャラも大活躍じゃん!」と思って盛り上がったのだが、結局あれだけ壮絶な死闘が表舞台で繰り広げられていた時点で、その裏側に割ける人員なんて大したことないという事実が判明しただけだった。そりゃね、セインティアはセインティアなりに頑張ってたんでしょうけど、やっぱり本職の方々に比べると見劣りするわけでね。黄金聖闘士達の残業みたいな仕事もちょっとだけ描かれ、アイオリアが一番後輩なのをいいことに色々面倒ごとを押し付けられて大変だったわけだが、これも別に「新展開!」というほど盛り上がる要素があったわけでもないしなぁ。サガに至っては「どうせこの後冥界から帰ってくるじゃん」ってわかってる時点で、邪悪側だけちょっと蘇るなんてのも大したサービスにはならなかった。まぁ、悪い方のサガがアイオリアやミロのことをどう見ているのかがわかったのはちょっと面白かったけど。

 結局、本作を盛り上げるにはなんとかしてオリジナル要素である「セインティア」自体を盛り上げなきゃいけなかったはずなのだが……ほとんど掘り下げがなかったんだよなぁ。キャラがきっちりついたのって、結局主人公の翔子だけじゃんね。他の連中が全部お飾りなんだよ。紫龍や氷河みたいなキャラを立てろとまではいわないが、せめて邪武くらいのアピールはして欲しかった。あ、マユラさんはそれなりに見せ場が多かったですけどね。白銀に関しては、結局リゲルさんが不憫なままで終わったし、ウロウロしてた二人組に至っては何のために出てきたのかもよく分からないという謎ポジション。彼らは原作ではちゃんとお仕事があったんでしょうか?

 うーむ、なんだか謎のコンテンツであった……どうしよ、原作コミックは確認しておいた方がいいのかな……。序盤戦でむやみに盛り上がって「これおもちろい!」と持ち上げてしまったので、むやみな期待を持たせてしまった読者の方々には陳謝いたします。拍手コメありがとうございました(私信?)。

 

 

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「ラディアン」 5→5

 なんでこんな中途半端な時期に終了したんや? NHKは本当に自由だな。来週から何が始まるのかもよくわからないし……まぁ、常々「スケジュールに縛られないアニメ作りができたらいいのに」とは言っているので、話数をクールごとに固定しないシリーズ構成はむしろ歓迎すべきものではあるのだが。

 ただ、今作の場合はあからさまに分割作品だし、終了って言う割にはなんかもやっとした終わり方だったため、あまり「シリーズ構成がフリーダム」という特性を有効利用したという印象はない。どういうことなんだろう。原作がここで終わってるわけでもなかろうし……国境を飛び越えた謎の制限とかがあるのかしら。まぁ、余計な台所事情は考えてもしょうがないか。

 結局、最初から最後まで「スタンダードなファンタジー作品」ではあった。NHKらしく、大きな作画崩れも起こさず、盛り上げるべきところはそれなりに盛り上がるアニメ作り。あんまりラルケ×岸誠二という印象もなかったのだが、大過なく終了した作品という印象である。ただ、それだけにあまり印象に残る部分もなく、「まぁ、Eテレの夕方枠ならこんなものなのかなぁ」という感想がせいぜいである。多分、同じ枠でやっていた「クラシカロイド」がおかしすぎたのだ(「境界のRINNNE」だって総合的な品質で言ったらこの作品に近いだろう)。この時間にアニメを見るような正しい客層のお子さんたちは、是非ともセトたちの冒険を見て「正義とは何か」「友愛とは何か」みたいなことを考えるきっかけにしてほしい。

 ただ、そうした定番の物語としても、本作は主張のくどいところがあって受け入れづらいのが引っかかる。「魔法使いは異端者として迫害されてしまう」というのが根源的な問題としてずっと訴えられており、セトのように「人のために戦いたい魔法使い」が迫害されるという辛い光景を目の当たりにしなければならないし、ハーメリーヌのように本当に不幸な存在も生み出してしまう。彼女の生涯にほとんど救いはなく、ただひたすらに世の無常を訴え続ける内容になっており、これを就学前のお子さんたちに見せて、その意味を考えさせるのはなかなかにハードである。これを見る限りで一般市民たちはまさに「衆愚」と呼ぶにふさわしい愚かさの象徴でしかなく、節目となる最終回でも基本的にセトは救われていない。こうした差別や排斥といった問題は永遠に残り続けるものだという強烈なメッセージ性は、見る人によってはかなり賛否の分かれるところではなかろうか。個人的には、問題意識のあり方には一切異論はないのだが、どうにも露骨すぎる部分があり、せっかくのファンタジー世界なのだからもう少し摂取しやすい方向での感情の取り扱いはなかったものかとは思う。

 しかしまぁ、悲劇というのも常に人類の「見たい娯楽」の1つではある。個人的にはやはりハーメリーヌの存在が圧倒的に印象に残っており、彼女の悲壮な決意、絶望的な戦いから救われない最期まで、彼女の遺志は結局セトの心に残るだけではあったが、少なくとも我々視聴者の胸にも残るものになったであろう。それを扱う体制側にも様々な考え方があり、異端審問官が魔法使いを扱う際に極端な思想に走ること、そして魔法使いどうしの中でも人間との接し方に様々な思惑があることなど、掘り下げられる部分はまだまだ多い。できることなら、一般市民を単なる「愚かな民衆」として処理するのではなく、もう少し彼らにも考える余地を与えてほしいところである。一応その辺りを代弁しているのがドクの存在なのだろうが……ドクの場合、彼自身の人生が波乱万丈すぎてな……。

 とりあえず、全体を通じてだとちょっと見にくい部分も多い作品ではあるが、中盤以降、コンラッド戦・ハーメリーヌ戦と続くあたりの展開は戦闘描写のカロリーも高いし見応えのある部分なので、そのあたりはオススメしていいと思う。それ以外の部分での低空飛行が気にならない人であれば良いんだけど。結局、私は「内山夕実が全力でやってる悪役」というだけで大好きになってしまうのである(いつも通りの結論)。

 

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HUGっと!プリキュア」 5→6

 今年もこの時期がやってきてしまう。そう、プリキュアロスである。毎年やってるんだからいい加減慣れろよとは思うのだが、むしろ歳を重ねるにつれて何かを失うことに対する耐性が下がっている気配すらある……特にこの時期はプリキュアと戦隊の2大ロスが立て続けに襲いかかる別れの季節なのでね……辛いね……。

 その年の別れの辛さは、つまり作品への愛着の深さ。去年のプリアラはそこまででもなかったのだが、今年は本当に1年間良いプリキュアでございました。キラキラと素直に夢を届けてくれる幼女の味方・プリキュア。そのまっすぐな姿勢に、世間で薄汚れてしまったおじさんたちは次々に浄化され、「ヤメサセテモライマ〜ス」するのである。

 今作はシンプルなテーマ設定の表現が実に見事で、大テーマとなる「なんでも出来る、なんでもなれる」を筆頭に、「夢」「未来」といった要素が至極自然に、それでいてメッセージ性を持ちながら体現されている。輝く未来を表す要素もそれぞれのプリキュアに綺麗に分配されており、さあやは「お仕事」への希望を表すもっともわかりやすい存在だし、ほまれは「恋愛」、えみるは「友情」、そしてルールーが「家族」の未来を表すものである。1人1人のエピソードを掘り下げるいわゆる「お当番回」を通じて、彼女たちの人生がそのまま視聴者の未来の投影になる。そして、幼女向けだからというのを逃げ口上にせず、描かなければいけない要素はきちんと正面から描いているのも誠実な部分であろう。プリキュアは万能の機械ではない。どれだけあがいても、事故で怪我をした足が急に治ったりはしないだろうし、避けられない別れの未来を書き換えたりもできない。それでも、明日がより良い日であることを信じて、彼女たちは進み続けるのである。そのことは、プリキュアと呼ばれる正義の味方だけでなく、悪の組織に与していた誰にでも平等に与えられる。博愛と希望、そして勇気の結晶。そして、その「輝く未来の希望」の中心にいるのが、野乃はなという女の子なのである。本当にそつのない、魅力的な配置であった。

 世間的には「男の子プリキュア」の話題が議論を呼んだりしていたが、ぶっちゃけそうした要素は瑣末な問題である。何しろ最終決戦では登場人物ほぼ全てがプリキュアになっているわけで、この世界のプリキュアは「明日への希望の体現」でしかない。どんな人間だって未来に希望を持つ権利があることのわかりやすい表現として、たまたま「男の子プリキュア」が変身しただけのことだ。むしろ、そうした表現を劇中に自然に溶け込ませ、これまでにない「可能性」の表現を追求することで、本作の持つテーマ性は完成を見たと言える。佐藤順一監督といえば「きんぎょ注意報!」や「セーラームーン」などでその時代を変える数々のアニメーション表現・そして女性像を作り上げてきた人物。平成最後のこの年に、ひとつの節目として記録されるにふさわしいプリキュアだったのではなかろうか。

 繰り返しになるが、やはり今作で注目すべきはその中心にある野乃はなというキャラクターであり、個人的にMVPをあげるとすれば、はなのまっすぐさを100%引き出してくれた引坂理絵の業績である。キャリアの浅い若手が、ここで見事に大仕事を成し遂げてくれたことは、一声優ファンとして素直に嬉しく思う。他にも今作はサトジュンらしい思い切りの良いキャスティングがいちいち面白く、土師孝也演じるトラウムのとぼけた演出や、普段なかなか見られない方向性の新井里美のビシンなど、敵キャラサイドのキャラが際立っていた。プリキュアに若手を多く配していた分、クライアス社側のキャストは安定感を重視しつつ、互いに化学反応のように新しいものを引き出すキャスティングだったと言えるだろう。敵キャラの誰1人として無駄にせずに希望の体現に至らせる脚本総体を、スタッフ全員で作り上げた達成感に満ちている。

 来週からはまた新しいプリキュアになる。テーマ設定を見ていると、なんとなく戦隊だと「トッキュウジャー」を思い出すのだが、イマジネーション溢れる作品となるかどうか。

 

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「ツルネ-風舞高校弓道部-」 5→5

 変な時期になってしまったが、とりあえずこれにて今期分の番組感想は一応終了(来週プリキュアが控えているけど)。今期感想を書いた数は32本。ショート枠も増えているが、まぁ、だいたいいつも通りくらいの数じゃなかろうか。最近は少しずつアニメの数を減らすことも覚えたけど、今期はそこまで切れるものがなかったなぁ(泣く泣く切ったのはバーハンターくらいかな)。

 さておき今作の話。ぶっちゃけ、ドラマとしてはあまり惹かれるものがない。感想を書いている時にもそのあたりには触れていたと思うが、青春スポーツドラマとして、なんだか淡々とノルマをこなしているような印象で、感情的な押し引きに乏しい。もともと狙っている層の異なる作品なのは間違いないだろうが、「Free!」の1作目はそれなりに面白かったわけで、それと比べてもあんまり見たいと思えるような展開がなかった。ラストで師匠が事故っちゃう展開なんかもすげぇ雑に要素を配置している印象だったし、ドラマとしては点数は下げざるを得ない。

 それではなんで点数維持なのかといえば、もう、これは思い出補正というか、弓道経験者にしか得られない達成感みたいなものである。途中で「弓返りさせたい」っていう気持ちとか、早気をガンみたいな扱いにする流れとか、「そんなんあるかなぁ」と思ってしまうような描写も少なくなかったのだが、やはり要所で「あぁ、あの頃の気持ち」と蘇ってくるものがあったのは事実なのだ。それは単に「弓道場でしか見られないものが見られるから懐かしい」というだけでなく、きちんと「プレイヤーだからこそ見える景色」みたいなものを捉えて描いていた気がする。スタッフの中にどれくらい経験者がいたのだろうか、もしいなかったのだとしたら、おそらく原作者がそのあたりのコンセプトをきっちり伝えてくれたおかげだろう。

 個人的にはやはりクライマックスとなる決勝戦が見どころで、「お前ら、弓はじめて数ヶ月のメンバー入れた状態で18中とかしてんじゃねぇよ!」とは思うが、あの的中続きの中で生み出される異様な空気と高揚感、そういった感情の流れはどこか懐かしい。特に私は主人公と同じ落ちのポジションだったこともあり、メンバー全員の背中を見ながら、それぞれの個性を思い、練習を振り返り、自分の射に全てがこもっているかのような感覚を覚えたことはあったのだ。人生最後の試合(奇しくも今作と同じ県大会決勝である)の最後の1中、あの時の光景は、多分死ぬまで忘れないはず。まぁ、風舞と違って、他のメンバーの不調もあって割とあっさり負けたんだけど(確か1210とかそんなんだった気がする)。

 そうした「真にせまった景色」を見せてくれたことに感謝して、ちょっと贔屓気味の評価にしておきます。でもまぁ、「真にせまったアニメーション」というのはやっぱり京アニの本領ということでね。ほら、弦の音が鳴り終わったら、次はどこかから楽器の音が響いてくるよ。早く春にならないかなぁ!

 そして、次の曲が始まるのです。

 

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DOUBLE DECKER! ダグ&キリル」 6→7

 いやー、最後まで笑わせてもらったわー。時期的な問題で最終話感想と最終評価がごっちゃになってもうしわけない。最終話感想としては、コピーされてるときに「ア゛ア゛ア゛ア゛」ってなってるユリちゃんが可愛かったです。以上。

 いや、最終話にこそ本作のエッセンスが詰め込まれてるとも言えるんだけどね。やっぱりさ、この方向性は思いついた時点ですごいと思うわ。一言でまとめるなら「徹底的に計算し尽くしてエエカゲンなことをやる」というコンセプトだろうか。「なんやねんそれ」という腰砕けの展開を、とにかく理詰めで最大級の「なんやねん」になるように作っていく。こんなバカバカしいこと、誰が挑戦しようっていうんだ。しかもこの作品の場合には質より量で攻めてる感もあるしな。密度が濃すぎてどこから突っ込めばいいかわからねぇんだよ。

 もちろん、ギャグに極端に寄せた構成なので、刺さらない人には全く刺さらないんだろうなぁ、という予感もある。単なる悪ふざけに見えるといえば見えるし、ネタを1つ1つほぐしていったら、「しょうもない」のは事実なのだ(まぁ、世の中のギャグなんて掘り下げた時点で大体そうなる気もするが)。しかし、この短期間にこれだけの「しょうもなさ」を詰め込むためにはどれだけの構成力が必要かってことだ。秩序ある騒乱ってのは、普段絶対に刺さらない脳の変なところに刺さる感覚がとても楽しい。そうした唯一無二の快楽に価値を見出し、私は本作に賛辞を送りたい。是非とも、To be continuedしてほしいものである。

 そして、何も「単なるバカバカしさ」だけではなく、しっかりとタイバニ的な「まっとうなヒーローもの」の要素や、サスペンス的な要素、バディものとしての心の交流も満足いくレベルで提供されるし、ハードボイルドな部分だってスパイスとして効果をあげている。バカ笑いして終わりかと思いきや、そこかしこで印象に残る絶妙なシーンも混ぜ込み、最大限に各パーツの見栄えがよくなるように工夫されているのも見どころの1つだ。最終話でまとめられていたダグの評価、「世界を救って定時で帰る男」ってキャッチコピー、めちゃめちゃ格好良くない? もう、最初から最後までダグのキャラクター大好きなんだけど。他にも「Don’t think, feel so good」なんて救いようのないフレーズがその意味を二転三転させて最後にビシッと決まるところなんかは確実に脚本の意図が結実している部分だし、突然出てきたザベルがクーパーを叩き潰すシーンで「どないやねん!」って思ってたら最後に「食べ物を粗末にしたからだ」っていうとこなんて、実際に作中で描かれたのはほんのちょっとの要素なのに、ザベル→バンブーマン→ザベルって2回転させてるからストンと落ちてきて満足感があるんだよ。1つ1つの要素に、本当に安易に終わらない意味がある。まぁ、そうした要素の周りにわけのわからないガジェットがいっぱい散らかってるのも事実なんだけど、このスラムみたいなごった煮感を作品世界として成立させてしまっただけでも勝ちだろうよ。よくもまぁ「タイバニっぽい2作目」っていうスタート地点からこんな無茶苦茶なもんを完成させたもんだ。

 前にも書いたけど、ほんとに1クールで終わっちゃうのは勿体無い作品だが、果たしてこれを2クールやって(制作側も、視聴者側も)体力が保ったかと言われればギリギリの線。ドンと上がってパッと散る作品だからこそ実現できた部分もあるのかもしれない。でも、やっぱり個人的にはもっとリスヴァレッタの大馬鹿コントが見たいんだ。ユリのパーソナリティなんて全然掘り下げてない、ケイのもっと可愛い顔はたくさんあるはず。結局ミラの人生はふわっとしたまんまだし、大家のババアに至ってはなんも分からん! なんとかして、燿司さんのナレーションでそのあたりを2秒で片付けて関係ないことやる続編がほしい。まだ最低でも143人は敵が来るわけだしな! 多すぎである!

 

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「色づく世界の明日から」 6→6

 ヤァみんな! 年が変わっても人間は変わらない、P.A.WORKS大好きおじさんだよ! 今年も素敵な作品をたくさん見せてもらえると嬉しいよ! あれ、でも1月からの新番組にP.A.作品が無いってまじか?! なんか、なんかくれよ! SHIROBAKOdアニメストアのCMばっか作ってんじゃねぇよ!

 ま、それはさておき、(ほぼ)毎週感想を書いていたので特に書くことがない系の作品だが、今作は非常にコンパクトに、1クールという尺に見合ったテーマ性と構成を打ち出してくれたことが小気味好い作品だった。ドラマとしてはあまり大きな刺激も無かったのだが、いわゆる「日常系」とも違ってしっかりと目に見える縦糸を据えて、それを取り巻く諸問題を13話に配置。およそ受け手側が想定できる速度とサイズに落とし込んだ。個人的には、こういう組み方もありやな、という不思議な達成感があった。大きな山が見えにくいせいで物足りないと感じる視聴者も出てきそうだが、こうしたジリジリとした「近さ」を持ちながら退屈しない物語を維持するバランス感覚はこれだけでも職人芸である。もちろん「凪あす」みたいな劇的なドラマもそれはそれで良さがあるけどね。

 そして、本作の場合、そうしたドラマ部分の「無難さ」は想定済みのもの。今作でスタッフが挑戦したかったのは、やはりその画面構成そのものだったと考えるべきだろう。今や日本を代表する圧倒的な映像美術を誇るP.A.の真骨頂というべき色彩の美しさ。本作はドラマのための映像ではなく、映像のためのドラマを作ったのだと考えるとよい。他のスタジオではとても生み出せないような鮮やかなその映像美を最大限に発揮する物語とはどんなものかを考えた時、「色」そのものをテーマにすえ、そこに青春時代の眩しさを加える。そうして生み出された「色づく世界」こそが、今作の主人公なのだ。

 毎度の感想でもよく引き合いに出していたが、P.A.の映像美は一度「グラスリップ」の中でも中心的なテーマとして取り上げられている。その時のテーマは「光」だったが、今回はさらにその細やかさを増した「色彩」「光彩」である。オープニング映像に象徴されるように、モノクロの映像部分と対比させることで何気ない色合いに大きな意味を持たせ、さらにそこからスタジオの持ち味である繊細な光の美術を見せることで、より世界の美しさを際立たせることができる。我々が日常生活でなかなか感じることができない「色があることの素晴らしさ」を、改めて考える機会を与えてくれる。これこそ、アニメでしか実現しえない作品のデザインであろう。後になって考えると、我々の代わりに世界の「見え」を体現していた主人公の名前が「ヒトミ」であったのもずいぶん意味深なものである。彼女の目を通して、我々は作品世界の美しさ、色づく世界のありがたさを知った。そうして改めて現実をみるにつけ、この色とりどりの世界には様々な魅力が潜んでいることに気づかされるのだ。

 挑戦的な作品テーマを維持しつつ、そこに見合った恋愛ドラマ、成長譚としても見ごたえのあるものに仕上がった。こうして変則的な作品作りに挑んでも中心がブレないところが、独自の武器をしっかり認識したスタジオの強みということなのだろう。今後とも、P.A.にはこうした作品作りに挑戦する気概を持ち続けて欲しいもんです。

 

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「ユリシーズ ジャンヌ・ダルクと錬金の騎士」 5→5

 久しぶりにラノベラノベしいラノベアニメだった。いや、毎シーズン「久しぶりのラノベ」って書いてる気がするんだけど、一時期はこういうラノベアニメが1シーズンにまとめて何作も登場するような時代もあったのでね。最近はその辺りのジャンルが大人しくなったので、昔みたいな過当競争がなくなったのは業界的には良いことなのかもしれません。

 そんなわけで、この作品ももし時代が悪ければ本当に十把一絡げで「はいはい、ラノベラノベ」てポイ捨てされていた可能性もあるのだが、最近のなろうベースの作品と比較すると、ドラマ部分の筋立ては実に普通で、懐かしさを覚える作劇だったのが楽しいような、つまらないような。でも、ちゃんとそれぞれのキャラがなんでそこにいるのかという理由が分かりやすいので、見ていても特に退屈することはなかった。まさかラスボスの子安戦で3話も使うとは思わなかったが、それ以前のノワールがらみのバトルとの引きなんかもあったのでそこまで冗長だとも思わなかったし。王道って大切なことよね。

 映像部分は、バトルシーンなんかで特に見るべき点はなかった気がするが、その分今作の売りであるベーゼパートが異様にネッチョリしているのが見どころだっただろうか。まぁ、適材適所ってことでね。どうせバトルシーンで他のアニメから突出できないなら、今作で期待されてる最大の伸び代を伸ばしてやろうってことなんでしょう。そういう潔さというか、割り切り方は他の作品も見習ってもいいと思います。いや、そりゃバトルシーンも盛り上がるほうがいいに決まってるんですけどね。贅沢は言うもんじゃないよ。「一応史実をベースにしている」っていう部分も、見ているうちにすぐ忘れてしまったのであんまり関係なかったしな。ジャンヌの末路が「ああなってしまう」っていう要素が我々視聴者の脳裏にもちゃんと残っていて、モンモランシがそれを見て悩むあたりがポイントではあるのだが。結局ラストにはあんまり関係なかったしなぁ。

 あとはまぁ、ひたすらジャンヌを愛でるというのが正しい楽しみ方。大野柚布子ヒロインは純真無垢なそのボイスの破壊力が高いが、ジャンヌの場合にはそこに背徳的なエロス要素が絡んでくるのでより一層の飛び道具に。早く療養を終えて復帰してくれることを願っています。

 

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「やがて君になる」 5→8

 さてなんと評したものか。先に結論を書いておくと、「結論は出ていない」。

 誤解しないでいただきたいのは、作品として完結していないとか、そういう類の問題ではない。私がこの作品を通じて、何をどう考えるべきなのか、結論らしいものが出せなかったという話である。ぶっちゃけ作品そのものとは関係ない、非常に個人的な、内的な問題である。ただ、それだけに感想を記述するのが難しいのである。

 しいて言葉を選ぶなら、実に芳醇な作品であった。とにかくあらゆる要素に意味が立ち、あらゆるカットに引きがある。そんなアニメである。今期は多くの高品質な作品が並んだ幸せなシーズンになったが、そんな中で一番好きな作品はどれかと問われたら、悩みに悩んだ末にこれをあげることになりそうな気がする。本当に、見たいものを見せてくれるアニメだ。

 ややアンフェアなのは、この感想を書くにあたり、放送終了後に慌てて原作コミックの方もあたり直したということだろうか。正直、初読のときに感じたものと、アニメで叩きつけられたものがどうしてこんなにも違ったのかを確認せずにはいられなかったのだ。その結果、自分の不勉強を恥じ入ることにもなったが、それ以上に「これ、アニメスタッフがすごいよね」という結論になった。確かに、「漫画を読めばそういう描写は確かにある」という部分がほとんどなのだが、ぶっちゃけ私は初読では今作の意味の半分も引っ張り上げられなかった。もともと漫画を読むのが苦手(?)なのだろうか、間違いなく「そういう意図」のコマがあっても、目が滑ってするりと流してしまう。そうしてなんとなく概形だけを読んで「そういう百合漫画」という受け止め方をしていたのである。しかしアニメスタッフは違う。ちゃんと立ち止まって、考えて、それを画に起こしている。アニメを作る人間なら当たり前だろう、と言われるかもしれないが、この「再構築」の難しさは、過去にどれほど「原作付き」のアニメがひっそりと消えていったかを思い出せば想像に難くないだろう。ことに今作は日本語の使い方が非常に上手い作品だと感じる。原作者の描いた青写真を、不備なくアニメーションにするだけでも、相当な理解が求められたはずだ。

 幸いアニメの脚本会議には原作者も毎回参加して、とにかく今作の伝えたいコアとなる部分を入念に打ち合わせていたようだ。その結果、ある要素は取り払われ、ある要素は書き足され、順番を入れ替えたり、ニュアンスを変えた部分もあったかもしれない。それでも元の作品が持っているものは損なわず、とにかくアニメで伝えたいことを絞り込んだ。本当に地味で、気が遠くなるほどに繊細な作業だ。だが、完成した作品を見る限り、この作品は見事に再構築に成功している。

 そして、今作で見せつけられたコア・テーマを考えると、やはりいつも以上に「百合とはなんなのか」ということを考えずにはいられないのである。私は百合好きだと事あるごとに公言しているが、未だに「百合の何が良いのか」に答えは出ていない。別にノーマルカップリングでもいいのではないか? 百合がいけるならホモはどうなのか? そうした疑問に対して、一応答えらしきものとして「同性愛だからこそ得られるものがあればこその百合だ」という解答を提示している。「ささめきこと」の魅惑こそが、百合の必須要素なのだと。

 今作においても、例えば沙弥香というファクターは間違いなくこれに該当する。隠した思い、表立って言えない気持ち。そんなものを扱った葛藤や面映さを魅力として取り上げる。しかし、今作の中心にある侑と燈子の関係はこれが該当するのかどうか。そこが分からない。何しろ、侑も燈子も、何度も取り上げているように尋常ならざる精神性を抱えた怪物なのだ。そして、そんな怪物じみた2人の心の薄皮を1枚1枚剥いでいくための道具立てが「恋愛」であり、その変化の痛みや喜びがドラマを構築する要素である。そこに「同性であること」がどの程度関わっているのか。極端な仮定だが、もし、これで侑ではなく(外見的に)槙のような「普通の男子高校生」が相手の恋愛ものだったらどうなっていただろうか。燈子が相手を「特別な存在」だと認識して関係性を育む上で、男であろうが女であろうがそこまで問題はなさそうなので、「侑と同じ精神性を持つ男性」相手に燈子が恋心を抱くという可能性はゼロではない。というか、そういう筋立てを想定することは充分可能だろう。

 そしてその時に、今作は全く同じような効果を持ち得たのかどうか。もし、二人の関係性に性別が一切関係ないのだとしたら、この仮定に対する答えはイエスになる。小糸侑が女性だろうが男性だろうが、燈子は同じような感情を抱き、沙弥香は同様の対抗意識を燃やし、侑は同様に悶々とするだろう。しかし、それじゃぁこの作品の百合要素は必要ないのかといえば、決してそうではないような気がするのだ。やはり、2人の関係は性別に依拠した「何か」がある気がするのだ。今のところ、この「何か」の正体が分からない。だからこそ「結論は出ていない」というしかない。

 ただ、そうして考える機会が与えられたということが重要なのだ。今作における侑と燈子の関係性は、「百合とは何か」「恋愛とは何か」「他者とは何か」ということをグルグルと考えなければ視聴できないようになっている。そのための舞台がアニメになったことではっきりと現れたのは、原作の持つパワーに加え、間違いなくアニメスタッフの力があってこそだ。これまた完全に個人的な価値観だが、私は「そういう」アニメが好きなのである。そういえば同じような当惑と高揚感は、「クズの本懐」の時にも芽生えたような気がする。あちらは百合要素もあったが、中心になるのは男女の恋愛だった。そこにはやはり違いはないのだろうか。

 結局、人間なんてのは有史以来恋愛ごとの惚れた腫れたで盛り上がり続ける単純極まりない生き物なのだ。そうした刺激の1つとして、本作はズブズブと人間心理の深奥に沈んでいく、そんな感覚が味わえるということなのかもしれない。

 とりあえず、ノベル読んでからもう1回考えたいです。

 

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「抱かれたい男1位に脅されています。」 5→5

 みんな元気ダナァ……(虚ろな目)。「万年発情天使」ってさ、普通に考えたらクイーンズブレイドのキャッチコピーだよね。

 前提条件として「受け入れられない」という真理があるにはあるのだが、なんかもう、ここまでくると面白い。理屈じゃねぇんだ。下半身なんだ。これって西條さんが性転換してしまえばほんとのほんとに普通のラブロマンス(?)になるはずなんだけど、その場合は100%地上波放送が不可能になってしまうというのがなんとも倒錯的。ここまで肉欲に振り切った作品なのに一切制限なく放送できるって、これはこれで性差別なのではないかという気もする。これがOKなんだったら、地上波でAV垂れ流しても大して変わらないのでは?

 いや、変わるんやろなぁ。実際にこれ見ても1ミリも欲情せんしなぁ。性衝動以外のどんな欲求でこの作品を楽しむんだろう、という疑問はあるかもしれないが、ぶっちゃけ、「こういう世界があるものか」という興味がかなり強かった。なんだろ、「そっち系のファンが求める野郎の性欲」のデザインがおかしくておかしくて。普通、男が突然前触れもなく股間を掴まれたら恐怖心こそあれ、いきなり艶かしい声あげて頬を赤らめるなんてことは絶対無いからね。まぁ、射精我慢カラオケみたいな展開はあるかもしれないが……なんだろ、この話をこれ以上突き詰めると本当に好きようのない話題になりそうなのでどこかでブレーキかけないと。とにかく、「フィクショナルな受けの男性像」を見事なまでに具現化させた西條さんの反応を楽しむアニメとしては本当に一級品でした。いや、可愛いもんね、実際ね。

 しかし、ふと冷静になってこのアニメの「嘘」を切り捨ててしまうと、非常に残念な事実にも気づかざるを得ない。「アハハ、男はあんな喘ぎ声出さないって!」「いきなり迫られたからって、そんな急にその気になって乱れるわけないやん!」。そんなことを思う。ふと気づく。あれ、これってもしかして女性がAV観た時と同じ感想なのでは……。AV女優のみなさん、素敵な喘ぎ声をいつもありがとうございます。

 理想のSEXは常に協力関係の上に成り立つのです。それは相手が異性だろうと、同性だろうと、きっと同じことなのでしょうね。サービスで応えてくれるなら、それが理想の女性だろうが、抱かれたい男第2位の西條高人だろうと、あまり関係ないのかもしれません。「もっと男ウケしたい」と思う人は、男女を問わず、西條高人を目指してみるといいんじゃないでしょうか。

 なお、そんな脇でこっそりCV日笠陽子で百戦錬磨の性豪女優が描かれていたのもポイントが高かったりします。まぁ、妲己と同じ声ですし。今後も性に奔放なぴかしゃ像を追求していってほしいですね(なんのニーズだ)。

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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子
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