忍者ブログ
最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
[102] [103] [104] [105] [106] [107] [108] [109] [110] [111] [112]

「ゴブリンスレイヤー」 5→5

 Will Returnって言われてもな……すでにやることなくなってる感があるのに、戻ってきて何したらいいんだよ。

 なんとも不可解な作品であった。制作側がかなり気合を入れて作っていることが伝わってくるので、作品としてのアベレージは高い。作劇にしろ演出にしろ、充分見られるだけのパワーを持っていた作品なのは間違いないないだろう。ただそれだけに、ますますこの作品が作られた根源的なモチベーションが気になってしょうがないのだ。今までになかったタイプの作品だけに、今後の追従作品が出てきたりする可能性もあり、ドラマづくりのサンプルとしては色々と検討しがいのある作品なのではなかろうか。

 最大の特徴は、やはりSSが起点という部分だろう。ネットのあだ花であったSS文化が、どこかの暇な人の努力によっていつしか一本立ちし、こうして大きな実を結ぶに至った。そのこと自体は理解できることなのだが、さぁ、これをさらにアニメ作品として1クールの物語を成立させようってんだからまた一苦労。見ていて面白かったのは、本当に今作が徹底したボトムアップの手法で作られているという点。もともと「どんな世界が描きたい」という大目標が存在しておらず、「ゴブリンを専門に狩る職人さんってどんな人なんだろうか」という思いつきを少しずつ広げていくことで「それっぽい」物語を作るという手法。しかもSSがベースなら、おそらく視聴者の反応を確認しながら、少しずつ肉付けしていくというアドホックな部分も数多くあったのだろう。即興芸術の趣で何が出てくるか分からないライブ感を楽しむ、そんな要素も当時はあったのかもしれない。ただ、それを後になって1つの確固たる作品として味わうときには、なかなか追従できないという悩ましさがある。

 そうして「下から」作られた作品なので、やはり端々に違和感の残る部分がある。例えば目に見えた特徴として「作中のキャラに名前がない」なんて部分があるが、やはりあれだけのコミュニケーションをとりながらお互いに名前の1つも知らない関係性は不自然だろう。仮面をとらせるよりも、まず名前を聞くのがコミュニケーションの第一歩。さすがに固有名を名乗らない世界というのは考えづらい。また、「ゴブリン以外の敵キャラが出せない」という制約はやはりどう考えても大きく、結局はロードだのなんだのといった上位種を出すことで対策しており、設定の無理はしょうがないよな、という諦めが感じられる。当初は最大の売りでありモチベーションであった設定が、最終的に足かせになってしまうというのは、作品規模が当初の予定を大幅に上回ってしまったことの表れだろう。

 しかしまぁ、だからと言ってそれが目に余る瑕疵であるかと言われると、そんなこともない。「そういうもんなのだ」と言われたら飲み込めない設定でもなかろうし、元のデザインが「情熱大陸」とか「ガイアの夜明け」みたいな「僕らの知らない職人さんのたゆまぬ努力と情熱」をテーマにしたお話なので、基本的には見ていて面白いはずのテーマなのだ。仁義も何もなしにただひたすらゴブリンを殺すことだけに生きるクレイジーな匠のお仕事についてはしっかり筆が割かれているし、ストイックすぎるキャラづけなどもそれなりに立っているので、1クールアニメとしてはやや間延びした感はあるが、「よくこんなネタで頑張ってまとめたな」というくらいの満足感は得られるはずだ。ただ、だからこそ「この続き」っているか? という最初の疑問につながるわけだが……。

 まぁ、どこまでいっても俺の中では「杉田と中村が新しく始めたネトゲにめっちゃやりこんでる梅ちゃんがいた」っていう話にしか見えなかったんですけどね(奈央坊は、多分番組ゲストとかで呼ばれた)。

 

拍手

PR

「閃乱カグラSHINOVI MASTER -東京妖魔篇-」 4→4

 はい、お疲れ様でした。なんかこう、シーズンに1本くらいこういう作品があるのは、ご褒美とかなんとかいう以前に、もうアニメ業界のノルマみたいな気すらしますね。

 でも、やっぱ求めてないよぉ。あんまり必要としてないよぉ。強いて求めている要素を挙げるとしたら、今作はすっかり歴史の長い作品になってしまったため、キャストの面でストライクゾーンのど真ん中なので、このキャストが真剣にエロい作品に取り組んでくれるならそれはそれで嬉しいということですね。まぁ、今更千和に喘ぎ声あげられても「息子が心配すんぞ」としか思えないけども……。ただ、幸か不幸か、この作品は「真剣にエロいことをする」シーンは一切ないですからね。どこまでいっても「エロ」っていうか「エッチ」みたいなところで止められているあたりが全年齢向けである(いや、視聴年齢制限あるんだけどね)。ハレンチ学園みたいなもんだと思えばだいたいあってるんじゃなかろうか。俺ハレンチ学園読んだことないけど。

 結局、1話目からずっと抱えていた「シリアスなテーマを扱ってる割には大前提で閃乱カグラ」という問題は最後まで解決しないんだよな。「妖魔とは何か」、そして大命題である「正義とは何か」という問題を問い続けるシナリオではあるのだが、その妖魔とのイデオロギーの激突があまりにシンプルで、わざわざおっぱい振り回しながら見なくてもいいんじゃねぇか、というストーリーになっている。大事な話をするならまずは服を着ろと。この作品のアイデンティティが崩壊するようなツッコミしか浮かばないのだが、やっぱりステーキとプリンは食い合わせが悪いんだよ。別々に用意してくれよ。前述の通りにキャストの層が厚いので、メインのドラマ部分もやたら気合が入っているのがどうにもこうにも……。いや、全部割り切って「最終的にシリアスやってるけどゴールはおっぱい」だと思えば何もかもがどうでもよくなるんだけどね。それってわざわざシリーズアニメで見る必要もないんだよなぁ。

 とりあえず、複雑な感情を抱えた悪役をアスミスがやってくれているのを見るとそれだけで嬉しくなるので、「WIXOSS」に続く「悪い子阿澄作品」という部分だけでも覚えておけば良いのではないでしょうか。あとはやっぱりはらみーとダチャーンの貴重な正統派(??)ヒロイン作品としての見応えですかね。やっぱ中の人の話題しか出てこねぇや。

 まぁ、映像のクオリティは決して低くはないので、原作ファンには求められているものを提供していたのかもしれませんな。世間には僕なんかよりもよほど真剣にこの作品の持ち味を料理してくれるソムリエの方々がいると思いますので、適材適所で、味わうべき人の下に届けられることを願います。

 

拍手

「メルクストーリア-無気力少年と瓶の中の少女-」 5→4

 こちらはおまんじゅうクラブがない方のソシャゲアニメ。いや、あれと並べるのはさすがに申し訳なくなるけども。

 ただ、1クール通してみるアニメとしてどっちが良かったかと言われると、さらに申し訳ないことに悩んでしまうことになる。ストーリーがしっかりしていたのはこちらの作品。いや、それどころか映像部分も演出全般も、こっちの作品の方が正しく良質なアニメーションになっていたはずである。監督の追崎さんの持ち味であるほっこりまるっとした愛らしさが全般に満ちていて、実に優しい作品世界が広がっている。一本のフェアリーテイルとしてみたときに、素直に評価されるべきだろう。

 ただ、……如何せん、その素直さ故にほとんど引っ掛かりがない。原作ゲームをプレイしている人間や、素直に楽しめる人には毎週の癒しになる作品だったことだろうとは思うのだが、日々の生活に疲れ、そして週に50本以上のアニメをちぎっては投げ、ちぎっては投げしている人間にとって、このアニメはあまり求めているものを提供してくれなかったのである。うん、どう考えても俺の生活の方が間違っているので、改めるとしたらこの作品じゃなくて俺の性根の方だな。すまない。

 まぁ、結局は甘いしょっぱいがはっきりわかるジャンクフードばかりを食べるようになってしまっているので、おばあちゃんが焼いてくれたトウモロコシにそこまでありがたみを感じない、みたいな状態なんだろうなぁ。もっとゆっくり、3ヶ月くらいひっそりと人里を離れて隠遁生活できればこういうアニメを受け入れる精神的余裕も出てくるのだろうが……。ただ、やっぱり押しが弱かったのは事実なのよね。ソシャゲシナリオとはいうが、主人公のメルクたちが色々な街を巡り、そこで異なった境遇の人々の物語に触れていくという構成は「キノの旅」なんかが近い。主人公はそれぞれのパートのキャラたちであって、メルクとユウの役割はどちらかというと「観察者」「傍観者」である。その上で、元々のソシャゲシナリオの目的を考えるとユウたちの成長物語、メルクの記憶を辿る物語としても成立していなければならないはず。アニメではその縦軸の部分が非常に弱く、成長したとは言っても、毎回のゲストキャラにかき消されてユウたちの存在感が薄れてしまったかなぁ、と。

 いや、でもそのぶん単発のシナリオとしては好きなやつも多いんだけどね。お気に入りはやっぱり日笠と日笠が揉めたからって日笠が解決しにくるお話ですかね。もう、何させてもいいと思ってるだろ。あれだけキャラを取っ替え引っ替えできて、なおかつ歌キャスまでこなせる日笠を骨までしゃぶるナイスなお話だった。こうしてみると、これだけ違う世界を描きながらも雰囲気がブレてないんだから、やっぱりシリーズの統制は優秀だったんだろうな。

 うーむ、やはりソシャゲアニメの着地点というのはまだまだ手探り状態だな……さて、来年からは、僕の一押しのソシャゲがアニメ化されます。詳細は後日熱をもってお伝えする予定ですが、果たしてどうなるものやら……。

 あ、メルク可愛いです。本当に。

拍手

SSSS.GRIDMAN」 5→7

 今期最大の話題作の1つ(英語的表現)。まぁ、色々と素敵でしたよね。直撃世代からしたらありがとうしか言葉が出ない。

 どっかで見た今作の評価に、「元々当時を懐かしむおっさん世代を狙った作品だったのに、意外と現代的な評判も呼んじゃったダークホース」っていうのがあって、まぁ、確かにそうだよな、っていう。しかし、元々どれくらいの「当て」を狙ったのかは定かではないが、そんな「遊び」のある土壌を活用した様々な実験的試みが導入されていたのが本作最大の見どころだったのではないかと考えている。

 切り口は数多くあるだろうが、きりがないので個人的に注目したい2つのポイントに絞って評価していこう。1つはTRIGGERというスタジオの独自性を発揮した「アニメと特撮の融合」というチャレンジ。元々特撮というのは「現実の映像にどれだけ虚構を混ぜ込むことができるか」というチャレンジであり、対して(少なくとも一部の)アニメーションというのは「架空の映像でどれくらい真に迫ったものを描けるか」というチャレンジ。目するものは相補的でありながらも、何故かこの2つは決して1点で交わることはなく、不可解なねじれの位置にある創作理念になっていた。ウルトラマンのような国内伝統の特撮作品でもなかなかアニメーションで突出した作品が生まれないのは、このねじれの関係性が原因である。これがよその国の媒体であるなら、どっちかというとアニメーションの「架空を現実に寄せる」力が強く働き、例えば一連のアメコミ映画のように3DCGをバリバリに駆使した実写映画などがその融和点を見出すに至っているが、ジャパニメーションの場合、あまりにも目指した方向が独特であり、とてもではないがその良さを特撮方向に落とし込むことができないでいたわけだ。

 しかし、本作では開き直った「特撮観」みたいなものをあけっぴろげに示すことにより、新たな着地点を見いだすに至った。雨宮監督たちが作り上げた解決法は、「特撮の中でもより嘘くさい部分を際立たせる」という方向性である。つまり、特撮をやっているとどうしたって出てくる「偽物感」というか、ちょっと子供騙しにも見えるような大仰な演出部分を、今度はアニメーションとして切り出すことで、「現実の投射ではなく、特撮の投射」としての映像制作を実現させた。具体的に作中で言及するなら、グリッドマンの本当に重々しいアクションの見せ方、大きなものを過度に大きく見せるカメラワーク、細かく飛び散る噴煙や石飛礫など、「現実にはないけど、特撮にはある」というパーツが効果的に使われている。この辺りの「特撮らしさ」を過度に際立たせる方向性は、少し前に話題になった「シン・ゴジラ」につながるものがあるかもしれない。また、「嘘臭さ」をアニメと融合させるという方向性の補強要素として、過去のロボットアニメなどの執拗なオマージュ的再利用が挙げられる。今作の話題には何度となく大張正己氏の名前が登場していたのを目にしたが、いわゆる「バリ演出」のような、「嘘でもいいからとにかく格好いい」を徹底して見せていくことで、「アニメの格好よさ」と「特撮の格好よさ」をシームレスに繋いでくことを狙いにしているように思われる。これがどこまで成功しているのか、残念ながら私は特撮フォロワーとしてもロボットアニメフォロワーとしてもキャリアが無いので正確な判断はできないが、充分に話題性があり、見せたかった効果が出てきたとは思えるのである。

 そうして特撮とアニメの橋渡しをしてくれたのが、今から20年以上も前に制作されたグリッドマンだったというのがなんとも不思議な運命のいたずらであり、この「グリッドマン」という題材の扱い方そのものが、注目したい2つ目のポイントである。昨今のリバイバルブームでは数多のレジェンド作品が現代アニメとして蘇っているが、原作グリッドマンの(誤解を恐れない言い方をすれば)「よくある典型的な特撮番組的な構造」を、どうやって1クールのアニメのプロットに落とし込むか。そこでスタッフが考え出した構造が、「コンピューターワールドに絞ったストーリー展開」という斜め上の発想だったわけだ。

 この思い切った舵取りのおかげでシナリオが適度にコンパクトになったことに加え、最後にどんでん返しを見せることで現代アニメ視聴者が喜びそうな「セカイの改変」を伴うサプライズを見せることができる。まぁ、切り方としてはそこまで目新しい「ネタ」ではなかろうが、その部分のサプライズのみを単発ネタとして使うわけではなく、あくまでも原作の「グリッドマン」への帰着に必要なプロセスとして見せることで、最終話の綺麗な収束部分へと繋げていくことができる。改めて見直せば、作品世界の異質さ・違和感が全てこの「我々と違う次元の世界」を構築するために工夫されており、単なるこけおどしではなかったことが理解できる。端的な部分で言えば、今作は作中を通して徹底して余計な音というものを排除している。びっくりするくらいにBGMが少ないし、いわゆるSEを使った環境音の演出などもほぼ無いような状態。なんとも珍妙なこの光景は、この世界が完全に外界から切り離された閉鎖空間の中にあることの表れ、アカネという気まぐれな神が、そんな細かい部分にまでこだわらずに作った適当な産物だったことが示されたもの。鳥の声もなく、車も走っておらず、おそらく虫や動物だっていないような世界。それは、アカネがただ現実から逃げ出し、「他人との関係性」のみを想定して構築した小さくいびつな箱庭世界。その世界構築が恐ろしいほどに緻密で、残酷なのである。

 原作ファンからしてみれば、こうして作られた世界がかつてグリッドマンが「直していた」あの世界だったと言われれば納得せざるを得ない。これこそ、アニメと特撮をつなぐ「間の空間」だったのだと言われたら唸るしかない。よくもまぁ、こんなずるっこい企画を考え出したものである。個人的にはこういうトリッキーな挑戦が大好きなので、このプロットを成立させたというだけでも大満足である。あとはもう、みんなでアクセスフラッシュできるっていう、それだけでね。

 もちろん、アカネちゃんが可愛い、というのも大事大事である。まぁ、ほら、やっぱり現代アニメの視聴者を引きつけておくのにはエロい女の子を置いとくのが一番効率的だからさ……。今作の「主人公」だったアカネの描写に容赦がなかったことが、今作の勝因の1つとも言えるのではなかろうか。

 さぁ、あとは何年後かに新たに「電光超人グリッドマン2」が始まることに期待しましょう。多分、アニメとは全然関係ない話が展開されることになるだろうけど、物語中盤あたりでこっそり主人公チーム(グリッドマン同盟)を助けてくれる謎の少女(演:上田麗奈)が出てくるっていう展開を楽しみに待っている。単に実写のうえしゃまの活躍が見たいだけ、という話もある。

拍手

「叛逆性ミリオンアーサー」 5→5

 結局なんだったんだよ。分割2クールかよ。このあと何がしたいんだよ。

 典型的なソシャゲアニメなので基本的に一見さんお断りっぽいのだが、じゃぁ一見さんじゃなければOKなのかと言われると、どうもそんな気もしないアニメ。原作ゲームのちゃんとしたファンがこのアニメを見てどんな感情を抱くのかは大いに気になるところである。まぁ、すでに数々のメディアミックスを重ねている作品らしいので、今更そのノイズが1つ増えたところで微動だにしない可能性もあるんだけど。

 初見の人間からすれば、「なんやこれ訳わからん」からスタートして好き放題しているソシャゲアニメ以外の何物でもない。ただ、設定のあまりのバカバカしさに匙を投げなければ、2話目以降は意外と親切な設計になっており、ソシャゲにありがちな「キャラが一気に溢れてきてよくわからん」という事態は起こらないようになっている。キャラが全員「アーサー」であり「閣下」とか「錬金」とかよくわからないコードネームで区別しなきゃいけないのは大変そうに見えるが、むしろ名前を覚える必要がなく、なんとなく要素に紐つけされたコードネームで認識した方が楽なのである。これがゴブリンスレイヤーみたいに「槍使い」とかになってくるとまた微妙ではあるのだが、今作ではちゃんとそれが固有名として機能しているので問題ない。そして、あとのストーリーはこの6人だけで回していくので、キャラを覚えなきゃいけないという負担が格段に軽くなる(お供妖精いるから総勢12人だけど、これも各パートナーごとに紐つけされるし、ぶっちゃけ覚えなくてもあまり問題はない)。そして何より、別に覚えようが覚えまいがあまり問題にならない1話完結ストーリーだし、そもそも中身がバカなので、真剣に事態把握に努める必要もないかな、という諦めが先にくるのである。

 そして、なんとなくユルいギャグとして本編を流していれば、最後にはよりカオスな1分間が待ち構えている。どれだけ退屈な20分を過ごしたとしても、そのあとにウィーラブおまんじゅうクラブしてしまえば何となく達成感はある(徒労感ともいう)。そしてこちらには容赦無く全然知らないキャラもぶち込まれる訳だが、知らなくても何の問題もない。むしろ知らない方がまだ幸せかもしれない。もう、あとは単に中の人が壊れていくのを見守るだけですからね。このタイトル、こんだけ好き放題やっててもブランドイメージに問題はないのか……。

 とりあえず、中の人が色々と贅沢なので好き放題やってるのを聞いてるだけで割と楽しかったですよ。やっぱり天さんの底抜けアホキャラは安心して聞いてられるし、いのすけの阿漕なキャラ造形もピカイチなんだよな。妖精チームの「お前らメインでもいいんじゃないの?」感も大したもので、実は今作の最大の見どころはエンディングだったんじゃないかとすら思っている。エンディング映像、あんなデザインなのに無駄にリップシンクとか完全に揃えて曲のために描き下ろした映像なのがわかるのが憎たらしいんだよな。

 

拍手

「ベルゼブブ嬢のお気に召すまま」 5→4

 17歳の人にナレーションやらせておけばだいたい作品の雰囲気は固まるとかいう風潮。一理ある。これがもし能登麻美子だと細胞が働きだす。

 ぶっちゃけると、飽きました。悪い作品ではないんだよ。本当に徹頭徹尾ふわふわもこもこを貫いており、ケセランパサランに埋まりながらなんとなく半裸の女の子を愛でるぶんにはこんなにも手っ取り早い作品はない。どう考えても舞台設定がおかしいが、これこそが今期ナンバーワンの「日常系作品」だろう。ちょっとおかしな性癖の人も数多く登場するが、まぁ、これくらいはアニメなんだから許容範囲。おかしいとは言っても頭がイカれてるレベルのキャラはいないし(多分ね、若干怪しいのが1名いたけどね)、どこまで行っても予定調和のゆったりギャグやほのかなラブコメが楽しめるという寸法だ。

 ただ、やっぱりいつも書いている通りに「日常系」はそこまでハマりこむ要素がない……。何か一つでも大きく気にかかる要素があれば良かったのだが、わざわざキャラ設定を悪魔にした意味が本当の本当に1ミリもなく、これってどこか架空の学園の生徒会とかでも問題なく機能する。むしろ「寄宿学校のジュリエット」の方がよっぽどファンタジーだった可能性すらある。設定の諸々が有機的につながっている印象がほとんどなく、あっちでこのネタ、こっちでこのネタ、という単発の仕上がり。各キャラクターは各自が別方向にちょっとずつ変なので、それが絡んでいるような、素通りしているような。「極度の頻尿」とかいうよく分からない尖り方のキャラも、本当に「単にしょっちゅうトイレに行きたがるだけの子」で終わってしまってるしな。もっとお漏らしする久野ちゃんを有効利用しなさいよ(問題発言)。

 いや、まぁ、こういう作品に「もっとひねった刺激を!」なんていうとかえって持ち味を殺してしまう結果になるのは目に見えているので、これを求めている人には素材の味をそのまま甘受してもらえば良いのだろう。実際、私も最初の2〜3話くらいは「いやし〜」ってんで楽しんでたし、エウリノームさんが登場した時の不穏な緊張感は結構好きだった。うん、だから悪い作品じゃないんだ。ただ、今期は他作品が色々と尖っていたおかげであまり日の目を見なかったというだけなんだ。いや、時期をずらしたらこれが輝いたかと言われたら責任持てないけどさ。5分アニメとかでも良かった気はするよな。

拍手

「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」 6→6

 ラストのエンディング全員歌唱はずるいな。一枚看板クラスのキャストを惜しげも無くつぎ込んだパワープレイ。こんなハーレムがあっていいものだろうか(否、良くない)。

 終始安定した進行で、目に、耳に楽しませてくれた作品。ガッツリとラノベ文化ながら、青春小説としてきちんと地に足のついたドラマ展開があっておじさんにも優しいアニメだったと言える。いや、どうだろ、もしかしたら受け手である私の方の感性が変わってきたのかもしれないが……今見たら「俺ガイル」とかの印象も変わってくるんかなぁ。いや、変わんねぇだろうなぁ、やっぱムカつくだろうなぁ。

 じゃぁ、本作はなぜムカつかなかったんだろう。否、ムカついてはいた。1話目の感想を見直したら、やっぱり「咲太の物言いにはちょっとイラっとする」と書かれている。どうにも「ラノベ主人公」というだけで変なフィルターをかけてしまう癖があるみたいだ。幸い、そうしたイラつきはすぐになくなり、気づけば「咲太と先輩の真正面からの清く正しい男女交際は褒められこそすれ、貶される理由はないよな」という保護者目線にスイッチ。いつしか二人の関係がズブズブと深まっていくのを楽しみながら見られるようになった。やっぱり、最大のプラス要因は咲太のキャラクターなんだろうなぁ。いわゆるやれやれ系主人公的な醒めた部分はあるものの、割と青少年らしい情動には素直だし、すごくまっすぐに他人のことを考えられる子だってのは伝わるんだよ。特にかえでちゃんを大切にしている部分はシナリオとの絡みもあって繰り返し強調されている要素で、歪んだラノベ文化的な「妹萌え」とは全然違った妹への愛情が感じられるのが良い。私事だが、私もリアル妹がおり、さらに中学時代に不登校になっていたという部分も共通している。まぁ、うちは兄弟がみんなして面倒になると学校に行かなくなるような家庭だったのだが……それでも、やっぱり何か悩みを抱えて家にいるようになった妹に対し、どんな風に気を遣えばいいのかというのは兄として考えるべき部分であった。そんな不可思議な共感のおかげで、より咲太に感情移入しやすくなった部分はあるかな。

 そして、本作のメインパートである思春期症候群の扱いも個人的には注目したい部分だ。「症候群」と名付けられていることからも分かる通り、今作で起こる様々なアクシデントは、超常現象でありながら、個人に帰属する「疾患」でもある。何度も比較しているのは物語シリーズの「怪異」との違いで、おそらくどちらも「個人的な悩み、ストレスの具体化」という部分で根っこは同じなのだが、西尾維新の場合は得意なフィールドに舞台を持っていくため、少しずつ怪異がキャラから離れて「現象」として独立していった。あくまでも怪異は憑いた人間とは別存在であり、「他者」であるという区切りが存在する。それに対し、本作の「症候群」は完全に内的なものであり、中身次第では現実的な精神疾患として取り上げることすら可能なものもある。かえでの記憶喪失なんかはその最たるもので、もしも自分が同じような立場に置かれた時に、2人のかえでをどう扱ったらいいのか、なんていうのは考えさせられる部分だ。記憶が戻ったことは嬉しいはずなのに、失われた2年分の「かえで」を惜しんで泣きじゃくってしまう咲太。彼は覆しようのない現実に涙しながらも、現状を悔やんでいる己自身の不甲斐なさにも打ちのめされている。そうした「現実には無いけど、あるかもしれない痛み」を考えさせる筋立てが絶妙なリアリティを醸し出してくれる。

 後輩ちゃんのタイムリープなんかはさすがにSFに寄りすぎているし、いささかラノベ的なテイストが強すぎた感はあるが、双葉の淡い恋心からのすったもんだはキュンとさせられるし、これまでの人生の正しさを問う麻衣先輩の姉妹話も若者の将来への不安がにじみ出ていてやきもきする。そうした「人間が誰しも抱えている弱さ、脆さ」みたいなものを、中心となる咲太が強い意志でもって打破していく。やっぱり、青春小説ってのはこういう素直な骨子がありがたいと思うんですよね。

 まぁ、ぐちゃぐちゃ書いてみたけど「全般的にヒロイン勢が可愛くてありがたいな!」っていうのも素直な感想です。僕の推しは双葉さんなんですが、作品自体が先輩の強さの上に成り立っているので、やっぱり最終的には先輩がナンバーワンなのかな、とは思います。今作に関しては「やっぱりタイトルがもうちょっとまともなら……」と思わないでは無いが、先輩と咲太の小っ恥ずかしい関係性が最後まで大事であることを考えると、まぁ、これでいいのかなって気もする。ブタ野郎ですね。

 劇場版かぁ……観にいく気がするなぁ。

 

拍手

CONCEPTION」 5→5

 で、結局何やったんや、コレ。いや、3ヶ月間も付き合ってきたんだから、「なんなのか」はよく分かってますよ。えぇ。

 ひたすら淫乱狸のマシンガントークを聞き続けるだけのアニメ。何を言ってるかわからねーと思うが、観れば分かる。観ないと分からない。あ、ごめん、やっぱり観ても分からないかも。もう、世界の何が正しいのかよく分からなくなっているよ。

 多分、アニメ化の企画が持ち込まれた時点で誰かが冷静になって「いや、これはやめましょう」って言わなかったのが最大の問題であって、そのままスタッフが集まってなんかよく分からないうちに出来上がっちゃったのが最大の功績。だって、悔しいけど毎週見ちゃうもん。その上で微妙に面白い時もあるんだもん。これって現代アニメにはびこる異世界転生を徹底的にパロディにしてバカにしてる作品だと思えば結構なメッセージ性があったのかもしれないぞ。残念ながらそんなことは微塵も考えてないと思うけど。RPGっぽいテイストをなんとなく残しつつ、「女の子とイチャイチャして(あわよくば契りを結んで)個性を掘り下げていくよ」っていうのは完全にギャルゲの文法であり、今作は一番近い理念を探せばやっぱりギャルゲには違いないのだが、女の子とイチャイチャするための道具立てが特異すぎる。なんやねん、パン屋の倉庫に監禁飼育プレイって。ちょっと楽しそうやないけ。挙句油断するとBLにまで手を伸ばそうとするし、RPG要素は適当でいいって言ったら最後はモビルスーツ出して解決しちゃうし。本当に見れば見るほど原作がどんなゲームなのかが分からなくなっていくという。え? これであってんの? 我々がアニメで見たシナリオがゲームになってるの? だとしたらすごくない? ほんと、誰か止めろよ。

 そんなわけで、やいやい文句を言いながらも、最後まで楽しんでしまいましたとさ。まぁ、功績の6割くらいは狸が持ってったと思えばいいよ。せっかく13人もヒロイン並べてるのに、単なる狸の引き立て役にしかならないってどういうことだよ。狸が確立させた芸風を振り回し続ければ、もう狸ワールドでいくらでも続編が作れるかもしれん。狸ファンは要チェックだが、なんだ狸ファンって。中の人のゆりんっていわゆるアニメ声優としてはそこまで活躍してないんだけど(名前が独特なのでどこかで見た記憶はあったが)、今作では本当に独擅場。キャスティング考えた人はすごい。本来ならメインを張るはずの巫女たちが束になっても太刀打ちできなかったのは恐ろしいことである。これだけ巫女のキャストも充実してるんだし、もっと真っ当な方向性でも作品作りはできたと思うのだが……やらなかったか、そうか。

 こんな無茶苦茶なもんを放り投げられても、なんだかんだと作品を成立(?)させてしまった元永監督&岩畑さんはやっぱりすごいわ。もしよろしければ、GONZOじゃなくてもうちょい作画リソースとか人員が割けるスタジオで活動していただけると助かります。

拍手

「バキ」 5→5

 やっぱアニメにされてもよく分かんねぇよな。訳わかんないのになんか知らんけど丸め込まれて「まぁ、刃牙ならこれでいいや」ってなっちゃう恐ろしい漫画である。

 鳴り物入りでのアニメ化、Netflixが出資してのアニメ制作というので話題を呼んだものだが、出来上がってみると、別に既存のアニメと比べて何か凄いところがあるわけではなかった。バキらしいとんでもないモーションや誇張しすぎの表現など、ところどころ「オォ、原作をこういう風に持ってくるのか」と感心する部分もあったが、CGを使うことでのっぺりして「あれ、こんなもんか?」と思っちゃうようなところもあった。現代アニメとしてはむしろ没個性で、映像部分では原作のくどさが消えてしまっているような印象もあった。いや、それでも充分クドいのは間違い無いのだが……。もう、この絵柄だとどこまでが通常営業でどこからがギャグなのかも判定が難しいんだよな(全編ギャグ漫画やんけ、という意見は無効とします)。

 とにかくそんな「原作絵強過ぎんよ」という難題のアニメ化。2クールという尺を考えれば、いろんなところに気を遣ってくれたので努力賞といったところだろうか。少なくともファンを怒らせるようなとんでもないカットや改変はなく、台詞回しもできる限り板垣節をそのまま使ってくれていたのは良かったのではなかろうか。声に出して読めば読むほど、やっぱりおかしい板垣節。まぁ、その辺は「ジョジョ」の荒木節に通じるものがあるけど。長く人気を維持している漫画作品ってのは、なんでもないところでアクが出る個性の見せ方があるってことなんでしょうね。

 そして、それらをすべてひっくるめた上で、やっぱり死刑囚編後半からは何がやりたいのかわからない漫画になってるんだよな……。結局死刑囚ってなんだったの? とか、敗北は知りたいとかイキってたのはなんだったの? とか、最強は誰なんだよまじで、とか。ルール無用の前田光世方式だったもんだから、誰と誰が戦ってどっちが上、みたいな描写がすごくわかりにくいんだよね。そうした「真っ当な試合」を除いた部分での「バトル」をやろうというのは分かるんだけど、本当に散逸的にひどいことをやり続ける喧嘩漫画になったら、こけおどしが本当に脅かしたところで終わっちゃうっていう。

 その上で最終回とはいっておきながらシームレスでライタイサイやからな。もう、どうせだったら寂先生の活躍も見たかったわ。続きをアニメ化したら、ますますどこでどう終わっていいのかわからなくなるが……。バキって何が面白いんだろう、ということを、改めて考え直す必要があるのかもしれない。

 

拍手



忍者ブログ [PR]
カレンダー
01 2025/02 03
S M T W T F S
13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28
ブログ内検索
カテゴリー
プロフィール
HN:
Thraxi
性別:
男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子
ーーーーーーーーーー
↑越えられない壁
沢城みゆき 斎藤千和 
中原麻衣  田中理恵  
渡辺明乃 能登麻美子
佐藤利奈  佐藤聡美
高垣彩陽   悠木碧
最新CM
[02/11 NONAME]
[02/06 NONAME]
[01/30 NONAME]
[01/27 デュッセル]
[01/21 デュッセル]
バーコード