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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 次回予告が理央さんだったので満足です、第4話。種さんは仕事休む宣言してからの方が声聞いてる感すらあるんだよな。

 一応新章突入ではあるが、話がどこに転がるかがさっぱり読めない。前回衝撃的な登場を果たしたミニスカサンタうえしゃま。今回のシリーズタイトルが「サンタクロース」だし、その邂逅が第1話の麻衣と同じだったことを考えれば彼女こそがキーパーソンになるのだろうが、言ってることが荒唐無稽でどこまで信じていいのか分からないのでどうにも捉え所がない。「思春期症候群を配っている」という彼女の言がもし本当であるなら、すなわち本作の「ラスボス」というか、神みたいな存在ということになる。彼女を(どうやってかは見当もつかないが)打倒すればこの世から思春期症候群は消え去り、今作は本当の本当に若い男女の日常を描いた青春小説になる。思春期症候群という存在自体が謎なのだから、そうした展開があってもおかしくはないだろう。

 ただ、個人的な肌感からあんまりそういう展開にはならないとは思うんだよな。今作における思春期症候群ってのは本当に「思春期という状況を顕在化させるための一手法」でしかなく、それ自体が引き起こす怪奇だとか、解決するための方策自体がテーマになっているわけじゃない。発生理由自体は曖昧なままにおいておかないと「現象」としての立場が揺らいでしまうわけで、わざわざ「創造主」を設定する意味はあんまりない気がする。まぁ、もしこの作品に最終回があるとして、その1つの形が「思春期症候群の消滅」である可能性はゼロではないのだが……多分そういうことはしないんじゃないかな。

 だとすると、どうしたって「思春期症候群を配る者」という存在はイレギュラー中のイレギュラーになってしまい、その存在に疑義を挟まざるを得ない。そして、語り継がれる霧島透子という人物像が謎のままであるのだから、目の前のミニスカが本当にそうなのかは誰にも分からない。今回のシリーズで彼女の真相にどこまで迫れるかは分からないが、しばらくは眉毛に唾をベタベタにつけながら見守るしかなさそうだ。

 そして、そんなミニスカサンタの仕業なのかどうか、咲太の周りには放っておいてもどんどん女の子が集まってくるのはこの世界で一番の超常現象。理央さんもその辺は辟易してるみたいだけど、久しぶりに仲のいいお友達3人での憎まれ口がたくさん聞けたのはありがたい。理央は大学に行ってもずっとあのままのようで本当に安心できる。そしてそんな理央と一緒に向かったバイト先の塾でも一悶着。CVが小原好美の時点でこの子もなんかあるだろ、とは思うが、展開から考えてもうちょい先にスポットが当たる子かしら。

 さらに、こないだの飲み会で知り合ったCV石見舞菜香の子(美東というらしい)なんて、しれっと咲太にお土産渡す関係。いつの間にそんなに仲良くなりやがったんだこいつら。この子も描写の執拗さから考えて今後のヒロインになるんだろうな、という配置になっている。

 さらにさらに、どうやら今回のヒロインはそんな2人を差し置いて「咲太の中学時代の同級生」である赤城郁実(CV山根綺)が選ばれた。「夢見る」という謎の文化に従って行われる未来予知。それを信じてボランティア精神からか人助けを行う看護学科の「ナイチンゲール」。常に想定を超えた挙動を示してきた思春期症候群も、いよいよ未来予知にまで到達したのかどうか……いや、これよりびっくりなこともいっぱい起きてたから今更そこまで驚かんけども。ヒロイン大渋滞のこの現状だけ、まずなんとかしてください咲太くん。

 

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 次回予告の音声だけをまとめた動画とかどっかにないですかね、第3話。 ……って書いてからググったらふつーにあった。いやぁ、どれもこれも良いものですが……やっぱりわたしとしては理央が一押しですかねぇ。

 卯月のエピソードが意外とすんなり収束して3話でおしまい。まぁ、1期のことを思い出せばだいたい1人あたり3話くらいで推移してたので特別急いでいたわけでもないのだが、此度の一件はこれまでのストーリーの中でも「超常」から一番かけ離れたお話だったため、なんだかどこが山場なのか分かりにくいままに収束した印象ではある。卯月の思春期症候群、結局一言で表すと「性格がまるくなる」ってだけなんだよな。まぁ、それだけの変化でも、少年少女の青春には大きな影響を及ぼすってことがよく分かるわけだが。

 そういう意味では、本作における「症候群」が本当に「病状」の一部として扱われているという特性が顕在化した話だったとも言える。これは花楓の時にも似たような話題を出した気がするが、本作において「超常」はあくまでも副産物であり、主題となっているのはいつだって「思春期」であり、各ヒロイン勢が抱えている種々の悩みである。それが現実にはあり得ない形で発現すれば能力アニメっぽくもなるが、より内面に肉薄した実態を伴えば、それは現実にも起こりうるレベルでの「症状」になるわけだ。今回の卯月は「性格が変わって周りが見えるようになった」という、いっそ「症状」どころか「変化」とか「成長」といってしまってもよいレベルでのお話。それでも既定の路線から大きく外れることなく物語が繋がるあたり、やはりそつのない筋立てだったと言える。

 まぁ、おかげであんまりメインの筋について語るべき言葉を持ち合わせていないのだが……じゃぁなんでわざわざ記事立てしたかというと……①麻衣さんが車運転して送ってくれるのいいな! 姉さん女房なメインカップル。こんなところでも咲太さんは先輩にリードされちゃってまぁ。羨ましいったらないわ。彼氏がバイト代貯めて教習所行こうかどうか悩んでるタイミングで、彼女の方はさっさと免許取ったうえでサクッと自家用車が買えちゃうという。もう、ずっとヒモとして生きていきたい。

 そしてトピック②、なんか……なんか出てきた新キャラのCVがっっっっっっ!

 あ、白状すると単にそれが言いたかっただけです。今作はほんとにキャスティングがエグくてエグくてたまりませんね。早く、早く次回予告に!!!

 
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 終わったかぁ……最終話……。正直、終わりが見たくなくてちょっと先延ばしにしてた感がある。終わったかぁ……。

 というわけで最終回だ。個人的にはいったいどんなスペシャルライブが飛び出すものかとドキドキしていたのだが、そこは正直いうと予想が外れた。今作の焦点はどこだったのか、という問いに対し、作品全体としては「ろっく」の方ではなくて「ぼっち」の方を集大成とした形。そしておそらく、今作の正解はそちらであった。

 ライブシーンを見ていて思ったのだが、もしかしたら今回のライブ演出は意図的に動画枚数を落としてるんじゃないかという気もする。これまでの演出を考えれば、今作のスタッフはそれこそ「God Knows…」ばりのぬるぬる作画でド派手に飾り立てることも可能だったと思うのだが、ライブ全体の演出にそうした気負いもなく、実にアニメ的な「省略した」動きが多くなっているし、弦が切れていたという理由こそあれ、かなり意図的にぼっちがギターを演奏する手元が見えないようなカット割になっている。これは作画をケチった結果とかじゃなく、本当に「見てほしいのはそこじゃない」の一点に尽きるのだろう。今回のライブ、そりゃぼっち(と山田)はかなりの技巧派でテクも素晴らしいのだろうが、虹夏・喜多ちゃんに関してはそこまでとんでもねぇものを見せつけられたら多分嘘になってしまうし、「高校一年生の文化祭」のレベルでそこに焦点が当たるのは真っ当ではない。どちらかと言えば今回見せたいのはぼっちの精神的成長(と停滞)、そして何よりも喜多ちゃんとの関係性の進歩。そのためにぼっち目線では今回のライブは狂乱でも狂騒でもなく、むしろ静寂と静止をメインに描かれている。超絶ライブを期待してた身には肩透かしみたいな状態になったかもしれないが、なるほどこれが「ぼっち・ざ・ろっく」だ。

 でもまぁ、これだけのライブやってなお「超絶じゃなかった」と思われるのも贅沢な話だけどね。今回流した2曲もまたいいフレーズが多かったなぁ。ぼっちの作詞スキルばかりが取り沙汰されるけど、実は山田の作曲スキルも尋常じゃないよね。矢継ぎ早にこんだけの結果が出せる曲作り組、女子高生アマチュアバンドには勿体無い才能である。まぁ、2人してその代償に人間性の大切な部分が欠けているのは必然だが……。

 てなわけで、ダイブからの「見知った天井」を経て、最後はぼっちの日常に戻ってのエピローグとなる。エピローグっていうか「次の日への繋ぎ」なのでまだまだぼっちたちの日常が続くことの示唆に富むが、今回だけでもしっかり内容盛りだくさんなのが嬉しい。まずは後藤家の一幕。ふたりちゃんに取り憑かれてるパパさん幸せそう。実は結構なやり手だったことが判明したお父さん、そして娘の性格や活動に十全の理解を示すお母さん。鬼畜だけど歳の割にはめっちゃ礼節を知っている妹。(そして可愛い犬)。ほんと、後藤ひとりがこの状態で生きていけるのは、全てご家族のおかげです。良い家族の団欒を見るのはとても幸せな気持ちになりますね。

 30万という持ちつけぬ大金を抱えてのお買い物がまさかのラストエピソード。楽器店店員が小原好美だったんだけど、今作のモブの賑やかさなんなの。せっかくなので最後に1人1人の雑感で締めようと思うが、まずは伊地知虹夏。すっかりぼっちの「飼い慣らし方」を覚えた苦労性のリーダー。これだけバンドのために尽力してるのにドラムはいつだってひとりぼっちだそうで。どこぞのティータイムのドラムリーダーはそんな寂しさを感じさせなかったけれども……多分、ドラム担当がみんな人格者ばかりなので我が身の犠牲などおくびにも出さないということなのだろう。今後も結束バンドを盛り立ててほしい。

 山田リョウ。単なる銭ゲバで自分が一番格好いいと思ってるイタい奴。しかし、自分よりさらに痛々しいぼっちという後輩を得て社会的ポジションが相対的に向上。さらに喜多ちゃんという全肯定botまで手に入れてすっかり無敵の人に。ぼっちだけでも高速道路を爆走できるぐらいのエンジンになるはずだが、山田というトリックスターが両輪となって回すモンだから結束バンドの行く先は誰にも読めない。何よりも「ろっく」なもんだから、名実ともに「ぼっち」との二枚看板。

 喜多郁代。ライブシーンでのアドリブソロに喜多ちゃんファンは感涙。常識人は割を食うことが多いのがギャグ漫画の試練だが、喜多ちゃんはそんなポジションすらもキターンと飲み込んで我が道を突き進む。最後にはなんと「ぼっちを支えなければ」という命懸けの献身を表明し、名実ともにこのバンドの屋台骨となりそうな気配。結束バンドの関係性って、虹×山の同学年コンビ、山×喜多の盲信ペア、虹×ぼっちのギターヒーローを媒介した「自販機前告白」コンビ、山×ぼっちの「金の切れ目が縁の切れ目」つながりに加え、今回喜多×ぼっち間の関係性が断金の交わりとなり、あまりにも交点が多くなっている。今後も腹話術のスキルを磨き、なんとかパペット後藤を使いこなしてほしい。

 そして全てが還る場所・どこまで行ってもぼっちだぼっち。後藤ひとりの物語は、その全てが彼女の肩の上に。ちょっぴりの成長とダイナミックなバックステップ。ひたすらにそれを繰り返し、後藤ひとりは俯きがちに前へ進んでいくのだ。ぼっちの人生に栄光あれ。ぼっち・ざ・ろっくに祝福あれ。

 

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 今回のハイライトは、(美味しい方の)オムライスにがっついてる時の山田の口、第11話。ぼっちは軟体生物だから形状が可変なんだけど、その影に隠れて山田も結構いろんなところが変形しておる。

 学園バンドアニメなんだから当然そのクライマックスは学園祭ライブ! というのが約束されし勝利の方程式なのだが、どんなライブ回になるかと思ったら意外や意外、なんと今回は「溜め」回でライブは最終回へ持ち越しとなった。いや、1曲目で「なにが悪い」を演ったのかどうかはわからないけども。でもまぁ、まさにクライマックスとなるライブを最終回に持ち越したのだから当然の判断なのか。頑張ってもらうで。「けいおん」に心を破壊されたおじさんたちにとって、学園祭ライブってのはあまりに神聖で不可侵なものなので……新たな伝説を打ち立ててほしいものである。

 てなわけで、今回はたっぷりと学園祭を楽しむお話となっており、楽器を持ってない状態でメンバー4人がどの程度のスペックなのかを確認するお話。ぼっちはまぁ、ぼっちなのでいつも通りだが、喜多博士によって新たな生態が判明したり、段ボール箱のことを「完熟マンゴー」と呼称するなどの性質がわかった。あと、身体も軟体だけどあの髪飾り2つも融解しやすい物質であることもわかっている。冒頭のシーン、地面にぐちゃっとした色鮮やかなものが2つ広がってて、最初はなんなのか分からんかったわ。陰キャのくせして結構大胆で特徴的な髪飾りしてるよな。

 虹夏は、基本的にサポートに回る側なので普段からあまりメインでの活躍がないキャラなのだが、今回よその高校生との絡みによって「この子も基本スペック高いんだよな」ということが確認されている。喜多ちゃんの陰に隠れがちだけどこいつも間違いなく陽キャ。というか、バンドのドラムなんてぇのは髪が黄色で陽キャに決まってるんですよ。これでおでこが全開だったら5億点加算されるんですが、流石にそれは望みすぎというものだろう(何を?)。山田のお守り役としての仕事も多く、どれだけハレの舞台だとしても気苦労の多いお疲れ様ポジションである。

 そして面倒を見られる側の山田。こいつも多分、基本スペックは高いのだろう。しかし守銭奴キャラがあまりに板についてしまい、当初は「音楽にストイックだからいつも金がない」みたいにしてギリギリバンドマンとしての大義名分を守っていた気もするのだが、ここ最近は単なる「金にがめつい奴」に成り下がっている気もする。いや、元からこうだったか……でもさ、喜多ちゃんが間違って買ったベースが原因で金欠が続いているのだとしたら、喜多ちゃんを使って金儲けするのは正しい発想なのでは? まぁ、今回槍玉に上げられたのはぼっちの方だったけど……。金がなくても高楊枝、そんな理想のバンドマンに……別になりたくないだろうな。変なところでバンド観が尖ってやがるのがどこまでも山田流。

 そして喜多ちゃん。今回はホームグラウンドでのライブ開催ということで嫌でも中心にくる女(ぼっちもそのはずだが、ぼっちのホームはマジホーム(実家)(のさらに自分の部屋)(の押し入れの中だけ)しかないので考えないものとする)。友達の輪が広いために学園祭では引っ張りだこになる典型的陽キャムーブ。これがもし長名なじみだったらうっかりサウザンドブッキングでもやらかしそうなものだが、喜多ちゃんは天使なので貴重な文化祭の時間をぼっちたちと行動するために割いてくれている。いや、単に山田の写真が撮りたいだけかもしれないけど。こないだ一瞬夢から覚めそうになってたはずなのに、目を瞑ったせいでより重篤な山田ドリームに沈んでしまっている気がするな。喜多ちゃん、そいつに捧げたもの、基本的にノーリターンだよ……。

 しかし、そんな陽キャな喜多ちゃんだが、何故か今回のライブで引っ掛かっている部分がある様子。例によってそれに気づいているのがぼっちだけなのだが、何故ぼっちがこういうところだけちょっと敏感なのかは謎。普段から人の顔色ばかり窺ってるからなんだろうか? でも、そのスキルがあるならコミュ障脱却も不可能じゃないと思うんだけどね。同じ学校の同学年のくせにいまだに「喜多さん」「後藤さん」と呼び合うその関係性、今回のライブをきっかけに乗り越えてくれればぼっちももっと絡みやすくなりそうなんだけどなぁ。

 次回が泣いても笑っても最終回かぁ……。

 

 

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 祝・山田の借金完済、第10話。若いうちから人に金借りたりたかったりするのを覚えたらあかんよ……金の切れ目が縁の切れ目。金の問題は後々まで人生に影を残すからな……。まぁ、それでも虹夏はほだされちゃって許してくれそうだけどさ。

 今作を見ているといろんなところに魅力を感じるわけだが、今回のお話を見ていて感じたのは、本当にさまざまな要素が渾然一体となって、不思議とそこに濁りが無いというか、普通ならあんまり混ざらないような要素も気付けば丸め込まれちゃってるような奇妙な感覚がある。一応「ギャグと青春の両立」と言うなら話は簡単そうに聞こえるし、過去のきらら作品でもそうしてストーリーをしっかりと打ち立て、そこにゆるふわなギャグというか、「緩み」を入れていく作劇が定着していった。繰り返しになるが、やはり「けいおん」あたりは大きな転換点になったと思うし、そんな土壌から生まれた奇跡の1つが「まちカドまぞく」だと思っている。

 そして今作はさらにそこからもう一歩。まずは真ん中にぼっちという強烈なキャラを据えての「陰キャギャグ」が目を引く。1話から全く衰えぬぼっちのイカレムーブは常に画面に刺激を与え、どこまでも自由に画面を振り回す最大の起爆剤となっている。そして、そんなぼっちが向かうステージの上の景色が「青春バンドストーリー」としての骨組みを与えてくれる。オーディションからぼっちの克己、初ライブという数々のライブシーンで見せた演奏シーンや音響へのこだわり、そして細やかな映像で色づけていく若者の葛藤。この2つの柱が、なぜか不協和音とならずにシームレスに1つの作品の中でつながっている。

 そして今回のお話で一番驚いたのは、喜多ちゃんがぼっちに謝ったシーンである。普通、萌え漫画のキャラクターといえば属性を1つ2つ与えてその方向に突き抜けさせれば安易かつ容易にキャラメイクができる。どれだけマンネリ化しようとも、キャラの属性に乗せて「いつもの」をやっておくだけで安心感があるのだ。しかし、今回喜多ちゃんがとった「罪悪感からの謝罪」は、今まで培ってきた「陽キャの化身」たる喜多ちゃん像とはどこかズレている。別にあんなに深刻にせずとも「ごめーん、気を利かせて出しといたからー」でもシナリオ上全く問題ないし、喜多ちゃんのキャラに余計な心配事を増やしたくないなら、その方向の方が楽だったはず。しかし、本作はそういう選択をしない。どれだけ陽キャだと騒がれていても、喜多ちゃんだって立派な高校1年生。その人生には悩みも葛藤も、後悔もあるのだ。それがバンドメンバーであるぼっちに対する罪悪感だったら、彼女の性格から謝らずにはいられない。そこにぼっちはただ思ったことを素直に返せるようになっていることがわかる描写を重ねて、喜多ちゃんのキャラとぼっちのキャラが二人三脚で掘り下げられていく。そして、この空気感の揺れが、面白い具合に30分の時間でまとまっているのである。この感覚がすごく新鮮。

 それこそ、今回きくりが演奏していた「サイケデリックロック」が今作のスタイルなのかもしれない。我々はぼざろという名の薬物を毎週欠かさず摂取させられており、繰り返し揺さぶられた脳に、常にテンパった情報が送られ続ける。このサイクルは間も無く終わろうとしているわけだが……幸せスパイラルが途切れた時、人類はいったい何に縋ればいいのだろう。怖いよ、助けてシャミ子(そこに救いはない)。

 

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 インパクトが秒単位で更新されていく、第9話。ラストなんかさぁ、エンディングが新規に切り替わって「おっ、毎回かわいいな! いいエンディングだ!」って満足して終わろうと思ったのに提クレバックでもう一回ネタ重ねてくるやんか。刺激に貪欲すぎるアニメです。

 てなわけで、前回とても良い最終回を迎えたので今回何したらいいかよくわかんねぇよ、と思っていたところに、きちんと「第二部始動!」みたいな雰囲気を出してくれている。バンドが成功すればするほどに「ぼっちのアイデンティティが失われていくのでは?」と心配にもなるのだが、この1本を持って「どこまで行っても後藤ひとりは後藤ひとりですよ」という安心保証が提供される。アバンでの「何もない夏休み」の絶妙な「らしさ」が病巣の深さを物語っている。いや、日常の予定を考える際に「家族以外の他者」が介入するようになってんだから、ぼっちからしたら大きな進歩ではあるんですよ? 予定を「空けてる」という意識だって、おそらく数ヶ月前までは出てこなかったものだと思うし、「もし誘われたら行くかもしれない」と思っているだけでも大きな変化には違いない。しかし、そこから「自分から誘う」までのハードルのでかいことでかいこと。いや、偉そうに上から目線で書いてるけど俺だって無理だし。人付き合いがどうこう以前に、何かを企画立案して責任を持つことって、すごく負担が大きいじゃない。そんなん、引きこもりには無理に決まっている。その結果、志こそ変われど結果的にはいつも通りの夏休み。ナチュラル畜生発言をする妹のプレッシャーが大きくなるばかりである。一応アニメ的な話をしておくと、アバンはほとんどが古風な日本家屋である後藤家のフィックスで進行しており、後半の江ノ島パートとのキラキラ度合いが意図的に対比されており、停滞感がより一層肌に感じられるように構成されてますね。

 というわけで海だ。ガールズバンドが連れ立って江ノ島ということは事実上の「Jamboree! Journey!」なわけですが、キラキラな青春溢れるafterglowと違い、結束バンドは2/4が陰キャ。喜多ちゃんが一人で陽の成分を担ってくれているが、どう考えてもリョウは陰のものである。間に挟まれる虹夏がどういう立ち回りになるかというのが最大の焦点で、常にバンドリーダーらしく緩衝材になってくれてはいるのだが、今回は慣れない真夏の強行軍のせいで虹夏までがやや陰に寄った印象。3/4がインドアでは、そりゃ陽キャパラダイスの夏の海なんて似合うわけがないのだ。

 しかし、どれだけ凸凹でもここまで重ねてきたバンドの結束は一応は本物。ただまぁ、「絆が深まっている」というよりも「ぼっちという要介護者の扱いに慣れてきている」というだけの話な気もするが……奇行に走るぼっちを「いつも通り」と受け流すリョウは一見すると一番ぼっちのことを理解してるように見えるが、多分こいつの場合は単に面倒臭くて放棄してるだけだと思う。今回の精査の結果、実際は頭も悪く、執拗に金をせびる金銭感覚の緩さも取り上げられた。単なるヒモだとすると、やはりこいつ、ろくな人間じゃない……喜多ちゃんがそのことに薄々勘づいてるのに耳を塞いじゃうのは自己否定の痛みに耐えられないという少女の葛藤か。あとはまぁ、ここでリョウに幻滅しちゃうとそれこそバンドが内部崩壊しかねないという現実的な問題もある……。メンバー4人に「引きこもりの対人障害」と「ヒモ属性のクズ」が混ざってるバンド、ロックという言葉を免罪符にするにしてもあまりに重すぎでは?

 そんなメンバーでいく江ノ島に陽の気などあるはずがなく、そりゃぁトンビだって生ゴミと間違えて突きたくなるのもしょうがないだろう。何しろ女子高生の旅行だというのに、家から着の身着のままの臭そうなジャージがいるわけで、とてもじゃないが青春の1ページには加えられそうもない。まぁ、こんだけ堂々とピンクジャージで出歩ける胆力はむしろ鋼メンタルと言えるのかもしれないが……連れてる残り3人の方が恥ずかしそう。セミのために卒塔婆を抱えてるやつと、値段交渉のために複数本のベース持ち歩いてるやつ……ロックだなぁ(免罪)。

 まぁ、結果的にはそんなグダグダな旅行でもぼっちにしてみれば大きな大きな思い出になったのだからよかったというお話だ。心なしかエンディングの曲調も軽く、少しはぼっちも前向きになれたと思っておこうじゃないか(まぁ、歌詞の内容は相変わらずだったが)。エンディングのパワプロ風キャラ作画、ほんと好き。

 

 

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 いい、最終回だったね……第8話! やっぱり最終回でメインタイトル回収する作品は名作……え? おわんないの? マジで?!

 というくらいには節目となるエピソード。ライブシーン自体はそこまで長くもないし、動画自体に作画枚数的な作り込みをしたわけでもないのだが、Aパートでライブをやって、Bパートでメンバーそれぞれに対する「ライブすること」「バンドをやること」の意義を1つ1つ噛み砕くことによって、きちんと最後まで「ライブ回」になっている。そうだよなぁ、現実でもライブなんてせいぜい数十分の世界。そこから後に余韻に浸りながらあれこれ思いを馳せる時間の方が圧倒的に長いんだ。この感覚は、リアルバンドの追っかけやり始めたおかげで噛み締められるようになった部分でもありますね。あと「駆け出しバンドがちょっとずつ成長していくのを見守る」という楽しみもね。

 Aパートのライブ、確かに映像的にはそこまでとんでもないものが出てきたわけではないのだが(それでも例えば「ギタリストの主観視点」とか、かなり面白いものは見られたが)、個人的に惹かれたのは音響面での造り込みだろうか。特に1曲目、「駆け出しバンドがなかなか雰囲気を掴めずにもたついている様」が見事に音に発揮されてるのが実にリアル。ドラムの走りとそこからズレるギター。リズムが合わないためにボーカルもどこに音を置けばいいのかわからず、あっちへフラフラ、こっちへフラフラ。本来だったらリズム隊の虹夏・リョウの2人が後輩たちを引き戻さなきゃいけないところだったんだろうけど、どうしても喜多ちゃんの動揺が伝わってしまい、特に虹夏の方が拠り所になりきれない。そんな「下手なバンドの音」がしっかりとライブハウスに響いている。そりゃま、観客だって興味を持たないのは当然の演奏だ。こういう「客のいないライブ」の映像、やっぱり心にくるものがありますよね……個人的には何と言っても初代ラブライブ3話に心掴まれた人間ですし、最近だと「シャインポスト」序盤のライブがまさにコレ。その上で、アイドルなら一応「目当ての客」だけが会場にいるが、ライブハウスの合同イベントだと、興味がなくてスマホ見たり、他所に行っちゃったりするお客さんも出てくる。この状況での演奏で一度崩したリズムを戻すのはかなりの難業だろう。

 しかし、それを成し遂げられるからこその主人公。窮地を救ってこそのギターヒーロー。ここにきて、ぼっちの「前を見ない」という演奏スタイルが功を奏したのだろうか、無我夢中でひたすらにギターに向き合い、自然に出た音は虹夏が「ついていく」に足るものになっていた。ドラムが、ベースが合わせることで自然と喜多ちゃんも立て直す。まさにバンドの支柱として、ギターが機能している。あまりに格好良すぎる「主人公」であった。後藤ひとり、本当に状況さえ整えてやれば最高のスペックが発揮できる女。

 そんな見事なライブを終えてのBパート、女子高生4人を伴っての居酒屋というちょっと危険な匂いがするシーンだが、こちらも「居酒屋あるある」みたいな打ち上げ飲み会の雰囲気が滲み出ているのが面白い。イベント終わりの、開放感と疲労感がいい具合に混じり合ったあの感じ。居酒屋どころか「他人との飲み会」というイベント自体がおそらく初めてだったろうぼっちの困惑。そこから自然と集まったメンバーの内面に切り込むような世間話も広がり、伊地知姉妹両名のオリジンがはっきりと見えた。ねーちゃんの方は今まで「なんでお前その立場なん?」と正直不思議ではあったのだが、なるほどそういう背景があったのね……偶然繋がった「ファン1号」が後輩だったというのも出来すぎた話だが、この2人が集まったからこそ掘り下げられた話もあるのよね。ちなみにこの「星歌・きくり」のペア、どっかで見たことがある組み合わせだと思ったら、中の人的には「カバネリ」コンビだな。千本木彩花のえもいわれぬ存在感が、くそ酔っ払いバンドマンにうまい具合にハマってますわ。

 そしてラストシーンは、以前の自販機シーンに重ね合わせたかのような夜中の語らい。虹夏ちゃんが真相に辿り着き、そこからさらなる未来を見据える。ぼっちはいつの間にやら「高校生のうちにデビューしてギターで稼ぐ」ところまで視野に入れてしまっているが(そうしないと就職っつってたけど、就職は出来ると思ってるあたりが図々しいな)、そんなぼっちの妄想も虹夏目線では現実の延長線上。今回のライブを経て、結束バンドの未来に希望が持てたようである。場所が場所なら「恥ずかしいセリフ禁止!」と一蹴されてしまいそうなやりとりだったが、虹夏の口から出ると不思議と大言壮語にも聞こえない。ぼっちという爆弾を上手いこと抱えつつ、この先に若者たちの見る夢は実現できるんでしょうか。

 こういう真っ直ぐな雰囲気を恥ずかしげもなく出せるのも、きららアニメの良さだねぇ。

 

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 ハイスペックの無駄遣い、第7話。これは2つの意味で言っています。後藤ひとりという女について、そしてCloverWorksというスタジオについて。

 いや、こんだけ凄まじいものを見せられてるんだから全く無駄ではないのだけど、いよいよもってストップモーションまで使い始めたんだよこいつら……実写取り込みだけでも相当異質な存在感を醸していたのに、まだまだそんな次元の「異物感」では後藤ひとりという女の異常さを表現するのには物足りないというのか。この「持ちうる映像技術は全部使う」っていう姿勢はやっぱり一時代前のシャフトスピリッツを思い出してしまうのだが……ただ、今回コンテにクレジットされている「アマタジャンチキ」っていう名義、どこの誰だかさっぱり分からんのだよな。過去の履歴もないし、誰かの変名として思い当たる節もない……いったいどこから出てきた何者なんだろうか。今回は作監にクレジットされている名前もそこそこ多いので、製作段階でどんなカオスがあったのかはよく分かりません。その結果としてこのカオス回が出てくるなら、結果オーライではあるんですが。

 そう、先週・先々週とどっちかといえば「いい話」寄りのエピソードを進めてきたのだが、「そんなハートウォーミングばかりじゃこの作品じゃねぇよなぁ!」とばかりに、一気にカオス成分を増して混沌に引き戻した。ラストのぼっち妄想からの「パンデミック」のシーン、どこかでストップが入るかと思ったのに、結局何一つ救われずにそのまま翌日の描写に繋がったからな……マジでぼっちが友人を歓迎したいってんでドラッグとか炊いてた可能性がワンチャン。

 まぁ、ぼっちの自宅という、いわばホームグラウンドに2人が引き摺り込まれたのだから、そりゃまぁ何が起こっても不思議ではないと思うのだが、ただでさえ「友達を家に招く」ってのがちょっとしたイベントごとにカウントされる昨今、それがよりにもよってぼっちの家ってんだから事件性がないはずがないんだ。そもそも、なんで虹夏の家じゃなくてぼっちの家でやることになったんでしょうかね。あの調子だとぼっちの方から積極的に招致した可能性もあるんだよな……横断幕って1人で作るのめっちゃ大変だと思うのだが、両親がサポートしたわけでもなさそうだし、おそらくぼっちが内装も含めて全部用意したんだろう。「1つのことにのめり込むと周りが見えなくなってとことんまでやってしまう」って……えぇと、ほら天才タイプの所業ですよ(必死で言葉を選んだ結果)。

 幸か不幸か、同学年の喜多ちゃん、そしてコミュ力強めの虹夏はすっかりこの「ぼっちワールド」に慣れてしまったようで、いくら暴走してもあまり動じなくなったし、CMを跨いだらそれくらいのメタ情報も感知できるようになった(それはどうなの)。この「あんまり踏み込まないけど我は押し通してくる」っていうメンバーたちの性質が、かえってぼっちにとっては良い距離感を生み出してるのかもしれませんね。その上で、お着替えとかの強要するタイミングではゴリゴリ押してくるしね。着替えるとかわいいぼっち、正直解釈不一致だったのだが……そういう設定なら仕方ない、チューニングしておきます。前髪あげたら美少女とか、そんなコテコテのベタ展開はぼっちには必要ないと思うのだが……いや、だからって前髪上げたら周りの人間を巻き込んだ感染爆発を起こすっていう設定も必要はないのだが……ベタを超えるには、カオスしかないんですね……(Q.E.D.)。

 ちなみに、この世界で地味に怖いな、と思うのは「ひとり」の妹が生まれて「ふたり」って名付ける親御さんですね。そこで打ち止めだったからよかったものの、次生まれてたら「さんにん」ちゃんになってたんだろうか……こわい。

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 XX年後のぼっち像が刺さりすぎてワロエない……第6話……。やめろよテメェ、世の中にはなぁ、酒の力なんぞ借りずにあんな地獄のような人生を歩んでる人間もおんねんぞ。正直、このアニメを観てる時が1週間の中で一番幸せなんだから……現実なんて……思い出させんなよ……。

 とかいう話は置いといて、このタイミングでの新キャラ投入&ぼっちが更なる成長を重ねるという、先週に引き続いてのちょっといい話。先週のライブシーンでもちょっと泣きそうだったけど、今週のライブでもおじさん泣いちゃったわよ。若者の成長があまりにも眩しすぎる現象、歳を取ると不可避だからテメェらも覚悟しとけよ。ただ、ぼっちの場合、真っ直ぐに成長しすぎるとアイデンティティが崩壊して作品自体が成立しなくなるかもしれないというとんでもないリスクを孕んでいるのだが……。なんかどっかで見た構図だと思ったが、多分「わたモテ」のもこっちだ。あいつは放っておいたらどんどん周りにカキタレが増えていったという謎展開だが、ぼっちはちゃんと成長要因があっての成長だからだいぶ見え方が違うなぁ。

 というわけで、新キャラは突然ぼっちのパーソナルスペースに乱入してきた酔っ払い。名前を「廣井きくり」というそうで、単なる迷惑な酔っ払いかと思いきや、ポジション的には完全に「少年漫画主人公の修行イベを支える師匠キャラ」である。一見すると頼りない酔いどれのくせしてやることはちゃんとやるし、能力もバリ高いというのは師匠キャラには定番。いくらなんでも肝臓ぶっ壊す勢いが尋常じゃない気もするが、ぼっちの壁の高さを考えると、いきなりブッ込まれる新キャラが絡むにはこれくらいの強さが無いと無理だったということだろう。やってることは社会のクズでしかないが、どうやら音楽に対する姿勢が本物ってのはぼっちとも通じるところがあるだろうか。出会いのエピソードとなった今回の僅かな間にいきなりぼっちのレベルを1段あげてしまったのだから、意外に相性はいいのかも。チケットを売ったことでしっかりとつながりができたことだし、ここからぼっちがロックンローラーとしてのコネクションをつないでいくことになるのかもしれませんな。

 それにしてもライブシーンである。前回以上に短い一瞬の路上ライブだったが、とにかくセッティングが盤石で、「どう考えても無茶やろがい」というあれよあれよと展開された即興イベントのくせに、それまでのシーンの背景美術がやたらガチガチに固まっていたり、モブキャラの1人1人の顔が全部きちんと見えていたりと、ライブ中にぼっちの世界が「広がる」ことを前提にした配置が本当に念入りである。文字通りに「蒙を啓かれた」ぼっちの瞳に映る世界が美しければ美しいほどに今回のライブの説得力が増すわけで、彼女の大きな大きな一歩を彩るのにふさわしいシーンになっていたんじゃなかろうか。しかもめでたく捕まえた「ファン1号&2号」がCV市ノ瀬加那と島袋美由利とかいうあり得ない布陣だったし……今後も絡んでくれるんでしょうか。ありがてぇ話だ。

 そして、こんだけぼっちが大きな一歩を踏み出したというのに、そのことをバンドメンバーは一切知らないし、何一つ関与してないってのも今作独特の面白みかもしれない。普通、バンド仲間なんてのは一蓮托生、不断の絆で結ばれた関係性が絶対な気がするのだが、結束バンドに関してはそうでもないんだよな。喜多ちゃんですらぼっちの日常についてはあまり知らないし、そこを掘り下げようと思うほどに干渉もしていない。どこか現代的な空気もありながら、決して薄情に見えるわけでもない。こういうバンドも、なるほどリアルで面白い。

 

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