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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 やりきったかい? 第5話。まー、そりゃやりきったでしょうよ。この作品で早くもうるっときてしまうとは思わんかったよ。

 当方、ガールズバンドアニメにはとかく涙腺が弱いマン。「ガールズバンドアニメ」の歴史といえば、やはりその興りは「God Knows...」に求めるのが正しいんじゃなかろうか。涼宮ハルヒが、京都アニメーションが巻き起こしたビッグウェーブは「けいおん」という怪物作品へとそのスピリットを引き継ぎ、近年は新たにブシロードがバンドリプロジェクトを作り上げて更なる進化を遂げている。そしてその進化の道程に、今回のぼっちたちのライブが乗っている。何度か触れているが、今作の最大の特徴は、主人公・ぼっちがボーカルではないという部分。そのため、普通だったら最もわかりやすく効果的な「ボーカルに(文字通りに)スポットを当てる」という作劇が正しい効果を生み出しにくくなっている。かといってぼっちはそのギターで超絶テクニックを披露しているわけでもなく、殊更にギターにだけ寄って描くのも間違った方法になってしまう。そこで今回は「初のオーディション」という枠組みを最大限に見せるため、ぼっちの心情劇を中心とし、そこから派生的に他のパートへと伸びていく枝葉を意識させる演奏シーンとなった。試聴時の印象として間違いなく中心にいるのはぼっちであるが、そこに必死の思いを載せる虹夏、その虹夏と視線を交わし、一人孤高の演奏を貫きながらも敏感にぼっちの変化に気づいたリョウ。そしてステージ中心では覚えたてのギターを必死に弾きながら歌うメインボーカルの喜多ちゃん。なるほどこの1曲を聴いただけで、確かに「どんなバンドか分かる」だけのものに仕上がっていたはずだ。本気の演奏シーンは今回が初となるだけに期待もハードルも高まっていたはずだが、見事にそれを乗り越える作劇を見せてくれた。

 緊張感高まる重要なお話だっただけにシリアスは多めになり、(このアニメにしては)ギャグが少なめではあったが、単なる青春バンドストーリーで終わらせてなるものかという執念じみたこだわりはいつも以上に滲み出ており、日本各地のダムの美しい景色が最も容易く感動ムードを洗い流してくれた。今回はさらに「父・母・妹・犬」でも実写パートがあったが、お手軽かつ確実にそれまでの雰囲気をぶったぎれるのが実写演出の強み。下手に使えば「雰囲気ぶち壊しやんけ!」ってんで台無しにしてしまうリスクも孕んでいるはずだが、本作の場合は「最初からぼっちはぶっ壊れてんだよ!」ということを表現するために使っているのでなんの問題もないのである。犬は1500円のチケット買ってくれないと思うけどね……。

 そして、今回もCloverWorksらしさを発揮してくれたのはなにもライブシーンだけではなく、その他のシーンの妙にこだわった動きの作り込みも良かった。青い顔した酸欠ぼっちが駆け寄るシーン、顔のデッサンはぶっ壊れてるはずなのにやたらふらつき方が生々しかったの、伝説の「アイマスおっさん走り」を彷彿させる。あと、個人的になんか気に入っちゃったのは夜の自販機前で別れ際に虹夏が手を振って去っていくカット。こういうところの動きになんか引き込まれるナー。

 さて、ぼっちはどうやってチケットを捌くんでしょうか。まぁ、別に売れなくても自分でお金払えばいいんだよね。……ね?

 

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 オープニングでジャンプしてないから今作は神アニメではないんですね、第4話。きらら作品なのにきららジャンプが似合わない貴重なアニメ。そして、多分飛んでる神アニメの比率を考えたら「飛んでない神アニメ」たるこっちの方が存在感は圧倒的だと思いますけどね。

 ちゃんとお話が進んでおります。何と今回のメインテーマは「作詞」。そういやこないだちょろっと虹夏が言うてたかもしれないけど、まさかぼっちにそんな大役が回ってくるとはね。ボーカルを担当しない珍しい主人公なので、その辺で存在感を出していくことになるんだろうか。別に脇の段ボールでギター弾いてるだけでも充分存在感はあるのだが……。でもまぁ、作詞で思い悩むのはいつだって青春模様。澁谷かのんだって今井リサだって、作詞で散々に悩み抜いたところに青春があるのです。まぁ、ぼっちがそれを望んでいるかは定かじゃないが。

 喜多ちゃんが正式メンバーになったおかげでいろんなところがグリングリン動くようになった結束バンド。喜多ちゃんの方からリョウへのごんぶとラインを繋ごうとはしているのだが、その愛着はまだワンウェイな印象が拭えないかな。どちらかというと、ほんのちょっと挟まれたリョウと虹夏の出会いエピソードの方がインパクトが大きくて、先輩コンビの絆の強さが改めて確認できた感がある(律澪っぽさがある)。4人バンドだから収まりのいいポジションを考えるなら各学年でペアを組んだ方が色々と楽な気はするのだが、ぼっちが絶対に喜多ちゃんと「ペア」っていう箱には入りたがらないだろうからなぁ……。ぼっちはいつまでもオンリーワン。残り3人でうまいこと結束するしかないのか。

 いやいや、それでも今回はリョウとぼっちという珍しいツーショットを拝むことができましたよ。あの「知り合いだし、みんながいるところだったら何も困らないんだけど、いざ2人きりになると距離感に困る」というコミュ障あるあるのリアルさが怖い。リョウのやつがあんな性格のくせしてコミュ障でもなんでもない、どっちかというとコミュ強キャラなのが恐ろしいわ。悪い奴ではないんだろうけどね。後輩にタカるのはガチだったんだよなぁ……まー、別な後輩からギター買い取った代償だから許してやるか……。

 様々なペアリングに見どころ満載のお話だったが、それでもやっぱり今作のおかしさが突き抜けるのはぼっちが無双してるシーンである。ツチノコからの承認欲求モンスターまでの流れの「何を見せられてるんや……」という映像の乱れ打ちはまさにアニメの真骨頂。今やってる作品なら「モブサイコ100」に近い思い切った画像エフェクトの見せ方だし、なんなら「ポプテピピック」的な攻めた映像精神でもある。ここまで振り切った演出がほとばしるのに、ちゃんと最後はきらららしいガールズアニメに着地できるのは凄まじいよな(まぁ、ラストシーンがほっこりとは無縁だったけども)。ぼっちは陰キャ要素を強めるためかある意味でメカクレ設定になってるんだけど、前髪の垂れ方が単なるデザインで終わらずにシーンに応じて細かく動いて見えるのがすごくキュート(時と場合による)。

エンディングがここで変わったのもすごく良いねぇ。「ぼっちが書いた歌詞ってどんなんなんだろう?」って視聴者が興味を持ったこのタイミングで、いつもよりもややメロウな曲に切り替えてぼっちの持つ「暗さ」のサンプルを土俵の外から投げ込んできやがる。なるほど、陽キャJK(長谷川育美)に暗い歌を歌わせる楽しさね……良いな。

 

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 いい最終回だった……第3話。いや、今週最終回みたいな話多いな? 3話目って、何か重要な転換点になるんだろうな……。

 そんなアタックチャンスばりに大事な大事な第3話なんですが、今作の場合は何話目だろうが全力投球。ほんとに波長の合う最高のアニメになっていまして、視聴中はずっとニヤけっぱなしだし、素直に笑えて泣ける、今期トップ作品となっております(今のところ泣く要素は無いが)。改めて「きらら作品の持ちうる武器」ということを認識させられたことが1つあって、今作の前には、きららアニメの極北をぶち抜いた「まちカドまぞく」があったんですよね。あれと今作の共通点は「とにかく息もつかせずにボケをぶちこんで間断なく笑いを提供し続ける」部分だと思うのだが、これって元が4コマ漫画のテンポ感だからこそ可能な部分だと思うのよね。まぁ、「まぞく」の方は4コマとは思えないネームの多さで元々情報量の重爆撃だったけれども。元来、きららアニメって「ゆるふわで何気ない日常を楽しむ中身のないアニメ」みたいに言われていた土壌のはずなのだが、どこからかスイッチが切り替わって、こういう無限スダンピードなラッシュを武器にすることもできるようになった。今作を作るにあたって、この怒涛のテンポはもしかしたら「まちカドまぞく」を参考にした部分はあるのかもしれない。

 また、そうして絶え間なくネタ回しを続けるにあたって、画面作りに一切の手抜きをしないというのも素晴らしい。コマ割り・構図の回し方は当たり前として(それだって充分難しい創作行為なのだが)、さらに画風や音響に至るまでの力の入り具合、本当にどのカットを取り出しても楽しめるという状態。抜け抜けとぶっ込んでくる実写コラージュなんかを見てると、これもきららアニメの大先輩である「ひだまりスケッチ」の血脈に見える部分もある。上坪さんとか尾石さんとかのシャフトの系譜だな。まぁ、多分今作監督は実際にはその辺を見たっていうわけではないのだろうけど、「元が短いネタの繋ぎ合わせで、全体を見ればほのぼのガールズコメディの様相もある」というきららアニメを最大限に活かす方向性として、たまたまそうした先人たちの足跡を感じさせるデザインになったのだろう。もちろん、それはモノマネでもなんでもなく、今作オリジナルのニューウェイブなのである。史上初のアイデンティティが潰れる音が聞こえるアニメだし、全ての挿入歌がどうしても聴きたくなっちゃうアニメ。ぼっちさん、作詞作曲のセンスもあるんじゃないですかね。

 褒めたくてしょうがないせいで全然中身に触れてないけど、ついに4人目のメンバーが出揃って結束バンドが完成。最後のメンバーがボーカルっていうのはお約束ではあるが、それが主人公じゃないってのも珍しいパターンかも。でもCVは長谷川育美なので喜多ちゃんからは主人公オーラも出まくってるんですけどね。ボーカルやドラムの持つ主人公オーラを喰ってしまうというか、ずるずると引き剥がすようなぼっちの負のオーラ、素晴らしい。彼女の顔が百面相を超える億面相を披露している間は、無限にでも見ていられそうだ。

 そうそう、今更だけど、オープンエンドも派手じゃないのにいい曲よね。映像も合わせて見ると、オープニングは曲が王道、映像がエキセントリック。エンディングは多少メロウナンバーにしてるけど正統派ガールズバンドで、映像はハートフル。いろんな味わいが楽しめる、きらら文化の素晴らしさである。

 

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 冒頭からヤバすぎワロス、第2話。ついこないだ「リコリコ」では「彼岸花をくわえて火ぃつけると毒があるからやばいんで」みたいな話題があり、映像の差し替えが云々みたいなことを言われていたのだが、どう考えたって氷風呂に延々浸かって風邪っぴきを狙う方がヤバい。このアニメも規制されるかもしれませんね。

 期待に応え、2話もフルスイングで実に愉快なアニメ。今回もコンテは監督自ら切っているが、演出には藤原佳幸が参加しており、気合の入り方が違うんだぜ、というところを見せつけてくれている。本当にテンポがサクサクと心地よいのだが、嫌な傷を残さんとするインパクトの出し方が巧みで、いちいち心の傷を抉りつつ、笑いにつなげる流れが綺麗である。

 現時点で本作最大の見どころになっているのは、なんといってもぼっちのぼっち要素の解像度の高さ。なんかねぇ、やたらと切実なところがリアルなんですよ。私もぼっちの端くれとして、過去にもたくさんのアニメでぼっちだの陰キャだのコミュ障だのを見てきたわけですが、どうしたって笑いにつなげなきゃいけないぼっちってのは扱いづらいし、ともするとテンプレというか、なおざりな「これさえ描いとけぼっち要素なんでしょ」みたいな薄っぺらい描写に収まりがち。しかし今作のぼっちのぼっち具合はマジである。その厄介な精神性が痛いほどよくわかってしまう。

 いろんなところで共感があるのだが、一番端的に表れていたのは「真のコミュ障は逃げることすら出来ない」という一言。そう、まさにこれだ。コミュ障が何故コミュ障になるかというと、人の目を気にしすぎるのが原因なのだ。相手はどう考えているのだろう、自分はどう思われているのだろう。そう考え始めるとあらゆることが不安になり、怖くて他人との接触ができなくなってしまう。だからこそ、人との接点があった場合に、「その人に嫌われる」ことを極端に恐れる。その結果、頼まれたことは断れないし、一度やれと言われたら、やるしかなくなるのだ。根っこのところは不真面目ではない。むしろ真面目すぎるくらいの気質なもんで、私もこの地獄の板挟みで何度もお腹を壊したもんである(胃は強いが腸がスライムレベル)。

 また、そうして流されまくったぼっちが初めてのバイトに臨む様子も、なんだか懐かしくて感慨深い。私だってかつて、生活のために一念発起してバイトを始めたことがある。多分、応募の電話するまでに1週間くらい寝込んだし、採用から初仕事の日までは眠れぬ夜を過ごし続けただろう(正直、もう覚えていないが)。私が初めてやったバイトは飲食チェーン店だったが、募集の紙に「調理補助・洗い場など」って書かれてて「わーい、人と関わらない仕事だ〜!」ってんでそれを受けて、しばらくは皿洗いとかやってたけど、ある日店長から「そろそろホールでよか」って言われて「バイト募集にそんなこと書いてなかったじゃん! 詐欺じゃん!」って思ってぶっ殺そうかと思った。「うちでバイトしてて、お客の相手しないわけないやろwww」って一蹴された(そりゃそうだ)。

 ちなみに、そんだけ嫌がった接客も、いうてもすぐに慣れて苦もなく出来るようにはなったんですが、それでコミュ力が改善したかというと、むしろ悪化したんですよ。「仕事とプライベートのオンオフ」をよりはっきり意識できるようになっちゃったので。仕事中は完全にモードに入れるので別な自分。オフになったら今まで以上に人との関わりを断つ。そういう人生。大丈夫だよぼっち、俺はそんな人生だけど元気に生きてるからさ……。

 アニメの感想なのに思い出話だけになってしまった。いや、でもそんだけしみじみと見ちゃうアニメってことさ!(そういう見方するアニメじゃない)

 

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 ありし日のバービーはあんなに素直で可愛かったのに……第11話。いや、多分今でも少し心を開いてもらえれば可愛い子なんでしょうけどね。あのギザ歯がどこから出てきたのかは謎だよな。

 マリーローズ編の決着。今回はとにかくバーバラとマリーローズの関係に焦点が当たっており、ご丁寧に最後のキャストロールはこの2人(4人)だけでロールの1ページ目を飾っており、ケイトたちが2ページ目に回されるという扱い。それだけ同世代コンビの顛末を印象深く受け止めてほしいということなのだろう。実際、全てを隠蔽して自分達に都合のいい世界を作り上げようとしているシャドーハウスの企みの体現とも言える顛末になっており、マリーローズやクリストファーはその事実を知ってしまったがため、そしてバーバラだけは知らなかったがために不幸へと転げ落ちていくことになる。そして、バーバラが「知らなかった」のは結局マリーローズの判断の結果だというのがなんとも罪作りである。今回のタイトルは「ふたりの答え」なのだが、これはマリーローズとローズマリーのことを言っているのか、それともマリーローズとバーバラのことを言っているのか。少なくとも、バーバラの中ではまだ答えなんか出ていやしない。

 歴史を振り返り、シャドーハウスがこの数年で急激に進化し、その異形を形作っているということがよく分かる。後になってケイトの生い立ちからも分かることだが、この不気味な館がシステムを構築するまでに本当に数十年しか要していない。そして、バーバラたちが加入してからの数年でも、星つきの立場や子供たちの管理体制なども少しずつ効率化が図られており、その代表例が「喜びの会」であった。あの会のおかげで洗脳の効率と確実性が格段に向上しており、ケイトみたいな異端分子が再び館に転がり込んでこなければ、決してその呪縛に綻びは生じなかっただろう。目的はほぼ同じくしていたはずなのに、異端と異端がぶつかり合ってしまった結果として、マリーローズの方が弾き出されてしまったというのはなんとも不幸な結末である。ただまぁ、前回からの繰り返しになるが、マリーローズのとった選択肢は残念ながら想定以上の被害も出してしまっているからなぁ……ケイトは、シャドーハウスをぶっ壊すという目標をマリーローズから受けついだことになるが、彼女の失敗を糧に、別方向からの解決を見つけ出してほしいものである。

 幸か不幸か、今回の一件でマリーローズを失い、代わりにバーバラとのつながりを手に入れることになったケイト。バーバラの根っこの素直で真面目なところまで、ケイトが心を開かせて触れられるかが今後の勝負を握りそうだ。スザンナは……どうしたもんかな。あいつ初期の頃からさするの大好きっ子だったんやな。

 

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 マリーローズの授業、どこかで似たニュアンスのものを見た気がしてたんだけど、多分「ロビン戦法」だわ……。ちなみにロビン戦法をいくつかピックアップしておくと、「相手の誘いには絶対にのるな」とか、「ピンチの直後は最大のチャンス」とか…………まぁ、似たようなもんだわな。

 なんてことを言ってると全世界のマリーローズファンに怒られてしまいそうだが、結局彼女も本気の本気でケイトたちを潰すのが目的ではなかったわけで、知恵と知恵のぶつかり合いはかろうじてケイトたちに軍配が上がった。おそらくマリーローズたちだってやろうと思えばもっと戦いようはあったはずだが、ある程度目論見をへし折られ、なおかつケイトが自分の意志を継ぐものとして充分な素質を持ち合わせていることが確認できたために、ここで一旦身を引くことにしたのだと思われる。彼女が振り返ったように、実際に「許されざることをした」という自覚はあるわけだし、ここで裁かれることはある程度覚悟の上だったのだろう。まぁ、裁かれるというのはあくまで「ケイトたちによって上の連中に突き出されることで、犯人役を全て被りケイトが動きやすいようにする」という意味での生贄みたいなもんだが。当然、マリーローズの信念はこんなことで完全に折れるようなものではないので、この先にかすかな可能性を見出すやり方は、「次週へ続く」といったところですな。

 今回も色々と「ケイトさん、いくらなんでも先手先手で相手の目論み潰しすぎじゃないですか」ってくらいに策謀が渦巻いており、「口いっぱいの水作戦」はまだしも、その際にバレにくくなるように目にすすを飛ばすところまで練習してたのならあっぱれである。さらにパンを使っての咄嗟の情報伝達、そして合流後の奇策である入れ替え作戦など、一応「仲間たちから知恵をもらってできた」という体裁にはなっているが、やはり中心にケイトがいなければ出てこなかった展開なのは間違いない。よくもまぁ、これだけマリーローズを手玉に採れたものである。

 最後の肝となった入れ替わり作戦、漫画なら楽なのにアニメでやろうとすると結構大変。ほら、ジョンとショーンはいいんだけど、ケイトとエミリコははっきり声が違うからね……。どうなるかと思って見守っていたが、そこは素直にエミリコが悲鳴あげたり叫んだりしてましたね。ま、あんだけの緊迫状況なので、多少声真似で寄せてれば案外バレないということなのだろう。いや、あそこまで状況が煮詰まってたらわざわざ真似して騙す必要もなかった気もするが。ちなみに入れ替わりから決着までの流れは流石に漫画版でも急すぎるという判断だったのか、コミックのおまけで「裏で何をしていたのか」という(ちょっと後付けくさい)追加説明も掲載されている。「どうやってジョンが噴水の上までジャンプしたのか」とか、気づかなかったらどうでもいい部分ではあるが、他の要素も「?」となっていると気になった人もいるんでしょうね。律儀にちゃんと全部解説(言い訳?)してる作者も偉いと思うわ。そこはまぁ、キン肉マンとは違うよな(そりゃそうだ)。

 

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 名探偵 皆も集めず さてとも言わず、第8話。まー、集めるわけにもいかないのだけど……この後の攻防を考えると人は多い方が良かったんだろうけど、現時点でケイトが信頼できる味方(戦闘力)ってまだいないんだよな……。そういう意味では、貴重な場に参加させてもらえたジョンは本当にラッキーかもしれない。いや、唯一信頼できたのがジョンだったケイトがラッキーなのかもしれんけど。

 というわけで正体判明回である。今回は非常に大事な回になるのでクライマックスはあえて原作も準備して見比べながら試聴していたのだが、改めて、ほぼ原作再現で作られていることが分かってちょっとホッとした。まぁ、デリケートな部分が多いデザインだから、あんまりアニメにオリジナルな要素はぶっ込めないもんなぁ。今回ちょっと気になったのは、オリジナル要素を入れたが故の若干の違和感で、同期会の席上でジョンとパトリックがドタバタしてる時に「ローブ様の正体はお前だー!」「ローブ様って誰だ!」っていうやりとりがあり、これって原作そのままなんだけど、アニメではこないだのこびりつき騒ぎの時に、パトリックもローブ様を目撃してるんだよな。「怪しい人物が館の中を徘徊している」っていう事実はパトリックも知ってるはずで、それを一切共有してない感じになってるのはちょっと変。まぁ、「ローブ様」っていう呼称だっていうことを知らなかっただけだとすれば別におかしくはないんだけどさ。パトリックならそれくらいは察することができそうなんだよね。……まぁ、エミリコとのことでちょっとテンパってたもんだから考えが及ばなかったということにしておくか。

 あとは「顔が……綺麗だったんです」のカット。これって原作だと非常に重要な台詞になっていて、話数跨ぎでかなり入念にエミリコの顔が大ゴマで書かれている。今回のエピソードでいうなら、ローブ様指名シーン、ローブ様がローブを脱ぎ捨てるシーンと並んで重要な絵である。アニメだとそこまでこのカット自体にウェイトは置かれていなかったが、そこは後になって回想させることで重要度を印象付けている。まぁ、なかなかアニメだと「画風をいじってニュアンスを出す」っていうのは難しいので、こういう処理もありかな、という感じ。なんにせよ、最終的に「ケイトの推理だけで辿り着いたわけではなく、そこにはエミリコのがんばりも少なからず影響しているんですよ」という流れを作るためには欠かせないシーンです。まぁ、今回の推理の中心となる「消去法」はかなり蓋然性によるところが大きいので決定的な推理とまでは言えないのだが……シャドーハウスの中って生活してる住人の目的意識がかなり限られているので、普通のミステリだったら決定的な証拠にならないような手がかりでも、限定的な意味だけで取り上げる価値があるんだろう。ま、実際ローブ様の方も覚悟はできてたみたいだしね。

 というわけでマリーローズである。いよいよ登場、「子供たちの棟」の実質的なボスキャラである。ここまででミステリパートは一旦幕引きだが、次週からは一気に「能力バトルもの」として展開していく。マリーローズの武器はなんといってもその老獪さである。今回執拗に「バーバラと同期で最年長」であることが確認されていたが、彼女が世界の真実に気づき、なんとかこの「子供たちの棟」からシステムをひっくり返そうとしていた苦闘の日々は、彼女のバトルスキルにも直結している。能力もボスキャラにふさわしいチートじみたものになっているが、そこを技のケイトと力のジョンの2人のコンビネーションでいかに乗り越えていくか。そして、根本的には同じ志を持っていたはずのケイトとマリーローズという2人のシャドーが、何を抱えて生き、何を貫かんとするのか。今後の2人のやりあいにも要注目。2人とも悪い奴じゃないし、どちらの言い分も分かるだけに、この2人のぶつかり合いは色々と辛いんだよなぁ。

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 その着せ替え人形に恋をする、第7話。こうして色んな視点から世界の見え方が切り取られるようになると、今作の群像劇っぽい性質も出てきてまた一味違いますね。

 先々週はケイトが中心の「シャドーサイド」、そして先週がエミリコ中心に「ドールサイド」という展開だったが、今回はさらにケイトたちから分離されて同期会の2人を中心とした掘り下げが行われ、事件の捜査網が次第に狭まっていることが感じられる。いや、実際にはルイーズもパトリックも直接犯人探しをしているようにはとても見えないのだが、これが1つの流れになってゴールへ辿り着くための支流なのだ。強引にまとめ上げるケイトの剛腕がどれだけ凄まじいかという話である。

 同期会の2人は、それぞれに「御影様と人形」の関係性にも個性が出ている。まずはAパートがルイーズのターン。好き放題に振る舞うルイーズは完全にシャドー主体で、どこまで行ってもルウは添え物扱いであった。それがこの館の正しい姿なので全く問題ないのだが、ここ最近は珈琲の供給が切れていることで、他の組も含め、少しずつシャドー・人形間のリンクが切れやすくもなっている。おそらく入りたてで珈琲の影響がまだ大きくなかったルイーズとパトリックはそうして起こる「解離」が大きかったのだろう。ルウは珈琲がなくなったことで疲労を見せ始め、どれだけ頑張って「顔」になろうとしても限界が見え隠れするようになった。さっぱり気づかずに飛び回るルイーズはケイトの調査に協力しつつ、自分の好奇心も満たす好き放題な振る舞い。そこで偶然出会った星つきがベンジャミンだったのはラッキーな展開。強面で能力も厄介なベンジャミンだが、あのバーバラとの星つきを務めているだけあって実は根がいい奴。わがままルイーズに対しても邪険には扱わず、ちゃんとシャドーとしてのあり方を教えてあげてくれる話のわかる兄貴分だ。「人形も大切にしてやれよ」という一言から、ようやくルイーズからのルウの扱いがちょっと変わる。今までだったら頑なに顔をつとめあげてきたであろうルウの方も、流石に限界が出てしまったので「顔」から離れて自分の気持ちを漏らすことができた。そこまで出来れば、別にルイーズも悪い奴ではないのである(いや、もしかしたら性根は悪い寄りなのかもしれんが)。人形をいたわり、新たな関係性を構築するに至った。

 転じて、シャドーと人形の影響関係がまるで逆に見えるのはパトリック組。自分に自信の持てないパトリックにとって、自分の顔であるはずのリッキーの方が行動指針になりつつある。それでいいのかという疑問もあるのかもしれないが、リッキーが頼りになる上に掛け値無しに自分のために動いてくれているのは間違いないわけで、パトリックもそれに倣ってしまう。しかし、どれだけ頑張っても顔色は見えないはずのパトリックについても、視聴者目線からは「多分、この時のパトリックの表情は本当はリッキーと違うんだろうな……」ということが感じ取れるのが面白い。自信満々で年上組すら平気で値踏みしてパトリックのいく末を補佐しようとするリッキー。そんなリッキーの頑張りに応えなくてはと思いながらも、どうしても興味はエミリコのこととか、お花のこととか、なんか穏やかな方に進んでしまうパトリック。まぁ、鶏が先か卵が先かみたいな部分はありつつ、元々「シャドーは人間に影響される」はずなので、パトリックさえその気になって、ここに珈琲が上乗せされればそのうちにパトリックだってリッキーみたいになれたのかもしれないが……一度差異を認識してしまったら、もうそれは止められないだろう。あろうことか、気になるのは出世の階段であるルイーズではなく、よりにもよってエミリコ。頼れるリッキーの前なのに、パトリックの方に秘密ができてしまっては関係性はどんどん偏るばかり。何とかして、「2人の人間」として成長する必要があるのは、どのペアでも同じ状況になりつつあるのだ。

 こうしてさまざまな要素が少しずつこれまでのシャドーハウスから変わっていくケイトたち4人。そうこうしているうちに事態は動き出し、そろそろ双子も限界の様子。今回のスス管清掃などの壮絶な罰の影響はこの後また出てくるのだが……とりあえず、失われるものは最小限にとどめなければいけない。ケイトが動き出し、次回はいよいよローブ様の正体。正体かぁ……ずっとバレずには……いかないよなぁ……。

 

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 よふかしのはなし、第6話。前回のタイトルが「深夜の同期会」で、同じ時系列の話を今回やってるんですよね。今期はみんな「夜」が大好き。

 Aパートはたっぷりと時間をとってエミリコ・ショーンの屋根の上のお話。ここでいよいよ「館に来る前の人形たち」の話が掘り下げられるようになり、「人形=人間」の構図が浮き彫りになってくる。この後改めて同期4人で語らう機会も出てくるのだが、記憶が戻るにつれて、どんどん生気を取り戻していく人形たちは本当に「単なる子供だったんだなぁ」というのが分かるので優しくもあり、恐ろしくもあり。本当にシャドーハウスがやってる所業さえ忘れてしまえば優しくて良い世界なのだけどなぁ。

 前回は「シャドーばかりが集まる場面」ってんで薄暗い室内で暖炉の火を効果的に使った「黒と赤」の演出がなされていたが、今回は中心に人形(人間)がいるのでライティングについては逆の関係性になる。とっぷりと暮れた夜の空は星の光を印象付けるためにもできるだけ暗く。そして屋根の上に語らう2人の顔さえはっきりと見えていれば問題ないってわけだ。「よふかしのうた」の場合には「夜」そのものが主人公みたいな扱いになるので空や風景にもあえて光を散らした「見える夜」が描かれるが、こちらはタイトルの「シャドー」をそのままもらうかのようにして光量を抑えてある。たまたま同時期に放送される2つの作品の「黒」を比較できるってのも面白い状況である。

 そうしてエミリコとショーンは友好を確認しあってめでたしめでたし……のはずなのだが……そこに突如乱入したのはなんとローブ様である。ここでの乱入は完全なるアニオリ要素というか、「1期で切っちゃった部分を強引に捩じ込む」措置になっており、本来なら直接会っているはずのローブ様とエミリコがここで初対面という扱いに。なんであそこにローブ様がいて、しかも特に何もせずに意味深なことだけ言って逃げるねん、というかなり苦しい配置になっているのだが、一応最後の犯人特定のシーケンスの時にエミリコとローブ様が直接会ってないと説明が面倒になるからね……。まぁ、一応「いてもおかしくはない」からぎりぎり成立はしてるよね。声を聞いた感じ、ちゃんとCVもあってたし(そりゃそうだ)。

 Bパートは夜が明けてからの「臨時喜びの会」の様子。ここでの代用珈琲からの推理の伸びについては、ぶっちゃけ原作でも「いや、いくらケイトでも流石にやりすぎじゃね?」と思った部分なのだが、アニメで見ても「流石にやりすぎじゃね?」とは思う。「喜びの会が臨時で行われるという不意打ち」にびっくりしてる状態で、そこから思考を一旦リセットして正解まで辿り着くのって、もう推理じゃなくて天啓レベルの話なんよ。一応「ちゃんと与えられた状況証拠からの類推なんです」っていう姿勢になっているので多少のハッタリ混じりでも構わないとは思うのだが、「足で情報を集めて筋道を立てて犯人を特定する」っていう割と丁寧なケイトの推理スタイルの中で、今回の「能力者はベンジャミンッ!」までのルートはかなり綱渡りというか、推測に推測を重ねた上での結論なので、その決めつけで話を進めるのはかなり危なかったんじゃなかろうか。まぁ、結果的にエミリコの症状なんかから「推測が正しかったんだな」という裏付けは取れるので結果オーライではあるだろうが……こんな超名推理を立て続けにやられてちゃ、そりゃ星つき連中もやってられませんよね。あと、何気に脳筋キャラだと思われてた一番マッスルなベンジャミンが搦め手系のこすい能力持ちってのがちょっと笑ってしまう。スタンド使いのスタンドは「魂の形」なんだけど、シャドーたちのすす能力はあんまり性質的に一致してない気がするんだよね。ジョン以外は。

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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
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