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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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「あの夏で待ってる」 6→6

 振り返ってみれば、今年度は長井龍雪作品を2本も見られるという、充実した年だったんだ。「あの花」の狂乱もさめやらぬ中で始まったこの作品も、なかなかどうして、長井さんの良さが出た佳作となったのではないだろうか。

 既に1話感想時点で書いていたのだが、長井監督の持ち味は細やかな描出力にある。日常生活のほんの些細な出来事からでも行為者の心理や感情は表に出てくるもので、それをわざわざ言葉や動きに出さずとも、画面全体、設定全体でそっと差し出してくれる。今回は青春まっただ中のラブ(コメ)ストーリーだったおかげで「細やか」というよりは大胆に前面に出てくることの方が多かったかもしれないが、シンプルに直球で色恋沙汰を伝えたのは、むしろ黒田脚本の影響が大きいのではなかろうか。こちらも手慣れたもんだが、黒田洋介による脚本ってのはやっぱりわかりやすさが信条。今作でも恋愛関係の絡みや、それがどのような結末に至ったのかという「事実」は非常にシンプル。そのあたりの「わかりやすさ」を優先させた作風が、この作品の魅力だったといえる。

 結果的には、ごらんのように一陣の風のごとく吹き去る、実にあっさりさっぱりな仕上がり。途中なんやかやとドロドロしたようにも見えたものだが、基本的に作中の人間たちが全員善人であり、その善人達が最大限に他者を思いやった結果だけが語られるという、本当にまっすぐな内容。逆に言えば、これだけの中身で何故見入ってしまうのかと不思議なくらい。やっぱり、そこが上手いんだろう。恋愛を1つ実らせるにしても、破れさせるにしても、そこには幾通りものドラマの描き方があるのだ、ということをしみじみと感じ入る一品であった。

 そして、この作品の場合は、しつこいくらいに言及しているが、「おねティ」シリーズとの関係性も作品を見る上で外せないポイントだった。山乃檸檬というジョーカーの存在を自然に導入する方策であったし、宇宙人であるイチカの存在も何のてらいもなく料理できる非常に便利な「受け皿」としてのおねティは、知っている人間にとっては全てプラスに働く相互関係を生み出していた。別におねティシリーズを知らなくても見られるのは当然だが、知っている人間からすると、色々と関係無いところまで邪推して楽しむことが出来るし、そこまでせずとも単純なノスタルジーに浸ることが出来る。結局最後の最後まで「おねティ」とのリンクが明示的に言及されることは無かったわけだが、そうした「すかし」「ほのめかし」も楽しみの1つといえるだろう。邪推する分には自由だし、おそらく答えはないであろう問題を、脚本家の思惑通りにあれこれいじり回すのも楽しいものだ。また、あの時代から10年が経過し、アニメがどう変わって、世間は、日本はどう変わったのか。このアニメを見れば……まぁ、分からないとは思うけど、何かつかめるものがあるのかもしれません。なかなか面白い企画でしたよ。

 中の人については、安定感のある面子は置いておくとして、まずは主人公・海人を演じた島崎信長。はじめは「そつのない若手や」という程度の認識だったのだが、後半になって海人がどんどん「頼れる」男の子になるに従って、なかなか面白い役作りを見せてくれるもんだ、と感心した。これだけのものがメインデビュー作で出てくるってことは、今後もぐいぐい来るんじゃないか、という期待がもてます。そして青い子こと柑菜ちゃんの中の人である石原夏織。田村・阿澄・戸松と、ズラリ並んだ様々な年代の「先輩」たちの中で、一歩も引かない力強い演技を見せてくれた。何度もほめた気がするけど、やっぱりすごい。「最近の若い子はどんどんすごいのが出てくるなー」とか思ってたら、りのんの中の人の方がさらに若かった。里菜ちゃんなかなか年とらねぇな。

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「Another」 5→6

 色んなところで予想の斜め上にとんでいった作品。こうして、また新たな教訓が生まれた。「原作知ってるから(ドヤァ)とかいってアニメなめてたら駄目」。今更こんなことを痛感させられることになるとはねぇ……

 まぁ、原作知ってようが初見だろうが、この作品が動くところを見たら打ちのめされるのは事実。ほんとにね、水島監督にP.A.WORKSなんて楽しそうなおもちゃ渡しちゃ駄目でしょー。あの人はI.G.でもやりたい放題なんだから……大人しくシンエイ動画にしておきなさいよ……いやぁ、すごかったですわ。P.A.といえば透き通るような青とか、宵闇に鮮やかに灯る光なんかのライティングの妙が売りのスタジオっていう印象が強いんだけど、これだけドロドロとどす黒く、血なまぐさく、陰鬱な画面でも、存分に強さを発揮してくれていた。全力で血みどろ、全力で惨劇。もう、これをやっただけでも存在意義はあるわね。

 その上で、賛否が分かれるであろうポイントとしては原作を弄ったシナリオ部分。原作はもう少し「ホラー」としてのじっとりとした怖さ、痛さを醸し出すものだったが、途中からガンガン興がのったかのような大量殺人劇に発展させちゃってのレッツパーリーっぷりは壮絶過ぎる。「やりすぎ」という意見も出てくる部分だ。ただ、この作品、実際に何人死ぬかは直接ネタとは関係無い部分だから、「殺したければ何人殺しても良い」お話なんだよね。それを理解した上で、「せっかくアニメにするんだからもう少し殺しておかないと」ってんで手心を加えてくれたわけですよ。この変更は副次的なプラス効果もあって、たとえば水着回が増え……ではなく、積極的に死人を増やす課程で、どうしたって主人公の榊原と鳴がクラスメイトとふれあう機会が多くなる。そのために、原作では地味だった面々や、全然出てこなかったようなキャラクターにもスポットがあたり、アニメとしての見映えが良くなるのである。やっぱり、せっかく動くんだからより派手に見せて欲しいところだしね。まぁ、派手すぎたおかげで最後にとっておいたメインネタのインパクトがかすんでしまうんじゃないか、という不安はあるのだが……どうなんでしょうね、原作を知らなかった人は、ラストのオチをどんな風に見るんだろう。

 キャラがたくさん出て、いっぱい絡んでいっぱい動くようになっちゃったせいで、特定のキャラに萌えるという、想定外のハーレム作品としての機能まで持ち始めたというのは完全に想像の埒外で、多分こんだけ女子キャラにスポットが当たってファンが増えたっていう事実は、原作者が一番驚いているはずだ。こういうのを業界的には「幸運なアニメ化」っていうんだろうけど、すげぇ方向の幸運もあるもんだ。まぁ、楽しかったら何でもよしだ。この作品のおかげで傘やエレベーターがむやみに怖くなっても仕方ないよね。うえーん。

 中の人については……特にいうこともないですけど。杉浦さんのインパクトしか残ってないですけど。メインネタのために中の人をここまで徹底的に弄ったっていうのも、ある意味パイオニアかもしれませんね。やりたい放題やな。

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「LAST EXILE –銀翼のファム-」 6→6

 ぎりぎりまで点数をどうするかは悩んだのだが、思い出補正と中の人補正込みで、最終的には優良可でいうところの「良」を維持。なんやかんやと心配事も多い作品だったが、最終的には、半年間走りきってくれたと思う。

 点数を下げるかどうか悩んだのは、やはりGONZOというと話題に上る「制作体勢の不安定さ」と「オリジナルシナリオでのぐだぐだ感」の2点。前者については、実は作画の崩れなどはほとんどなかったのであの当時を思い出すのは失礼すぎるのだが、やはり2クールの中で総集編2本という構成はやや気になった。確かに前作ありきのシナリオなので、間に総集編を入れて(1期をすっかり忘れた私も含めた)ビギナーの人に親切にするのは方向性としてはありなのだろうが、それなら、総集編その2はもっと早く入れて欲しかった。物語が煮詰まり、いよいよクライマックスか、と思ったところでまさかの前作総集編というのは、視聴者側としては心情的にプラスに働きにくいだろう。そして、シナリオのぐだぐだ感というのも、中盤は正直少しずつ不安が広がっていった。最終的には無事に風呂敷をたたみきった形だが、それでもファムの出生のこととか、最終的に世界がどのように救われたのかとか、もう少し尺を採って描いて欲しかった部分も多い。

 メインシナリオとしての「戦争」はきちんと描けていたと思うのだが、今作の場合、ファムという主人公の存在自体が、一種のイレギュラーである。振り返ってみれば1期のクラウスだって無茶といえば無茶なのだが、彼の場合には、真っ向に向かい合う敵としてのディーオがおり、2人の関係性の相互作用として、エグザイルの謎に接触していた。今作のファムの場合、結局どこまで言っても「空賊の女の子」であり、戦争をどうこうする力は無いはずなのだ。ミリアとの接触というアドバンテージはあるものの、そのミリアもどこまでこの「戦争」に関われていたのかは微妙なところで、「女の子達がどれだけ頑張ったところで、あれだけ気骨のある軍人さんの集団相手ではなぁ」という現実感の薄さが最後まで気になってしまった。もう少しファムの人柄を「難しく」設定し、根性論以外での彫り込みがあれば共感度も違ってきたのだろうけれど。

 などと文句は並べ立てられるのだが、総じて見れば、やりたいことがおよそやれていた作品であるというのも事実だと思う。今期、同じように「世界を賭けた大戦争」を描いた作品としては「シャナ」があり、あちらは既に「雰囲気だけの戦記物」という風にまとめたのだが、この作品の場合の「戦争」は、嫌でも画面の上に現れる「破壊とうねり」によって表現される。10年の時を経て復活したヴァンシップや大型艦隊の勇姿は、やはり「空を舞う」というその1点において異質であり、それが連なり、対峙することが、何よりも雄弁に「戦争」を語る。そして、そんな兵器群ですら踏みにじってしまうエグザイルの恐ろしさなど、これでもかと大迫力の画面に現れるのだ。ルスキニアとリリアーナは、この大きさを背負い込み、背負いきれずに逝ってしまったのだと、嫌でも実感させられる画面になっている。これだけの画面を維持し続けて作品の内実に反映することが出来たのは、間違いなくGONZOスタッフの力あってこそである。

 「戦争」というテーマの大局を描くのが「破壊」であるなら、それをミクロの視点で見ると「死別」ということになる。今回は序盤にトゥラン王の死という起点があり、起承転結でいうところの「転」ではリリアーナが死ぬ。この「死」は間違いなく「戦争」を表しており、最終的には、全ての「戦争」を背負い込んだルスキニアの「死」によって物語は幕を閉じる。こうしてみると非常に理知的で計算尽くの「死に方」であるのだが、各々の人間にきちんと志があり、一人として後ろを向きながら死んでいないというのが、この作品に希望を持たせる部分であろう。最終的に残されるのがファムという脳天気の固まりみたいな娘であることも、「死」の重みをわずかながら軽くし、前を向かせる要因として働いているのかもしれない。サドリの言を借りれば「世代が変わった」ことが、数々の死と、それに支えられた笑顔で表され、長きにわたるこの世界の「戦争」の結末を1つのまとまりに仕立て上げた。終わり良ければ全て良い、とはいかないかもしれないが、個人的には納得出来る幕引きである。

 あとはまぁ、思い出補正とか、中の人補正とか。思い出補正で言えば、なんと言っても今作のヒーローはディーオだろう。総集編でも大切な役回りを務めてくれたが、常に少し引いた視点から物語を見つめているおかげで視聴者目線に近いビジョンを提供してくれていたし、既にできあがった「信念」のおかげで、複雑な情勢もいくらか見やすいものにしてくれた。最終話でも印象的だった彼のルシオラへの思いは涙を誘うものであると同時に、彼が「戦争」に対して何を思い、どのように動くのか、ということを明確にする役割もある。ついでのついでに出てきたクラウスとラヴィのコンビも、それだけでご褒美でしたね。大人ラヴィだ! わーい!

 とまぁ、何となく嬉しいのは中の人の思い出があるからなんですけどね。今作を壮大な「戦記物」として成立させたのは、やはりたくさんのキャスト陣。この世界の人たちは本当に皆が皆心の中に大切なものを持った人たちなので、そうした信念を描くのは一筋縄ではいかない大仕事だったはず。たとえば王族、沢城みゆき・茅野愛衣に伊藤かな恵ちゃん。中盤最大の謎だったリリアーナの翻心について、ほとんど説明も無しに気づけば納得させられていたのは、やはりみゆきちの豪腕に寄るところが大きいだろう。そしてそれに付き従うルスキニアの興津君や、軍人勢では福山潤、土師孝也さん、こにたん、折さん。軍人さん達は敵味方ともにイケメン揃いでしたな。また、繰り返しになるが、陰の主役だったのはディーオ役の野田順子。みんな本当に格好いい。そしてなんと言っても、メインを務めた豊崎・悠木という今をときめく2人。普段ならあおちゃんを手放しでほめるところなんだけど、流石に今作はあいなまにありがとう、かな。こういう役回りの主人公っていうのは本当に骨が折れる仕事だったろうと思います。みんなみんな、お疲れ様でした。是非とも、平和な世界での後日譚とかも聞かせて欲しいものですね。

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「輪廻のラグランジェ」 5→4

 1話を見て期待した要素に関して言えば、少なからず面白い要素があった作品なのは事実だと思う。制作陣の気合いの入れ方も伝わってきたし、視聴している時点では「なるほど頑張っている」という部分も多かった。しかし、その上で何とも印象に残りづらかったのは、決して同じ時間帯のライバルが強かったせいだけではないはずだ。アクエリオンは本当に色んなところで被ってたけどね。

 最初に目を引く要素は大きく2つ。1つはわざわざ実在する自動車メーカーでコンペティションを行ったというメカデザイン。いかにも分かりやすい「近未来」なデザインは、確かにアニメに慣れた目には新鮮に映る部分も多く、変形のシーケンスや流線型を意識した飛行のモーションなどは、オリジナルというに充分なものであった。しかし、なんだろう、気づけばメカ戦闘は1話のプロレス技KOがクライマックスだったような気がする。そこから先で、「あのデザイン、あのモーションを活かした戦闘シーン」というのがどれくらいあっただろうか。どちらかというと内部に登場している女の子達の妙な搭乗姿勢の方が印象に残っているくらいに、外側のメカの活躍はあっさりしたものだ。結局、ミドリをはじめとするウォクスシリーズは、「ならでは」の活躍というのが見られなかったのではなかろうか。

 もう1つのポイントは、なんと言っても女の子たちのキャラクター。特に主人公であるまどかの場合、ジャージ部という謎の活動に始まり、「常時水着着用」「鴨川愛」「まるっ!」と様々な要素が有り、これが上質な作画で描かれることによって、さわやかエロ混じりでなかなか良いキャラに仕上がっている。さらに典型的素直クールであるラン、典型的天然巨乳ムギナミと3方を囲むことで、オールラウンドな萌えの需要に対応可能。これはある程度結果を出した部分か。しかし、それにしたってどうにもドラマが薄い、と感じたのは私だけなんだろうか。

 びっくりしたのは中盤のヴィラジュリオとムギナミの絡みで、「ムギナミが敵側勢力であり、無垢さ故に平気でスパイまがいの行為を働いていた」という衝撃の展開があったにも関わらず、その部分のジレンマなどにはほとんど触れず、ヴィラジュリオが一方的に(理由もよく分からないまま)ムギナミを切り捨てるという、あまり必要ではなさそうな展開になっている。ムギナミがショックを受けて葛藤するところはいいのだが、肝心の主人公視点であるまどか(そしてラン)は、「ムギナミが敵側だったなんて!」というカタルシスを一切得ないまま、「なんか敵が内部抗争しとる」というだけの傍観者となり、ムギナミは「仲間→敵→仲間」ではなく、「仲間→仲間」という変化に乏しい状態になってしまっていた。ヴィラジュリオについても「冷酷な敵側トップ」という描き方ならムギナミの扱いも分かるのだが、普段あんだけおちゃらけているくせにムギナミとの絡みでだけあんな態度に出られては疑問符が飛び交うのも致し方ない。

 最終回近辺のまどかを巡るあれもこれも似たような印象で、どこにドラマを描きたいのかがぼんやりとしたまま、終始立ち回ってしまった感が否めない。これでは、せっかく作った女の子達のキャラも空回りになってしまい、最悪の場合、「阿漕な萌えキャラ設定ばっかり」という悪印象に繋がりかねない。いっそのこと3人が延々きゃっきゃうふふする学園エロコメディだったら振り切れた面白さが残ったと思うんだけど。

 まとめると「ロボは確かに格好いい部分もあるし、女の子は可愛い部分もある。でも、それがプラス方向に複合せず、バラバラだったおかげでちぐはぐな作品になってしまった」ということ。最終回でも何が終わって何が終わっていないのか分からない状態なのは2期へのつなぎということなので、まだまだ終わらない次の「物語」の構成に望みを繋ぎたいところである。見ていて不快になったり、「つまらない」と思う訳じゃないんです。「面白い」と思いにくいだけで。どこかで一皮剥ければ、突出したものになる期待はあると思っているのでね。

 中の人的には、石原夏織、瀬戸麻沙美という若手の競演が素直に楽しめるのは良かったところ。2人とも来年度以降にさらなるブーストをかけてくるであろうことはほぼ間違いないので、今作はそういう意味では記念碑的な作品といえるかもしれない。まるっ!

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 本筋以外のいじりポイントが多くて本筋がなかなか頭に入ってこない第12話。まず、テレビ大阪が卓球のせいで時間ずらしたりするせいで録画体勢がパンク寸前じゃい。アクエリオンが2:10〜、ラグランジェが放送枠としては2:34〜(読売は冒頭にCMが入るから実際はもう少し遅い)、シンフォギアが2:30〜、CSチューナーはアニマックスの「戦う司書」(2:30〜)を録画中。無理無理。

 さておき、前回クリスが吹っ飛び、悲壮な決意で戦う2人が描かれるかと思ったら、暴走しちゃった響はむしろ敵側に回るというトラブル。確か前回暴走したときは圧倒的パワーで回りをなぎ払ってたやん、その勢いで一気にフィーネさんや翼もぶっ殺すかと思われたのだが、今回の暴走は単なる自我喪失効果しかなかった模様。「影縫い」なる小技で押さえられて退場。今回の一件が奏の死と重なった翼さんだけは、経験値が上がっていたおかげで理性を保ち、冷静に命を賭してカディンギルへ突貫。フィーネさんに阻止されるも、命と引き替えに巨大キャノンを打ち砕いた。今回は巨大剣を使った諸々のアクションがなかなか面白かったんですが、最終的には体当たりっぽかった。そこは勢い任せで処理するなよ、という。

 2人が倒れ、1人は自我喪失。どうしようもない状態ながら、悪役の性なのか、了子さんは勝手に自分語りを始めてしまったおかげで響はボコボコにされながらも死には至らない。そこへ仲間達の必死の思いが届けられ、何とか響が復活……と思いきや、どさくさに紛れてクリスと翼も復活。どないやねん。すげぇな、歌のパワー、ヤック・デカルチャー。

 おめでたい友情物語であるが、理屈はよく分かりませんね。あと、了子さんが結局何をしたかったのかもよく分かりませんね。数千年分の「あの方」への思いが込められていたらしいですが、「とりあえず月をぶっ壊せばいい」という結論はすごく馬鹿っぽい。そもそも成功してたら重力関係で呪いどころじゃない天変地異が起こるんじゃないか。お前のカディンギルで地球がヤバい。そこまでのことを望んでいたようには見えないんだけども。

 いや、突っ込みどころが多いことはこの作品では美徳なので、別にいいんですわ。そして、今回は外野も盛り上がっていたので、その辺も見どころではあったんですが……一人テンパってた子が織部やすなだったおかげで(中の人的に)、なーんか緊張感がねぇ。「あれが私たちを守る姿に見える!?」の後に「ソーニャちゃん!」っていいそうでしょうがない。あとはアレね、「アニメじゃないんだから!」っていう下りで「でったぁ〜、アニメあるある」っていう声も聞こえてきた(CV:シルシル)。そんなんばっかり気になってたせいで、中身はもうあれでいいや、というすごく駄目な結論にね。ほら、悪役ばりばりの沢城先輩にフルボッコにされてるあおちゃんは幸せそうだなーとか。いつも通りの結論でした。

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なんかもう、とにかくなんだか最終話。これは……色んな意味でずるいなぁ。相変わらず悩ましいことやってくれるぜ、長井監督。

 正直言って、今回は中盤で「どないやねん」が先行した。周りの人間がものすごく頑張って道行きを示したにも関わらず、慌てて向かった先で電車に乗っていちゃついてる2人は、どっか間違ってる気がした。「そこまで必死に走ってローカル線かよ!」とね。まぁ、目的地が木崎湖だったとしたら、確かにかなり遠いみたいなんだけど。先週の一気呵成の流れがあの電車のシーンでせき止められたような気がして、どこか釈然としなかった。そして、いざ到着した「目的地」のシーン。まさかまさかの(とか言いながらどこかで身構えていた)ナレーション・井上喜久子おねーちゃん。さて、これをどう捉えるべきなのか。普通に考えれば、あの声の主、つまりイチカたちの祖先というのは、風見みずほ先生とは縁もゆかりもない。なにせみずほ先生はフツーに地球で所帯を持って草薙みずほとして暮らしていたわけだし、彼女の子孫がイチカたちってのはどう考えても時系列が合わない。ということは、イチカの言う祖先は「おねティ」とは関係無い。でも、どうしたってあの記憶がフラッシュバックしてしまうと、「どういうことだってばよ」となる。

 謎のハイパーロボを起動させた檸檬の存在も悩ましい。彼女は、簡単に言えば秘密組織のエージェント。何の気まぐれから海人たちに近づいたんだろう、ということを考えれば、当然イチカの存在をかぎつけただけ、ということになり、彼女のメタレベルともいえる様々な技能についても説明がついてしまう。そこに森野苺の存在は必要なくなった。しかし、彼女は苺「であってもいい」のである。彼女の冒頭の台詞は「初めて出会った宇宙人は私の親友なのよ」という台詞も、それがイチカであるともとれるし、全く別な宇宙人であるともとれる。つまり、風見みずほなのかもしれない。違うかもしれない。何とでもとれるようにかき混ぜてくれちゃって。何ともいやらしい脚本である。

 そんな諸々のガジェットに彩られたおかげで、最終話で見せた海人とイチカの恋の顛末は、多少焦点がぼけてしまった感は否めない。あれだけ頑張って探しに行った「約束の場所」は2人の関係に全く意味をなさなかったように見えたし、堅くちぎり合った直後の別れにも、どこかあっさりとした、後味の悪さが残る。「結局、若者達の努力は独りよがりの無駄骨だったんじゃないか」と、そんな印象が先に立つ。しかし、ラストの様々なシーンのモザイクを見ていくと、この「無駄骨」に価値を見いだすことこそが、今作の目的であったというテーマが浮き彫りになる。イチカの祖先が残した「記憶」というたった1つの「証」は、本人達にも意味をなさないはずだし、受け取ったイチカや海人にしたって、伝えられても仕方がない。しかし、「記憶に残ったこと」自体に価値を見いだすことも出来る。それが「起こった出来事」をいつまでも刻み続けるなら、そのこと自体に価値がある。時代は流れ、人は成長もするし、忘れもするけれど、海人たちが待っているのは、ずっとずっと「あの夏」であるのだ。「あの夏」を持ち続ければ、みんながそこで待ち続けることが出来るのだ。

 そんなテーマを振り返ってみれば、なるほど、海人のトレードマークであるビデオカメラというツールの効果がよく分かる。「記憶」を「記録」として残し続ける端的なツールであるビデオカメラが彼らの夏にどのような影響を及ぼしたかは、ラストシーンで檸檬に手渡されたふざけたフィルムを見れば分かるだろう。イチカは去り、思い出だけが残されたが、そこに映っているイチカは確実に真実であり、そこに刻まれた記録は在り続ける。海人・柑菜・哲朗・美桜、それぞれに同じフィルムでもみえる景色はきっと違う。4人が分かち合いながらも別々に抱え続ける「あの夏」は、フィルムの中でずっと待ち続けている。

 そして、最後の最後に1カットだけ写されるイチカの映像。これがまたずるい。ボリビアの民族衣装を身にまとったイチカのそのワンカットだけで、「夏の続き」が存在することをさりげなくアピールしてくるという、何とも底意地の悪い演出である。また、そこに繋がるまでのフィルムワークの中には、過去のエピソードで刻まれたシーン有り、長井監督お得意のオープニングからのバンク借用有りで、短い中にこの作品をぎゅっと詰め込み、一気に片付ける荒技を披露している。本当に、そつのない人だ。

 この作品は間違いなく終わったはずである。結論も出ているし、不思議なことに「全く分からないこと」は残っていないはず。その上で「まだ知りたいこと」もたくさん残っているのは、あくまでもこの作品が「あの夏」であるからだ。海人たち学生連中の人生は夏が終わった後もまだまだ続いており、その行く先を、視聴者は知る術は無い。学園祭に参加した後年の学生たちが、上映会のフィルムの中のイチカだけを見ることが出来るように、我々視聴者は、この12話の中に詰め込まれた海人たちの人生しか見ることが出来ない。逆に言えば、いつだって、この12話で彼らの夏を振り返ることが出来るわけだ。「あの夏で待ってる。」。なんとも気の利いた、もどかしさに満ちたタイトルではないか。

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 春休みのイベントというとこれでした。劇場版の「ストライクウィッチーズ」。アニメも含めて「ストパン」の大ファンっていうわけじゃないけど、少なくともシリーズ2作は楽しく見させてもらった身、やはり劇場にも足を運ばないのは失礼ってもんだろう。

 

 以下、遠慮無く作品のネタバレは含んでいますので存分に注意して下さい。
 

 まず一言で感想を言うと、「大満足」ですね。見たいと思って行ったものは全部やってくれたという印象。正直言ってそこまで身を入れて見ていたわけではない作品なんですが、この劇場版は「もう1回観に行きたい」と思わせるだけの作品だったと思います。最近は劇場アニメも増えて敷居が低くなっているとは言っても、こういう趣向を劇場に持ち込むのはアリだと思いますね。

 作品の中身をまとめると、延々90分の時間を費やして「宮藤少尉マジイケメン」ということをひたすら手を変え品を変え描き続けるだけ。そのためにフラットな視線から芳佳を見られる新キャラである服部静夏という新兵が登場し、若者、年下から見た芳佳の人となりが克明に描かれていく。時間が限られているおかげで個々の事件の展開なんかは非常にご都合主義のきらいはあるのだが(ネウロイ出現の空気の読み方がハンパ無い)、1つ1つの事件やバトルのテンポが良く、劇場版ならではの画で見せてくれるおかげで充分に価値のあるものになっている。特にバトルシーンについては、この作品ならではのパンツ……じゃない、ズボンアクションがこれでもかというくらいにしつこくしつこく描かれておなかいっぱい。まぁ、ぶっちゃけると2期の1話を延々やっているような状態な気もするのだが、1つ1つのバトルにきちんと個々の隊員たちの個性が出るように工夫が凝らされているので、戦っているのが似たようなネウロイであるにも関わらず、不思議と退屈な印象はしないのだ。ほんと、あれだけのズボンと尻、生足を大スクリーンで楽しむっていうのは……素敵ですねぇ。個人的に好きなのはシャーリーのむちむちぱっつんとした足です。健康エロですよ。尻でここまで書き分けられるってのはすごいよね。

 ベタなシナリオとは言っても、その構成は手慣れたもの。魔力を失った芳佳が、生身の身体1つだけでネウロイと戦い続ける展開は無謀と言われても仕方ないものなのに、そのアツさと一貫した正義感のおかげで共感がもてるものになっているし、ジープで突貫をかけるシーンの悲壮感などは涙を禁じ得ない。「潜水艦での特攻」→「崖崩れの村での白衣」→「防空壕からの誘導」という風に少しずつ彼女の思いが積み重ねられてのクライマックスなので、彼女の持つ魔法力の源、「他者への愛情」が綺麗に形作られる。静夏が嫌悪感を示した彼女の破天荒さについても、それが501のメンバーによって少しずつ「良さ」に変わっていき、最終的には「仲間が全員で芳佳のもとへ駆けつける」というカタルシスに繋がる。「献身」と「友情」という芳佳の全てが、この作品で全て味わい尽くせるのだ。

 もちろん、芳佳だけではなく501の他のメンバーの活躍シーンもばっちりだ。私は個人的に501以外の人間を知らないので他の部隊については省くが、残りの10人については個別に書いていこう。最初に盛り上げてくれたのはロマーニャのルッキーニとシャーリー。この2人はもう、単に仲良くしながらわいわいやってくれるだけで楽しいですね。よくわかんないけど「赤ズボン隊」との小競り合いは、2人の脳天気さがよく出ていて素直に笑えるシーン。

 続いて芳佳が訪れたガリアのリーネとペリーヌ。リーネちゃんは……今回は芳佳ときゃっきゃうふふする役。いや、白衣のくだりはすごく大事なエピソードなんだけどね。あのシーンのおかげで、芳佳の覚悟がきゅっと切なくなるくらいに伝わってきたわけだし。まぁ、リーネちゃんはお布団の中で芳佳の枕になってくれればいいんですよ。久しぶりの再会の時にストライカーユニット履いたままで甲板の芳佳にダイレクトアタックしてたけど、大丈夫だったんでしょうかね。そしてペリーヌさんは、戦闘シーンだとあんまり見せ場がない代わりに、今回はシナリオ上でとても大切な役割を担った。芳佳の破天荒な振る舞いに頭を悩ませる静夏が、過去のペリーヌと完全に被っていたためだ。優柔不断な堅物キャラだったペリーヌも、長年のつきあいですっかり丸くなり、芳佳の良き理解者となったことが見事な対比となっている。ペリーヌの現在の柔和な表情と静夏の悩ましげな表情を見れば、宮藤芳佳という人間がよく分かる。そして、そんなペリーヌだからこそ、1人だけ静夏の感情を察知し、さりげなく彼女に歩み寄りの機会を与えたのだ。直接的に変化を促すことは出来なかったが、彼女の心遣いが静夏を変えたのは間違いないだろう。

 そしてオラーシャからわざわざ出てきてくれたエイラーニャの2人。今回はそんなに活躍シーンが無かったのはこの2人かな。ただ、出立のタイミングで2人して仲むつまじく手を繋いでランデブーしていただけでも、ファンはそれなりに納得してくれた……と思いたい。

 対して、カールスラント組、エーリカとバルクホルンは尺もたっぷりとって見せつける大活躍。おねーちゃんは芳佳の名前を聞いたとたんの大ハッスルで笑いを誘いつつ、ヘロヘロになったエーリカになんだかんだ言いながら優しくしてあげるところでニヤニヤポイントアップ。鼻水つけられても怒っちゃ駄目よ。そして劇場版だろうがなんだろうがいつものテンションのエーリカ。こいつなーんもしてない、と思いきや、新型ネウロイを素手でぶっ壊すという荒技を披露。どこまでも規格外である。

 相変わらず陰に日向に部隊を下支えし、最終的には高らかに501の再結成を宣言した頼れる隊長ミーナ。2期以降すっかり事務方が板についてしまった感があるが、まだまだ現場でも頑張ってますね。そして、なかなか出てこないと思ったら案の定最後の最後で一番美味しいところを持って行くことになった坂本少佐。もっさん、なんでストライカーユニット持参なんでしょうね。しかも大和を強引に引っ張り出したり、やりたい放題ですがな。このぶっ飛び感が坂本さんなんでしょうけどねー。

 そんなみんなに支えられ、どこまでもまっすぐに突き進む我らが主人公、宮藤芳佳。本当に彼女は素晴らしい主人公ですね。クライマックスの格好良さとか、もうどうしていいか分かりません。やっぱり救国の英雄は器が違うのだ。ただ、個人的に一番気に入ったのは、冒頭で静夏に返した「あ、そですか」の一言なんだけどね。2期7話でその間の抜けた空気には笑わせてもらいましたからな。どこまでいっても芳佳ちゃんはマイペースな子やで。

 中の人の話は今更必要ないと思うが、新しいところでは今回ゲストキャラの静夏を演じたのは、内田彩。正直キャストロールを見るまで分かんなかったんだけど、青臭くてお堅い静夏のキャラには上手い具合にマッチしていた。今後もこの作品に続けて登場することが出来るなら、なかなか楽しみなことで。他にもちょいちょい登場した他の部隊のキャストなんかも本当に豪華で、「ストパン」ワールドはまだまだ広がり続ける期待が持てる。川澄なんてほんの一言のためにわざわざ用意されてたんだもんなぁ。あと、今のご時世は声を聞いただけだとナチュラルに「さて、今のはミズハスでしょうか、石原夏織でしょうか」クイズが出来る。まぁ、流石に間違えんけども。ちなみに蛇足だが、作品のパンフレットは、キャストインタビューも写真付きで掲載されており、501の面々(の一部)はわざわざストパンジャケットを身にまとったオリジナル写真で掲載されているので、ファンは必見である。千和とあみっけがやべぇくらいに良い写りなので、マジ必見。

 最後にもう1回書いておくと、涙あり、笑いあり、感動あり、ズボンありの、とてもよくまとまった作品だったと思う。スクリーンの最後を飾った「つづく」の文字に期待を寄せつつ、第3期が始まるのを首を長くして待ち続けたいと思う。あ、そですか。

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「探偵オペラミルキィホームズ第2幕」 7→6

 うん、酷かったな! まぁ、これでこそミルキィだ。特に文句は無いぞ!

 点数下げたのは、流石にこの作品を「手放し全力でほめる」っていうのはやり過ぎだ、という風にちょっと冷静になったから。あと、やっぱりシリーズものの宿命として、1期の時の爆発力が2期では慣れてしまったこともあり、多少なりとも勢いがそがれたと感じたから……いや、どうだろう。別に変わってない気もするなぁ……やっぱり1期抜きでいきなり2期から見始めたら「なんやねんこのキチガイアニメ」って思うのは間違いないだろうし……あ、分かった。今回はアルセーヌ戦ではなくてその他の要素も絡んできたおかげで、ちょっとシナリオラインがぼやけてしまったから、ということにしておこう。そうに違いない。…………このアニメでシナリオとか言ってもなぁ。

 まぁ、こんだけ笑えればアニメシリーズとして何の不満もありませんよ。これのプロトタイプである「GA」だって、毎回毎回そこまで大爆笑ってわけでもなかったんだし、「あー面白かった、さて、3期はいつかな?」という程度の気持ちで待てるくらいなら充分合格ライン。この作品はGAと違って一応はシリーズシナリオがある作品でもあるので、きちんと1クールで1つの流れを作っておいて(うん、きっと作れてたんだよ)、その上で満足度が高いのだから、やっぱり秀作なのは間違いないのだ。早く3期が作られることを望んでいます。

 中の人、というかキャラクター全般の話だが、これだけのシリーズになってくると、やっぱり個々のキャラの彫り込みにも味わいが出てくる。ただ、この作品の不思議なところに、何故か個々人を掘り下げる話がない、っていうのがある。それこそ「GA」なら「今回は明らかにミント回」みたいな方向でストーリーを作っていたのに、ミルキィの場合は常に4人は一緒で、「ずっとネロだけがしゃべり続ける話」とかはないんだよね。もうこの際だから自由にシリーズ構成を広げて、キャラクターにスポットを当てた話作りでもいいと思うんだけど。

 まぁ、それが無くても興味は維持出来ている。シャロは相変わらず過ぎて正直変化は無かった気がするが、今期1番はっきり個性が出ていたのはネロだろう。1期では醸し出す程度だったド外道設定が大幅強化され、駄目駄目揃いのミルキィホームズの中でも屈指の最低っぷりを見せつけてくれた。そのくせ、何故か憎めないキャラクターなのがまた不思議なところ。そらまるの声って、なんか癖になる愛嬌があるんだよね。是非、3期では「ネロ回」を徹底してやって欲しい。後は「次子回」とかね。なんだか金儲けの臭いがしやがるぜ!

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「灼眼のシャナⅢ」 5→6

 お疲れ様、というのがまず一言目の感想かしら。長きにわたるこの「ラノベ大河ロマン」にもひとまずの終止符。長らくのおつきあいでしたが、なかなかどうして、悪いつきあいじゃなかったと思っています。

 ただ、先にきちんと断っておかないといけないのだが、正直この3期、私はさっぱり理解しちゃおりません。最初に悠二が突然敵側になった時点でちんぷんかんぷんだったところに、たたみかけるような大戦争、何の前触れもなく襲いかかる大量の紅世の徒、それに対抗するよく分からんフレイムヘイズの集団。誰が何をして、何を目指しているのかもさっぱり分からない状態で、とにかく「なんだか戦争っぽいもの」が起こっている様子だけを、ただぼんやりと毎週見守っておりました。

 こうして、「設定もよく分からない状態でなんかラノベ臭いことが起こっている」というアニメは、実はさんざんこき下ろした「境界線上のホライゾン」と同じ状態であるはず。となると、このアニメはつまらないということになってしまうのだが、不思議とそんな気もしなかったのである。思い出補正といえばそれまでかもしれないが、1つ1つのキャラクターの行動の裏側に見える「大望」については、作品を通じてしっかり見えているような気がしたのである。特に、イデオロギーが難しかったのは祭礼の蛇が率いる徒軍団の方だったと思うが、そちらは悠二がしっかり統率し、心酔して彼に付き従うバルマスケの3人の態度からその信念は疑いようが無かった。その下に連なる徒軍団になると色々と好き勝手な部分もあったように見えるが、それでも、内ゲバが起こるでなし、私欲をむさぼるでなし、最終的に悠二の大望に向かって皆が進む姿に迷いが無かった。それに対抗しようとするフレイムヘイズも同様である。紅世の王とフレイムヘイズが絡むと、画面を見てても誰がしゃべってるのか分からなくなってしっちゃかめっちゃかになってしまうことも多かったのだが、それでも何となく「全員がシャナと同じ方向を向いている」という了解があるので、シンプルに理解しようと思えばノイズは排除できたのだ。

 こうして「なんだか戦争っぽいもの」が2クールもの間に渡って延々描かれ続けるという、壮絶な「戦記物」としてのまとめ上げ方は、なかなか綺麗に仕上げようとしても難しいところだ。戦争といっても、作戦があって、布陣があって、個々の兵の働きがあって初めて「戦争」という大きな絵図が生まれる。これを雰囲気だけで「戦争」にするのは簡単ではない。この作品の場合、最低限ディティールに気を払いながら、流れをつかめるほどよいバランス感が維持されていたのではないだろうか。そしてその中にあって、ちゃんと主要キャラクターの感情の動きを描ききることになったのだ。恐ろしい数のキャラクターが大挙したシリーズであったのに、主要キャラの片付いた各々の到達地点には、不満を感じる部分は無い。皆、それぞれの目指すものがあって戦争に挑み、それぞれの未来に向かって、また明日から歩んでいくのだろう、ということが感じられる、よい最終回であった。「ゼロの使い魔」と同じように、クライマックスで流れたのが「緋色の空」っていうのはちょっと面白かったけど……それでもグッと来てしまうのが憎らしい。同時にシャナが叫んだのが「うるさいうるさいうるさい!」だったのもね。お約束って、守ってもらうとここまで安心出来るものなんだねぇ。

 こうして、また1つ長い歴史が幕を下ろした。「ゼロの使い魔」と「灼眼のシャナ」が同時に終了したというのは、なんだか因縁めいたものも感じられる。ラノベ文化の1つの時代区分が、ここで片付いたのかな、という思いだ。こちとらラノベは全く読まないので本当のところがどのような状況なのかは分からないが、いわゆるゼロ年代のアニメ文化としての「ラノベ」は、ここで一区切りという見方もあながち乱暴ではないんじゃなかろうか。1つの時代を作り上げたスタッフの皆さんには、ただ「お疲れ様」と。まぁ、渡部監督の場合、また新しいラノベ作品の看板を探して仕事を続けていくんだろうけどね。

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