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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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ギスギスギスギス、第33話。やっぱり宗匠は黒い方がキャラが立つなー。それにしても怖いなー。

 ついに明かされてしまった、利休の過去の罪。これまでひた隠しにしてきた自らの暗部を、いくら全幅の信頼を置くとは言え、織部に話したことは、利休の決意が固まったが故とみることが出来るだろう。彼が「信長殺しの主犯は秀吉であると織部が知っている」ことを知っていたかどうかは定かでないが、「秀吉と自分が信長を滅したのだ」と告白することは、自分を苛むと同時に、秀吉の罪を暴くことにも他ならない。そして、そんな恐ろしい秘密を吐露したことは、既に自分と秀吉の間には、協定が成立しないほどの状態であるということを漏らしていることにもなるのだ。織部は利休の変化にのみ目が行ってしまっているようだが、この変化は、時代を動かすだけの充分な「変革」に結びつく。

 老い先短い人生の最後の目標を見いだしてしまった利休。彼は茶の湯を使い、商人としての才覚をふるい、諸将に手を伸ばし始めている。既にリストアップされていることからも分かる通り、今回の「変事」はかなり具体的なところまで構想が進んでいるようだ。きっかけはやはり山上宗二の一件からであったと思うが、一度は修復されたと思われた秀吉との関係は、今や回復不可能なところまで進んでしまっている。そして、それは秀吉も既に察知しており、遠巻きながらも、予防線は張り始めているのだ。「娘を寄越せ」という秀吉の要求は、「これが叶えば、まだ関係修復の芽もあるぞ」という最後通牒と受け取れるかもしれない。もちろん、利休にとっては「とどめの一撃」にもなり得るものなのだが……

 「黒さ」を久し振りに全開にしている利休とは打って変わって、こどもの落書きを手にしてはしゃいでいる織部は、今回も本当にひどい。いや、今回は特にひどい。何だか「ミスター味っ子」みたいなベタな過剰演出で描かれるテンションの上がり方は、今までの織部にも観られなかった馬鹿馬鹿しいまでの盛り上がりだ。「なんか妙なテンションだなぁ」と思ったら、今回コンテは全く関係無い外部の人がやってるんだね。前田真宏という名前は始めてみるのだが、割と実績のあるベテラン監督か。良くも悪くも癖が強い。単なるアホの子みたいに見えるのはどうかと思うけども……ただ、「明るい道」と「日陰の道」を選ぶという象徴的なシーンで、織部が自然に「暗い方」へ歩を進めているのはちょっと気になった。彼は、この先利休をどのような対象として見ていくことになるのだろうか。

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 謎の映画に行って参りました。妙な話ですよね、現在絶賛放送中の作品が劇場でも観られて、しかもその内容がわずか45分、公開は2週間ぽっちでレイトショーばかりと。今まで聞いたこともないような公開形態である。正直、この作品はそこまで肩入れして観ているわけではないので、わざわざ金を払って観なくてもいいかなぁ、とは思っていたのだが、知り合いに誘われてしまい、まぁ、そんなら行こかと。この奇妙な形態が、一体どんな意図の下で展開されているのかを知りたいっていうのもあるしね。
 

 で、観てきたわけなんですが……まずは、おそらく視聴した人間がほぼ確実に感じるであろう感想を真っ先に書いてしまおう。「なんでこれ、劇場でやったん?」。別にアニメを2話ばかり伸ばして地上波で前後編を放送しても全く問題無かったと思うのだが……一応、スタッフとしてはそれなりのウェイトで伝えたかった話、ということもあるだろうし、「このエピソードが無くても地上波だけでも楽しむことが出来るので、本当に観たいファンだけが目にすることが出来るボーナストラック」という位置取りだったとも考えられるが、正直、そんな軽いものでも、全く別なものでもない。この映画のエピソードを知っているのと知らないのでは、おそらく地上波版の理解度も没入度もかなり違う。「無くてもいい」と言われたらそうかもしれないが、「あった方が良い」のは確実だろう。これを、ニッチで視聴機会の少ない形態で発信するのはどうしたことなんだろう。「戦国BASARA」や「そらのおとしもの」、「ハルヒ」なんかの劇場版とか明らかにスタンスが違うわけで、今ひとつその意図が分からないのである。

 「別に地上波でやっても良かったんじゃないか」というのは、シナリオの位置取りの話もそうなのだが、作品のクオリティとしてもそう言える。はっきり言ってしまえば、今作の品質は、世間一般の「劇場クオリティ」ではないだろう。大画面で観るものなので多少印象は変わるが、元々地上波でもさして画面の質が低くないものが、そのままの水準でスクリーンに場所を変えただけだ。「大画面でやるなら!」という意気込みで作る劇場版というとやたらにど派手なアクションが増えたり、とにかくディティールにこだわったりという「スクリーンならでは」の労力が割かれる場合が多いのだが、この作品にはそうした区別が無い。作品の内容を考えればそんな大仰なことは出来ないし、する必要もないとは思うのだが、本当に「すげぇでかい画面でいつものUN-GOを観ている」という状態になる。いくらかのお金を払って観るものとして、こいつはどうなんだろう。

 何がびっくりしたって、この劇場版のコンテ演出は、監督が直接筆を割いてないという。スタッフロールを流し見しただけなので不確かだけど、確かコンテは三條ななみ名義だった気がする。普通、こういう作品って少なからず監督が手を尽くすものだという印象があるのだが……(まぁ、難波さんだからって不満があるわけじゃないんだけどさ)。どうにも、この企画に対するスタッフの思い入れがよく分からないのだ。

 
 とまぁ、ここまでが全力でネガティブな評価である。ここで総括しておくと、「何も知らない状態でわざわざ劇場に観に行く」作品としては、この企画は不可だと思う。ただ、1つ忘れてはならないのは、あくまで「わざわざ2週間という短い期間を選んで劇場まで足を運ぶのは、よっぽどこの作品が気になる人間だろう」ということ。そういう搾られたターゲットを相手にする商売としてなら、この企画はそれなりの意味を持っている。

 まず、「普段家庭で見ているアニメが、リアルタイムで劇場作品としても見られる」というのが、未だかつて無い経験である。「だからどやねん」と言われればそれまでかもしれないが、普段自宅の小さなテレビでしか観ていないいつものオープニングなんかを劇場で見るというのは、なんだかよく分からない高揚感があるものだ。普段の作品よりもまとまった長時間の放送形態というのも、物語のディティールを気にせず一気に見てしまえる不思議な推進力にはなる。おそらく、今回のエピソードを本当に地上波で前後編構成にしたら、劇場での印象よりもはるかにもやっとしたものになっただろう。「わざわざ劇場に持っていった普通の話」というよりは、「劇場でやったからこそなんだか普通に見えた話」というのが正しいのかもしれない。そりゃま、ど派手なアクションも感動のストーリーもいらんわな。

 ストーリーとしては、前評判通りの、純粋に新十郎と因果(あと海勝たち)の出会いの物語。新十郎を巡ってちょっとしたサプライズなども設けられているが、メインプロットは地上波の各話と同じように「なんじゃそら」と腰砕けるようなお話だ。そのへんは、既に気にしたら負け。一応因果の「正体」に迫ることは出来たし、新十郎と海勝の捻れた腐れ縁にも「腑に落ちる」説明がなされた。その上で、このよく分からない設定の世界が何となくすっきりして見やすくなったのだから、やはりこのタイミングでの放映は正しい判断といえるだろう。これからクライマックスを迎える(であろう)地上波版のブースターとしては、なかなかいいアクセントになっていたのも事実である。

 中身の具体的な話については、ネタバレにもなるし「ネタ」を明かしても何だか雲を掴むような話で誰も得しない気がするので端折るが(実は私がよく分かっていないという背景もあるが)、地上波版を受け入れて観に行った人たちなら何となく「ま、いいか」っていうレベルだから大丈夫。大丈夫? 一応付記しておくと、風守は出ません。大人因果がちょっとエロいくらいです。

 本当にヌルッとして評価しにくい作品なので、最後にとっておきのネタに逃げてしまおう。そう、中の人の話だ。地上波版では、新十郎が映画の撮影をしており、そこに3人の女優が登場する。わざわざ無茶な兼ね役まで使って、寿・高垣・豊崎というsphereを3人固めており、当然誰もが「なんで戸松だけおらんねん」と思うだろう(思うよね?)。その答えが、劇場版だ。戸松は、そこにいたんです! 最終的にsphereを中心としたダイナミックな中の人パロディとかで幕を閉じたらものすごく面白いのに。

 作中では戸松ボイスと豊崎ボイスがオーバーラップするという、ファンからしたらどうしていいか分からなくなるシーンがあるんですが、多分劇場で視聴してた時はそのへんが一番ニヤニヤしてました。あと、戸松が武田鉄矢の「少年期」を歌うシーンとか。「僕はいつ頃大人になるんだろう」って、成人式終えたばっかの若造が歌うんじゃねぇ。

 本日の結論・「因果はやっぱり良いキャラであった」。

 以上だ! 「見に行く人は充分気をつけてね」って言おうかと思ったけど、もうあんまし観る機会無いな!

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この安定感、どうしたことか! 第9話。しかし、まさかのももねこさまメイン回ですよ。やりたい放題だけど、視聴者もそれを望んで(?)いるという……実に恵まれた作品だなぁ。

 ももねこさまメインという予想の斜め上をいくAパート。主なテーマは「みんなには気楽だと思われてても、猫って案外大変なんだぞ!」という秘やかな主張である。これまでの描写ではももねこさまは何か人智を超越した猫ではない恐ろしい存在のようにも見えていたのだが、今回のエピソードを見る限りでは、やっぱり単なる猫ではあるようだ(そのフォルムは置いとくとして)。そりゃま、流石に猪と戦えって言われても無理ですよ。あそこまで頑張っただけでも敢闘賞ものです。

 そして今回もう1つの見どころは、ももねこさまがパトロールしていた静かな竹原の町並み。普段は女子高生が主人公なのでなかなか夜中の街を描く機会というのは無くて、今回、猫目線を使うことで始めてその景観がじっくりと描かれた。しんとした景観保護区の細やかな描写が、この作品の売りの1つである美術部分を際立って見せてくれている。猫目線なので普段とはちょっとアングルなんかも違うのがお茶目だ。

 1つ気になったのは、ももねこさまを中心とした猫たちの会話やモノローグが、全て書き文字で描かれていたこと。もちろん突然しゃべり出されても困るし、一番分かりやすいのがああいう演出だったのは確実なのだが、どうせ猫メインで描かれるのだったら、多少難しくて、分かりにくくなっても、全て表情や動作などで描いてみても良かった気がするのだが。その方がこの作品の空気にあっている気がするし、多少面倒でも、この作品のスタッフなら難しい話ではないと思うのだが。ま、あんまり面倒な事をやるような作品でもないんだけどね。

 Bパートは、これまで主に写真館でだべっていた2人組のうち1人、飛田志麻子がメインとなる回。分かりやすい言い方をすると、「千和回」である。よかった、ちゃんとこれくらいの出番はあるキャラだったのか。実をいうと、この志麻子というのは千和キャラとしてはかなり珍しいカテゴリになっており、大人キャラで、しかもクール要素が無い「普通の女性」なのだ。何とも妙な話だが、私の記憶の中に、こんな千和キャラはいない(一番近くて「なのは」のスバルだろうか)。そして、ちゃんとこちらの希望が分かっているかのように、暴れて、叫んで、泣いて笑ってくれるキャラであった。いい話だったなー。現時点では「ARIA」のメイン6人中4人が既に竹原の地に集まっている。アテナさんの中の人はしょうがないとして、残る晃さんの中の人が登場するチャンスはあるんだろうか。

 そうそう、中の人の話ついでに、アリシアさんの中の人ですよ。この人、今期は2キャラで車の運転して爆走させてるんだよね……「さぁやボイスのキャラがまともに車の運転が出来るはずがない」。そりゃそうじゃ。

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大原さやかが退場したと思ったら同じようなポジショニングで田中理恵が出てきた第9話。この作品が狙っているのは萌え好きでもロリコンでもねぇ。Mだ。

 バトル展開一切無しで、そういう要素を見たいと思っている人間としては「フーン」という程度のエピソード。とはいえ、ここまでで登場したキャラクターが何だか平和な日常を送っていることが分かり、その他の連中も何だか和気藹々と楽しげに過ごしているのを見ていると、これはこれでいいような気もする。白穂の楽しそうな様子が百合百合で素敵。更に小倉唯が登場し、新旧ロリっ子対決の様相を呈した謎の拷問具萌えキャラ大決戦が巻き起こっているのである。サヴァレンティも合わせるとどこぞのバスケチームにも見えるな。年齢で見たら、フィアの中の人はダブルスコア以上……いや、なんでもない。16歳と17歳だからほとんど一緒くらいだね!

 今回もきっちり大沼節の出ている賑々しい画面だなぁ、と思っていたら、なんとコンテはナベシンだった。くそっ、こういう小器用なことが出来るのが憎たらしいところだぜ。しかし、これを見てると何だかSILVER LINKが大沼演出しか出来ないスタジオみたいに見えてきて怖いな。まぁ、シャフトが新房演出一辺倒になっているのに比べればなんの問題もないけどさ。あ、でも今回から入れ替わったオープニングとエンディングは実に見事だった。特にオープニングは情感たっぷりの映像がキタエリの落ち着いた声質に合わせて実にスタイリッシュに決まっていて、一発で気に入りましたよ。なんでわざわざ1クールでオープニング入れ替えてくるんだろうと思ってたんだけど、こうして聞いてみるとどっちも捨てがたい。キタエリはゆかりんクラスの歌い手にまで成り上がれるかしらね。

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 去る11月26日に、京都大学で行われた学祭イベント、「山本寛講演会」に行ってきました。個人的には曲がりなりにもファンをやっているつもりなので、わざわざやってきてくれたのに観に行かない手はないでしょう。多少体調コンディションが悪かったり、事前募集で定員割れを起こしている感じが不安だったり、色々と悩みもありましたが……

 でも、実際に行ってみたら、ちゃんと開会前にホールが埋まるくらいの客は入っていたし、2時間の講演会というしんどそうな中身なのに一切中だるみすることなく盛り上がったし、充分な成果が出ていたんじゃないでしょうか。そして、私としてもようやく「業界人」山本寛(以下、親愛の意味も込めてヤマカン)を生で見て、その生の声を聴くことが出来たので、色々と貴重な経験になりました。基本的に声の大きい人なので目新しい情報なんかは特に無かったのだが、彼の話を聞いたことで色々と思うこともあったので、今回はそれを多少なりとも真面目にまとめてみたいと思う。あの講演を聴いたら、「とりあえずネットでも声を上げてみればいい」という風にも受け取れたしね。

 ちなみに、別段メモを取っていたわけでもないので氏の発言については正確に再現出来るわけではないし、私の受け取り方によっては、発言者の意図を正しく受け取れていない場合もあることを先にお断りしておく。まぁ、でないとヤマカン絡みは色々と面倒ですからね。なお、細かい内容については、悪意があったり無かったりする様々なまとめサイトでも見られると思われるので、内容だけを知りたい方はそっちを調べることをお勧めする。

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 ケイネスセンセにサヨナラ、第9話。ホントに救いの無いお話だよなぁ。学生に恵まれず、サーヴァントに恵まれず、あげく嫁にも恵まれず……才能ある人間っていうのは、こうして艱難辛苦が絶えず襲いかかってくるものなのですね。

 そんなこんなで、今回主に描かれた陣営は2つ。1つは当然ランサー陣営で、今回から本領を発揮し始めたソラウさんの外道っぷりが存分に楽しめます。基本的に私はM気質なので虐められる状態は割と楽しく見られるのですが、ソラウが面倒なのは、中途半端に女としての部分を残してしまっているところである。彼女が立ち上がった理由にはもちろん彼女なりの克己心、物欲も含まれているのだろうが、その背後にあるのはランサーへの呪い混じりの恋慕の情。おかげで彼女は、自分でも望まないうちに、何が何でもランサーを自分のものにしたいという抗い難い欲求に縛られてしまっている。おかげで、ケイネス先生には容赦無い鬼嫁を演じられるのだが、ランサーが相手だと単なるアホな尻軽女になってしまう。これでもしランサー自身が単なる悪党で、ソラウをケイネスから奪い取ったことに喜びでも感じてくれれば一風変わったNTRとして楽しく見られる部分もあるのだが、肝心のランサーさんが何一つ嬉しくないという本当の誰得状態になってしまっているので、見ている方としてはモヤモヤしっぱなしだ。ま、呪いを抜きにしてもソラウさんはちょっとおつむが駄目な気もするけど……彼女が令呪を受け継いで戦う大義名分はそれなりにあるんだし、脅しなんかかけずに何とかケイネスを説得できれば、ランサーだってついてきてくれると思うんだけどね。

 そして、そんなギスギスした人間関係は他にも多くあり、結局未だに会話すら出来ないちぐはぐグループであるセイバー陣営は、切嗣がアホの子セイバーに腹を立てて単騎での出陣。ま、今回ばかりはセイバーにも非があるし、仲が悪いのはどうにもしょうがないので今更関係回復は望まないけど……なんか不憫だよね。特に板挟みになったアイリが。最終的に切嗣とセイバーの間で和解して真の友情パワーとかに目覚めてくれればめでたいのだが、どうやらそうはならないらしいしね。今後も各陣営、ギスギスした雰囲気を存分に発揮してもらうことになりそうだ。

 そんな難しい人間関係をものともしないほんわかハートフルコンビが、今回第2の主役となったライダー陣営であろう。ついにズボンを手にした征服王は、すっかり単なるおっさんに成りはてて俗世に完全順応。酒をかっくらってからの征服活動は、どこぞのイカの子もかくやという適当さ。それでも、ちゃんと聖杯のことは忘れていないわけで、ウェイバーの努力もちゃんと見てくれているよいおやっさんでもある。他の陣営と違い、サーヴァントが少しずつマスターを認め始めているのが分かる、すごくまっとうな主人公気質。褒められて悪い気がしないウェイバーも、少しずつライダーの器の大きさを受け入れることが出来るようになるんでしょう。ライダーの気質と真反対の特性を持つキャスター陣営の悪行を目の当たりにすることで、少しは聖杯戦争の参加者としての気位の高さも芽生えてくれれば何よりである。

 それにしても……アサシンあと何体おんねん。

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 子安が演説かますと内容がどうあれ絶対企んでるようにしか聞こえない第20話。そんなに世界が間違ってると思うなら、いっそ月光蝶ですっきりさせてしまうのはどうだろうか。

 さて、前回に引き続いて、感想はもう、「分からないな!」の一言だけ。個々の現象として何が起こっているのか、どういうドラマが描かれているのかは問題無く理解出来て、1つのストーリーとして受け止めることが容易であるにも関わらず、この1話で描かれたドラマが、全体にどのように関わっているのかが分からないという、実に恐ろしい状態になってしまっている。それもこれも、全てスタッフの悪意ある「作意の隠匿」によるものだ。この作品はメインキャラが動き回る表層上のレイヤーに加えて、徹底的に記号化されて背景に落とし込まれた「ピクトグラム」の第2層、そして一見おちゃらけてみえるペンギンたちの茶番劇である第3層と、同時並行で様々な要素が描かれている。そして、それらが全て均一の際立ちで描かれているために、どのように接続し、意味を産み出すのかは一切説明されていないのだ。

 例えば今回現れた代表的な謎でいえば、夏芽と冠葉の関係性などが上げられる。冠葉の父親が指揮する革命団体の会合に参加し、肯定的なスタンスで受け止めていた夏芽。彼女は冠葉のことを「お兄様」と呼び、晶馬や陽鞠を見て「あの子」というやや距離を置いた見方をしている。素直に受け入れれば、このシーンは冠葉と夏芽が兄妹の関係であるように読み込める。しかし、そのことについての補足的な説明は一切無い。加えて、そんな幼い夏芽の傍らには、大量のペンギンマーク付きの球体が用意されている。これは明らかに、これまで夏芽が多用してきた謎の「ピングドラム弾」に繋がる系譜のものだろう。つまり、彼女がこれまで他者を制圧してきた武力は、ペンギンマークの始祖たる革命集団に繋がるものであることが描かれていたわけだ。しかし、これまでのエピソードにおいて、あまりに乱雑に、あまりに大量にばらまかれていたペンギンマークは、既に記号化し、第2層におけるファッション要素だと思われる節があった。おかげで、夏芽と団体を結びつけることが完全には決定しなかったのだ。今回あそこまで明示的に示された時点でも、どこまでが表層的な事実であるのか、決めかねる部分も残されているだろう。

 また、2話前から登場した「こどもブロイラー」の存在も、そうしたレイヤーの接続関係を悩ませる要因だ。ピクトグラム以外の存在がほとんど含まれない「こどもブロイラー」は、最初に登場した時には多蕗少年の無力感の象徴して現れたものだと思われた。しかし、続けて陽鞠と晶馬の出会いの場としても登場し、それが一体どんな意味を持つ「施設」なのかを改めて考える必要に迫られた。そして今回、改めてそのエピソードが掘り下げられ、「透明な存在」「氷の世界」などと言ったフレーズが、革命団体の掲げる「世界の浄化」の目標の1つとして、厳然たる害悪として「こどもブロイラー」を現実化させている。この世界における「こども」の存在と、陽鞠が再三口にしていた「選ばれること、選ばれないこと」の具現化が「こどもブロイラー」であると考えることも出来るが、晶馬が実際に駆け付けて飛び込んだシーンを見る限りでは、やはりその実在性は、表層のレイヤーにもしっかりと影響を及ぼすレベルであると考えた方が良さそうだ。

 そして、今回新たに加えられたもう1つの存在として、陽鞠と晶馬を結びつけた「サンちゃん」がいる。陽鞠の持ちペンギン(?)である「3ちゃん」と、「選ばれなかったもの」として陽鞠と晶馬に大きな影響を与えることになった猫の「サンちゃん」。符合としては偶然以外の何ものでもないはずだが、ここに来て、ペンギンたちがおちゃらける第3層が、一気に表層にまで関わりを持つ可能性が出てくるわけだ。「ペンギン」というふざけた存在も、これまでは単なるマスコットキャラクターとしか受け止められていなかったが、革命団体による「浄化」の1つのファクターとして南極の環境調査隊の存在が示され、団体を表すマークがペンギンであることが明らかになったせいで、急に複雑な意味を持ち始めている。ペンギン=団体のシンボルであるとしたら、高倉家でふざけていたの3匹の行動は、全て団体との関わりを考慮しなければいけなくなってしまう。

 ま、結論としては「黙って最後まで観るしかない」ということなのだが、今回ことさらに晶馬と陽鞠の関係が掘り下げられたおかげで、残るスポットは冠葉だけになった。やはり、彼の存在がこの作品最後の地雷になりそうだ。何が起こっても驚かないつもりではいるが、この作品の場合、更にその上を行きそうで怖くて仕方ない。ひとまず、苹果ちゃんには幸せになって欲しいです。

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11月22日 ドラフト模様(ISD×3)
ピック順 【Thraxi】→【Alessi】→【Mei】→【Serra】→【Metallica】
 
 今日は火曜日、普通の日。あれ? なんでだろう、見慣れた面子がずらりと並んでいたぞ。あぁ、そうか、明日は祝日なんだ。へー、休日とか関係無い生活してるから全然気づかなかったわー。
 そして我々、出会った時点で即手合わせが常道。前回のドラフトから4日しか経ってない気もしますが、とりあえずパックを剥こうか、ということになってしまう。怖いものですね、習性ってのは。突発イベントだったおかげで呼び出されなかった約1名には申し訳なかった。確認しておくけど、今週正規回のドラフトは無いからね。

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もう、とにかく凄かった、第8話。毎回凄いわけじゃない作品なので気を抜くと適当に見てしまうんだけど、今回は適当に見ても凄い回。ちゃんとしたボリュームで聞いてりゃ誰でもそれくらい分かりますがな。

 音の話よりも先に、画の話もしてしまおう。相変わらず自分色を一切隠そうとしない大沼節が全開の本作だが、今回の異質さはいつもに増して強烈だ。非常に安易な言い方をするなら「シャフトの臭いがする」ような演出方向だが、もちろんそんな単純な話じゃない。導入部では尾石達也もかくやという書き文字による締め上げ方、Aパートの激烈バトル展開では止め画の使い方がドラマを作る。引きつったように固まるフィアの悪そうな顔が、固定された画だというのに少しずつ追い詰められるサヴェレンティの心理に少しずつ食い込んでいく様子が真に迫っている。

 翻って、Bパートは「今までの激しさは何だったんや」というような緩さを持った展開。崩し気味の画に愛らしいデフォルメが画面の前と奥に存分に視聴者を揺さぶり、時折挿入される一切回りに合わせない謎のリアル系アップ画がギャグとも見える過度な安心感を醸し出す。そして最後にハッピーエンドを迎える段になると、オーソドックスな「萌えアニメ的」な緩やかな見せ方でフェードアウトしていく。わずかに30分の間でここまで振り回される演出は久し振りである。単純に奇抜な方向での演出で固めるのではなく、多方面からひたすらやりたいようにやることで、実に見事にメリハリがついたのだ。見ていて一切飽きが来ない、素敵な演出であった。今回のコンテを担当したのはイシグロキョウヘイ氏という名前だが、気づけばこの作品の1話(大沼心の全力だと思って観てた)も担当してたんだね。今後注目したい名前である。

 そして、そんなこんなで実に散漫で、油断すると置いてけぼりになってしまいそうな画面を支え、更なる高みまでかっ飛ばしたのが中の人達の大フィーバーだった。中の人目当ての人間からしたら、今回は本当に1本満足、恐ろしいまでの充実感。ビッチさんが退場してしょんぼりしてたんだけど、これだけのものを見せられたら文句の出ようもない。

 まず、この作品の座長とも言える田村ゆかりの安定した「狂気フィア」の作り方。まぁ、今更ゆかりんが何をやろうと驚きはしないが、やはりこういう方向性で振り抜いてるのを聴くと改めて感心する。そして、殺される者たち、白穂とサヴァレンティ、つまり千和とゆかち。これ……確実に喉潰れてますね。千和の絶叫のすばらしさは周知の通りだが、あれだけの長台詞でも一切オトすことなく成立させられるのは素晴らしい。そして、始めて体感したゆかちの全力投球。これだけのベテラン勢(?)に囲まれても負けてない。ゆかちは単に面白おかしいだけの娘じゃないんです。やれといわれりゃ何だって出来るんです。多分、これからも頻繁に見返す回になると思われます。

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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
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