最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
立つ鷺、跡を濁さない最終話。これまで半年の間に本当に色々あった湯乃鷺温泉に、ついに別れの日が来てしまいました。
ここまで綺麗に幕を閉じ、その上で後口すっきりでくどくないという最終回は久し振りに見た気がします。この期に及んで初めて気がつくが、「花咲くいろは」というタイトルは、「花咲いた物語」を示唆するのではないのだね。「いろは」っていうのは物事の初心、はじめの段階のこと。「花咲くための、初期段階」というタイトルだったのだから、緒花たち女子高生の日常は、まだまだこれからということは最初から分かっていたこと。そんな「未来への余韻」を残すエンディングは、また格別のものでありました。 今回は大きく分けて2つのパート。まず、前半はP.A.Worksの真骨頂ともいえる、盛大なぼんぼり祭りの情景。そういえば、P.A.が最初に頭角を現したのはあの「true tears」だった。そして、あの作品も鍵を握るのは、片田舎で開催される祭りの情景だった。夜の闇にぼんやりと浮かぶ多数の明かりや、暗がりの中でうきうきと心躍らせる人いきれ。そんな雰囲気が画面の隅から隅まで充ち満ちているのは、流石のお仕事である。そして、そんな祭りの情景の中で、たくさんの人たちの「願い札」の内容が明らかになり、そこから「未来への情景」が確認出来る。「続く未来」を最も端的なツールで表したのが、この祭りの夜だったというわけだ。 そして、そんな中での2つの出会い。1つ目は当然、緒花と孝一だ。よくよく橋の上で会うのが好きなカップルだが、前回湯乃鷺を訪れた孝一は結局緒花とすれ違いばかりだったので、今回は念願叶っての対面ということになる。あのときとは全く違う緒花の気持ちは真っ直ぐに孝一にも伝わり、そのおかげで無駄に紅ショウガの多い焼きそばを食べる羽目になった。屋台のおっちゃん、気がききすぎるな。 そして、この夜を舞台にしたもう1つの出会いは、裸の気持ちをようやく通わせることが出来たスイと皐月である。面白かったのは2人が祭りの会場を歩くシーンのカット割りで、どこか妙なアングルからの切り取りなので、決して「2人が同じ画面に入る」ことがなかったのである。結局、皐月はスイの生み出した文化に迎合することはなく、あくまで「松前」皐月としての生き様を見せ付けている。しかし、そんな頑なな「隔離」は、その夜の寝室で解消される。互いに譲り合い、わかり合う母子。スイの中には、もう皐月への複雑な感情はなくなっているのだろう。これが、「四十万」と「松前」の融和の起点である。 後半パートは、結局一時閉じることになってしまった喜翠荘を舞台にした撤収劇。従業員は予定通りの未来へとそれぞれに歩を進めたが、数話前のようなバラバラの「離散」ではない。縁が宣言した「新たな喜翠荘」を目指すための一時解散だ。豆じいが去り、喜翠荘は「元の」喜翠荘としての姿を取り戻すことは出来なくなった。女将が歩きながら巡る誰もいない館内の数々の想い出は、この建物に残された最後の遺産となる。しかし、それが終わりではない。「四十万スイを喜ばせる旅館」が喜翠荘の存在意義であるとするなら、今の喜翠荘が失われたとしても、第2の「喜翠荘」を生み出せばいいだけの話。スイに満足してもらう。そんな次世代の旅館の夢は、既にいくらか現実になっているのかもしれない。 そして、この建物を最後に離れるのは、やはりスイと、緒花であった。第1話、1番最初に緒花が命じられた廊下の水拭き。彼女が喜翠荘とのお別れに選んだのは、その記念すべき初労働だった。スイでなくとも、わずか半年の滞在でも、すぐに生まれ、大切に育てられる新たな想い出の数々。新しい世界はそこにいくらでも拓けているのだと、スイは痛感させられる。天真爛漫、何も考えていないような緒花の行動に、思わず彼女も寂寥の涙をこぼした。 最後に残されたのは、「四十万」から「松前」への、正式な融和、橋渡し。未来の四十万スイを目指すことを神に誓った松前緒花に対し、スイは自分の想い出の全てとも言える業務日誌を託した。祖母から孫へ、世代を超えた新たな喜翠荘の夢は、ここに託されたのである。「待ってるよ」と呟いたスイの表情は、全てをやりきったものの達成感に満ち、孫の行く末を見守る暖かな祖母のものになっていた。 みんな、まだ何が出来るわけじゃない。何が出来るかも分からない。しかし、それは、花咲くいつか。花咲くためのいろはが得られた人々は、そのいつかを目指して次なる扉を開けていくのだ。本当に綺麗だ、未来って奴は。 PR
「ロウきゅーぶ!」 5
まったく、小学生は最高だったらしい作品。いやぁ、なんか最近じゃ珍しいくらいに無難に終わりましたな。アニメ単体で見た場合には、本当にまっとうなスポ根ものでしたよ。特に語ることも無くて、この感想だって8割が中の人の話になってもおかしくないくらいだ。 でも、やっぱり小学生だったわけです。世間的にはそっち方向のフィーバーっぷりが凄かったようで、この国はやっぱり法整備を考えるべきなのかなぁ、とちょっと心配になったりも。いや、2次元を相手にしている分には何の問題もないんですけどね。ただ、こういうもののシェアが拡大してくると、声高に主張してもいいんだ、っていうバカが出てくるのが怖いんですよ。アニオタだってそうかもね。趣味なんてもんはひっそりと自分1人で楽しんでりゃいいものなんだから、他人に認められるとかどうとか、関係無いんです。 ん、なんか変な方向に話が進んでしまったが、とにかく今期一番の「特に可も不可もない作品」になった。草川啓造監督作ということでアクション部分には特に注目して見ていたのだが、確かに細やかな配慮が感じられる部分が多く、具体的なモーションの説得力が物をいうスポーツアニメとしては上出来な部類だったと思う。ただ、やっぱりキャラクターデザインによる制約が大きくて、どれだけダイナミックな動きをつけても、どれだけ細かくバスケのモーションを再現しようとも、キャラ造形から来る違和感ってのはなかなか払拭しきれない。贅沢な注文ではあると思うのだが、そうした無茶もひっくるめて表現出来るのがアニメという媒体の可能性だと思っているので、出来ることならもう1段高いレベルの作画が見られれば良かった。 そして、ラノベ原作ってことでシナリオラインはただただ普通。いや、これでいいんですよ。下手に捻ろうとしたら数多の失敗作のようにグダグダになったり滑りまくったりする恐れがあるので。ちゃんと「小学生と高校生の交流」というただ1点の特異点を明示的に表に出して、それを中心に至極まっとうなスポ根を描いていた。これはこれで面白い。ただ、それだけだと今一歩、「この作品ならでは」っていうところまでは行けない。これまた贅沢な注文だとは思うが、「小学生が云々」を、シナリオ面でも先鋭化させて、何かしらのセールスポイントに繋げられたら良かったのだが。いや、具体的には思いつきませんけどね。 色々と無茶な注文ばかりしてしまっている気がするけど、それも全て、基本線は満たしている、という満足感はあったため。この後の智花たちのバスケ人生がどのように進展していくのか、2期とかがあって続きが見られるというのなら、喜んで応援させてもらいますよ。 というわけで、ようやく中の人の話だ。本作は、かなり若手寄りの「主力声優展覧会」みたいな様相を呈していた(ちなみに、もう少し上の年代の展覧会は「神様ドォルズ」だと思っている。そのあたりは今度の感想の時にでも)。花澤香菜を中心として、いぐち・小倉唯・日高里菜・伊瀬茉莉也などなど、今後の業界を牽引できそうな人材が華々しい活躍を見せてくれた。そして、それを見守る保護者役に伊藤静・能登麻美子・川澄綾子などが回っているのである。完全に、一世代分の世代交代を終えた形だ。キンキンと甲高い声が集まったのは小学生メインなのだから当然だともいえるが、そんな中でも個性をぶつけ合い、それぞれのキャラクターなりの愛らしさをアピールする職人芸の数々には惚れ惚れしてしまう。そして、5人で集まって歌って踊ったりもしてしまう。……本業が疎かになる可能性があるなら声優が歌ったり踊ったりする必要など無いとも思うのだが、そういうパフォーマンスをやってもらえると喜んじゃうのが声オタの性。申し訳ないが楽しかったです。井口のドヤ顔っぷりが楽しすぎました。このユニット、やっぱり番組が終わったら解散すんだよね……もっと見たかったのに。女子高生声優達の輝かしい姿を。たった1つの番組のためのユニットだったが、声優ユニット史に立派な1ページを刻んだと思いますよ。まぁ、数年後は黒歴史になってるかもしれないけど……
「日常」 6→6
色々と世間を賑わせながらも、2クールの長丁場を走りきって無事にゴールイン。結局最後の最後まで、充分に楽しませてもらいました。 個人的には、京アニ信者としての属性が強いので、京アニが作り上げるストイックな画面構成には感心することしきり。本当に「アニメ化に向かない」作品だったと思うのだが、あくまでも原作に忠実に、原作が良かった部分をそのまま何とかアニメ媒体に取り出すように、全力で作品にぶつかってくれていることがよく分かった。ここまでのものに仕上げるのは、京アニ以外のスタジオでは不可能だったのではなかろうか。これまでの京アニ作品とはまた違った努力方向で結果が出たと考えれば、これまた新たな記念碑として記憶に残しておくべき作品だったろう。 ただ、この作品の場合、手放しで褒めてハイそれまで、っていうのでは片手落ち。どうも、世間では「失敗した」という評価が散見される。珍しく京アニが滑ったとか、アニメ化して質が下がったとか、そういう評価がある。はっきり書いてしまえば、ちゃんちゃらおかしいと思っている。あの原作を、正攻法でアニメ化するならば、もう、これ以上のものは望むべくもない。生半可な技術で誤魔化そうとしても、確実に馬脚を現す結果になっていたことだろう。「原作を追いかけた」ことが明確に分かり、それが形になっただけでも、ものすごいことである。 その上で敢えて難をあげるとするなら、やはりこの「日常」という作品は、漫画媒体で1つの完成形になってしまっていたということが上げられるだろうか。京アニの過去の作品例を見てみれば、原作ものとしては「ハルヒ」「らき☆すた」「けいおん」「CLANNAD」など、元が小説媒体であったり、動きが見えにくいシンプルな漫画だったりする。その分、スタッフは1からコンテを書き起こし、そこに肉付けするだけの「あそび」が多く与えられていた。自由な枠の中で最大限の「らしさ」を提供することが出来るのが、京アニの強みなのだ。しかし、この「日常」については、そうした「あそび」が極めて少ない。原作漫画の時点で、構図や間合い、ネタ回しが1つの完成形を見ており、そこにプラスアルファを加えるのが本当に難しい。どちらかというと「シュールギャグ」であり、シチュエーションそのものを笑いに変えるのが基本姿勢なので、どれだけアニメとして膨らませようにも、ネタの骨子を動かしようが無いのだ。過去に「すごいよマサルさん」やら「ギャグ漫画日和」、「ユルアニ?」作品など、シュールを売りにする作品の場合、実質的なアニメ品質に言及せずとも、ワンアイディアで笑いに置換できる要素の方が強い。そのため、京アニはなかなかオリジナルブランドとしての強みを活かせなかったというのじは事実だろう。 だとしても、やはりこのアニメは京アニらしさが出ていたし、充分に「日常」の魅力が出ていた。原作ファンなら喜ぶべきことであるし、たっぷりとした尺で見せてくれたことを感謝しても良いと思う。繰り返し見られるだけの密度を持ったこの手のギャグアニメというのは、それだけで稀少なのだから。 そして、京アニのもう1つの特性というと、出来るだけ「色の薄い」キャストを配置するというこだわりがある。過去のヒット作でもそうだが、他の人気アニメに比べて、キャストに新人や無名な声優を起用する割合が高く、フラットにその作品と接することが出来る。相沢舞・今野宏美・白石稔あたりは「京アニ声優」であるが、その他、メインを務めた中で目を引いたのはゆっこ役の本多真梨子。彼女のいつでも本気で演技にぶつかっていく姿勢には、不覚にも惚れてしまった。声にしろ演技にしろ、充分に武器になるものを持っていると思うので、これをきっかけにガンガン先輩達の牙城を突き崩す若手勢力になって欲しいと思う。他にも、なの役の古谷静佳、ウェボシー役の玉置陽子など、ちょいちょい面白そうな名前も出てきた。声優業界の刺激を与える意味でも、この作品の存在は面白いものだった。 さて、次の京アニはなんじゃいな。
「怪盗天使ツインエンジェル〜キュンキュン☆ときめきパラダイス!!〜」 3→3
やった! なんだかんだ言ってちゃんと最終話まで見たぞ! ……いや、すまん、絶対途中でやる気なくして飛ばしてる。正直、間のとことか何やってか全然覚えてないし。大体ネットで麻雀うちながら横目で見てた気がする。すまん、無理だったんだもん。 終わってみての感想は……多分、初回放送の時の印象から何一つ変わってないので、そっちの文章を確認してもらうと早いと思います。あとは……無いなぁ。ほんとどうでもいいなぁ……あ、一応最終回はちゃんと見ていたので、「我慢したんだ!」のとこだけはちょっと面白かったかな。 あれ、でもこれってさ、怪盗とか、チームとか、変態仮面とかの要素だけ並べると、ひょっとしてうまくいってたら「ミルキィホームズ」みたいになってた可能性もあるってことかな? ……無いなぁ。岩崎さんにそこまで尖った仕事は求めてないしなぁ……とにかく予定通りに、期待された以上も以下もないような、針の穴を抜けるようなお仕事です。ま、ぶっちゃけ面白かったかつまらなかったかと聞かれたら、野茂英雄ばりのトルネード投法でもって全力で「つまらない」フォルダにぶん投げるのは間違い無いんだろうけど、だからって特に嫌悪感も抱かないという……これって堕落? 私は駄目になった? 「どうせ田村・能登・釘の3人がしゃべってるんだから、それだけで一定の健康促進効果はあるだろ」とか、思ったら負け? でも、これってそういう作品だよね。「岩崎良明作品だから堀江由衣が出てるはず! よし、出てる、終わり!」って、そういう作品だよね。それでいいじゃない。
「神様のメモ帳」 5→3
個人的には、今期最も「はずした」作品。「はずす」ってのは、単につまらないとか合わないっていうんじゃなくて、1話目で受けた印象からの逸脱があって、期待した方向に作品が進まなかった、という意味。結局いつもこの言葉を使ってしまうが、やっぱりラノベか。 1話視聴時点では、様々な点で期待を込めることが出来た。動きの良い岸田メルのキャラクターデザインは分かりやすいセールスポイントだったろうし、1時間スペシャル枠を利用して放送した1エピソードは、目新しさこそ無かったものの、どこかで現実と非現実のバランスが考えられており、終わった後にちょっとした寂しさと考えさせるだけの余韻を残していた。この時点で既にどこぞの作家との炎上劇なんかもあったみたいだが、そんなピントのずれた議論は興味もなかったし、率直に受け入れられると思えたその第一印象は今でも変わらないと思う。そもそも、ラノベ原作の自称「探偵もの」なんて信じちゃ駄目だってことは、過去の作品から嫌というほど教え込まれているわけで、いわゆるミステリ的な要素なんて気にする方が間抜けであろう。 だが、残念ながら、2話以降を視聴するにつけ、ミステリ的な要素以外でも、1話目がたまたまだったんだろうなぁ、と思えるような脚本しかお目にかかることが出来なかった。理屈が無いし、描写も無い。だからこそ道理も無いし共感もない。当初「自分で動いて考えられる主人公だ」と思った鳴海は、すぐに「訳の分からない思い込みで愚にもつかないことをやり始める埒外」に見えるようになり、「どこか余韻が残る」と思われた作中の事件については「余韻っていうか、結末が無いだけだね」ということが分かる。展開が安易なのは許せるが、展開が意味不明なのは流石にフォロー出来ない部分だ。ネタ部分での「え? 何でそうなるの?」が発生するのと同時に、作中キャラのやりとりでも「え? 何でそう思うの?」「何が君をそんな行動に走らせているの?」が乱舞し出すと、もう筋を追うのも困難になる。脚本をあげる時点で、誰かおかしいと思わなかったんだろうか。 メインシナリオが追えない、もしくは追うに値しないと感じられると、残った要素も自然と辛くなってくる。「花咲くいろは」では可愛らしさとコミカルさのキーとなっているキャラクターデザインも、地に足がつかないキャラの空虚なイメージに繋がってしまうし、胡散臭いキャラ造形は、どんどんあさっての方向に行ってしまうように見える。実際には他のアニメだって大した差はないのかもしれないが、作られたキャラが、実シナリオと遊離してしまっているために、「現実感のなさ」がプラスに働くことが無いのである。ラノベ媒体なんだから開き直り方には様々な方向性があり、例えば西尾維新作品のように、絶対にあり得ないレベルにまで造形を突き抜けさせてしまえば、それはそれで文句のないものだ。もしくはそれこそ「花咲くいろは」のように、ベタでも阿漕でも古くさくてもいいから、とにかく分かりやすさに重点をおいて書くことも出来る。ニートを書くなら「あの花」みたいに多少心の傷を抉るくらいの無茶な生々しさを伴わせてもいいだろう。しかし、この作品はそういったどの方向にも尖ることはなく、ただ最初に設けたスタート地点にコマを置き、一切動かそうとはしなかった。「あとはシナリオがかってにキャラを動かして、運んでくれるから」とでもいうように、1話で生み出したそのままに、設定を放り投げた。そのまま、全員を乗せた状態で迷走を始めるというのに、である。 どうにも、お話自体もアニメとしても、何をキーとして売り出していきたい作品なのか、ということが分からず、見ていても熱意が受け取れなかったのは残念なことである。どこかで、原作の脚本をアニメにする時点で大きくいじっており、アニメスタッフの罪が重い、という風な意見も目にしたのだが、何の理由もなしにこれだけ空虚な脚本には落ち着かないとは思う。原作は読んだことがないし、これからも読むことは無いと思うが、全部が全部アニメスタッフだけの責任、ってことはないだろう。ま、犯人探しをする意味も無いけどね……と、桜美かつし監督を応援したい身としては適当なフォローを入れておきます。 最後に中の人の話。今作はなんといっても、小倉唯のヒロインデビュー作、というのが最大の注目ポイント。ただ、個人的にはアリスよりもひなたの方が好きだな……小倉唯はあの徹底的に甘ったるいアニメ声が武器になるのだから、まだ抑えめで声を作るよりは突き抜けさせた方が面白いものになる。もちろん若いうちにガンガン色んな方向にチャレンジするのは良いことだと思うけどね。あとは……鈴村が割と面白かったかな。あんな訳の分からないキャラでなければ、もう少し格好良い見せ場が作れたんじゃないかな、とは思うんだけど。
9月23日
ピック順 【Sangriter】→【Alessi】→【Serra】→【Mei】→【Thraxi】→【Metallica】 私が次のセットの発売日を勘違いする、というとんでもない間違いのおかげでワタワタしてしまいました、ブロック閉幕を飾るラストイベント。過去にどっかで1回やったことがあったはずですが、改めて気合いを入れて準備しました、「ミラディンの傷跡」ブロック・オールカード・ロチェスターでございます。ルールは前回ものせたけど、一応確認。 「ミラディンの傷跡」から「新たなるファイレクシア」までの全てのカード1枚ずつのプールからのロチェスター。席順は最初にじゃんけんで何手目を取るか決める。ピックする枚数は6人戦なので12の倍数。当初は普段通りのドラフトでピックする枚数(42枚)に近けりゃいいか、ってんで48枚を予定していたが、実際にピックを行っているうちに全員が疲労困憊したおかげで、「もう、1周少なくてもいいんじゃね?」ってな雰囲気になったため、36枚で終了した。ちなみに、36枚引いた時点で時間は既に3時間を経過しており、みんな意識の混濁と空腹でグロッキーだった。ただ、ピックを終了させた後にいざ40枚デッキを組もうとしたら、カードプールに遊びがほとんどなかったために、みんなしてヒーヒー言っていた。まぁ、12枚増えたらどうなっていたのかは分からんけど。 どうでもいい情報もいくつか。まず、座席決定のじゃんけんの結果は以下のようになった。勝った順に【Metallica】(6手目選択)、【Thraxi】(5手目選択)、【Serra】(3手目選択)、【Sangriter】(1手目選択)、【Alessi】(2手目選択)、【Mei】(4手目)。カードは全て私が用意したが、現時点でパックから出ていなかったものは全てシングルで買ってきた。殴打頭蓋さん高杉。そして、プロのイベントを意識して、一応フォイルがあるカードは全部フォイルにしてみたが、単にピックの時に見にくかったり、デッキに入れると妙に反り返ってて目立ったり、あんまりいいことはなかったかもしれない。次やるときは無駄なこだわりは捨てます。次て。 今回はせっかくの記念イベントなので当然ピック表の記録は残したんですが、カードを全て広げるスペースがなく、そのための参照資料としてデッキ登録用紙を流用したため、チェックが面倒になって多少の不備が出ています。みんな、後半とかになるとへろへろになったからチェック忘れたりしてる。出来うる限りは修復して再現したつもりなんだけど、補えなかったところはごめんなさい。まぁそこまで競合ドラフトになってぶつかったわけでもないし、何となくどういう雰囲気で進んだかが分かれば良いんじゃないかってことで、御容赦。
終わるよ! もうこのコーナーが終わるだけじゃなくて「SAY YOU SAY ME!」自体が終わるからね! くそう、結局、47都道府県+エクストラ5回で最終回か……まだまだ見たいネタはあったのに……いっそのこと、終わった後の番組枠で30分の「47都道府犬」がはじまらんもんかな〜。個人的には宮城と埼玉と神奈川と徳島と兵庫の絡みとかがみたいなー、バンドとか組めそうだよなー。新曲、「練り物はおかず」。普通や。
EX02「アフロディーテ山梨犬」 エクストラ2話目の主人公は山梨犬。エクストラが5回でメインレギュラーが5人だから、つまりはそういうことだな。次回は愛媛が来て、ラストが愛知で〆かな。まぁ、ある意味綺麗な終わらせ方といえるかもしれません。ただ、その場合には最低限「都道府犬」だけをまとめたソフトは出して欲しいもんですけどね。全部入れても30分無いんだから余裕だよね! 花を摘みにきたかしまし三人娘たち。実は比較的穏和な愛媛なのに、がっつり山梨と絡んだ経験ってほとんど無かったんだよね。数少ない、見ていてホッと出来る組み合わせ。「お前らも植物だけど花摘みとかするんだ……」とかいう、いい加減やり飽きた突っ込みはスルーの方向で行きましょう。綺麗なお花を2人で分け合う愛媛と山梨。愛知はそれを遠巻きに見ながら、何だか怪しげな花を持参……それ、食虫植物? どこに生えてんのよ。逆にすげぇよ。そしてなんで欲しいと思ったのよ。そして、自分だけしょーもない(?)草を掴まされた愛知は、静岡の摘んだ綺麗な花に目をつけ、「名古屋にもあげるずら」と好意を見せたのを良いことに、ほぼ全てをむしり取って「花満開だがねー!」と上機嫌。このまま行くと、また愛知が起点になって何かトラブルが……と思いきや、1輪だけ残された花に蝶がとまり、その1輪を蝶のためにその場に残して立ち去る山梨。なんと、この番組が始まって早半年、ようやく、本当にようやく、純正ハートフルストーリーになったのだ。良い子過ぎるだろブドウ…… いやぁ、良かったです。もう、育った娘を嫁に出す父親の心境です。長らく苦労を続けていた山梨も、2度目のメイン回で文字通りに幸せが花開いた。彼女は、ひたすら善行を重ね続けてきたのだから、こんな小さな幸せだけでなく、もっとみんなを笑顔にする幸せを満喫して欲しいところです。まぁ、相変わらず愛知の名前を正しく言わないところだけはご愛敬ですがね……こういう回があるのもいいものです。 EX03「フェニックス静岡犬」 エクストラ3回目の主人公は静岡。こたびの彼の目的は、「とにかく割れないこと」である。過去には6話、32話と二度も彼岸へ渡った経験のある静岡。32話では山梨に「また割れたずら」と言われてしまうくらいに、彼が割れるのは日常茶飯事らしい。ま、これまで半年で2回だから、実は他のキャラと比べて目立って死亡回数が多いってわけでもないが……やはり「容器系」の化身のさだめとして、割れてしまうのは避けられない。そんな理不尽極まりない人生に待ったをかけるために、彼は私財をなげうって新たなパワードスーツを開発したのだ。 スーツっていうか単なる「箱」であるが、前面をびっしりと覆う鋼鉄製の四面体は、たとえボールが飛んでこようともびくともしないのは間違いなさそう(ご丁寧にトレードマークである茶柱だけは外に出しておく穴がついてます)。「割れないら、今日こそは絶対に割れないら!」と心に誓う静岡を見た悪ガキコンビ(愛知・福岡)は、挑発に乗るかのように、まずは鉄パイプとハンマーで彼を滅多打ちにする。しかし、静岡の努力は確かに実を結んでいた。執拗な打撃攻撃にも、シャッターをおろした彼のシールドの前には無力であり、その後も30分かけて愛知たちが持ち寄った武器は、彼の脆いボディを打ち崩すには至らなかった。スパナ、小型ドリル、大槌、鋸、釘バット……(何故かろうそく、鞭、仮面の女王様3点セットや太鼓のバチまであるけど)。全ての打撃を耐えきり、満足げな静岡。しかし、得意げに帰ろうとしたその時に悲劇は起こった。足下のスパナに躓いたおかげで、内部で「ガチャン」。全壊とまではいかなかったみたいだが、鋼鉄製のシールドの足下から転がり出る陶器の破片、無惨に広がるお茶の染み……「割れて……ないら……割れてなど……」と、無念の詰まった静岡の涙声が、厚く閉ざされたシールドの奥から漏れ聞こえるのであった…… ふーむ、そこまで「静岡=割れる」というイメージは無かったのだが、どうやら静岡本人はことのほか気にしていたようだ。おそらく相当時間をかけたのだろう、渾身の一作となった鋼鉄シールドを用いてまで、彼は割れることを拒絶する。まず恐ろしいのは、「もう割れたくない」と思っているということは、やはり今元気にしゃべっているあの静岡犬は、過去に2度割れた静岡と同一人物であるということだ。決してこの世界には同じ存在が複数いるわけではないのだ。ということは、6話で粉々になったあとも、彼は何らかの超常的なエネルギーで復活を果たしたということであり、この世界には死という概念がなかった可能性も。恐ろしい世界である。 また、大丈夫だったから良かったが、「大丈夫だから」と言われたからって、突然親友を鈍器でタコ殴りにする2人もいつも通りにひどい。愛知なんて普段から鉄パイプ持ち歩いてるんですかね。あと、女王様セットも……いや、あれは福岡の趣味っていう可能性もあるけどな。ちなみに福岡がガンガンハンマーで殴りつける時のかけ声は、いつぞやのように「デュクシ!」である。この2人が絡むと、基本的に他人を傷つけることしかしないな。 「結局転んだあとはあの鉄の箱の中はどうなってたんだろう……」「そもそもお茶を注いだ状態で箱被ったら、中身がものすごい蒸れそう」とか、突っ込みどころはまだまだあるのだが、今回はそのへんは置いといて、最後のアイキャッチ画面に注目しよう。またしても駄目だった、ということで、新たなシールドの開発に勤しむ静岡。だが、その様子はもう、既にシールドというよりもデスマスクといった方が近いような……もしくは世紀末覇者に倒される某キャラだ。角をつけようが鼻をつけようが、今回のミス(転んだ時などの内部衝撃)は緩和されてないと思うんだけどね。まぁ、本人が楽しそうだからいいけどさ……日の当たる縁側での工作、テレビに映っているのはおそらく高校野球(デーゲームだし、球場が甲子園っぽい)なので、多分あの仮面は「夏休みの工作」の一環なんでしょうね。宿題ごときに溶接技術を駆使する恐ろしい奴である。 そして、なんだか気になるのが、そんな静岡が傍らに置いている野球の道具。多分これも「夏休み」っぽさを出すために置かれたものなんだろうけど、ボール、バット、グラブは分かるけど、野球帽もあるんですよ。どう考えても静岡はかぶれないのに。しかも、中日ドラゴンズの。もちろん、この番組を作っているのがテレビ愛知なんだから当然だけど……野球好きキャラの愛知はほぼ間違い無く中日ファンだろうが、静岡も中日ファンなんでしょうかね。やっぱ東海民はドラゴンズに偏りがちになるのかしら。
「ゆるゆり」 5→6
アニメを見ていて「上手いな」って思う要素は色々とあると思うんですが、この作品についても、何かしら「上手いな」と思わせる部分が多かった。ネガティブな感想がほとんど出てこないという点で、まずこの作品は面白かった。 始まった当初はさしたる期待もしてなかったんですよ。毎度お馴染みひらがな4文字で、内容は女子高生のだらだら日常。オフビートといえば聞こえはいいが、その実山もオチもないものを垂れ流されるだけの「萌えの産廃」みたいなものが出てくる危険性っていのは多分にありましたし。基本的にその手の作品についてはかなり肯定派の側だと思ってますが、それでも今ひとつミートポイントが分からずにぼんやりと終わってしまうことも少なくないですから(「Aちゃんねる」とかね)。 しかし、この作品はその点「上手かった」。先に断っておくと、メイン4人のキャラクターと配置にはそこまでの新鮮味は無い。あかりのいじり方については目先が変わって面白い部分であったが、それだって前例の無い話ではないし、回を重ねれば慣れてくるのでそこまで持久力のあるネタでもない。スタッフが最後の最後まであかりをあかりのままで維持できたのは、たゆまぬ努力があってこそだろう。その他、京子については割と普通のボケ役だし、結衣は普通のクール系突っ込みだし、ちなつに至っては11話以外では大した個性も発揮出来ず、「実はあかりよりも影が薄い」という巷の評判通りのキャラだった。この4人だけで1クール回そうと思ったら、それは確実に無理だったと思われる。 その上で、この作品はメイン4人に拘泥せずに、生徒会組という第2陣を送り込み、メイン4人との絡みで複層的な楽しみ方を提供してくれた。おかげでキャラの切り取り方に選択肢が増えたし、1年生と2年生を「ごらく部」「生徒会」という縦の関係で区切るパートと、学年ごとに区切るパートで視点を切り替えることが出来た。ランダムデートの回なんかはその効果が上手く出ていた部分で、あり得ない組み合わせ、奇妙なセッティングでも、「何となく知り合い」っていうレベルでうまいこと場が成立していたのは、物語の中心を定めずに、生徒会組を「第二の主人公」として設定していたおかげだろう。 また、百合要素の配分の仕方が絶妙。ガチ百合要素というほどではないのでそこまで視聴者層を限定せずにすみ、その上でキャラクター間の関係性に常に刺激を維持し続ける恋模様の配分は、他の「ユルい4コマ」では得られないテイストになっていた。キャラクターが交錯する設定のおかげで、本気で見たい人には多数のパターンの絡みが妄想出来るようになったり、カップルごとの色合いを明確に示すことによって、同じ「百合ネタ」でも常に味が変わるようになっていたのが面白い。向日葵と櫻子の組み合わせなんて、完全に独立してたのに気づけばあの2人もちゃっかり輪の中に入ってましたしね。 で、そんな諸々の中で個人的に一番ありがたかったのは、なんと言っても千歳の存在である。豊崎パワーフル充填の美味しすぎる役どころで、常にこの作品が「百合」を持ち続けることに貢献しながら、類をみない奇妙なテンションで「緩さ」を生み出すのにも一役買っている。この作品は千歳のおかげで成り立っていたといっても過言ではある。あるんだ。 そして、そんなナイス百合空間を維持し続けたフレッシュなキャストの面々。生徒会組はある程度の実績があるメンバーで固められており、前述の通り豊崎エナジーに充ち満ちていたのが特筆すべき点だが、藤田咲・加藤英美里・三森すずこと並べば、どんな狭い部屋でも殺傷力に優れた兵器となるのである。そして、主人公組では絶妙な立ち位置にあるあかり役を最後まで健気に勤め上げた三上枝織が良い仕事をしてくれていたと思うし、残り3人も、予想外の反響となったこの出世作で、きちんと重責を果たしていた。実際にはまだまだ足りない部分も多かろうが、ほとんどが新人であることを考えれば、充分に期待が持てる人材だろう。こりゃ、その他アイドルたちもうかうかしてられません。
結局芸術なんてこんなもの、第23話。フルオリさん、最近ずっとイカしてたのに……久し振りに大コケしましたなぁ……
禁教令の発布により、日の本の美意識は大きく揺れ動いた。本来、美や芸術などというものはお偉いさんが何を叫ぼうと不変の物であるはずだが、現実にはそうもいかず。南蛮渡来の舶来趣味は控えざるを得ず、世に知らしめられたのは千利休率いる侘び茶軍団であった。関白殿の大号令により、日本の茶席は一気に侘びへの関心を高めることになった。 その陰で密かにその意志を貫くのが高山右近。彼は生涯を賭した南蛮趣味を屈することを快しとせず、秀吉からの追放令を甘んじて受けることとした。一方、舶来ものの華美趣味を色濃くしていた長益は、留守居役であったのをいいことに、秀吉の帰還までの間に慌てて屋敷を改装することで何を逃れる。数寄者としてのこだわりもある男だが、織田が滅ぼされたこの世でのうのうと生きていられるのも、この周到さがあってこそだ。とにかく、聚楽第において、南蛮趣味は一時的にその姿を消すこととなる。 しかし、それで世間が侘び寂びを理解したかといえば、残念ながらそう簡単に行かぬのがこの道の険しさ。膝を折って反省したと語る秀吉であったが、その振る舞いは未だ利休の狙い通りとはいかなかった。どれだけ目先の出来事で伴天連を嫌悪しようとも、生まれもっての趣味嗜好はなかなか変わらないもの。「侘び茶を全力で押し進める」と約束した秀吉だったが、その第一声で行われたのは、大茶会の開催号令であった。半分が狙い通り、半分が思惑と外れた形で素直に喜べない利休は、茶席で露骨に難しい顔だ。 そして、そんな時代の動乱の中で、我らがフルオリさんはどうなったか。褒美に貰ったきんきらきんの茶碗は速やかに博多商人に売り払い、今後の金策と流通ルートの確保。そして、侘び茶が隆盛するなら今こそ己と利休の時代とばかりに、高々と鼻を伸ばした状態で聚楽第へと参る。初めて見る数寄者たちの家々を見て、やれ若気の至りだの、やれ悪趣味だのと散々ないいよう。何故ここで利休の茶室を訪れてみなかったのか、ということを考えると、彼が慢心して自分の数寄に酔いしれていることはよく分かるだろう。もしここで利休の狭い狭い茶室のメッセージを受け取っておけば、その後の振る舞いも変わったやもしれないのに。 そして、いよいよ踏み込んだのは、練りに練ってあのノ貫が生み出したあばら屋を再現したという、何ともひょうげた自分の屋敷。数々の創意工夫を得意げに語ってみせるが、市井の人々とは違って、利休は眉根を寄せてそれを見つめる。得意満面の織部はそれを「妬いておる」と勘違いしたが、利休の脳内を渦巻くのは苦言ばかり。あまりに凝りすぎたその風情は、利休の目指した侘びとは、どこかズレたものに到達してしまったようだ。 クライマックスとなるのは、全てを任せた長谷川等伯の手による襖絵。どんな侘び絵が飛び出すかとワクワクした織部であったが、目の前に飛び込んできたのは、極彩色の水玉が乱舞する「てんとう虫の部屋」。狙いとあまりにかけ離れたその風景に、織部は思わず膝から崩れてしまう。恥をかかされ、怒り心頭の織部が等伯を斬って捨てようとしたそのとき、利休は一言、「これは良いもの」。もう、何が良くて何が悪趣味かなんて、誰にもわかりゃしません。織部もここで自らの意志を貫いて等伯を切り捨てておけば主義は一貫したものの、利休が褒めてしまったために、怒りの矛先はどこへやら。結局等伯を攻めることもできず、おのが叱責が間違いだったと認める形に。久し振りの格好悪さは、顔から火が出る恥ずかしさでございました。 フルオリさん……どうしてこうなった……まぁ、やっぱり滑稽なことをしている方が面白い人ですからね。利休は一体、どこまで突き詰めて「数寄」の限界を見るのか、もう本当に分かりません。既に半年観てきてる番組なのに、相変わらず「名品名席」を見ても、骨董品のどこかすげぇのかよく分からないしね。中島誠之助が楽しいから見てるけどさ。ま、織部さんもまだまだその道半ば、ということですわ。それにしても、織部って今いくつくらいなんだろう。まだご夫人と夜の生活が盛んなのが素晴らしいな…… |
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
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