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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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2月25日 ドラフト模様(MBS,SOM×2)

ピック順 【Thraxi】→【Serra】→【Sangriter】→【Newcomer】→【Alessi】

 包囲戦3戦目。最近少しずつ暖かくなってきたおかげで、深夜のすきま風環境でもそこそこ落ち着いてゲームが出来るようになったのはありがたいことです。また、新人勧誘の効果が少しずつ現れており、これまで一切マジックに触っていなかった某新人から、「あー、トランプル欲しい」などという訳の分からないコメントがもらえるまでになりました。ドラフト参加については未だ物怖じしている様子ですが、今後もう少しでコンスタントな6人ドラフトが実現する日が来るかもしれません。ちなみに同氏は別の機会には「うるせぇ、−1/−1カウンター乗せるぞ」という発言もしていました。資質は充分だけど、人間的にどうかという気もします。

 あと、神話レアの偏りをどうにかして下さい。うちはワームとマスティの養殖業者じゃないんだが。必要度が高いのに「漸増爆弾」だけが全く登場しないのも謎だ。


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 ネット考察の力を感じずにはいられない第8話。そんなに熱心に見回っているつもりはないのだが、今回回収されたネタの7割はネット上のシナリオ考察で予測されていた気がする。もちろん、その上で衝撃度が下がらないのがこの作品の恐ろしいところだが。

 実に様々な事件が巻き起こった今回。敢えて一言でその本筋をまとめるなら、「光と影の分離」ということになるだろうか。次第に闇が溶け込んでいくソウルジェムのように、これまでたゆたっていたこの世界の善と悪は、今回をもって言い逃れ出来ない段階まで分化された。具体的には、「キュゥべえ軍VSほむら軍」の分化だ。ほむらの最大の目的であるまどかの存在がクローズアップされ、それに伴ってキュゥべえの正体が(一部とはいえ)明らかになった。Incubator(保育器)たるキュゥべえの目的である魔女の育成の結果、さやかは最悪の結末へとたどり着き、さやかの安否を気遣っていた杏子は避けられない流れに巻き込まれて現実を目の当たりにする。一人一人の価値観に揺さぶられた少女達は、結局行くところまで行ってしまった。

 今回最大のトピックスとなったのは、やはりさやかの末路だろう。必死で差し伸べられたまどかの手をふりほどいてしまったことを契機に、彼女はほむらの最終警告を遮断し、杏子の救いも受け入れることが出来なかった。前回確認した「利他」と「利己」に揺れた彼女の孤独な戦いも、次第に穢れていくソウルジェムに浸食され、硝子細工のごとき決意は些細な衝撃で容易く砕けてしまう。「利他」とは、心を砕くべき「他」が存在してこそ成立する理念。彼女が信じるべき「世界」そのものの価値が崩壊すれば、彼女の理念は維持出来なくなり、それはつまり、支えを失った魔法少女としての存在意義も否定されることになる。「魔法」の「少女」であった魂の亡骸は、彼女の懊悩を取り込み、見事な「魔女」としての孵化を果たした。

 「魔女の保育器(Incubator)」。それがキュゥべえの本当の姿であった。これまで何度となく言及されてきたあまりに残酷で心ない契約の様子も、ゴールが災厄の象徴たる「魔女」であるなら、不思議でもなんでもない。キュゥべえは「奇跡」という安価な代償を先払いすることにより、膨大な魔力を有する魔女を生み出すためのコーディネーターであったわけだ。いつも通りのセールストークでまどかを手にかけようとしたキュゥべえは強硬手段に出たほむらに狙撃され、まるでチーズのごとく穴だらけになるが、「替わりの素体」がすぐに現れ、用済みになった「使用済みケース」を「回収」していた。あくまで、地上をうろつく白い獣は各所の「種」に繋がるルーター基地のようなもの。その本体は、保育器としての概念そのものといえるのかもしれない。

 そんなキュゥべえに対抗しようと必死の活動を続けるほむら。さやかの魔女化を阻止しようと強硬手段に出たり、まどかの契約を阻止するために実力行使に出たり、今回はかなり切羽詰まった様子がうかがえる。そして、達観して奇妙な洞察力を手にしたさやかに、その心中を看破され、さらに直接攻撃に出たことで仇敵であるキュゥべえにも能力の一端を掴まれてしまった。これまで情報戦においてはかろうじてリードしてきたほむらだったが、ジワジワと窮地に追い込まれているようである。

 さやかの見抜いたほむらの本質、それは、まどかを守るというたった1つの彼女の意志である。まどかさえ守れるならばその親友を手にかけることも厭わないし、多少の傷も恐れることはない。常に防壁を張ったような空虚な彼女の言動も、たった1つの目的を隠匿するためのペルソナである。たが、キュゥべえの強攻策を阻止するため、そんな彼女の防壁にも綻びが見え始めた。さやかに「空っぽの言葉」と指摘された彼女の行動だったが、まどかの説得の時には全てが剥がれ落ちてしまっている。彼女にとってはまどかが全てであり、最大の弱点。それを看過されてしまったことで、いよいよキュゥべえとの関係性に変化が現れるかもしれない。

 はっきりと別たれた「光」と「闇」。そんな展開を示唆するかのように、今回の構成では「光と闇」というモチーフが印象的な構図で多用される。分かりやすい部分ではいちいち「闇から光へ現れ、闇へと帰る」ことを徹底したキュゥべえの移動シーンが上げられるし、ほぼ暗闇の中だけで活動を続けていたさやかの心象風景もその一部。さやかが光に照らされたのは、最後の望みであるほむらの説得を受けるシーンだ。ほむらの背後から照らすスポットが、ギリギリのラインでさやかを捕らえている。しかし、その光も杏子の乱入で消え去ってしまった。その後、彼女には二度と光が当たらない。電車の中で男2人に詰め寄る彼女の「真っ黒な」姿は、彼女が人として見せた最後の姿としてはあまりに切ないものがある。車窓の外に流れる風景、きしみを上げる車輪。本来なら明るいはずの電車の中の風景が、暴走の果てに行き着いた彼女の最期を演出するラストステージになってしまった。

 対照的に、たとえ夜のシーンであっても常に光の中にあり続けるのがまどかだ。たった1人だけ、ほむらの「本当の声」を聞くことが出来る少女まどか。未だ蚊帳の外に置かれ続ける彼女だが、さやかが失われ、ほむらも策を失いつつある現状、彼女に残された未来は一体どんなものなのだろう。終わらない絶望の続きは、まだまだネットの住民の予想の範囲に収まるものなのだろうか。

 今回は久し振りに蛇足で中の人のことも少し。どうにもたまらん迫力を叩きつけてくれるのは、さやかの中の人、喜多村英梨だ。今回はほむらとの対話の時の空虚な感情とか、電車のシーンの鬼気迫る台詞なんかは彼女の真骨頂。サブタイトルにもなった最期の台詞「あたしって、ほんとバカ」は涙無しでは聞けない台詞になっている。これが出来るからこそのキタエリだ。そして、対抗するのはほむら役の斎藤千和。正直言うと、これまでのほむらの声、抑え気味の演技はどこか虚ろで、釈然としないものがあった。戦場ヶ原ひたぎとかと同じトーンではあるのだが、ひたぎの時と違い、「クール」ではなく「空虚」だったのが気になっていたのだ。だが、それがほむらというキャラクターの本質であることが明らかにされて、ものすごく納得した。おかげで、今回まどかにすがりついた時の彼女の慟哭との対比が素晴らしかった。

 あとはキュゥべえの中の人、加藤英美里ですかね。キュゥべえを演じるっていうのはどういう気持ちなのかは想像も出来ないが、これだけフラットな「悪役」を貫くというのは、前例が無いだけに難度が高そう。自分の「肉」を食べ終わった後にゲップするみたいに「きゅべぃ〜」っていうのがやたら可笑しかったけどな。あれがアドリブなら笑える。

 折角なのでこのブログオリジナル要素としてMTGのカードの中に「インキュベーター」が無いかと思って確認したら、「ウルザの保育器(UDS)」と「マイアの保育器(MRD)」がヒットしました。後者の方は凶悪さとかではキュゥべえに近いと言えなくもない。嘘だけど。

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  何となく記事立て。昨今の声優ラジオ事情では、ほとんどの番組が1クール・2クールで終わってしまう中、「佐藤利奈のあの空で逢いましょう♪F」がこの程めでたく200回放送をマークしました。足かけ4年間、前身である「あの空で逢えたら」も合わせると実に7年もの長寿番組となっております。実にめでたい話です。

 声優ラジオと言ってもタイプは様々で、本当に特定の番組の番宣になっているものから、既に名物となったパーソナリティ声優個人にスポットを当てるものまで、刺激の種類も実に多様。番組増加はファンには嬉しい限りですが、内容については正直言ってどうでもいいものが多い。どこぞの芸人が「声優ラジオにでもはがき送れ」と発現したことが一部の思慮のない声優ファンに悪意をもって受け取られてもめ事が起こったりする事件もあったが、それって、ファン自身が「声優ラジオは別に面白くもないファン同士のなれ合いの場だ」って内心認めちゃっているようなもんだ。実際、ひいき目に見ても「ファンじゃなきゃ毎週聞くほどのものじゃないんだろうな……」っていうレベルの番組も多いのである。

 そんな玉石混淆のラジオ業界の中で、佐藤利奈というお方はかなり独自のスタンスを持っている。いわゆる「アイドル声優」に近い部分もありつつも、番組の中身は古き良きFMラジオを彷彿させる、どこかのんびりした雰囲気。毎週聞くのに抵抗もなく、ただ流しておくだけで、サトリナの声に満足できる、そんな不思議な癒しの空間になっている。この「特別じゃない感じ」が、この番組を200回という大台に乗せた理由なのかもしれない。キャラでなく、ネタでなく、純粋に人柄と声を求められる声優、それが佐藤利奈なのである。アイドル業務が必須みたいな昨今の女性声優の中で、こうして純粋に「声のリソース」を求められ、「語り」を売りに出来るというのは、本当に素晴らしいことだと思う。是非ともこの「柔らかさ」を維持して、300回、400回と、番組を続けていって欲しいものだ。

 そして、何が嬉しいって200回放送のサプライズゲストが大原さやかだったということ。事務所繋がりで呼びやすかったこともあるんだろうが、やはりラジオと言えば「女王」さぁや。どんな番組でも、どんな流れでも瞬時に適応可能な「パーソナリティ声優」としての本領発揮である。この人も純粋に「声のリソース」を求められる、純度の高い「声優」である。なかなか2人しゃべりを聞く機会が無かった2人のコラボレーションは、本当にありがたいご褒美になりました。是非、永久保存したい放送である。

 ま、長寿番組っていうくくりだと「ぱよぱよ」が既に500回間近だったりするんだけどね。あと最近久し振りに聞きに行ったら「絶望放送」がまだ終わってなくて驚愕した。絶望した! 200回間近だというのに一切変わってなかった放送に絶望した!

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  サイモンうるせぇ、第25話。テレビ未放送でDVD特典として収録された今作、故あって割と早めに見ることが出来ました。いやぁ、久し振りのデュラワールドに、お腹いっぱいです。

 物語としては、本編で巻き起こった激動の事件の後日談。(かりそめの?)平和が戻った池袋を舞台に、これまで登場した大量のキャラクターたちが元気いっぱい、常識皆無の状態で暴れ回っている様子をただただ描き続けるだけの、本当にお祭り騒ぎのエピソードだ。内容が内容なので本編の時に見せたような張り詰めた緊張感や、思わず唸ってしまうような見事な伏線なんてものは見受けられないが、その代わりにあるのはあまりにも賑やかな大量のキャラクターによる群像劇のごった煮パーティー。これだけのキャラクターが野放図に走り回っているにもかかわらず、シナリオラインとしては全く破綻を来さず、見事に「ある休日」のお話になっているあたりは、この作品のスタッフの手腕を褒める以外に無い。ホント、よくこの作品の脚本で統制がとれるものだ。

 まず、ほぼ全てのキャラクターに出番があり、ワンポイントの登場でもばっちりイカれた雰囲気を出してくれているだけでも驚嘆に値するもの。流石に紀田の出番だけはあんまりなかったけど、個人的にはちょこっと出てきただけなのにマッドな雰囲気がインパクト充分な矢霧姉弟がお気に入り。波江さん、そのテレビは臨也の家のものだよね……そして張間美香さん、日本には放送コードというものがあって……って、こいつらに何を言っても無駄だわな。

 他にも最後の締めで美味しいところを持っていった葛原や、全国のDVD購買層である腐女子の意見を代表して受けだの攻めだの連呼してくれた狩沢さんを含むチームダラーズ。相も変わらずいちゃいちゃっぷりが目に毒なセルティ・新羅夫妻も愉快。もう、新羅はセルティのタイプした文字列なんて一切見てる描写が無いんだよね。絶対に声が聞こえてるんだわ、あれ。ラブですなぁ。そして、そんな中でも一応主人公らしく最愛の人との関係性を発展させたのが、一般人代表の帝人。テレビのインタビューに対して気が利かないってレベルじゃない応対だが、その木訥な態度は園原さんにも高評価。園原さんがやたら可愛らしかったので、こちらのカップルも素直に祝福したくなります。急なピンチにちょろっと覗く罪歌もご愛敬。

 そして狩沢をして「池袋一のベストカップル」と言わしめた臨也・静雄のコンビ芸。世間のニーズを鑑みてか、この2人の怪獣大戦争が一番尺を取ったシーンになっており、なおかつ動画の質もかなり充実したいかにも映像特典らしいパートである。本放送の間はある程度守られていた「ギリギリの現実感」は今回全く機能しておらず、大量の交通標識を突き刺して展開される脅威の空中戦は馬鹿アクションの極み。静雄の馬鹿力スキルは前にも色々と描写があったが、臨也の一体どこから湧いてくるのか分からない謎の投擲術は、もう格好良さだけを優先させたあり得ないネタになっている。刃物連打でどんなものでも破壊するって、どう考えても臨也の方が静雄よりも強いよな。もちろん、冒頭で静雄が言った「ダンプに轢かれて〜〜」のくだりを臨也が踏襲してみせるあたりが、この2人のいつも通りの流れである。そういや突如新キャラ(だよね?)の臨也シスターズが登場していたが、特に何もしないまま終わってしまいました。ま、百合百合しいパートがあったから良しとするか。中の人が喜多村英梨っていう時点で化物語のファイアーシスターズを思い浮かべるのだが、片割れが井口ではなくてひーちゃんだった。井口だと思ったら金元……ハッ、これはイカの呪いじゃなイカ?

 ま、冗談はさておき、最後に残された1キャラは、本編でそこまでスポットが当たらなかった静雄の弟、羽島幽平。今回の「バカ騒ぎエピソード」を1本のシナリオとしてまとめる際に、彼が最も重要な基盤をなしているのが、脚本の上でのポイントである。要所要所でチープな煽り文句を挿入することで、池袋の街中で起こった様々な超常現象が「テレビの中のフィクション」に落とし込まれるという演出が、今回特有だった「現実感のなさ」に免罪符を与えることになるし、幽平のナレーションによって1つ1つの騒動が区切られることにより、本来ならば収拾が付かないはずのバカ騒ぎの多元構造が、いつの間にか「1本のテレビ番組」として収斂するような錯覚を与えるようになる(もちろん、実際は無茶苦茶なのでちゃんとドタチンが突っ込んでいる)。この「テレビ撮影」というシチュエーションを完成させた時点で、このシナリオは成立したわけだ。お見事である。

 今回のコンテは、「禁書」で罰ゲームエピソードなんかを担当してちょっと気になっていた川面真也という人。こういう賑やかなものを強引にまとめる手腕に長けているのだろうか、今後も注目してみたいところだ。そして、様々なテレビ番組のパロディを繋いでも1つの世界観を維持し、最終的には「結局いつもの池袋」という不思議な親近感に帰着させてくれるのは、やはり大森監督のディレクションの力と見ていいのではなかろうか。様々なテレビのつぎはぎというと、最近だと「海月姫」のオープニングでも見せてくれた印象的な手法。このあたりの「落とし前の付け方」が本当に上手くて、賑やかさだけを前面に押し出した頭空っぽ状態で楽しめる画面作りが徹底しているのが嬉しい。今回はアクションシーンを中心にキャラクターのデザインもかなり崩し気味の表現になっていたが、「崩れ」というよりもどこかユーモラスな「崩し」になっているのも意図的な部分なのだろう。この作品ならではの、面白い変化球である。

 今回のエピソードでもって、一応このテレビシリーズは完結ということになる。だが、どうやらまだ原作は残っているようだ。今後、またこの胡散臭くもどこか近しさを感じる池袋の街に、ご厄介になる日が来るかもしれない。それまで、我々は交機に気をつけながら待ち続けるのである。

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  中の人が楽しいから思わず記事を立てる第7話。別に同日放送された「フラクタル」が特にコメントも無かったから代わりに書く訳じゃないんだからね!

 いや、こっちも大して変わらないんだけどさ。今回2種類登場したメガロの中の人が素晴らしすぎたため、そこだけで満足した。1体目の馬メガロの中にはチョーさん。もう、訳の分からないテンションで飛ばし過ぎているせいで登場時間は大して長くないのにキャラが立ちまくっている。多分台詞の半分はアドリブだと推察するが……どうなんでしょう、原作読者の人たち。「いつも元気な○○ちゃんで〜す!」って、「ビーストウォーズ」の時のアドリブでもやってたよな。

 そしてもう1種のクラゲメガロの中には新井里美が登場。こちらはさらに登場時間が短いのにインパクトは絶大。なんで変態じみたキャラクターばかり任されるのだろうな。これで佐藤利奈とのコンビがどちらも「クラゲ役をやった声優」という訳の分からないくくりでまとめることが出来るようになったぞ。うわ、どうでもいい。「百合星人ナオコサン」のアニメDVDをエンドレスでリピート再生するような愚行に走っちゃ駄目だよ。あとは長野県民に任せよう。

 一応新キャラで金元寿子ってのも注目したいところですよね。メインキャストに新人多めだけど、この作品の場合は悪くない分配になっていると思いますよ。おかげで毎回抜群の安定感を誇る妄想ユーの存在も際立つしね。毎回あれだけのベテランを呼んでおいて、一言二言しゃべらせて帰すんだよな。勿体ない作品やで。

 大体中の人についてしか言及しない作品ってのは特に関心が無い場合がほとんどなんですが、この作品はギャグに徹してくれれば嫌いではないんです。「そんなことしたらコクがありまくりになんだろ」とかいう言い回しは何となく笑ってしまうしね。

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 熟女エロというだけですぐに17歳な人を起用するのは怠慢だと思う第7話。え? 不満? ないけど。

 今回も恥じらいが一切感じられないハイテンションな変態キャラが出揃っていたのでテンションだったらいつも通りだったわけだが、その中心が野郎ばかりなので先週までと違って割と分かりやすくありがちな展開といえるかもしれない。先週まであれだけ頑張っていた繭佳さんはどこへ行ってしまったのやら。黒パンストの響きにその面影を残すだけじゃないですかー。

 そう、野郎キャラの変態って、割とありがちだからあんまりキャラ立てとして効果的じゃないんだよね。いや、AGEにお集まりの3人の場合はかなり自分の属性にこだわりはもっているみたいなのでかなりエッジの効いた仕上がりにはなっているんですが、それでも何の説明もなくヘタレ兄に狂うスーパーブラコンの奈緒や、ストーキング行為や奉仕の精神に一切の疑問を覚えずに狂信とすらいえる愛を示す彩葉に比べると、「自分で説明すれば分かる」程度の属性設定だからさ。そういう意味ではメインとなった決裂と再結成のエピソードの馬鹿さ加減は今までよりはちょっとインパクトに欠けたかな。単に女性キャラを見ている方が楽しい、ってのもあるんですけどね。

 女性キャラは相変わらずのテンションですよ。冒頭、電車の中で彩葉を恫喝した奈緒の「お兄ちゃんのコレクションはこんなもんじゃないわ!」って言うときのよく分からないテンションとか、兄の窮状にどんどんトリップしていく奈緒の細かい表情は相変わらず楽しい。あと、単にキタエリにスカトロって言わせたいだけじゃないか、という疑惑もあったりする。ん〜、無くはない。

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 サービス回と見せかけてメインヒロインの露出は減っている第7話。水着回だというのにヘソを隠すとはね……

 突如の思いつきによる海エピソードであり、ドロドロとした不協和をベースとしたこの作品の白昼夢描写とは一線を画する、照りつける陽光の下での高校生達の健康的なレジャー模様を描く。普段なかなか見ない雰囲気なだけにその異質さはそれなりに面白い具合に仕上がっており、メリーは駄目だったけど霧島さんあたりはそれなりにサービス回らしいカットも披露してくれている。少しは健やかなエピソードもやっておかないとなかなか気分もあがってこない作品なので、ある意味正しい方向性のてこ入れとはいえるかもしれない。また、普段はもやがかかったような背景世界で際立たなかった世界設定も、今回ははっきりとした輪郭で見せられるようになっているため、後方に佇む灯台の全景や海辺にかかるコンクリートの階段、手すりに浮かぶサビの一欠片にいたるまで、独自の背景美術が堪能出来るようになっている。そうしたちょっと目先が変わった要素が見られたのは、今回のエピソードの収穫といえるだろう。

 それ以外では、シナリオ面では徐々に狭められていく包囲網がジワジワと浸食してくる雰囲気があっさりとした海の景色と対比的で嫌らしい。夢を破壊することだけを目的として悪逆の限りを尽くす「樹海」ことミストルティは久し振りに明確に悪と分かる悪役で見ていて気持ちがいい。ま、今回は対戦した良い奴側がちょっと適当すぎるデザインだったような気はするけどね……ヒーローモノのイメージのキャラに新体操のバトンみたいな鈍器を持たせるっていう発想は逆にすごいのだろうか。本物の戦隊ヒーローの方もイマイチコンセプトが分からないキャラだったしね。

 そして、そんなミストルティの「器」が誰なのか、というのも多少気になる部分。現時点で器の候補たり得るレギュラーキャラクターは、怪しさ満点の河波さんに加えて、おにぎりの先生や友人の俳句野郎まで、色々といるっちゃぁいる。犯人当てゲームではないのでヒントとかは特にないんだろうけど、これから先の展開で「意外な犯人」が見られるならちょっと面白いかも。

 今回はそんなとこ? 山内コンテじゃない回でも悪い出来ではなかったのだが、やっぱりちょっとコンテがあっさり目ね。ミストルティの中の人が本当に素敵ね。悪役声でも充分引き立つなぁ。

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 新規プリキュア大集合、第20話。スイートプリキュアは巫女になれる。うむ、間違った解釈ではないよな(いや、ソラは巫女ではないのか)。

 物語に収束を促すのは、島で起こった過去の出来事を追想する過去話。あまりにもあっさりとヘッドの「正体」が明らかになり、それに加えてまるで現代の写し鏡のように、過去にも島で起こっていた三角関係の秘話が明らかになる。

 今回の主人公は、常に影となって綺羅星を支えていた男、カタシロ・リョウスケである。彼は、彼こそは、綺羅星の根源たるオリハルコン物質の発掘、調査解明を運命づけられた、この島における綺羅星の源泉ともいえる存在。印を代々受け継いできた彼は、ソラと呼ばれる許嫁が存在していた。しかし、そこに現れた流浪の絵描き、ツナシトキオ。男も女も問わずに魅了していく謎の男の絵に惹かれたリョウスケであったが、気づけばソラまでもが彼に心酔しており、「印の伝達」を行う謎のおホモだちまで現れる。これによって、トキオはこの島で必要な地位とツールを全て手に入れ、リョウスケは、それを止める手立てもなく、止めようとも思わなかった。その結果、事故によって狙った印を手に出来なかったトキオに対し、自らの印と能力を受け渡してしまうまでに至る。最終的に彼は綺羅星という組織の「王」として君臨するようになったわけで、この関係はまるで「王」とそれに付き従う「戦士」のようではないか。

 そして現代。(まず間違い無く)トキオとソラの子供であるタクトが時代を超えて島を訪れ、今再び、王と巫女を巡っての奇妙な三角関係を築いている。リョウスケは、自らのソラに対する愛の形の象徴たる懐中時計を見て、一体何を思ったのだろうか。懐中時計は、おそらく島を離れたソラにリョウスケが託したもの。それが肉親であるタクトへわたり、さらにこれが誕生日プレゼントとしてワコに渡った。不器用だったリョウスケは時計の中に秘められた自分の思いを結実させることが出来なかったが、タクトはその時計を使って、ちゃんとワコに思いを伝えているのだ。この歴史の不可思議な悪戯は、今後どんな顛末を迎えるのか。

 ヘッド=トキオ=レイジの奇妙なキャラクター性も、今回は強いインパクトを残すものになった。現れた直後はただの木訥な絵描きに見えた彼だが、周りの人間を一発で魅了してしまう不可思議な魔力はその時点で持っており、事実上寝取った形になるはずのソラ・リョウスケとの関係において、トキオは結局誰からも敵意を向けられていない。この奇妙な関係はリョウスケの不可解なメンタリティから起こるものであるが、それが魔法のようにトキオに絡め取られていく様は、二人の逢瀬をリョウスケが目撃した夕暮れの展望室で明示されている。会話を続けるうちにトキオの周りに増え続けるキャンバスは、彼の魔性の象徴たる「絵」が少しずつ版図を広げ、リョウスケの心を浸食していく様子を表す。そして、そのキャンバスに描かれているのは、許嫁であったソラの生まれたままの姿であるのだ。絵の中にはソラの魂を、そして、その絵を使ってリョウスケの魂までも捕らえてしまったトキオは、ミヤビレイジと名を変え、新たな時代においても、飽くなき野心でこの島の最奥に位置する「王」を目指している。

 今回サブタイトルにあった「虹」というツールも非常に印象的に描かれており、リョウスケはその美しい虹を、全ての発端の事件として記憶している。そしてその絵が完成して以来、毎日のように虹を見続けている。あまりに美しい虹が持つ束縛の力が、絵という「永遠に閉じ込めるツール」によって、リョウスケに影響を及ぼしている。また、虹は「架け橋」のイメージもある。綺羅星の部屋に飾られた絵の虹は、海岸に佇む女性、ソラの頭を越えて、その先を何処かへとつなげているのだ。それは、描き手となったトキオの元へか、はたまた別な何かになるのか。さらに、虹は現代にも現れた。水遊びをしながらはしゃぐタクト・ワコ・スガタ。ホースの水によって生み出された虹は、リョウスケの目にはワコとタクトを繋ぐ架け橋にも見えた。新たな時代の若人達の運命すらも、トキオの虹は動かそうとしているのだろうか。

 絵画というモチーフを使っているために、様々なイメージが膨らむ何とも印象的なエピソードとなった今回。よほどのどんでん返しが無い限りは、今回示唆された「含意」はそのまま受け取って構わないものであるのだろう。全ての元凶はヘッドであるミヤビレイジであり、タクトが打倒すべきは「父」としての綺羅星である。その先にあるワコとの関係については、父と同じように魔力を持ってこの島を浸食してしまうのか、それとも、今回積極的なアプローチを見せていたスガタの気持ちを守り抜き、余所者は再び島の外へと出るのか。どちらに転がるか分からない最大のテーマから、今後も目が離せない。

 そして、そんな濃密なダブルトライアングルのせいで、今回ちょっと印象が薄かったのは、頭脳プレイに出た割には噛ませ犬ってレベルじゃなかった可哀想なキャメルスター。「タクトを弱らせてから攻めればあっさり巫女の封印とか解けるんじゃね?」というのは、あまりに当たり前すぎたし、流石に姑息なので誰もやってこなかった作戦。目の付けどころは良かったはずなのだが、分かりやすすぎた上にスタンドプレーが目立ちすぎたために、わずか一週で復活したニードルスターの制裁を受けることになってしまった。1つのゼロ時間に3つのサイバディがひしめき合うっていうのも、終盤らしい展開ではあるけどね。キャメルスターの第1フェイズは、今まで出てきた中でもトップレベルに使いやすそうなものだった上、ちゃんと利用すればこれ以上ないエロ能力だったので、あっさり負けてしまうのは全国の青少年に失望を与える結果になってしまっている。血清打たれる前に攻めときゃ良かったのに……なんで微妙に情けをかけてしまったのだろうな。バニシングエージの連中は本当に間抜けばかりだ。

 そして、そんなキャメルスターから探りを入れられたり、タクトとの接近度合いが回を増すごとに上がっているのはひがにしの巫女、ケイトさん。年頃の女性が喫茶店で「有機化学」ってのもどうかと思う。そして、ハブに襲われたタクトに対する迅速な救急処置と、ただでさえ危険なレベルのタイトスカートをさらに破いてくれるサービス精神。やっぱりこの島の巫女はよくできておる。個人的にはこのままタクト×ケイトでもいい気がしてきた。っつうか、今回のトキオエピソードを「過去の訓話」とするなら、ワコはスガタの下に落ち着いた方がハッピーエンドっぽいし、ケイトはタクトで我慢してくれないものだろうか。「二人に邪魔者扱いされた者コンビ」とかで。

 今回は巫女ソング歌唱が無かったのがちょっと残念ですが、次回予告の画面にはなんとあのサカナちゃんが再登場。よし、私の最大の願いである「最終回で巫女4人の大合唱」が実現する日も近いかもしれん。

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 完全にさやかが主役、第7話。そこまで画面に動きが大きく出ているわけではないのに、今回もあらゆる場面から怒濤の展開てんこ盛り。「食い入るように見る」というのはこの作品のためにある言葉。

 1つずつ処理していこう。アバンは、ストップ安がまだ止まらない、外道の中の外道キュゥべえさんによる商売の心得だ。「聞かれなかったから答えなかった」「私がやってなかったらあなたはこんな危険な状態になっていた」「ガタガタ言うなら痛みで黙らせる」など、ヤクザもんもびっくりの脅迫商売。いわば「面倒みたったんやから身体売らんかい」ってことだものなぁ。その一方的な物言いに、強気なさやかも完全に挫けてしまう。

 そして、そんな外道の所業を知っていながらも黙って見守っていたほむらさんと、彼女の態度にちょいと裏切られた気分のまどかさん。最初のうちはマスコット扱いだったキュゥべえも、気づけば「あいつ」呼ばわりですよ。「人間の価値観が通用しない生き物」ですよ。「どうしてこんなひどいことするの?」と言われる段になって、もう絶対にまどかとは相容れない気もする。

 ただし、この言い合いにおいて、ほむらが冷静にキュゥべえ側の主張を踏襲しているのは見るべき点だろう。「奇跡は、人の命でもあがなえるものではない」とは、確かに事実であるし、そういう見方もあるだろう。そしてキュゥべえ側の主張はこの1点にのみ集約されている。「願いを叶える奇跡と、魔法少女になる奇跡。同じ奇跡ならばその出入りは等価である」と。我々人類は、魔法というもののコストパフォーマンスに幻想を抱きすぎているきらいがあるわけだ。

 もちろん、そんな「理屈」で納得出来るほど少女達も強くはない。どうにかさやかの心の穴を埋めようと、再び傾きかけるまどかの気持ち。しかし、ほむらはその一点においては頑なだ。「感謝と責任を混同しては駄目」とは、酷であるが真実でもあろう。まどかの行いは、「自分で出来る範囲のこと」で奇跡を埋め合わせようとする、「出過ぎた真似」でしかないのだ。彼女の主張は、常に正しい。

 もう1つの議論が巻き起こったのは、犬猿の仲だと思われたさやかと杏子。前回同時に認めがたい事実を突きつけられた2人の魔法少女は、あまりに違いすぎるスタンスを正面からぶつけ合うことで、理解と対立を深める。

 「先輩」の杏子は、ソウルジェムを巡る一件を突きつけられても、立ち直りが早い。おそらくこれは、過去に同様の過酷な運命を戦い抜いてきたが故の経験値の差であろう。「やってしまったこと」はどうしようもないわけで、あとはそれを埋め合わせるべく、自分に利するように世界を生き抜くだけだ。そのためには他者の犠牲もある程度は容認するだろうし、世界から逸脱してしまった魔法少女の特殊性を飲み込めば、多少倫理に外れたとしても受け入れるべき。あくまで利己にこだわれば、受益も被害も、全てが「自業自得」。言うのは容易いが、なかなかたどり着くのは大変そうなテーゼである。

 他方、そんな杏子の生い立ちと誘いを聞いても、さやかの信念は踏みとどまった。「やってしまったこと」はどうしようもない。その部分においては、杏子の励ましを受けて立ち直れた部分であろうし、時間をかけて少しずつ回復した部分だろう。そして、その先に見た信念は、杏子と異なる「利他」の精神。自分が魔法少女になったのが「自業自得」であるならば、それによって変質した世界の責任を、他者に押しつけることはフェアではない。変わりゆく世界も、自らの生き様も、全て一人で飲み込んだ上で、手にした力で何とか改善していく。実に前向きで、正しい方向性といえるだろう。

 2人の魔法少女は決別し、お互いの存在を理解しきらないままに次のフェーズを迎える。何とか自己の復旧に務めたさやかに、さらなる試練が覆い被さってきたのだ。遠因とはいえ、自分を魔法少女にする原因を作り上げた友人、仁美。彼女が、さやかのたった1つの願いであった上條恭介に対する気持ちを打ち明けてきた。この仁美の行動には、言ってしまえば責任も咎も無い。あくまで彼女は自分の気持ちに正直に行動したのだし、中学生のメンタリティを考えれば、幼馴染みのさやかに話して義理を立てたことも、立派とすらいえる行動である。そして、仁美にそんな行動をおこさせたきっかけは上條の復学、つまりはさやかの願いの成就であった。

 さやかの「願いが変質させた世界」が、さらに彼女を苦しめる。ひたすらに「利他」のために動いてきたと信じ続けた彼女が、一瞬でも仁美を救ったことを後悔したと吐露する。それはつまり、上條の回復という願いに、これ以上ない利己の精神が内在していたことを示す最大の証拠である。利己の象徴たる杏子と決別して意志を固めたにも関わらず、わずかな期間でそれが瓦解してしまったのだ。そして、そこまでを認めた上で、未だ彼女は上條に対して具体的なアクションを起こすことが出来ないでいる。何も言わずに退院した上條。明日になれば行動を起こすといった仁美。全ての環境が、彼女の「利他」の精神を苦しめる。

 そして彼女は、自分に嘘をつき続けるために、「魔法少女」という真実を突き詰める選択をしてしまった。「自分は、自らの幸せが欲しかったから上條の回復を願ったのではない」という幻想を現実にするために、無理矢理「魔法少女になること」に価値を付加してしまった。典型的な代替行為は、対岸から彼女を見守り続けるまどかや、根源的なレゾンデートルを別った杏子の目にも異様に映る。何しろ、彼女の願う「価値」には、終わりがないのだから。

 今回のエピソードは、「後悔」という言葉が要所要所で重要な役割を果たす。杏子が歩きながらさやかに聞かせた言葉は、「すべてが自業自得なら、後悔なんてあるはずがない」。このフレーズはご存じの通りに5話のサブタイトルにもなっている、さやかが変身直後に語ったものである。「利他目的を果たすことが出来たのだから、後悔なんてあるはずない」と答えたさやかと、「利己の追究が出来れば、後悔なんてあるはずがない」と勧める杏子。彼女は続けて「これ以上後悔するような生き方を続けるべきじゃない」とも訓告している。しかし、さやかはあくまで「後悔なんてしない」と決意を語るのである。2人の信念が明確に違うことが分かる部分だ。

 そして、この「後悔」というフレーズは、さやかと対面した仁美の口からも出てきている。さやかが魔法少女というファクターと対峙する姿勢については、我々視聴者はその真偽を判断することは出来ない。彼女が「後悔しない」と言っていることは、ただの強がりかもしれないし、心の底から出た言葉かもしれない。しかし、こと上條との関係については、彼女の嘘は明示的である。上條との関係を濁すさやかに対し、仁美は「もう自分に嘘は付かない」と明言している。どっちつかずでぐずぐずしているさやかとの対比である。そして、そんな仁美が「さやかさんは後悔しないように決めて下さい」と進言しているのである。ここでも登場した「後悔」という語が、最終的にはさやかの欺瞞を脆くも打ち崩してしまったわけだ。彼女は後悔した。仁美を救ったことを後悔した。そして、その後悔したことを後悔した。もう、どうにも止まらない負のスパイラルである。

 そして、この負の連鎖の根幹には、「魔法少女という契約をしてしまった」という事実があるわけだ。そして始めに戻る。キュゥべえの悪辣さに。つまり、奴が動き続ける限りは、この連鎖はまだ止まらない。

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