最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「ベタ」のポジティブ置換語が「王道」だということに最近気づいた第4話。なんだろね、一から十まで全部予定通りの進行しかしてないのに、不思議と見入っちゃう何かがあるんだよなぁ。
今回の主役はブルーローズことカリーナちゃん。これまでスポットが当たっていた虎徹とバーナビーの2人とはまた違った視点から「ヒーローとは何か」というテーマを見るためのキャラクターである。単純馬鹿で小さい頃憧れたシンプルなヒーロー像を貫き通す虎徹と、多少のわだかまりもありつつ、それでも見せる職業であるヒーローにこだわりをもつバーナビーは、スタンスこそ違えど、自分がヒーローであることに一切の疑念が無い。これまでのストーリーは、そうしたむさ苦しい男共が「どうしたら理想のヒーローになれるか」を考えるシナリオだ。だが、今回メインを張ったカリーナの場合、ヒーローをやっているのは副次的な目的である。最終的には生涯の夢である歌い手になるため、その足がかりとしてのヒーローである。そして、そんな「半端な気持ち」を起点とすることで、ヒーローとしての「芽吹き」を描くことになる。その描写事態は本当に陳腐極まりないものなのだが、男共との対比がちゃんと出来ているので、見終わった後には「今日も良いものを見た」という気持ちになれるのだ。不思議なものである。 今回嬉しかったのは、メインの視点が小娘だったおかげか、虎徹が今までよりもグッと格好良く描かれていたこと。いつもよりも多少シュッとしたデザインになっていた気がするし(作監の癖かもしれないけど)、女子高生を相手にも真面目に対話して、決して子供扱いしない態度は、バーナビーなんかよりもよほどジェントルマンの風格が漂っている。いつも通りのさえないおっさんとしての虎徹も好きだけど、たまにはこういう「オトナの余裕」みたいなものを見せてくれるのも良いものです。そんな格好良い虎徹に引っ張られたせいか、バーナビーは早くもデレ気味。二人の間でかわされるやりとりが、素直じゃないながらもスムースになってきているのは、前回から引き続いて、見ていて楽しい部分だと思います。 最終的に、カリーナはヒーローを続けることになるわけで、彼女のお父さんからするとちょっぴり可哀想ではあるんですが、ちゃんと夢を持つ娘を見守れるだけの器があるお父さんみたいなので、今後の美少女ヒーローがどうなるのか、静かに見守っていて欲しいものです。ちなみに、視聴時に「私がなりたいのは歌手で、ヒーローなんかやりたくなかった」っていう主張の「ヒーロー」の部分を「声優」に置き換えて「あー、こういう奴もいるんだろうなー、具体的に誰とは言わないけどなー」なんて無意味な夢想をしていました。深い意味はありません。 ブルーローズの中の人的には、歌キャスも出来るのは良いことですからね。最近色んな作品で見るようになったけど、まだまだ要精進ですぜ。「私のホールはとってもコールド」っていう台詞を、いっぺんマジで言ってみて欲しい。 PR <白> Apostle’s Blessing 使徒の祝福 (1)(ΦW) C インスタント 対象の、あなたのコントロールするクリーチャー1体かアーティファクト1つは、ターン終了時まであなたが選んだ色1つかアーティファクトに対するプロテクションを得る。 白にはお馴染みの「祝福/Blessing」の名を冠する、プロテクション付与インスタント。今回はブロックオリジナルの特性を出すために、対象をクリーチャーだけでなくアーティファクトにも広げており、コストにもファイレクシアマナが導入された。どこをどうみても「剃刀の障壁(MRD)」の上位互換になっているあたりに、「ミラディン人ごときがファイレクシア様に勝とうなんざ1万年と2千年早いんだよ!」という自信がうかがえる。実際、2マナで好きなプロテクションは充分メインで投入できるカードであるし、Φマナのおかげでどんな色でも好き放題トリックとして運用出来るようになっているため、リミテッドならあり得ない頻度で、あり得ない角度から飛んでくるマジキチスペル。山だろうが沼だろうが「疫病のマイア」だろうが、とにかく1マナでも起きていたらプロテクションを警戒しなければならないのである。本当に最悪だ。Φマナスペルは、大体全部ヤバイ気がするので、先頭のこのスペルで先にお断りしておきます。 Auriok Survivors オーリオックの生き残り (5)(W) U クリーチャー・人間、兵士 4/6 〜が戦場に出たとき、あなたは対象の、あなたの墓地にある装備品1つを戦場に戻してもよい。そうした場合、その装備品を〜につける。 荒廃しきったこのイカれた時代、世紀末にも必死で戦い続けるミラディン人の1人。6マナ4/6とフィジカルでも頑張っている上に、武器まで廃品利用でなんとかやりくりしようとしているその姿勢には頭が下がる。そこそこのステータスでアドバンテージが狙いやすく、更に「アージェンタムの鎧」のような装備品でもコスト踏み倒しが出来るため、デッキ次第では一発逆転のエンドカードの座も狙えるなかなか良さそうなカード。生体武器を引っ張ってくるとちょっと損した気分になるが、この世界は装備品が牛耳っていると言っても過言ではないため、これによってもたらされるアドバンテージは相手に対しても結構なプレッシャーになるはずだ。白の装備品デッキの後詰めに1枚入れておくと、マナカーブの上から下までコンセプトが統一されるので実に綺麗である。ただ、必死でファイレクシアに抗っているはずなのに付いちゃう装備品が「生体融合外骨格」とかだとドラマ的に涙を禁じ得ないので、使う際にはハンカチのご用意を。 Blade Splicer 刃の接合者 (2)(W) R クリーチャー・人間、工匠 1/1 〜が戦場に出たとき、3/3で無色の、ゴーレム・アーティファクト・クリーチャー・トークンを1体戦場に出す。 あなたのコントロールするゴーレム・クリーチャーは先制攻撃を持つ。 特定の色に与えられた「接合者」サイクル。場に出たときにゴーレムトークンを引き連れてくる能力と、自軍のゴーレムになんらかの能力を付与する能力がサイクル共通のシステムとして与えられている。ちなみに、「接合者」自体は白が最も多くて3体、緑が2体に青が1体という、やや片寄った配備になっている。これはおそらく、ゴーレムを強化していくスリヴァーのような戦術がリミテッドでとりやすいよう配慮された結果なのだろう。そんなゴーレム総本山たる白のレア接合者だが、3マナで1/1と3/3先制攻撃が手に入るわけで、コストパフォーマンスはかなり高い。こいつ自身が除去られても3/3が残るだけで充分だし、ライフを攻めるデッキならば、なかなかの先兵といえるのではなかろうか。ただまぁ、結局レアだし、1エキスパンションにしかいないサイクルなので、「リミテッドでゴーレムデッキ!」とかいう夢はあまり見ない方が良い。あくまで単体で優秀なカード、というだけで止めるしかないだろう。 Cathedral Membrane 大聖堂の皮膜 (1)(ΦW) U アーティファクトクリーチャー・壁 0/3 〜が戦闘中に墓地に置かれたとき、この戦闘中に〜がブロックした各クリーチャーに6点のダメージを与える。 2マナ0/3と些か低めの壁だが、クリーチャーとぶつかって壊れたときにだけはとんでもない量の報復行為を行うため、実質的には6/3という前のめりステータスとも考えられる。何がひどいって、実際には何が原因で壊れたかは問われないため、例えば2/2をブロックした後で「鉄を食うもの」あたりの餌にしても理不尽な仕返しは可能であるという点。実際はそこまで頑張って運用するようなカードでもなさそうだが、どうせどの色でも使えるΦマナカードなので、一応覚えておくと何かに使える可能性はあるだろう。低マナ域で気楽にアーティファクト数を稼ぐことが出来るし、「選別の高座」あたりのお供として覚えておくと、何か面白いデッキが組めそうではないか。 Chancellor of the Annex 別館の大長 (4)(W)(W)(W) R クリーチャー・天使 5/6 飛行 あなたはゲーム開始時に手札からこのカードを公開しても良い。そうした場合、各対戦相手が最初の呪文を唱えたとき、そのコントローラーが(1)を支払わないかぎり打ち消す。 いずれかの対戦相手が呪文を唱えるたび、そのプレイヤーが(1)を支払わない限りそれを打ち消す。 ゲーム開始時に手札からチラ見せするだけでちょっとだけ有利にゲームがスタートする奇妙なギミックを内包したサイクル、それが「大長」シリーズ。序盤では全く役に立たない無駄なサイズと、それを埋め合わせるチラ見せギミックがセット販売されているのが共通仕様だ。ゲーム開始時に機能するギミックは「力線」と「宝石の洞窟(TSP)」に続いて3種目だろうか(一応「血清の粉末(DKS)」もか?)。白の大長は天使なので、7マナ5/6飛行という大ざっぱで必殺なステータスは充分なレベル。加えて全てのスペルに「マナの税収(PLC)」を仕掛けるという、すごく遠回しな嫌がらせが効いてるような効いてないような。正直、7マナのこいつが登場した時点で1マナの課税くらいどうでもいい気がするけど。どちらかというと、チラ見せギミックの1マナの方が効果は大きくて、事実上、序盤の1ターンを飛ばされているのと同義になるため、どんなデッキにも等しくダメージを与えることが可能になる。大長サイクルのチラ見せでもトップレベルの影響力なのだが、この嫌がらせをしているデッキの初手に7マナの天使がいる時点でどうかという気もする。これもサイクル共通のジレンマですね。いっそちら見せした後に「先読み」とかで退場して頂くのがいいかもしれん。 Dispatch 急送 (W) U インスタント 対象のクリーチャー1体をタップする。 金属術 – そのクリーチャーを追放する。 普通に使うだけだと「ぐるぐる(8ED)」にも劣る史上最弱クラスのスペルだが、もう、このカードは金属術が達成出来る前提でなければ意味が無いだろう。条件さえクリアすれば、「剣を鍬に(ICE)」「流刑への道(CON)」と居並ぶ白の最強除去カード群をも越える、史上最強クラスのスペルに跳ね上がる。ここまでのスペックならばデメリットのことなんか考えずに、とにかく史上最強祭りを開くことだけを考えればいいのだろう。リミテッドレベルでも金属術はそこそこ達成出来るわけだし、構築デッキならば言わずもがな。押し寄せるファイレクシア群を駆逐すべく、なんとか金属術マンセーデッキを組み上げるのだ。一応、今後のメタ環境を左右するレベルのカードだぞ。ちなみに、このカードはこの手の条件付き効果変更スペルには珍しく、金属術達成時にも1つ目の効果(タップ)は残っている。どうせリムーブするんだから一緒だけど、デッキに「休賢者(LRW)」とか入れてると一応意味がある。どんなデッキだ。 Due Respect 相応の敬意 (1)(W) U インスタント このターン、パーマネントはタップ状態で戦場に出る。 カードを1枚引く。 カード名からすると、馳せ参じるパーマネントが全て傅くイメージなんだろうか。なかなか面白いネーミングだが、置換すると「一時的な「宿命(6ED)」」。キャントリップなので損はしないし、序盤のターンで相手のアップキープに打ち込めれば、土地を縛れるので事実上のタイムワープになる。中盤以降でも、土地を置く予定のマナ勘定が狂わされるのは結構痛いし、ブロッカーを用意しにくくなるために戦闘にも影響が出る。地味なスペルに見えるが、使われると想像以上にキツいスペルではなかろうか。先行する自信がある白デッキならば、入れられるだけ突っ込んでおいても無駄にはなりにくそうだ。ちなみに、基本的には土地を縛るためにアップキープにプレイするのが良いように見えるが、こちらが攻めている展開ならば、相手のブロックプランを崩すため、第2メインフェイズで相手のクリーチャーキャストにスタックしてのプレイの方が効果的な場合もある。色々と使い方が問われるカードだ。 Elesh Norn, Grand Cenobite 大修道士、エリシュ・ノーン (5)(W)(W) M 伝説のクリーチャー・法務官 4/7 警戒 あなたのコントロールする他のクリーチャーは+2/+2の修正を受ける。 あなたの対戦相手のコントロールするクリーチャーは、−2/−2の修正を受ける。 今回各色に登場した、ファイレクシア法務官サイクルの白版。このサイクルは、でかくて重たい身体に、自軍への恒久的メリットと、それを裏返した相手へのデメリットを内蔵させるという、自分に優しく他人に厳しいギミックが共通している。そして、こいつの場合はそりゃぁ出たらエラいこと。お前絶対白いクリーチャーじゃないだろ、という突っ込み待ちのカードだが、これがファイレクシアに染まった世界の白であるというなら致し方ない。一応過去の先輩にも「隆盛なる勇士クロウヴァクス(PLC)」っていう前例があるので、白がこういう仕事を絶対にしないってわけでもないからな。現環境の「鍛えられた鋼」でもフィーバータイムが巻き起こるというのに、このカードは更に「虐殺のワーム」しつつ全軍補強。もう何がなにやら分かりませんわ。流石にファイレクシアのお偉いさんは格が違った。出して1ターンでも生き残って殴れればゲームは終わる。取らない理由は何一つ無い。あまりの統制力のおかげで構築まで見えそう、とか一瞬思ったけど、7マナのカードの時点で割と嘘っぽい。どうせ装備品を張ったクリーチャーを死に至らしめる決定力もないしな。 Exclusion Ritual 排他の儀式 (4)(W)(W) U エンチャント 刻印 - 〜が戦場に出たとき、対象の土地でないパーマネント1つを追放する。 各プレイヤーは、追放されたカードと同じ名前を持つ呪文を唱えられない。 刻印を利用し、特定のカードが複数使われるデッキを締め上げるカード。当然のように土地は刻印できないため、もし構築で使うならば「戦隊の鷹」を押さえるのが今の世界では一番の正解プレイングになるのだろうか。ただ、それは構築で使うことを夢想した場合であり、実際は6マナでこの程度の効果では構築入りはしない。大人しく土地が壊せない「砂漠の竜巻(MMQ)」として、ちょいと重たい除去効果を満喫するがよかろう。窮屈なコストには違いないが、クリーチャーからプレインズウォーカーまで、広範に対処出来る上に後腐れのない、「存在の破棄」の親玉みたいなカードである。一応「分散」などのバウンスでシナジーもあるので、そういうデッキならそこそこのニーズだ。もう、ここまで来たら「イシュ・サーの背骨」でいいじゃないか、って気もするけどな。 Forced Worship 強制された崇拝 (1)(W) C エンチャント・オーラ エンチャント(クリーチャー) エンチャントされたクリーチャーは攻撃出来ない。 (2)(W):〜をそのオーナーの手札に戻す。 このセットにおける「平和な心」系オーラだが、何故か今回はブロックを抑止出来なくなってしまった。「まぁ、手札に戻して再利用出来るギミックがあるから仕方ないのかなぁ……」とも思ったのだが、なんだか釈然としない。何かおかしいと思ったら、「手の檻(CHK)」のほぼ下位互換なのだ。一応キャスティングコストが安くなっているものの、繰り返し使うであろうバウンスコストでチャラであるし、防御を抑止出来ないというのはこの手のカードにしては片手落ちである。当然リミテッドの防御手段としては使っていくカードになるんだろうが、先に「拘引」が出ている時点で、なんだか寂しいと思われるのも致し方なかろう。それにしても「手の檻」は便利だったな。イラストはキモかったけど。 Inquisitor Exarch 審問官の総督 (W)(W) U クリーチャー・クレリック 2/2 〜が戦場に出たとき、次のうちから1つを選ぶ。「あなたは2点のライフを得る」「対象の対戦相手は、2点のライフを失う」 各色に与えられた「総督/Exarch」サイクルの白。このサイクルは全てクレリック・クリーチャーであり、場に出たときに2つの対照形になった効果のうちから1つを選んで発動させるのが共通仕様となっている。そんなサイクルの白は、ライフゲインかライフルーズという、ものすごくとってつけたような効果しかもっていないのだが、2マナ2/2という白らしい優れたステータスが売り。場に出たときに2ライフルーズさせる熊というなら、一昔前ならば充分構築に食い込めた人材であろう。リミテッドでもゴリゴリ押し続ける白デッキならば良いアクセントになるし、こういうカードが序盤に見えただけでも、相手はΦマナのためにどのくらいのライフを使っていいかを計りにくくなる。今まで以上にライフというのが難しいリソースになるため、リミテッドならば充分一線で活躍出来るカードになるはずだ。Φマナを考えたら、好きなマナを1マナストックしておけるカードとも言えるわけだし、実はかわいい奴なのかもしれん。
4月22日 ドラフト模様(MBS,SOM×2)
ピック順 【Alessi】→【Serra】→【Mei】→【Sangriter】→【Thraxi】 お久しぶりです。諸事情あって3週間ぶりのドラフトでございます。気づけば「新たなるファイレクシア」の流出フルスポイラも出ておりまして、もう次の環境のことも完全に視野に入った状態ですね。今更包囲戦環境でうだうだやってる場合じゃないよ! 今回は久し振りのドラフトだったんですけど、気づけばピック順が前回と全く一緒でした。おかげでカードの巡り方も一緒……になるかな?
諸事情が長すぎる第3話。うん、まぁ、前後のつながりからどんな事情なのかは容易に想像が付くし、局の意向なら仕方ない部分はあるんだけど……なーんか違う気がするんだよね。そこだけカットする意味がないというか……視聴者に配慮して規制するんだったら、「あのはな」の引きこもりをいじるシーンとかもカットしろよな。
というわけで、一部不完全な形での放送となったわけですが、今回はいつもに増して不条理ギャグの度合いが高く、ブツ切りになろうが空気を読まなかろうが、特に問題ないレベル。だって、延々エスカレーターで降り続けるシーンだって画だけで見たら放送事故と大して変わらないしな。もちろんエヴァパロであることは分かるんだけど、そこに入れる意味が分からないからねぇ。いや、嫌いじゃないですけど。 今回は外のシーンが普段は見せない曇天模様で、後半はずっと屋内という珍しい画面なのだが、相変わらずのふざけた背景はそのままなので、特にイメージは変わらない。巨大エスカレーターのシーンなんかではシャフトっぽい無機質な幾何学模様が印象的で、上坪監督が遊んでるなぁ、というのがよく分かる演出になっている。ここまで細切れでカットの繋ぎを無視した演出っていうのもなかなか出来ないと思うのだが、「カットはとにかく切りまくればいいと思う」が信条のシャフト演出が流用されているおかげで、この不条理さがなんだか妙なおかしさに繋がっているのが何とも。大量のメバルシーンとかは「お前等やる気ないんちゃうか」とすら思えるのに、その直後の鮫のシーンでは、鮫のアタックがやたらと気合いの入った演出になっているのが笑える。多分空中から襲い来る鮫にテニスを挑んだ漫画は、これが世界で初めてだろう。 後半の入浴シーンは、エロいようなそうでもないような絶妙なバランス。全裸で一切羞恥心無しに騒ぎまくる面々を見ていたらエロなんて欠片も感じないし、当然のように付随してくるアニマルマークの規制は一周回って違和感が無いレベル。別にこの絵でこの作品ならエロ要素なんざ期待しねぇよ、とも思うのだが、油断すると千歳さんの乳の描写がやたら質感たっぷりでエロかったりもする。今回は前半のスコートを直すシーンもやたら扇情的だったしなぁ。どういう目で見ていいのか分からない作品です。 まぁいいや、馬鹿で楽しいから。
アボンとぶっ飛ぶ第3話。今期は制作本数が多いせいでやたら地味な印象があるこの作品ですが、実はかなり面白いんじゃないかと思っとります。
原作未読の状態で視聴していて、古田織部のキャラクター性を全然知らないというのも大きいのだろうが、とにかくキャラクターが活き活きしていて、いちいちぶっ飛んだことをしでかしてくれるので見ていて飽きが来ない。扱っているものが珍品名品、茶の席に侘び寂び、風流ということで、どうしても画面はゆっくり、変化に乏しいものになるのだが、そのテンポが予想以上に真下演出にマッチングしている。人間模様を描くためのツールである真下演出だが、こうした「得も言われぬ空気感」を描出するのに使われると、こうも破壊力があがるとは思ってもみなかった。 3話で具体的に挙げるなら、たとえば利休の茶室で「茶碗を寄越せ」と要求された左介が、しばらく悩んだ後にニヤリと笑って差し出すことを了承する場面。利休の思惑を計るためにしばし黙考する左介の口元のアップが数秒間写しこまれるわけだが、それまでの大仰な左介のモノローグと、一向に顔色を変える気配のない利休の対比のおかげで、左介が唇をかんで必死に悩んでいる懊悩ぶりが容易に想像出来る。そして、その結果として「笑う」という行為が、数寄者どうしのどうしようもない繋がりと業の深さを表している。「この人は人としても俗物として次元が違う」とあきれ果てる左介の心境がよく分かるシーンである。 他にも、信長の居室で究極の2択を迫られた左介のあり得ない表情や、光秀の話を聞いた時の秀吉の含み笑いなど、目元、口元のアップのカットで見せる演出がいちいち効果的に働いている。数寄者の連中も、理解の範疇を超えた度し難い煩悩が見え隠れし、武人たちは腹の内に押し込めた出世欲をひた隠しにしようとしてこぼれ出てくる。2種類の「本音」の錯綜する姿が、濃いキャラクターたちに絡み合って、絶妙な刺激になっているのである。いやぁ、いいなぁ。 中の人たちも実に渋い。利休役が田中信夫っていうだけでお腹いっぱいになるが、秀吉役の江原正士、そして光秀役には田中秀幸である。ある意味今期一番豪華な面々なんじゃないでしょうか。今後あんまり感想は書かないだろうけど、じっくり見てもらいたい1本です。放送が終わったら原作買い込もうかな(3クールあるけどな……)。
満を持して、11話、最終話。もし異なる時間軸があるのだったら、この2話を一週間おきでちゃんと見る世界も欲しかったものであるが、現実には一挙放送。とても分割して1話ずつ見ることは出来ないので、ここは一気に2本分。
○11話 これまでも実に見事な絶望感を提供し続けてくれた最低最悪の地獄の使者キュゥべえは、今回だって一切の容赦無く、絶望の一言のみをつむぎ続ける。まどかがワルプルギスすらも凌駕する存在となり、全てを破壊し尽くす災厄となった原因は、それを回避しようと必死に抗うほむらの行動自体がもたらしたものであった。ほむらの能力のおかげで事象自体はリセットされ、何度でも繰り返されるが、そこに巡った因果は決して打ち消されない。つもりにつもった因果の芥は、いつの間にか、まどかを世界の中軸たる圧倒的存在にまで上り詰めさせていた。 さらに、キュゥべえの弁舌はまどかにも等しく振るわれる。「人間は家畜の気持ちを汲むことがあるのか」と。これまで数多の悪役が吐き捨ててきたこの台詞だが、ここまで理知的に、懇切丁寧にその言の正当性を訴えた存在というのは初めてであろう。そのあげく、自らの正しさを補強すべく、キュゥべえはまどかを歴史の回顧録へと招待する。歴史の転換点となった「願いから始まり呪いで終わる」魔法少女達の人生の蓄積。それが一気にまどかに襲いかかり、まどかを徹底的に打ちのめす。ほむらとまどかは、別々の方向からその信念を打ち砕かれていく。 「ループ」を封じられたほむらは、最後の堰を破られ、溜まりにたまった胸の内をまどかに吐き出し尽くしてしまう。繰り返す世界の中で、自分自身は何もかも失い、どこかが壊れた存在となってしまった。しかし、そこに残されたたった1つの「道しるべ」である、まどかという存在。全てを依拠するたった1つの願いがまどか自身であることを、最も伝えてはならないまどかに伝えてしまった。もう、後に残された可能性など無かったのだ。全てを失い、最後の戦いを迎えるほむら。持ちうる全ての武力をたたき込み、無理矢理にでも目的を果たそうと試みるが、これまで全ての希望を打ち砕いてきたワルプルギスは、それくらいでは打破できるはずもない。前にも進めず、後ろにも戻れない。絶望にうちひしがれるほむらのもとに、まどかが現れる。そして彼女は、「ごめんね」という絶望的な一言を漏らした。 ラス前ということで、事実上のクライマックスはこの話数だった。様々な思惑と歴史が入り乱れた10話とは打って変わって、この10話において語られたのはたった2つのファクターだけ。まず1つは、ほむらの願いの顛末。キュゥべえにその存在を看過されたことにより、唯一残された時間遡行というツールを封じられるほむら。八方ふさがりの状態に置かれた彼女は、既にあの頑なな暁美ほむらではない。弱々しく、みんなに守られていた時代のほむらに戻っていた。伝えてもしょうがない事実を吐露し、後悔だけがそこに残される。 そして、そんなほむらの願いを手に入れた「鹿目まどかという存在」こそが、もう1つのファクターにして、この物語の全て。意外だったのは、今回フォーカスがあたったのが「ほむらにとってのまどか」であり、さらにもう一つ「家族にとってのまどか」であったこと。言い換えれば、家族との接点は、魔法少女という要素を取り除いた、まどかの「世界との接点」と見ることも出来るだろう。「嘘も吐かず、悪いこともしないでそだった良い子」であるまどかが、次のステップとして宇宙存在にまで拡張してしまう狭間のエピソードとなっているわけだが、そのための橋渡しとして、家族という視点を導入し、まどかを世界と隔絶させる役割を果たした。 まどかママの苦悩は実に痛々しい演出がなされており、前半では担任の先生との居酒屋トーク、そして後半にはまどかとの直接対話という2段構えで強く訴える構造になっている。胸を締め付けられるシーンの多い今回だが、一番辛かったのは、まどかに説得され、ママが彼女の背を叩いて送り出したシーンだろう。確かにまどかママは魔法少女について何もしらないし、娘の「隠し事」がどれほど大きなものかも知らない。しかし、これまで十数年間の娘との関係性において、そこに秘められた思いの大きさは感じることが出来たのだろう。娘を失うことも、ひょっとしたら予兆としてあったのかもしれない。だからこそ、愛娘の頬を叩くこともしたのだ。その上で、娘はずっと探していた「自分の願い」を確信していた。そんな状況で、実の親が自分の願いを優先させず、娘の思いを遂げさせることがどれほど辛い決断だったことか。あそこで抱き留めないことに、どれだけの勇気と優しさが必要だったことか。大小様々な悲劇が繰り広げられたこの作品、最も悲痛な強さを見せたのは、ひょっとしたらまどかママだったかもしれない。 最終回の「大オチ」へと繋がる話数なので、これだけでは完結しない1本ではあるのだが、これまでこの世界を構築してきた全ての要素が一気に収束を見せる、実に印象的なエピソードとなった。この一ヶ月間で修正が入ったのかどうかは定かでないが、画面の質もこれまでの作品の中でも断トツの出来(2原を送っているのがサンライズとサテライトってのがすごい)。ワルプルギスとほむらの総力戦の馬鹿馬鹿しいほどの大迫力は「これ、劇場で見ないと」と思わせるだけのクオリティであるし、キュゥべえがまどかを巻き込んだ歴史のスクリーンや、不安を徹底的に煽り続けるいつも通りのイヌカレーも、最後の一暴れとばかりにやりたい放題である。「一ヶ月分の期待感を受け止めきる画面」など、本当ならば望むべくもなかったと思うのだが、それを実現させただけでも、スタッフには賞賛を送りたい。コンテを受け持ったのは、なんと「オカルト学院」の伊藤智彦監督ではないか。こんなところでいい仕事をしてくれるとは。 ○12話 そして最終話。 ほむらの思いを全て理解しながらも、魔法少女となる決心をしたまどか。絶望感にうちひしがれるほむらだったが、その願いはほむらをも含む全ての魔法少女の願いの結実。「魔女になる因果の消滅」、それこそが、最大最強の魔法少女、まどかの願いとなった。 まどかの願いにより、魔女は消え、悲劇は失われ、宇宙が入れ替わる。そして、鹿目まどかという個も消え去る。 残されたのは結果だけ。魔女となるべきだった数多の魔法少女達は、その未来を否定されて消えた。魔女の運命を受け入れられず、魔女によって殺されたマミや杏子は、消滅の咎を背負わされた不遇の魔法少女として、その任務を果たし続けた。魔女になる因果を逃れることで願いすら打ち消されてしまうさやかだけは、その呪いのみがキャンセルされ、願った未来へと消えた。そして、全ての人々の意識から、鹿目まどかが消えた。唯一、彼女の覚悟と最期を見届けた、ほむらを除いては。全ての因果がキャンセルされ、鹿目まどかだけが消え去ったはずの世界。そこに残された魔法少女であるほむらの頭には、見慣れないリボンが巻かれ、彼女の手にした武器は、あの盾ではなく、弓矢へと変わっていた。そこに、何者かの「概念」を残しながら。 さて、ご覧のような最終回を迎えたわけだ。この「オチ」については、おそらく賛否が入り交じって様々な意見が出ることと思われるが、先に私の感想を述べておくならば、一切の不満は無い。「いくら時間軸の因果が重ね合わさったからって、人類創世からのエントロピー云々をキャンセルするほどのエネルギー量はないんじゃない?」とか、「そもそもその願いに対応するシステムをインキュベーターが対応出来るの?」とか、根本的な疑問がたくさん出てきて、おそらくそれらを解決する術はないと思うのだが、それはこの1本の物語を見る上では不必要な心配であるし、脚本家と製作陣が作り出した「まどか」の世界は、それを説明するための舞台ではなく、「見せる」だけのものである。形の上では決着がつき、更に最低限の理屈もある。そして何より、「なんだかいい話」なのである。概念存在に昇華したまどかが幸せなのかとか、記憶を失うことがほむらにとって幸せなのかとか、心情面でも気になる面は多いのだが、それを本当に真剣に悩みたいなら、「火の鳥」あたりを読んで考えればいいこと。まどかは幸せであると言っているし、ほむらだって、手にしたかったものをきちんと手に入れた。そこに何の不満があるだろう。「魔法少女は、夢と希望を叶えるんだから」というまどかの言葉こそが、この作品の全ての結末を表しているのではないだろうか。 脚本家が徒に問題を残すような妙なシナリオで意地を張らず、シリーズ作品として綺麗な答えを見せてくれた。それがまず、この最終回で一番嬉しかったこと。「終わるために終わった」と見る面もあるやもしれないが、ここまでの12本のエピソードに無駄が1つもなく、全てが綺麗に最終話に繋がっていたことを考えれば、長さにフィットした絶妙な着地点だったと見ることも出来るだろう。「世界再構築」というトンデモ展開にも関わらず個々の細かいエピソードにごまかしをつくらず、全てのキャラクターにエピローグを用意してくれていたのも嬉しい。さやかの存在だけはちょっと可哀想過ぎる気もしたけど……最後の最後で、魔女として死んでいった「あの未来」がリセットされ、「利己」に苦しんださやかが「利他」に還れたことだけでも、救われたと見るべきであろう(最終話の台詞に「なんの後悔も無い」を入れた底意地の悪さはちょっと気になるが)。 マミが、杏子が得られた幸せは「普通の魔法少女」。魔女が消えても「魔獣」と呼ばれる瘴気の化身は存在し続け、そのためにインキュベーターと魔法少女という存在はあり続けたようだが、その先に不幸な未来は無い。あくまで「魔法少女として死ぬ」という未来が得られたのだ。ほむらの様子を見ると、キュゥべえのとの関係性も改善され、白い悪魔としてのキュゥべえも失われたようである。ちょっとふざけながらコミュニケーションを取れるほむらとキュゥべえのやりとりは、視聴者から見るとなんだかやるせない部分もありつつ、やはりどこか喜ばしいものに見えるのだ。 そして、そんな魔法少女としての存在を残した上で、この物語の主人公、ほむらには、まどかの記憶が残された。多少ご都合主義のきらいはあるが、やはり彼女の中に生き続けてこそのハッピーエンドである。何が嬉しいって、まどかの弟の中にも、まどかの存在が生きていたこと。「まどか」がほむらたった1人で背負い続ける概念になってしまったら、ほむらの孤独な戦いだけがクローズアップされてしまうが、数は少ないとはいえ、鹿目家の家族たちには、わずかながらも「まどか」が残っていた。それを知ることが出来ただけで、ほむらには「まどか」が感じられる。孤独な戦いを続けてきた彼女には、ほんのささやかな贈り物であろう。 最終回は概念宇宙に飛ばされたまどかとほむらがクライマックスに用意されたおかげで、アニメ的な見せ場がなかなか見えにくかったのはちょっと残念だったが、最後に弓矢を引き絞るほむらのシーンなんかは、これまでの鬱々とした作品の雰囲気をぶっ飛ばすような、期待感に溢れた最高の締めだったと思える。3話や7話を見ていた時点ではこんな気持ちで幕を下ろせるとは誰も思っていなかっただけに、本当にありがたい幕引きであった。 とにもかくにも、1つの世界が無事に幕を閉じた。今は、それだけの安心感を噛みしめることにしよう。
○「聖痕のクェイサーⅡ」 5
今日も元気に変態プレイ、現代アニメの最底辺にして頂点、「聖痕のクェイサー」待望の第2期である。スタッフもほぼそのままの製作体勢なので、その品質に一切の不安はない。ただ、今回は放送局が一気に減ってしまっておってな……放送開始からずっと待っていたのに、なかなか見られなくてやきもきしました。 1期の正統な続編であることは間違い無いが、舞台が変わり、キャラクターもほぼ総取っ替えの状態での新シリーズ。馴染んだ舞台を去るのはちょっと寂しいが、それだけ犠牲者が増えたということでもあるので、前向きに見ていきましょう。一応エンディング画面なんかには聖ミハイロフの面々も顔を連ねているので、今後の再登場に期待したいところ。どれだけ浮気したところで、サーシャの嫁はまふゆに決まってるわけですからな。 で、心機一転したステージには、サーシャのお供として華がついてきている。この2人の絡みは1期でもそこまで多くなかったのだが、対応力があり、サーシャに対してもずけずけとものを言える華がパートナーというのはなかなか悪くないチョイス。時折見せる変態属性は相変わらず元気だし、どんな激務でも「まぁ、華なら何とかするだろ」と思えるので安心して見ていられるのだ。新しい学園の設定は1期よりも更に滅茶苦茶だが、どうせ最終的には滅茶苦茶になる作品なので放っておいても問題無いだろう。あとは、どこまで馬鹿を貫き通せるか、というのが課題になるだけだ。今回は(今回も?)メインどころにエロゲ経験キャストを用意しているので、多分色んな方面で準備は万全なのだろう。とりあえずこの作品だけの、一切比較対象が無いような異次元の面白さを期待したいと思います。 キャストについては、やっぱり三瓶・日笠という中心がしっかり固まっているのが一番大きい。特にぴかしゃの場合、エロキャラでもねーのにこういう作品で一切違和感が無く、「どんどん中の人が見えてきてる!」というハラハラ感が売り。彼女の出世作って、「けいおん」じゃなくてコレだよね。新キャラには南條愛乃や櫻井浩美などが固めており、「最近はエロゲとの垣根も低くなったなぁ」というのがよく分かる布陣。こういう配置もなかなか面白い。 個人的に嬉しかったのは、相変わらずエンディング画面が高橋丈夫の手によるものだったこと。本当に、彼の切るコンテはエンディングとは思えないやかましさがくせになるね。
○「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」 5
中村健治作品の放送が終わると、次に始まるのが長井龍雪と岡田麿里のタッグ新作。もう、本当にノイタミナ枠は私を期待感で殺すつもりなんでしょうか。いやぁ、贅沢な時間になったもんです。あ、いや、前クールも充分魅力的でしたけど。 というわけで、あの名作「とらドラ!」のスタッフが再結集して作られた完全新作。現在私の中の長井龍雪は打率が10割という脅威の監督であり、周りを固めるスタッフも盤石の状態(唯一岡田麿里が流石に最近ハードスケジュール過ぎる気がするのが心配だけど)。これでこけたらどないしよう、と思えるだけの1本。そんな期待の新作の1話目だが、とりあえずは上々の立ち上がりと見ていいのではなかろうか。田中将賀によるキャラクターデザインはしっかりとあのときのワクワク感を蘇らせてくれるし、キャラクターの愛くるしい表情も、想い詰めた緊張感も、根底を流れる寂寥感も、とても丁寧に画面にアウトプットされている。1話目にありがちな「細かいところはよく分からんけども」という注釈が一切必要無く、画面に流れる情報がスルスルと自然に入ってくる構成は流石の一言。細やかな心配りによって、一見地味に見えるシナリオラインが、鮮明に見えるのである。作品が顔見せした直後は「ヒロインキャラがアナルって!」というトンデモ設定が話題を呼んだのが、1話を見終わってしまうと、そんな要素はほんの些事でしかないことが分かり、逆に「そういう名付けをした意味」が見えるので更に効果があがるのである。 ただ……これは個人的な話なんですが……話が辛い。引きこもっちゃった主人公が普通の生活を送る過去の知り合いから白い目で見られているっていう設定がまず辛い。「小さい頃は楽しかったのに……」をメインテーマにした作品世界全てが辛い。ほんとにね、どうしようもない部分をえぐってくるんですよ。何が悲しくってアニメを見ながらこんな嫌な側面からチクチクされなアカンねん、っていう話ですよ(同じ感想は「ハチミツとクローバー」でもちょっと持ったんだけど)。時間を無駄にしている人間にとって、「昔は良かったなぁ」って、本当に致命傷になりかねないダメージがありますので、出来たらもうちょっとソフトなテーマにして欲しかったのだけど……くそう、一方的にこちらが悪いから文句の言いようもないわ。マリーめ…… まぁ、流石に高校受験に失敗したってんでドロップアウトした主人公には共感を抱くわけではないんですが、「過去からのストレス」っていう点では色々と身につまされるものもありますので、今後はこの作品を見ながら目を閉じたり耳を塞いだりしていくことになると思います。くそう、ノイタミナめ、「現実を見て、定職に就いて金を稼ごうと思っている主人公」の次の話にこんなものを持ってくるなんて……世界中のニートを殺すつもりじゃなかろうな。そういや、過去にはこの枠に「東のエデン」もあったな……ニートって、二万人集まらないと役に立たない存在なんだ。 ということで、現実は忘れて中の人の話に移ってしまえ。メインヒロインのめんま役には、「夢喰いメリー」などで結果を残した茅野愛衣。実はめんまは見た目も声質もどうしても井口にしか見えないという難点があるのだが、それでも充分に溶け込み、与えられた仕事をこなしているのは好印象。そしてサブヒロインにはあなる役戸松遥と、つるこ役の早見沙織。安心の2枚看板が鉄壁の防御をしいている。1話の時点では、ビッチ呼ばわりされていたあなるが、実はかなりかわいい気がしています。現実にいたら絶対に話しかけないタイプの女性だとは思うのだが、田舎の小娘が気丈に頑張っているように見えるのが逆に良い。そして、男性キャスト陣はこちらにも櫻井孝宏が参加している他は、主人公役に超絶案牌の入野自由という布陣。まぁ、こんなところでしょう。 さて、長井監督はこの先も打率を維持できるのだろうか。今期は期待感の高いオリジナルが多い激戦区となっているわけだが、その中でどのような結果を残せるのか、要注目である。
○「C」 6
ようやくここまでたどり着きました。今期の新番組もあとちょっと、ここに来てノイタミナ枠で期待の1本でございます。何しろあの「モノノ怪」「空中ブランコ」の中村健治の新作。しかも今回は完全オリジナルと来てやがる。構成は安心の高木登。さらにデザイン協力にはさとうけいいちの名前まであるじゃないですか。こいつぁみなぎらない方がおかしいってもんだ。 初回は、いきなり冒頭から遠慮無い中村的ぶっ飛び演出で、一体どこを見ていいのかさっぱり分からない画面構成。おかげで一秒たりとも目が離せず、数分の映像だけでヘトヘトになってしまう。当然作ってる側は更に大変なんだろうとは思うが、このマゾヒスティックな徒労感こそが彼の真髄。そして、本当に油断してると怠慢を責め立てるような話を構築してきやがるので、「どうせオサレ演出だろ」といって目を離すわけにもいかない。どうしてくれよう。 ただ、今回は完全オリジナルということで、「空中ブランコ」や「モノノ怪」の突き放したような徹底的な演出とは一線を画し、中村監督にしては割と「普通の」画面が多い。現代が舞台で、何となく「まっとうな」シナリオを予期させる部分も多いため、ひょっとしたらある程度演出の先鋭化を犠牲にしても、分かりやすさの方に比重を置いているのかもしれない。主人公が現実世界で勤労や勉学に励む姿は特にひねた演出も無しに淡々と描かれていたし、得意のテクスチャワークなどは、現実に即したリアル世界を表示するためのツールとして機能している。思った以上に平坦な画面は、中村作品であることが分かるのに充分な異物感を持ちながらも、すんなり入ってくる毒気の薄い仕上がりになっている。これはこれで驚きの成果である。 そして、ひとたび「金融街」絡みになった時の演出は、相変わらずのはっちゃけっぷり。ただ、今回は単に「異世界を異世界として描く」だけであり、「モノノ怪」のように「現世に降り立った異物」を描くわけでもないし、「空中ブランコ」のように「歪んでしまった現世」を描くわけでもない。ある意味「すごく普通の異世界バトルもの」である。おかげで、これまでの作品に比べて馴染みやすさは段違いになっていると思われるので、ここらで一発、普通の売れ線アニメを狙ってみるのも悪くない。1話目の時点では、充分にその権利がある作品に見えるのだ。今期放送された新作の中でも、一番気になる引きを実現させているんじゃなかろうか。来週以降も楽しみです。 そして、そんな好き放題の世界を支えるキャストの面々だが、これで中村作品全作に出演し、作品の顔であることが名実ともに明らかとなった櫻井孝宏。今回も自由奔放な演技で怪しげな世界を盛り上げるのに一役買っている。「空中ブランコ」で主演を務めた三ツ矢雄二もちゃっかり出演。このあたりのクロスオーバーはなかなか楽しい。主人公の公麿役には、最近飛ぶ鳥を落とす勢いの内山昂輝。このあたりの声域はライバルも多そうだけど、がんばってらっしゃるな。そして、女性陣では戸松遥と牧野由依。1話目は牧野由依のクラスメイト役の持つ熱加減がすごく気になった。いつの間にか役者としてもスキルを上げている気がする。戸松は今回ほとんどしゃべってないけど、アイキャッチの「C」の一言だけでも、気にさせるだけのなにかがあります。次回以降も楽しみなのは、中の人事情でも同じことよの。 |
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
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