最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
なずな氏がしゃべってるシーンは背景が白っぽいと本当に画面が真っ白になる気がする第7話。漫画とかだと普通は画面構成が単調になるのは「作画泣かせ」なはずなんだけど、この作品の場合、妙な色の統一感はかえって味になってるかもしれないな。
さておき、今回は智花の登場回ということで、当然完全アニメオリジナルの回である。1期はオチを務める唯一のオリキャラとして登場した智花だが、2期には登場回が増え、気付けば随分その存在感が増した。今期は原作のストックも少ないということで、折り返し点となる7話での登場である。まぁ、遊びに来るタイミングとしてはゴールデンウィークがちょうどいいし、時系列順に進行している3期ならここしかないのか。ただ、せっかくの貴重な登場回でいささか残念だったのは、やはり作画の調子が戻っていなかったこと。Aパートはなかなか頑張っていたのに、Bパートで目に見えて崩れてしまったのは残念至極。ほんと、今じゃ「ひだまり」は看板商品なんだからしっかり作って欲しいものであるが。
とはいっても、オリジナルながらなかなかまとまった空気をもったエピソードになっており、特に新1年生と同い年の智花というセッティングは、原作でも見たことのない「同年代を相手にする乃莉なずな」が見られて興味深い。確か一期で智花が登場する際には原作者のウメス自らキャラを起こしたり、設定を考えたりしていたはずなので、きちんとひだまりの空気を壊さず「沙英の妹」という要項を見たし、なおかつ新1年生とも自然に絡めるという、かなり完成度の高いキャラクターになっている。今回は特に普通科どうしで親交を深めたなずなとの関係性が面白く、最後に「メールするから」となずなが珍しく積極的だったところで、2人の親密さが伺える。まぁ、裏を返せばなずな氏はひだまり荘で肩身の狭い思いをしてるかもしれないってことなんだけどね……
その他のシーンでも、今回は女子高生7人が一部屋にひしめき合うというかなり窮屈なシチュエーションがほとんどだったにもかかわらず、きちんと各々のキャラクターが自己主張をしており、それが錯綜せずに「何となくひだまりっぽい会話劇」として成立していたのは見事なもの。ま、乃莉と智花の「イモリ」発言はちょっとひどいと思うけど……これも姉妹だから出来る芸当なんでしょうな。ヒロさんは今回完全にお母さん役であまり表に出てこなかったけど、女子高生の一人暮らしでパエリア鍋を持ってるのが驚きだよ。あんなでかくて用途の少ない物、なんで準備してたんだろうな。
そして、今回深く掘り下げられたのは、当然智花である。「歌舞伎好き」「ブラバン所属でアルトサックス」など、よく分からない属性が一気に判明。伝統芸能に音楽活動と、芸術方面に触れているのはやはり沙英の妹だからか。姉が絵画と文芸、妹が舞踊と音楽。うまいこと棲み分けたもんだな。1人で歌舞伎座に出かけたり、初対面の相手とも分け隔てなく接することが出来る肝の据わったところも、高校生にして執筆活動を続けている沙英に近い部分もある。ほんと、説得力のあるキャラクターになったなぁ。原作で登場するのはいつになるんでしょうかね。
最後に、何故か連休中にも関わらず登校して運動することになった校長と吉野屋先生の両名……やっぱり校長先生は根本的に吉野屋先生が好きなんだよね。ただ、冷静に考えると30前後の妙齢の女性に体操着+ブルマで2人っきりの運動を強要する校長ってかなり危ない。吉野屋先生じゃなかったら確実にアウトですがな。すげぇ学校だ。 次回のサブタイ、「ゆのクラブ」。……ゆのの体重が軽くなる話……じゃないんだけどね。 PR 顔のない女性が一番魅力的という、本当に倒錯した状態が気がかりな第8話。4話の時もそうだったけど、セルティ・新羅のカップルがメインになると、この作品は何とも言えない安心感と刺激がいい塩梅にない交ぜになって展開する。 一応今回の語り部は2話に続いてセルティであるが、物語の重層構造がどんどん多角化し、全ての局面が同程度のウェイトで視聴者に伝達されるようになってきているため、今回は語り部の地位がかなり低く、言い換えればナレーションはあまり重要ではない。その上で、まるで重ねたミルフィーユを少しずつ縦に切り取るように、様々な断片だけが、中心へ向かってじりじりと進行している。ほんと、この構成で物語が破綻を来さないというのは恐ろしい事態である。 まずは脇から見ていこう。高校生3人組は、園原がいじめにあってしまったことで少しずつ関係性がおかしくなっている。生真面目な帝人、お調子者の紀田、その間で静かに笑う園原という構図だったのが、紀田はいじめに対して静かな怒りを燃やし、園原の中でも2人に対して(世界に対して?)何かが歪んでしまったように見える。これまでの園原の振るまいから考えて、わざわざ靴を届けてくれた帝人に対するあの態度は、確実にどこかおかしい。そして、そんな園原の動向を訝しく思いながらも、普通の高校生レベルでしか悩めないのが帝人。園原の変化に疑念は抱くが……どうにもしょうがないのかな。この作品で一番普通な奴だから、普通じゃない状況についていけてないんだなぁ。主人公(?)パートが一番地味だよ。 個人的に(特に中の人的に)気になるのは狩沢・遊馬崎コンビ。これまでは「単にノリの軽いオタク」という認識しかなかったのだが、サイモンを前にしてまるで話を聞かずに自分の目的をダラダラ話し続ける狩沢は、やっぱりちょっとどこか変。無事に再会して街中で踊り狂う2人のテンションも相変わらずだ。なんかいいね、こいつら。もう1人の相方であるドタチンはシリアス全開なのにな。 そして、矢霧製薬を中心にして展開するメインストーリー。花火を掴んで研究所に突撃する男と、女(張間美香)を「セルティ」と呼び、記憶を押さえつけようとする矢霧誠二。このあたりのファクターは、次週の語りが矢霧波江のようなので、おいおい説明があるだろう。 そして、なんと言っても今回その関係性が濃密に描かれていたのがセルティ・新羅のカップルである。身勝手でどこかズレた新羅であるが、彼のセルティに対する気持ちだけは本物。顔のないセルティとの接し方は長年の経験で完成されており、セルティに対して「浮かない顔だねぇ」と看破してみたりするのは端的な見せ場。他にも会話をするときにきちんとセルティの正面にぐるりと回り込んでしゃべり出したり、うつむいたままの状態でも「そう喜ばれるとな……」と正対したセルティの心情の変化を悟ったりと、阿吽の呼吸を見せつけてくれる。セルティの手料理を食べて涙を流しているのも、別に味にたえているのではなく、本当に彼女の料理に感動しているためだろう。そんな新羅に対して、セルティの方からは直接的なアプローチこそないが、独白シーンでは「恋慕」という言葉も使っているし、ネギを抱えて愛馬で滑走する姿は実に甲斐甲斐しい。無駄にまがまがしい闇の能力で料理をひっつかまえたりしてみせるが、休日の過ごし方のプランは女性らしくてうらやましいことこの上ない。 これで新羅の方が「今のセルティ」にこだわり、セルティが過去(首)を追い求めているというすれ違いさえなければ、この2人もうまくいくはずなのだが……最後のフォーチュンクッキーを見る限り、どうもこのすれ違いは決定的なものであるようだ。静雄と一緒に空き地を眺めるセルティ。彼女は「自分の顔さえ忘れそう」だが、その空き地に何があったかは「記憶」が残っている。池袋という土地で仕事をしたり、共同生活をしたする今の「ヒト」としてのセルティと、首を抱えたデュラハンとしてのセルティ。彼女が落ち着くのは、どちらの姿なのだろうか。「私はここにいる」という最後の台詞は、首の言葉か、「セルティ」の言葉か。 相変わらず切れ切れの世界。それなのにどこかが繋がっている不思議な感覚。今回は広場で「さがしもの」を聞いていた金髪美人へのメッセージが面白い働きをしており、帝人が見たスケッチブックの中には、「羽島幽平!」に始まり、「家でした猫」「仕事」「首」、そして「ゆまっち」と続く。最初の描き込みは弟にこだわる静雄のものだということは容易に想像出来るし、「家でした猫」を探したいのはおそらく新羅だろう(実際は、彼があの場所でスケッチブックを書き込む時間は無かったと思うが)。「仕事」だけは誰とも限定できないが、その後の「首」は当然セルティ。今回登場したメインキャラの「さがしもの」が、1冊のスケッチブックを通じてクロスしていく。そして、最後に帝人が書いたものは「つながり」。この世界は、どことどこが繋がっているのか。 ほんと、気にさせる演出は天下一品である。 うちの地域では「キディガーランド」→「のだめ」→「はなまる」の放送順なので、何故か火曜深夜はスーパー日野日野タイムになります、第7話。3人のキャラが全部違うのは流石だけど、何故かどのキャラもヘタレ臭が漂うのは人徳のなせる技だろうか。 今回のエピソードは、季節感まる無視の夏休み。そういや今週は「レールガン」でも花火見に行ってたなぁ。ただ、こちらの作品は「レールガン」と違ってこの1話で夏をやりきる必要があるので、帰省に始まり川遊び、花火、夏祭りなどの必須イベントを一気にこなす形に。故郷に里帰りするつっちーと桜先輩、そしてその娘である杏は分かるのだが、両親の同伴も無しに幼稚園の先生に子供を任せちゃう柊と小梅の家庭は違和感があるな。いくら山本先生が引率するとはいっても、休み中のプライベートまで任されるとは、つっちーは保護者からそれなりに信頼されているってことなんだろうか。 で、今回はいつにもましてつっちーのハーレムっぷりが凄い。冒頭の電車のシーンでの山本先生は流石に行動が軽率過ぎるだろうし、一番熱心に粉をかけてくるのが妹っていう時点でもなんかおかしい。そして、改めて見てみるとハーレムといっても周りにいる女性が園児3人を除くと社会人(人妻)、社会人(同僚)、女子高生(妹)。そういやつっちーも社会人だった。近年の萌えアニメでは珍しく、主人公ヒロインともに年齢の高い作品だ。学園ものならフィクションとして見られるのだが、社会人の話は時折心に来るものがあるから若干きつい。つっちーのヘタレっぷりを笑ってられない気が……いかんいかん、アニメ見て鬱になってどうする。 とにかくヘタレのつっちーだが、母親も交えた女性優位の環境では、どれだけいじられても耐え続けなきゃいけない男の業。ニョッキを巡る妹の地雷を踏んじゃったエピソードも、正直言って男性目線からだと「知らんがな」だよなぁ。分かるぞつっちー。お前がニブチンなんじゃない。回りの女どもがワガママなだけなんだ。そう信じないと観てらんないよな! 山本先生、少しはつっちーをねぎらってあげて! すり寄ってくるのがツンデレ妹と幼稚園児じゃ、どれだけフラグを立てても成就しねぇよ。この作品は一体どこへ行きたいんだろうなぁ。今回は杏たちの自己主張がそこまで激しくなくて、2集続けて、しかも2発連続の「お兄ちゃんのばかぁ!」がメインだったために、どこへ向かう作品なのかが分からなくなってきてしまった。まぁ、個人的には柊師匠が観られればいいんですけどね。今週の師匠はパドドゥですか? って言っても今の若い子は知らないだろうなぁ。可愛かったですよ。 そして今週も相変わらずエンディングが秀逸。こういうバリエーションって、本当によく思いつくな。毎回エンディングが楽しみで視聴持続出来る部分もあるかもしれない。 覚醒したディアがプリキュアの3人目みたいに見えた第19話。長いこと引っ張った割には随分あっさり正体が割れたもんだな。 シェイドの優秀な洗脳でGTOに攻め込んできた新生クフィーユ。先週も思ったが、やっぱり洗脳されてた方が彼女は活き活きしている。そして戦闘能力も上がっている。もう、このままガクトエルに雇われてシャドウワーカーとして働いていた方が彼女のためなんじゃなかろうか。 とはいっても、元パートナーのアスクールにしてみればそういうわけにもいかない。何とか気付いてもらおうと彼女なりに体を張る。ただ、洗脳された仲間とのバトルというそれなりに盛り上がるべきバトルなのに、どうにも気合いが入らないのがこの作品の最大の難点。冒頭のほっぺ引っ張りとかもそうだけど、一瞬迷ったあげくクフィーユの時間停止の直撃を喰らうシーンなんかも随分短絡的だし、クフィーユが本当にアスクールを殺したいと思う過程とか、過去の仲間を攻撃することで揺れ動く描写とか、なーんか適当。そもそもGTOとGソサエティの関係性もうやむやな状態なわけで、過去には式典をめちゃくちゃにしたり、ESメンバーの命を奪いにきたりしたトーチ・シェイド組の登場にもGTOが何か対策を採っているようには見えない。イヴェールはイヴェールでGソサエティに勧誘されてるし、なんで敵対してた組織のトップがのうのうと生き残れるんだよ。どこまでがガチンコでどこまでがギャグなのかが分からないから、バトルで真剣さをアピールされてもいまいち伝わってこないんだよねぇ。結局ありがちなお涙もののテンプレをなぞってるだけな気がする。 同じような不満はトーチ・シェイド組の過去話にもあって、彼らの信念となるものが伝わりにくい。自らの力で考えようとしているトーチの思考は分かる。現在の描写だけでは張り子の虎でしかないガクトエルの統治に対しては疑問を抱くも、パートナーのシェイドが心酔しちゃってるからとりあえずついていくというスタンスだ。対して、シェイドがどうしてそこまでガクトエルに魂を売ることが出来るのかは、今回のエピソードだけでは分からない。過去には軍警察の上層部に裏切られたという過去があるにも関わらず(そしてそれがシャドウワーカーとしてのモチベーションになっているにも関わらず)、ガクトエルという新たな権威に関しては何の疑問も抱かずに盲信しているシェイド。死に瀕した現場を救われた時点で感謝するのは分かるのだが、何故それだけで「ガクトエル『様』」になるんだろう。流石に考えが足りないのではないか。まぁ、今回の軍警察虐殺シーンは、似たような「考え無しヒーロー」が使っていた絶対遵守の何かの力に似てましたけどね。イエス、マイロード。 まとめると、今回はディアの正体が判明したことが一番の収穫か。エクリプスという大きな存在が完全になくなるとは思っていなかったが、こんなにストレートな形で影を落とすとは。これでディア=エクリプス、クフィーユ=リュミエールなので、あとはアスクールがエクレールになれば完全に1期のメンバーに戻るわけだ。一応アスクール言っていた「ディアが他の誰かのかりそめの姿である」という心配はなくなり、この作品では数少ない、貴重な「外見通りのキャラクター」になったわけだ。何度も繰り返してきた「ディアはディアだよ!」という一言が、ここで大きな意味を持ったのはなかなか面白かった。 待ちに待った……というか待たせに待たされた第14話。この作品のおかげでシャフトのスケジュールがギリギリになっているとしたら、実に罪作りなものである。そして、ようやく配信された最新話をみるにつけ、「そこまで労力を割かれるような出来かよ」と。まぁ、相変わらず楽しんでしまうわけですが。 13話で復活を果たしたブラック羽川を何とか鎮めようとする阿良々木。ただ、前回まではやっかいな悪意ある怪異として明示的に敵対視されていたブラック羽川だが、今回は「忍の捜索」という目的も絡み、何ともあっさりと協調姿勢。猫は気紛れな生き物ではあるが、今ひとつそのレゾンデートルが分からない。まぁ、今回登場した意味は最後に本人が言ってたことが目的なんだろうけど。蟹は純粋なる呪い、蝸牛も浮遊霊、猿が一種の乱神で蛇は質の悪い動物霊。今回の猫はヒト由来成分も含んでいるおかげで随分話が分かる。ただ、アニメのみの視聴者は忍と阿良々木の関わりがはっきり分からないので、阿良々木の行動原理を追いかけるのが大変で、そのあたりの絡みを前提としながらの羽川との対話が飲み込みづらいのである。 というわけで、メインストーリーは進んでるようでそうでもないので、今回の見どころは大きく2点。1つは、ここに来てのヒロイン大集合の流れ。実際には1人1人に阿良々木が電話をしているだけなので集合はしていないわけだが、立て続けに奇妙なロケーションから相談に乗ってくれるヒロインズの対比は素直に面白い。こうして一気に見てみるとひたぎは目立ってないのに正妻としての貫禄があるし、撫子は撫子で本当にずるいポジション取り。おかげでせっかくの真宵が目立たないじゃないか。駿河は……すげぇキャラだな。みゆきちボイスで「エロ奴隷」とか言ってくれるだけで一週間分のエネルギーがもらえそう。改めて今回だけを見ると駿河は単なる駄目人間じゃねぇか。それにしても、羽川に1回聞いただけのどうでもいいラジオネームを全部覚えてる阿良々木さんがすごすぎる。 そしてもう1つの見どころは、なんと言っても羽川のエロ大盛りのセックスアピール。立て続けに魅力的なヒロインを4人も繰り出した本作、最後の1人となる羽川には残されたテリトリーなどほとんど無いかと思っていたのだが、実は4人中3人が貧乳という偏った配置だったため、巨乳キャラとしてのアピールががっつんと効いてくる。通常バージョンは眼鏡委員長巨乳なのに、ブラックになるとアホの子天然巨乳になるというチートじみた性能が、今回は存分に発揮されている。間で通常バージョンの羽川がフラッシュバックする演出も小憎らしい。このための堀江由衣なのだなぁ。そうそう、満を持して登場した羽川版オープニング、曲はおよそ予想通りのものだったが、映像が実写版というのは微妙に勿体ないサプライズ。尾石さんらしいっちゃらしいのだが、こういう方向性のエロはあまり望まれていない気がするのだが。実写版って銘打たれてたってことは、15話ではアニメ版もあるのかなぁ。出来ればアニメでガツンといいやつをみたいものなのだが。 今回は、時間がかかった割には演出があっさり目で、正直言うと前話のような衝撃は無い。まぁ、間をつなぐエピソードなので印象が薄くなるのは仕方ないのだが、「それならもう少し早く見せてくれよ」といういちゃもんの方が先に出てしまうのは致し方ないところ。まもなく今年度も終わり。出来れば最後まで観てから年度またぎの総評がしたいんだけど。間に合うかな。無理かな。
あげる記事も無いので本当に戯言。しかも声優とmagicを愛する人間ならではの戯言。前から思ってたんだよね、「ほんとにありそうだな」と。まぁ、単に2単語の名詞句っていうだけなんだけど。magicプレイヤーなら感じるものがあるんじゃなかろうか。以下、妄想ネタ。すげぇ暇人。続きを読む人も、きっと暇人。
花澤香菜の使いすぎは現代アニメ業界の怠慢な気がする第19話。いや、他の役者だったら別に文句無いのかもしれないけど。伊藤、豊崎、花澤と若手花盛りがならぶと、やっぱり壮観ですなぁ。出来れば大沢事務所からは井口裕香も入れて欲しいんだけど、この作品には新キャラとして出られない。不思議! ちなみに中の人ネタついでにもう1つ書いておくと、今回改めて登場したラスボス格(だよね?)のテレスティーナさんと黄泉川先生が並んでいるのを見て、監督繋がりなら「とらドラ!」を思い出すべきなのに、何故か真っ先にネレイスを思い出しました。学園都市には固法先輩と姉御がいるので、どっかから中原麻衣を連れてくれば完璧です。黄泉川先生は、オフィシャルな場であれだけの大人数を前にしても「じゃん」っていうんだな。教育者失格ですがな。テレスティーナさんは見た目がマージョリーなのに声がベルペオル様というややこしいキャラクターだぞ。 さておき、新キャラを迎え、確実に最終回に向かうラストエピソードが始まったと感じさせる1話。ようやくこれで物語が回り始め、様々なところで気になる点が目白押しだ。色々ありすぎて、「婚后さん、その蛇自宅で飼ってたんすか!」とかはどうでもよくなります。 まずは新キャラ。初春のルームメイトとなった春上衿衣(相変わらずすげぇ名前)は、顔はこの世界では量産型みたいなデザインだけど、語尾が一ノ瀬ことみ、声が千石撫子というなかなかのハイスペック生物。今回特にパーソナリティは発揮しなかったが、今後メインのネタになるであろうRSPK症候群問題の中心人物であることは確定なので、今後どういう風に壊れていくかに期待したい。そして、そんな新キャラを加えたことによって、メイン4人の人間関係も今一度確認出来るのが面白い部分。さりげない、というかおそらくあまり考えないで行ったであろう小ネタとして、黒子が春上の荷物を初春の部屋のテレポートさせるシーンがある。確か黒子のテレポートはその空間にあるものを押しのけて対象をテレポートさせるはず(廃ビルの戦闘で証明済み)だが、初春の部屋の中をろくに見ずにテレポートさせたということは、彼女は初春の私室のロケーションと内装を、演算できるまでに熟知しているということである。1度や2度訪れただけでは恐ろしくてあんなに安易なテレポートは出来ないだろうから、きっとパートナーの初春の家には何度も足を運んでいるに違いない。まぁ、作中ではそんな描写はほとんど無いし、もし初春があの日たまたま部屋の真ん中に飲み物でも置いていたらちょっとした迷惑にはなっていたと思うが。 そして、花火を見ながら盛り上がった黒子は、久し振りにいい感じで発情。多分しゃべりだし以外は中の人のアドリブだと思うが、相変わらず訳の分からないことをまくし立てて御坂に迫っている。御坂さんも「暑苦しいから」とかそういう問題じゃなくて、さっさと追い払った方がいいと思います。そして佐天さんは初春の過去話で持ち前の母性を存分に見せつけた他、前回の針仕事に加えて着付けまで出来る模様。ほんまにええ子やん。学園都市になんか来なかったらもっと幸せな人生を送れていたに違いない。ちなみに彼女は初春の関係性においても、「スカートめくったりしないでください」に「何で私がそんなことするの?」という素晴らしい回答。「初春のスカート以外には興味はありません!」という男らしい彼女の宣言に、初春はまるで平沢唯さんのごとき声でうろたえておりました。浴衣半脱ぎでおろおろする女子中学生もいいもんです。 最後にボトムズみてぇな妙なパワードスーツが出てきたりして「ほんとにこの世界は統一感がねぇな」とか思ったけど、今回は前回に続いて作画も良好、構成もテンポ良く見せてくれたので、基本的にこの作品に望んでいるものはきちんと見ることが出来ました。最終回に向けて、一気に突き抜けてほしいもんである。固法先輩、牛乳って意外と高いんですよ。それ以上牛になってどうするんですか! あと、冒頭で出てきた引っ越し屋のロゴ、どう見てもボンバーマンの火力アップだよね。引っ越し業者のくせに火って、縁起の悪い社名だな。 月並みな言葉だが、やっぱり「いい最終回だったね」としか言えない第7話。見終わった後に、しばらくぽかんとしてしまった。これでエンドカードに「次回もみるがよい」って書かれてなかったら、本当に終わったのかと思ってしまうところでしたがな。なんであんな構成にしたのかね。 今回は、見るべきポイントを絞るのが難しい。まず、作画・演出方面については各所で話題が出ているが、いささか不安な仕上がりになってきているのが顕著である。そして次回は放送延期。マジで大丈夫か、シャフトよ。しかし、そんな状況でも「シャフト流」と言ってしまえばある程度成立しそうなのが恐ろしいところで、今回の省エネ作画も、「そういう演出です」と言われれば下手したら納得してしまいそう。全ての出来事が雷雨の夜のことなので画面はじっとりと明度が低い状態を維持し、暁の心情やニナの心情を考えると、あまりメリハリをつけずに重々しい状態で進行するのは納得出来る。暁がグラサンと話をしているシーンは天井裏ダクトから見たような構図でしばらく止め画が続くのだが、それだってお得意の舞台演劇を意識した突飛なカメラ位置だと言われれば何となくそんな気がしてくる。つまり、ゆーほど気にならない。委員長が由紀にしなだれかかるシーンとニナが半裸で颯爽と飛び出すシーンは短いながらも艶めかしく描画されており、そこさえクリア出来れば個人的にはOKといってしまってもいい。 とはいっても、今回は明らかに時間が足りてない。化物語じゃないが「赤齣」「黒齣」が多く、それを入れる場所にしたって不自然極まりない。カットどうしが無意味な無地コマ、無意味な目のアップでブツブツと寸断されてしまい、バトルメインのシーンですら爽快感はない。これが逐一動かない真下耕一作品だったら納得もいくのだが、この作品はそういう方向性で見せるものではなかったろう。顕現したニナの姿も、このブツブツ構成のおかげでいまいち見応えがなく、最後に暁と抱き合うシーンもなんだか尻すぼみ。一番大事なシーンなのだから、ここはもう少し頑張って欲しかったものだが。 まぁ、そんなシャフト事情はおいておくとして、ストーリーの方である。グラサンの口を借りて、ニナがバンドを建設した根本的な動機が判明する。この「陰に潜むものが表に出る手段」としてのバンドの存在はなかなか説得力があり、後にニナ自身も「人がいねば生きられぬヴァンパイアの旅の途中の止まり木のような物」と自らの計画を明かしてみせた。総理の孫の誘拐にしても、こうした「秘やかな」目的を考えれば必要悪と捉えられる部分であり、なるほど、ニナの魅力を損なうものではない。ただ、それならそうと、きちんと口で説明してくれた方が分かりやすかったのだが。先週は何故か暁に対して冷たい態度を取っており、そのせいで今回のような無駄な騒動を引き起こしてしまったのだ。彼が昔の約束を忘れたことに腹を立てていたのかもしれないが、そんな私情で事を荒立てられては、「為政者としての責務」は果たせていないことになってしまう。「テロメア」と呼ばれる反乱組織の目的についてもちぐはぐな部分があって、「姫を尊重したい」という絶対的血の制約と、それをも上回る奇妙な出世欲(表に出たいという願望)の折り合いがなかなかつかないようだ。テロメアは今のところその上層部が何を考えて動いているのか分からない部分があり、そのあたりがすっきりしない要因になってるんだろう。 なんやかやと問題は少なくないのだが、今回はとにかく頑張った最終回ってことでいいか。由紀が朗読する奇妙な童話とのリンクは落としどころとして悪くなかったしね。そして、中の人が頑張ってる。これまでも存分にその威光を発揮してくれたあおちゃんだが、今回、テロリスト相手に啖呵を切るニナは実に高貴で、威厳に溢れていた。そして、「レイプの後に男どもにしばらくお預けをくらって辛抱たまらない女子高生」というどうしようもなくエロ過ぎる委員長を演じた伊藤静。御前は、あらゆる意味でエロい。 「私たちは何のために戦っているのか」って、それは視聴者が一番知りたい気がする第7話。いや、そもそもあなたたち今戦ってないじゃん。 しかし、前回までののんべんだらりとした展開が、今回のエピソードで一気に引き締まり、なおかついくつかの疑問が解決し、さらなる疑問が山積された。この物語の「行く末」が見えないのは相変わらずなのだが、「来し方」は見えてきた。バックグラウンドが曖昧な形でも提示されれば、そこにはぐっと奥行きが出来るものだ。 まず、今回分かったことをおさらいしよう。今回の主人公はフィリシアだったわけだが、彼女の過去の体験を通じて、この国に戦禍の爪痕を残した「戦争」とは何だったのかが描かれた。これまであるのかないのかもよく分からなかった「戦争」だが、実に濃密な描写でもって、それが「あった」ことを示してくれたわけだ。フィリシアは公式の情報では現在18歳らしいので、彼女の出陣したなんちゃら聖戦(征戦?)は、せいぜい5〜7年前と考えるべきだろう。これは一応、教会に戦災孤児がいることと帳尻があう。そして、その中で彼女はタケミカヅチ(と同型の戦車?)に乗っており、装填手として参戦している。これも公式ページからの情報だが、このときの相手は「隣国」である。 しかし、これとは別のもう1つの「戦争」がこの世界にはあった。それが、フィリシアが落下した穴の中にいた兵士の亡骸が体験した「敗戦」である。彼のイメージは、タケミカヅチの様な多脚戦車がビル街に大挙して攻め入り、現代社会をも凌駕する兵器で焼け野原を生み出す様子がフラッシュバックしている。フィリシアの参加した戦争も火力などは現代のそれに近いが、彼の経験した「戦争」はそれ以上のもの。そして、みたところその相手は「隣国」とは言い切れない、もっと何か他のものであるようだ。そして、そんな兵士は、「この世界は滅び行く過程の残滓でしかない」と告げる。フィリシアが過去の戦友と眺めた「生命のない海」、そして砦を囲む不毛の大地(ノーマンズランド)など、この世界は明らかに何かが失われており、どうやらそれは、亡骸兵士の味わった「敗戦」の結果であるようだ。宇宙人の侵略、大自然の復讐、高度に成長しすぎた文明どうしの無益なつぶし合い。様々な可能性が考えられるが、とにかくこの世界は、どこかで一度「終わって」いたわけだ。 そしてこの「終わっていた」ことは、はるか昔のことなのでカナタたちのように認識していない者も多い。「旧時代」という言葉やイデア文字の存在など、過去の文明を示唆する設定は多いのだが、それはあくまで「過去」であって、それなりに生活が送れている現代の文明とのリンクは薄い。「旧時代」と「現代」の繋がりは、カナタやクレハの中ではあくまで「過去」と「その後」だろう。しかし、フィリシアが見てきた風景の中では、それは「終わり」と「残滓」である。この差は決定的であり、絶望的だ。フィリシアは「聖戦」において隣国と争い、戦友を失ったわけだが、それは、「残滓」にしがみついた矮小な人間達の、無益な小競り合いの意味しかないのだから。 カナタたちに見える世界と、フィリシアに見える世界。この2つの像の差が、後半の花火から精霊流しのシーンにかけて、じわりじわりと影を落とす。フィリシアはカナタに「誰を流すのか」と問われ、「自分に大切なことを教えてくれた人」といいながらあの亡骸の兵士を思い出す。彼女にとっての「大切なこと」とは、兵士の伝えた絶望的な世界の真実である。リオがいくらすがってみても、フィリシアは彼女の心配をのらりくらりとかわしてみせるし、カナタのまっすぐな懇願にも、彼女は肩を抱き、「あなたはそのままでいて」と諭して自分の胸の内は吐露していない。当たり前だ。「世界は終わっている」など、カナタを目の前にして言えるわけがないのだから。「この世界に意味なんかない」という結論を得てしまったフィリシアと、「この世界は素敵に満ちている」という希望を持つカナタ。見いる先は全く異なっている。フィリシアは「未来の意味を自分で見つける」と思い直してカナタや子供達に「未来」を見いだした。それはカナタたちにとって、希望となるのか、過ぎたる荷となるのか。 今回は、「世界の真実」と、戦友を失った戦争体験という2つの重荷を他人と分け合うことなく一身に背負ったフィリシアの様子を見るだけで本当に辛い話であったが、その陰で他の隊員についてもいくつか新たな切り口が。クレハは、お気楽な顔で暮らしながらも、やはり両親を失っている孤児であることが分かる。彼女も戦災孤児なのだろうか。ノエルは、ただ1人フィリシアと同じ戦場を体験していたとのこと。フィリシアよりも3歳も若い彼女のこと、兵として体験したのではなく、被災者としてそこにいたということだろうか。彼女のタケミカヅチへのこだわりは、過去の体験に根ざしたものだろうか。そしてリオは、最後に教会の司祭から驚かれていたのが気になる。あ、でもひょっとしたらカナタの方かな。リオはフィリシアを救助しにきた皇女殿下とイメージが被るのが気になるところである。 人が生きることには、意味があると言えばあるだろうし、無いといえばこれっぽちもない。あの砦に5人が集まっていることの意味は、これからの物語で決定づけていく部分だ。今回のフィリシアは、表面上は他の隊員達に気を遣う優秀な「指揮官」であり続けているが、カナタたちとは決定的にかみ合わないことが台詞のやりとりから伝わってくる。最終回までに、この世界が救われることはあるのだろうか。 |
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HN:
Thraxi
性別:
男性
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声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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