最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
エンチャントレス 2009年FNM(アラーラ・ゼンディカーブロックスタンダード) 土地(22) 平地×6 島×4 森×3 霧深い雨林(ZEN)×4 広漠なる変幻地(M10)×3 バントの全景(ALA)×2 クリーチャー(12) 貴族の教主(CON)×2 メサの女魔術師(M10)×3 ロウクスの戦修道士(ALA)×4 冷静な天使(ALA)×1 ジュワー島のスフィンクス(ZEN)×2 その他(26) アイオーの廃墟の探検(ZEN)×4 未達への旅(ZEN)×4 カルニの心臓の探検(ZEN)×2 忘却の輪(ALA)×4 妨げる光(ALA)×3 砕土(ZEN)×3 遍歴の騎士、エルズペス(ALA)×2 精神の制御(M10)×2 空位の玉座の印章(CON)×2 サイドボード(15) 天界の粛清(CON)×4 瞬間凍結(M10)×3 翻弄する魔導師(ARB)×3 クァーサルの群れ魔導師(ARB)×3 バントの魔除け(ALA)×2 PR 「獣の奏者エリン」 6→8 すさまじい作品だった。まずはそれだけ断言できよう。アニメとはかくあるべし、ファンタジーとはかくあるべし。そして何より、NHK教育はかくあるべし。 1年という長丁場をこなした本作、正直に白状すると、中盤に若干の中だるみはあった。視聴体制も途中でゆるみ、見ていなかった話数すらあったりもする。得てしてそういう状況になると次第に見なくなっていってしまうものなのだが、この作品の場合、油断したらどんなとんでもないものが登場するか分からないという緊張感があったために、続けての視聴を余儀なくされた。そして、そんな厳しい「制約」が、きちんと実を結んで納得させられてしまったのだ。全50話の構成を行った藤咲淳一氏に、謝罪と賞賛を送りたい。 先に断っておくと、当然のことながらこの作品の全てが盤石というわけではない。改めてシナリオラインを追うと、ところどころ筋が通っていない、納得いかない部分があることに気付く。手近なところで例をあげれば、ダミヤの命によってリランを戦場に送り込むことを余儀なくされたエリンだったが、脅迫された際には、「大公の統治に至れば、王獣は神性を失い、リランにも自由が訪れるかもしれない」と思い至る描写がある。このときには「エリンは自らの意志でリランを戦争の道具に使うのか、それとも、真王の権威を犠牲にしてリランの安寧を得るのか」という命題が提示されているわけだが、最終決戦の段になって、エリンがリランを飛ばすかどうか悩んでいるのは、全く別な葛藤である。イアルやエリン、そしてシュナンなどの思惑と意志が絡みあった最終決戦だったが、結局はダミヤの策に翻弄され、その場をとりなすために労力を費やした形だ。結果的には王獣という絶対的な力をもって最善の結果にたどり着くことが出来たわけだが、それまでの複雑に入り組んだ思いを解決するためのエピソードとしては、いささか拍子抜けの感がある。最後のダミヤの抗い方も、それまでの彼の狡猾な振る舞いとはそぐわない部分もあっただろう。 ただ、こうした「筋の通らない」部分については、扱っている題材がいかに「筋の通っていない」対象かということを考えれば、半ば必然的なものであるだろう。最後にリランがエリンを助けにいった理由は説明出来ないわけだし、シュナンとセィミヤの関係だって、2人の心情を鑑みればどこまで割り切れるかは怪しいものだ。しかし、この作品で描きたかったテーマとは、そうした理屈の通らない部分である。最序盤にはっきり現れた「家族」というテーマと「村」「血統」、中盤には「教育」の体制も問うことになったし、リランとの出会いは新たな「母性」の創造と、改めて「育む」ことへの問いかけを与えてくれる。そして全編を通じて見れば、リョザという1つの国を舞台にして、「戦争」や「権力」についても考えなければならなかった。どれもこれも単純に割り切れるものなど1つもなく、視聴者はエリン達と一緒に、何が正しくて何が間違っているのか、間違っていたとしても成さなければいけないこととは何かを、しっかりと考えることが出来るようになっているわけだ。これは、非常に出来のいい物語であり、寓話である。 また、そうした教育的な配慮で子供達への番組として成立している他にも、きちんと一本のアニメ作品として、充分に大きなお友達にも魅力のある作品作りが意識されているのも白眉な点。1話からきっちりと守られてきた作画面の安定、特に独特の背景美術による世界観の維持は見事なものだったし、ドラマティックに盛り上げるシーンをとことんまで意識した構成も良い刺激になる。個人的には27話(「ヒカラにおちて」)が印象的だったが、しばしば登場する抽象画のような独特の画面効果は、この世界のファンタジー色を強めるとともに、強固なメッセージ性を補強する見事な演出技法。単一描写では限界のある王獣の権威、そして「獣」の持つ力の恐ろしさなど、インパクトのある形で見せられると膝が震えるほどの衝撃がある。 叙情的な面での描写も実に手慣れたもので、ドラマの転機となるソヨンの死は、様々な事象がエリンの中で「母の思い」「母との別れ」「獣の恐怖」としてフラッシュバックされる。最終話では、子を想うがために禁忌に手を出して自らの命を投げ出したソヨンと、我が子のように愛情を注いだリランの未来を祈るがために音無し笛を投げ捨てて生き残ったエリンの対比が鮮やかに浮かび上がる。ラストシーンはエリンとその子供がリンゴを挟んで対峙するシーンが同じ構図のエリンとソヨンに重なるという演出で幕を閉じるわけだが、それまででも充分感極まっていたところにあまりにスッと入ってきたために、訳も分からないまま涙腺が決壊した。もちろん、「ソヨンとエリン」「英知と絆の象徴であるリンゴ」といったパーツが、これまた心憎いギミックで印象的なオープニングで何度も効果的に使われていたことも、この画面の効果を高めるのに一役買っていただろう。本当に、全てが全て、ドラマを引き立てるためのあるべき道具立てであった。浜名孝行監督は「韋駄天翔」の時も感心したが、実に真っ直ぐにメッセージを投げかけてくれる良いクリエイターであった。 様々なテーマを持ちながらきちんと1年間放送し、見事な幕引きを見せたこの作品、本来ならばもっと加点してもいいはず(「電脳コイル」が10点だったから、せめて9点は上げてもいいはず)なのだが、どうしても、本当にどうしても気になるのは、やっぱりエリンのキャストだ。最後の最後まで、ほとんど技術の向上が見られなかったのは悔やまれる。ここまで難度の高い役、流石に素人に任せたのは致命的だった。演技次第で見せるべきシーンがひと味もふた味も違ったものになっただろうに。個人的には第1希望が折笠富美子。第2希望は中原麻衣あたりで(桑島法子だと幼少期が暗くなる上に常に死の影がちらつくから怖い。ジョウンの死因がエリン本人になりそうだ)。製品版出すときにエリンだけ録り直しとか出来ませんかね? 水辺の探索で長靴履いてるくせにニーソはおかしい気がして仕方ない第12話。次回で最終回のはずだが、随分落ち着いた進行。この空気がささめきですよ。 前回までで惚れた腫れたの悶着は一段落。今回はひょんなことからわき上がった校内宝探しの模様が描かれる。「女の子だけで暗号を手がかりに宝探し」ってどこかで見たことのあるえづらだなぁ、と思っていたのだが、しばし考えて「ARIA」であることに思い至った。面子の中に千和も入ってるし、「長靴」というキーワードも一緒、オチの付け方もかなり似ている。こういうオリエンテーリングみたいなミッションって、やっぱりみんなワクワクするものなのかね。まぁ、暗号として良くできてたのは1つ目のレバーくらいだけど。長靴とバッハでよく答えに行き着いたもんだな。 もちろん、単に宝探しの様子を淡々と伝えるだけではなく、その中にもきちんと様々なファクターが片付いているのは倉田脚本の抜け目のないところ。まず、1つ目の解決を見たのはあずさの気持ち。今回実に見事だなぁ、と思ったのが序盤の掃除のシーンで、気軽に声をかけてきた純夏に対し、あずさは自分と窓を拭いてくれるように頼む。これがあわよくば純夏と接近することを期待しての願いだったのかどうかまでは分からないが、その結果、純夏は反対側、教室の内側からあずさと窓を挟んで対峙する。そして、あずさの視線の先には、窓を挟んだ純夏と、その向こうに掃き掃除をしている汐が見える。この構図はそのまま、あずさが純夏・汐というカップルと「何かを隔てている」ことを暗示する。あずさはこのガラス1枚の決定的な隔たりを改めて認識することで、寂しく笑ってステージから降りることになる。もちろん、このシーンでも汐はまだ純夏に対して背中を向けているのも、非常に暗示的な構図といえる。 同様にしてあずさが「一歩引く」という動作は、川ではしゃぐ面々を見ている時にも確認出来る。体操着に着替えて騒ぐ女子部のメンバーを、一人制服のままで眺めるあずさ。最後には汐も川に飛び込み、純夏は満面の笑顔を見せる。そこで、あずさは廊下ですっと「一歩引いて」笑ってみせる。これがおそらく、この作品におけるあずさの最後の決意だろう。図書室で朋絵に「その意気や良し」と褒められたことも、勿論同じことの明確な表れだ。また、こうしてあずさが「一歩引いた」のと同時に、朱宮君も、あずさと同じように純夏達を見て笑っている。この笑顔も、彼の中で何か1つ片が付いたことの表れと見ていいのではないか。まぁ、その前に「男と見込んで!」と頼み込んだくせに見捨てた純夏さんに脈がないことくらい分かってはいるんだろうけどね。純夏さんは朱宮君の気持ちは知ってるはずなのに、本当に男が相手だと無関心だし容赦ない。唯一気になるのは汐と復縁した(?)図書委員の先輩の方だろう。様々な気持ちに片が付いたといっても、肝心の汐だけは、まだ揺れている(というか無自覚な)状態なのだ。 今回のメインテーマは、こうした脇の事象の処理。そして、それを描くためのセッティングとして、「びしょ濡れ女子高生、雨の中の体操着」という素敵なシチュエーションが使われているわけで。朋絵はご立派だし、汐はそれに輪をかけてご立派。我々の世界では水着回なんかよりよっぽどご褒美です。そこまで画的なものに一喜一憂する作品ではないのだが、今回は無闇にいい感じでした。 そうそう、今回も気になったのはキョリちゃんの存在。いや、「冷やしカレーパン」はいいとして、図書室ではキョリちゃんがいる目の前でみやこと純夏が汐の話をしてたんだが、キョリちゃんは確か純夏の秘めたる思いは知らないんだよね。全然気にしてなかったみたいだけど、いいんかな。あと、吹奏楽部なら雨の日も普通に部活あるだろうに。乗り気で水遊びしてていいもんか(まぁ、夏休みの登校日だから休みなのかもしれないけどさ)。 今回も素敵なものを色々見せてもらったわけですが、最後にエンディングの画面もなんだか嬉しいサプライズ。これまでも毎週細かく絵を差し替えるというサービスをしてくれていたわけだが、今回ついに、差し替え部分の絵がアニメーションになりました。傘に揺られてくるくると流れていくチビ純夏が可愛らしい。また、この「雨を受けた傘」はオープニングにも使われているモチーフで、こういう細かい接続なんかは心憎い演出です。 次回で終わるのかぁ。まだまだ見ていたいんだけどなぁ。 ○「秘密結社 鷹の爪 カウントダウン」 5→5 タイトルの通りに、本当に気まぐれに劇場作品の宣伝をしに出てきた鷹の爪団と古墳ギャルたち。気付けばあっという間の1クールではあったが、なんだかんだとこのベタベタなお約束芸を楽しめてしまうのだから不思議なものだ。いつの間にか世間的な知名度も上がっているようで、突如現れて訳の分からないことを言っていた3年前が嘘のようである。 こんな作品なので、普通のアニメのような批判をするのも馬鹿らしいし、内容はギャグなので事細かにストーリーを解説するようなものでもない。それなのに、やはりラスト2本の最終回は見入ってしまう不思議な魅力がある。特に「鷹の爪団」の最終回の方は様々なキャラクターが勢揃いして無駄に広がった世界を再認識させてくれるし、実はストーリーの端々で最後につなげるための伏線をちょいちょい張っていたことが分かる。この小憎らしい手際の良さ、人の油断にスルッと忍び込む周到さが、単なるフラッシュアニメと蛙男商会の差であろう。無駄に石破似のキャラが出てたり、テーマソングを担当したアーティストが顔出し(?)で出ていたりと、サービスなんだかどうかよく分からないお遊びも、半笑いくらいで見られてしまう。それでもきちんと締めるところは締めてくれる。ん〜、本当に不思議な作品だ。 こうしていつシリーズが始まっても最後まで見てしまうということは、きっと私はこれが好きなんだろうが、実際に劇場に足を運んで見たいとは全く思わないのも不思議。「鷹の爪ファン」を公言しても、いいことと言ったら「伊藤静と趣味が合う」くらいじゃねーか。ま、頑張ってこれからも作品を作り続けてくれればいいと思います。両手を拝借、た〜か〜の〜つ〜め〜。 「ファイト一発! 充電ちゃん!!」 ー→5 えぇ、分かってます、これも今期終了した番組ではないですよね。こちらは珍しくKBSが1クール遅れでスタートさせたんですよ。だからようやく見終わったわけ。地方格差とは、かように埋めがたいものなのですよ。 時機を逸したおかげでこそこそと見ていたこの作品、最初はなめていたのだが思ったよりも面白い仕上がりになった。特に過去のアニメ化作品と違って、生粋の変態であるぢたま(某)の持ち味が割とストレートに出されているのがお気に入り(私の中で彼の描いた「聖なる行水」はある意味バイブル)。えげつないまでのエロ描写もさることながら、最初は生真面目なエリートキャラとして描かれていたアレスタが閃登との出会い頭のホームランでどこか壊れてしまい、いつの間にかバットでフルスイングされることを望むアブノーマルキャラに堕ちているとことか、ぷらぐと2人して何故か失禁するのを妄想したりとか、非常に理解しにくい特殊性癖がさらっと描かれている。えぐいながらも独特の味になっているのは、悩みながらも褒めたい部分。 あとはまぁ、ストーリーがあるとは言ってもエロ馬鹿が基本なので、いかにノリを楽しめるかって部分ですよね。一応基本線はぷらぐの成長物語なわけだけど、個人的好みのせいで途中からはすっかりアレスタの成長物語として観てしまい、おかげで終止ニヤニヤしっぱなしの状態でした。 今作は、視聴に当たって2つのポイントがあって、その1つ目は監督が木村真一郎(&構成に山田靖智)であるということ。キムシンは個人的に人生を変えたアニメ「ぽぽたん」の監督をしていたこと、そしてその後も「まほらば」「ネットゴーストPIPOPA」などの上質のアニメを送り出してくれたことで割と気にしているクリエイター。もちろんその間に「つよきす」「Venus Versus Virus」などの本当にどうしようもない作品も手がけているので評価としては五分五分なのだが、そのために「さて、今度はどっちだ?」という見方をしていた。流石にうまくいった方の2作と一緒にするのは憚られるが、まぁ、少なくとも「箸にも棒にもかからない」というレベルのものではないはず。幸い画のクオリティも維持したまま終わることが出来たし、打率は少し上がったと見ていいのではなかろうか。 そしてもう1つは当然キャストのこと。今作はらきすた4人衆の中でも一番地味な福原香織の初主演作。「咲」の天江衣があまり評判が良くなかったが、今回のぷらぐ役はそこそこハマっていたように思う。お仲間の遠藤綾、加藤英美里あたりはいまだはるか遠くであるが、少しずつキャリアを重ねていってほしいもんである。そして他にも、相変わらずの存在感を示す平野綾、示しちゃいけない存在感を示し続ける金田朋子、そして次回予告一発で空気をかえる三石琴乃など、なかなか説得力のある面子が多かったです。 そしてなんと言ってもアレスタ役の高垣彩陽。アレスタは音域的には地声の高いトーン(「そらおと」の会長や「Phantom」のアイン)と、「ささめきこと」の純夏さんの中間くらいの声。きっちり音質レベルでの変化が聞き取れるわけで、このレベルでの演じ分けは、彼女のキャリアを考えると尋常じゃない。地上波版ではエンディングテーマをソロで歌っていたが、これがきちんとアレスタ声で、しかもうまいときている。もう、彼女の足跡に残った作品というだけでも(そして彼女のエロボイスを聞ける作品としても)、記念碑として残していいのではなかろうか。 ○「君に届け」 5 えぇ、新番組でも何でもないですよ。でも仕方ないんです。YTVが1クール遅れで放送とか始めるもんですから。いつになったらこのズレは是正されるのでしょうかね。既に評価の固まってる作品って、まっさらな目で見るのが難しいのです。 で、割と今期は評判のいい部類に入る作品のようだが、なるほど、特に目新しい部分もないのだが、まっとうな恋愛物をまっとうにやっているというだけでも充分に評価できる仕上がりとなっている。特に主人公の爽子は非常に魅力的で、また一癖あって面白い。そして何より、これは良い能登である。そうなんだよ。どうせ麻美子は麻美子にしかならないんだから、無理な媚びを売ったりせんで、素朴なまんまでしゃべれる役の方がいいんだ。爽子自身のキャラクターと、「かごめかごめ」を歌うだけで世間を恐怖のズンドコにたたき落とせる中の人の親和性が高くて、30分フルに能登ボイスを聞いていられるだけでも地獄の底までヘヴン状態。こんなにゆっくりと堪能できたのは、「うっかりペネロペ」以来です。 作画的にも、デフォルメとマジ顔のバランスが取れていて、クラスメイトを含む全キャラクターが、なんとなく憎めない仕上がり。普通に考えたらあんな理由で爽子をないがしろにしていたクラスメイトは悪い奴らとして描かれているはずなのだが、いきなり打ち解けた2人のキャラのおかげか、そこまでクラスで孤立しているイメージにならないのだ。 そしてお相手の風早君だが……まぁ、普通に考えるといじめられるならむしろこっちな気がする。あまりに絵に描いたような「少女漫画の憧れの人」なんで、ちょっとそこだけが没頭できない理由になりますが……まぁ、中の人も充分爽やか(??)だから良しとしようか。 1クール遅れなのでいちいち感想とか書かないだろうけど、のんびりと追いかけていければいいなぁ、とは思います。読売名物の放送後ミニコーナーが無ければなおよろしいです。 ○「うみねこのなく頃に」 5→4 アニメのみの視聴なので原作組の上げる声の意味がいまいち分からない作品だったのだが、一応「アニメだけ見て評価する」という姿勢もまっとうなものであるはずなので、あくまで単品としての評価を。 まず前提として、個人的にアニメの「ひぐらし」はなかなか良くできていたと思う。特に目明かし編での謎解きなんかは存外しっかりしていたし、それ以外の部分でのしっちゃかめっちゃかな落とし前の付け方も、1つのアニメシリーズとして見た場合にはきちんと決着を見ていた。ミステリ的にどう、とかいう評価では無しに、一本のアニメシナリオとして、有りか無しかで言えば、有りだったはずだ。 そして、残念ながら現段階でのこの「うみねこ」は、明らかに「無し」である。シリーズ途中でさっさと訳の分からない展開になってしまい、ただでさえついていくのが大変な状況だったというのに、そのラストまで全て投げっぱなしではどうにもフォローのしようがない。流石にこれを通して視聴して「なんだか分からなかったけど面白かったよね」というのは無責任の誹りを免れないだろう。原作が未完であるというビハインドは最初からあったわけだが、分かっていたならばオリジナルでとりあえず収束させるとか、ハナからアニメ化しないとか、色々と対処は出来たはず。「未完だから未完です」というのは言い訳にならない。まぁ、2期の存在を前提とすれば一応の言い訳にはなるが……いつになるのかねぇ。 作品の性質上、細かく要素で見ていくのも困難である。当初は「孤島、遺産相続、密室」などなどの素敵なタームが絢爛に並べ立てられて素敵なスタートを切ったわけだが、ベアトリーチェの登場以降、その全てに意味が無くなった。メタ世界におけるベアトと戦人の対決までならば、「ひぐらしにおける梨花視点」と同じでギリギリ許容出来るかと思ったのだが、そもそもこの時点で戦人とベアトの目的意識が理解出来ないために意味が通らない。こうして振り返ると、メタ視点ながらも作中人物としても完成していた梨花&羽入というのはなかなか秀逸なセッティングだったといえる。そして、そうしたうま味が今回のベアトには無い。 シナリオ上のサプライズの設け方もどこかおかしな部分が目立ち、中でもベアトの仕組んだ罠、ワルギリアなどにも協力させた謎のツンデレ作戦がすさまじい。そもそもの対決姿勢が分からない状態でそれを二重三重にひっくり返すという趣向は、不出来を通り越して無理解としか言いようがない。視聴者としては何とか話を理解しようとして妙なお嘆美ムードになったベアトに共感しようとしていたのに、「んなわけねーよ」と突然ひっくり返される。これはサプライズではなく、単なる裏切りである。 そして最終話に列挙された「一応の解決」。それまで「いかに凄惨でインパクトのある事件を描くか」に拘っていたのに、終わってみれば陳腐でみみっちい言い訳が出てくるだけ。一応ラストにまたベルンカステルによって「そんなわけねーよ」が挿入されるが、視聴者の感想は「なるほどそうきたか」ではなく、「もう知らんがな」だろう。いかに人気作品とて、何をやっても許されるというわけではなかろうに。 それでもまぁ、トンデモファンタジーとして突き放して観るならば、アニメとしてギリギリ観られなくもなかったのでこの点数。もちろん、大部分は中の人への賛辞だと思っていただいて構わないかと。この作品で唯一誇れるのはそのあまりに豪華なキャスト陣であり、特に女性陣はあまりに美しすぎる面子が並んでいる。序盤に活躍してけなげながらも強さを見せた夏姫(篠原恵美)。毒婦として悪態をつきながらもあまりある格好良さを見せつけてくれる霧江(田中敦子)。母親としての優しさと女としての脆さ、自我の崩壊までを見事に演じ分け、並み居るベテランに一歩も譲らなかった桜座(小清水亜美)。そして魔女としての覚醒を経て、貞淑な妻と幼いが故の残酷さを見事に演じ分けた絵羽(伊藤美紀)。右代宮家の女性はどれも皆一枚看板でやっていけるくらいのキャラクターがある。 そして、なんと言ってもこのブログ的にはベアトリーチェだ。これまで演じたこともない下卑た、本当に「下品な」役回りを、まるで水を得た魚のように開花させていく大原さやか。流石に過去に演じた「次元の魔女」や「逆理の裁者」のように「これが素ですよね」とは言えないが、本当に楽しそうに演じてくれているのが印象的だった。また役者として新たなステージに踏み出した実感がある。これで訳の分からない心情を持つ半端なキャラクターじゃなきゃ最高だったんだけどね…… 同じように役柄で損したのが縁寿役の佐藤利奈。結局、彼女は何がしたかったんでしょうか。多分、演ってる本人が一番分からなかったと思う。無念。 ○「にゃんこい!」 7→7 放送時間的に投げっぱなしの「DARKER」の後だったので、この作品の最終回は無駄にほっとすることが出来ました。レビュー書き始めたはいいものの、途中で書くことがなくなってついに挫折するという憂き目を見た作品ではあるのですが、終わってみれば決して嫌いではなかったのです。まぁ、川口監督の作品って、大体いつもこんなもんです。 振り返ってみれば、ラブコメとしては割とまっとうだったことがよく分かる。序盤は一ノ瀬先輩やら郵便屋さんやら戸松双子やらが出てきたおかげで「どんだけハーレムやねん」と思っていたのだが、一ノ瀬先輩と郵便屋のねーちゃんはその実単なる騒がせ屋だったわけだし、戸松双子も主人公の潤平に対して真剣な恋愛感情まではいかないレベル。結局、ラブコメ的な構図としては楓と加奈子の2人に絞られていたわけだ。そしてそんな中でも潤平の気持ちは真っ直ぐ楓にしか向いてなかったので、軸がぶれることは少なかった。加奈子はいい奴なのに報われずちょっと可哀想だが、1本のアニメとして落ち着くべきはやっぱり楓エンドで良かっただろう。呪いの設定も最終エピソードでそれなりに消化できていたし、特別面白くて印象に残るわけではないが、視聴後に不満が残るような作品にはならずにすんだ。 こうして「ラブコメ展開は意外とまっとうだった」ということさえ確認出来ると、戸松双子と一ノ瀬先輩というキツいキャラがなかなかいい味を出していたこともプラス評価に繋がる。特に双子のヤンデレの方はキャラとして面白かったし、双子で演じ分けていたおかげで戸松遙の新しい一面を確認することが出来たように思う。改めて、戸松は安牌なんだなぁ、と認識する。今後も多分、「戸松じゃなきゃあり得ない!」みたいなはまり役を作らないまま、じわじわと萌えアニメ業界を支えていく存在になるだろうか。これがワンランク上がると、川澄綾子になれるのだが。もう片方、一ノ瀬先輩の中の人についてはもう触れる必要も無かろう。小林ゆうは、小林ゆうにしかならない。だが、それでいい。 あとはメインヒロインの2人。うりょ子は最近すっかり落ち着いている気がするのだが、加奈子役は特に目立った印象もなく、無難にこなした感。他方、楓役の井口裕香については、確実においしいところを拾っている印象。でも、なんでヒロインやると影が薄くなるんだろう……ツンツン頭の男の子が主人公で、ゆかちがメインヒロイン。そしてサブキャラにさとりな……これは、郵便屋のおねーちゃんが主人公のスピンオフが始まる布石なのか?! きっとあのおねーちゃんはレベル5の能力者に違いない。 最終回では散々「2期」という言葉を連呼していたわけだが、このあたりの「DVD買ってね」と阿漕な作戦に走るあたり、川口監督のあけすけな姿勢が伺える。でも、ちょっとはしたないけど切実なところだし、ここまで直接的なメッセージも珍しいから案外効果はあったりして。でも……2期は無いよね。っつうか、別にいらないよね。 鎮目えええぇぇ! な最終話。まぁ、視聴者は全員同じ感想だと思うんだけど、「終わった」って感じじゃなくて、「終わらせた」最終回。前回までで全く伏線が回収出来ていなかったために「3期上等」だの「劇場版確定」だの言われてたけど、流石の岡村天齊。終わらせましたね! ……って、納得出来るほどウブじゃないわけで。 もちろん、「終わった」要素も数多く存在している。ある意味一番最終回らしいポジションをもらったのは、決して幸せではなかったが、やはりメインヒロインの蘇芳だ。紫苑はマダム・オレイユ達の協力を得て、「何らかのプロジェクト」を進行させ、その代償として、イザナギとして命を失った。まぁ、彼のこれまでの扱い(と中の人の属性)から考えて「ま、ラストは死ぬよな」と思っていたので、彼が退場するのは別に構いやしない。そして、そんな紫苑の意志の一要素であったのが蘇芳。彼女は「記憶を植え付けられたコピー」として生を受けたものの、あくまでそれは流星核の性能を試すための実験体。イザナミの力によって流星核を失い、彼女もまた「自殺を強いられる」こととなる。次第に薄れていく記憶の描写は非常に痛々しく、駆けつけたヘイの無責任なフォローでさえ、彼女には慰めに聞こえたはず。もちろん視聴者は、そんなヘイの言葉に納得出来るはずもなく、これまで3ヶ月一緒に旅を続けてきた蘇芳のあまりにあっけない最期に振り上げた拳を向ける先がない。 で、蘇芳をそんな目にあわせた憎き紫苑の「プロジェクト」とは一体何だったのか。マダムの話だと、彼の能力であるコピーの限界に挑み、空に浮かぶ月に絡んだものだったらしい。おそらくコピーによる「新世界」の創造、というのが一番近いニュアンスなのだろうが、結局そこにイザナミがどのように関わり、彼らが「合理的に」何を望んだのかは分からずじまい。蘇芳は最期に両親やジュライが幸せそうに暮らす「これからいくところ」のイメージを見ているが、あれが一体なんだったのか。分かるような分からないような。もちろん、霧原さんがいた東京は現実としてきちんと存在しているので、「蘇芳のハッピーエンド」は全てまやかし。どう見たって大団円にはなりはしない。 では、そんなパブリチェンコ一家に肉薄していた三号機関はどうだろう。まず、霧原さんは意味の分からない晴れやかな顔で「次の目標」を進んでいる。あれだけ執着していたBK201への思いはどこへいったのやら。一応彼女はマダム・オレイユに付いていったおかげで、課長と並んで世界で最も「ことの顛末」を知る人間になったわけだが、それで彼女が満足できるとは思えない。結局機関はイザナミの何を恐れ、何を目的としていたのか。三鷹文書とは一体何だったのか。全て、分からないまま。今回ほとんど出番が無かった葉月と鎮目はもっとひどい。葉月さんはあれだけ義憤に燃えていたのにエラいあっさりヘイを許してくれたし、矛先を向け直した裏切り者への復讐も、戦闘シーンが一切描かれないという不遇の身。ようやくいいキャラクターの裏が見えた鎮目についても同様だ。せっかくの能力だったのに、葉月さんにかかると一撃だった模様。なんであんなに自信満々だったのよ。 死に方と言えば、CIAのお偉いさんはもっとひどい。「これ以上ゲートでアメリカの権威を失墜させるわけにはいかん」と息巻いてなだれ込むも、関知しないところでことはさっさと進み、あげくイザナミのなれの果てみたいな残滓に中身抜かれて瞬殺あぼん。ほんと、何しにきたんだ。今まで何してたんだ。 思わせぶりな復帰、再登場のマジシャンも何しにきたやら。生きていただけでも勿論驚きだが、だからって出てきた意味は分からない。彼についていけばジュライも救われたのだろうか。 そして、結局何一ついいとこなしで終了した、我等が主人公ヘイさんと銀。ヘイさんは今回、「末期の蘇芳に調子のいいことをいう」という仕事しかしていない。銀に至ってはこれまで通りにガンガンドレインライフしまくってどこかへ消えただけだ。お前は連金生物ヴィクターか(月が絡んでいるあたりは、ヴィクターっぽい要素かもしれない)。そりゃ、もちろんヘイは蘇芳を捨てて銀についていくだろうとは思っていたが、だからってあまりになあなあ過ぎやしないか? もうちょっと揉めるとか、逆にいちゃいちゃするとか、サービスしてくれよ。二人だけでわかり合ったような顔をされても、視聴者は全くついていけません。マオは……モモンガのまま霧原さんについていくの? いや、別にいいけどさ。 もう何がなにやら、さっぱり分かりません。ラストカットで「さよなら!」とか言われても、「ちょっと待て、面貸せ」としか言いようがない。覚悟してただけに、やっぱりそうだと質が悪い。岡村ぁ!! なんか……うまく言えないけど返せ! 何か返せ! ……そう、蘇芳の思い出を返せ。 まぁ、多分この作品のことだから、こうして視聴後に荒れるのも戦略のうちかもしれない。煽るだけ煽って続編とか打ち出せば話題にはなるしね。でもな、1つだけ言わせて欲しい。「1クールは無いわ」。 |
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声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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