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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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「アストロノオト」 6→5

 新番チェックの時は「割と好みの作風だわ。途中で飽きるかもしれんけど」とは書いていましたが、まぁ、飽きましたね。いや、飽きたというか、「こんなもんじゃろ」と納得したというか。

 まー、結局は「高松信司作品の新タイトル」っていうだけなのでね。作ってる側もそこまででかいことを成し遂げようという意思はなかろうし、ちょっとヘンテコで酒のアテみたいな風味の作品を1クールの間ちょいちょいとつまむ感じで飲み込めればそれで重畳という、身の丈にあった落としどころにまとめた作品とは言えそう。クセが強すぎるせいで最後まであんまり好きとは言えない画だったけど、だからとて作画が特別悪いってこともないし(良くもないけど)。願わくはもうちょい「長屋もの」のテイストで狭くて小さい物語を重ねてもらってもよかったんだけど……1クール作品で何かしらのオチをつけようとするとあんまり遊んでる尺もないしなぁ。その割に、別に焦って駆け足になったとかいう感覚もないんだけどさ。ユルい展開、浅い決着、それでも何かしら満足できる部分はある。そうしたチープさは突き詰める価値はあるかもしれません。

 少なくとも同じ高松作品だった「Robihachi」とかよりは見てて退屈しない作品ではあったので、これはこれでいいんじゃないでしょうか。ちなみに個人的に一番好きなのは合間に流れる降幡愛のレトロ風味をなんか勘違いしてる風CM。

 
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「うる星やつら(第2期)」 ―→6

 評価は少し悩んだが、敢闘賞の意味で加点してみた。全46話、スタッフは頑張ってくれたと思ってますよ。

 以下の感想は「過去に1度たりとも本作に触れたことがないミリしらなりの感想」という前提があるのだが、少なくとも観るに耐える作品になっていたのは間違いないし、いわゆる「リメイク」作品がことごとく適当に処理されていっている現代アニメ業界の流れの中、流石にこれだけの有名タイトルのリブートということで大きなプレッシャーがかかる中での製作、半端なものを出すわけにもいかなかっただろう。david proの手によるアニメーションは、古臭さの中に現代アニメらしさもきちんと混ぜ込んだものになっており、単なる焼き直しではなく「現代において作り直す意味」を感じられるものになっていた。

 映像部分に加えてやはり何度も触れてしまうのはコテコテのキャスト陣。まぁこれは私が旧作を知らないおかげもあるのかもしれないが、こんだけギトギトで「現代声優業界博覧会」みたいな面子で固められたら、それだけでもごちそうさまが止まらない。私ほどではないにせよ旧作にそこまで思い入れがない層に対しても、しっかりと世代交代を果たした「現代版」を発信できたのではなかろうか。

 ただ、そうして責任あるアニメ作りができていたことを前提とした上で、やはり残る問題は「そうまでして現代でリメイクする意味はどこにあったのか」という問題。ギャグ漫画ってのは他のジャンルに比べて流行り廃りの影響を受けやすいジャンル。当時の受け止め方がどのようなものだったのかは分からないが、やはりネタ回しは古臭いというか、時代に即さない部分が出てくるのは致し方ない。

 そうした「古臭さ」が多少なりとも薄かったのだとするなら、それはもう時代を先取りしたのか、時代に左右されないだけの作家性を持つのか、鬼才・高橋留美子を称賛するだけの話だが、客観的に見て今作をギャグ作品として100%楽しめたかと言ったらその部分は「否」である。そこはもう、企画が始まった時点で飲み込むしかなかった部分であり、新しくて鮮烈なギャグアニメをオリジナルで生み出すことができない現代人の責任である。本作そのものに非はなく、むしろ上述の通り、古臭さを「レトロ感」と好意的に解釈すれば40年も前の作品にしては現代でも色褪せない楽しさはあった作品だとも言える。個人的な「高橋留美子体験」は「境界のLINNE」が一番上にあるんだけど、あのアニメで得られた腰が砕けるようなギャグよりも、もうちょい活力がありつつもベタ度合い強めのネタ回しを、よりビビッドなアニメで見せるというのは狙いとしては間違っていたとは思わない。

 さらに今作のもう1つの功績をあげておくと、MAISONdesに全てをかけた楽曲部分でのイメージの刷新。確か1話目を見た時点で「『ラムのラブソング』を引っ張り出してこなかったのはむしろ評価したい」という趣旨のことを書いた気がするのだが、旧作のイメージを塗り替えるためには、そこはやはり越えるべき壁だったはず。もちろん「ラムのラブソング」は本作のそこかしこに形を変えて出てくることにはなるのだが、あくまでそれは添え物にとどめ、4クール分のメインテーマを全て単一のアーティストに任せ、徹底して作品に寄せた楽曲提供を実現させた。楽曲自体もきちんと一般に受け入れられたし、作品に通底するイメージとして根付かせたおかげで、「現代版うる星やつら」を1つにまとめる役割も果たしていたように感じる。大きなプロジェクトだっただけに、こうして統制のとれた戦略を打てたのは純粋にプラスだったんじゃなかろうか。

 少なくとも私の中で「うる星やつら」と言えばこのアニメを意味するようになった。作品を再び息づかせるプロジェクトってのは、しっかり新規層に届くかどうかが重要ですよ。難しい仕事から逃げずに責任を果たしてくれたスタッフの方々には、お疲れ様と言いたい。

 (このメッセージは夏スタートのキン肉マンプロジェクトでも繰り返せることをすごく願っているのである)

 
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「ゆるキャン△ SEASON3」 ―→5

 特にお変わりなく。リラクゼーションを目的とした作品がリラクゼーションになる。これ以上の話はなく。

 厳密にはこの3期で色々変化している部分はあり、制作スタジオの変更による作画手法の細々としたん変化は、他作品だったらもうちょい大きな影響になっていたとは思う。でもまぁ、そこまで超絶作画の切望される作品でもなし、多少のキャラデザの変化も慣れてしまえば日常である。個人的にはキャラの印象よりも背景のよりダイレクトな実写への変更の方が気になる部分ではあり、背景が全般的にまんま実写になったことは好みが分かれる部分じゃないかとは思っている。あたしゃ今作の丸っこいキャラとの融和を考えると、あんまり実写実写しすぎる方向性はややマイナスかな、とは思ってるんだけど、2期目までの時点でも実写要素は多分にあったわけで、今期からの制作方針を目の敵にするのも変な話なので、「まぁ、時代に即した微調整か」くらいの受け入れ方。「キャンプで触れ合う自然こそが主役なのだ」という見方もあるわけで、その部分にふさわしい描写を入れていると考えれば肯定的な受け取り方だって充分理解の範疇だろう。トータルすると、「変わってるけど変わらない、これこそがゆるキャン世界線」ということで結果オーライである。

 お話としては、3期はかなり自転車のウェイトが増えたことでチャリ漫画・チャリアニメとしての要素が増えた印象。画面の作り方としてこれまで少なめだった積極的な動きが増えたのは地味ながらも効果的な変化だった気がする。対して、放送前に中心的内容になるかもと思っていた新キャラ2人に関しては割と空気に。まー、ここまでねっとり醸成された既存のキャラの関係性にいきなりがっつり食い込むのは無理だからね。例えるならひだまり荘に入居する新人みたいなイメージなので、今後ゆっくり時間をかけて馴染んでいけばいいんじゃなかろうか。いや、アニメ4期があるかも分からんし、あったとしても原作ストックを考えると相当先になりそうだけども。

 やっぱ大垣と犬子がむちゃくちゃやってくれる部分は好き。こんだけ「日常」な作品のくせに、回想が挟まるとメタレベルが極限突破する芸風好き。

 
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「花野井くんと恋の病」 5→5

 まぁ、ちゃんと爆発して欲しいカップルでしたね(今期一番爆発して欲しいカップルは作中でも堂々とS○Xしまくってるどこぞの魔女カップルです)。

 1話目の視聴開始時には「やべー男がおもしれー女と付き合う話だな」と思って見始めたわけだが、ほたるちゃんの方は回を増すごとにしっかり自分の恋心を認識するようになり、「恋愛がわからないアタクシ」という属性は早々に解消。どこか奥手な部分はありつつも、途中からはすごく普通に「初めての恋に色々とドキドキしてる女の子」になった。そういう意味ではほたるちゃん目線からは至極真っ当なふつーの恋愛漫画。対して花野井の方はどうかというと、こいつの異常性はなかなか解消されず、「ほたるちゃんの影響で着実に花野井も社会性を身につけていっている……」みたいな手応えを与えたかと思いきや、次のお話では「やっぱ花野井じゃねぇか!」みたいなところまで戻っていて、ヤバさを隠そうともしないお話が展開されたりする。

 この「彼女側は疑問を持たずにまっすぐ相手をみてるけど、男側は病根が残っており同じような行程を反復横跳びしてる」という歪な関係性が今作のオリジナリティになっており、視聴者の目線からはちょっとだけほたるちゃんのことを心配しつつも、それでもなおちょっとずつ前には進む両者の関係をヤキモキしながら見守ることになる。いや、相思相愛だけは最序盤から確定してるのでそこに「爆発しろ」も混ざってくるわけだが。でも流石にこんだけ初々しくも控えめ(?)なカップルは黙って応援しといた方がいいか……。

 花野井が人智の及ばぬ怪物に見えている間はちょっとしたホラー作品なのだが、ちょっとずつ解体され、彼なりの「恋の病」の真実が明かされるに至って、今作はきちんとオーソドックスな恋愛ものに着地してくれる。そういう意味では安心安全設計だし、不満に思う要素はほとんどなかった。まぁ、正直言えば途中やっぱり反復横跳び感からヤキモキしてしまってちょっと心が離れるタイミングはあったが……毎週がクライマックス! みたいな作品でもないのでそこは致し方なし。むしろ多少適当に見ていても全般的に落ち着いた話の進み具合と安定した作画クオリティで気を張らずに見守れたのはありがたいバランスでした。残念ながら多分1年後にはあんまり覚えてないかもなぁ、くらいの印象なのは申し訳ないが、アニメ作品全部が全部心に傷を残してったらやってられないのでね。

 
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 ここんとこやたらと劇場に出没しています、僕です。とりあえずこれを観たことで想定してたタイトルは一段落なんですが……細かいタイトルでちょっと気になっているものもあるので、もしかしたら来週もまだ劇場に行くかもしれません。めんどくなったら終わるかもしれません。1回2000円のお高い娯楽、どこまで散財する気が起きるか、お財布に相談だ。

 

<一応折り返しておくけど、ネタバレも何も、総集編です>

 


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 いや卵は孵らんのかい、最終話。あの卵になんか起こってオチになるのかと勝手に思ってたのだが……どうやら今回のエピソードとはあんまり関係なかったらしい。まー、作品全体で考えれば途中も途中なんだろうし、もし4期があるならそちらで回収してくれることでしょう。ほんで多分、この作品なら4期もいつかきっとあることでしょう。

 思いの外ピリッとした部分も見せながら終わらせてみせた。想定してたほどギャグに思い切り寄せてくれなかったのはちょっと残念だが、こんだけ無茶な因果が色々と巡っているのだ、その裏に何かがある雰囲気をきちんと出しておく方が今後この世界での物語を続ける上では良いのだろう。

 というわけで先にシリアス部分を回収しておくと、腹黒領主については今回の騒動で完全決着。彼は神器で召喚した悪魔を使役していたらしく、その名もマクスウェルという。「見通す悪魔」の2つ名を持つバニルに対し、マクスウェルは「辻褄合わせの悪魔」とのことで、運命を色々と捻じ曲げて因果を調整する能力を持っていたようだ。なるほど、これまでカズマたちも含めて領主たちの周りで起こっていたことに一見すると無茶な関わり合いがあったのは全部こいつのせいだったと押し付けることができる。何とも便利な存在である。実際にどこまでの力を持っていたのかもわからないし、そもそもどういう存在なのかもほとんど語られていないが、バニルがわざわざ救出に来たってことは能力はマジもんだろうし、「強力な呪い」も含め、普通に考えたら抗えないくらいの運命拘束力をもっていたのは間違いなさそう。今回はたまたまカズマさんたちがそんな拘束力すら消し飛ばすチート能力を持っていたせいでぐだぐだになっちゃったけども。

 前回時点で「なんか、バニルが便利すぎてちょっとご都合主義な感じが」とかいちゃもんを書いていたのだが、それらも全部「ちゃんとバニルなりの理由があったからだよ」という説明が付加されて納得せざるを得なくなってしまった。いまだにその性格に謎が多いバニルではあるが、彼にも「仲間意識」みたいなものはあるらしく、同じ魔族が理不尽な環境で理不尽に使役されていることに気がつき、うまいことカズマ達をコントロールして救助できるように仕向けたとのこと。最終的には「バニルを便利に使った」のではなく、「バニルが全部使ってた」というオチ。ここまでされると今度はこの世界でのバニルのチートをコントロールしきれない気もしてくるが……彼はすでに「ウィズの店で働くからいいや」という人生設計を明言しているので、多分世界をぶっ壊すような展開には絡まないのだろう。つくづく、便利な連中に囲まれた便利な世界である。なるほどこれが「素晴らしき世界」か。

 というわけで割と外からの力で色んなことが解決。あとはカズマとダクネスの痴話喧嘩(?)をたっぷり見せつけられるだけである。今期は(今期も?)ほんとにダクネスが正統派のヒロインポジションで色んな表情を見せてくれたので眼福だったが、パーティ随一のダイレクトエロスにも絡んでくれていたおかげで、今後もますますカズマを取り巻く寸止め環境が捗りそうである。その手の話になるといちいちめぐみんは絡んでくるが、アクアさんは完全にそっち関係の話から離脱してるあたりは潔い。今作におけるヒロインって2人しかいねぇんだよな(思い返せばアクアとのフラグって、作品最序盤の馬小屋生活の時点で消滅してんだよな)。

 20億が手元に戻ってきちゃったのは流石にやりすぎな感はあるが、とにかくこれにてカズマさんたちは日常へ帰還。またみっともない引きこもりのダメ人間生活は続いていくのだろう。そこには何とか爆裂魔法をコントロールしきった(?)頭のおかしなウィザードと、属性がどんどん増えてもう積載超過になってしまっているポンコツクルセイダーが憂いなく連れ立っているのだ。はい、タイトルどん。

 
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「転生したら第七王子だったので、気ままに魔術を極めます」 4→5

 今期は視聴本数削減策を開始したため、なろう作品は当然真っ先に槍玉に上がり、切った9本の作品のうち4本がなろう作品であった。逆に考えればそうした選抜を生き抜いたなろう作品というものが確実に存在しており、今作はそんな「観られるなろう」の1つ目である。

 まず最初に断っておくべきは、筋立ては1話目の印象通りに純正のなろう。特に主人公のマウント気質は如何ともし難いストレス要因であり、いかに相手を舐めくさるかだけを考えたような言動と、全能を気取ってる割に事態を理解していない難聴性質みたいな部分は基本文法とはいえやはりムカつくのはしょうがない。そこはもう様式として受け入れないと始まらず、そうしたチート主人公を中心としたストーリーなので、面白かったかと聞かれたら多分つまらない部分の方が多かったと思う。

 ただ、そうしてシナリオラインが鼻につくことを受け入れた上で、「この素材でできるアニメ作品の上振れはどこか」を考えると、今作はよく頑張っていた。1話目で感じた「なんやこのショタ主人公のむちむち描写、キモッ」という感覚も数話見ていればすぐに慣れる程度のもので、むしろ他の作品にはない貴重なオリジナリティだったとも言える。合わない人は最後まで合わないのかもしれないが、ムチムチ絵とにょぽみ風絵(勝手にそう呼んでる)の組み合わせは、見た目に楽しませようというアニメ制作の基本理念がしっかり伝わってくる。そして、過去作が「明治撃剣」のみという謎のスタジオ・「つむぎ秋田アニメLab」は、最後まで熱量を落とすことなく、このクセ強デザインを描き切った。正直、アクションアニメとしてはかなり出来が良かったし、「とにかくクソでかい魔力をぶつけ合うバトル」という厨二じみた設定をちゃんと説得力のある画に落とし込めていたのは評価すべき点だろう。キャラデザの好みで上下する部分はあるが、純粋な作画クオリティだけなら今作はシーズン上位に食い込んでいる。

 また、シナリオラインもバカにしたようなことを書き連ねてはいるが、キャラ造形なんかは意外とテンプレで終わらない部分もあるし、大きな物語の動きの作り方も意外とこなれている。作中は(グリモを除くと)パズズ戦、ギザルム戦と大きな山場が2つあるのだが、チート主人公ものの割にきちんとピンチの演出ができていたし、主人公周りのキャラの配置でドラマの形は立派にできている。絶望に沈む周りのキャラを勇者然とした主人公が救い出すシンプルな英雄譚だけに、絶望の描き方が丁寧だったのはプラス要因に違いない。

 そうして作られたドラマで個人的に大きく評価した部分が敵キャラの造形で、ラスボスポジだったギザルムのクソエグい設定も「七つの大罪」っぽさがあって見応えがあったし、意外なことに一番気に入ってたのは中盤の強敵として立ちはだかったパズズ。一見すると分かりやすい「下卑た敵キャラ」なんだけど、台詞の端々にいちいち引っかかる言い回しがあったり、キャラデザのキモさが印象的だったり、こいつの活躍を見て「意外とバカにできない作品なのでは……」と思えるようになった部分がある。さらに加えるなら、本作の立役者としてパズズを演じた佐藤せつじさんというキャストの方の名前を挙げておきたい。これまでもたまにモブとかで見かけていた名前なのだが、パズズの人を食ったようなキャラ造形が見事にハマっており、忘れられないキャラクターに仕上げてくれていたのでやたらと印象に残ったのだ。普段は外画メインの役者さんみたいだが、今後もアニメ作品で出てくるならもっと活躍できる役を回していただきたいところ。

 2期も決まったみたいだけど、この作品なら好意的に受け入れられそう。まぁ、ムチムチショタが好きになったわけじゃないけどね!

 

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 キウイちゃんの八重歯は左右どちらにもにょきにょき出てきてかわいいねぇ、第11話。八重歯がかわいいアイコンになっているのは日本だけだと言うが、海外の視聴者はあのキウイちゃんの口元をどう思いながら見てるんでしょうね。

 というわけでキウイちゃんの決着回と言えるエピソードだが、同様のテーマを持ってメンバー3人の戦いが並行して描かれている。共通するテーマは「自己肯定」、そして「再誕」である。まず、前回時点でとりあえずの復帰を果たした花音。引き続き彼女のことを全面的にサポートしてくれているのがめいさんで、前回の衝撃生配信はおそらく今後の彼女の人生において黒歴史に認定されることはほぼ確実。しかしJELEEとしてはおいしいコンテンツにもなり、花音が全肯定してくれることでめいとしても何となくオーライみたいな雰囲気にもなった。そして、そんなめいのがむしゃらな行動に、一番の「推し」である花音が救われた。「歌えるかどうかはまだわからない」という彼女に対し、ファンにあるまじき近距離で応援し続けるめい。今回はキウイ・まひる組がずっと行動を共にしていたこともあり、こちらの花音・めいコンビも終始べったりである。そして悩み続ける花音に対し、「本当の花音の歌じゃない」とのダメ出しをし、問題点として「歌詞が前のやつじゃダメじゃね?」というクリティカルな指摘も出てきた。あのまひるとのドタバタのせいで、花音は深く傷ついたわけだが、その前後で人間的な成長があったのも事実。以前書いた歌詞では、すでに「今の花音が歌いたい歌」ではなくなっているということ。それを見抜き、歌詞のリライトを提案しためいさんは流石にトップオタである。改めて自分が歌う意味を考え、歌う相手を見定める。山ノ内花音の「再誕」は順調に行われている。

 そして、今回新たに壁にぶち当たったのがまひる。好き勝手に創作をしているうちは自由でいいが、そこにオファーがかかり、「仕事」としてのクライアントが出てくると途端に創作は難しくなる。先方は「好きな絵をのびのび描いていい」と言ってくれているはずなのだが、それでも余計なことを考えてがんじがらめ。作品が迷走するなんてのもお約束だろう。海月ヨルのファンを自称しているもののお仕事となればクール&ドライなのが雪音という女。もちろんビジネス上の付き合いなのでとんでもない無礼は働かないが、最終的にはまひるの尊厳を叩き壊す非情な決断だって下してくる。「自分の絵が好きじゃないのだろう」という雪音の指摘は、まひるのど真ん中にブッ刺さる。

 自己を肯定し、改めて自分のオリジンを探し求めることは、今後まひるがクリエイターとして生きていくためには避けて通れない道。かつての心を取り戻すためにまひるが求めたのはあの壁画を描いた頃の自分。そこには無垢だった自分の創作魂もこもっているであろうし、何よりあの絵は花音が好きだと言ってくれた「自分が好きな人が好きなもの」だ。一度他者に写した鏡像の自分を見れば、苦手だった自己肯定もとっかかりが掴めそうな気がする。そして捜索ついでに道中でキウイの男泣きも見られたことで、改めて「自分を好きになる」というモチベーションの向上がいかに重要かを気付かされるまひる。見事に雪音の試練を突破して1人のアーティストとして立脚することに成功した。

 まひると時を同じくして「自己の探究」を余儀なくされていたキウイ。彼女の場合はリアルタイムでの「再誕」を要求された花音・まひると違い、すでに一度「転生」を経験した身。彼女の切った啖呵に全てが込められていたが、嫌いだった自分をいっぺんリセットして、再チャレンジできるフィールドでいちから自分を作り直し、それを世間が認めてくれた。そこに何の問題があるというのか。キウイは自分の才を客観的に分析できており、「何でも人よりできるけど、情熱を傾けられないからこそ、本当に好きな奴にはいつか抜かれてしまう」と漏らしていた。そして自虐的なジョークとして「だから他の連中に追いつかれる前に逃げるのだ」とも言っていたが、さて、この方法論はどこまで冗談なのか。

 そう、別にキウイが本当にそのような生き方をしていたとて、否定されるいわれはどこにもない。できるタイミングでやれることを全部やり、自分に必要ないと思ったらすぐに切る。ヒット&アウェーのようなその生き方だって、自分の個性に合わせた立派な選択肢。確かにかつてのクラスメイトが言うような「普通」ではないかもしれないが、それが出来てしまったからこそ今のキウイがある。そして幸いなことに、彼女が同級生たちよりひと足先に生まれ変わったVTuberというお仕事においては、彼女はまだ「逃げ」る必要はないのだ。いろんなところに手を出して、結果として得られた自分の「居場所」。そこには恥もなければ遠慮も必要ない。堂々たる渡瀬キウイの、彼女なりの生き方だ。

 歌詞が新たに生み出され、まひるも自分の絵の本当の姿を見つけ、キウイは自分の第2の人生に誇りを持てるようになった。みな、真っ白いキャンバスから新たな1ページを生み出したのだ。そしてまひるは、みんなにもらったかけがえのない勇気を使って、さらにもう一歩踏み出した。さて、この判断が吉と出るか凶と出るか。最後の勝負は、花音の胆力にかかっている。

 

 
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 「みぞれ目線」で大草原、第11話。いや、そりゃ視聴者みんな分かってたことだけども。わざわざ動画まで使って表現したかったのがそこかよ。ありがとうございます。

 関西大会と全国大会の間をつなぐお話、そして久美子の進路捜索という大きなテーマに1つの決着をつけるお話でもある。ドラマの筋書きとしては狭間のお話ではあるが、それだけに重要な要素が着実に積み重ねられ、非常に印象深いエピソードになった。今回のコンテ演出はベテラン・北之原さん。安定のお仕事ぶりに感謝。

 色々と取り上げたい要素があるが、まずは軽めの素材ながら絶対に無視できないOG組のお話。もう、中吉川の衣装コンセプトのギャップだけで昇天ものの満足感。音楽性が違いすぎるのバンド組んでる2人、その衣装でステージ上がったらどう考えても不協和音にしかならん。デカリボン先輩のブレない趣味はさすがだが、冷静に考えると夏紀の正装もかなり極まったコンセプト。そう考えると希美のチョイスが一番バランスのいいところ(そりゃみぞれだって大好物だろうさ)。かつての盟友の晴れ舞台に浮かれる3人と、そんな仲間たち(のごく一部)との久しぶりの再会にテンションが上がるみぞ先輩。今期初登場だが大学生になっても1ミリもブレない安定感は問答無用の鎧塚ワールド。元気そうで何よりである。

 そんな先輩との邂逅で大きな転機を迎えたのが久美子の進路相談。関西大会という大きな山場を乗り越えて多少現実的な問題を見据える余裕ができた(というか現実を直視しなきゃいけなくなった)が、未だ定まらぬ久美子の未来図に親友たちも流石にちょっと不安げ。緑輝はド安定のその才能を武器に早々に推薦入学を勝ち取り、葉月も以前決めた保育士路線のために進学先は決まった。そして麗奈はアメリカへの留学を決めており、彼女の姿勢にもやはりブレはない。この時点ですでに三者三様、この春をもって4人の人生は確実に分たれる。4人で切った巨大なピザのピースは、そうして離れていく4人の未来を暗示したものであるが、葉月たちにはそうした「分断」を憂う気持ちは一切ない。希望に溢れた未来が見えている。

 久美子はギリギリまで音大という選択肢が目の前にぶら下がっている。あれだけ麗奈から熱烈に勧誘され、「私と一緒にいたいならユーフォを続けろ」とプロポーズを受けている状態。はっきり断る要素も見つからず、隣の迷惑な友人に流される形で音大に進むのも1つの選択肢。自分1人では決定打を出せないこの問題に、人生の先輩2人から大きなエールが贈られた。まずは実姉の麻美子。単にコンサート前のメイクをセミプロの手でやってもらっただけだが、やはり血のつながった姉妹でしか出来ない対話というのはあるもので、これまで久美子が溜め込んでいた部長としての鬱憤や、何も決められない自分への苛立ちなどを、ひと足先に大人になった姉にポロポロと漏らしていく。そしてそんな妹の辛さを軽々と受け止め、ひょいと流して魔法のようなメイクを施してくれる麻美子。ほんのわずかな年齢の違いだが、麻美子は大人で、久美子はそうじゃない。しかし、その違いは微々たるもので「大人になるってのはそういうこと」。麻美子の言葉を受けて、久美子の中で進路選択という高い高いハードルがグッと下がったような、そんな手応えがあった。

 そして決定打となるのはやはり怪物・鎧塚みぞれ。先週が田中あすか、今週がみぞれ、この世界を支配する2人の怪物の力をフル活用して黄前久美子の人生は動く。全てを見通し、何もかもを分かったかのようにアドバイスをくれたあすかと違い、みぞれはどこまで行ってもみぞれでしかなく、彼女に見えている世界は相変わらず非常に狭い(エンドカード参照)。しかし、だからこそみぞれにしか見えない世界があり、みぞれの視界には久美子の未来など映らない。視野の狭いみぞれだからこそ、「見えているならわかるはずの世界」が見えない。久美子へと叩きつけた強烈なヘッドショットは、みぞれからしたらそんな当然の世界を伝えただけのことなのだろうが、久美子にとってはあまりに衝撃的な事実である。みぞれは理解しているのだろう。久美子は、この先音楽の世界でやっていく人生を選択しないということを。

 道は絞られた。唯一の心残りはこれで麗奈との関係性が1つ決着を迎えるということ。それが嫌だと麗奈は訴え、とんでもねぇ痴話喧嘩みたいな台詞を久美子に叩きつけるが、久美子の意思はすでに固まっている。彼女は横断歩道で麗奈の「背中を押した」。それは一見すれば突き放すような行為でもあったが、2人の距離は決して離れていない。横断歩道の先、2人の向かう先は分かれている。それでも未来で再び交わることが無いなんて、そんな決めつけをする必要はないのだ。希美とは決定的な別れを経験しても、みぞれは今、笑っていた。2人の未来には、まだまだたくさんの可能性があるのだ。まぁ、よりによってみぞれが登場するエピソードで「大好きのハグ」はやってほしくなかったけど(この2人は今更ハグなんかでいちいち驚かんからええけどな)。

 さぁ、久美子の進路については1つの問題が片付いた。残す最後の課題は、ラスボス・黒江真由との決戦だ。今回も鍵を握ったのは忠犬(忠猫?)・久石奏。ユーフォ3人が直線で並んだ真由との対決シーンは今作らしく露骨なエゴのぶつかり合う緊迫のシーンである。今回の対峙シーンで気になったのは光源の位置である。いつも通り日陰で練習している久美子と、同じゾーンに踏み込んで対話を持ちかけた真由。2人の立ち位置を考えると周りに主だった光源はないはずなのだが、2人は明らかに下から照らされるようなライティングで描写されている。角度を考えると、2人を照らす光を放っているのは、久美子の手にあるユーフォニアムである。日陰なのでいかにユーフォとて反射光は薄いはずなのだが、まるでユーフォ自体が発光しているかのように2人の鬼気迫る表情が照らされる。2人の未来を決めるもの、それは互いに相容れぬ人生観を持ちながら、ただ一心に取り組んできたユーフォという楽器だけ。真由がこれまで再三久美子にぶつけてきたあの行動の欺瞞を奏が看破した。互いに自分のユーフォの実力というものに信頼を寄せ、そこだけは譲れないからこそぶつかり合うエゴとエゴ。

 全てを決めるのは最後のオーディション。ユーフォにかけたその青春に、次週、決着がつく。

 


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Thraxi
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男性
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声優のこと全般
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子
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