最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
モフモフなのだからしょうがない、第11話。いや、さすがに完全にだらけきった状態の金剛先生は笑うわ。「いや、モフモフだったから……」って申し訳なさそうに謝る金剛先生の可愛らしさは、もう完全に中田譲治であった。 前回の激闘は一体なんだったんだ、という超展開でまたも度肝を抜かれてしまう本作。ただ、前回や前々回の呼吸すらままならないようなひりつく展開とは打って変わって、今回は「どないやねん!」というちゃぶ台の返し方で度肝を抜くのである。なんだあれ。なんだあのモフモフ……。いや、冷静に見たら目の形が変だったりするし、我々の判断基準からすればあんまり「可愛い」生物ではない気もするのだが、何しろそこはカチンカチンの鉱物しかいない宝石の国である。あんなモフモフが現れてしまったら、問答無用でモフるしかなくなってしまうのだろう(アレキを除く)。しかし、あんな明王みたいな化け物が一体何故モフモフになるのか……。 鍵を握るのは当然金剛先生であった。彼は何かを明らかに意図して「隠している」ことが今回明らかになり、モフモフがモフモフになったのもその秘密に関係している。まぁ、どう考えてもモフモフの正体は「金剛先生の飼い犬」でしかないわけで、それが月人の世界から「飛び出して」来たというのは一体どんな経緯があったのか。改めて確認しておくと、もともと地球上に生息していた人類はすでに滅亡し、「魂・肉・骨」がそれぞれ「月人・ナメクジ・宝石」に分化したと考えられている。つまり、月人が司っているのは人間の「魂」の部分。しかし、そんな有象無象の魂の中に、明らかに金剛先生が過去に飼っていたと思われる「犬」もまじっていた。まぁ、「人類」というのはあくまで地球上にかつて反映していた文明を表す言葉であるので、その中に犬が混じっていても構わないのだが、そこに明らかに「記憶」が付随していたのが問題であり、かてて加えて、それを金剛先生が「知っていた」というのも問題である。月人たちはあんな風に「虚ろな集合体」を形成しているように見えて、その奥にはなんらかの「意思」が介在しているということなのだろうか。記憶を残した個体が存在するというのは、つまりそういうことになる。そして、犬の方はそうして魂が虚ろな状態になって地上にさまよい出て来たというのに、「飼い主」だった金剛先生は、未だ健在でこうして宝石たちの監督の任を務めている。宝石たちの寿命の感覚は何百年、何千年とあるらしいので金剛先生が現在いくつくらいなのかはよくわからないが、どうやら彼は「魂・肉・骨」の分化以前から、確固たる存在として地上にあったということらしい。つまり、彼は分化以前の魂・月人のオリジンを知っているということになる。それなら何故、彼は月人と対話するでもなく、ただ宝石たちに過酷な試練を与え続けているのだろうか。謎は深まるばかり、そして、フォスの不信感も深まるばかり。 しかし、そうして「何かの真実」を掴んだフォスに、シンシャがさらりと大胆発言。「みんな知ってるけど先生を信頼してるからスルーしてる」。まぁ、フォスが半端者として今までどれだけないがしろにされて来たかがよくわかるお話ではあるが……フォスがその夜に見た白昼夢のアンタークのことを考えれば、アンタークも含めて全員が「何かあるんだろうけど聞かない」ことを徹底している様子。なるほど、そこにコンセンサスがあるならば、これまでフォス以外の宝石がとってきた何だか煮え切らない行動についても説明ができるような気がする。不都合なことが起こって宝石たちが苦しむことになっても、それを金剛先生が黙認しているなら、それは何が何でも「正しいこと」だと認識すべし。それが宝石たちの暗黙のルール。フォスさん、ようやくそこにたどり着いたということなんでしょう。 まぁ、先生だって宝石たちに対して害意があるようには見えないし、いうことを聞いていれば大体はうまくいっているという実績があればこその関係性なのだろうが、残念ながらフォスは「アンタークの喪失」という事件があまりにもでかい。不信感をそのまま飲み込むことなどできず、思いついた解決法は「月人に直接聞こう」という、いかにもフォスらしいぶっ飛んだアイディアである。さて、この無茶が吉と出るか凶と出るか……まぁ、吉になる未来はほとんど見えないんですけども。 そんなフォスの悪戦苦闘とは別に、他の宝石たちもへんてこ月人の襲来を含めて色々な刺激が。特に今回スポットが当たったアレキサンドライトは、やっぱり変なやつだった(宝石は大体変なやつだ)。これもアレキサンドライトが「2種類の見え方で輝く」っていう性質から来てるらしいんですが、どうも、今期釘宮キャラは極まってるやつが多いですね(「妖怪アパート」の方はよりヤバい奴である)。他にも何故か知らんが「物語終盤で小さくて白い変な生き物を飼育した」っていうのが「少女終末旅行」とかぶり、「身体がボコボコの蓮コラ状態」は「ゆゆゆ」と被った。いや、完全にこじつけだけども。友奈ちゃんのボディはボロボロで救いがなかったが、今回登場した新キャラ・パパラチアのボディはルチル(中の人が風先輩)によって修復可能。他人の身体がパズルになっちゃうあたり、やっぱり宝石は自由である。なお、パパラチアの存在が明らかになったおかげで、ルチルさんが単なるマッドドクターでないことが判明して一安心。ちゃんと大事な人のためにメスをふるうんだね。まぁ、小動物は切り刻むけどな(駄目じゃん)。 PR ガルパンはいいぞ。いや、良くないぞ。なんだよ、50分ちょいの第1話って。なめてんのかこの野郎。6話構成でこの尺なら普通に地上波で1クールやんけ。もっといろんなところが見たいんだからテレビシリーズでやれや! 劇場版で味しめてんじゃねぇぞこの野郎!(以上、視聴前) (視聴後↓) ガルパンはいいぞ。
(以下、ネタバレなどあるかもしれないので未視聴注意)
ラブライブ名物、なんかよく分からないテンション、第11話。このどうにも作中のキャラたちに入り込みにくい感覚、ラブライブっすなぁ。 思い返せば初代も一番盛り上がるべきところで謎吹雪の大サービスがあってちょっと引いた記憶が蘇ってくるわけだが、今回も一体どういうテンションで見たらいいのかが今ひとつわからない、突然の学園祭。もう残り1話か2話くらいしかないはずなのだが、こんなことしてていいんだろうか。いや、狙いは分かるんだ。今回のお話で、どうにも学院が廃校になることは避けられそうもないことが分かった。その辺りは大逆転に成功した音の木坂とはっきり違うところで、今作は「廃校するにあたっての心構え」もしっかりと描写することが求められている。そこで、最後の一花で「楽しかった学園」を全力で描き、さらに「学園のみんなが本当にAqoursに対して感謝している」ことを伝えることで、最後に待ち構えているラブライブ本戦での一丸ムードを際立たせ、ライブの華々しい見せ場と、避けられない廃校という悲しみの際立ちを見せようということなのだろう。それは正しい狙いだと思うんだ。 ただ、やっぱりなんか心理的に隔たりがあるんだよなぁ……。Aqoursのみんなは本戦に向けて一秒も無駄にできない一番大事な時期のはず。セイントスノーのお二人があれだけ熱心に特訓メニューなんかも組んで協力してくれたのに、ここでそんな熱意を無視して学校行事にうつつを抜かすのは、全校生の意志を考えた時にもどうなんだろう。まぁ、1日2日の息抜きくらいはええやんけ、ということなんだろうけど、そもそも全校生徒が大して多くないこの学校で「お祭り」をやって、どんだけ盛り上がるんだろう、というのも疑問が残る部分だ。全校集会で集まった人数を考えると現在の生徒数は100人前後くらいのイメージなのだが、あれだけ出店を出して、イベントを回したら、おそらく学生側は一切客としての参加ができない。ということは地元民がお客として参加してくれることを前提に閉校祭を催したということだが……それだけ愛されてる学校なら、廃校自体もなんとか自治体でカバーできなかったもんですかね。まぁ、「学園祭の規模が無駄に大きくなっちゃう問題」はアニメ世界ではお約束なのだが。 そして、最後に訪れたイベントの幕引きも、やっぱり「イベント自体の楽しさ」と「廃校という悲しさ」という相反する2つの感情がまだ処理しきれてないな、という印象を受ける。学生たちが処理できないのは当たり前だし、はっきりと割り切っちゃう必要もないのでそれは構わないのだが、問題は作品を演出する制作スタッフの中でも「どういう側面が押し出したいのか」がまとまってない気がするところ。最後のキャンプファイヤー前のやり取りは本当にもやっとするもので、「盛大に盛り上がっていい雰囲気なのに突然鞠莉が謝罪を始める」というのがどうにもしっくり来ない。鞠莉の心情を考えればどうしても自分の不甲斐なさが許せないという気持ちは分かるのだが、せっかく盛り上がった記念すべきラストシーンでそれを吐露するのは流石に空気が読めていない。鞠莉だって学生側が彼女を責めているわけじゃないことくらい分かっているだろうし、謝られた方だってどう対応していいか分からないだろう。その結果が謎のAqoursコールだったわけだが、あそこで鞠莉単体ではなく「Aqoursコール」を導入するのも、なんだか変な流れだ。「Aqoursがあるから寂しくなかったんですよ、会長、気にしないで」ってことなんだろうか。そして、それを受けた鞠莉が最後に「みんなで歌いましょう」となる。うん、やっぱり凹むくだりは無くてよかったな。どうしても「廃校は悲しいもんだから」という部分を強調したい脚本サイドの無理が出てしまったシーンと言えるのじゃなかろうか。 まぁ、こうして「伝えたいことは分かるんだけどお話として雑」というのは初代からのお約束だったので、それを勢いで乗り越えてこそのラブライブである。次週以降のクライマックスで廃校の悲しさを消し飛ばす展開にしてくれれば、それで。 もう滅んでしまえこんな世界、第4話。何故こんなにも、少女は過酷な運命に投げ出されなければならないのか。そりゃまぁ、「そういう作品だから」って言われたらおしまいなのだが……。 途中での東郷さんのハイパーストーキング術を茶化そうと思っていた気持ちも、その後の流れで一気に吹き飛んでしまう辛すぎる展開。まぁ、そうだよね。そうなるよね。単に「喋らなければ平穏な日々が続く」なんて安穏をこの世界が許すわけないよね。友奈ちゃんはあの時に東郷さんの肩代わりをすることで「祟り」をその身に受けた。かつての大戦の際にほとんどを散華したせいで、勇者たちの身体は「神樹製」の特別仕様になっていたという。散華の量が多かった友奈ちゃんに至っては、もうほとんど神樹様のオーダーメイド。いわば神の申し子になっている状態。だからこそ、あんな無茶な状況でも東郷さんを救出するという奇跡が可能になった。 しかし、代償のない奇跡はこの世界に許されない。身に受けた祟りは少しずつ進行し、他者に伝達すればすぐにでも伝染するというペナルティを追いながら、確実に宿主の身体を蝕んでいく。胸に受けた小さな刻印は、わずかひと月足らずで全身を埋め尽くすまでに禍々しく成長し、神の御業たる友奈ちゃんの身体は既に満身創痍。その結末は「春を迎えられない」というあまりに残酷なもの。そんな勇者の危機に際し、大赦が下した判断は「貴重なサンプルケースなので是非とも記録してください」というあいかわらずのものである。まぁ、今回は伝達にリスクを伴うという症状の関係で、それ以上の対策が打てなかったのはしょうがないのだが……。 勇者が日記を書くとそれはもう死亡エンドの前触れである。そのあたりのことは先代の日記執筆者だった乃木園子さんもいち早く察知していたようだが、そのほかにも友達思いでひときわ気遣いできるにぼっしー、そして友奈ちゃんのことならありとあらゆることを記録し続けたい熱烈ストーカーの東郷さんも気づくところになる。東郷さんがやたらとカメラを回すようになっていたのは、実は友奈ちゃんのことが気になって違和感の正体を探るためだったわけだ(自分がメインの被写体だと思っていた風先輩が不憫である)。その後は式神という万能ツールを使って自宅寝室に潜入。これ、友奈ちゃんが今の状態じゃなかったら確実にアウトなやつ(まぁ、現時点でもアウトな気はするが)。そしてストーカーでなければ絶対気づけない見事な観察眼で勇者御記を発見するに至る。東郷さんの場合は割とシャレにならない深度ではあるのだが、みんながそれぞれに友奈ちゃんのことに気づけたのは、これもまた勇者部の絆のなせる技ということだろうか(犬吠埼姉妹は気づけてなかったわけだが、風先輩が事故って姉妹でそれどころじゃなかったのだからしょうがないだろう)。 しかし、現時点では友奈ちゃんの実情を掴むところで精一杯。神々の御業、「外」の現象とあっては、さすがの勇者部もおいそれと手出しはできない。そうしている間にも刻一刻と友奈ちゃんの限界は近づいている。果たして、勇者部の精神を体現するスーパーヒロイン結城友奈にも、限界はあるのだろうか。次回は……結婚?! すでに白無垢の東郷さんが隣に立っている図しか思い浮かばないのだが?! 正直意外、第11話。今作は徹底したオムニバスの形式だからてっきりキノってこういうオリジンが全く明かされてない人物だと思ってたよ。Wikiで確認したら原作1巻が出典って書いてあるし、原作読者は「このキノ」を前提にしてそれ以降の物語を読み進めているわけか。だとしたら私がこれまで受けてきた印象とはずいぶん違ったものになりそうだなぁ。 まぁ、オリジンとは言っても「あのキノ」から「今のキノ」への経過部分はまだまだよく分からないし(そっちも原作では明かされているのかもしれないが)、「旅人」としてのキノの存在が揺らぐような話でもないのだが、ちゃんと「木の股から生まれたわけじゃない人間のキノ」がしっかり規定されているのはなんとも新鮮である。まぁ、最初に持った印象は「こんだけ声変わりするって、男の子やんけ」だったが。悠木碧のメインテリトリーである幼女はすんなり入ってきますね。虚無感を抱えた「大人の街の子供」としての幼女テイストもどこか後ろ暗いところが良い塩梅だ。 そしてAパート、「旅人」の対話シーンは……なんかもう、個人的に色々と打ちのめされるような発言が多すぎてな……いや、あれだけ特殊な国での特殊な会話なんだから現実の自分に引き寄せて考える必要はないのだが……。「楽しいんだったら仕事じゃないよ」に始まり、「大人は仕事をしなきゃいけないんだよ」とか、「子供でも大人でもないなら何?」とかさ。そんなことは……そんなことは知らないよ……。いや、正直いうと「イヤなことでもきちんとやれるのが大人だよ」っていうあの街の指導方針は正しいんだけどね。「大人はイヤなことをやる」は真ではないかもしれないけど、「イヤなことから逃げるだけの人間は大人ではない」は真だと思う。つまり、俺は……。……すみません、どこかに手術を受けるだけで大人になれる素敵な国をご存知の方はいらっしゃいませんか?(俺なんかが行ったら真っ先に包丁持ち出されそう) まー、そんな悩ましい大人・子供論争や労働の意味を考えさせられる街だったわけだが、キノの生まれ故郷にして第1のトラウマ体験ということで設定はかなりエグいものに。父親のCVが岩田光央っていう時点で「正しい大人……なぁ」って考えさせられる設定なのだが、ある意味毒電波の国をも上回る完全な思想統制は、多分国の中の人間にとっては幸せなものなのだろうことをうかがわせる。手術なんて言われるからおっかないイメージはあるが、何らかの元服の儀みたいなイニシエーションだと思えば、現実的にもそこまでおかしなことではないだろう。キノの一件だって、旅人がやってこなければ、そして余計なことを考えさせなければ幼女は立派な「大人」になって人生を全うできたのだろうしねぇ。「国のルールによそ者が口を出すな」っていうのはそりゃそうなんだ。 でもね、残念ながら幼女は知ってしまった。「外」のことを知って、「別な大人」を知ってしまった。数奇なモトラドとの出会いもあり、彼女は壁を飛び出して色のついた世界に出会う。その鮮烈な色彩から現在の「紅」へと繋ぐ時系列の結び方もドラマティックで見事な構成。頬の返り血を花びらで代用する趣味の悪さもウィットである。冷静に考えれば、幼女はあのシーンで自分の命を守ってくれた旅人を見捨てて、一切顧みることなく突っ走っているのだからとんでもない薄情者ではあるのだが、成り行きで彼女が「キノ」を名乗るようになり、旅人の人生をトレースするように新しい人生を始めることで、まるでそれが供養であるかのように見えるのである。結局、幼女が旅人にどれくらい感謝しているのかもよく分からないままで時代は進んでいくわけだが、キノが今でも旅人の流儀を守って旅を続けているってのは、まぁ、そういうことなんだろうさ。彼女も確かに、子供じゃないが、大人じゃない。誰かに尋ねられたら、きっと「僕はキノさ」と応えるのだろう。 早い早い、なんか色々早い、第10話。絶対そんなことないだろうけど、「特番入れて1話削れた分を慌てて取り戻そうとしてないか?」みたいなよくない想像をしてしまう。 これまでほとんど起こらなかった「WUG内でのギスギス」が突然2件同時に勃発。まぁ、そんだけメンバーも色々と忙しくて余裕がなくなってることの表れなのだろうが、せっかくここまで「I-1は大変だけどWUGは順風満帆やなぁ」と思って見ていた安心感を挫かれてしまった気分である。別にギスギスするのが不快だからやめてくれ、というわけではないが、ギスギスするならするで、ちゃんと「正式にギスギス」してほしい。今回は何かとインスタントで、結局1話で(真夢と佳乃に至っては十分弱で)あっという間に問題解決してしまっているのでなんだか肩透かしを食らった気分だ。2話目の夏夜ちゃんのクサクサした感じもすぐに修復していたけど、今回の一件とアレでは持ってる意味が違うよなぁ。やっぱり尺の要請で駆け足になってるようにしか見えないのが難点である。これ、あと2、3話でなんか話をまとめることができるんだろうか。 これまでなんだかんだ言いながらシナリオ部分に違和感はなかったのだが、今回はそうした部分が色々目についてしまったので今ひとつ集中できなかった。実波と菜々美の方はトントン拍子で喧嘩まで突入する展開が「今シリーズで初めての揉め事がそれかよ」って感じだったし、佳乃もさすがに余裕がなさすぎだ。ここまでなんの問題もなく7人の共同生活が送れていたのに、佳乃が突然カリカリし出すのはなんだか残念である。まぁ、1期の時もそういうところはある奴だったけどさぁ。特に相手はあの真夢なんだから、もう少し冷静さを保てないと佳乃のキャラとして違和感がある。まぁ、その後で夏夜ちゃんと2人で話してクールダウンするシーンは良かったけどね。こうしてみるとやっぱり大人チームはいいバランスなのかも(というか単に夏夜ちゃんが好き)。 ツアーまでどれくらいの時間が残されているのかは分からないが、現時点でまだやりたい曲の歌詞すら決まっていないというのはかなりの綱渡り。歌詞ができたところで早坂が本当に曲をくれるのかどうかも分からないってのもおっかない。それでもWUGは個々人の仕事があるからなかなかライブの方に身が入らない。これだけ見ているとなんだか典型的なアイドルグループ崩壊の序曲に見えてしまうのだが……まぁ、大丈夫なんですよね。今回の「マッハ喧嘩→マッハ仲直り」のくだりは、WUGの絆の強さを示したかったエピソードだと信じていいんですよね。……やっぱりもうちょっと心情にタメが欲しかったなぁ。一応、後輩トリオが入り込むポジショニングはなかなか悪くないな、とは思います。 作画の方は相変わらず低空飛行で、事務所の壁、ファミレスの遠景には毎度お世話になっていますが、こうした状況も最終回へのタメ……だったらいいな。 「僕の彼女がマジメ過ぎるしょびっちな件」 4→4 別段良いところがあるとも思わなかった作品ではあるが、特に毛嫌いすることもなかった作品。まぁ、毛嫌いする作品ってなんだ、って話ですけど。 徹頭徹尾、望まれている仕事は全うしていた作品であったと思う。結局は「女の子に卑猥なことを言わせて楽しむ」というのが唯一にして最大の目的であり、1話から最終話まで、その目的はブレていない。ただ、結局その目的というのはそもそもどれくらいニーズがある部分なんだろうか。基本になる映像部分にエロスが感じられないので、本当に「冗談」レベルで下ネタを扱うだけになるのだが、それって女の子にやらせて面白いのかどうか。 多分誰もがみんな比較対象として取り上げ続けているだろうと思われるのが、今作よりもはっきりとギャグに特化した「生徒会役員共」である。あちらは原作漫画のテイストがあれだけユルいにも関わらず、アニメにはGoHandsを起用し、無駄にダイナミックに動かしてみたり、変な映像を作って刺激を増やしていたし、何よりも中の人たちのテンションが尋常ではなかったこともあり、中学生男子レベルの下ネタでも深夜テンションのような「うわーい、楽しい!」が得られる作品になっていたのだが、今作の場合はベースに置かれているのが一応は「清く正しい男女交際」である。下ネタも何も、もうさっさとゴールインできる状態の二人を中心においての「下ネタ頑張ってます」アピールというのは、なんだかかえって白々しく見えてしまうものだ。こうして考えると、やっぱり「生徒会役員共」のタカトシって神がかったバランスのキャラクターなのではなかろうか。エロかったり際どかったりする女の子を周りに侍らせておいて、一切自分からは性的なものを感じさせず、それが自然に見えるってんだから。 まぁ、ツッコミ役の主人公男子にどうしても物足りなさを感じてしまうのはしょうがないが、それ以外にも、ネタを振ってくる女性陣もやはり今作の方がおとなしい。というか、あまりバリエーションが無い。メインヒロインの香坂さんはどこまで言っても「真面目にビッチ目線」なので今ひとつ際どいところまで攻めきれていないし、他のキャラも同じように適当な下ネタを重ねるだけというキャラが多く、せいぜいさきっちょが別パターンから頑張ってくれていたくらいだろうか。主人公が多方面から同じようにネタを振られるだけでは、どうしてもパターンに限界が出来てしまうのである。 まぁ、他にも色々と掘り下げられるポイントはあると思うが、最終的には「まぁ、SYDで事足りるかな……」という結論になりました。一応圧倒的ホモキャラだけはあっちに無い今作オリジナル要素なんだけど、そこをホられても困るしなぁ……。 最後にクラップユアハンズする余裕なかったな、第11話。まぁ、すでに「エビバディ」もいないからしょうがないけどな。 決着。てっきり最終回まで持ち越すと思っていたが、牛さんが想像以上に雑魚根性を出して潔く死んでくれたおかげで、十二で大戦のはずが11話で決着してしまった。まぁ、次回のオチがどうなるか、っていうのまで含めて、最終回までが十二大戦なので油断は禁物ですけどね。さすがに次回何かもう一捻り(もうひと癖?)無いとちょっと腰砕けですからね。なんかあることを期待しましょう。 さておき、決着のつけ方であるが、ウサギさんが想像以上にむちゃくちゃやってくれたので「まぁこんなもんかな」って納得はできるレベルだったんじゃないでしょうか。牛さんが前評判の割にクソザコだったことだけはなんとか飲み込む必要があるのだが、そこさえ気にしなければ「ネズミが勝つ理由」も(能力ずるすぎるけど)納得できるし、ウサギの処理、牛の処理も含めて、「終わった」感は出ている。前回までで気にしていた「猿はどこ行ってしまったんや?」とか「羊の爺さんの最終兵器は絶対どこかで使うやろ」は最低限回収してくれたし、さすがにその辺のストーリーテリングに最低限の責任は持ってくれているので一安心である。大きくまとめると、本作で不満が残るのはやっぱり牛さんの見掛け倒しなところくらいだった気がする。他の試合については、まぁ、西尾維新だし。もともと西尾維新って少年漫画だろうがなんだろうが、バトルやらせると(意図的な部分は多分にあるが)しょっぱい試合しか書かないんだよな。あのめだかボックスだってガチでぶつかっての勝利シーンってめだかVS球磨川の試合くらいだったんじゃなかろうか(少年漫画っぽい試合を書こうとするとくじらちゃんVS志布志みたいになる)。 映像面でもウサギさんの酷さが実にダイレクトに出ていて、猿のあまりにも不憫すぎる末路なんかがなんとも哀れみを誘うものになっている。虎ちゃんがあんな残念な終わり方になったので、結局最後の最後でメイン(不遇)ヒロインの座に返り咲いたのは猿の方でしたね。ちゃんとネズミも猿の功績には触れてくれていたし。あ、あとは頑張ったといえば牛の中の人である。梅原裕一郎は、今回だけギャラを倍もらってもいいような気もする。あのヘンテコな牛さん喋りで延々モノローグってかなり大変だったんじゃなかろうかネ。 あとはいじるとしたらやっぱりネズミの能力なんだけども……結局、こういうバトルもので最強になる能力って時間操作系とか因果をいじる能力になるんだよな。まぁ、純粋な腕っ節は完全に無視するわけで、文字通り次元が違うチート能力になるんだからしょうがない。一応、ネズミの能力の場合は「100」という数値の限界設定があるところがギリギリ譲歩しているところだろうか(結局運営側には勝てなかったわけだし)。「うじゃうじゃ殺すってそういう意味かよ」っていうのが斜め上から明かされるのはなかなか面白い。結局こいつだけ一切バックグラウンドを語られていないのでこの能力をどんな風に使って、何がどうなって今回の結末に至ったのかがさっぱりイメージできないのが難点といえば難点。その辺りの「落とし前」は次回のお当番回でつけてもらえることを期待したい。そういえば各々の戦士が「どこかで見たことが」みたいなことを繰り返していたのって、ネズミが試行した残りの99の可能性も、一応みんなのイメージの中に残っていたっていうことでいいんだろうか。もしそうだとすると因果の回り方がよくわからないんだけどな。 ハタ坊を小金で買収すんのはおかしいだろ。第11話。Mr. フラッグはお金云々よりもチビ太との友情を大事にする男である(六つ子との友情は知らん)。 丸々1話使ってワンエピソードの回。テンポ重視のギャグ作品において長回しのネタってのはよっぽど自信がある時しかできないものであり、実際、今作においても1期2期合わせて1話で1エピソードという構成の話数はほとんど存在していない。そんな珍しい話となった今回、自信に見合った中身だったかというと……うーん。 まぁ、2期に入ってからはやっぱり飽きられているという危機感も含めて、なんとなく「無難な」路線で抑えてきている気がするんだよね。今回のネタも、テンポでひたすら笑わせようとしている回ではなく、どっちかというとスリラーっぽさを全開にして、引っ張る緊張感みたいなものを見せる方向性に本気で挑んでいるのだろうということは理解できる。いつもの松野家のはずなのに、どこか不穏な空気にしてホラー映画ばりの恐怖を演出し、その対象がチビ太であるというしょうもなさが笑いにつながる。そういう部分が丁寧に作られていたのは間違いないだろう。 ただ、やっぱり本作にそういう「真面目な不真面目」を望んでいるかというと、そうじゃないんだよな。スリラー作品がやりたいのは分かったから、せめて倍の速度でサクサク死んでいくくらいのテンポで狂気を見せた方がしっくりくる。もしくはホラーのふりしてその実全力でネタに振っていく(1期のSAWパロディみたいなやつ)っていう方向性もあるだろうけど、今回はネタ自体がそこまで高密度ではないのでちょっと難しい。要素だけを取り出せばいつも通りに見るべき点はあって、最後に十四松が残って自らの犯行を全部認めるシーンとか、その直前のなぜかチョロが十四松にお姫様抱っこで抱えられてるシーンとか、「どないやねん」っていうポイントはきちんとあるのだ。ただ、やっぱりそれが「復讐のチビ太」っていうワンタイトルで引っ張るにはちょっと弱い。何かもう1つ上の狂気が欲しいんだけどなぁ。まぁ、最終的にトチ狂ったチビ太と全く同じ顔になっていた正常なはずの(?)十四松は充分笑えたので、それはそれで良しとしようか。 カラ松の「断れない」ネタが週またぎで引っ張られてたけど、今後はその要素もパーソナリティとして確定させていくんでしょうかね。 |
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HN:
Thraxi
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男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧 |