最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
ラストの「平行線」はズルいよなぁ……最終話。そうなってしまうか。それこそが花火の選択。 まさにエピローグといった趣の1話。短かった青い春が終わり、それぞれがどこかで成長して、変わっていく。若さ故の特権かもしれない。 鐘井は……メガネがコンタクトになった。「メガネが壊れたから」ってのは花火が見抜いた通りに言い訳だろうけど、あの日の温泉宿のことが一つのきっかけってのは本当かもしれない。そして、茜が必死にコンタクトに変えるように主張したこともなんだか容易に想像出来てしまう。おそらく、癪だったんだろうね。自分ばかりが鐘井に変えられてしまうことが。気付けば理想からはほど遠かったはずの鐘井に丸めこまれて変わってしまった茜さん。そんな「被害者」サイドは性に合わぬと、何とかして男の方にも影響を与えようと思った末の苦肉の策がコンタクトだったんじゃなかろうか。少しでも鐘井のイメージを変えて、自分の支配権を主張してみる、そんな精一杯の抵抗。まぁ、そんなことで鐘井はビクともしないんですが……。なんか、2人の関係性が見えてくる微笑ましいお話である。 茜は変わった。変えられた。その顛末は前回であらかた語られてしまっているので今回はその後日譚ということになるが、教室での花火とのやりとりは彼女の変化が見て取れる面白い振る舞い。まず、鐘井の手を取って引き止めるという行動。これまでの茜なら、2つの意味でそんな行動には出なかったはず。1つは、「昔の女」のところに男を向かわせ、男の方から「勝利宣言」してもらう方が彼女にとって優越感が高まるから。そしてもう1つ、「男を他の女のもとに向かわせたくない」なんて感情はこれまでの茜には無かったものだから。彼女はおそらく、鐘井が花火に気遣おうとしたことに軽い嫉妬のような感情を持っていたし、「ライバル」だった花火に対しては、直接自分から言葉を渡したいと思ったのだろう。その結果が「ブーケトス」である。「当事者意識」の無いこれまでの人生を変えてしまった鐘井に対しては愛憎入り交じった感情はあろうが、その鐘井を見続けていた花火に対しては、何らかの畏敬の念や、同じ困難に向き合って戦った戦友みたいな感情もあったのかもしれない。花火の前では仮面を外し、「下の顔」を見せてくれる茜。今後は、案外良い姐さんとして花火の人生をサポートしてくれるのかもしれない。 モカは、なんか別次元で大きく羽ばたいていた。元から脈無しと分かった上で麦に突撃するという爆弾娘だっただけに、最後のデートから吹っ切れて「可愛くなる」という手段だけが残った状態。目的を失った手段は更に先鋭化されたが、その結果として自由を手に入れ、なんだか周りからの評判も上々の様子。文化祭時点では何一つ消化出来ずに燻っていた花火からは、「自分の足で歩く」モカはさぞかし鮮烈に見えたことだろう。 えっちゃんは、最後までえっちゃんだった。髪を切ることは、典型的には女性の失恋を表す。まぁ、彼女もそうした意味を込めてないといえば嘘になるだろうが、過去との訣別は決してネガティブな意味合いだけでなく、新しい人生のスタート地点とも言える。恋愛感情を殺しきり、新しく重ねていく「友達」としての花火との関係。おそらく隣には篤也もいてくれるだろうし、彼女の青春も始まったばかり。もちろん、あわよくば花火の隣のポジションは狙っていくだろうが……やっぱり強いよね、えっちゃん。 麦は……分からない。結局、前回の玉砕以降、麦がどのように日々を過ごしてきたかは描かれずじまいだったし、花火の目を通しても、彼の中にあるものは見えてこなかった。あくまで、花火の鏡写しとして、麦が存在している。 では、その花火はどうだったか。今回は全編が花火視点で描かれ、彼女の変化が少しずつ彫り込まれていく。大きな変化は、他者との関係性を改めたことだろう。今回、花火は色々なキャラのところを回って事後報告をするレポーターのような役割も果たしており、彼女自身がどのように変化したのかは最後の最後まであまり描かれないのだが、一番はっきりと変化があらわれたのは告白されたあのシーンだろう。かつては「興味のない人間から向けられる好意は気持ち悪い」とバッサリ切り捨てていた花火。しかし、今の彼女は他者を考える余裕と、強さを身につけている。想うこと、想われること。そうした感情について大きな経験を積んだ彼女は、相手に対して感謝の意を述べた。 そして、終わった花火と、終わった麦。2人は偶然にも倉庫で再会を果たし、「戦果報告」を行ったようだ。2人の契約はそういう前提の下で成り立っていたのだから、ある意味当たり前の過程であろう。「互いに振られるべく、それまでの期間を恋人でいよう」。紆余曲折はあったものの、2人は結局最初の「契約」を全うしたのである。そして、その後は……。 正直、ここから2人の物語が始まるのだろうと高をくくっていたのだが、この作品は、そんな甘いことは許さなかった。花火は成長した。麦も成長した。どうしようもない「クズ」だった2人は、大きな喪失を経て、一歩大人に近づいた。打算と見栄で形作られた恋愛は、終わりを告げたのだ。「クズ」なればこそ、二人は関係をやり直すという選択肢もあったかもしれない。しかし、新しい一歩を踏み出すに当たって、それは「正しい」選択肢ではないのだ。互いを嫌というほど理解しているからこそ、お互いを見ないことこそが正解なのだと分かっている。どこまでも続く「平行線」。それが2人の関係。 太陽系を抜け出したら、ひょっとしたらこの平行線が交わる機会もあるのかもしれない。でも今は、まだその時ではないのだろう。 嗚呼、平行線。 PR 「昭和元禄落語心中 -助六再び篇-」 7→9 放送後に最終回の感想は書いたけど総評書くの忘れてた。まぁ、毎週取り上げてたんだから今更何を言うものでも無いが。 多分、こんだけずぶずぶにはまったアニメはここ数年でも久しぶりだと思う。一応自分の文章に責任を持つために点数について確認したら、9点つけたのは「ユリ熊嵐」以来なので2年ぶり。過去十数年の歴史を振り返っても、9点以上をつけた作品はこれでようやく7本目である。まぁ、その時代の気分とかによってコロコロ変わってくるので数字自体にあんまり意味はないんだけど、とにかくそれくらいのもんですよ。 改めてドはまりした理由を確認しておくと、大前提として私が元々落語好きだったから、っていうのがあります。小中学生時代に子守歌のように聞き続けていた志ん生、小三治、小さん。そうした江戸落語の文化ってものが、今作では実に見事にアニメ文化に融合して表れている。「落語好きなら本物の落語を観に行けばいい」というのは本当にそうなのだが(是非見に行ってください)、今作は決して「現実の落語の下位互換」に甘んじていない。アニメーションの中での落語は何ができるのか、それを考えた上で、あくまでも「ドラマの一部としての落語」の居場所を見出し、それに見合った演出を100%の純度で見せてくれている。1期シーズンの「鰍沢」「芝浜」も素晴らしかったが、2期の「居残り」「死神」、それに「寿限無」に至るまで、「この人が、いまここでやる落語」はこれしかない、という存在感が実に鮮やかだ。よほどの覚悟が無ければ、ここまでの画面作りは成し得なかっただろう。 そういう観点でみると、やはり畠山守という監督は化け物じみた構成力を持つ人だということが再確認出来るはずだ。いつも取り上げているが、私が現代のアニメ監督で手放しに尊敬しているのは大森貴弘、石原立也、それにこの畠山守。他にもたくさんいるが、実際にコンテを切った時に見せる思慮の深さではこの辺りがトップだろう。2期にはいってからは監督自らコンテを担当する回も増え、作品の隅々まで意識が行き渡るようになった。本当に些細なワンカット、小さな表情の作り方まで、物語のエッセンスを余すことなく注ぎ込んでくれる。本当に贅沢な時間を過ごさせてもらった。 1期における「助六と八雲」の物語も見応えがあったが、2期に入ってからの「与太郎と菊さん」の話は1期の物語を前提に更に広がりを見せ、世代を跨いだ悲喜こもごもの人間ドラマが見事。どのキャラクターも精一杯に生き、皆が心から落語を愛する世界。徹頭徹尾テーマを崩さずにここまで重厚なドラマ作りが実現出来たことは、昨今のアニメ業界の中でも希有な事例なのではなかろうか。もちろん、中の人の話も避けて通れないところだろうが、まぁ、その辺は1期の時も散々やったからいいかな。石田彰とかいうレジェンド。それを受けられる関智一の度量も素晴らしい。 こうして文字にしていると改めて感じてしまうが、終わってしまったんだなぁ。まぁ、続編を期待するような作品でもないので、こうして完璧なアニメシリーズが完成したことを素直に喜ぶべきでしょう。ただひたすらに、お見事でした。 「双星の陰陽師」 5→5 随分長いお付き合いでした。まぁ、夕方番組ってことでそこまで真剣に見てたわけではないのですが、1年間退屈することもなく、無事にゴール出来たと思いますよ。 原作を知らない状態で観てたので全然知らなかったんだけど、これって途中からアニメオリジナルだったのね。確認したら現在コミックが11巻しか出てないっていうし、そりゃぁ1年分もストーリーがあるわけないわな。一応最初に悠斗と対決したところまでが原作通りで、そこからがアニメオリジナルってことでいいのかな? 言われてみれば、日本全国をバスで巡って各地でケガレを封印していくシナリオとか、典型的な「ジャンプ漫画が間を伸ばすために展開するオリジナル」だよな。最近は原作との関係性も厳しくなったのでこういうオリジナルが作られるのはワンピースとかドラゴンボールクラスの作品だけだと思うのだが、昔は原作を追い越さないためにオリジナルに突入するのがジャンプ漫画の宿命だった。そりゃね、私の大好きだったキン肉マンも聖闘士星矢も、全部オリジナルでしたよね。今の御時世、こういう展開になる作品ってすごく珍しいと思うのだが、なんでこの作品が選ばれたのかは謎だ。でも、悪くなかったと思うんだ。悪くないものになるから作られたんですかね。だとしたらディレクションは正しかったってことになるな。 正直、「バスにのっての珍道中」編って中だるみ感はあったからやっぱり「ジャンプ漫画オリジナル」らしさはあったんだけど、そこで登場したキャラもけっこう濃いのが多くて、ケガレサイドに物語が広がるのは楽しかったんだよね。中でも注目すべきは、最後までろくろたちの行動原理に影響を与えた名キャラクター(?)珠洲。あいつだけオリジナルの中でも一際オリジナルで、登場シーンからして世界観がぶっ飛んでいて最高だった。アニメ演出としてもやたら力が入ってたし、最後の最後までしぶとく活躍するその存在感は異質。まぁ、原作ファンからああいうキャラがどう見られていたかは分からないけど、個人的に一番好きなキャラはあの子かもしれん。いや、繭良も良い子だと思いますよ(紅緒よりも繭良派)。最終的には紅緒も可愛くなってしっかりメインヒロインの座をつとめあげたので、文句の言いようもないですがね。 1年という尺は間延びする原因ではあるのだけど、たっぷりと大きな物語を展開することが出来る自由度を提供してくれたとも言える。シンプルな勧善懲悪の物語だけに終わらず、情愛を絡めて様々な側面から正義を問う筋立てもなかなか興味深く、禍野のエフェクトを活用した戦闘シーンもオリジナリティが発揮しやすくて良いデザイン。大きな欠点もなく1年間を走りきってくれただけでも充分な成果だし、ラスト数話のクライマックスは力が入っていて見応えがあった。なんだ、やっぱり面白かったんじゃん。機会があったら原作漫画にも手をつけて違いを比べてみたいですね。 中の人については……もうキャラが多すぎてわかんねぇや。十二天将がごっつかったなぁ。 「ハンドシェイカー」 4→4 んー、結局、何がやりたかったんでしょうね。いや、やりたい方向性くらいは分かるんだけど、これをわざわざ1クールのオリジナルアニメとして展開する価値があったのかといわれると……。 いわゆる「バディもの」の極致を狙ったような作品で、主人公チームは常にお手々を繋いでいる。対戦相手も全部男女ペアで、それぞれに個性的な関係性、個性的な武器を振り回して街中で勝負を挑んでくる。ペアでの戦闘っていう意味では「WIXOSS」に近い部分もあるかもしれない。このデザインにした理由はいくつかあって、男女ペアにすることで必ずそこに美味しい関係性が生み出され、萌えにつながったりエロにつながったりが自然に実現すること。特に主人公チームは若い男女が少しずつ関係性を深め、バディというかカップルとして仲良くなっていく様子を、日常パートと戦闘パートの双方でシームレスに描くことが出来る。タヅナとコヨリの恋愛ものとしては、実は案外悪くなかったとは思うんだ。幼いカップルなので、見ていても微笑ましいばかりだし、コヨリの献身的な愛情表現もきゅんきゅんする。他のペアについても、それぞれの関係性は見ていて退屈しないものだった。 ただ、じゃぁなんでそれが亜空間から物体を生み出して戦う必要があるかというと……よく分かんなかったね。最終話でもその辺は投げっぱなしで終わってしまったし、なんだか「戦わないと話が進まないから」戦うといったシナリオの要請上の理由しか思いつかない。そして、戦った後もWIXOSSや「舞ーHiME」といった作品のように敗者側に大きなペナルティがあるわけではないので、バトルにいまいち切実さが無いんだ。いや、一応「神に触れる権利を失う」ってことで、戦ってる当人達はそれなりに本気だったんだろうけど、結局みんなしてハッピーエンドになってるからねぇ。まぁ、あんまり少年少女に命の取り合いをさせたら駄目ってことなんですかね。 ニムロデの特殊性なんかはキャラによっては面白い部分もあって、個人的にはプレメモのカードをガチで武器(物理)として使うマサリュさんの戦闘スタイルの「どないやねん」感は嫌いじゃないんだが、それ以外の敵は一応武器を変えている割に、戦闘スタイルにその個性が出ていないのでバトルものとしてはいまいち。1話目の時にも懸念していたが、GoHands特有の細かすぎるCGデザインはあまりにもディティールに筆を費やしすぎていて、逆に何が描きたいのかがよく分からなくなっている。「何となくすごく細かいギミックで動いてますよ」ということは分かるのだが、あまりにも細かすぎると、もう歯車だろうが剣だろうが手鞠だろうが、何を使っても戦闘にあんまり差がなくなっちゃうんだ。最終的には破壊力の勝負だから「頭を使って勝つ」みたいな要素もないしなぁ。頑張って画面を作ってくれていたことは分かるのだが、それが面白さにつながらないというのが本当に勿体ない。 まぁ、今になって振り返ると、ひょっとしたら「K」も興味が湧かない人にはこういう風に見えてたのかもなぁ、という気がしますね。「K」の場合、私は事前にラジオで興味を持ったので人間関係を追うところまで視聴モチベーションが引き上げられたが、興味が持てない人にはこれと同じ「なんか分からないドンパチ」だったものね。GoHands作品は、もうちょっと「見るべき点」を絞って提示してくれると助かるの。まぁ、「K」も2作以上続いた作品だし、ひょっとしたら今作も次なる「ハンドシェイカー」のための世界創造だったのかもしれません。日常パートを見ればキャラは割と魅力的なものが多いし、今回タヅナの周りに色んなチームを用意しておいて、次なるもっと大がかりな戦闘のための下準備をする話……だったらいいな。 結論は、とどのつまりは「リリ会長がエロ阿漕可愛すぎてずるい」ってことですね。かやのんボイスは魔性のボイス。巨乳を振り回すポンコツお姉ちゃんにカードゲーム教え込んで2人でいちゃいちゃしたい。そういうアニメです。こういうアニメこそお風呂回とか海回を用意すべきだと思うんですけどね?!(熱意) しっぽりと、第12話。過去に戻って出会いのお話。いわゆる「酒の勢いで出来た子供」みたいなもんですよね(違う)。 今回はトールの自分語りに終始するという、最終回間際でなかなか異色のお話。まぁ、今まで語られなかったのが不思議なくらいだけども。まずはAパート、トールの過去と比較する意味で、現在のトールの日常が描かれた。実は小林の留守中にトールがどんな生活してるのかって、これまでもあんまり描かれてなかったんだよね。まぁ、普通にメイドの日常、っていうか、完全に主婦ですけども。掃除洗濯お手の物。メイド服は鱗みたいなもんなので、白手袋はつけっぱなしで掃除も洗濯も余裕です。お掃除すれば壊したオブジェクトだってあっさり修復。メイドっていうか、なんだろ、これ。そしていよいよご飯を作る。小林のヤツめ、「なんでもいいよ」とかいうご飯を作る人間に一番言っちゃいけないことを言ってたが、まぁ、朝ごはん食ってる時点で晩のリクエストを出すのはなかなか難しいからしょうがないよね。うちのおふくろも、実家に帰ると確実に晩ご飯食い終わって腹一杯のタイミングで「明日の晩は何がいい?」って聞くんですよ。いや、思いつかねぇよ、っていう(ご飯食べさせてくれてありがとうございます)。 トールの思いつきで決まったオムライスは、実は小林にとっても思い出の一品。何とか上を目指すため、トールは東奔西走、これぞまさしく「ご馳走」の意味だって美味しんぼに書いてありました。でもさ、予算を組んで材料費を必死に計算してる割に、とりあえず自分で作って味見する余裕があるのはどうなんだろうな。まぁ、トールの場合はどんな資源でもやろうと思えば捻出できるからいいのか……それなら素直に秋田県に地鶏を取りに行けばよかったと思うの。まぁ、ホームグラウンドの「あっち」の方が食材の知識も豊富だからしょうがないんでしょうねぇ。カンナちゃんも「あっち」の材料を懐かしそうに眺めてましたね。今回はカンナちゃんの出番はあんまり多くなかったけど、帰宅直後に頭ぱたぱたして角出すところが核爆級に可愛かったので良しとしましょう。 こうしてトールはメイドの仕事を全力でこなしているわけですが、さて、何故メイドなんてやることになったのか。小林の電車のウトウトの中でその時の記憶がフラッシュバック。まぁ、「酒乱に絡まれたから」がファイナルアンサーなんですが……酔っぱらい方が完全に中の人と一緒だ……。いつか左遷させたあの憎らしい上司の下でストレスを溜めていた小林は、鬱憤を晴らすために女一人の飲み歩き。「ワカコ酒」なら大人しく見える画面だが、残念ながら酔った小林に遠慮はない。降りるべき駅もすっ飛ばし、何故かやってきたのは人っ子一人いない終点の山中。そして、そこで織り成す運命の出会い。神との喧嘩に負けて「こっち」へ逃げてきたトール。神の武器をその身に受け、死を待つのみの状態だった……らしいのだが、あんまり剣は深く刺さってませんでしたね。まぁ、神の武器なので、ちょっと刺さっただけで抜けなくなって必ず殺すとかいう、そういう魔具だったんでしょう。敵対していても「存在を認めている」という部分においてトールは神に弱い。しかし、そもそも無神論者の小林にとっては、でっかい剣も単なる重り。いや、それでも充分でけぇと思うのだが、勇者はいつの時代にも剣を引っこ抜くものですよ。酔った勢いで作った大恩。気付けばトールも意気投合し、「一人身」どうしで身を寄せ合う約束を交わす(小林の記憶にはない)。この辺のトールの心情は、それ以前の戦いでの疲れとか、他の要素も色々と介入してくるんでしょうかね。今回のお話だけだと流石に即オチ過ぎるとは思うけども……。 ただ、毎度毎度「殲滅した〜〜い」と言っていたトールだが、実のところ、人間に対する憎しみがあるわけでもないし、ひょっとしたら人間を殺めたことすら無い可能性がある。その後語られた「もう一人の人間」の物語。そこでトールは「強迫慣れしてない」ことを矮小な人間にあっさり看破されているし、強大な力を持ったドラゴンならばその場で瞬殺していいようなシチュエーションだったにも関わらず、たった1人の人間を殺さずに放っておいた。おそらく、彼女が人間に対して見せていた態度は、同族たちが見せていた古き良きドラゴン像のまねっこだったんじゃないだろうか。「ドラゴンはそういうものだ」っていう「常識」を何となく受け入れて、彼女なりに演じていた部分もあったのだろう。その1つ目の欺瞞を剥がしたのが、最初に出会った少女だったのだ。別に人間に会ったからといって殺す必要も無いし、ドラゴンにはドラゴンの楽しみがあり、人間には人間の生き方がある。別に理解し合わなくてもいいだろうが、そこにいがみ合う理由も無いのだ。 そして、人間という存在が「殲滅する対象」以外の何かかもしれない、という漠然とした違和感を抱えたところで、小林という「2人目」に遭遇したからこそ、2人は理解し合うことが出来た。まぁ、小林の人柄に依るところも大きかろうが、それでも、トールの人格(竜格?)形成に2人の人間が関わったことは紛れもない事実だろう。2つの昔話が、まさに「イシュカンコミュニケーション」の始まりのお話だった。こうしてトールの変遷を見てからエンディングを聞くと、またひとしおですよね。 ちなみに、今回残りの3竜についてもワンポイントで挟まってました。エルマはまぁ、しょうがないとして、ファフさんはとても良い人。そしてルコアさんは翔太君と仲良し。翔太君、やっぱりあれだけ溺愛されてたら失いたくないよね。おっぱい。 「けものフレンズ」 3→5 現代の奇跡としか言いようがない作品。「フレンズ以前」「フレンズ以後」で時代が分かれると言っても過言ではない、そんな不可解なムーヴメントを巻き起こした怪作である。 先に個人的な評価を定めておくと、私は特にこの作品に特別な面白さは感じていない。つまり、何故ここまでのストリームにつながったのかはさっぱり分からない。そして、分からないからこそ、今作は考慮する価値のある作品であると言える。それは「作品が面白い」ではなく、「作品を取り巻く環境全体が興味深い」ということである。 まず、私の主観的な評価軸における採点は、3点から引き上げての5点ということにした。なんだかんだで最後までガッツリ見られたし、けじめをつけるところはしっかりとまとめているために、当初予定していたようなグダグダ作品にならず、一本のストーリーとして成立させたことは大きな意味を持つ。ただ、多分今の時点で改めて1話目を見ても、初期配点は変わらなかったんじゃないかと思う。1話目時点での感想は新番チェックに残っているわけだが、問題点をまとめると「画面に全く魅力が無い」「CGのレベルも高くない」「キャストが駄目」などが上がっている。そして、基本的にこれらの短所は最初から最後まで変わらないままだ。単に出来合いのモデルとして作ったものをシナリオに沿って動かしているだけのものなので、別にアニメーションにせずとも、人形劇でもいいし、1枚絵を紙芝居のように動かしても大して差はない。今作にアニメーションとしての価値を見いだすことは、未だに出来ない。 その上で評価すべき部分があるとしたら、思った以上にしっかりと世界観を作ろうとしたシナリオラインがあったこと。全体構成はいわゆるロードムービーのデザインだが、その中でジャパリパークというイベントステージを効率的に周り、その中で「個性的なフレンズ」という最大のセールスポイントを魅力的に見せていく筋立ては悪くない。幾ばくかの不穏さも興味を引くのに効果的なスパイスになっており、一種のミステリーとしても見ることが出来る。このアドベンチャーゲームのような構造は当初期待していなかった部分なので、そこが面白かったというのは嬉しい誤算。一応、「この部分が化ける可能性があるか?」という可能性は2話時点でも見込んでいるのだが、ぶっちゃけ、本気で期待はしてなかったんだよね。というわけで、トータルの評価としては、「アニメとしては特に見るべき点は無いが、このキャラ、この設定で興味を引けるシナリオラインを組み立てたギャップが面白かった」というのが私の評価である。コンテワークや作画デザインで見せられる部分が無いので、おそらくこれ以上の加点は無理だろう。 そして話は「私の個人的評価」を離れた部分に移行する。私の感想とは裏腹に、今作は(一部ネット界隈では)恐ろしい人気を博した。一体何がこれほどまでに反響を生み出したのか。結果が出た現段階で、後考えで色々と理由をつけることは可能だろう。「キャラがよかった」とか「癒しがあった」とか、はたまた「現代人はユルいアニメを求めていた」とか。しかし、そうした理由付けはどれもこれも決定的なものにはならない。何故なら、そんな理由ならば「他に人気が出るべきアニメ」もたくさんあったはずなのだ。「けもフレでなければいけない理由」は、正直何一つ見つけることが出来ない。そうした状況を鑑みるに、今作の何がよかったかと問われたなら、「運」がよかったと答えるのが一番正鵠を射ているのではないかと思う。 実も蓋もない言い方だし、そんなことを言っても意味は無いのだが、まさにそれしかないのだ。考えてもみてほしい、現時点でけもフレネタをみて「たーのしー」と言っている人間のうち、どれほどが私のように第1話をリアルタイムで観たか。そして、その1話目を楽しいと思って観た人間がどれほどいたか。2話目を観ようと思った人間がどれだけいたのか。おそらく、同時期に放送していた他のアニメ作品と比べても、その数は少なかったと思われる。しかし、今作はどこかで火がつき、どこかから燃え広がったのだ。それはもう、時流がよかった、運が良かったというしかないだろう。 個人的に「けもフレオリジナル」でよかった点を1つ見出すとするなら、それは「動物」というモチーフが良かったんじゃないかという気がする。熾火の時点から燃え広がらなければ意味は無いが、ある程度表に出てきて、拡散される準備が出来た後になれば、「会いに行けるアニメキャラ」というのは存外に影響力が大きい。これがお城や戦艦、刀剣の擬人化ではムーヴメントを広げにくいが、動物園ならば日本全国様々なところで楽しむことが出来る。そして何より、人間は根源的に愛玩動物が好きなのだ。撫でたいし、モフりたいのだ。そうして人類不偏の根源的『萌え』につながるファクターを有していたことは、「燃え広がる」ための大きな一因だったのではないかとは思う。ただ、繰り返しになるが、最初に火がついた理由は本当に分からない。それが「運」だ。一度ムーブメントが出来ると、ユルいキャラクターデザインもかえって武器になる。二次創作に抵抗がなくなるし、受け手側で勝手にコンテンツを広げることが容易になるためだ。ネット拡散型の文化は、原典となる部分がガッチリ固まっているよりも、「あそび」が多い方が広がりやすい。元が弱く、かつ普遍的なモチーフであったことで、アニメには無かった部分もファンの間で勝手に補完し、創造出来た。後は子が産まれ、孫が産まれるまでに時間がかからない。そうして、けもフレは時流になったのである。 こうして一つの流れが生み出される様子を観ていると、現代におけるアニメの需要・消費の傾向というのも考えさせられる。すでに数年前から言われていることだが、人気が出るアニメの条件というのも難しいものだ。どれだけ金をかけて映像に労を費やしても、受け入れられないことがある。どれだけ練られたシナリオラインを用意しても、「分からない」と切って捨てられることがある。どれだけ過激な内容で人目を引こうにも、大体のことはやり尽くされて二番煎じと言われることがある。コンテンツを貪り続けたアニメ業界は、今や閉塞感ばかりが際だつ苦しい世界に成り果てた。そんな中、ポロッとこぼれたけもフレに、視聴者は何故か食いついた。映像は二の次、周りの人間と盛り上がるためのコミュニケーションツールとして、ジャパリパークは既存のアニメ世界とは一線を画す方法で楽しさを提供した。画じゃないのだ。中身じゃないのだ。果たして、この結果をアニメ業界の人間はどのように分析するのだろうか。 正直、2匹目のどじょうならぬ「2人目のフレンズ」を意図的に生み出すのは難しいだろう。何しろ、理由が分からないのだから。ただ、ここから新しいアニメ、ひいては新しい何らかのコンテンツを消費するスタイルの提供方法は試行錯誤を繰り返すことになるだろう。けもフレのような作品が人気を博すことに不満は無いが、その結果としてこれまで多くの先人達が生み出し続けてきたものがないがしろにされないことを祈るばかりである。 「ガヴリールドロップアウト」 6→6 楽しかったですよ。まぁ、いつも通りの太田雅彦作品といえばそれまでなのだけれども。 監督が担当した前作「うまるちゃん」とメインヒロインの属性に被ることが多く、どうしてもそこで比べてしまう部分があるのだが、「うまる」と比べるとメインのネタ回しはやや弱め。まぁ、堕天使とお利口悪魔なんて設定はベタ中のベタであるし、なかなか新奇なネタ回しが出てくるとも思わないのだが、息つく間もなくネタを吐き出して勢いで攻めるような作劇にはなっておらず、エピソードによってはいくらかクドい部分があったり、間延びしてしまったり、「うまる」の時には気にならなかった部分がちょっとあったので、全体的な評価は「そこそこ」といったところだろう。この辺の雰囲気についての評価軸ってのはなかなか言葉にしにくし、人によっても感じ方が大きく違う部分なので処理が難しいのだけども。 一応良し悪しを左右する要因を探ってみると、実は今作、4人のメインヒロインがいる中で、積極的にネタ回しに加担するのはサターニャとラフィの2人だけである。ヴィーネは純正のツッコミ役なので、彼女自体がネタになる機会というのはほとんど無いし、ネタにされる場合には親切心が不幸でかえされるパターンになってしまうので、あんまり笑いにはつながらない。また、主人公のガヴはネタの中心にいるように見えて、実はあまり大きく周りを振り回すことがない。単なる出不精の引きこもりなので、どちらかというと周りの人間が彼女を巡ってドタバタする方がメインで、その中心でダラダラとネトゲをしているだけの存在がガヴだ。そう考えると、はっきり「ドタバタ」を作ってくれるキャラは上述の2人だけということになる。だからこそ、際だったキャラとしてのサターニャが面白いし、徹頭徹尾キャラを崩さずに引っかき回すことだけを考えるラフィは笑いにつながる。あとはまぁ、そこに委員長やタプリスなんかを加えて調整していくデザインね。 大きく話を動かせる人材が見た目ほど多くないので、全体的にネタの密度は緩くなる。そのあたりがメインヒロイン自ら積極的に面倒をばら撒き続けるうまるとは差が出た部分だろう。やっぱり太田作品は丸っこいキャラがドタバタする賑やかさと、一転してそうしたキャラが友情物語を展開する「イイハナシ」パートのバランスが命なのである。ガヴは純正のクズだったから最後まで「イイハナシ」要素は薄くて黒いネタにもってってましたけどね。 ただ、こうして一応の要素は拾ってみたが、別につまらないと言ってるわけではないんだ。やっぱり可愛いものは可愛いし、ひどいものはひどいで笑いは起こる。まだまだナンボでも見ていたいと思わせる作品なのは間違いないですよ。何と言ってもオープンエンドが良いですね。全力でドタバタしてくれる画面の楽しさは、純正ギャグ作品ならではの楽しみの部分です。 中の人の頑張りも今作では注目したいところ。個人的MVPは何と言ってもサターニャ役の大空直美だが、ガブリール役、若手の富田美憂の仕事ぶりもなかなかのもの。オープニングの歌い出し、いいよね。脇を固める大西・花澤の仕事ももちろん、タプリス役のいのすけも実においしい。やっぱりこうしてみるとみんなしてキャラたってんなー。 「エルドライブ【élDLIVE】」 5→5 お手本のようなジャンプ漫画でした。終わり。 いや、だってマジでそれくらいしか感想が……さえない少年が特別な力を手に入れ、仲間や憧れのあの子のために努力して敵を倒していくという王道成長ストーリー。それこそジャンプ本誌で連載を続けていてもおかしくない構造の作品。それがそこそこのシナリオ、そこそこの映像でアニメ化され、そこそこのところで幕を引く。深夜アニメじゃなくて夕方に放送されててもいいんじゃないかね。 一応、特色としてとりあげる部分があるとしたらかつての山岳遭難事件のくだりから旧友が敵サイドに回っている部分なんかはややエグい内容ではあるが、結局それだってハッピー(?)エンドで終わったし、ラストのスパイのエピソードだって、結局は無難にジャンプ漫画の王道から逸れない程度の策謀で落とし込んでいる。どこまでも、「男の子にドキドキしてもらおう」という古式ゆかしいデザインに則った作品。もちろん、そうしたベタさは決して悪いものではなく、しっかりとキャラを掘り下げながら、宇宙人絡みのわちゃわちゃした雑多さを混ぜ込んで賑やかにやってもらえれば充分オリジナルな魅力と言えるものになっていると思う。 まぁ、続きが気になるかと言われれば微妙なラインではあるのだが、2期があるなら問題無く見られるくらいの興味関心は維持出来た作品だったと思いますよ。なんといってもホラ、其方が可愛いから。罵詈雑言系の早見沙織の良さがあるから。「風夏」でたまった鬱憤はこちらで解消して、みさおボイスで罵られるご褒美を存分に享受する。そういう割り切り方って、大事だと思うの。 「TRICKSTER -江戸川乱歩「少年探偵団」より-」 4→3 ねぇ、中村さんは? 中村さんは結局どうなったの? 愛しの二十面相を明智君に取られちゃったっていうだけで終わりなの? どうなの? もう、ラストは中村さん頼みで見てたようなもんなのに、まさかの最終回未登場なの?! ねぇ! ホントに訳の分からないアニメだった。今期は「Rewrite」とか「霊剣山」とか、「ひょっとしたら真面目に見てなかった俺にも責任があるかも……」という雑な処理のアニメは割とあるのだが、今作は2クールという長丁場の作品。必死についていこうと毎度毎度ぼんやりしながら観ていたわけだが……ねぇ、訳分かんなかったのは俺の責任? ねぇ! 最初は「なんでこれ、乱歩の名前を冠してるんだろう……」っていう些細な疑問から始まった作品だったのだが、速やかにそんなことはどうでもよくなった。ゴールが全く見えない作品になってしまったためだ。序盤は小林の心を開くまでの物語になるんだろうな、っていうのはぼんやり見えていたが、途中で花咲が暴走、「誰もお前のこと興味ねぇんだが」という思いとは裏腹に、花咲家の非劇を掘り下げ、駄目なボンボンがやっぱり駄目だったことが分かる展開。いざとなったら小林は絶対死なないからそれを利用すれば大体のことは解決出来るぜ! そしていよいよ後半は二十面相の正体に迫り、明智との関係性を掘り下げていくことになるのだが、何せ二十面相はGACKTボイスだ。パッと見で何考えてるか分からない奴だし、じっくり見てもやっぱり何がしたいか分からない。そして当然、その片割れともいえる明智君も何がしたいかよく分からない。みんなで必死に明智を守ろうとしているんだが、その明智は何よりも二十面相を守りたい。二十面相は二十面相で、明智君を困らせたいんだけど最終的には仲良くしたくって、最後は幸せなキスをして終わり、みたいなエンディングだ。その過程には色んな死体が転がってるし、いいように扱われてその後(番組的に存在を)消されてしまった可哀相な中村刑事がいる。まぁ、相手がGACKTならしょうがないな! いやいやいやいや。意味分からん。結局今作は一番描きたかったのは何だったの? 小林なの? 明智なの? 二十面相なの? タイトルは「少年探偵団」になってるけど、原典と小林のスタンスが全然違う上に花咲というよくわからん存在がいるので、小林達の存在は二十面相と全く結びついてない。てんでバラバラに「よく分からない人間関係」が2つも3つも飛び交い、最終的には「今後もお互いに刺激を与えていこうぜ」って、ユニフォームでも交換しそうな勢いだ。人が死んでんねんで。流石にクライマックスで二十面相を倒すべき時にBGMで二十面相(の中の人)の曲が流れたときは笑ってしまったわ。 映像面でも取り立てて見映えがする部分も無かった気がするし、本作を見るモチベーションは「オープニングが格好良い」「色々とGACKT」っていう2点だけだった気がするんですが、他に何かあったんでしょうか。GACKTのプロデュースをする番組だったとしたら……まぁ、いい感じの訳のわからなさはある意味正しいかもしれない……。 良い子のみんな! 少年探偵団シリーズは子供のミステリ教育には良い作品なので、だまされないでしっかりご本を読もうな! |
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Thraxi
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧 |