最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「青の祓魔師 京都不浄王篇」 5→4 今作を見て一番のポイントは、山路さんが若返ると諏訪部ボイスになるってことですね。絶対そんなわけないやんけ! まぁ、基本的に覚えてない作品だったので覚えてないなりに、だが、相変わらず映像面は非常に鮮烈なので退屈するようなものでもない。出来れば覚えておくべきだったのは燐とそのまわりのお友達との関係性くらいだが、そのあたりも今作だけを追いかけていれば充分掴み直せる程度のもの。あとは「わぁ、先生の乳がぶるんぶるんだぁ」とか思って見てればいいわけで。序盤は「裏切り者は誰だ? 何故なんだ?」みたいな興味で引っ張り、中盤以降は毎度お馴染み「燐はサタンの子供だぞ」案件で引っ張り、最終的にはタイトルになっている「不浄王」をドンガラガッシャンするアクションで見せる。少年漫画的なシナリオオンリーなので次週の展開を固唾を飲んで見守る、なんてことは絶対にないんだが、まぁ、そこは求められるものの差であるし、この作品の不備ではない。 でも、やっぱりわざわざ帰ってきたんだからもう少し目先の変わったことをして欲しかったな、という気はする。うろ覚えだけど、当然燐の出生についてのあれやこれやは1期目で散々やったんだよね。勝呂の野郎があんだけ荒れてたんだし。もちろん、燐と雪男の兄弟間の問題だって、1期でやってたはずだ。燐が主人公としての独自性を獲得するためにはどうしたってその辺を掘り下げなきゃいけないのは分かるんだが、仲間内でのゴタゴタがなんだか間延びしてしまっているような気がしてやや退屈な結果になってしまった気がする。序盤の展開にように「誰が裏切り者なんだ?」っていう興味で引っ張るなら「せやけどアイツはサタンの息子やんけ!」ってんで燐が更なる苦境に立たされるので意味があると思うんだが、さっさとその辺の謎や課題はクリアして、後は単純に「まぁ、出生のおかげで燐は強いからええやん」という無双展開になってしまう。「結局血筋」という、少年漫画にはおきまりのお話でしたとさ。せっかくこんだけ久しぶりに帰ってきて、原作ファンの人は楽しめたんでしょうかね。 それにしてもシュラ先生のエロさは天下一ですね。
PR 3月25日 ドラフト模様(MM3×3) ピック順 【Thraxi】→【Sangriter】→【Chrolony】→【Serra】→【Alessi】→
まさかのモダマス2回戦。マスターズ環境で遊び倒せるというのは割と幸せなことですね。ただ、ドタキャンが入ったせいで残念ながら5人戦。普段ならブーブー文句を言いながらの5人戦だが、今回はそこまで文句が出なかったのは慣れない環境でそんな余裕も無かったせいか。高い金払ってやってんだから当たり前といえば当たり前なのだが、年寄り連中は懐かしさから割と楽しげ、若い子は若い子で、知らないカード、名前くらいは聞いたことがあるカードを実際に触り、新たな戦略を探すことで割と楽しげ。パックを開けても地味でガッカリすることが多いためにお祭り感覚はそんなに強いわけではないのだが、リミテッド環境としてはなかなか良い環境のようですよ。
……というわけで、次週もモダマス!!!! なんと3週連続!!! おめぇら金もってるな!!!(他人事) 流石に次週で最後でしょうね。これ、確実に霊気紛争のパックが余るパターンですね。もう、いいや。
「南鎌倉高校女子自転車部」 5→5 頑張れ自転車業界アニメ。わざわざ実写で自転車応援番組までセット販売したアニメだったが、このアニメを通じて自転車愛好者が増えたっていう事実があったりするんでしょうかね。今時アニメ観る連中なんて、もし趣味を始めようと思ったらネットで一瞬にして知識の上澄みくらい掬い取りそうな気がするので存在意義があったのかどうかは定かでないが。 スタート時には「女の子が自転車に乗り始めるアニメ」っていうだけで謂われのない恐怖感を与えてくれた作品だが、終わってみればなにがしらいだぁすに比べればだいぶ安心感のある作品でした。まぁ、ユルいことはユルいのだけど、ちゃんと自転車に乗るモチベーションを最低限維持しつつ、「自転車青春ストーリー」として成立していたと思う。単に長距離を走るというだけではなかなか(観る方も)モチベーションが上がらないという某作の抱えていた欠点はレースやオリエンテーリングといった別な方向に目線を向けることで上手く対処していたし、何より単発勝負の「競争」が入ることによって、ストーリーラインにメリハリがつくのである。まぁ、ぶっちゃけ大した「競争」では無いのだが、それでも女子高生からしたら大ごとかもしれないしね。 そして、今作がもっとも上手く機能していたと思われるのは、背景美術を含めた「屋外」の作り方。やっぱりさ、素人が自転車に興味を持って乗り始める理由ってのは、とにかく「走りたい」が最初にあるんだよ。で、なんで走りたいかっていえば、そりゃぁ走る世界が楽しいから。綺麗だから。今作はタイトルに「鎌倉」という文字列が入っており、鎌倉・湘南の風光明媚な景観にかなり力を入れて描写している。この「ご当地アニメ」としての見せ方は実は存外に意義深いもので、「これだけお外が綺麗だったら、そりゃ自転車に乗って走り回りたくなるよね」ということが納得のいくレベルで見えてくるし、視聴者自身も、彼女達が走り回る様々な景色を観ながら一緒に観光を楽しむことが出来る。単に自転車にのってダラダラとサイクルロードを走っているだけでは、そりゃ面白味なんてなくなってしまうわけで、単にご当地要素を盛り込むというのではなく、それが最大の「目的」になっているところは、これまでの鎌倉アニメとも違った独自の魅力であった。 こうして「自転車に乗る理由」がちゃんと与えられれば、あとはまぁ、適宜女の子のきゃっきゃうふふがついてくればアニメとしてはそれなりに満足行くわけで。時にスポ根、時に日常系、ふわふわと「鎌倉アニメ」の中で自転車との共存姿勢が見えれば良かったのである。きっちり自転車走行時の作画なんかも気を遣ってくれていたし、とりあえず「目で観て楽しんでもらおう」という作品作りの姿勢は評価出来る部分ではなかろうか。まぁ、やっぱりどうしても別作品と比べてしまっている気はするが……こればかりは時期がナニなのでしょうがないよな。 中の人については、当初不安だったA応P組はそれなりに。個人的には藤原夏海の沖縄弁が、多分ネイティブが聞いたらなんか違和感あるんだろうけど妙にクセになる部分でした。あとはシンディ役の竹内恵美子の英語とかね。割と新しい名前に気を向けられるキャスティングだったな。 幾度目かとも分からぬお別れたほいや。ホントだから! 今度こそ本当にLong Goodbyeだから! というわけで、満を持して揃いも揃ったり。たっほトーナメント開催も検討されたが、やっぱりそんなこたぁ出来ねぇ。全員でぶつかってこそのたほいやだ。というわけで、地獄の8人戦が幕を開けたのです。えぇ、控えめに行っても地獄ですね。ホントに。満身創痍になるんだってば。
松田ァ! 生きとったんかワレ! 最終話!! 激動を生き抜いた最後の証人だ。昭和は終わり平成へ、多くの死が、多くの生を繋ぐ、心中の物語。こんなにも晴れやかな幕引きなのに、何故だろう、涙が止まりません。 菊さんの死後、時間は飛ぶように過ぎ去ってあっという間の十七年。菊さんが悩みに悩み抜いて作りあげた落語の次の時代はどうなっていたかを見せる壮大なエピローグだ。まず、当然信乃助は噺家に。飛ぶ鳥を落とす勢いの気鋭の天才「2代目」として名を馳せ、立派に新しい時代の大看板を背負っている。菊さんがその存在だけを知って逝ってしまったあの時のお腹の子、妹の小雪も立派に大きくなり、こちらは落語大好きな女子高生に。流石に噺家になりたいとは思ってないようだが、その理由は「聞いてた方が面白いから」。いかにも現代っ子なサバサバした考え方。八雲の落語は難しくてよく分かんないからおとっつぁんが一番好き。樋口先生の言からすると、彼女は八雲の影響力の薄れた現代落語の象徴的な姿か。そして小夏は長年の夢をついに実現させ、この度「小助六」として正式に噺家としての仕事を始める。あの時代では考えられず、小夏自身もあり得ないと思っていた女流落語家という道。ついにその先鞭をつけることに成功したのだ。 新しい寄席も無事に完成し、めでたい話をたくさん詰め込んで新たな時代の幕開け。その立役者になったのはもちろん与太郎だった。この度九代目八雲を襲名する運びとなった与太。八雲の看板を背負わされたら少しは変わるかってぇと、もちろんそんなことは無い。どれだけ歳を取っても、どれだけ大きなものを背負っても、どこまでも「ただの落語好き」の与太だ。背中の彫り物もいっぱしに、贔屓にしてくれる旦那衆、ファンのためにサービス満点のお計らい。この男が現代落語を背負っているという事実が、この世界の落語の在り方全てを表しているだろう。八雲と助六に憧れたただのチンピラは、菊さんの手に依ってあらゆる芸をたたき込まれ、進んだ道こそ「助六の落語」だったはずだが、グルリ回ってゴールは八雲。「助六が八雲を襲名する」という先代2人の悲願を見事成し遂げ、与太郎はこの世界を統べる存在となったのである。 そして、最後の最後にぶち上げたのは樋口先生。相変わらずのKYっぷりを存分に発揮し、こんなハレの日に小夏に爆弾を叩きつける。「果たして信乃助は誰の子だったのか?」。あの日、与太郎は無い智恵を絞って考えた末に親分さんとの関係性に辿り付き、小夏の過去を振り払い、過去を顧みぬと誓うことで小夏を呪縛から解き放った。しかし、小夏の口から何かが語られたわけではなく、真実は闇の中。そこに疑念を抱いた樋口先生は、持ち前の大胆さで最後のブラックボックスに手をかけた。小夏と菊さんの間に、どんな関係があったのかと。老成した小夏は、もちろんこんなところでポロリと何かを漏らすような女じゃない。答えは謎のままだ。正直、菊さんとそんなことがあったかどうかなんて考えもしなかったが……しかしまぁ、当時の小夏は母親の面影を(本人も)いやというほどに抱えていたわけで、そこに菊さんが打ちのめされてしまうことは充分に考えられることなのかもしれない。だからこその、あの「親子」関係だったとも考えられる。我々視聴者目線でもその答えは邪推するしかないが……。ただ、大きく成長した信乃助の面影を見るに、答えは出ているような気もしますね。助六の落語ではなく、畏敬する八雲・菊比古の芸を引き継いだ信乃助。彼の立ち居振る舞いが「祖父」に似るのは憧れの表れでもあろうが、そこに抗えない血の関わりがあるとしても……不思議ではないかな? 助六と八雲の落語を技で繋いだ与太郎、そして、その2人を血で結んだ信乃助。その2人が、新たな師弟関係の中で次の時代を作っていく。なんともまぁ、よく出来たお話で。 2期エンディングのタイトルは「ひこばゆる」であり、映像からもぐんぐん伸びていく雨後の竹の子のイメージの曲だったことがよく分かる。そんな「伸びゆく輝かしい未来」を表す「雨竹亭」という新たな寄席でもって、最後の演目が演じられる。信乃助による「初天神」は、彼の持つ「血」の繋がりを示す親子というテーマ性がはっきり出た一席。黄泉への道行きでも菊さん信さんがナチュラルに演じていた演目だ。そして、大看板・八雲となった与太郎が何を見せてくれるものか。「助六」としての高座なら「芝浜」だろうが、菊さんとの関係性を考えるなら「居残り佐平次」もあり得た。しかし、ここで彼がかけた噺はなんと「死神」であった。これこそが、八雲の育んだ全てを受け継いだという証である。普段なら客席とのインタラクションがメインで描かれる与太の一席だが、新たな名前を受け、そこにははっきりと燃えつきた蝋燭のビジョンが映る。「噺の中の世界」の描写は間違いなく「八雲」の領分だ。そして、てっぺんに上りつめた与太が次に足をかけるべき階段は、師匠・菊さんの待つ場所へ。まさか、最後の最後の出番が「死神」とは思いませんでしたね、菊さん。まぁ、単ににっこり笑って愛弟子を褒めるだけじゃないところが菊さんらしいヒネたところでね。「お前にも見えるようになったか」ってのは、与太が師匠と同じステージに登ったことの表れでもあろうし、お役目をまっとうし、次の世代へと引き継いでいく未来の希望の表れともいえる。菊さんは、信さんやみよ吉に連れられ、「死神」の演目からうっかりあっちに行きそうになったこともあったが、その点、与太は大丈夫。何しろ辛気くさいこの話のオチも、一言加えて自分の側に引っ張り込んでしまったのだから。「なんだ夢か」の一言は、助六の落語だった「芝浜」と鏡写しの存在。新たな「死神」は、新たな時代の九代目八雲の世界。これからもしばらくは、与太さんのお話を楽しむことが出来る時代は続きそうだ。 時代の終わり、時代の始まり、それらがつながって、一つの流れが続いていく。昭和元禄落語心中、これにて閉幕。 お後がよろしいようで。 実に一ヶ月以上の間が空いてしまったたほいや。昨年秋〜今年始めまでの狂ったようなペースを考えるとこの一ヶ月半というスパンは信じられないブランクなのだが、まぁ、みんな色々と忙しい時期だったからしょうがない。我々にも生活がありますのでね(去年の春だってそんなにたくさんはやってない)。この春から、ドラフト人口同様にたほいや人口も数を減らし、今後はどのように成立させるかが難しくなってくる。果たしてどうなるのか、この度は別れのたほいやになるや否や。
「政宗くんのリベンジ」 5→4 番組後の格付けチェックは嫌いじゃなかったよ。へごのへごへごしい笑顔を見てるだけでなんか癒されるよな。 まぁ、普通のラブコメである。映像面は無難だったし筋立てもまぁ無難。取り立てて悪いところも良いところも見つからず、「ラノベってこういうものだよね」とするりと喉を通り抜けて後味を残さないまま来クールには忘れられていくという、そういう類の作品だ(本作はラノベじゃないらしいんだが)。よかった点をあげていくなら、まぁ師匠は可愛かった。おれ、最初のころずっと頭についてるやつが眉毛だと思ってたんだよね。よく見たら髪の下にちゃんと黒いのあったわ。なんであんなところにチョンチョンつけてるんでしょうね。あと、委員長の軽いノリもまぁ嫌いじゃない。いかにも「脇役」然としたキャラクターなので気楽に見られるってのはあるんだが、主人公に対する手軽な好意とか、なんかストーリーに積極的に絡んでこないポジションで安心できる。 とまぁ、こうしてみると、なんか不満が残った気がしたのはメインヒロイン勢が気に入らんかったってことだろうな。安達垣はなぁ、最初から最後まで何が魅力になってるヒロインだったのか分からなかったんだよなぁ。残虐姫が残虐であることに別に文句は無いんだ。暴力を振るうヒロインだって魅力的に映ることがあるのだから、安達垣程度ならそこまで問題無いツンデレだと思う。ただ、そのツンの奥にどんな魅力があるのかがどうにも伝わって来ず、政宗も幼少期のどうでもいい記憶なんかさっさと忘れてそれこそ委員長とか寧子あたりとくっつけばいいのに、という気持ちがずっと拭えなかった。まぁ、その寧子の方もヒロインとしてあんまり惹かれなかったんだけども。 多分主人公のモチベーションが「リベンジ」という今作最大の眼目が上手いこと働いてないのがヒロイン勢を持ち上げられなかった原因で、政宗が「憎しみ」→「愛情」と感情を転じさせるためには相当な負荷が必要。その上で、目的を達成して純粋な愛着になってしまえば、そこに今作最大のポイントが喪失するわけで、どうにも機能不全の感は否めない。プレイボーイを装っているけど実は恋愛下手でろくにコミュニケーションが取れないという特性も、なんだか紋切り型で見どころにならず、視聴者はどんどん政宗に共感を感じにくくなってしまう。まぁ、他のラノベ主人公が共感出来るかって言われたらそんなこともないんだろうけども。 あんまり頑張って観るタイプの作品ではないと思うので、「師匠可愛いじゃない」を理由にして引っ張れればそれはそれで良かったのかもしれない。あと、なんか食ってる時のころあずが可愛い。 茜ノ始末、第11話。こんだけやりたい放題やっておいて、颯爽と去っていく茜先生、あんたやっぱりいい女だったよ。 前回が「ずっとラスボスだと思ってたけど、神にはチェーンソーが効いたんだ!」というお話だったが、今回はその神が「なんでチェーンソーなんて食らったんだろう?」って必死に考えて、やっぱりチェーンソーを攻略出来ないっていうお話。しょうがない、持って生まれた個性だもん。いくら内省したところで勝てないものは世界にいくらでもあるのだ。しかし、こうも覿面に茜に効くとはやっぱり意外だった。というか、この世界には様々な「クズ」がおり、そのボス格が茜だったはずなのだが、それすらもひょいと飛び越えて、もはやサイコパスなんじゃないかというくらいに尋常ならざる感性を持っているのが鐘井だったのだ。おかしいやろあの男。 この世界、例えば花火にしろ麦にしろえっちゃんにしろ、下手したら茜にせよ、何となく「あぁ、こういう感情ってあるなぁ」という共感を呼び起こす部分があり、最悪でも「こういうヤツいるよな」っていう理解は可能なのだが、鐘井だけは、そういう範疇を飛び越えている。だって、理解出来ないもん。今回下手したら作中で初かもしれないが、温泉のシーンで鐘井のモノローグが入った。彼は、こんな「不倫旅行」にきているというのに、本当に心の底から星を見ることしか考えていないような人間である。脳内お花畑とかいうレベルじゃない。脳内プラネタリウムだ。そりゃぁ、「クズの頂点」たる茜さんにとってはむしろ天敵と言える存在。茜の行動原理を確立させるためには、相手に自分の手が届く認識を必要とする。男性ならば「馬鹿で性欲中心、そのくせ茜が他の男とくっつくと嫉妬心をむき出しにする」という存在、女ならば「茜に男を取られて憎しみと羨望を向けてくる」という存在。そうして他者の存在を一意に定めることによって、「相手の目から見える自分」を認定して、茜は相対的に自分の位置取りを決める事が出来る。麦が言っていた「役割」の話がこれにあたり、他人にどう見られるかがもっとも重要な要素で、写し鏡のようにして、他者に反応をフィードバックすることで、茜は生きてきた。それを見ているのが客観視点の茜であり、「当事者意識」を持たずに常に「自己と他者」の距離を測りながら、そこに自分を配役していたのである。 しかし、チェーンソーにそれは無意味だ。何しろ、考えていることなどさっぱり分からないのだから。「男漁り大好きビッチやで」と自己紹介をしたところで、「まぁ、僕は好きだからそれでいいです」と言ってのける。「茜さんが元気でいればどれだけ股を開いてもけっこう」という。NTR属性とかいう生やさしいものじゃない。「自分から見える茜」が、自分の理想通りに綺麗であればそれでいいのだ。ある意味、究極の利己主義者なのである。だってさ、鐘井が茜に一目惚れしたのって「長い髪が綺麗だった」からでしょ。ルックスに一目惚れして、しばらく付き合ってこんだけすったもんだがあったにも関わらず、「目の前に茜がいる」というそれだけで満足し、あまつさえ結婚を申し込むところまでいったのだ。つまり、鐘井の中で、未だに茜は「すごく綺麗な何か」であり、見ているだけで満足出来るもの。ブリッ子をやめて蓮っ葉になろうが「見えている図」さえ変わらなければ構わないと言ってるわけで、究極の面食い、究極の上っ面。人間性の全否定だし、実際には全肯定。もう、そこに他者による共感はあり得ない。 神をも上回ってしまったモンスターを前に、茜は何とか「客観視」で打開策を見出そうと奮戦するが、メガネを破壊して唯一の付け入る隙だった「遠慮」とか「照れ」みたいなものすら乗り越えてしまったモンスターには歯が立たない。ペースを崩され、あれよあれよと攻め入られ、気付けばあっという間にゴールラインを割っていた。迷いがないから攻めも苛烈だった。茜はこれまで出会ったことがない対象に何とか自分を映し出そうと努力した結果、最終的には今まで見たこともない自分がそこには映し出される。そして、それこそが「変わった茜」であり、麦を絶望させた存在。仕方ないんだ。これまで長年1つの生き方しかしてこなかった人間は、まさか別な生き方があるなんて考えもしない。茜だって、自分は死ぬまで男漁りを続けて、他者の感情を食らいながらクソビッチ族で生きていくつもりだったのだ。それを脇から支えるだけの男がいるなんて、思いもしない。そして、そんな存在が現れた時に、それが不快感や違和感につながらず、よもやの安堵感につながるなどと。まぁ、浮気はしますよ、多分。それも含めての結婚生活だろうし。突然目が覚めて、鐘井を放り投げて野に下る可能性だってあるかもしれません。でも、それは少なくとも、鐘井というチェーンソーの攻略法が見つかってからだ。そうでもしないと、茜の溜飲は下がらない。自分をこれだけ苦しめた憎き朴念仁に、茜はこれから一生かかって仕返しをしていくのだろう。なんだこのハッピーエンド。 そして、当然そんな展開は寝耳に水なのがアンハッピーエンドを迎えた麦である。麦くんも頑張った。精一杯、出来る範囲で茜を捉えようと努力した。そして、その幾らかは茜にダメージもあたえたし、案外攻略の糸口くらいは掴めていたのかもしれない。だが、それが成就しなかった要因が2つ。1つは、やはり茜の方が上手だったこと。結局麦は、ギリギリまで茜と同じステージで戦い続けようとしていたわけで、そうなればどうしたって実力差が出る。「似たもの同士」のクズ道において、茜を凌駕するのは男子高校生には荷が重い。彼女を打破するためには、鐘井クラスの埒外の爆弾が必要だったのだから。そしてもう1つの要因は、そうして打破したとしても、茜は「変わってしまう」ということだ。鐘井の手によって変質した新たなステージの茜は、もう麦が見ていた女性とは違う存在。客観から抜け出し、主観を手に入れた新たな人生。そうなってしまうと、「クズ女センサー」を持つ麦のゾーンからは外れてしまう。どれだけ愛そうとも応えてくれない無敵のクソビッチ族だったからこそ、茜を追いかける意味があった。何かを堕とされた「別な茜」を見ても、麦には絶望感しか湧いてこない。あの日の女性はもういない。どうあがいても、麦の「初恋」は叶わなかったのである。 こうして幕を閉じた茜ステージ。残されたのは、コンティニュー待ちの2人だけだ。まぁ、最後は、ね。 エンドレス日常、第11話。これが「日常系アニメ」の真髄だ。今回はまじで特別なことが一切無い、ドラゴン要素ゼロの奇跡的なお話(雑煮の中の尻尾を除く)。 一応「イシュカンコミュニケーション」がテーマの本作、日常ものとは言っても毎回必ず「ならでは」の要素はあったのだが、今回はついにそれが無くなり、言わば「普通のご家庭の年末年始」オンリーという状態。普通ならそんなもんは物足りないと思われそうなところだが、ここまでの10話でずぶずぶとこの世界の日常に埋没してしまっている身としては、もうこれでいいし、これがいいという調教されて切った状態になっている。俺だって正月くらいはリビングにこたつ置いて可愛いメイドや可愛い幼女と一緒にゴロゴロしたいよ。まぁ、別に正月じゃなくてもゴロゴロしてるけど……。ちげぇ、大事なのはゴロゴロじゃなくてオプションの方だよ。非実在性メイドと非実在性幼女がほしいんだよ。クソッ、どこが日常系だ。こんな日常、ファンタジー以外のなにものでもないやんけ……(こじらせ気味)。 とりあえず、年末年始ネタと言われて思いつきそうなことは全力で処理していく所存。異界から来た連中ってのはどこぞの優等生悪魔と同じように、やたら日本文化にこだわり、イベントごとを大事にしますね。トールもしっかりとネットで勉強したお正月文化をスーパーメイドスキルで完全再現し、これ以上ないくらいに「和」なお正月イベントをコンプリート。今時、生粋の日本人だってここまでの年始は迎えられないでしょう。実際、小林なんて日々の生活の疲れを癒すのに手一杯で、正月イベントなんて久しく忘れてたらしいし。まぁ、一人暮らしだとそうなるよなぁ。トールがいるおかげでたっぷりと「非日常」を経験出来たようで何よりでした。 そして、トールのすごいところはこうしてバリバリ働きながらも、ちゃんとまったりするところはくつろぎムードが出せるところ。小林はあれこれと働くトールを見て「大丈夫?」と気を遣っていたが、トールからすれば日々のメイド業務の亜種程度の認識で、蕎麦だろうが餅だろうが、「小林のために勉強した人間界スキル」の1つに過ぎないんだろう。考えてみれば元々おせちってのは正月以降に家事をやらずに済むように作られた文化なわけで、おこたでゆっくり出来るのは当然といえば当然なのだが、日々の行事を楽しみながら、心の平穏も無理なく与えてくれるトールの技能はやはり大したものだ。 そして、そんな小林家の周りに集うドラゴンたちの集会。滝谷とファフさんのコンビは典型的な「一人暮らし野郎の正月」。おせちもいいけどカレーもね! とは言うものの、そこまで全力でのカレーはちょっと……飽きるとかそういうレベルじゃねーぞ。まぁ、ファフさんは甘口だったら何でもいいみたいだけど。トールの家で「お汁粉出しますよ」って言われたファフさんの反応がめっちゃ可愛い。翔太君ちはいつも通り過ぎるが、ルコアさん、そのお着物は一体どこに売ってる代物なんや……。そりゃ初夢だってボンバーまみれになるわ。考えてみると今作において一身に不幸を背負ってるのって翔太君だけだよな……(コミケで売れなかったニキは考慮外とする)。エルマさんは……まぁ、無限に腹ぺこを続けるだけの概念だな。お雑煮食べた「うまーい」の時のエルマがやたら可愛かった気がします。 こうしてドラゴンに囲まれた非日常な日常。浸りきった小林にご実家から電話。そういえば、小林は正月も実家には帰らないのよね。実家どこだか知らないけどさ。別に家族仲が悪いわけではなく、なんだかんだで短い正月休みにわざわざ帰省に時間を割くのは面倒ってことらしい。これもよく分かる。そして小林、トールのことは実家には何も言っていないようだ。まぁ、なんて言ったらいいのか分からないしな。「メイド飼うことにしたよ」って報告したら心配されるだけだろうし。「メイドと結婚しました」だともっとマズいし。社会人になったらこのくらいの距離感が丁度良いのかねぇ。そして、家族と話をしている小林を見てトールさんもなんだか物憂げ。そう言えば、トールの家族ってのもあんまり話題には出てこないなぁ。帰省とかしないだろうけど、こんな娘さんはどう思われてるんでしょうね。色々と日常について考えることの多い、年末年始でしたとさ。 そしてぇ! あとはぁ! カンナちゃんな! 今回はこたつでダルダルしてるシーンがメイン。寝っ転がってこたつで漫画を読むカンナちゃん、お着物でおめかしカンナちゃん。お習字で小学生らしい字を書くカンナちゃん。小林に「ついでにリモコンとって」って頼む図々しいカンナちゃん。どさくさでエルマにもお年玉を要求するカンナちゃん。どれもこれも素敵でした。当方、あんまりにも保護欲が高まったせいで、先日京アニショップでカンナちゃんを保護してしまいました。後悔はありません。 |
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プロフィール
HN:
Thraxi
性別:
男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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