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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 順調にシナリオ進行中。これでもう1/4かー。

一応、以下ネタバレ注意。2月分はリンク参照

 


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 雪山でグロスオーゲンと一緒にスッと消えてしまった怪獣はやっぱりウーのオマージュなんだろうか、第4話。今作はそういう感じのネタが山ほど盛り込まれてそうな気はするんだけど、あんまりそっち方面に明るくないので反応出来ないのは残念。

 前回の感想で今作における善悪の扱いについては認識出来たと書いたが、今回はさらに分かりやすく、作中でも再三「正義」と「悪」という言葉が語られている。これまで登場した「お化け」「機械人間」などは人間の生活に密着していたり、そもそも設計者の意志が介在したりするので存在そのものに善悪を問うことが難しかったが、今回はサブタイトル通りに「怪獣」ということで、「生まれながらに善であるか悪であるか」を問題にすることが出来るようになっている。これまで「超人」に関しては徹底して「守る」という姿勢を貫いてきた人吉であるが、怪獣に関してはその態度は真逆で一貫している。「怪獣は自然発生したものであり、地震や台風同様に人間の生活に害を為す現象でしかないため、それを未然に排除出来るのであればそうすべきである」というのが彼の理念。また、彼と同様の考え方は社会でも一般的であり、多くの市民は「迷惑をかけられないうちに超人が怪獣を排除すること」を望んでおり、数多の超人たちも、そんな人間の要望に応えるために特に前提を設けずに怪獣の排除に努めている。そりゃま、登場直後からビルを壊して回ったり、流れ落ちる体液が強酸だったりするデカブツと仲良くなれると思う人間はおらんわな。

 しかし、当然のことながら「怪獣は本当に悪なのか」という問いかけがここに介在してくるのが今回のメインシナリオ。これまた怪獣映画の大看板である「ウルトラマン」を紐解かずとも定番中の定番であり、シリーズ作品だったら作中に2度3度と「悪くない怪獣」が出てくるものである。かのゴジラだって元々は人類の愚かな兵器開発の被害者であり、そこに同情するファンだって少なくない。いつしかゴジラは災厄の象徴から人間を守るヒーローへと転化することになるわけで、この世界だってそうした動きがあるのは自然の摂理である。

 しかし、本作で不思議なところは、そうした自然な「怪獣愛護論」への進展が起こるのかと思いきや、最後の最後まで「善なる怪獣」が登場しなかったという部分。小さいラゴンが出てきたのでこれが「善なる怪獣」の象徴とも取れるが、結局ラゴンは狂信的な怪獣支持者である博士に改造されて人吉を襲う化け物になってしまった。結果的に「悪」になったラゴンは、生まれながらにずっと善なる存在だったのか、それともあのまま成長していたら人類に害を為す悪へと変貌していたのか、それが描かれていない。結局「悪くなった怪獣」の裏には人間のエゴイスティックな思惑が絡み、今回の事件で描かれたのは「怪獣の善悪」ではなく、「人の業」。「怪獣の善悪」については横槍が入って保留された状態なのである。もちろん、次週が「後篇」なのだからこの続きが描かれることになるのだろうが、おそらくこれまでの編成から考えると5年後の世界の話になってくるだろう。ラゴンを巡る「善なる怪獣」の物語はこのまま放っておかれる可能性も高い気がする。どういう目的意識で今回のお話が描かれたのかがはっきりしないので、次週の展開が気になるところだ。

 今回追加された要素としては、まずはとにかく大量の超人連中。本当にありとあらゆるヒーロー要素がぐちゃぐちゃになっているのはこの作品の最大の売りなので、見ていて割と楽しい。ただ、個々のヒーローは別々に怪獣退治の任をこなしているので、出来るならばごった煮状態のヒーローが1つの画面で共闘する姿も見てみたい気がするのだが。カオスになりそうやな。そして、超人課のおやっさんもやっぱり変なやつだったことが判明。エクトプラズム化して同僚連中と精神交信。なんだあれ、危ない。そして、人吉がラゴンを打ち砕いた後に笑美さんに修復されていたわけだが、そこにはおよそメカとは縁遠い呪のような文様が組み込まれている。回想シーンでも人吉の暴走とおぼしき災害に笑美が絡んでいたが……彼の存在って一体なんなんだろう。色んな超人要素のハイブリッド的なものなのかしら?

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10月23日 ドラフト模様(BFZ×3)

ピック順 【Thraxi】→【Alessi】→【Serra】→【Sea-chicken】→【Sangriter】→【Mei】→

 

 ゼンディカー環境4回目、そして3週ぶりの6人戦である。世間的に見れば6人戦でも不完全なドラフトだろうが、我々の中ではこれが完成形。ピック表を見てもらえば分かるが、5人戦と違って6人戦ではやはりカードの枚数が多いために途中から様子を見てピックを切り替えることにそれほど抵抗がない(5人戦だと泥沼だと分かっていても選択肢が少ないので途中で舵が切りにくい)。やっぱり最低このくらいはあった方がいいかねぇ。この環境の難しさに悲喜こもごもですが、僕は楽しいので一向に構いません。現時点でこの完成度のドラフト環境だと、次のゲートウォッチに余計なプレッシャーがかかるけど、大丈夫でしょうかね。

 

 

 


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 社はネコのおっぱいについてどう思っているのだろうか、第4話。あれだけ執拗に押しつけられても特に何も反応しないっていうのは……まー、ヴァイスマンも長く生きすぎたからなー。

 割と動きに乏しいお話だった。っつうか、なんかやたらと進行がゆっくりなお話だった。圧巻なのは円卓会議改めちゃぶ台会議のシーンで、「緑のクランに対抗するために手を結びましょうよ」っていう本当に簡単な相談のためだけに、やたらと尺を割いてのんびりゆっくりとした画面が続いていた。まぁ、3つのクランの王が同じ場所に出揃う機会なんてのはとても貴重だし(実際は過去の例を見るとそうでもないんだけども)、3つのクランが共闘態勢を表明するというのは歴史的な転換点ともいえるので、その重要さを表すためにたっぷりと尺を取ったとも考えられるか。その割に緊張感が無いのはあの場所を選んだ社が全部悪い。お茶くみに引っ張り出された菊理ちゃんが可哀相である。

 映像だけを見ていると「ネコが社に巨乳を押しつけるシーンを延々見せ続けるために偉い人が呼び出された」みたいなシーンではあるのが、実際には重要な会談の場。全てのクランが緑に手を焼いていることは事実であるため、共闘宣言は予想以上にすんなりと締結された。これでもし赤の代表が尊だったらこう簡単には進まなかった気もするのだが、アンナが王になってからは色々と話が早くて助かる。そう考えると、今まで赤やら青やらがごたごたしてたのって、大体は尊さんのせいだったってことになるのだが……まぁ、しょうがないよね。基本的にクランってのはイデオロギーが違うからこそ分かれているんだし。今みたいになあなあで進行するほうが珍しいのだろう。実際、共闘宣言こそとりまとまったものの、「石板」については宗像と社の間でまだ折衷案が見つかっておらず、黄金の王の後釜を巡る問題については色々とデリケートな部分も残っているらしい。宗像さんが現在の身体でそんな重たい荷物を1人で抱えてちゃ、どう考えても死亡フラグにしか見えないのだが、彼のことだしどうせ全てのお荷物を背負い込んで墓の中まで持っていくつもりなんだろうなぁ。結局、あれだけ毛嫌いしていた尊とやってることは大して変わらないのよね。

 白銀・赤・青が手を組む中、緑のクランは相変わらずの自由気ままさであるが、今回は猿・八田のコンビを相手にスクナが1人で大立ち回りを演じるというシーンが。うーむ、猿も八田も純粋な武力だけで見ればクラン内でもトップクラスのはずなのだが……完全に噛ませ犬ポジションになってしまっているな。ジャングルは少数精鋭なので純正のクランズマンがやたら強い設定なんだろうか。結局クロも紫相手に勝ち星を拾えてないしねぇ。普通に考えればクランとクランが1対1で対立してるならまだしも、連合組んで3対1ってのはどうなんだよ、と思うのだが、緑のクランの場合は赤や青が馬鹿正直に突っ込んできても何とかなりそうな変な存在感があるんだな。次週から本格的に牙をむくことになるのか。

 未だにメンバー3人のチーム白銀。ここから戦力増強って出来るものなんでしょうかね。あ、でも今回久しぶりに一言様のお言葉が聞けたな。クロはあれでドーピングしてなんとかなるのかしら。

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「ガッチャマンクラウズインサイト」 5→3

 ようやく夏クールの番組が全部終わった……と思うじゃん。まだ残ってるんだぜ、3話も未放送の作品がよぉ……。

 まぁそれはそれとしてのインサイト。1期は賛否ある作品だったが目指しているものは理解出来たし、独自の面白味は間違いなくあったと思うので「可」か「良」くらいだったのだが、この第2期については、個人的にはかなり否定的な感想になってしまう。今回だって「やりたいことが理解出来る」という部分は全く同じであるが、1期目とは随分話が違う。端的に言えば、「分かりやすすぎた」。

 タイトルに「クラウズ(Crowds)」とある通り、本作のメインテーマは「群衆」である。1期で導入された諸々のバーチャルツールなどの概念は今作で扱う「群衆」というテーマを端的に表示し、そこに善悪の物語を敷設していくための道具として機能した。このテーマが難しいのは、「集合知」というものが善悪では単純に語れない対象であるというのが1点、さらに「集合」をアニメーションとして描き出すことが難しいというのが1点。後者の問題については中村健治監督の独自のデザインセンスをフル回転させ、興味深い演出方向でもって「みんなの意見」を具象化させ、それをベルク・カッツェという「悪」と組み合わせることで1つの対立概念として設定、そこに「正義の味方」ガッチャマンをぶつけることで、「群衆」の正しさについて一定の回答を導き出していた。それが正解だったのかどうかは誰にも分からないが、1つの形としては間違いなく成立していたはずだ。不確かなものに強引に答えを与える為に生み出された一ノ瀬はじめという「神」の存在も、無茶苦茶だとは思いながらも強烈な個性となって視聴者を引きつける要因にもなっていただろう。

 しかし、2期ではこうした「描くことの難しさ」を非常に安易な方法で解決しようとして、あまりにもチープで、陳腐なお話に堕してしまっている。まるで小学生の道徳の教科書に載っているような、説教臭く、ご都合主義で、味もそっけもないシンプルすぎる二元論だ。「群衆は愚かであり、考える力を持たない。日本人特有の『空気を読む』行為は思考を伴わず、ただ為政者によって、マスコミによって、善意という名の思考放棄によっていくらでも悪い方向に進んでしまう。だからちゃんと自分の力で考えよう」というのが、「insight」で与えられたお説教の中身の全てだ。もちろん、そうした言説に意味が無いとは言わない。しかし、そのために用意されたゲルサドラというキャラ、つばさちゃんのキャラ、くうさまという設定、どれもこれも「結論ありきで茶番を演じるための装置」にしか見えず、物語の中からテーマを伝えるのではなく、ありきたりな言説を唱えるための人形にしか見えないのである。いくら何でも、ここまで分かりやすすぎてはせっかくのテーマ設定も台無しだ。

 二次的な影響として、あまりにも「その他大勢」が愚かになりすぎて、世界そのものが思考を放棄したような状態になっているせいで、そこで異彩を放つはずのはじめちゃんまでもが、超越的な存在というよりも、「逆方向の思考放棄」にしか見えなくなったことである。彼女がうわごとのように「個」を唱え続けるのは1期の時も同じであり、そこに何の後ろ盾もないのはこれまで通りであるはずなのだが、相手が悪意の権化であるカッツェだったときには、その対極に位置する彼女「正義の権化」たり得た。しかし、今回のゲル・つばさたち、そして群衆は「思考放棄の具現」であり、その対極に位置するためにははじめが「思考の権化」になる必要があった。残念ながら、「考えること」は(彼女が再三訴えていることとは裏腹に)はじめの持つ属性とは相容れないのである。何故なら、彼女は考えるまでもなく、生まれもっての正義であるからだ。残念ながら、このinsightの世界では、彼女は特異性を魅力に変換出来ない。

 はじめがただの「異物」と化し、世界が陳腐な個の倫理で埋め尽くされてしまうと、もう他のキャラクターが輝くチャンスもない。1期で作りあげた「クラウズの独自世界」は解体され、ただの薄っぺらい舞台装置だけが残された。そこにはガッチャマンの存在意義もないし、中村監督の映像技術で描くべき対象もない。このシナリオは、あまりにもお粗末である。

 せめてもう少しガッチャマンがチームとして戦うシーンがあれば、見どころも変わって意味が生まれたのだろうが……うつつちゃんとかるいるいとか、もう今回は全然ガッチャマンじゃなかったしな。タツノコはガッチャマンをどういう存在にしたいのだろうか。謎は深まるばかりである。

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 この文章は、ぶっちゃけ私信みたいなものですので、大半の方はスルーして頂いてけっこうです。あと、万一「パンデミック・レガシー」をプレイしたい、もしくはプレイ途中の人はネタバレ要素にもなりますのでご注意下さい。

 


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 だからいちいち題材が重い、第3話。2話目では育児と虐待の話、そして3話ではその逆を行って老人介護の話。もう、人生は生まれてから死ぬまで試練の連続ですわ。個人的にはDVは全然身の回りに関係無かったのであくまでも「小説の中の話」だったけど、祖父母が痴呆で介護云々は割と身につまされるのでさらに胃が痛い。

 さて、そんなトピックを扱った今回のお話であるが、やっぱり、微妙に既存の「骨を扱うお話」とは焦点がずれている部分が気になる。上手くすればそこが今作の最大のアピールポイントになるのだろうが、小説の骨子としてはいかほどのものであろうか。まず、骨を通じて得られた情報は、今回「年齢」「死因」程度のもの。つまり、櫻子さんが後々鴻上さんに話して聞かせたお婆ちゃんの事件の顛末は、ほとんどが「骨の情報」以外の部分から勝手に櫻子さんが類推したものである。そして、例えば「お婆ちゃんが崖の上に登ったのは朝日を見るためだった」なんていう事実は、普通に考えるとあの場所で類推して分かるものではない(作中では、あくまで崖の上からでないと木々の間から景色が開けないように見える)。もちろん、死体発見当日に櫻子さんがその辺を嗅ぎ回って知っていたのかもしれないし、必要な情報を全て視聴者に伝える義務も無いのだが、そのあたりで「櫻子さんが真実を知ることが出来る理由」がはっきり分かっていないと、いわゆる「ミステリ」的作品としてはもやっとしたものが残ることになってしまう。本作最大の見せ場であるはずの「骨の云々」についても扱いがあまりに小さく、櫻子さんは「泣いたら水分を補給しなさい」とか、「お婆ちゃんは朝日を浴びてセロトニンを分泌させて元気になろうとしたのかもしれない」とか、科学的な知識を大胆に拡張して日常生活に当てはめるトンデモサイエンスの請負人になってしまいかねないのである。

 まぁ、作品としては「トンデモ科学マインドの櫻子さん」というキャラだけでも成立しているし、そこからシナリオ面できちんと「それ用」の舞台を用意してあげられれば充分輝けるとは思うのだが、なんか、事件のデザインが、いまいちしっくり来ないんだ。日常の謎というには多少血なまぐさい部分はあるが、まぁ、血に飢えた殺人者なんかはいない(前回除く)このお話は、一応日常の謎に分類して良い作品だろう。そうなると、通常のミステリの「犯人が分かる」というカタルシス以外に、何か別の「オチ」を用意しなければいけない。言い換えれば何か明確な「謎」を用意し、「解決」が無ければいけない(全ての作品が必ずしもそういう制約を持つわけではないが、30分で山を設ける必要があるアニメシリーズでは必須と言ってしまっていいだろう)。今回のお話の場合、謎は「お婆ちゃんは何故山に登ったか」であり、解決は「朝日を見るため」であった。そしてこの解決には意外性は全く無い。警察が「自殺だった」と鴻上さんに告げるシーンすら無いので、視聴者の頭には最初からそんな考えが生まれず、どんでん返しにならないからだ。「何で死んだんやろ?」→(櫻子さんが何でそのことに気付いたかははっきり分からないけど)「事故やろ、お婆ちゃんも頑張って生きようとしてたんやで」と言われても「せやろな」と言えばおしまいなのである。これではちょいと盛り上がれませんよ。普通、こういう「些細な謎」はそこに辿り付くまでのプロットで見せてくれるはずなのだが、残念ながら櫻子さんが結論に行き着いた方法が分からないためにそこでも納得が生まれない。つまり、この作品では「謎と解決」で楽しむ方法が無い。

 となると最後は、鴻上さんのお婆ちゃんへの思いを描いたホームドラマとしての側面がクローズアップされることになる。お婆ちゃんの生き様、信念を知りたかった鴻上さん、そして真実を知って新たな生きる決意を持つ鴻上さん。それだけでもドラマとしては充分だ。ただ、その部分もあまり描写として力点が置かれてないんだよね。視聴者側には「鴻上さんとお婆ちゃんの関係」を認識するシーンが一切無いので、ラストシーンで朝日の丘にお婆ちゃんの幻影が現れても「こんな顔やったんか」と初めて分かるくらいのもので、「鴻上さん、良かったなぁ」という気持ちは起こらない。そもそも、最初に鴻上さんが正太郎のところに話しかけてきた意味も良く分からない。警察って死体を発見した目撃者の情報なんてわざわざ遺族に教えるかな。教えたとして、「死体見つけてくれてありがとう」って、言われた方も重いやろ。どんな心境だったんだ。

 うーむ、なんだかやりたいことは分かるのだが、尺が窮屈なせいでやりたいことが描ききれてない感じがする。理で見せるにしろ情に訴えるにしろ、もう少し掘り込んだ描写が欲しいものだ。骨の作画とか、ビジュアル的な部分では本作独自のセールスポイントがはっきりと意識されていて面白いので、筋立て部分がもう少し訴求力を持てばかなり印象が変わると思うのだが……。

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 続々可愛いキャラが出てきますね、第3話。やっぱりうたわれシリーズはデザインの秀逸さから無条件に愛らしく見えるなぁ。

 お話自体は本当にどうってこと無い展開。っつうか、ぶっちゃけると放送前に種ちゃんたちがやってた番宣動画の中で、この辺りの展開は実際にゲームプレイしてたので、見るのが2回目みたいなもんである。モズヌさん、中の人たちには大人気でしたが、アニメ版ではさっさと退場しましたね。まー、あんなところで時間使うわけにもいかないからな。

 そして、今回から参戦したのは謎のトリ娘・ルルティエちゃんと、その配下(?)ココポ。トリさんめっちゃ可愛い。見たところ今作のムックルポジション。あれ、でもルルティエちゃん=アルルゥだとするとネコネはどのポジションに置いたらいいんだろう。幼女が多いパーティーになるんだろうか。さらにCVのじょさんの盗賊娘ノスリだってパーティーには加わるわけだろ? なんか、あんまり大人の女性的な魅力を見せてくれるキャラがいない……前作はあんなにおっぱいのおっきなおねーさんが2人もいたというのに。いや、クオンもノスリも充分おっぱいでかいんだけどさ。クオンのお風呂シーンはあまりにも堂々と描かれすぎてて逆に感心してしまったな。旧作のエルルゥとか、(少なくともアニメ版では)あそこまであけすけな描写はなかったんじゃなかろうか。一番エロくてもカミュの吸血シーンぐらいだった気がする。今作は「原作がエロゲ」ではないので、このあたりで境界線上のサービスを披露してるってことかな。良いことだけれども、「あの尻尾は一体どんな風に身体に接続しているのだろう??」という謎があっさり解けてしまったので、逆に夢を失ってしまった気もする。見えない方が色々妄想出来たのに。しかし、あそこから生えてる器官が、あんな風に動いてあんなことに……むふぅ。

 旧作で考えてもまだ3話目4話目なんてのはトゥスクルの近所でムックルの親御さんを退治してたくらいの話数だし、何も起こってなくてもおかしくないレベル。山賊退治なんてのは、TRPGのファーストミッションがゴブリン討伐なのと同じくらいにベーシックだし、まだ何も動いていないようなもの。ここから一大戦国絵巻まで発展するのかどうか。今、ちょうどこないだATーXで放送してた旧作の一挙放送をちまちま見返してて、着実に大ごとになっていくシナリオを見ながら「うわー、やっぱりゲームシナリオやなー」って再認識してる。それできちんとあのオチまでこぎ着けたんだから旧作は本当に良い作品だった。さて、これはどうなりますかね。とりあえず、現時点でハクとクオンの間に全く浮ついた空気がないんだけど大丈夫かな。エルルゥなんて割と序盤からさっさと発情してくれてたんだけど。

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 デレ方適当! 第3話。天花寺さん、ちょろ過ぎやしませんかね。

 大体突っ張って見えるやつってのは動物に優しいもんだからね! いや、でもあのキャラなのに飼い猫と別れることが出来ずに規則違反してまで猫を囲ってるのってどうよ。天花寺が学校いってる間、ダヴィアンずっと1匹で狭い部屋にいなきゃいけないんでしょ? なんか猫も可哀相だし……。さらに部屋で飼ってるっていう事実が発覚したとしても、初日に那雪が聞いた「強めにした方がいいのか? んん?」みたいな台詞はフォローしきれないと思うんですけども……。いや、猫好きって目の前に猫がいると人格変わるからな……。

 非常に分かりやすいテンプレツンデレになってしまった天花寺さん。阿漕な可愛らしさが圧倒的野暮助感。もう、多分今後こいつ大したことできねぇぞ。せいぜい星谷が他の連中を籠絡してる間、回りでぎゃーぎゃー文句言うくらいの仕事しかしないぞ。ある意味すげぇ美味しい役回りではあるのだが……最初からこのアニメは天花寺中心に回ってた感もあるからな……。

 当然、今回のハイライトは公園で途方に暮れた天花寺が何故か突然猫に向けてラブソングを歌い始めるところです。そこで歌うのかよ、っていう。

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Thraxi
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子
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