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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「普通の女子高生が【ろこどる】やってみた。」 5→6 今期一番の癒し系アニメ。悪人がおらず、何もかもが可愛らしく出来ており、お話のどこを取ってもホッとする。ずぶずぶとはまり込んでいく、冬の朝のオフトゥンのような安心感。そうそう、萌えアニメってのはこれが一番なんですよ。 今作は群雄割拠の「アイドルアニメ」の1つともカウント出来るが、主人公アイドルたちのモチベーションとしては、最も共感が得やすい良いセッティングだった。奈々子が庶民派を謳っているというのも大きな要因だが、彼女たちの職業意識の裏に「地元愛」と「仕事意識」が関わってきているという根本的な設定が実に上手く働いている。極論になってしまうが、結局我々はアイドルではないし、アイドルになりたいと思ったこともないので、その他のアイドルアニメはどうしてもついていけない部分がある。例えば番組出演などで嫌な目にあったり、レッスンが辛くて挫けそうになった時に、「それでも頑張らなきゃ!」と思えるモチベーションに共感しにくいのである。「そこまでして自己顕示欲求を満たさなくてもいいんじゃないかな」と思ってしまう。大体は「ファンのために頑張らなきゃ」とか「仲間のために自分だけ挫けてられない」とかいう理由付けがなされるわけだが、どうしたって「やらされている」感が強い。 その点、本作の奈々ちゃんの場合、一番最初から「やらされている」。しかも肉親に、金で脅された上で。非常に分かりやすいモチベーションではないか。これが話数を重ねるごとに「職業意識」につながり、さらには「ろこどるという仕事の尊さ」は「地元愛」へと結実する。最初は「何もない町じゃない」と困惑していた流川に対し、いつしか「もっと良さを伝えなければ」というプロ意識を持つようになっており、その成長はとても眩しく映る。「ドジで不器用だけど頑張る主人公」ってのは、いつしかどこかで神がかり的な進化を見せて人を魅了するカリスマに飛び級したりしてしまうものなのだが、奈々子の場合は決してそんなこともなく、最初から最後まで「普通の女子高生奈々子」が精一杯頑張っているだけである。この、どこまで行っても距離の離れない「庶民派」っぷりが素直な魅力になっていた。相方の縁さんの方はというと、どうしても完璧超人設定のおかげで奈々子ほどの近さは得られないものの、重度の百合魂と、天然をフル装備した純朴さが阿漕な魅力となっている。あくまでアニメ的には奈々子を盛り上げるための「サポーター」側ではあるのだが、普通のアイドルアニメならば彼女が単体で看板を張れる素材なのだから、「近さ」と「まぶしさ」の2人コンビで上手いことバランスを取った形になるだろう。 そして、もう1人の主人公と言ってしまってもいいのが魚心くん。中の人は取り替え式だが、ゆい先輩は登場直後から素直に可愛かったし、後からついてきたみらいちゃんも、これまた阿漕なまでに萌え打点を上げてくる。そして、中の人を包み込んでなお愛嬌を振りまく魚心くんの力強さ。いかにもありそうなゆるキャラだが、多少の無茶でネタ成分を加えつつ、「中身が可愛い女子高生」というシークレット要素で全てを片付ける。ろこどるチームの4人はこの「可愛い女子高生」要素をフル活用したなかなかずるい面子であった。あ、もちろん沙織さんだって係長だって(?!)可愛かったですよ。 そう、結局今作はどこまでも「可愛い」なのだ。feel.製作というのはどこかに緊張感を伴う体制だったのだが、今作では最初から最後まで見事に全力クオリティで、一分の隙もなく、徹底的に「可愛い」を貫き通してくれた。今作のキャラクターデザインはむやみやたらに好きだったんだよなぁ。何を観てもホッとするのよね。うちにも欲しいなぁ、魚心くん。 そして中の人。今作はもちろん、敢闘賞を奈々子の中の人、伊藤美来ちゃんに。まだまだ技術的には拙い部分も多いのだが、その若さが奈々子の「庶民派」っぷりとマッチしていてとても言い配役だったと思う。歌唱の方も素直に歌えていたし、ここから若手の中で一歩抜け出して欲しいところ。三澤さんは……まぁ、三澤。また、ゆい先輩役の吉岡麻耶もとても良い仕事だったと思う。彼女はガルパンのアンチョビ役で出てきた人なのよね。事務所的にはアーリーウィングの下部組織みたいだけど、ここから井澤詩織やなんかと「癖になる声部門」で上に上がってくることが出来るかな? PR 「暴れん坊力士!!松太郎」 5→4 結局半年観ちゃうよ。その結果「もう終わるのかよ……」って思っちゃうよ。点数下げたのは「ここで終わらせてるんじゃねぇよ」っていう減点だよ。 いや、とてもどうでもいい、どうでも良すぎる作品だったよ。21世紀にやるアニメとはとても思えないし、朝6時半からやるアニメとも思えない。ここから相撲人気が爆発するなんてことは絶対にあり得ないし、ここから「おっ、原作読もう」とは絶対思わない。本当に「無くてもいいし、無い方がすっきりする」アニメである。 でも、観てるんだな。日曜朝の定番になってるんだよな。習慣って恐ろしい。松太郎を観て、「この畜生以外のなにものでもない主人公」と頷くことで一週間のけじめがつく。次回予告を観て「来週もつまらないだろうなぁ」と思ってホッとする。半年という尺の中で、よくもまぁ、こうどうでもいい話を重ねられたものだ。しかし、それも含めての2クール。まさかの最終回に、対戦相手の近藤だけじゃなくて視聴者までぶん投げられてしまうという。これ、一体どういう趣旨で始まった企画なのかが最後まで分からなかったな。ここまではっちゃけたアニメ、やっぱり東映さんでなきゃ作れませんよ。作ろうと思いませんよ。おっかなくて。来週からワールドトリガーなのかぁ……テンション違い過ぎるだろう…… ちなみに本作で一番の見どころは? → 田中とかいうぐう聖。 「金田一少年の事件簿R」 4→5 特に無いです! 別に悪いことは特にないのよね、ただ淡々と原作再現するだけだし。原作に最近は特に思い入れ無いし。 ただ、「思い入れもないし、原作読んでるし、わざわざアニメで見るかなぁ」って思ってたんだけど、むしろ思い入れが無くなってるおかげで、割と中身忘れてたんだよね。おかげで酷い時には「これ犯人誰だっけ?」っていうレベルで割と新鮮な気持ちで観られたので、途中で飽きるかもしれないという予想とは裏腹に、結構観ちゃったのである。まー、やっぱりひどい話も多かったんだけどね。短編の話とかになると作画までどんどん適当になって「やる気ねぇなぁ」ってずっと思ってたからな。 でもまぁ、こうして改めて新しい方のエピソードが確認できたのは決して悪いことじゃなかった。雰囲気も昔のアニメそのままで特に目新しさもないが、これはこれで伝統芸能みたいなものだしね。最近は原作の方がそもそもひどいので、ひでぇ展開でも「あぁ、最近はこんなんやで」としみじみ出来るのもある意味良かった(?)です。これでまた一仕事終わったわけだけど、まだ映像化されてないエピソードってどれくらいあるのかなぁ。もう、いっそのこと今のクオリティで過去の思い入れのあるエピソードをリメイクしてほしい。今の映像技術で描いたらすげぇ氷橋が造れそう。 「RAIL WARS!」 4→3 ぼくの回りの一部では大人気の作品。こないだの飲み会でも無闇に盛り上がりました。「あまりに酷すぎて、つい観てまうねん」とのこと。ぼくぁ基本的に「一周回って観てしまう」ってあんまりやらないので、単にどんどん視聴のモチベーションが落ち続けていただけだったんだけど、みんながそうして褒める(?)もんだから、そこから視聴モチベーションもいくらか回復。改めて「やっぱひどいな」と思いながら楽しめました。めでたしめでたし。 まぁ、ラノベだから…………。何が悪いってのはもう考えるより感じてもらった方が早いと思うが、ここまで登場キャラクターが何してるのか分からんお話もなかなか無い。多分、どの事件でも全て「鉄道絡み」にしなきゃいけないっていう制約が思い切り足枷になって話が破綻しているのだと思うのだが、訳の分からない活劇になった結果、最終的に「これ、鉄道要素もいらんやん」っていう落としどころになるあたりに救いのなさが。必死で他人が手を使って押さえている時限爆弾に液体窒素ぶっかけたり、アイドルのステージ公演中に暴漢が上がってきたのを「ステージ優先だから」と笑顔で対応して局員が刺されたり、重たい自転車みたいな列車で旧線を走るというどう考えてもタイムロスとしか思えない走り方をしてみたり、その車両が「重くて動かない!」と筋肉が苦しんでるはずなのに、何故か駅局員は「用意しました!」と汗一つかかずにホームまで持ってきていたり。結局どの事件も最終的に「ブレーキがかからねぇ!」に集約されるお約束オチになってみたり。もう、鉄道愛に溢れすぎる作品だったせいで、明日から怖くて電車にのれねぇよ。どんだけ頼りないんだ、電車。あんだけブレーキ絡みでひどい目にあってるのに、演習になると既定速度ぶっちぎって前を進んでる奴に「遅い!」とか圧力かけるキチガイヒロインとかもいたなぁ。もう、峠最速狙っちゃって「電車でG」でもやればいいんじゃないかな。 これだけ話がメタメタな作品、いかにラノベアニメとて久しぶりな気がする。確かに、ここまで尖ってくれればある意味「面白いアニメ」ではあったかもしれない。個人的にはどう考えても人間的に魅力が無い主人公が気付いたらハーレム作ってるところが一番イラッとしたけどな。もう、筋肉の方がいい男やん。あっちにしとけ、どっちにしろ後悔すると思うけど。女の子については……エロかったからいいじゃないでしょうか。でも、エンドカードとかは良かったけど、作中ではちょいちょいキャラデザおかしくなってたけどなぁ。正直鉄道関係のディティールとか興味は無いので、女の子のディティールをなんとかしよう。結論「やっぱハーレムがあればそれで良かったのかもしれない」。 「グラスリップ」 7→6 さて、そろそろ自分の中でも落ち着いて来たので一旦まとめておくことにしよう。実に様々な議論を巻き起こした「問題作」である。まぁ、話題になるのも有名税ってことかもしれない。私はこの作品に対しては非常に寛容な姿勢を取っていたのでそこまで苦しむことはなかった。何故寛容かって、そりゃね、既に新番チェックの時点で言っているからね、「P.A.作品は全力で贔屓していく」と(「Angel Beats!」を除く)。 点数を下げさせてもらったのは、当然「万人受けするとは到底思えないチャレンジ」の配置の仕方が不親切であったのは否定出来ないため。受け取る層にも問題はあるのだと思うが、それでもやっぱり、「これまでのP.A.作品でお馴染みの空気だよ! 恋愛を色々ややこしくするよ!」というノリで中盤までの構成を貫いたことは、視聴者側に「見る姿勢」を固めさせてしまう要因となっていただろう。おかげで非難を浴びたりもするわけで、いくら「観る側の勝手」とはいえ、もう少し、「注意して見ていた方が良いよ」というサジェスチョンは用意して欲しかったところ。単に自分がそこの調整で苦労したので不満だった、ってのもあるけど。一度「分かりやすい話なんだ」と思ってしまうと、いかに真剣に見ようと心構えをしていても、どうしたってゆるみはでてしまうものだ。それを助長した制作側に難があったのは事実であろう。 しかし、そこが決定的に「不親切」であったとしても、やはりこのチャレンジ精神は買いたい。「何があるか」すら全て覆い隠して、視聴者に正面から「アニメで描く意味」を問いかける無鉄砲さは実に刺激的。前半パートでは普通の恋愛ドラマとして「どこがくっついてどこが離れるか」で注目させておき、追いかけていくと「あれ? なんか恋愛ドラマとしてはシンプルに終わりすぎじゃね?」というところに疑問が生じ始める。なにせ、3組のカップルのうち2組は9話の時点でゴールインしており、残る1組だって脇道などなく、あとは「普通のいちゃいちゃ」をするくらいしかないとしか思えない状態になったのだ。冷静な姿勢であれば、そこで何かおかしいことに気付くことは出来たはず。それを「凪あすだったらここからまた一悶着ある」と、理由も無い先入観で「恋愛ドラマとしてみる」ことを続けてしまったのは単なる失態である。そこから先にある「未来の欠片」の物語は、最終話のところで描いたように、「青春」を、「心象」を、「曖昧」を探す物語だった。……まぁ、「知らんがな」というのがやっぱり正しい答えではあるのだけど。結局、振り回された挙げ句に必死に考えさせられ、注目してしまった時点で「上手くしてやられた」のである。こんなにも毎週どうしたらいいか分からずにオロオロした作品も久しぶり。それをこんなにも静かな「恋愛ドラマ(風)」作劇でやってのけたのだから、肝の太い脚本だったのは間違いないだろう。 そして、ここからはメタ度の強い邪推であるのだが、何故このような「妙なプロット」が産みだされるに至ったのかを想像するに、元々は「P.A.独自の画作りをそのまま作品世界のテーマとして落とし込みたい」という欲求がどこかにあったのではないだろうか。ちょっとややこしい話になるが以下のようなことである。 「アニメの映像」は、当然製作スタジオの武器になり、味になる最大の要素であり、天下のP.A.Worksは特にその特性が顕著である。過去の作品を並べて見るに、海の青や雪の白、弾ける透明な水しぶきといった透明感溢れる映像美が特に見どころになり、「true tears」では深々と雪の降る中での麦端祭り、「花咲くいろは」では一家の思い出や未来に繋がるプール・オン・ザ・ヒル、「TARITARI」で描かれた湘南の海に、「凪のあすから」のぬくみ雪と汐鹿生の青がある。こうした映像美は、作品世界を彩る大きな武器である。しかし、実際にはあくまで「彩るツール」であって、「物語の中心」にその武器を置くことは出来ない。「物語を紡ぐこと」と「映像を描くこと」は、どうあがいたって目的を1つにするわけにはいかないのだ。しかし、それを強引にまとめ上げる方法がある。美点である映像特性を、そのまま作品テーマとして物語内部に落とし込んでしまえばいい。作品世界内部の人間も、「映像の美しさ」が見えてしまうようにすればいい。そこで産みだされたのが、「大いなる観察者」たる深水透子だったのではなかろうか。彼女の「見えるもの」は漠然と「未来の欠片」と名付けられ、それは「心象」であったり「青春」であったりするかもしれないが、画面にあらわれる特性としては、それは「輝き」であり「光」である。彼女の象徴たる「ガラス」に映り、夜空に光る「花火」をもたらし、静かに積もる「雪」を導き、最後には全てをなげうって飛び上がる「流星」となった「未来の欠片」。これはつまり、透子が見ることの出来る「P.A.の映像技術そのもの」ではないのか。「光の演出が描きたい」からこその、「欠片」であり、「欠片」が作品世界内部で意味を持ち、透子が「メタ情報である」ことを意識せずにメタレベルに触れられるよう、「作品に内包される被観測者」である沖倉駆を産みだした。駆の中身を探ることで、透子は「欠片」について思考する。そしてそれは、「輝き」を、「映像美」を作品内キャラクターが追求することの置換である。こうして、「P.A.作品内でP.A.作品を見る」主人公が完成した。それが、この作品の目的だったのではなかろうか。 うん、妄想するだけなら自由だからね。普通に考えたら絶対違うって分かってる。でも、こういうことを夢想させてくれるだけで、私はこの作品が好きだったんだ。毎度ご静聴ありがとうございました。 9月26日 ドラフト模様(TKT×3) ピック順 【Thraxi】→【Alessi】→【Serra】→【Mei】→【Sangriter】→【Sea-chicken】→
新環境! この新環境には、我々コミュニティは世間以上の意味がある。そう、暗黒時代の終焉だ。もう、あんなおかしな勝率は許さない。3色の世界で、新たな群雄割拠の物語が幕を開けるのだ! といいな!!
「DRAMAtical Murder」 3→2 ま、まったく真面目に見てないんだけどね……。真面目に見たいって思うようなきっかけは一切なかったなぁ…………原作ファンは楽しめたのかなぁ。 まー、正規の消費者層じゃないのでね。別に私が存在価値を一切理解出来なくても作品としては問題無いのかもしれない。でも、結局最初から最後まで何が言いたいのか分からなかった。主人公を通じてこの世界をどうしたいのか分からなかった。誰との関係を重要視したいのか分からなかった。ゲームの趣旨からすると、オムニバス的に主人公が色んなキャラを「攻略」していってる展開なのだろうけど、1つ1つのエピソードが薄くてなぁ。主人公の立ち位置がいちいち「お前がじっとしてれば良かっただけなんちゃうか」って展開ばかりだし。知り合いを大事にしたいっていう気持ちが第一なんだろうけど、その気持ちを向ける先が多すぎるせいでそれぞれの感情が全然ピンと来ないんだよね。ハーレムものなんてそんなものなのかなぁ。でも、この「なんか微妙にバーチャル」な世界設定とか、有効利用しようと思えば色々シナリオも捻りを加えられたはずのコテコテの設定なのに、それが特に活きていたこともないし……。いちいちクドいキャラ設定が、この尺で上滑りさせたら寒いだけになってしまう……うむ、よく分かりませんでした。 そして作画がいちいち力尽きるガッカリ感。「咎犬の血」とかこれとか、「そっち向け」ってたまに時代を超越したかのようなとんでもないクオリティでお届けすることがあるよね。ご愁傷様である。 「Persona4 the Golden ANIMATION」 5→4 僕はマリーが可愛かったと思います。正直、前半戦は冒頭のポエム朗読さえあればそれでいいや、って思ってた部分がある。もしくはドヤ顔でマーガレットさんに朗読される展開とかがいいな。 ふむ、正直ゲームはまったく知らないし、アニメ1期もそこまで熱心な視聴者ではなかったが、特に苦労なく最後まで観ることは出来た。「追加ディスクからのシリーズ化」っていう時点で色々と無茶な作品にはちがいないのだから、よくもまぁ、ちゃんとこれだけの話数をやりきったとは思う。「1期目で作り上げた世界観を活かして、更に盛り込んだ2期目を」という活用法としては決して間違った作品ではないだろう。 ただ、残念ながら頑張ったところで無茶を覆いきれるものではなく、作品のそこかしこに無理が生じてきたのも間違いない。メインシナリオはすっ飛ばさなきゃいけないので「1期見てた人、もしくは原作経験者御用達」みたいな部分はあったのだろうし、どうしたってぶつ切りのイメージはぬぐい切れない。最終的には「すごく普通の頑張る青少年のお話」なのだが、マリーの正体が分かってからそれを打破するまでの流れは、結局力業なのであまり入れ込む余地がないのである。どっちかっていうとまだマリーが楽しそうにみんなと遊んでいる時のダラダラギャグの方が見ていて楽しくて、それらの思い出を大切に思う後半戦の方が、おまけみたいな印象になってしまっていた。もう、いっそ2クールでやってくれた方が諦めてガンガンどうでもいい話をつぎ込めてかえって面白くなった気もするぞ。 そして、もう1つの問題点としては、ちょいと画面のクオリティが低い。キャラの魅力を強くアピールしなけりゃならないはずの作品なのに、等身がやや高いせいかいまいちキャラデザが安定しないのである。ギャグパートだったらそこも含めてネタに出来るのだけど、シリアスになってからの展開でそれだとちょっとね。ほとんどのお話がメインキャラ総出演のシーンばかりだったので、かなりリソースを割かなきゃいけないのが負担になってたんだろうなぁ。同情するところではなかろうが、なんだか寂しかった。 ま、あくまでおまけのお話なので、これくらいのユルさでも特に目くじら立てるほどのこともないと思うけどね。諦めてOVAとかでやっててもよかったのかもしれない。それはそれでカオスになりそうだけども。個人的に、足立メインのエピソードを割と丁寧にやってくれた部分については、このアニメの独自のセールスポイントだったんじゃないかと思っている。ああいう「1期で足りなかった部分」をもう少し見たかったんだけどねぇ。 さぁ考えろ、最終話。智恵を絞ってもしょうがない、イマジネーションを絞って考える。このアニメに描かれてきた意味を。 今回新たに描かれた情報というものは、実はほとんど存在していない。つまり、今回はこれまで描かれてきた作品世界の「店じまい」、いわば答え合わせのような最終回であったはず。何が解き明かされたということもなく、何かが進んだ、終わったという印象もない。本当に「ただ夏休みが終わった」お話である。つまり、このアニメに籠められた意味は、全てここまでのエピソードで描かれてきていたということ。それを、「読み」「解かねば」ならぬ。もちろん、「解く」とは言っても明確な答えが存在しているわけではないだろう。あくまでもそこに見える絵は人それぞれであり、そこにどのような意味を付与するかを考えろ、ということである。それが制作者の意図に合致するかどうかは、また別次元の問題だ。 さて、本当に今更の話だが、「グラスリップ」というタイトルは一体どこから来たのだろうか。英語表記では「GLASSLIP」となる。GLASSは当然「ガラス」であろうから、問題は後ろの「LIP」の部分。ここでそのまま「LIP」であるとすると、「くちびる」の意味になってしまって流石に意味が通らないので、普通に考えたら「SLIP」との組み合わせと見るべきだろう。辞書で確認すると動詞「SLIP」は様々な意味があるが、最もイメージの強い「滑る」の他に、「こっそり動く」「時が経過する」「滑り落ちる」「解き放たれる」「(記憶が)消える」「間違う、誤る」などがあるようだ。おそらくタイトル決定時に具体的にどのような意味内容で「SLIP」としたのかは明確に決まっていないのではなかろうか。あくまで、こうした意味を持つ動詞の総体を見ての名付けなのではないかと思う。 さて、この一夏のドラマの中で、滑らかに「すべり、経過し、消えて、誤って」いた存在とは何だったか。最終話、ラストシーンまでの描写を鑑みるに、結局このお話は「沖倉駆という存在を読み解く」お話だったのではないかという結論に達した。その証拠に、最終話に至っても駆という存在には明確な「正体」が与えられておらず、ラストシーンでは登場キャラクターがそれぞれに夏休みを終え、新学期に向かっている姿が描写されているのに、駆の姿は一切描かれず、最終的には透子に声をかけた一人称視点だけが記録されている。当然、これまで駆の一人称視点などというものは無く、それどころか駆自身すら、自分のことを三人称視点から見ていた(いわゆる分身の術である)ことから、駆というのは、ひたすらに観察対象であり、読み解く側ではなく、「読み解かれる」側だった。透子も、やなぎも、何故か知らないが夏が終わると駆はどこかに消えてしまうのではないか、という不可解な疑念に駆られていた。確かに、フラッとこの街にやってきた駆は一度も登校なんてしたことがないし、このまま消えてしまってもおかしくないかもしれない。彼の父親も、「大人なのだから好きにすればいい」と彼に対しては自由を与えており、「消える」ことすらも是認しているかのようである(考えてみれば、沖倉家のどこか落ち着かない浮ついた感じは、親子3人に共通している)。しかし、「引っ越してきたばかりの高校生がいきなり消える」なんて事態はあるはずもなく、常識的に考えれば「2学期からよろしく」というはずなのである。それが危ういと感じられるということは、沖倉駆という存在が、それだけ危うく、不安定なものであったということの証左に他ならない。「滑り、つかめないもの」。それが駆だ。 と、書いては見たものの、未だ彼の「示す」ものに答えは得られていない。漠然とした「青春の1ページ」と言ってしまえばそれまでだろうか。先週までの読解では透子と駆の見る「未来の欠片」は「心象」という更に漠然としたものであるという処理がなされてしまったわけだが、沖倉駆という存在は、そうした「心象」を肩代わりし、少しの不安と、少しの希望と、大きな不可解を抱えた、青春時代の心象そのものとも解釈出来る。だからこそ彼は、あらゆる知り合いとぶつかりながらも、どこか気になる様子を残す存在だった。どこまでも利己的で、どこまでも野放図でありながら、不思議と捨て置かれることもなく身近にあり、特に「恋愛感情」との関わり合いを強く持っている。今回駆と接触したのは透子以外ではやなぎだけであるが、彼女がわざわざ彼を屋外へ引っ張り出して対話した場所は、あの、雪哉が透子に告白した「ベンチ」である。彼女は一度、「坂道」で妙な空気になったこともあるが、常に恋愛感情を強く意識しながらの青春を歩む女性である。彼女が駆との対話に選んだ場所が衝撃の「ベンチ」だったことも、なんだか彼のスタンスを表しているようで興味深い。「やなぎだったらそこは日之出橋なんじゃ?」と一瞬思ったが、考えてみりゃ日之出橋は「やなぎと雪哉の場所」であって、それ以外の人間を介入させる余地はないかな。 「沖倉駆は観察者ではなく、被観察者である」。この1つの転換によって、この話はまるっと姿を変えてしまう。普通、「恋愛アニメ」と言ったら全てのキャラクターが同じ世界に立ち、競い合うことで成立すると思ってしまうところに、まさか1人だけ次元を違えた存在が混じっているとは今まで考えてこなかった。そして先週までは、彼のアクティブな行動原理から、てっきり「彼が物語を紐解く」物語なのだと思っていた。しかし、あくまでもこの物語を読み解き、世界を「知る」べき存在は、「見える」側の代表である透子だろう。彼女は常に「駆が見える」存在であり、「駆のことを考え」「駆の介入を許す」存在である。駆の持つ「聞こえる」はいつしか透子へと譲渡され、透子は完全な観測者へ、駆はその透子の手によって観測される側へ。それはつまり、透子が、青春時代の1ページとして、自分や回りの友人たちの持つ心象風景と向き合う物語。作中ずっと駆が「分からない」存在だったのはむしろ当たり前のことで、彼を読み解き、この街の中、若い男女の中で解体することこそが、このアニメの真の目的意識だったのではないだろうか。
うーむ、とりあえず一通り書いてみても、我ながら胡散臭い論調になっているとは思うが……多分、一回最初から見返さないと答えは出ない。いや、それでも答えが出るかどうか分からないけども……。しかし、おそらく制作側が意図している答えは存在している。無責任に意味の無いものを垂れ流しているだけではないはずだ。今回そう確信出来たのは、透子が2回目のピアノを聞くシーンが描かれていなかったことからである。普通に考えれば、最終回のあのシーン、透子が「たどり着けそうな答え」にすがるシーンなのだから、成功にせよ失敗にせよ、「透子の見た音楽」は視聴者に提示するのが普通である。「これが結論だ」と、一番分かりやすい形で見せて、決着をつけにくるはずだ。それが無かったということは、「そこも含めて、わざわざ見せずとも理解の及ぶ風景がある」と制作側が意図しているということである。「描かなくて良いから描かない」のである(まぁ、「書けない」という可能性も無いではないが)。さぁ、今一度この物語を振り返ってみるのだ。 ……ごめん、時間無いんだ。とりあえず、ここまでで勘弁してくれ。余裕があれば、他の視聴者の得た「答え」も見てみたいものだなぁ。 |
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Thraxi
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声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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