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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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「キャロル&チューズデイ」 6→6

 できれば今シーズン最後の感想記事はこれにしたいな、と思ってちょっと寝かせてたんだけど(「ありふれ」がずれ込んだため)、結局まだ一本残ってるもんだから最後にはならなかったっていう……まぁ、でも結果オーライですよ。良い作品でしたよ。

 ぶっちゃけ、最終話が無ければもうちょい評価も変わっていた可能性はあるのだが、今作で「最終回が無ければ」っていう仮定自体が全く無意味なので考えてもしょうがない。全てはあそこへ向かうための物語だったのだから。なんだろ、厳密にいうと「物語」っていうよりも「要素を着実に置いていくプロット」そのものっていう気もするんだけどね。ほんとに、個々の要素だけを取り出してみるとすごく幼稚というか、無垢というか、まっすぐな作品なのよね。政治の抗争にしろ音楽観の違いにしろ、取り立てて難しい言葉で説明する必要がないような「見ればわかる」要素ばかりなので、あらすじを書き出そうとすればすごくシンプル。何も複雑なことはやってないし、なんなら一本調子で退屈なくらいだ。

 しかし、そうしてバラまいた要素が全て「奇跡の7分間」でハマるべきところにかっちりとハマっていく気持ち良さは格別である。「そうそう、こうなるんだよね、めでたしめでたし」っていう感覚が非常にプリミティブな達成感をもたらしてくれる。このドラマ作りは、すごくシンプルなようでいて、おそらく繊細なバランス調整の結果なし得たものなのだろう。

 まぁ、その過程で退屈なエピソードもあったし、ちょいといびつな部分も無いわけじゃないので総体として「傑作」と言えるかどうかは見る人によって変わってくると思うが、個人的には最近アニメでぐっと増えてきた「音楽」をメインに扱った作品の中でも、また新しい1ページを刻む記念碑的作品になったんじゃないかと満足している。アイドルでもなく、活劇でもなく、ただひたすら「音楽」だけを流し、しかもそれがアニメファンにはそこまで耳馴染みの無い洋楽の類でこれだけ心惹かれるものに仕上がっているのだから、やっぱりナベシン監督の見せ方が上手いということなのだと思う。

 やっぱりこれって、どっちかっていうとアニメのフィールドじゃなくて洋画のイメージの世界だよねぇ。こういう、「今までのアニメでは扱われてないけど、世間一般の創作物ではお馴染みで好まれているもの」ってまだまだ他のジャンルにたくさんあると思うので、そういうのを引っ張ってアニメ作品にリビルドできるクリエイターがもっとたくさん出てくると、私のようなズボラで偏狭なアニメファンにはありがたいのです(もっとアンテナを高くしろって話だけどさ)。

 

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「ありふれた職業で世界最強」 3→4

 最終話の録画をミスったせいで、ずいぶん視聴が後ろにずれ込んでしまったためになんだか変なタイミングで終了。

 いや、別に面白くはないねん。ただ、1話の特殊構成がだいぶ酷かっただけで、作品全体としては割と頑張ってる部分もあったんや。甘いですかね?

 「なろう系」と言われてパッと思い浮かぶ基準値がこの辺かな、という気がする。世界設定に創意が感じられない点、最初のおっきな山場が終わると、それ以上特に書きたいこともなかったみたいでマンネリズムの極致へと流されていく点など。本作の場合、おそらく作者が「他のなろう系との差別化を図れる部分は何なのか」を必死に考えた上で作劇したんだろう、ということは感じられるし、そこからやりたいプロットがあったのも何となく察することができるのだが、結局その部分の匂いが一番キツくて足を引っ張る結果にしかなっていなかったのが本当に残酷だった。尖ろうとすれば尖ろうとするほどに無理が出て、足元がおろそかになっていくような印象。もしかしたら、アニメスタッフはその痛々しさを和らげるために、あんな変な構成からの作劇を思いついたのかもしれない。

 まぁ、これらはアニメだけを見て感じた純然たる予断でしかないのだが、とにかく最初の一山を超えるまでの展開はどこまでもなろう的で、厳しいものだった。そして、その一山を超えて残されるのは惰性で展開するなろうの残滓。過去の作品を見るに、こういう展開になったらあとは落ちていく方向しかない。「転スラ」なんてのはその最たるものだったし、もしかしたら「OVERLORD」あたりも方向性が迷子になって落とし所がわからなくなっているかも。発想の切り出しが一発勝負のなろう文化において、「作品を継続していく」ってのは創発ではなく単なる延命になることがほとんどである。

 本作もそうした「延命」による勝負が始まるわけだが、発端がキツすぎたせいだろうか、むしろ惰性による延命の方が見やすいという稀有な状態になっている。「もう、消失における長門以上に繰り返された展開だけど、もう、これでいいんじゃないかな」みたいな諦観を受け入れれば、苦痛を伴わない安楽死を迎えられる。たかみなウサギも日笠ドラゴンも、キャストのパワープレイのおかげでネタに昇華されているが、本当に「どっかで見たキワモノキャラのコピー」でしかないので全く新鮮味はない。それでも、「まぁ、こういう展開ならこうなるよね」というお約束をなぞるだけなので余計なストレスにならない。結局、なろう系が突き詰めるのはこのストレスフリーな安楽死のシステムなのかもしれない。そして、スタッフの頑張りを考えると、この安楽死の方が飲み込みやすいものに仕上がっているのは望まれた姿だったのかもしれないのだ。

 アニメ業界も終末医療を考える時代なのかもしれない。安楽死は合法化されるのだろうか(そもそも産むな)。えっ、続編があるの? まじで?!(苦悶の死に顔)

 

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「この世の果てで恋を唄う少女 YU-NO」 5→5

 まー、凄まじい作品なのは間違いないよね。ぶっちゃけアニメとしてはあんまり味わう部分もなかったのだが、歴史的な価値を認め、それを現代にこうしたアニメの形で再現してくれたことを評しての論功行賞としておこう。

 改めて確認すると、今作の発売は1996年だという。今からすでに20以上年前、いわゆるエヴァの時代にほど近く、「オタク」という文化がぬるりと表に出始めた、そんな時代なのだろうか。正直、そんな昔には私はまだオタクではなかったので(本当だよ、信じてよ)どういった文化が息づいていたのかは想像するしかないが、少なくとも今作のような「世界」が当たり前の時代だったとは思われない。常にシナリオラインに新しいものを求めて勝負を仕掛けることができるくらいにエロゲ文化が花咲いていたのだろうか、とにかく「まだ見ぬ何か」が今作には込められていたのだろう。ループものに異世界転移、そして概念との結合。どの要素も今となっては普通に理解されるものであるが、果たして当時の反応はどんなものだったのやら。

 残念ながら、私はそうした時代背景を計るだけの知識も力量も持ち合わせておらず、判断する軸は「現代のアニメとして面白かったかどうか」しか無い。そう考えると「別にあんまり面白くは無い」という結論になる。だってループの設定とかむちゃくちゃだし、突然のファンタジー世界とか安っぽくて「夜明けの炎刃王やんけ!」とかいうくらいしか突っ込むことがない。アニメーション自体もそこまでパリッとしたものではなく、本当に与えられた筋を追うのに必死な作品という印象。その筋にしても、前半のループ展開では本当に尺がきつくていろんな要素が「伏線置いて、ハイ、回収して」みたいな作業の繰り返しなので物語として没入しづらい。設定に遊ばれて作り込みがバタついた現代作品もこんな感じになってしまうので、そこを「時代や尺の違い」として分けることはできないのだ。

 ただまぁ、今作はそこは覚悟の上で作られているのも事実で、「消滅都市」に比べればまだ尺もあるし、切り捨てるべきは思い切って切り捨ててもいるはず。「筋を追うだけのアニメ」とは言ったが、それはとりもなおさず「筋は追えるアニメ」なのだ。こんだけのプロットを「一応成立する」という枠内で納めたのだから、それはそれで評価されても良いのではなかろうか。そういう意味での「論功行賞」ですよ。

 個人的になんか妙にツボったのは最終話で容赦無く亜由美さんが死んじゃうシーンで、序盤であんだけ見事なエクストリーム死の運命をエンジョイしてた亜由美さんが、「結局最後に死ぬんかい」っていうやるせなさが壮大な茶番みたいでやたらおかしかった。今作はエロゲらしくヒロインが大挙して押し寄せるが、最終的に一番本筋に絡んで面白い活躍したのって多分亜由美さんだよね。ユーノなんてほぼ舞台装置みたいなもんだったしな。そこにCVかもさんを充てて、エロいシチュエーションなんかも見せてくれたのはありがとうな部分である。いっそこれでもうちょいエロ方向に振り切ってくれると別な楽しみ方も出来たんだろうけどね。なかなか現代アニメで「全部のせ」は難しいというお話でしたとさ。

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「まちカドまぞく」 6→7

 なんかもうね、一言でいうとね、好きなんじゃよ。ほんとに。一番端的に表せる言葉は、「好き」だと思う。全部好き。

 毎週本当に楽しく観させてもらっていたのでシャミ子ロスが激しい。あの独特のとぼけた調子と半歩ずらした言語感覚。ただそこにいるだけでシャミ子はシャミ子としての役割を果たしているというのに、それが日常からなくなってしまう恐怖。この感覚は久しぶりに味わった「日常的きららアニメ喪失」現象である。勘弁してくれよ。

 しかし、今作は「きらら系」という枠の中に収まらず、思い切りフリーダムに飛び出したことこそが最大の魅力と言える作品。時代の変化とともに、きらら漫画も進化を続けているということなのだろうか。こうした変化の兆しは既に過去何作かで確認することができて、初めて「ちょっと違うな」となったのが「はるかなレシーブ」だったはずだ。正当なスポ根ものとして描かれた作品はむしろ「きらら系」としてはかなり異質で、その差分に順応するのに多少の抵抗もあった。そして次に繰り出された「アニマエール」。「はるかなレシーブ」ほどのスポ根路線は打ち出さなかったものの、作中では「部活結成から大会出場まで」というしっかりした部活もののエッセンスが詰められた立派な「学園青春もの」だった。アニメ業界全体で見ればそこまで奇異な存在ではなかろうが、単に可愛いだけの日常に耽溺する既存のきらら系作品の定義からは逸脱していたのは間違いない。

 そして、ついに物語はシャミ子へ至る。「魔族対魔法少女」というこれまた業界ではおなじみの設定も、きらら的世界観で描こうとすれば随分な違和感を持つもの。魔法少女のおとぼけ日常ものではなく、きちんと「戦う魔族」が魔法少女と対決する物語が、まさかこんな舞台設定から生み出されるとは思うまい。しかし、それが実現したのである。しかも、「きらら系」のセールスポイントたる「萌えとユルさ」を盤石のものにしながらだ。このハイブリッドは、普通に考えたら単なる悪魔配合でしかない。思いついたけどやっちゃダメなやつだ。これまでの常識からは、そうとしか思えなかった。

 しかし、シャミ子はその殻を突き破り、「日常系魔族バトル」を成立させたのである。それが何に起因した革新だったのかはいまだによく分からないが、やはりちょっとした会話の端々にも笑いのエッセンスをつぎ込む類まれな言語センスと、表面上はわかりやすいおちゃらけをやりながらも、確実にメインストーリーを前へと進めている巧みなストーリーテリングの融合によるものだろう。こんなにも珍妙で、ひたすらユルいだけだったシャミ子とモモの関係性が、こんなにも尊いものになろうとは誰が思うものか。全ての要素が、笑いと萌えを包含しながらも、しっかりとドラマを牽引していたのである。いやはやとんでもない時代になったものだ。

 おそらく原作時点でこうしたギミックの妙は完成していた部分なのだろうと思うが、これをアニメ媒体に持ち込んだ時の桜井監督の手腕がまた見事だ。氏の得意技である「不条理会話劇」が偶然にもシャミ子たちにマッチングしすぎたというのはラッキーであるが、ギャグのリズムは本当に繊細なもの。一歩間違えたらこれがすぐにでも崩壊してしまうということは、昨今のアニメサンプルでいくらでも見て取れる。どこまでをシャミ子のペースの中で盛り込むことができるか。何を語らず、何を見せるべきなのか。そうした細部の調整を病的なまでに意識しなければ、今作の空気感には至らなかったはず。「アニメにしたからこそ出せる速度」が、今作では本当に一番気持ちのいいリズムに合致したのである。奇跡は奇跡だが、これも人の作りたもうた奇跡。つまりは傑作と呼ばれるものである。

 とにかく言葉を尽くして褒めてみたが、それもこれも「好き」に集約される。ずっと見ていたい、そう思わせるだけでもこの手のアニメは勝ちなのである。絵が、画が、そして声が紡ぐちょっとしたドラッグ。一粒で数時間トリップできるこんなブツがあるなら、我々オタクは薬物に汚染される心配もないだろう(もっとやばいものの中毒になってる感はあるが)。ありがとう桜井監督。そしてありがとう小原好美。これで終わったと、思うなよ。

 

 

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Re:ステージ! ドリームデイズ♪」 5→6

 最後まで悩んだんですが……最推しカプはみい×部長でおなしゃす。不覚にも最終回はいろんなところで泣かされてしまった。なんというかこう……満たされた作品だった。

 やってることはシンプルで、ラブライブなんかのアイドルアニメの設定をベースに筋立てではガルパンをやろうっていうアニメだったんだ。美味しい要素をいろいろ取り込んで、ハイブリッドを目指す方策はちょっとズルい感じもあるのだが、「ほならやってみろや」の最たるもんですわね。ガルパンやろうとしたところで、あれは作画・脚本・作劇の全てが奇跡的に重なり合った結果生み出された一点もの。真似しようと思って簡単にパクれるようなもんではない。キャラ萌えだけに堕してもいけないし、アイドルを売り出すセールスむき出しにしても失敗する。何をもって「成功したアイドルアニメ」と見せるかは、想像以上に繊細なバランス感覚が求められる。

 そうして見ると、本作は種々のオマージュというか「いいとこ取り」があるのは間違いなかろうが、それ以上に「ならでは」の打ち出し方が巧みだ。個人的に一番驚いているのは「6人」というアイドルの人数がこれで一番ぴったりくるという事実。考えてみりゃ当たり前の話で、カップリングのための2人×3組で6人。偶数人の方が綺麗に収まるに決まっている。なぜかラブライブのおかげで「3×3=9人」というのがスタンダードなイメージがあり、この「学年問わずの6人体制」の座りの良さが想像以上にすんなりはまっているのはコロンブスの卵である。多分、アイドルアニメっていう先入観のせいで当たり前のことが新鮮に感じられたのだろう。

 そうして見やすい構図を整えて貰えば、1クールという限られた時間の中での関係描写もかなりやりやすくなる。最終的にKiRaReの6人はみんなしてとても愛おしい存在に感じられるようになっており、6人が6人の気持ちを込めて号泣する最終回はもらい泣き必至。「良いチームになったなぁ」と心から満足できるわけだが、考えてみりゃこれって相当すごいこと。思い返せば「ラブライブ」にしろ「バンドリ」にしろ、個々の人間性を理解し、組み合わせの妙(まぁ、カップリング)を楽しめるようになるのって、それなりに描写に時間をかけた後のこと。およそ2クール目に入ってからということの方が多い。それを今作では、本当に限られた話数の中で各々の個性をビビットに描き出し、阿漕なまでに組み合わせを押し出すことですんなり「6人のグループ」の完成形を見せたのである。まぁ、香澄だけややキャラは薄い気もするが、それでも「かえのパートナー」として万全であるし、主人公・舞菜とその相方・紗由については言わずもがな。そして泣く子も黙るみい&部長である。やっぱね、部長ポジションのキャラは問答無用で好きなのよね。多分東條希の呪縛だとは思うんですけど。

 最終回のライブシーンは「客の民度低すぎやろ!」という強引な展開で不安になったものの、その後の演出で「いいライブだったんや」という結論を強引にねじ込んできたし、そこで安易な大団円ではなく未来を残し、彼女たちの無限の成長を感じさせる「終わらず」エンドにしたのも心憎い。なんだか、欲しいものは全部望み通りに提供してくれた感がある。アイドルアニメっていうとどうしても「ライブシーンがどうのこうの」みたいな派手なシーンに目を奪われがちだが、本作はそこに至るまでの地道な足場作りにこそ見どころの多い秀作だったといえるんじゃなかろうか。新番チェックの際に「鬼頭明里のいるナンバーワンユニットはワイズマン」と書いていたが、今後は「ちょっと悩ませて」という解答になると思います。あと、個人的には田澤茉純をこのタイミングで推したいですね。ほら、ちょうどシンフォギアでもオートスコアラーの復活が話題になったし……。まさかアイドルとしてこんな形で出てくるとは思わんかったなぁ。

 

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「鬼滅の刃」 6→6

 普通に面白かったやんけ。やっぱジャンプ偉いな(元がつくけどジャンプっ子)。

 おじさんの力が尽き、物心ついてからというもの死ぬまで読み続けるのではないかと思っていた週刊少年ジャンプを毎週読む体力すらなくなり、手を離れてしまったのがここ1年くらい。それまでも少しずつ読む作品は減っていたのだが、基本的に絵が小汚い漫画は受け付けないので、今作は割と早めに切っていた。そんなわけでいよいよ「全然知らないジャンプ漫画」をアニメで見るという経験が本格的に訪れるようになったのだ(すでに「ブラッククローバー」もあったのだが、あちらはアニメもショボかったので早々に切り捨てた)。

 そして、こちらの作品はちゃんと面白かった。「あぁ、ジャンプで人気が出た漫画なのだ」と至極納得のいく作品。何しろ基本の構造はこれでもかというくらいにジャンプ漫画なのだ。どこか懐かしさを刺激されるような、DNAに刷り込まれた友情・努力・勝利の黄金律。最近はそれだけの漫画も随分減ってきたような気がしていたが、こうしてきちんとジャンプの中に息づいていたのだなぁ。とはいえ、もちろん手垢のついた王道展開だけで大願を成すことができるわけではない。本作の場合、原作で「小汚い」と思っていた作画のクセが独自の風合いとしてアニメの画面に花開き、「可愛い」と「グロい」の間をふらふらと行ったり来たりする独特の世界観がしっかりと個性を打ち出せている。単なる「剣士もの」だったらいくらなんでも打ち切り必至だろうが、本作の持つ奇妙なジャポニズムと、そこから展開される容赦ない「血と肉」の世界観は、おそらく真っ当なお客さんである少年たちにも奇妙な味として残ったに違いない(今のジャンプは本当に少年が読んでいるのか問題は置いとくとして)。そうして王道の強みを残しつつ、その中にたっぷりと毒と甘さを混ぜ合わせた世界観は、純粋にエンタメとして楽しいものになっていた。頭を使わずに理解できるわかりやすい筋立て、そして感覚的にどこか不協和音を奏でているような「ストンと落ちない」だけのアク。本作の魅力を説明するなら、そんなところじゃなかろうか。

 そうして見出された「現代ジャンプ漫画」をとんでもないアニメに仕立て上げたのは泣く子も黙るufotable。最近はすっかりFateだけ作ってるスタジオみたいなイメージになっていたが、こうして目の覚めるような新しい世界を一から作っている様子を見ると、やはりスタジオの地力が違うのだということをまざまざと見せつけられる。エフェクトを含めた戦闘時の描写の見事さは言わずもがなだが、2クールの長丁場でもブレない作品の彩りや、不思議と間延びしないテンポの産み方は、やはり1つのスタジオの管理下で目を効かせられるからこそなし得るものだろう。本来、アニメシリーズを作る現場ってのはこうあるべきなんだよなぁ。いや、税金の話は知らんけど。

 筋良し、画も良しで、あとは当然声も良し。最初から緑川・子安あたりが雑魚の鬼として登場してた時点で「このアニメは加減ってものを知らんのか。こんなところを使い捨ての雑魚でどんどん消化していったら、ほんとに強い敵が出てきたときどうすんだよ」って思ったらラスボスが関俊彦だったっていう。そりゃまぁ、納得するしかないじゃん。いいじゃん、すげぇじゃん。他にも途中で出たキャラなら手毬の鬼コンビとか、蜘蛛の鬼のシリーズとか、本当に出し惜しみせずにベストと思われる配役をつぎ込んでくるのは本当にありがたい。あと善逸役のヒロシモノ。あんだけの役をやって本当に馴染んでるのは奇跡だと思うよ。

 

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「通常攻撃が全体攻撃で二回攻撃のお母さんは好きですか?」 5→3

 放送中にでもかやのんの結婚報告とかあれば面白いのに、って思ってたけどもちろんそんなことはなかったぜ。結婚前にウェディングドレスを着ると今期が遅れるらしいですが、結婚前にコテコテの母親役をやると婚期はどうなるんでしょうか。

 どっかで「恵まれたタイトルからクソのような中身」っていう評価を見たことがある。まぁ、これを「恵まれた」というのも随分歪んだ価値観ではあるが、確かにタイトルの出落ち感が強く、「すげぇタイトルだな」という驚きに一切中身がついてこないがっかり感があるのは事実。「母親」という人類普遍の命題を扱っているのだからいくらでも共感を得たり、ドラマを掘り下げたりする方法はあったはずなのに、タイトルを思いついた時点で満足してしまったかのようなスッカスカのストーリーが、確実に視聴モチベーションを削っていった。

 「ラノベ界隈のテンプレストーリーなんて今更中身がどうこういうようなもんでもないだろ」と言われてしまえばそれまでだが、今作の緩み切ったシナリオラインは、単なるテンプレとかベタとかいう範疇を超えた、「形になってない何か」だ。結局主人公と母親の関係をどこからどこに導きたいのかがよくわからんのだよな。母親サイドからは無償の愛を施しにくるが、息子はそれを全力で嫌がるわけでもなくやんわりと受け入れ、時に感謝し、都合の悪い時には邪魔だと文句を言う。まぁ、「息子ってそういうもんじゃ」と言われたらそうなのかもしれないのだが、どうも母親のキャラ設定が相当安易なレベルで固定化した極端なものだったのに対し、周りの反応が振り切れないもんだからどこまでギャグとして処理するべきなのかがよくわからない。そしてストーリーも「母親」という概念をキーワードにして「様々な家庭の母子関係」を描くべく展開していくのだが、数話かけてやるほどの中身や新鮮味があるわけでもなく、特にメディ編なんてのは同じ展開を何度も何度も繰り返して本当に飽き飽きする。何か面白いものを意図的に「天丼」するならその意義は分かるが、どうも本作はそうした意図があっての構成だったとも思えないんだよな。

 基盤となるゲーム設定がよくわからないので、「いい話」をしようにもどの程度真に迫った状況なのかもわからず、都合のいいところだけ「ゲームだから」でお茶を濁し、設定の面倒なところを考えないための免罪符にしていたような印象。結局このアニメの展開をやっている間、プレイヤーたちの現実世界での身体はどうなっていたんだろう。もし「画面の中に本当に身体ごと入っちゃう」みたいな超設定だったとしたら、それはそれでギャグっぽくなるのがおかしいだろうし。全てにおいて半端なところで放置されていて、描く側が何をやりたいのかがわからないまま終わってしまったようにしか思えない。

 本作を楽しめる要素があるとしたら、1つは「そこまで悪く無い作画」部分だが、これを見てるとやっぱりアニメってのは画だけで何とかなるもんでもないなぁ、というのがよく分かるのである。そしてもう1つは「とにかく茅野ママに耽溺する」という方法であるが、やはりシチュエーションコメディとかシチュエーションラブとか(シチュエーションプレイとか)ってのは設定を練りこんで、入り込んでナンボ。せっかくの茅野パワーも、世界観が空疎では心に響くことはない。同様にかやのんが母親をやっていた「さよならの朝に……」の方は「マ……ママァ……」と泣き崩れることしかできないような中身だったのだから、今作で決定的に足りなかった何かを埋めたい人は、そうした作品に救いを求めるのがよかろう。個人的おすすめは「3月のライオン」ですかね。あっちもママじゃねぇけど。

 

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「ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 -魔眼蒐集列車 Grace note-」 6→5

 通常攻撃が全体攻撃で一人称が拙のフード女子は好きですか? 私は好きです。声が上田麗奈ならなおさら好きです。っていうかそこがメインで好きです。

 まぁ、そういうアニメよ。いや、女の子はみんな元気なので、高慢ちきなロリだって可愛かったし、なんなら悪辣さ100万点の和服眼鏡女子だって可愛い。共通点はみんなして声が可愛い(そればっかや)。そうして女の子を愛でていたら、いつの間にかアニメは終わっていた。

 だって、一応ミステリを標榜してるくせして推理要素がもともと存在しないから考えようがない……。いや、「無い」ことはないんだろうけど、考えても意味がない。ただ、別にそこを欠損だと譏るつもりはない。ハナから「魔術師が相手の時点でハウダニットを考える意味がない」って宣言されてる時点で、今作はそういう推理を必要としないことを断り書きしている。むしろ「ハウダニットは問題ではなく、ワイダニットを考えるべきだ」という推理手法というか、ゲームのルールはミステリとして考えたときに独自の旨味になる可能性もあったわけだしね。多分、そういう「Why」をちゃんと追えるくらいにこの世界に馴染んでいる人には、きちんと落とし前が見える作品になってたんじゃなかろうか。

 ただ、如何せん私はFateシリーズアレルギーみたいなところがあってなぁ……。ウェイバーさんが色々と説明してくれてる言葉も概念も、いちいちよくわからん。これがもし気になる要素なら「ちょっと調べてみれば分かるかな?」っていう方向性にアンテナを伸ばすことも可能なはずなのだが、ものがFateシリーズとなると、「どうせ調べてっても際限なく情報が広がってくやつだろ……」という諦観があり、アニメの初見で得た情報以上のものを知ろうという欲求が大きく削がれてしまうのである。余計なものに触れるのが面倒になってしまう。結局、どこまでが根強いファンへのサービスで、どこからが初見のユーザーに与えられた導入なのかが判別できないので、なんとなく遠くから眺めているようなスタンスを動かすことができないのである。

 まぁ、それでも雰囲気はちゃんと出ているし、キャラははっきりしてるのでわちゃわちゃしてるのを見てるだけでなんとなく楽しめもするのだけどね。今作の場合、徹底的に「Zero」でのライダーとの思い出を刺激されるのでそれだけでも泣けるしなぁ。続編が作られたとしたら「わぁい、またグレイちゃんに会える!」って素直に喜ぶとは思います。ちなみに、私が本作で一番驚いた要素は「えっ、ルヴィアさんって正史で実在するキャラなの?!」っていう。てっきりプリズマイリヤオリジナルのドタバタギャグおばさんだと思ってたわ。

 

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COP CRAFT」 5→5

 愛すべきクソアニメ。なんだろね、もう最近のアニメ産業では「万策尽きるのは前提にして、その中でどれだけ綺麗に視聴者をケムに巻くか」みたいなところに勝負のグラウンドが移ってる気がしますね。

 いやいや、でもこの作品はほんとに嫌いじゃなかったんだよ。クソアニメと言われればクソアニメなのは間違い無いのだろうが、クソ要素の大部分は作画のへなちょこ加減にある。脚本部分に大きな加点要素も無いかもしれないが、やりたい筋は分かりやすかったし、最後にゼラーダさんがきっちりラスボスとして立ちはだかったおかげで「地球人とセマーニ人の融和」という大上段のテーマ設定もかなり見やすくなった。序盤にデニスがあっさり死んだ時には「どんな話やねん」と不安になったものだが、シリーズ全体を通してみればちゃんとこのゴールに向かって走っていたことは分かるし、何よりも一番大事なケイとティラナのバディもの要素はかなりはっきりとセールスポイントとして打ち出されていたのが楽しい。ティラナは素直に可愛いし、「おっさんと世間知らずの少女」のバディものなんて、その設定だけでも楽しいに決まっている。ティラナの不遜ながらもまっすぐな性格とケイのひねてるけど憎めないダメ男体質の組み合わせがほどよく、「よくあるドラマの筋立てなんだろうけど、王道って大事よね」という納得が得られる。そうして描くべき要素がちゃんと描かれていれば、作画が多少へたっていても、最後まで見られるものだ。

 そして何回か感想でも触れたが、今作の場合は「作画がしょぼい」というところは既に制作側もわかっていることで、それを何とか面白くしてやろうと、色々と足掻いているのが分かるのが妙に愉快だ。「どうせ動かせないなら諦めて止め絵で繋いでやろう」とか、「なるべく作画の負担が少なくなるように動きが見えない構図からカットを切ってやろう」とか、まるで昔の特撮が必死にピアノ線を隠すかのように、とにかく手が足りないところを工夫(?)で補おうとしている。こうして必死に足掻くことで、確かに「見たことがない」画面が飛び出してくるのは間違いない事実なわけで、それがいいことか悪いことかは置いといて、唯一無二ではある。個人的には、こうした地獄をこれまでなんども渡り歩いてきた板垣監督がここに来て開き直った新境地なんじゃないかと、ちょっと期待もしている。低予算アニメの名手として、今後いろんなところで手腕を振るうようになったら面白かろう(まぁ、そうならないように業界が調整しなきゃいけないんだけど)。

 こうしてみると、なんで村田蓮爾絵のアニメってのは苦境ばかり味わわされるのかと同情してしまうが、単にアニメで動かすのが大変な画風ってだけなのだろうか。でもCGベースの作品とのマッチングは素晴らしいんだよね。「ラストイグザイル」とか「ID-O」とか。今作もオープニング映像の構成が見事で、イメージ映像に限っては本当に良い働きを見せている。奇しくも我が心の名作オープニングアルバムに保存されている「シャングリ・ラ」のOPと似たような立ち位置だ。オープニングのオサレ感とワクワク感は今期アニメでも屈指なのでこれを見てみんな本編への期待を高めよう(今更)。

 

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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
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