最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
過去と現在のごたまぜスペシャル、第23話。拭いきれぬ怨讐には訣別を、そして忘れえぬ思い出には、忌まわしき再会を。なんか変なキャラが出てきたが、運命の悪戯と言いつつも、誰かの意図を感じずにはいられない配剤。 因縁の地へと舞い戻ってきたのだから、そりゃまぁ色々と起こる覚悟はしてたさ。それにしても星野兄妹は懐かしい土地に戻ってきてちょっとテンションが上がりすぎたのだろうか、やたらと迂闊なことをしていてヒヤヒヤさせられる。まぁ、誰に話したところで信じてもらえないような突拍子も無い経験由来のものなので、ここで何が「バレた」としても大きな問題じゃないと思っているのだろうが……。兄と妹、2人の激ヤバ話を一身に浴びせられるあかねは災難である。2人とも「こんなん話したら面倒なことになりそう」とか思わんもんかね。まぁルビーの方は基本的に不注意な人間なのでしょうがない。それにしたって「ずっと昔から憧れていて、自分を導いてくれた運命の人(超年上)がいる」なんて話をしてしまって、星野ルビーの人生とどう辻褄を合わせるつもりだったんだろう。ルビーが生まれた時からアイドルを目指して生きてきたって話はその辺から漏れ聞こえてきそうなもんで、そんなルビーが「せんせー」に助けてもらうタイミングなんてなかったはずなのだが……「二度の生」を生きていること、あかねくらいの洞察力があれば肉薄されそうでちょっと怖い(流石に無理やろ)。 そしてアクア。彼の場合も、すでに問題は解決したと思ったからこそ多少ガードが緩くなった部分はあるのかもしれない。いくら故郷の地だからって、いきなりあかねを引っ張り回してあっちこっち歩き回るのは変だし、しれっと「雨宮吾郎」という人物に言及してしまっているのも気になるところ。病院で看護師さんとやりとりしてるのも聞かれてるだろうし、やたらと生い立ちに詳しい上に勝手に生家にまで押し込んでブツを漁っているのは「知り合い」というにはいささか行きすぎた関係性。あかねは何も思わなかったのか、「またアクアがよからぬこと考えてる……」くらいは感じ取っていたのか。どちらにしろ超常の世の話なのであかねのスキルで全貌は明らかにならないとは思うが、2人してたった1人の「部外者」に負担かけすぎである。 こうしてあかねが星野兄妹の秘密に肉薄してしまうと、心配なのは意気消沈のかなの方。今回も全力で可愛いに振って各方面にアピールしていたかな。正ヒロインとしての立ち振る舞いというならこれで100点なのだが、今回はあくまでサスペンス主体。そっちに寄り添ってるヒロインは現状では間違いなくあかねの方である。もう、このままだとアクアの人生を左右するあかね、ルビーの目標を支え続けるかなというペア構造も想定できるくらいだが……いまだにルビーとかなの関係性ってそこまで深く見えてないんだよな。かなとあかねの方がまだ因縁が深い。ファンからの反転アンチは、まぁウザいはウザい。 しかし、蚊帳の外とはいえ構ってもらってるかなはまだマシな方。本作における善の体現者、そして最大の苦労人といえば(社長もたいがいだが)やはりMEMちょである。今回も彼女のスタンスが不憫すぎてもう……こんなかわいそ可愛いキャラを世間で放っておいたらダメですよ。わたくしは全力でMEMちょの幸せを応援します。ただ、現時点では彼女の幸せの糸口すら見えてません。B小町の成功が最大目標ってこともなさそうだしなぁ……一番いいのは……PVが大バズりして大金が転がり込んでくる展開かな……。 そんな25歳の苦労の裏で起こる、16年ぶりの衝撃の「再会」。よりによって吾郎の身元を示すのがアイのキーホルダーってのがね……あれ、「星野ルビー」目線だと吾郎の身元を示すものにならないはずなのよね。だって吾郎が死んだのは16年前なのだし(それくらいは検視でわかるだろう)、その時点で0歳のルビーが知ってるはずがなく、吾郎の身分証とかならまだしも、アイのグッズ=吾郎になるはずがない。しかしそれに気づいてしまって衝撃を受けているルビーが間違いなくここにいる。さて、隣のあかねさんはこの状況をどう見るかな? そして、兄の目から転写したかのような黒い星。果たして彼女の「黒」は何をもたらすことになるのか……。 PR 2人の女、2つの恋愛、第22話。今週は登場したキャラがアクア以外に3人のヒロインのみ(あと????)。それぞれに描かれる彼女たちの生き様(ルビーはなんもしてない)。 Aパートはチョロい女、有馬かな。子役時代から業界の最前線を突っ走り続けた女は、すいも甘いも噛み分けた海千山千だと自分では思っていたかもしれないが、その実、がむしゃらに走り続けたせいで視野の狭い、生きるのが下手な奴でもあった。アクアという珍奇な存在に振り回され、“天才”有馬かなもてんやわんや。そうしてドタバタテンパっちゃうところがかなさんの可愛らしいところでもあり。アクアはそんな彼女に対して微塵も異性としての意識は持ち合わせちゃいないようだが、「幼馴染」としての信頼は篤い。だからこそあっさりとデートにもしけ込むし、普段なら見せないような隙だって本音だって見せてくれるかもしれない。まぁ、残念ながら生まれの呪いについてはかなにだって話すことは出来ないのだが……。 現時点でかなが一番気にしているのは、そんなアクアとあかねとの関係性。「あのアクアがふつーに同世代の女の子と好き合って付き合うなんてことはありえない」くらいの推測はあるだろうし、あかねのあの態度から自分が上をいける可能性も感じ取ってはいるのだろう。しかし、いかにかなであってもここまで歪み切った2人の関係性を正確に言い当てることは出来ず、「脈ありかもしれないが現時点では付け入る隙はない」とも思っているかもしれない。可能性があるとすればアクアが業界にもまれて何人もの女に平気で手をだすようなクズ男だった場合だが……残念ながらアクアのそのムーブも生まれの呪いによって完全に否定されてしまう。アクアがクズでなければ突破口が無いが、アクアがクズなら突破する意味もない。今は積極的に動けないかなさん。宮崎旅行で何が動くかは分からないが、ひとまずは現状維持から逆転の可能性を伺っている。 Bパートは聡い女、黒川あかね。アクアにとっての彼女は都合のいい看板であり、利用価値の高いブレーン。公式に彼女がいる設定にしておけば業界内でも余計なしがらみを気にせず立ち回りやすくなっていたし、人智を超えたあかねの洞察力・分析力は、本気で腹を割って話せば自らの復讐劇の有効な武器になっていたことだろう。しかし残念ながらそこまで内情をぶちまけることも出来ず、さらに問題は自然と「解決」してしまった。なるほど、何で姫川のDNA鑑定なんてやってたのかと不思議だったのだが、関係者については片っ端から調べるというとんでもねー「数打ちゃ当たる」戦法だったのか。久しぶりにアクアの執念の不気味さを再確認できた気がする。 アクアがあかねのことを「ビジネスパートナー」と見ているというのは何とも薄情な話ではあったが、このカップルのややこしいところは、それを受けるあかねの方も関係のいびつさは重々承知しており、望んでそれを受け入れていたところ。あかね自身、アクアのことを憎からず思っていたのは間違いないのだろうし、本人の言うとおり「キスだってエッチだって」望まれれば応えるくらいの覚悟はあったのだろう。しかし、そうして全てを受け入れて情動のままに関係を進めるのは、アクアもあかねも賢しすぎた。あかねは「アクアが好きだから」全てを受け入れようとしていると思っていたが、なんとまぁ、そのあかね自身が「好き」を未だよくわかっていなかったと言う。「初めてだったんだから」と本人は言うが、それだって言い訳でしかなく、持って生まれた性分として、あかねは好き勝手な恋愛が非常に難しい質なのではなかろうか。何しろあれだけの洞察力を持ち、他人のパーソナリティに潜り込んで自己へ落とし込む特異能力を持っているのだ。恋愛というのは相手への興味から始まる。相手が自分と同じか違うかで一喜一憂することも楽しさの一部だろうが、究極的には、相手の全ては分からないからこそ興味が維持される。「底の割れた相手」に興味を持てないのはどうしようもない。そしてあかねは、やろうと思えばどんな相手だって「底を割って」しまうのだ。そしてそれがコミュニケーションの一部であるというイカれた行動原理さえ有している。黒川あかねは絶望的に恋愛向きの性格ではないのである。 アクアの方はそれを知ってか知らずか、自分の復讐劇や恋愛ショーにあかねをつき合わせることを「縛っていた」と表現している。あかねのようなとんでもない才能を自分のエゴで束縛するのはあまりに代価が大きいと判断し、この度の問題解決にあたり、あかねの「解放」を視野に入れる。そしてアクアは、そんな提案をあかねが受け入れてくれることも何となく分かっている。底の底の部分には秘密を抱え込み続けながらも、表層では互いの性質を十全に理解しているためだ。このままとんとん拍子でいけば、2人のビジネスパートナーとしての関係性は、ビジネスとして終わりを迎える。……はずだった。 しかし、ここにきてあかねの埒外の洞察力はアクアを超える。何かに引っかかったあかね。何かに気づいてしまったあかね。彼女に与えられた選択肢は2つ。その「気づき」を飲み込んでアクアの人生にこれ以上の遺恨を残さず、すっぱりと切れて別々の人生を歩むか。それとも、ここでの気づきをアクアに共有し、これまで通りの歪みきった「共犯」関係を続けていくか。どちらのルートがアクアにとっての幸せなのか。それを判断するには、まだあかねには情報が足りないのかもしれない。 ぶっちゃけ、わたしゃまだあかねの気づきが何なのかははっきり分かっちゃいないのだが……なんか出てきましたね。確実に全てを知る男が。まぁ、そういうことなんでしょうなぁ……。 頑張れMEMちょ、三十路がなんぼのもんじゃい! 第21話! 別に若く見えるならいつまでアイドルやったっていいじゃない。中の人なんて成人してしばらくしてから未成年に間違われとるんやぞ。まぁ、あれがアイドルの姿かと言われたらNOではあるが……。 前回までで「2.5次元舞台編」がおよそ片付き、今回は幕間というか、嵐の前の静けさというか。姫川にぶっ込んだことによってあっさりと父親の話が聞けたアクア。すでに心中してしまったという父親の事実を語られ、これまでの苦労はなんだったんだというくらいに何もかもが雲散霧消。まぁな、死人をいくら恨んだところでしょうがないわけでな。勝手に「無責任だったアイの相手役は今でものうのうと芸能界で生きているに違いない」と思っていたからこその恨み骨髄だったわけで、その人物がすでに故人であると伝えられたら怒りのぶつけようもない。姫川がここで嘘をつく理由も何一つ無いわけで、アクア目線ではこれにて復讐劇も閉幕である。あれだけ染み付いていた黒き星も潰え、有馬かなも太鼓判な「きれいなアクア」が爆誕したのであった。……まぁ、私は原作知らないからなんとも言えないけど、世間で騒がれてる展開からしてここで終わりなわけはないのだが……次に訪れる宮崎ってのがアイたちの因縁の地ということで、何かしらのどんでん返しが待ち受けているのは確実だろう。でなけりゃ連載が続いているわけがないからな。 まぁ、そこはメタ視点でのお話なので、とりあえず「アクアは一旦浄化されたので、次はルビーのターン」というのがアニメ的な展開ということだけ受け止めておこう。今回のサブタイトルはわざわざカタカナで「カイホウ」となっているのが色々と意味深で解釈次第で色んな意味を妄想できる。当然最優先で含意されているのはアクアの長きにわたる呪いからの「解放」。もうアイの呪縛を気にすることもなく、「幸せになってもいいのかな」なんていっぱしの主人公ヅラしてみちゃったり。突飛な「解法」で「快報」を得たアクアのメンタルははっきりと「快方」に向かっているし、長きにわたるあかねやかなの「介抱」の甲斐もあったというものだ。結局アクアがずっと「懐抱」していたものは誰にも明かされず仕舞いだったが、まだ似たようなものを妹は抱えている。そして次なるステップは新たな「壊崩」の序曲ともなりそうで……ってとこまで行くと流石にやりすぎか。 まぁなんにせよ、アクアの人生はこれで転機を迎えたが、別に復讐など企てておらず、ひたすらにアイの意思を継ごうと邁進していたルビーの人生は何もかわっちゃいない。彼女がB小町として成功するためには、あとは事務所の面々が一丸となって頑張るしかないですから。だからこその頑張れMEMちょなわけですよ。つい最近真夜中ぱんチが70万登録者を突破してたもんで「2万」とか言われてもさっぱりピンとこないのが悩みの種だが、もちろん私とて最低限の配信者事情は理解しているので2万を超えたことはとてもすごいことだってのはなんとなく分かる。さっぱり分かってない現代っ子のルビーとかなの方が異常なのだ。まぁ、そんなとこで止まってられないという向上心の表れと好意的に解釈しておこうか。ここから立て続けに現実的なセールスプランを打ち出すことによって、今後は作品内におけるMEMちょの地位向上につながっていただきたい。……まぁ、星野一家の因縁と1ミリも絡まないキャラなのでどうしても疎外感はあるのだが……苦労人、MEMちょが幸せになる展開を望んでおります。 ジンジャエール、第20話。考えてみりゃこんだけ世知辛い話してる割に今作は未成年が多いんだよな……。かなさん、何でも酔えるのはとても都合がいい設定ですよ(?)。 さて、2.5次元舞台編はここで一段落ということになるだろうか。封切り初日の熱量がとんでもなかったんで、かなが言ってたように「この熱量で1ヶ月公演とかできるんか?」と心配していたが、それをこなすのが役者というお仕事なのだろう。堂々たる終幕シーンが描かれていたので「これが千秋楽の様子かぁ」と思ってたが、どうやらまだ全日程が終了したというわけではないみたいですね。単に監督を飲みに連れ出せた日のことがクローズアップされただけか。 その前に、初日舞台におけるあかねとかなの関係性だけとても良かったので確認しておこう。前回のエピソードからかなのことを「太陽」、あかねのことを「月」と評したが、まぁ大筋でその感覚は間違っていないだろう。自分の人生を強引に切り拓くためのかなのまっすぐなモチベーションは、天才子役を天才役者にまで育て上げた。そんなかなの演技を見せつけられ、憧れにまだまだ届かぬと悔し涙を流したあかねの心情も察することができる。 しかし、今回の一件でかな>あかねという上下関係が固まったかというとそうでもないってのが面白いところで。そう、別に月と太陽に上下関係が無いように、2人の役者道にはそれぞれの生き様があり、それぞれの良さがある。果たしてどれだけの人が気付いたかは定かでないが、”天才”有馬かなの目にはあかねの持つ特異性がはっきり認識できていた。それはあかねの演技自体ではなく、そのプランが相手役だったアクアに与えた影響。アクアは舞台後半に「苦しむ演技」を選択した。それは舞台のシチュエーションと過去の自分を重ね合わせ、無理やり地獄のような感情を呼び起こしてそれを舞台上でぶつけるというもの。彼の生きる意味を根元から奮い立たせることはできるが、その度にあの記憶がフラッシュバックするのだからまさに魂を削るような作業だ。そして、そんなアクアの選択した苦難の道に寄り添うのが黒川あかねだった。彼女はアクアのやろうとしていることを見抜き、それならばとばかりに自分の役である「鞘姫」に加えて「星野アイ」をも内包させる。かつて徹底的にアイをラーニングしたからこそ出来るこの荒技により、より舞台上がアクアの記憶と重なることになり、アクアの演技をブーストすることに成功したのだ。なるほどこれはかなには真似できないプランである。自分自身から発揮される役者としての「天性」より、他者から学び、”真似”びとったものを映し出すことで相手に影響を及ぼす演技。まさに光を反射する月のような存在。互いが互いを認め合い、今回の女の対決は痛み分けといったところか。 こうして舞台の上でのあれこれが一旦片付き、本気でぶつかりあった「舞台役者」たちはさまざまな感情へと波及していく。ルビーはかなの演技を見せつけられて何を思ったか。兄の目に黒い光が宿り続けていることを、妹は気づいているだろうか。 個人的に嬉しかったのは原作のアビ子先生と脚本のGOA氏の関係性。2人して隣り合った席に座ったりはしていないのがニクらしいが、それでも間に挟まった「原作コミック」と「台本」が寄り添うことで2人の融和がこれ以上ない形で示されたし、ひいては「原作と舞台」の最高レベルでの統合も示唆されている。世の中のメディアミックスがみんなこんなふうに幸せに終わればいいのにね。 そして舞台は次のステップへ。アイの復讐のために舞台監督に狙いを定めていたように見えたアクアだったが、何とその視線の先にいたのは姫川だった。施設育ちだという姫川と、幼くして母を失ったアクア。2人は「足りない者どうしで似ている」というのが舞台監督の弁であったが、何とまぁ、その裏には血縁があったという。アクアもなんでそこ調べる気になったんや……。予想外すぎる展開から、果たしてアクアの野望は前進するのだろうか。次回は……総集編かい! 太陽と星、そのあまりに違う人生航路、第19話。舞台の上にたくさんの人生が交錯する。 有馬かな、彼女の人生も波乱に満ちたものだった。芸能界、子役の世界を語る時に、やはり避けて通れないのはその親の話。どんだけ天才だろうと、どれだけ早熟だろうと子供が自分の足だけで芸能界にやってくることはないわけで、そこには大なり小なり親の思惑がついて回る。2世タレントなら「それが当然」という思惑が、そしてそうでないなら、「子供を芸能界に入れたい」という思惑が。有馬家はそれがちょっと残念な方向に出てしまったご家庭だったらしく、たまたま娘さんが才能を持ち合わせているという不幸も重なり、かなが子役になってしまったばかりに家庭崩壊のきっかけを作ってしまっていた。かな自身に何1つ悪いところはなく、彼女の口ぶりを聞けばきっと今でも決して母親のことが嫌いなわけではないだろう。それでも皆が不幸になってしまったのは、もはや芸能界に限らず、あらゆる人と人の交わりの中でも単なる不幸というしかない部類のものだ。 むしろかなは幼いながらに必死に戦い、芸能界からフェードアウトしないというギリギリのところで踏ん張った。それが親のためなのか自分のためなのか、一時期のかなはすでに分からなくなっていたかもしれないが、アクアたちの協力もあって業界で前向きに生きられるようになり、自分がこの業界で楽しみを覚えていたという一番大切な事実を思い出せた。それでもなお、先週までは長らく鍛えていたブレーキが適度に機能していたが、この度、強火のファンである黒川あかねがそばにいたこともあり、周りの連中みんながグルになってかなを焚き付ける。ほなもう、燃え上がるしかなくなってしまう。 有馬かなの本来の持ち味は、泣きの演技などではなく弾けるような眩しい存在感だったという。そのことを一番よくわかっていたのはあかねで、先週のサブタイトルは「太陽」。有馬かなという「役者」は、周りの人間にもバシバシ影響を与えて燃え上がらせる、太陽のような存在だ。そんなかなの影響を受けて看板役者にまでのし上がったあかねの輝きはさながら月といったところか。今作において「目の光」がさまざまな意味を持つ重要なファクターであることは1期1話から繰り返し示されていた重要な事実であり、先週もメルトくんの覚醒には「目の中の光」が重要なサインとして用いられていた。これまでたくさんのキャラクターが、独自の輝きを目に宿し、その生き様を示してきたものだ。 そして有馬かなの「目の光」はどんなものか。そりゃもう、他の追随を許さぬ程に煌びやかに光る、無数の光源である。「太陽」の光は周りのすべてに拡散して明るく照らす。そのあまりの存在感にあかねもメロメロだし、観客だって一気に「主役」に引き込まれていく。今作にこれまで存在しなかった「太陽」という中心の存在、それが有馬かなの正体だった。 それでは転じて、今作で一番最初に「目の光」を宿した人物は誰だったかといえば、もちろん星野アイである。その名に示され、「アイドル」の歌詞で「一番星の生まれ変わり」と表されたアイの目の光は「星」。太陽と比較することはできないが、これまた自分から光を発し、常に人々を魅了する唯一無二の光。ただ、そのあまりの距離に人々はいくら手を伸ばせども届かぬ存在でもある。そんなアイの「星」を受け継いだアクアとルビー。ルビーはまっすぐに「一番星」への階段を登っている最中だが、アクアは自己に内在する「星」を拒絶している。いや、別にアイを拒絶しているわけではないが、自分自身が輝きを発することを拒否している。芝居で輝きを発した時に自己矛盾から心を壊してしまう程に、身体が輝きを拒絶している。それは今回監督が分析していた通り、自らにとって最大の「輝き」であったアイを救えなかったという罪悪感からきているのだろう。アイを差し置いて、何を自分がのうのうと輝いていいものか。たとえその才能の断片を受け継いだとて、自ら押さえ込んではそれもそれで撞着を起こす。かくしてアクアはその目に「黒い星」を宿すこととなる。 有馬かなは輝いた。周りに光をばら撒き、全てを照らして揺さぶった。しかし、光を飲み込む闇もまた存在する。ブラックホールの如きその漆黒に、かなの光も映らない。ただひたすら底の底に押し込めて、1人アクアは辛苦の道を往く。 感情芝居にはいくつもの側面がある。役者が楽しいと感じればそれは最高の才能であり、観客にアピールできる格好の武器にもなるだろう。しかし、感情はポジティブなものばかりではない。苦痛だって立派な感情だ。よりにもよって「目の前で最愛の人を殺される」というシーンで求められる感情芝居。アクアは全く別方向から、パニックを起こさない方法で感情を呼び起こす。どれだけ身を削ろうとも、どれだけ黒く染まろうとも、それが彼にとっての生きる意味。 彼の舞台は、未来につながっているのだろうか。 黒川・有馬、その数奇な巡り合わせ、第18話。誰もが皆本気で生き抜いている、そんなタフな世界だからこそ見えてくるものがある。 ちょっと前に明かされた「実はあかねはかなに憧れてこの業界に入ったんだよね」という、かなが性格悪くあかねをいじるだけの要素だと思われていた事実は、想像以上に2人の生き様に色濃く影響を与えていた。特にあかねの方はまさに「人生を左右する」決断を行なっているわけで、かながいなかったら今のあかねもいなかった。人生の道標である。そして、そんな「憧れる者」「憧れられる者」という完全に「上下」があるはずだった2人が、今や全く同じ板の上に平等に並び立っている。あかねからしたら、積年の想いのこもった記念すべき舞台であった。 2人の人生は同じものを目指しているようでいて全然違うというのは気をつけなければいけない部分。前々回も触れたが、あかねはほんとに純粋培養で「演じる」ことに特化した生まれながらの「役者」。いや、生まれながらのというのは若干の語弊があり、幼い有馬かなという「演じるのプロ」に憧れることで生み出された「最高の演技を求める求道者」というのが正しい表現だろうか。本人曰く元々は引っ込み思案な性格だったわけで、人前に出ることが天性の才能だったわけではないのだろうが、彼女が持つ才は一点集中型の「固執」と「解体」。ただ1つの事象に入れ込み、対象を自分の満足行くまでひたすらに分析・解体して飲み込むところまでが彼女の中でのワンセット。徹底してその本質を理解しようとすることであらゆる対象への造詣が深まり、それが役者という才能へと活かされていく。その最たる対象は、当然憧れの発端である有馬かなその人であった。 転じて、有馬かなももちろん類稀なる演技の才能を持ち合わせており、「10秒で泣ける」特異性を幼い頃から自認できたおかげで、すぐさまそれを最大限に活かす技と環境を手に入れた。しかし、そうしてあまりに幼い頃に適材を適所に当てはめ過ぎてしまったことが彼女の不幸。彼女が生きるべき芸能界は単に演技ができれば生きていけるというわけではない。他に生きる道を知らず、ただ死に物狂いで生存に賭けたがために、彼女の目的は「業界での生き残り」に特化した。その結果演技を使ったさまざまなスキルを身につけ、純然たる「役者」としては異物の多い「芸能人」の有馬かなが出来上がった。 その醸成の過程で2人の少女が出会ってしまったことが因縁の幕開け。当時のかなは歳に似合わず、すでにあの時点で業界の歪みや醜さに気づいていた。そして、物心つく以前からその世界で生きてきたかなにとって、もはや外の世界など無いに等しい。ただ自分を育て上げた業界で生きていくために、どんな泥でもかぶらなければいけなかった。あかねはそんなかなを見て失望し、その反骨心もあってより純然たる「役者」の道を極めることになる。 しかしここで注意が必要なのは、別にあかねはかな自身に対して大きな失望を抱いたわけではないという部分。もちろん出会いはショックだっただろうし、理解も及ばず心は離れただろうが、それでも彼女に生きる道を与えてくれた「天才子役」有馬かなの存在は変わらずそこにあったし、あかねほどの分析力をもってすれば、あの時のかなの苦しみもおよそ汲み取っていただろう。だからこそ、「女優」有馬かなの帰還を待ち侘び、ついに訪れた共演の機会に喜び打ち震えたのである。 幸いにして、かなの業界への失望は事前の星野兄妹の活躍もあって憑き物が1つ堕ちている状態。アクアとの演技のおかげで「演じること」への情熱は再び燃え上がっていたし、ルビーのおかげで業界での活動にも前向きになっていた。あかねの念願叶って、ここにきて「役者」有馬かなは帰還の目があったのである。日々の交流でもそのことを感じていたあかねは、ようやく「憧れの人」との再会を実現させ、幼い頃の夢が叶えられると、そう思っていた。 しかし残念ながらそんな個人のエゴはこの業界ではなかなかまかり通らない。否、通ってもよかったのだろうが、有馬かなはまだまだ「お利口さん」である。なまじ「天才」であったからこそ、求められるものを全て小器用にこなせてしまうことが裏目に出て、あかねの願いは未だ叶わず。そして、そのことに失望するのはあかねただ1人……ではなかった。有馬かなを間近で見続け、彼女の欺瞞に気づいていた男がもう1人。 アクアから「本当の有馬かな」を熱弁されるのは、あかね的にはどんな気持ちなんだろう。しかし今はまだ、そのことで心揺らされる時ではない。一番の信頼をおけるアクアが目的を一にしてかなを引き摺り出してくれるという。ならば乗るしかない、このビッグウェーブに。こまっしゃくれた天才子役に、一泡吹かせてやろう。
相変わらず激烈に魅せるねぇ……第17話。よくもまぁ、毎週こんだけの展開をやって成立するもんだ。シナリオ的にも、映像コスト的にも。1話1話の単体でのクオリティだったら1期より2期の方が高いんじゃないかな。 いやいや、凄まじい内容だったとはいっても、冷静に考えりゃ「脇にいたどうでもよかったサブキャラの成長エピソード」である。本筋から考えたら別にどってことない話だし、「才能(ルックス)にあぐらかいて人生舐めてた奴が心を入れ替え、努力したら結果が実りました」というフォーマットだって大きな捻りもなくフツーの話といえばフツーの話。これを特筆すべき30分にまで持ち上げられるのはマジでアニメのパワー。今回のコンテを務めた「猫富ちゃお」っていう変な名前の人は前期から助監督名義で参加してる人らしいんだけど、動画工房周り、平牧監督周りにはまだこんだけエグい人がいるもんなんやね。 今作の面白いところ、というかズルいところは、その面白みをあけすけにメタレベルをあげて視聴者に意識させてしまっている部分。何しろ今回のお話だけで言えば、何が面白い要素なのかを全部アクアが作中でしゃべっちゃっているのだ。「それまでどうってことないと思ってた奴がいきなりすごいことやったらすごかろう」って、そりゃアクアはメルトに向かってアドバイスしてるだけなんだけど、作中で観劇しているお客と同じように、アニメを観ている我々視聴者だって、メルトという「どうってことなかった奴」が頑張って見せ場を作ったからこそ引き込まれる。「そういう話ですよ」って堂々と言われちゃってるもんで、見せ方次第ではそれがノイズになりかねないと思うのだが、本作はそうしたメタをまるっと飲み込んじゃう構造が原作時点で完成してしまっており、もう視聴者は「そういうサンプルだー!」と思いながらもビリビリと肌でその迫力を堪能するしかない。実に図々しい構造ではないか。 もちろん、こんだけしらこいことをやって成立するのは入念な配置と、全てを下支えしてなお予想外の画面を見せられる地力があればこそ。個人的にいい配置だな、と思ったのは客席にいる吉祥寺先生のポジション。彼女はメルトに対して人一倍の憎悪を抱き、彼が舞台に上がることを許していない人物であることが事前に鏑木さんから語られているわけだが、そんな彼女すら打ちのめされるのだ、という事実がメルトの成長の証として外堀を埋める役割を果たしている。ご丁寧にこないだメルトがお宅訪問した時に露骨に嫌悪感を剥き出しにして雪解けしてないことは示していたしね。そうしてキャラの置き方と演劇論でもって「メルトの成長」を示唆しつつ、そこにアバンギャルドすぎるチャレンジ映像で彼の熱情を表出させる。情理に訴える見事な演出であった。 まぁ、ここまでしてメルトというサブキャラの成長譚を掘り下げたのって、多分ここから繋がる「アクアの感情芝居」の前振りだとは思うんですが……メルトがここまでやっちゃったってことは、アクアはそこに届かない結果になりそうな気がするな……。 それぞれの戦い、第16話。VS原作者という問題が解決し、ここから2.5次元舞台を使ってアクアの内面に切り込む話が中心になるのかと思いきや、そこには壮絶な女の戦いも関わってくるという。アクアからすると勝手にあかねとのタッグマッチみたいな様相にさせられてるの意味わからんけどな。 感情演技ができない、全てを計算づくで用意した上で芝居に挑んでしまうというのがアクアの弱点なわけだが、今回監督が言ってたように、それができてしまうというのは凄まじい才能であり、先鋭化しすぎているからこそ、今回のように完全アウェーなオファーが来てしまった時ににっちもさっちもいかなくなってしまう。全ての事情を理解した監督のおうちであかねと一緒に色々と特訓はしたみたいだが、ここまでの人生をそれだけの設計で生きてきた人間が、いきなり根本から精神的な根っこの部分を変えられるわけもない。出来るか出来ないか、一発勝負で文字通りの「大舞台」となってしまった。まぁ、ここで自分の弱さと向き合うってのも1つの人生航路だとは思うけども。 そんなアクアを巡って……ではなくなっている気もするが、意地と意地がぶつかり合う天才対決も目を離せない状態。今回完全にマウントをとりに行ったのは有馬かな。あかねの過去を掘り下げたらおあつらえ向きにドヤれる事実が見つかってしまったので使えるえぐりポイントは全部使っていく姿勢。まぁ、やっぱ基本的に性格は悪いやつではあるんです。ただ、それでもなお「善いやつ」でもあるのは間違いないので、かなをこんな性格にしてしまったのはあまりに弱肉強食の性格が強い芸能界という業界全体のせいでもあるんだろうな。幼い頃からどっぷりと抜け出せないほどに芸能に浸かってしまったかなは、その中で生き抜くため、そして誰よりも上に這い上がるため、「使えるものはなんでも使って」いくしかないのである。あえて気になる部分があるとすれば、かなの人生設計において、「アクア」という道具がどんなポジションに置かれているかということくらいである。 今回はかなに遅れをとったが、下馬評ではむしろ上にいたはずなのが黒川あかね。「天才」の名をほしいままにする天賦の「演じる」才能を持つ女。かなが芸能界で生き残ることに全力を傾けるというなら、あかねはさらにそのポイントを絞り、「演じる」ことに全力を傾けている。そういう意味ではやはり「役者」として比較するならあかねの方がポテンシャルは高いのだろう。そして今回は単なる役者対決ではなく、「アクアの彼女対決」という側面もあるわけで、容易く「殺し」にまで言及できてしまうあかねの壊れ気味の精神性は現時点では武器になる。アクアという存在自体がハナからぶっ壊れてしまっているのだから、破れ鍋に綴じ蓋の例えじゃないが、いくらかクレイジーな方が御し易い部分もあるのだろう。まぁ、「彼女」というスタンスをどう評価するかの問題であって、隣で止めてくれる人の方が真の彼女と言えるのかもしれないが。 かなVSあかね。両者一歩も譲らぬ名勝負は動画工房による全力作画でこれ以上ないくらいに煽り立ててくれている。さて、この見せ場で2人はどんな表情を見せるのか、そして、間に挟まれたアクアに活路はあるのか。 と、そこが一番の見どころには違いないのだが……実は今回一番気になったのはこの2人じゃなくて久しぶりに登場したルビーだったりする。彼女がむっつりスケベなみなみちゃんに煽られて一瞬だけ闇の深さを見せたシーンはもちろん要注目なのだが(そりゃまぁ、ルビーの立場だったら絶対そういうに決まってるしな)、個人的にツボってしまったのはそのシーンのちょっと前、「アクアは夜遅くまで何してんだろー」と彼女がぽやぽや話してるシーンのバックで飛んでいたうさぎのアイコンである。もしかしたら過去にも多用されてたのかもしれないが……このうさぎ、ちょっと表情は違うけど「アイドル」のMVでアイのバックを彩っていた模様なんですよね。なんとまぁ、ルビーはしっかりとそんな「空気」を母親から引き継いでいるのだ。ちょっとしたシーンで闇深も見せてくれるし、因縁の深さも垣間見せるルビー、こちらもなかなかの役者ではなくって? 逃れ得ぬ過去、第15話。やはりここに戻ってくる。そういうお話だから。 舞台脚本をめぐる原作者VS脚本家の揉め事は、アクアの講じた一計により万事丸く収まった。やはり百聞は一見にしかず。視野の狭かった天才漫画家に、舞台そのものを見せるのが一番手っ取り早い。天才と呼ばれるだけあって感性は一級品だったのだろうし、本当に良いものを見せればきちんとその意義が伝わり、それを作り上げる才覚の重要性にも思い至る。そこで「自分に出来るか」と自問し、現実的な答えを導き出せた鮫島もやはり一角の創作家なのであろう。あそこでムキになって「自分でできる!」と言い出さないだけでも立派なものだ。まぁ、事前に先輩からあんだけ釘を刺されていたこともあるのかもしれないけど。 さらにアクアからチクリと手痛い一言を刺されていたプロデューサーも自身の進退をかけて動いたため、最終的な落とし所は「脚本家と原作者の直接対話」。冷静に考えれば「そりゃ当たり前に取る必要がある手順なのでは?」と思うところだが、それが出来てきなかったことが業界の歪み切ってしまった部分なのだろう。作品タイトルが大きくなればなるほど、そこに関わる人間が増え、当たり前のコミュニケーションすら難しくなってくる。善い悪いの問題ではなく、それが商業というものなのだろう。身勝手でどこまでも個人活動である「創作」と、万人を取り込み、最大多数の幸福を目指す「商売」。この問題は簡単には解決せず、今後も関係者は議論を続けていくほか無いのだ。 今回はたまたま(だいぶアクアのおかげがあって)丸く収まりはしたが、その余波で「脚本がゴリゴリに尖って演者負担の大きいものになる」というおまけがついた。ララライの面々は歯ごたえが出た脚本にかえって心躍らせていたし、元々芝居のスキルを持て余していたかなもここにきてフル回転できることに。問題は、本業が舞台役者じゃなかった連中である。まぁ、メルトくんには頑張ってもらうしかないが、ここにきていよいよこれまでの人生のつけが回ってきたのがアクア。どこまでも俯瞰で、どこまでも他人事として自分の人生を生きてきた男に、「感情演技」は高い高いハードルとなって立ちはだかる。それこそ「創作」と「商売」じゃないが、「感情」と「計算」は相反するものである。アクア自身もその辺りがわかっているからこそ「自分は役者向きではない」と言ってあまり表舞台には出ていなかったわけだが、ここにきて急に一番の厄介ごとを求められることになってしまった。この結果が自分の暗躍の末というのが因果なものである。 お芝居の大先輩・かなの助言は普通に考えたら真っ当なものだし、多分役に立つものだったのだろうが、よりによって何の気なしに出してしまった例が「母親の死」。どうだっけ、かなもアクア(とルビー)の家庭事情が複雑なのって知ってるんじゃなかったか? もしそうじゃなかったら単なるバッドラックだし、なんとなく知っていたとしても、兄妹2人してひた隠しにしてるもんだからかなが真実に近づくのは難しかったのかもしれないが……最悪のトリガーを引いてしまったかなはちょっとおとなしくしててもらうしかない。 アクアだって自分の地雷要素は分かっているので必死に「楽しいこと」をイメージしようとしていたが、それが全部女の子がらみの記憶だったのがなんやねんこいつ。結局アクアにとって、この人生は星野アイの失われた生を埋めるための代償行為にしかなってないってことなんでしょうかね。よりによって脱却しようとしている自分を引き留め、縛り付けるのが「もう1人の自分」であるのが業の深いところで。あいつもこいつも「アクア」のはずが、転生者の一筋縄ではいかないマインドが必要以上に彼をアイへと縛り付ける。 そして、そんな逃れられない呪縛に苦しむアクアを見て、どうやら真相にたどり着いてしまったご様子の黒川コンピューター。彼女の観察眼を持ってすれば、ここまで極まっちゃってボロボロこぼれ出てくるアクアの心情の奥底を掬い上げることなんて造作もないことで。いや、どこまで確信に至ったかは分からないけどね。全てを理解した黒川あかねは、その身に宿した「アイ」があれば、アクアにとっての無二の存在にもなりうる。どうなるあかね、どうなるかな。 追伸:全然出番ないけどMEMちょ元気? |
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Thraxi
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声優のこと全般
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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