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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 行かないかも、とは言ってたものの、なんだかんだで観に行ってきました。理由はなんとも俗っぽい話で、単に良い評判がそこかしこから漏れ聞こえていたこと、そしてその影響か、思いの外ロングラン上映になっていたことに加えてそれまでやってなかった近所の劇場でも上映してくれていたこと。まぁ、そこまでお膳立てされて観に行かないってのも勿体無い話で。ここ最近の劇場アニメラッシュに紛れ込ませる形で視聴してきました。ネタバレなんて原作が流布してるから気にしなくていいとは思うのだが、一応折り返し前に書いておくと、なるほど良い作品だった。やはり食わず嫌い……いや、「食った気になってて嫌い」はいけませんね。

 

<以下ネタバレ禁止ではあるが、多分作品の中身についてあんまり触れない気がする>

 




 さて、作品の大枠を評しておけば、非常に真っ当に、正々堂々と力のある作品である。 Authenticなアニメ作りといえば伝わるだろうか。しっかりとした骨子を持った原作シナリオを、その道で何十年も鍛え上げられた実力派のアニメイターが集まって全力で1つの作品にする。美味しいスープと美味しい麺で作ったラーメンはとても美味しい。そういう話である。

 と、ここまでで「あれ?」と思った人は病的なまでに私のことを知っている人である。「しっかりとした骨子を持った原作シナリオ」と書いたし、世間的にも何かと取りざたされることの多い話題作なのは間違いない。しかし、私はいつぞやこの作品のことを尋ねられて、「原作があんまり合わんかった」と答えたことがある。つまり、別に私はこの作品を評価していなかったのだ。その上で原作シナリオを評価しているような文言を臆面もなく書いているわけで、「世間の評価に迎合してさも分かってたかのように書いている格好悪いやつ」である。まー、原作を読んだのも随分前のことなので記憶もおぼろではあるのだが、少なくともあの時の自分の感情を差し置いて、変な感想を書いているやつである。

 まぁ、待て。こちらも当ブログでは再三書いていることなのだが、申し訳ないが私はとにかく「漫画を読むのが下手」なのである。面白いと言われている漫画の評価が他人と合わないことはしょっちゅうだし、やたら読むのの時間がかかるくせして内容はろくに覚えてなかったりする。だから漫画とアニメの評価が乖離していても仕方ないのだ。そもそも「原作漫画とアニメは別物」っていう見方もあるけれども、今回の話はそういう、【推しの子】で最近やってたようなメディアミックスの話なんかよりも、もっとずっとレベルの低い話である。何しろ「原作は読んだ」とか言ってたくせして、今回の映画で「へぇ、こんな話だったんだ」って思ったからね。いやマジで。それくらいに、私の漫画の読解力というのは絶望的に低いのだ。いや、もしかしたら漫画だけじゃなくてえ文字媒体全般にわたってそうなのかもしれんけども。その上で「じゃぁアニメの読解力が頭抜けて高いんですね!」とか言われたら絶対にそんなこともないので、「単に色んな精度が低いやつ」なだけなんだけども。

 そんなふざけた劣等感とこれまで何となく抱えてきた悩みが噴出したため、今回、この作品を観て私が取り上げたい話題は作品の内容なんてそっちのけで、「何故、どのように、漫画とアニメに差を生じさせているのか」という話である。

 「漫画が苦手」と書いているが、別に嫌いなわけじゃないんですよ。人並みに漫画は読んできた方だし、これまでの人生で「俺って漫画読むの下手だな……」って思ったのは「アニメだとこんなに面白いのに原作で全然響いてなかった!」と驚いた時だけなので、明確に意識したのは「やがて君になる」のアニメからである。つまり、とてもポジティブに解釈すると「アニメに対する感受性がとても豊かなやつ」と言えなくもないのだが、実際問題として「やがて君になる」の時もあとから漫画で読み返したら「ちゃんと描いてあるやん……」となったので、単に初読の時に読み落としてるだけなのだ。「アニメを観て、そういうもんだと言われて読み返せば理解はできるが、最初に漫画を受容する時に重要な描写をそれと認識できていない」ということなのだ。理由は色々と考えられるが……端的にまとめると「いらち」なんですよね、多分。ただでさえ読むのが遅いっていうコンプレックスがあるせいか、漫画をさっさと、スピーディーに処理したいっていう欲求が内在的にあるのかもしれない。サクサク読んで、それで大枠の筋だけ拾うもんだからコマ割りやら台詞回しやらの演出の妙というものをボロボロ取りこぼす。ある種の注意力欠乏症みたいなものかもしれない。

 じゃぁ、なぜアニメだとその傾向が低減されるのかと言うと、アニメってのは漫画と比べてめちゃくちゃ親切だから。「親切」って表現に語弊があるなら、ひたすらに受け身のメディアだからだろう。漫画は自分でページをめくって自己判断で先に進むが、アニメは再生ボタンを押せばあとは勝手に脳内に流れ込んでくる。そこに自分の「いらち」は介入する余地がない。

 また、純粋に情報の純度の差というのもあるかもしれない。たとえば今作「ルックバック」なら、多分原作漫画を最初に読んだ時はせいぜい10分から15分程度で読み終わってるわけですよ。今確認したら原作は143ページらしいので、普通の速度ならそんなもんだろう。しかし、アニメは誰が受容しても確実に58分。単純に4、5倍くらいの時間をかけて情報を注ぎ込んでくれるわけだ。どれだけせっかちな人間でもこのペースで提供される情報をゆっくり咀嚼すれば、理解度に差ができるのは当たり前の話。これは別にアニメの方が情報密度が薄いと言っているわけではない。原作時点で「絵と文字」だけだったところに「動き」と「音」が加わり複合的に情報量が増えているし、その分関わった人間の手も増えており、原作者以外の人間が「こうしたらわかりやすいでしょ」「私はこういう解釈をするといいと思うんですが」と色々とガイドラインを引いて誘導してくれる媒体、それがアニメーションだ。私はそうして手取り足取り、「解釈の方向性」をみんなから導いてもらえるアニメという媒体におんぶにだっこのズボラ消費者というわけだ。

 まー、そんな単純な結論でこれまでの漫画歴を全部なかったものにはしたくないが……とにかく今作のアニメにおいては、そうして「自分は漫画を読む時にほんとにズレてるし、サボってるんだろうなぁ」というのがよく分かる構造になっていた。

 「漫画よりもアニメの方が時間をたっぷりかけているから理解しやすい」とは書いたが、もちろんそれは別に「尺が余りまくっている」ことは意味しない。今作においても、たとえば藤野と京本のふれあいのシーンの大半は無音のダイジェスト形式で流されているだけだし、「2人の少女の友情物語」として描いているのなら端折っている部分が多いとも言える。そこを膨らませればまた別な魅力を生み出すことも出来ただろうが、原作時点で「短編」にまとめるためにそこは効率よく削ぎ落としている部分であり、アニメもその原作者の判断はそのままに、余計な肉付けなどはほとんどしていない(原作を覚えてないので憶測でしかないが)。その上でアニメ的な時間軸に映像が乗って、何の過不足もなくスルスルと内容が入ってきて、それなりに心打つものに仕上がっているのは、それだけ原作時点での構成がうまかったからということになる。これだけ短い時間にしっかりとインパクトのあるギミックを噛ませて、その上で物語としてのブレもなく、起承転結のまとまりが端正。なるほど、(数年前の私には理解できないが)綺麗な作品だ。もしかしたらこの作者はむしろアニメ的な演出によせた作品作りが得意な方かもしれない。

 こうして改めてギミックを見返して「そんな作品だったんだぁ」と初めて感心していることから、私の漫画受容時のもう1つの問題が浮かび上がってくる。それはおそらく、効率を求めるが故のギミック重視の拾い上げだ。今作における「ドアを1枚隔てた時間軸の移動とパラレルな接続」はギミックとしては面白いものだが、そこまでエポックメイキングなものではない。「たられば」の過去を思い描いて繋がれない2人の関係ってのは前例のあるドラマ作りであろう。おかげで、原作を読んでいる時点では「なんかどっかで見たことがある流れだよね、ハイハイ、それがやりたいのね」みたいな上から目線の決めつけが先行し、「いかにそれを見せるか」という部分で作者が捻り出している心遣いを拾い上げられない。そのせいで非常に一面的な評価しかできず、面白みにつながっていないのだろう。改めてアニメとして見せられると、たとえば「ははぁ、藤野がドアの前で描いたあの漫画の4コマそれぞれに全部意味があるんだ……」とかを(とても丁寧に描写してくれているおかげで)受け取って感心できるのだが、多分原作ではあの4コマに目を留めていた時間などほんの数秒だろう。もちろん、最後に藤野が京本の部屋で読んでいたのが自分のコミックだったことの理由なんて考えもしない。総じて、「目を止める技術」がないんだろうな。アニメはそこを強制的に「魅せて」くれる。だからこそ、こんな鈍感人間にも作品の姿を鮮やかに見せてくれるのだ。

 さぁ、ここまででどれくらい作品の中身に触れたかしら。多分全然触れてないわね。まぁいいや、観りゃ分かることだし。アニメーションのクオリティがねぇ、ほんとに「日本のアニメかくあるべし」という直球勝負の作画になっててすごいのよねぇ。個人的に1個だけ覚えておこうと思ったカットがあって、それは藤野と京本の喧嘩別れのシーンでの藤野の反応。上手いこと言葉にできないんだけど、京本の初めての自己主張に対して心無い言葉を浴びせる藤野は本当に最低の言動しかしてないんだけど、そんな中でほんのわずかに、「京本が自分の意思で美術をやりたいと言い出したこと」への羨望や喜びみたいなそぶりをみせるのよ。ほんとに一瞬の機微なんだけど、多分本作にはそうした機微がたくさん詰まっている。短編アニメだからこそ集中して色々と拾うこともできると思うので、私のように「受容器官に自信がない」という臆病者は、じっくりとこういう表現を浴びて「好き」を見つけていくのがいいんじゃなかろうか。

 なんで最後に上から目線になってるんだろうな。こんなに自分語りしかしてないアニメ感想に何の価値があるってんだい。

 

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