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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 なるほどそう来た第21話。一気に見通しが良くなった今回のエピソード、毎度毎度視聴者をひっくり返してくれる本作だが、このエピソードは、最後の舵取りとなる決定的な転換点になりそうである。

 今回新たに判明した事実を列挙していくと、まずは「やはり高倉の両親は(少なくとも父親の方は)死亡していた」ということ。これまで幾度となく冠葉がラーメン屋で密会している様子が描かれていたわけだが、それは何か、冠葉の精神性を表していたものであると解釈出来るだろうか。これまでの描写でも、全国的な指名手配犯であり、目的意識の高い彼らが単に息子に会うためだけに危険を冒して自宅の近所に現れるのはおかしいとは思っていたが、これで得心がいく。もちろん、これまで冠葉が会っていたのが「実在の両親」であるという見方も可能だ。何せ渡瀬医師は今回自分のことを「幽霊」であると言っている。こと「飢餓の会」のメンバーに関しては「死者の遺志」に出会うことは驚くべきことではない。

 そして、決定的事実として浮かび上がったのは渡瀬の存在であろう。彼については既に「超越者」であることは示されていたが、その旗幟は未だ鮮明ではなかった。「桃果に勝利を阻まれるもの」であることは知っていたわけだが、その渡瀬が「飢餓の会」の創始者としての立ち位置を獲得することによって、世界は一気に視界が良くなったのである。今回はせっかくなので、多少無理矢理ではあるが、この「ピンドラ」で描かれた世界の解題を試みてみよう。

 まず、この世界には大きく2つの勢力が存在している。分かりやすいのが「飢餓の会」。これには高倉の両親が筆頭として数え上げられていたが、その更に上に、今回渡瀬医師が名を連ねた。他にも、暗躍を続ける冠葉や、その妹であり、奇怪な力を使うことが出来る夏芽も、こちらの陣営に所属していると考えられるだろう。

 この「飢餓の会」に対立するのが、彼らが「革命」しなければならないと考える「一般社会」の陣営。敵対意識を取り上げることでその勢力は明確で、まずは自分たちの両親を絶対に認めないと頑なな晶馬がこちらの陣営になる。更に、渡瀬医師と敵対関係にある荻野目桃果がこちら側に見えるし、桃果の信者である多蕗とゆりも同じ勢力である。

 ここで問題となるのは、ここまでで名前が挙がらなかった存在、具体的には陽鞠とプリンセスオブクリスタルが、どのような扱いになるかという部分である。そこで考えるのが、これまでの世界で描かれてきた「高倉家」という存在だ。今回衝撃的だったシーンに、幼い陽鞠が泣いているのをなだめるために晶馬と冠葉が2人で家の壁を塗ったり、内装を変えたりする場面があった。あの現実離れした高倉家のガジェットには、全て意味があったのだ。「高倉の家」という存在は、何度も繰り返してきたがこの作品では最も大切で、最終的に帰ってくるべき「核」である。その部分を読み解くことで、この世界の全貌が見えてくる。

 まず、晶馬を代表とした「世間一般」サイドを、単純に「善」のサイドとして見よう。言い換えればこちらは「正義」陣営となる。他方、冠葉を代表とした「飢餓の会」サイドは、16年前の事件などを考えれば「悪」のサイドだ。ただし、これを言い換えれば「正義」に対する「もう一つの正義」という言葉を使うのが正しい気がする。何故なら、高倉の両親たちは、「犯罪者」ではあるものの、現時点でなお「悪人」として描かれていないのであるから。そして、晶馬と冠葉がそれぞれの仁義に基づいて守りたいと切に願うのが「陽鞠」である。つまり陽鞠は、「未来」の象徴として現れているのではないだろうか。「この国の未来」「この世界の未来」、どのようなスケールでも構わないと思うが、とにかく陽鞠という存在は、「これから」の象徴たる「幸せ」のきっかけとなるものである。「正義」も「もう1つの正義」も、目的は等しく「幸せな未来」であろう。

 陽鞠が幼い時に手を差し伸べた第一義としての「善」は晶馬である。「運命の人」である晶馬は、理想的にはそのままの状態で陽鞠を導くべき存在だったはずだ。しかし、「未来」は「病んで」しまう。こればかりは、単なる「善」ではどうしようもない局面にもなる。そこで現れるのが「もう1つの正義」である冠葉だ。彼は強引な手段をとり、金を手にして陽鞠に「薬」を与えた。これが冠葉が「未来」に対して与えた方策である。渡瀬が与えた薬によって陽鞠は命を長らえ、「善」が立ち往生した局面を打開した。これこそが「飢餓の会」が取ろうとした「革命」である。しかし、一時の「薬」は、次第に未来を支えるための効果を薄れさせていく。未来は、再び行き場を失う。

 そして最終的に帰結するのが、プリンセスオブクリスタルの唱える「ピングドラム」なのである。現時点において、ピングドラムとは「善」の象徴たる荻野目桃果の日記であると考えられているが、おそらく桃果は、善悪を超越した「奇跡」の象徴。彼女の日記は、どのようなイデオロギーでも手にすることがあり得る、何らかの奇跡の1手だ。それを最初に手にしたのが、主義主張を持たないただの女の子だった苹果であり、次に「別たれた」のが夏芽とゆりという陣営を異にする2人だ。奇跡は常に、どちらの「正義」にも平等に与えられていたということ。事ここに至って、その奇跡の代行者は、再び袂を分かった晶馬と冠葉に帰結していき、陽鞠は、どちらの手にも渡ってはない。

 ここまでの図式を描けば、話は簡単だ。「高倉家」というステージは、様々な主義思想が一緒に団欒を産み出した一時の平和の象徴だ。その壁面には、色もバラバラで全く統一感の無い装飾が施され、部屋の中もあまりに雑多。だが、その意志は明確であり、とにかく幸せな未来を守りたいという思いだけがある。陽鞠の揺籃たるベッドだけが特別扱いだったのは、全ての人々が夢見る「幸せな未来」の象徴である。未来が果てようとした時に、この作品の主人公たるプリンセスオブクリスタルが現れる。彼女は「ピングドラム」を探せというが、その正体は未だに分かっていない。当たり前のことだ。この世界で誰一人、「幸せな未来」を手に入れるための方策など知りはしないのだから。

 実に寓話的、悪い言い方をするならば陳腐なテーマ性での分析になるが、そうした見方が出来れば、これまでのこの作品の紆余曲折も非常に分かりやすい解釈が可能になるだろう。まだまだ終わるまでには一波乱ありそうなのだが、個人的には、やはりこの作品のラストシーンは、高倉家の食卓であるべきだと考えている。それこそが、この作品の象徴なのだと、そう考えている。

 さて、どうなることやら。

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