「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」 5→5
やぁみんな! 京アニ大好きおじさんだよ! その正体はP.A.WORKS大好きおじさんでもあり、シャフト大好きおじさんでもあるよ。知ってるなぁ諸君。
大好きおじさんは、大好きだから配点も悩むよ。今作もいつも通りの京アニ評点だ。つまり「作画だけならよその作品をぶち抜いて文句無しだけど、京アニだとそれが普通になっちゃってるから差っ引いて考えるよ」っていう。理不尽極まりないけどな。もう京アニの場合は「どう描くか」と「何を描くか」の総合点で評価しないと話にならんのだ。最終話の気が狂ってるとしか思えない水滴の描写とか見ました? 「Free!」以降、京アニには「水の表現だけは絶対譲れない」みたいな謎のこだわりがあるよな。まぁ、ユーフォ以降は「楽器なんかの金属部分の表現だけは絶対譲れない」みたいにして、どんどん譲れない要素が増え続けてるんだけど。
とにかく、そんな美麗で壮麗な映像美で彩られた見事な作品。しかし、「何を描くか」の部分を振り返ってみれば、残念ながら存外普通である。面白くないこともないのだが……普通のイイハナシだったからなぁ。評価が難しいってのはそういうことだ。多分、純粋にシナリオ部分だけで勝負をしたら色々と辛い部分の方が目立つと思う。最初に気になった「幾ら何でもアスペすぎるヴァイオレット」と、そのヴァイオレットが一足飛びで出世してミラクル自動人形になっちゃうくだりが流石に性急だったし、最終的に「戦争の影」が再び迫り来ることは予定調和であるものの、どうにもそれ以前の「素直にいい話」との熱量がちぐはぐになってしまっていて、なんだか焦点がぼやけた印象になってしまった。
確かにヴァイオレットというキャラクターを描くためには「戦争被害者」としての「機械のような少女」を作る必要があり、そのためにはキリングマシーンを作り上げるのが手っ取り早かったのはわかるのだが、彼女が「大好きを知る」という目的のために、もう一回戦場に戻す必要って実は無いんだよね。最終話近くの「戦禍は未だ残り続けているのだ」みたいな部分って、別にヴァイオレットの罪を問うものではないのだから、無理やり荒事に引き摺り込まずとも似たような話は作れたはずなのだ。でもまぁ、そこでやっぱり「可憐な少女兵士」というヴァイオレットのギャップを活かさないと勿体無い、ってんで、突然の落下傘部隊とか、義手を全てぶっ飛ばしての列車ミッションとか、そういう映像的に派手な要素を盛り込んでしまったのだろう。やりたいという欲求はすごくわかるし、見栄えがするのは間違いないのだが、そこをグッとこらえて本当に「生まれ変わった手紙屋さんのヴァイオレット」像だけに絞って物語を作っていれば、またお話は違ったものになっていたのではなかろうか。殺すの殺さないのという問題は、ヴァイオレットの人生とは切り離して考えるべきだった。
まぁ、原作ありのお話なのでアニメ自体にケチをつけても始まらないのだろうが……京アニって割と原作いじるらしいし、本当はどういう作品だったんでしょうかね。やっぱり落下傘部隊はやったのかなぁ。あれって「戦場に再び舞い戻るヴァイオレット」っていう悲壮さよりも、ギャグとしての色合いが濃くなっちゃったシーンなんだよな……。悲劇を効果的に描くのって、やっぱり難しい。まぁ、とにかく景色が綺麗で、女性がきれいで、その涙も綺麗ならば文句はない。それくらいの作品でございました。続編が決まったらしいが……まぁ、京アニなら劇場版やろな。わしゃ早く「リズと青い鳥」が観たいだけなんや。
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