最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
←前(1/4)へ 第3位 ‘05「かみちゅ!」 ’06「BLACK LAGOON」 ‘07「sola」 ’08「喰霊-零-」 ‘09「ささめきこと」 ’10「刀語」 ‘11「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」 ’12「黄昏乙女×アムネジア」 ’13「有頂天家族」 ’14「月刊少女野崎くん」 ‘15「えとたま」 ‘16「RE:ゼロから始める異世界生活」 ‘17「3月のライオン(第2シーズン)」 ‘18「ひそねとまそたん」 言うは易し、行うは難し。そんな身にしみる先人たちの言葉がある。毎年これだけの数が大量生産されているアニメ業界でも、きっとあらゆるところで日夜「いいアニメを作りましょう」「新しいアニメにチャレンジするんです」という夢や願望が垂れ流しになっているに違いない。しかし、なかなかオリジナルアニメでそんなチャレンジを細部まで完遂できる作品は多くない。ここまでの各部門はオリジナルアニメがたくさん並んでいるが、要となる上位はやはり原作付きのアニメがランクインしている。 そんな中、完全オリジナル作品で全く新しい試みに手をつけ、それが成功を収めた作品として、是非ともこの「ひそねとまそたん」については改めて評価することが望まれている。強引にまとめるなら今作も「ゾンビランドサガ」と同様に「ありえなかった要素のごった煮」がスタート地点だとは思うのだが、最大の特徴は、そんなごった煮的な雰囲気をアニメーションの映像部分ではっきりと主張していたこと。具体的には、キャラデザとドラゴンの造形などが本当にユルくてまるで絵本のような作りなのに対し、戦闘機などメカニックの描き込みや飛行描写などはやたらと精密で、「自衛隊アニメ」としても力を抜いていない部分。こうして違和感を与えるような画面がいつしか自然に溶け込み、おとぼけギャグメインのシナリオラインを大きく下支えする構造。そしてそんな無茶苦茶な映像部分にしっかりと意味を与え、全てのパーツが求められる珍妙なシナリオ自体を作り上げる構成力。常々私はアニメーションという媒体を「総合芸術(もしくは総合技術)」と称しているが、こうして1つの要素だけでは決してなし得ないような総体を作り上げている作品を見ると、それだけで畏敬の念を抱くのである。 しいて難点をあげるなら1クールにあまりに綺麗に収まりすぎてその後の展開も無く、いつしか忘れられる存在になってしまっていることくらいだろうが、昨年度の「よりもい」しかり、枠の決まった1クールアニメにおいて、この収束の良さはまた1つの美点となり得る要素である。こうした完成度の高いパッケージを単なる既製品扱いで終わらせず、長く膨大なアニメの歴史の中でしっかりと刻印し、その意味を残していくことこそが、新たなアニメーションの礎となるのではなかろうか。 準グランプリ ‘05「魔法少女リリカルなのはA’s」 ’06「コードギアス〜反逆のルルーシュ〜」 ‘07「CLANNAD」 ’08「コードギアス 反逆のルルーシュR2」 ‘09「獣の奏者エリン」 ’10「STAR DRIVER 輝きのタクト」 ‘11「花咲くいろは」 ’12「人類は衰退しました」 ’13「銀河機攻隊マジェスティックプリンス」 ’14「四月は君の嘘」 ‘15「昭和元禄落語心中」 ‘16「ふらいんぐうぃっち」 ‘17「宇宙よりも遠い場所」 ‘18「風が強く吹いている」 改めて並べてみると、本当に「ひそまそ」とは真逆の立ち位置にある作品だと思う。オリジナルと原作あり、なんちゃってファンタジーと泥臭いスポ根、単発勝負の1クール作品と何度もメディアを変えて作り続けられた2クール作品。枠の中とはいえ、アニメ作りにも無数の選択肢があるものだという当たり前のことを思い出させてくれる。 毎週感想を書いていたので今作の圧倒的な完成度に関しては今更ここで語る言葉もない。「ただ寄せ集めの野郎10人が道路を走るだけ」という、言い方次第では本当に身も蓋もない内容の作品なのだが、その「走る」というあまりに原初的な行動に、どれだけ人間性を盛り込むことができるかという勝負。スポ根とは言っても少年漫画のように「努力→勝利」のカタルシスがあるわけでもなく、ただひたすら足を前に出すことによって得られる人1人の物語が彫り込まれていくというストイックな構造。表に出た形を世間的にはなんとラベル付けするのかは定かでないが、これも立派な「純文学」といえる作品だったのだろう。 そうして生み出された原作に現代アニメとしての肉付けを行ったのは稀代のCGワークで知られるProduction I.G.と、その遺伝子を強く受け継ぐ監督・野村和也。「ハイキュー」「ボールルームへようこそ」などで見せつけた「スポーツ作画ならI.G.」という新たな看板をさらなる純度で昇華させ、より描写が難しい陸上競技というモチーフでも稀有な存在感を見せつけることに成功した。王道ストーリーをどれだけ正面から見せられるかという挑戦は、どれだけ珍奇な物を作るかという挑戦と同様、場合によってはそれ以上に大きな難題であろう。よくもまぁ、逃げずにこの方向性を貫き通したものである。 王道と革新。その2つの車輪で芸術は回っていく。労せずそのどちら側でも最上の物が楽しめるのだから、現代に生まれたことを感謝せねばなるまいよ。 グランプリ ‘05「ぱにぽにだっしゅ」 ’06「うたわれるもの」 ‘07「電脳コイル」 ’08「SOUL EATER」 ‘09「空中ブランコ」 ’10「けいおん!!」 ‘11「へうげもの」 ’12「ヨルムンガンド PERFECT ORDER」 ’13「凪のあすから」 ’14「ユリ熊嵐」 ‘15「響け!ユーフォニアム」 ‘16「昭和元禄落語心中 -助六再び篇-」 ‘17「宝石の国」 ‘18「リズと青い鳥」「やがて君になる」 2本あるな。間違いなく2本のタイトルを書いている。うん、まず話を聞いてくれ。だって、しょうがないんだ。我々は、変わるべき時なんだ。 正直悩んだ。劇場作品はテレビシリーズとは尺度が違うためになかなか比較することができず、基本的にはタイトル部門で選出しないことでお茶を濁していた。ただ、ここ最近はどうしても俎上に乗せざるを得ない作品も増えてきて、仕方がないから他の部門で象徴的な要素を掲載することで作品への賛辞に代えてきた。具体的には「まどマギ」と「ガルパン」の2本である(どちらも女性キャラ部門で1位選出している)。しかし、今年度は春先の4月にいきなり頭を抱えることになった。この作品を、どのように対処したらいいのかと。仕方ない。とりあげよう。よく考えれば、基準を決めてるのは自分自身なのだ。どうしてもルールを決めるとそれにがんじがらめになってしまう杓子定規な性格なので融通が効かないのだが、これを機会に、劇場作品の扱い方を少しずつ考えていこう。それを決意させるための、あまりにも刺激の強い劇薬が、ここにあったのだから。 1つずつ処理していこう。まずはそんな劇薬だった「リズ」の方から。こうして2つのタイトルを並べると「単なる百合厨がこじらせてるだけやんけ」と思う人もいるかもしれないが、そんな生易しい結果ではない。ぶっちゃけ、私は百合厨ではないし、そもそも「リズ」は私の中で百合が中心の話だとも思っていない。そんな優しい言葉で片付けられる作品だったのなら、どんなに楽だったことか。 基本的に、アニメは娯楽である。いやアニメも漫画も小説もTVドラマも音楽鑑賞も演劇鑑賞も何もかも娯楽といえば娯楽だが、基本的に楽しい思いをするために受容する。それは笑いだったり泣きだったり興奮だったりエロだったり癒しだったり萌えだったり、様々な刺激があるだろう。しかし、こんなにも苦痛を伴う受容経験を伴ったアニメ作品は初めてである。本当に、劇場での初回は嗚咽を伴っての視聴になった。ボロボロ泣かされ、うめき声をあげさせられ、助けてくれと悲鳴をあげそうになる作品だった。すでにBDになって何度も繰り返し視聴しているが、未だにみぞれがオーボエを構えた時には、まるでバイツァダストを繰り出す吉良吉影を止める面々のように、「そのオーボエを吹かせるなァ!」と叫びたくなる。それくらいに破滅的で、残酷な作品だ。観るたびに苦しく、救いようのない感情に打ちのめされてしまう。 こうして傘木希美サイドの苦しみばかりをピックアップしてしまうのは、私が「変化を拒否した人生」を歩み続けているから、ということは折に触れて書いていること。十年一日という言葉はあるが、私にとっての10年が他人の1日分の密度くらいしかない、そんな虚無感に満ちた人生を歩んでいると、「変わろうとするもの」「前を向こうとするもの」の描く景色はあまりに眩しすぎて、いたたまれなくなる。そして、そんな変化を伴う刺激が最も多い高校生という思春期の少女を切り出し、様々な変化を残酷に描いてしまうこの映画は、本当に劇薬としか言いようのない作品だったのだ。 もちろん、単に作品のプロットがそうした「青春の痛み」を描いているというだけなら、過去にもたくさんのアニメ作品があっただろう。まぁ、それらを観るたびに私はグッと苦しくなっていたのも事実だが、別に救われないほどのダメージは受けていなかった。しかし、このテーマを極限まで煮詰めて、1秒も無駄にせずに画面の中に全てを押し込み、圧倒的な密度で叩きつけてくる山田尚子という存在が、命に関わるレベルにまで作品を研ぎ澄ませてしまったのである。今更私が語るまでもないが、本当にあらゆる要素が、偏執的なまでにテーマを追求するために作られている。本当に、一切の緩みがなく、容赦がない。あまり使いたくない言葉ではあるのだが、この作品を発想し、構築し、完成させた監督は、「天才」というしかないのではなかろうか。彼女が様々な媒体で触れている今作のコンセプトを聞くたびに、まるで狂人が独自理論で人を殺すための算段をしているかのような、恐ろしさばかりが先に立つ。この人には何が見えているのだろう。何を思えば、こんな作品になってしまうのだろう。人類には早すぎる彼岸が見える、そんな恐ろしいアニメ映画が、奇跡的に生み出されてしまったのである。2018年は、そういう年だったのだ。 閑話休題、そんな「リズ」からスタートしてしまった今年度、ぶっちゃけ、テレビシリーズで今作に太刀打ちすることは不可能である。何しろ最初から製作意図が異なっているのだ。次元が違うと言っても良い。1クールないし2クールなどのテレビシリーズで「リズ」と同じような目的意識を持ったとしても、それを実現することは叶わないだろう。どうしたって枠の制約が伴うし、予算や人手などの問題で、1人の監督の意志が作品全てに行き渡ることはないからだ。だからこそ昨年度までは劇場作品とテレビを分けるという「階級別」の処置を取ってきたわけだが……しかし、今年度は違った(もしかしたら去年度までも違ったのかもしれないが)。奇しくも似たような概形を持ちながら、シリーズアニメとしての完成度をしっかりと寄せてきた作品が現れたのだから。それが、この「やが君」だった。 正直いうと、今作をグランプリに選出したのは自戒の意味も含まれている。今作最大のポイントは、「私は原作を一応読んでいたんだけど、原作時点でさっぱりこの作品の正体に気づいていなかった」という部分。その辺の事情は個別感想でも触れているが、私は原作時点では大した印象を持っていなかったのである。それもこれも、私が「本を読むのが下手」というとんでもない性質に起因している。身も蓋もない言い方だが、私は文字媒体が苦手なんだろうな。昔はそれでもそこそこ頑張っていた気もするのだが、加齢とともにますます集中力が欠如して、漫画もさらっと上っ面をなぞるだけの読み方増えているように思う。アニメの場合は媒体そのものが私の方によってきてくれるので受動的な摂取が可能だが、本の場合にはそうもいかず、どうにも散漫な受容になる。 しかし、ある意味本当に幸せな事態である。アニメ化にあたり、今作は原作の持つエッセンスを最大限にアウトプットすることに成功していた。原作者が一番見せたい要素をしっかりと咀嚼し、改めてアニメの強みを乗せた上で映像として展開する。一見すると当たり前に思えるそんな行程を経ることが、どれだけ難しいかはこれだけのアニメが溢れかえる世の中だからこそよくわかる。つまり、このアニメは私がサボってしまった「原作を受け止める」という難行を代行してくれたわけだ。改めてアニメになったことで、私は自分の怠惰をこれでもかと見せつけられることになり、作品の持つパワーにただただ蹂躙されながら、感謝と悔悟を漏らして倒れ臥すしかなかったのである。 「リズ」と「やが君」の目指す方向は特に共通部分が多いわけではない。「リズ」は成長に重きをおき、武田綾乃特有の「本当に救いようのない天才像」を前にして生き方そのものを模索するお話。「やが君」は百合という特殊な形状を持ちながらも、人と人が向き合う時に生まれる思慕の情を複数の視点から解体し、訴求していくお話。「青春」という共通のタームはあるが、それぞれが思春期に持つ感情の描き方も随分異なっている。こうした2つの作品を「百合」というタームで括る意味はあまりない。あくまで、今年度の作品リストを見た時に、最も真摯にアニメーションという「総合芸術」の完成度を高めようとしていたのが、この2作品だったというだけの話である。将来的に、山田尚子という化け物を乗り越えるような傑出した才能が出てくるかどうか、そればかりが気になるところではある。 <サブタイトル部門> それぞれの話数を区切って見ていくサブタイトル部門。実はこの部門が結構悩ましい部門だったりする。毎年のことなので確認しておくと、基本的に第1話と最終話は選出しないようにしており、その理由は「1話目はどのアニメでも特殊な立ち位置になることが多いし、最終話はどうしたってアニメの総体評価につながるため、なかなか1エピソードとして切り出しにくいため」としている。このルールについても今年はブレイクしてもいいかと思ったのだが、一応様子を見ることになった。ただ、そうだとしてもやっぱり1本ずつに焦点を絞って見ていくのってすごくカロリーを使うので、ここの選出が一番神経を使うのよね。来年以降、しんどかったら削除した方がいい部門かもしれない(だから勝手にせぇや)。 さておき、今年もインパクトの強かった話数をいくつか見ていくことにしよう。話数で切り出すと言っても切り口は色々あり、一番明確なのは物語全体を通してのターニングポイントになる、「お話としても異彩を放つパート」。わかりやすい例で言えば「SSSS.GRIDMAN」第6話「接・触」。怪獣少女(アノシラス)登場回である。この回を契機に世界の真実がこぼれ落ち始めるターニングポイントであり、アノシラスがそのための伝令として駆けつけるという展開は旧作ファンにも嬉しいサービスになっていた。王道展開で中盤の山場を築いたのは「プラネット・ウィズ」6話「パラディンブレイク・2」。龍造寺との決着がつく、まるでラスボス戦のような大迫力の一本。グレンラガンを意識したような壮絶な描き込みが作品の下地の強さをうかがわせる。中盤にクライマックスを持ってきた作品なら「SAOガンゲイル・オンラオン」第5話「ラストバトルは私に」も強烈。エムが正体を表してトチ狂う展開だけでも面白かったが、そこからさらにレンちゃんが覚醒したかのように孤軍奮闘で対戦相手を蹂躙しまくる怒涛の構成が見どころだ。こうして1クールを2つくらいに分けている作品は見やすくて管理が楽ですね。 1クールをフルに使った作品では「ハッピーシュガーライフ」第9話「融解レイン」もトラウマものである。作中では貴重な常識的な視点から、しょうこが友情を守り抜こうとした結果の悲劇。最初から壊れていたとはいえ、さとうの行動原理を決定づけ、最終回まで転がり続ける最後の一押しとなったシーンだろう。明確な背信と別れの物語でいうなら、奇しくも同じ話数、「アンゴルモア元寇合戦記」第9話「山城の攻防」も切ない。裏切りの将、白石の顛末を描いたお話だが、誰もが必死に生きようと足掻く中、彼がとった選択肢だけが責められるものではないというのがよくわかるのがかえって涙を誘う。さらにもう一本、「Cutie Honey Universe」からも第9話「この世界は二人だけ」。どれだけ酷い展開でも「まぁ、ギャグ混じりだし」と思ってたら本当にどん底まで突き進むことに容赦がなかったという衝撃。そして最後のキーパーソンであるタランチュラパンサーの懊悩など、もしかしたら今年度最鬱エピソードに選べるかもしれない1本だ。あ、鬱エピソードというなら「ウマ娘 プリティダービー」第7話「約束」もあるな。スズカの「あの」レースである。現実の事件とリンクしたレースの描写は、結果がわかっているにも関わらず一瞬たりとも目を離すことができない。本当にいろんなドラマの作り方があるものだ。 もうちょい視点を変えて、今度は「とにかく凄まじい画」部門をいくつか見ていこう。あまりタイトルをあげなかった作品で例を挙げるなら、「進撃の巨人」第39話「痛み」。作品の持ち味である立体起動を嫌という程見せつけてくれる凄まじいコンテワーク。同様の衝撃が飛び出したのは「モブサイコ100Ⅱ」第5話「不和〜選択〜」。大迫力のバトルで見せてくれる作品の中で、細かい表情芝居などのディティールに徹底的にこだわり抜いた作劇で息を飲んだのは本当に印象深い。やろうと思えばアニメってのはどこまでも作り込めてしまうのが怖い。純粋な映像美術の見えで見入ってしまったのは「色づく世界の明日から」第4話「おばあちゃんはヤメテ!」。それまで見せてきた美麗な「光」の映像に加えて夜の景色の「暗さ」までもを盛り込んだ野心的な映像制作に、あくなきP.A.WORKSの探究心が確認できる一本である。 続いて、話数が切り出しやすいオムニバス形式の作品で素直に好きと言えるエピソード群、例えば「上野さんは不器用」第5話「PEリザーバー」。いや、単に新キャラの西原さんの頭がおかしかったっていうだけなんですけどね。サトリナは天使。シンプルに性癖を刺激してくれるお話なら「アニマエール!」第9話「部長決定!五人のチア」。いやぁ、宇希の見事なおねショタっぷりは予想外のいいパンチだったよ。あとは毎回毎回確実にヘヴィー級のブローを見舞ってきた「私に天使が舞い降りた!」からは第7話「みゃー姉が何いってるかわかんない」。ひなちゃんが壊れちゃうお話。もうロリとか百合とか、そんなちっぽけなくびきを解き放つ恐ろしい破壊力である。ちなみにひなちゃんは9話「私が寝るまでいてくださいね」の方もヤバい。結論としては全話だいたいヤバい。 さらにポイントを絞っていくと、1話単位でのギリギリの切り口で勝負しているお話もある。わかりやすい例だとあまり名前をあげない作品「レイトンミステリー探偵社」のエピソードはそれぞれがいい感じにネジがはずれていて面白いものが多いのだが、あえて1本選んでくるなら33話「カトリーエイルと宇宙船ベンガリアンの殺人」なんかはどうだろう。たまーにミステリとしても素っ頓狂なネタを取り出してくる本作が、思い切り「設定ミステリ」に挑むという野心的な構成。朝っぱらから何やってんだか。朝っぱらといえば渋いエピソードでは「ゲゲゲの鬼太郎」第6話「厄運のすねこすり」なんてのもあった。放送序盤からストレートに泣かせる話があったんだなぁ。鬼太郎は実は結構伏兵になるエピソードが多く、人間のどうしようもない性を描いた40話「終局の譚歌さら小僧」、ちょっとしたどんでん返しを用意したミステリ調の45話「真相は万年竹の藪の中」など、油断していると不意打ちで持っていかれる。 他にも単発エピソードでいえば……「えんどろ〜!」第10話「雪山の夢〜!」。酔っ払いが書いたんじゃねぇかってくらいの脚本なんだが、よく見るとそこかしこにメイン4人の友情が確認できて微笑ましくなるお話。「ラストピリオド」第5話「沼の名は。」もそうしたイカレエピソードの1本で、悪しき文明たるガチャに警鐘を鳴らす話……かどうかは定かでない。そして個人的に外せないのは「ガルパ☆ピコ」第21話「あの演出ってワクワクするよね」。……友希那+猫=∞。その辺の野良猫は星4やで。 さぁ、だいぶ長くなってしまったが、あと5本(?!)最終選考に残ったけど惜しくも漏れたエピソードを。まずは「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」第3話「君だけがいない世界」。麻衣先輩編の解決エピソードなのだが、今時これだけまっすぐな恋愛を描いたラノベで臆面もなくこの展開が描けるのはすごいな、と感心した記憶がある。余計なことせずに、ただまっすぐに情動だけをぶつける格好よさみたいなものが咲太から確認できたおかげで、その後のエピソードも忌憚なく楽しむことができるようになった重要なお話でしたね。「DOUBLE DECKER ダグ&キリル」からは第5話「A・クロイド殺し」。エスペランサが前面に出てくるお話で、ザベルの存在感、そしてバンブーマンによる常軌を逸したアクション動画など、各方面に見るべき要素が多い傑作。この1話で作品の方向性が決定しました。まっすぐなクライマックスでいえば「HUGっと!プリキュア」第48話「なんでもできる!なんでもなれる!フレフレわたし!」。そりゃクライマックスですからね。説明不要でしょう。そして別な意味でのクライマックスといえば「BanG Dream! 2nd Season」第11話「ホシノナミダ」。事実上の問題解決編と言えるお話で、「Returns」プロトタイプのお披露目エピソード。おたえは全であり一である。そして最後まで悩みに悩み抜いたのだが、「風が強く吹いている」からは16話「夢と現」。箱根本戦のエピソードは甲乙付け難いので、あえてその前の最大のポイントとなった予選会のお話。やっぱりこの回の王子がかっこいいんだわ……。 さぁ、ラスト3本ですね。 第3位 ‘05 「魔法少女リリカルなのはA’s」第4話「新たなる力、起動なの!」 ‘06 「×××HOLiC」 17話「ジショウ」 ‘07 「ARIA The ORIGINATION」 第9話「そのオレンジの風につつまれて…」 ‘08 「かんなぎ」 第七幕「キューティー大ピンチ! 激辛ひつまぶしの逆襲(後篇)」 ‘09 「獣の奏者エリン」 第48話「リョザの夜明け」 ‘10 「侵略!イカ娘」 第5話Cパート「飼わなイカ?」 ‘11 「ベン・トー」 #10「それは昔祖母の家で食べた温かで優しい味わい。心にも体にも優しい和の料理。梅とちりめんじゃこご飯と季節の野菜たっぷりの煮物弁当480kcal」 ’12 「戦国コレクション」 COLLECTION-19 「Vengeful Fang-IS」 ’13 「ワルキューレロマンツェ」 第7話 「風車の下で」 ’14 「ユリ熊嵐」 第9話 「あの娘たちの未来」 ’15 「OVERLORD」第9話「漆黒の剣士」 ’16 「ふらいんぐうぃっち」第5話「使い魔の活用法」 ’17 「18if」#8「THRESHOLD」 ‘18「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」 第5話「キラめきのありか」 まずはこの作品から。1本1本の切れ味の鋭さでいえば今作の右に出る作品はなかった。とにかくカットの組み方が精緻で、しかも「舞台+アニメ」というとんでもない足し算による新規性をも内包している。画で見たときのインパクトの強さが尋常じゃないのでそのまま流されてしまいそうになるが、そこでピタと止まって、その画が一体何を描いたものなのかを考えると実に含蓄に富む。こんなにもエキセントリックな画面を作れるクリエイターってのは現代アニメ業界でもそう多くはあるまい。 問題はこの作品を評するにしても、一体何話目をランクインさせるかということ。まぁ、ぶっちゃけベストを選ぶなら最終話になると思うのだが(あの東京タワーは反則すぎる)、一応規定のために最終話は避けた。となると同じくタワーのインパクトが絶大な11話が有力になるが、他にも個人的に推しカプがフル回転する6話も捨てがたいし、バトル展開なら10話もアツい。まさに甲乙付け難い名勝負。ここまできたらもう、あとは個人の好みの問題だ。 ということでこの5話を選ばせてもらいました。エピソードとしてはまひる回なんですが、多分この話数がいろんな意味でターニングポイントになったと思うのでその記念の意味も込めて。ここまでの4話で「まだなんだかわからんなぁ」と訝しがりながら見ていた「舞台」の意味がようやく飲み込めるようになり、そこで行われているレヴューの内実が少女たちの精神性を色濃く反映しているということがわかる。その端的な発露になったのが「個別回」としては異彩を放つまひるの「嫉妬のレヴュー」だったわけだ。本来ならドロドロと醜い感情が溢れ出しているはずのそのシーンで、何故か描かれるのはファニーなコメディ舞台。チープな描き割りが世界を隔て、野球をモチーフにした舞台設計がゴロゴロとまひる×華恋の関係性を転がしていく。「重たい」メイスを振り回すまひるの姿は彼女自身が憧れながらも目を伏せていた「きらめき」とは縁遠い要素に見えるが、そんな彼女のヘンテコムーブも受け止めた華恋が憑き物を落とし、見事にレヴューを収める。やっぱり文字にして書くと何がなんだかさっぱりわからないシチュエーションなのだが、これが画面の中でがちゃがちゃと寄せ集まって1つのシーンを構成しているのが、本当にわけがわからなくて最高に愉快なのである。 まだまだ見たことのないものをたくさん見られる。そう思えばこそ、アニメ視聴も頑張れるわけでね。わかります。 第2位 ‘05 「かみちゅ!」 第11回「夢色のメッセージ」 ‘06 「BLACK LAGOON」 #15「Swan Song at Dawn」 ‘07 「らき☆すた」 22話「ここにある彼方」 ‘08 「とらドラ!」 16話「踏み出す一歩」 ‘09 「とある科学の超電磁砲」23話「いま、あなたの目には何が見えていますか?」 ’10 「けいおん!!」 #20「またまた学園祭!」 ’11 「BLOOD-C」 第11話「たれをかも」 ’12 「中二病でも恋がしたい!」 EpisodeXI 「片翼の堕天使」 ’13 「げんしけん二代目」 第11話 「いい最終回だった」 ’14 「少年ハリウッド HOLLY STAGE FOR 49」 第5話 「エアボーイズ」 ’15 「ハイキュー!!セカンドシーズン」第24話「極限スイッチ」 ’16 「響け!ユーフォニアム2」第9話「ひびけ!ユーフォニアム」 ‘17 「プリンセス・プリンシパル」#11「case22 Comfort Comrade」 ‘18「ゾンビランドサガ」第2話「I♡HIPHOP SAGA」 こちらも非常に素直に「なんじゃそら」を体現していたエピソードと言える。1話目の時点でかっ飛ばした設定を展開して「すげぇアニメが来ちゃったぞ」という期待と不安はあったものの、まだその時点では出オチ臭も残る「アイドルネタアニメ」の可能性があった。1話目はまださくら以外のメンバーも覚醒していなかったし、本当に「びっくりさせることが目的のこけおどし」だった可能性もあるのだ。あんな1話目をやられてしまっては、2話目で何をやってもインパクトで上回ることはできない。そう思われた。 しかし、この2話は楽々そのハードルを飛び越え……いや、蹴り倒してぶっ壊した。メンバー(山田たえを除く)が覚醒し、6人の少女たちがゾンビ化した自分の存在と、アイドルというわけのわからない立ち位置に困惑し、途方にくれる。そこからしっとりと克己の物語をやってもいいだろうし、あんまり彼女たちの心情に踏み込まずに成り行きでさっさとアイドルアニメとしての設定を進めてしまう選択肢もあった。現代アニメならそれくらいの雑な進行でも「あぁ、はいはい、どうせよくあるアイドルアニメなんでしょ」と認識されるだろう。だが、それでは物足りないのだ。今作はアイドルで、ゾンビで、佐賀なのだ。意味ワカンねぇや。だからこそ、意味のわからない展開でこれを乗り越えなければならないのである。 何度見ても目の覚めるような、圧倒的「置いてかれてる」感。アイドルだからと言って容赦はしない、デスメタルのあとに用意されていたラップバトル。サキとさくらの魂のぶつかり合い(死んでるけど)。もう、ネタとしても曲としてもキャラとしても最高。個人的には突然三味線やりだすゆうぎりさんがほんと好き。 第1位 ‘05 「フタコイオルタナティブ」1話「コロッケとヘリと地下ボクシングと私」 ‘06 「涼宮ハルヒの憂鬱」 12話「ライブアライブ」 ‘07 「CLANNAD」 第9回「夢の最後まで」 ‘08 「喰霊-零-」 第9話「罪螺旋-つみのらせん-」 ‘09 「CANAAN」 第11話 「彼女添」 ‘10 「探偵オペラミルキィホームズ」 第4話「バリツの秘密」 ‘11 「花咲くいろは」 第十七話「プール・オン・ザ・ヒル」 ’12 「スマイルプリキュア!」 第23話「ピエーロ復活! プリキュア絶対絶命!!」 ’13 「有頂天家族」 第六話 「紅葉狩り」 ’14 「四月は君の嘘」 第6話 「帰り道」 ’15 「響け!ユーフォニアム」第8話「おまつりトライアングル」 ’16 「RE:ゼロから始める異世界生活」第18話「ゼロから」 ‘17 「宇宙よりも遠い場所」第5話「Dear my friend」 ‘18「やがて君になる」第6話「言葉は閉じ込めて/言葉で閉じ込めて」 毎年、タイトル部門とサブタイトル部門はなるべく分けようって気を遣うのだが、今回は仕方ない。一本あたりのカロリーが桁違いすぎる。 問題はやっぱりどの話数が受賞すべきなのかということ。中盤以降は本当に毎回がクライマックスみたいな作品なのでどの話数でも説得力は十二分にある。画面の破壊力というか、よりダイレクトな殺意の高さでいうなら選ばれるのは第9話「位置について/号砲は聞こえない」になるんじゃなかろうか。キャストがアフレコの時にどうしようもなくなって固まったという伝説級のエピソード、単なる致命傷である。他にも終盤で加速する11話「三角形の重心/導火」、そして問答無用の最終話「終着駅まで/灯台」。どれを取っても最上級の品質なのは間違いない。そこからあえて1本を選べと言われ、悩みに悩み抜いて、結果、この6話が浮かび上がった。 理由はいくつかある。1つは、シナリオ上の大きな転機と言えるエピソードであること。具体的には佐伯沙弥香の本格参戦。5話目までで燈子と侑の関係性がある程度落ち着き、そこにいよいよ「第三の女」である沙弥香が名乗りを上げる。最初に沙弥香と侑が密に絡んだ自販機のシーンでは露骨なマウントの構図が新たな戦争の狼煙をあげるのだ。そして作中でも最も緊迫感のある河川敷のシーン。もうここは説明不要だろう。一通り落ち着いたと思われた燈子と侑の間のバランスも、実に危うい状態だったことが明るみに出てしまう、いわば「修羅場」である。侑は生まれて初めての対人関係に浮き足立ってしまったのだろうか、衝動に任せるままに地獄の釜の蓋に手をかけてしまった。画面に充ち満ちる緊張感に胃の腑がキリキリと痛み、最後の一撃となる燈子の「死んでも……」のくだりで脳天を打ち砕かれる。あまりに残酷なこのシーンに、視聴後はしばらく立ち直れなかった。それに加えてのCパートまでが用意されており、八方塞がりでこの感情には逃げ場が用意されていない。あまりに残酷で、あまりに無慈悲なエピソードである。 「言葉は閉じ込めて」「言葉で閉じ込めて」という二面的な言葉遊び(?)も絶妙で、原作者のセンスがにじみ出ているのも見逃せないポイントだろうか。この辺りからもう「俺は全く原作を理解していなかった」という敗北感に打ちひしがれていたわけだが、今回この記事を書くにあたって改めて原作コミックと見比べながらアニメを視聴してみたが、原作時点での「意図」の入念さに加え、アニメではさらに、おそらく原作時点でできなかったことや今後を見据えて置き換えた方がいいと判断した部分が変更され、より深度を増している。本当にアニメ作りというものが様々な才能によってなされていることが確認できて、こういった作品を見せつけられると、日々怠惰にアニメを垂れ流し続けるだけで誠意を持ってあたっていないことが恥ずかしくなってくる。せめて心打たれた作品くらいは、真摯に向き合いたいものである。 次(3/4)へ→ PR |
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プロフィール
HN:
Thraxi
性別:
男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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