最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「夏目友人帳 参」 5→6
終わった、と言ってもあくまで通過点なので何とも評しにくい状態ではあるが、いつも通りに、安心して見られるものを引き続き提供し続けている、不動の1枠。 3期目ともなると、作品自体は変容してくるものである。回りに3期目を迎えるほどの人気作ってのはなかなかないのだが、例えば「ひだまりスケッチ」ならスタッフを刷新して演出方向をガラリと入れ替えてきたのが3期目だし、「さよなら絶望先生」にしても、3期目ともなると変化球を多めにして様々な点から「なんとか飽きられないように」と必死になっていたように思う。それくらいに、「続けること」は大変なことなのである。 そんな中、この作品は一見すると本当に「今まで通り」を貫いている。1話1話で扱う題材に大差は無いし、目に見える部分に大きな演出意図の変化もみられない。それだけに、非常に取っつきやすく、これまでのファンならば一切の不満無しに見られるだけのものに仕上がっている。そして、それに加えてきちんと「3期目ならではの変化」も伴っているというのが最大のポイントだったのではなかろうか。 今期の最大の変更点は、シナリオの密度、とでもいうべきものである。過去2期分では最も重要視されていた「懐かしい雰囲気」「緩やかなテンポ」が多少変更され、シナリオ密度が濃くなり、事件の振れ幅も大きくなった。緊張感のあるシーンはより盛り上がる方向に持っていくよう、ホロッと来るシーンはよりダイレクトに響くよう、ユルいギャグのシーンはテンポでもって流れがでるよう。全体的に、「語られるもの」の量が増えていたように見える。 この変更は、メインのライターが金巻氏から村井さだゆきに変更になったこともあるのだろうが、大森監督曰く、意図的にオーダーし、3期目を意識して変えてきた部分であるという。既に2期までで世界観については浸透したという前提のもと、物語の起伏を強めに出し、原作の持つものをより忠実にアニメに引き出したという。多少なりとも視聴者に求めるものは増えるのかもしれないが、これにより、ドラマ性を持つ1本のシナリオとしては、更に密度を濃くすることになった。 この変更は、個人的には純粋にプラスだったと思う。確かにこれまでのようなゆったりとした雰囲気も作品世界には欠かせないものであるが、3期続けられてしまえば、どうしたってそこには「慣れ」と「飽き」が生じてしまうもの。それを事前に回避するために、ドラマ本来の面白さを前面に出す、というのは非常に効果的だった。例えば今回初登場した的場の存在や、一気に深まった田沼との友人関係など、夏目の回りで起こった変化が、これまで以上のピッチで描かれており、グッと引き込まれながら見続けられるだけのパワーを持つようになったのだ。もちろん、相変わらず音響やさりげないキャラの表情の機微など、細かい部分については今まで通りに手抜かりなく突き詰めており、品質の高さは折紙付き。毎度毎度、よくもまぁここまで期待に応えてくれるものだと、感心してしまう。本当に、現代アニメにおける1つの代表作とも言えるシリーズになったのではなかろうか。 やはり大森監督は凄い。そう思わずにはいられない1本でございます。引き続きの4期目も既に決定しているとのことなので、このままのクオリティを保ちつつの続編、楽しみに待ちたいと思います。でも、このシリーズにつきっきりだと、他の作品の新作は作れないんだよなぁ……ほら、あれだよ、いっぺんシンデミル感じの……あれも3期目に更にステップアップした希有な例だったなぁ。4期目が見たいなぁ…… PR
「いつか天魔の黒ウサギ」 4→3
きっと色々と気合いが入った作品だったんでしょうね。バトル時のエフェクトの種類とか、細かく別れたエンディングテーマ設定、ぷにぷにしたデフォルメキャラの分布など、おそらくこの作品の魅力となっているであろう要素をあれこれとアニメで表現しようという努力の方向性は感じ取ることが出来た。 でも……届いてないねぇ……こっちまでそれが来ないねぇ……もうこっちが歳なんでしょうかね、この手のラノベ文化の許容出来る水準がどんどん厳しくなっている気がします。それとも、やっぱりこの作品が歴戦のラノベ作品と比べてもしんどかっただけなのか……個人的には後者な気がするんだけどねぇ。 まず、主人公とメインヒロインヒメアの関係性が、あまり美味しくない。登場時は多少傍若無人な印象もあった、一方的な愛情から不死身の呪いを与えた「魔」としての属性がキャラとして活きてこない。大兎が必死にヒメアに寄り添おうとするまでの動機付けが見えてこない。そこには愛情やら恩義やらが関わっているはずなのに、そこの重みが見えてこない。やっぱりどう考えても「6回死んでも大丈夫」っていう設定は熱血バトルの主人公にはフィットしないよね。「死ぬ気で頑張る」ことが出来ないキャラクターなんだから。同じような違和感は「Angel Beats!」でも感じていたんだけど、こんだけポンポン人が死ぬ世界で「熱意」っていうものを今まで通りの方法論で描こうっていうのが間違っている。どうせ一から十まで戦闘要素は根性論で片付く設定なのだから、そこに何か独自の工夫が無い限りは、単に青臭い台詞をお互いばらまきながら殴り合っているだけのお話である。そりゃ、コクも深みも出ませんて。 お話に起伏が乏しい分、ZEXCSらしいどこか淡いエフェクト群で画面を埋め尽くそうとしていたみたいだが、毎回毎回火花でドンパチでは飽きるのも早く、「大きな敵」の大きさまでもがそれで表されるおかげで、全ての責任が重なり合うエフェクトのせいに見えてきたりする。違うんだ、画面に華がないのは戦闘シーンでこれっぽちも盛り上がらない脚本に根本的な責任があるはずなんだ。それが、画面の請け負ったものに見えてしまうのは、アニメ化の弊害といえるかもしれない。ただ、アニメ絵でそれなりに見栄えのするデザインを用意し、それを最後までちゃんと動かしきったのだから、アニメスタッフはどっちかというと頑張った方の作品ですらあると思っている。山本天志は本当にこういう作品にばっかり縁が深いけど……なかなか幸せは訪れませんなぁ。 というわけで、久し振りに「ラノベの臭いがキツ過ぎる」というがっかりが満載だった本作。途中から視聴モチベーションも一向に上がらなかったおかげであまり書けることもないのだが、高本めぐみが頑張っていたことだけは1つの想い出として残しておきたい。メインヒロインをやった経験があんまり無いから、今後は「代表作」ってことになるんだろうなぁ。その他にも野水伊織・美名のエースコンビも頑張ってましたが、やっぱりごり押し風味が強いのはちょっと可哀想だね。役者陣に責任はないはずなんだけど。一応繰り返して書いておきますが、僕は野水よりも美名派です。どこかで大ヒット作に当たらないものかしら。
「うたの☆プリンスさまっ♪マジLOVE1000%」 4→4
今期のそっち向け枠代表作品。まぁ、最後まで「素朴ッ子を演じるみゆきちも良いものだなぁ」と思いつつの視聴を続けていたわけですが、終わってみりゃぁ、別にそこまで頑張って見る作品でもなかったかな、というレベル。そっち向け作品なんて、えてしてそんなもんですけどね。 この作品の厄介なところは、私の回りにも不可思議な「うたプリ中毒患者」を生み出す謎の依存性にある。一切その病魔に侵されなかった私からしたらさっぱり共感は出来ない部分なのだが、確実に狙いきったあの馬鹿馬鹿しさが、吹っ切れたテンションを生み出してファン層を拡大させたことは、理解出来なくもない。あの無体な逆ハーレム設定を全て「ギャグなので」という風にひとくくりにして、全てを斜めから見て壮大なギャグ舞台として認識すれば、確かに画面も豪華だし、笑いに繋がる部分もあったのだろう。 ただ、個人的にそれは受け入れがたいものだった。ハーレムだろうが逆ハーレムだろうが、とりあえず1本の物語として描くのだから、そこに求めるものは歴然としたストーリーであり、感情移入出来るだけの「真に迫る」ものだ。この作品の場合、「どうせこんなんギャグなんだからおざなりでもいいじゃない」という力の抜き方が、どうにも間違った方向に出てしまっているようで仕方がない。笑いのツボなんてものは個々人で違うので良い悪いの判断ではないと思うのだが、これだけの画面を作れる技術と予算があるのだったら、そうした反則じみた方向で打ち出すのではなく、せっかくなら真正面から「プリンセスさま」を作ってみてくれても良かったのではないかと思ってしまうのだ。 ターゲット層が同じ作品に、前期の「世界一初恋」があったが、もしどちらかを選べと言われたら、多分私はこの作品は選ばない。「世界一初恋」は男同士のガチ絡みがあって正視に耐えるものではなかったが、それでも作中人物達の理屈があり、感情があった。しかし、この作品に集まる男共については、それが一切存在しない、単なる都合の良い駒でしかない。単におざなりのフラグを立てて男をかき集めるだけの物語なら、あらすじを読むだけで事足りてしまうのだ。わざわざ面倒な思いをしてアニメを見ずとも良いではないか。 まぁ、こんだけ肌に合わないことは繰り返しつつも、画面の質(作画の質)はずっと高品質であったことは評価の対象になる。何とも艶めかしいいかにもな塗りはなかなか慣れるもんじゃないが、これを求める層に提供するためのラッピングとしてはなかなか面白い方向性だったい、狙い通りの効果が得られていただろう。毎回男どもが寄り集まって歌うPV風味の画面も、馬鹿馬鹿しさが活きていて単品ものとして笑うことは出来た。最終回のラストステージは有無を言わさぬ迫力があったしね。まぁ、そんなところですよ。 しかし……メインヒロインの子は結局作中ずっとギアスを使い続けたままだったな……あの目の色は他の作品で出てくるんだろうか?
「花咲くいろは」 6→7
とにかく半年間お疲れ様でございました。オリジナルシリーズでここまで一切の中だるみ無しに追いかけてこられたのは、本当にありがたいことでしたよ。ここから新しいアニメの形が生まれそうな、そんな風格すら感じられます。 まず、この作品はなんといってもP.A.Worksの作品だ。P.A.といえば、個人的にはほとんど外すことが無い鉄板スタジオという認識であり、特に映像技術にその良さが出るという、非常に分かりやすい長所があるおかげで、全くの新作を見る時でも評価のポイントが分かりやすい。加えて、今作は監督に安藤真裕を据えた「CANAAN」のスタッフが集まっており、構成力や細やかな演出力についても保証が得られる。ここまで盤石でこけたらおかしいだろうし、実際、想像していた以上のものを作り上げてくれたと思う。ま、ベースとなっているのが「ドタバタ旅館奮闘記」なので物語が想像を超えるドラマティックなものになったりはしないのだが、この「ギリギリ近くて、ありそうだけどやっぱり無い」という、昼ドラ具合がこの作品の売りだったのですよ。 シナリオ面についても、岡田麿里のいい仕事がここでちゃんと結実している。「あの花」のように劇的な短編ものではないが、2クールの中に実に様々なテーマが込められており、1つ1つがきちんと回収されている。特に、個人的には「親子」「血縁」というテーマの重さが好きで、25話で見せた皐月の表情や、最終話のスイと緒花の関係なんかは大のお気に入り。人間誰しもが親近感を抱き、それだけに壁としてもぶつかる問題は、なんといっても「親と子」という関係性。それを、あまり押しつけがましくならないレベルで、26話を通じてじっくりと描いてくれたおかげで、シナリオにがちっとはまるバックボーンが出来ていた。他にも様々な恋愛話や経営奮闘記、「ぼんぼる」という言葉を象徴とする「人が輝くこと」についてのテーマ性なども、ゆっくり拾えるだけの分配でありながら、1つ1つに心を砕いていることがよく分かる。脚本家の意図を、アニメに描き下すスタッフがしっかりくみ取って構築していることが、この隅々に行き届く完成度を生み出したのであろう。「何をすべきか」「何がしたいか」が伝わってくる物語だったおかげで、1人1人のキャラクターへの愛着も増し、緒花たちへの共感も強くなる。悩みながらもぼんぼっている緒花たちは、モヤモヤする部分も多くあったが、それでも最終的には応援したくなる、愛すべき馬鹿野郎たちであった。 そして、これは余談になるが、この作品の「ご当地アニメ」としての立ち位置も面白い。石川県に本拠地を置くP.A.が10周年記念作品として送り出した本作は、地元石川の名所PRの役割も果たしているらしい。実際、この「いろは」効果でそっち関係のお客さんが増えたという報告もあるし、とにかく地方の観光産業に少しでも興味が持てるというのは悪いことではない。こうしたモデルケースが上手く実を結べば、アニメは新しい商業を生み出すことが出来るし、そうなれば新しいアニメの形が広がり、文化的にも幅が出る。なんでもかんでも宣伝ばかりでは味気なくなるが、こうして現実的な側面でも影響のあるオリジナリティを発揮させた、というのは、この作品の白眉な部分ではなかろうか。私も、これを機会に湯乃鷺(湯湧温泉)に行ってみたいと、思ったり思わなかったり。まぁ、私みたいな人間が顔を出すと明らかにアニメが動機だって分かるからこっぱずかしいんですけどね……(とかいいつつ、先日秋葉原に行って「あ、この辺をオカリンがフラフラしてた」とか思ってたんですけど)。 最後はやっぱり中の人トーク。本作は実に様々な方面からの刺激が美味しゅうございました。代表するのはやはりメインヒロインの緒花を演じた伊藤かな恵ということになるだろうか。かな恵ボイスの不思議なパワーには、いつも元気を貰っております。緒花は「ぼんぼる」だの何だのと妙な言葉を生み出す天才で、孝一をわがまま勝手に振り回していきなり早とちりから落ち込んだり、ともすると寒々しいキャラになるところなのだが、かな恵ボイスのおかげでそうした「難有り」の部分は上手いこと誤魔化してしまえている。菜子の度が過ぎた天然っぷりとかもそうかもしれない。豊崎の魔性である。また、今作は年配の女性の迫力が見どころの1つとなっており、絶大な存在感を発揮したスイ役の久保田民絵が実に見事。また、皐月役に本田貴子ってぇのも非の打ち所のない配役。やっぱ格好いいよなぁ。あとは巴さんの中に入ってる能登麻美子ですよね。能登さん、地元に帰って縁談とかしないで下さいね、お願いしますから。 ラストに、これが実に微妙な問題なのだが、民子役の小見川千明がいる。実をいうとまだ悩んでいる段階なのだが、民子については「ややアリなんじゃ?」と思い始めている自分がいるのだ。小見川がなかなか上達しないことは分かった上で、「なんか、民子の融通の利かないこの感じは、いっそ小見川ボイスで当たっていた気も……」とか思えてきたのだ。この判断が正しいのかどうかは、皆さんにお任せします。 とにもかくにも、半年間お疲れ様でした。みんなが明日もぼんぼれますように。
立つ鷺、跡を濁さない最終話。これまで半年の間に本当に色々あった湯乃鷺温泉に、ついに別れの日が来てしまいました。
ここまで綺麗に幕を閉じ、その上で後口すっきりでくどくないという最終回は久し振りに見た気がします。この期に及んで初めて気がつくが、「花咲くいろは」というタイトルは、「花咲いた物語」を示唆するのではないのだね。「いろは」っていうのは物事の初心、はじめの段階のこと。「花咲くための、初期段階」というタイトルだったのだから、緒花たち女子高生の日常は、まだまだこれからということは最初から分かっていたこと。そんな「未来への余韻」を残すエンディングは、また格別のものでありました。 今回は大きく分けて2つのパート。まず、前半はP.A.Worksの真骨頂ともいえる、盛大なぼんぼり祭りの情景。そういえば、P.A.が最初に頭角を現したのはあの「true tears」だった。そして、あの作品も鍵を握るのは、片田舎で開催される祭りの情景だった。夜の闇にぼんやりと浮かぶ多数の明かりや、暗がりの中でうきうきと心躍らせる人いきれ。そんな雰囲気が画面の隅から隅まで充ち満ちているのは、流石のお仕事である。そして、そんな祭りの情景の中で、たくさんの人たちの「願い札」の内容が明らかになり、そこから「未来への情景」が確認出来る。「続く未来」を最も端的なツールで表したのが、この祭りの夜だったというわけだ。 そして、そんな中での2つの出会い。1つ目は当然、緒花と孝一だ。よくよく橋の上で会うのが好きなカップルだが、前回湯乃鷺を訪れた孝一は結局緒花とすれ違いばかりだったので、今回は念願叶っての対面ということになる。あのときとは全く違う緒花の気持ちは真っ直ぐに孝一にも伝わり、そのおかげで無駄に紅ショウガの多い焼きそばを食べる羽目になった。屋台のおっちゃん、気がききすぎるな。 そして、この夜を舞台にしたもう1つの出会いは、裸の気持ちをようやく通わせることが出来たスイと皐月である。面白かったのは2人が祭りの会場を歩くシーンのカット割りで、どこか妙なアングルからの切り取りなので、決して「2人が同じ画面に入る」ことがなかったのである。結局、皐月はスイの生み出した文化に迎合することはなく、あくまで「松前」皐月としての生き様を見せ付けている。しかし、そんな頑なな「隔離」は、その夜の寝室で解消される。互いに譲り合い、わかり合う母子。スイの中には、もう皐月への複雑な感情はなくなっているのだろう。これが、「四十万」と「松前」の融和の起点である。 後半パートは、結局一時閉じることになってしまった喜翠荘を舞台にした撤収劇。従業員は予定通りの未来へとそれぞれに歩を進めたが、数話前のようなバラバラの「離散」ではない。縁が宣言した「新たな喜翠荘」を目指すための一時解散だ。豆じいが去り、喜翠荘は「元の」喜翠荘としての姿を取り戻すことは出来なくなった。女将が歩きながら巡る誰もいない館内の数々の想い出は、この建物に残された最後の遺産となる。しかし、それが終わりではない。「四十万スイを喜ばせる旅館」が喜翠荘の存在意義であるとするなら、今の喜翠荘が失われたとしても、第2の「喜翠荘」を生み出せばいいだけの話。スイに満足してもらう。そんな次世代の旅館の夢は、既にいくらか現実になっているのかもしれない。 そして、この建物を最後に離れるのは、やはりスイと、緒花であった。第1話、1番最初に緒花が命じられた廊下の水拭き。彼女が喜翠荘とのお別れに選んだのは、その記念すべき初労働だった。スイでなくとも、わずか半年の滞在でも、すぐに生まれ、大切に育てられる新たな想い出の数々。新しい世界はそこにいくらでも拓けているのだと、スイは痛感させられる。天真爛漫、何も考えていないような緒花の行動に、思わず彼女も寂寥の涙をこぼした。 最後に残されたのは、「四十万」から「松前」への、正式な融和、橋渡し。未来の四十万スイを目指すことを神に誓った松前緒花に対し、スイは自分の想い出の全てとも言える業務日誌を託した。祖母から孫へ、世代を超えた新たな喜翠荘の夢は、ここに託されたのである。「待ってるよ」と呟いたスイの表情は、全てをやりきったものの達成感に満ち、孫の行く末を見守る暖かな祖母のものになっていた。 みんな、まだ何が出来るわけじゃない。何が出来るかも分からない。しかし、それは、花咲くいつか。花咲くためのいろはが得られた人々は、そのいつかを目指して次なる扉を開けていくのだ。本当に綺麗だ、未来って奴は。
「ロウきゅーぶ!」 5
まったく、小学生は最高だったらしい作品。いやぁ、なんか最近じゃ珍しいくらいに無難に終わりましたな。アニメ単体で見た場合には、本当にまっとうなスポ根ものでしたよ。特に語ることも無くて、この感想だって8割が中の人の話になってもおかしくないくらいだ。 でも、やっぱり小学生だったわけです。世間的にはそっち方向のフィーバーっぷりが凄かったようで、この国はやっぱり法整備を考えるべきなのかなぁ、とちょっと心配になったりも。いや、2次元を相手にしている分には何の問題もないんですけどね。ただ、こういうもののシェアが拡大してくると、声高に主張してもいいんだ、っていうバカが出てくるのが怖いんですよ。アニオタだってそうかもね。趣味なんてもんはひっそりと自分1人で楽しんでりゃいいものなんだから、他人に認められるとかどうとか、関係無いんです。 ん、なんか変な方向に話が進んでしまったが、とにかく今期一番の「特に可も不可もない作品」になった。草川啓造監督作ということでアクション部分には特に注目して見ていたのだが、確かに細やかな配慮が感じられる部分が多く、具体的なモーションの説得力が物をいうスポーツアニメとしては上出来な部類だったと思う。ただ、やっぱりキャラクターデザインによる制約が大きくて、どれだけダイナミックな動きをつけても、どれだけ細かくバスケのモーションを再現しようとも、キャラ造形から来る違和感ってのはなかなか払拭しきれない。贅沢な注文ではあると思うのだが、そうした無茶もひっくるめて表現出来るのがアニメという媒体の可能性だと思っているので、出来ることならもう1段高いレベルの作画が見られれば良かった。 そして、ラノベ原作ってことでシナリオラインはただただ普通。いや、これでいいんですよ。下手に捻ろうとしたら数多の失敗作のようにグダグダになったり滑りまくったりする恐れがあるので。ちゃんと「小学生と高校生の交流」というただ1点の特異点を明示的に表に出して、それを中心に至極まっとうなスポ根を描いていた。これはこれで面白い。ただ、それだけだと今一歩、「この作品ならでは」っていうところまでは行けない。これまた贅沢な注文だとは思うが、「小学生が云々」を、シナリオ面でも先鋭化させて、何かしらのセールスポイントに繋げられたら良かったのだが。いや、具体的には思いつきませんけどね。 色々と無茶な注文ばかりしてしまっている気がするけど、それも全て、基本線は満たしている、という満足感はあったため。この後の智花たちのバスケ人生がどのように進展していくのか、2期とかがあって続きが見られるというのなら、喜んで応援させてもらいますよ。 というわけで、ようやく中の人の話だ。本作は、かなり若手寄りの「主力声優展覧会」みたいな様相を呈していた(ちなみに、もう少し上の年代の展覧会は「神様ドォルズ」だと思っている。そのあたりは今度の感想の時にでも)。花澤香菜を中心として、いぐち・小倉唯・日高里菜・伊瀬茉莉也などなど、今後の業界を牽引できそうな人材が華々しい活躍を見せてくれた。そして、それを見守る保護者役に伊藤静・能登麻美子・川澄綾子などが回っているのである。完全に、一世代分の世代交代を終えた形だ。キンキンと甲高い声が集まったのは小学生メインなのだから当然だともいえるが、そんな中でも個性をぶつけ合い、それぞれのキャラクターなりの愛らしさをアピールする職人芸の数々には惚れ惚れしてしまう。そして、5人で集まって歌って踊ったりもしてしまう。……本業が疎かになる可能性があるなら声優が歌ったり踊ったりする必要など無いとも思うのだが、そういうパフォーマンスをやってもらえると喜んじゃうのが声オタの性。申し訳ないが楽しかったです。井口のドヤ顔っぷりが楽しすぎました。このユニット、やっぱり番組が終わったら解散すんだよね……もっと見たかったのに。女子高生声優達の輝かしい姿を。たった1つの番組のためのユニットだったが、声優ユニット史に立派な1ページを刻んだと思いますよ。まぁ、数年後は黒歴史になってるかもしれないけど……
「日常」 6→6
色々と世間を賑わせながらも、2クールの長丁場を走りきって無事にゴールイン。結局最後の最後まで、充分に楽しませてもらいました。 個人的には、京アニ信者としての属性が強いので、京アニが作り上げるストイックな画面構成には感心することしきり。本当に「アニメ化に向かない」作品だったと思うのだが、あくまでも原作に忠実に、原作が良かった部分をそのまま何とかアニメ媒体に取り出すように、全力で作品にぶつかってくれていることがよく分かった。ここまでのものに仕上げるのは、京アニ以外のスタジオでは不可能だったのではなかろうか。これまでの京アニ作品とはまた違った努力方向で結果が出たと考えれば、これまた新たな記念碑として記憶に残しておくべき作品だったろう。 ただ、この作品の場合、手放しで褒めてハイそれまで、っていうのでは片手落ち。どうも、世間では「失敗した」という評価が散見される。珍しく京アニが滑ったとか、アニメ化して質が下がったとか、そういう評価がある。はっきり書いてしまえば、ちゃんちゃらおかしいと思っている。あの原作を、正攻法でアニメ化するならば、もう、これ以上のものは望むべくもない。生半可な技術で誤魔化そうとしても、確実に馬脚を現す結果になっていたことだろう。「原作を追いかけた」ことが明確に分かり、それが形になっただけでも、ものすごいことである。 その上で敢えて難をあげるとするなら、やはりこの「日常」という作品は、漫画媒体で1つの完成形になってしまっていたということが上げられるだろうか。京アニの過去の作品例を見てみれば、原作ものとしては「ハルヒ」「らき☆すた」「けいおん」「CLANNAD」など、元が小説媒体であったり、動きが見えにくいシンプルな漫画だったりする。その分、スタッフは1からコンテを書き起こし、そこに肉付けするだけの「あそび」が多く与えられていた。自由な枠の中で最大限の「らしさ」を提供することが出来るのが、京アニの強みなのだ。しかし、この「日常」については、そうした「あそび」が極めて少ない。原作漫画の時点で、構図や間合い、ネタ回しが1つの完成形を見ており、そこにプラスアルファを加えるのが本当に難しい。どちらかというと「シュールギャグ」であり、シチュエーションそのものを笑いに変えるのが基本姿勢なので、どれだけアニメとして膨らませようにも、ネタの骨子を動かしようが無いのだ。過去に「すごいよマサルさん」やら「ギャグ漫画日和」、「ユルアニ?」作品など、シュールを売りにする作品の場合、実質的なアニメ品質に言及せずとも、ワンアイディアで笑いに置換できる要素の方が強い。そのため、京アニはなかなかオリジナルブランドとしての強みを活かせなかったというのじは事実だろう。 だとしても、やはりこのアニメは京アニらしさが出ていたし、充分に「日常」の魅力が出ていた。原作ファンなら喜ぶべきことであるし、たっぷりとした尺で見せてくれたことを感謝しても良いと思う。繰り返し見られるだけの密度を持ったこの手のギャグアニメというのは、それだけで稀少なのだから。 そして、京アニのもう1つの特性というと、出来るだけ「色の薄い」キャストを配置するというこだわりがある。過去のヒット作でもそうだが、他の人気アニメに比べて、キャストに新人や無名な声優を起用する割合が高く、フラットにその作品と接することが出来る。相沢舞・今野宏美・白石稔あたりは「京アニ声優」であるが、その他、メインを務めた中で目を引いたのはゆっこ役の本多真梨子。彼女のいつでも本気で演技にぶつかっていく姿勢には、不覚にも惚れてしまった。声にしろ演技にしろ、充分に武器になるものを持っていると思うので、これをきっかけにガンガン先輩達の牙城を突き崩す若手勢力になって欲しいと思う。他にも、なの役の古谷静佳、ウェボシー役の玉置陽子など、ちょいちょい面白そうな名前も出てきた。声優業界の刺激を与える意味でも、この作品の存在は面白いものだった。 さて、次の京アニはなんじゃいな。
「怪盗天使ツインエンジェル〜キュンキュン☆ときめきパラダイス!!〜」 3→3
やった! なんだかんだ言ってちゃんと最終話まで見たぞ! ……いや、すまん、絶対途中でやる気なくして飛ばしてる。正直、間のとことか何やってか全然覚えてないし。大体ネットで麻雀うちながら横目で見てた気がする。すまん、無理だったんだもん。 終わってみての感想は……多分、初回放送の時の印象から何一つ変わってないので、そっちの文章を確認してもらうと早いと思います。あとは……無いなぁ。ほんとどうでもいいなぁ……あ、一応最終回はちゃんと見ていたので、「我慢したんだ!」のとこだけはちょっと面白かったかな。 あれ、でもこれってさ、怪盗とか、チームとか、変態仮面とかの要素だけ並べると、ひょっとしてうまくいってたら「ミルキィホームズ」みたいになってた可能性もあるってことかな? ……無いなぁ。岩崎さんにそこまで尖った仕事は求めてないしなぁ……とにかく予定通りに、期待された以上も以下もないような、針の穴を抜けるようなお仕事です。ま、ぶっちゃけ面白かったかつまらなかったかと聞かれたら、野茂英雄ばりのトルネード投法でもって全力で「つまらない」フォルダにぶん投げるのは間違い無いんだろうけど、だからって特に嫌悪感も抱かないという……これって堕落? 私は駄目になった? 「どうせ田村・能登・釘の3人がしゃべってるんだから、それだけで一定の健康促進効果はあるだろ」とか、思ったら負け? でも、これってそういう作品だよね。「岩崎良明作品だから堀江由衣が出てるはず! よし、出てる、終わり!」って、そういう作品だよね。それでいいじゃない。
「神様のメモ帳」 5→3
個人的には、今期最も「はずした」作品。「はずす」ってのは、単につまらないとか合わないっていうんじゃなくて、1話目で受けた印象からの逸脱があって、期待した方向に作品が進まなかった、という意味。結局いつもこの言葉を使ってしまうが、やっぱりラノベか。 1話視聴時点では、様々な点で期待を込めることが出来た。動きの良い岸田メルのキャラクターデザインは分かりやすいセールスポイントだったろうし、1時間スペシャル枠を利用して放送した1エピソードは、目新しさこそ無かったものの、どこかで現実と非現実のバランスが考えられており、終わった後にちょっとした寂しさと考えさせるだけの余韻を残していた。この時点で既にどこぞの作家との炎上劇なんかもあったみたいだが、そんなピントのずれた議論は興味もなかったし、率直に受け入れられると思えたその第一印象は今でも変わらないと思う。そもそも、ラノベ原作の自称「探偵もの」なんて信じちゃ駄目だってことは、過去の作品から嫌というほど教え込まれているわけで、いわゆるミステリ的な要素なんて気にする方が間抜けであろう。 だが、残念ながら、2話以降を視聴するにつけ、ミステリ的な要素以外でも、1話目がたまたまだったんだろうなぁ、と思えるような脚本しかお目にかかることが出来なかった。理屈が無いし、描写も無い。だからこそ道理も無いし共感もない。当初「自分で動いて考えられる主人公だ」と思った鳴海は、すぐに「訳の分からない思い込みで愚にもつかないことをやり始める埒外」に見えるようになり、「どこか余韻が残る」と思われた作中の事件については「余韻っていうか、結末が無いだけだね」ということが分かる。展開が安易なのは許せるが、展開が意味不明なのは流石にフォロー出来ない部分だ。ネタ部分での「え? 何でそうなるの?」が発生するのと同時に、作中キャラのやりとりでも「え? 何でそう思うの?」「何が君をそんな行動に走らせているの?」が乱舞し出すと、もう筋を追うのも困難になる。脚本をあげる時点で、誰かおかしいと思わなかったんだろうか。 メインシナリオが追えない、もしくは追うに値しないと感じられると、残った要素も自然と辛くなってくる。「花咲くいろは」では可愛らしさとコミカルさのキーとなっているキャラクターデザインも、地に足がつかないキャラの空虚なイメージに繋がってしまうし、胡散臭いキャラ造形は、どんどんあさっての方向に行ってしまうように見える。実際には他のアニメだって大した差はないのかもしれないが、作られたキャラが、実シナリオと遊離してしまっているために、「現実感のなさ」がプラスに働くことが無いのである。ラノベ媒体なんだから開き直り方には様々な方向性があり、例えば西尾維新作品のように、絶対にあり得ないレベルにまで造形を突き抜けさせてしまえば、それはそれで文句のないものだ。もしくはそれこそ「花咲くいろは」のように、ベタでも阿漕でも古くさくてもいいから、とにかく分かりやすさに重点をおいて書くことも出来る。ニートを書くなら「あの花」みたいに多少心の傷を抉るくらいの無茶な生々しさを伴わせてもいいだろう。しかし、この作品はそういったどの方向にも尖ることはなく、ただ最初に設けたスタート地点にコマを置き、一切動かそうとはしなかった。「あとはシナリオがかってにキャラを動かして、運んでくれるから」とでもいうように、1話で生み出したそのままに、設定を放り投げた。そのまま、全員を乗せた状態で迷走を始めるというのに、である。 どうにも、お話自体もアニメとしても、何をキーとして売り出していきたい作品なのか、ということが分からず、見ていても熱意が受け取れなかったのは残念なことである。どこかで、原作の脚本をアニメにする時点で大きくいじっており、アニメスタッフの罪が重い、という風な意見も目にしたのだが、何の理由もなしにこれだけ空虚な脚本には落ち着かないとは思う。原作は読んだことがないし、これからも読むことは無いと思うが、全部が全部アニメスタッフだけの責任、ってことはないだろう。ま、犯人探しをする意味も無いけどね……と、桜美かつし監督を応援したい身としては適当なフォローを入れておきます。 最後に中の人の話。今作はなんといっても、小倉唯のヒロインデビュー作、というのが最大の注目ポイント。ただ、個人的にはアリスよりもひなたの方が好きだな……小倉唯はあの徹底的に甘ったるいアニメ声が武器になるのだから、まだ抑えめで声を作るよりは突き抜けさせた方が面白いものになる。もちろん若いうちにガンガン色んな方向にチャレンジするのは良いことだと思うけどね。あとは……鈴村が割と面白かったかな。あんな訳の分からないキャラでなければ、もう少し格好良い見せ場が作れたんじゃないかな、とは思うんだけど。 |
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HN:
Thraxi
性別:
男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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