最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「日本へようこそエルフさん。」 5→5 作品に関しては別段述べることもないのですが、今作に関しては全然関係ないことが気になって気になって……(詳しくは特番中の本渡ちゃん参照)。 まぁ、作品の視聴者としてはあまりに不純すぎるんですけど、こんなもん、いちファンとして気にならないわけないじゃないですか。しかもお話の中身的にどんぴしゃで、いや、どんぴしゃでズレてるので色々と捗るんですよ。ほんと、この↑生配信が楽しすぎてしょうがなかったもんで、もう、アニメを見ながらず〜〜っと不純なことを考えてました。幸せそうな空気が作品にもどこかしっくりくるしなぁ。改めて、内山夕実ファンは幸せを祈っております。ついでにゆっけ氏もな。 閑話休題、そんなわけで基本的にはホワホワ幸せな日常の風景を楽しむ「日常系」に属するアニメ。そこになろう的異世界とちょっとの日本ageを混ぜ込んで現実と異世界を行ったり来たりしながらいちゃいちゃするという新手のデザインが完成したわけだ。いや、多分世に氾濫するなろうの中ではそこまで目新しいものではないのかもしれないけども。この設定は割とうまいことできてるな、とは思ったんですよ。 一番でかいのは、「日本のものを紹介してドヤる」という行為の規模が穏当なレベルまで薄まること。既存のなろうフォーマットだと、「日本の、もしくは現代の技術を好き勝手に導入してドヤる」は定番ムーブなわけだが、例えば「本好きの下剋上」に代表されるような「技術革新をもたらして英雄扱いされたり、大金を稼いだりする」という流れが1つ。昨今はそうしたプロセスを描写することすら放棄してAmazonで異世界に荷物を頼んだりしてる作品もあるが言語道断だ。必死に自分の知識やスキルを総動員して現代日本の叡智を異世界に持ち込むというのは、非常に大掛かりな構造になる。そしてもう1つの定番は今作にやや近いラインで「単に食い物だけ導入する」パターンもある。「異世界食堂」がその最たる例で、作者にも読者にも身近で馴染み深い「食い物」を紹介するだけで、なぜかレシピ本が異世界物語に早変わり。まぁ、これまた節操のないやり口で、結果的にどんどん異世界の食生活を貧相なものに貶めることになる。 その点、今作は全てのプロセスがせせこましい。何しろカズヒホはせいぜいお弁当1つ持ち込める程度。食事でドヤるにしても、町中・世界中を相手に革新を起こすなんてことせずに、ただ隣にいるマリー(とウリドラ)を楽しませるためだけに日本の食文化を提示する。万人に見せつけてドヤァは鼻につくが、隣の子に「美味しいから食べてみなよ」だけならちょっとしたコミュニケーションの一環である。そして、本作はそれでいいといっているのだ。 そのほかにも、単なるユルい小旅行とか、近所の散歩とかで幸せを提供しており、主目的がドヤァじゃなくてほっこりなので嫌味になりようもない。まぁ、その分刺激は少ないが、そこは必要十分と思えば別に多くを求めるものでもない。「異世界」を絡めた日常ものというのなら、これはこれで1つの正解なのだろう。もちろん異世界での冒険譚も描かれてはいたが、「まぁ、無くてもいいかな」くらいのウェイト。牛丼屋の紅生姜くらいのノリで思い出した時摘めばいいだろう。 アニメーション的には可もなく不可もなく、若干の崩れは目についたが、別にそこまで入念な作画が求められる作品でもない。必要なところでマリー(とウリドラ)が可愛くなってくれれば文句はない。そういう意味で、やっぱりウリドラのキャスティングが神だったよな、という最初の感想に返ってくるのであった。 内山夕実ファンというのは、最終的に「飲んだくれてる内山夕実」ファンでもある。面倒くせぇよっぱらいゆーみん概念、ほんとによろしかったです。いや、本渡ちゃんだって立派にメインヒロインだったですけどね。ほんとだよ。 PR 「RINGING FATE」 6→7 本当に興味の尽きない作品。この1本を中国アニメのサンプルとして引っ張り出すだけで、実にさまざまな視点からの比較・考察・批評を繰り出すことができるんじゃなかろうか。まぁ、わたしゃそんな紙面もないのでそこまでのことは言えないんですが。 まずグラフィック面について。こちらも多分、アニメ一辺倒の私よりもソシャゲなどで中華ゲームに多く触れている人らの方が一家言ありそう。数年前からすでに完成の兆しがあった中国的アニメ映像技術だが、いよいよここにきて完全オリジナルとして成立した感がある。過去にも「羅小黒戦記」「時光代理人」「万聖街」などで触れてきたことだが、中国の画作りは当然他国の模倣から始まっているはずだ。そして色濃く影響を与えたのは我が国のジャパニメーションであることは疑いようのない事実だろうが、他の様々な文化的側面同様、アニメだって「追いつけ」から「追い越せ」の段階に来ている。中国の強みは何でも取り込める貪欲さと莫大なマンパワーにあり、トライアル&エラーの試行回数を爆発的に伸ばせるAIなどのコンピューター技術の発展により、その強みはさらに強固なものとなったと考えられる。CGキャラのモーションの付け方などは同じく人海戦術を得意とするアメリカのアニメーションから持ってきた部分もあり、それでもなお、文化的に日本人向けの「萌え」「燃え」にアクセスしやすい画面構成。これを観ては、もはや日本アニメの焼き直しだなんて口が裂けても言えない。別に貴賤をつける意図はないが、独自の面白みを孕んだ中国アニメは、すでに新しい道を邁進している。 そして物語構造。ぶっちゃけめっちゃ気になるところで終わってるので現段階で評価するべきではないのかもしれないが(この後投げっぱなしになる可能性はなんぼでもあるからな)、それでも素直に面白いと言えるものになっている。奇しくも今期は「誰ソ彼ホテル」が遠からぬテーマ設定だったのでちょっと比較してしまうが、同じ「死後の世界」を扱いながらも、抒情性を強調した日本的ドラマ構成に対し、今作の「生前の思い出」の描き方は実にドラスティックで、良くも悪くも刺激が強い。中国ってぇと当局の検閲が厳しくて過激なものが出せないんじゃないか、みたいな勝手な思い込みがあったが(まぁ、それは事実なのかもしれないが)、「現実」の描写に容赦がない分、我々日本人のアニメ視聴者の思いもよらないような表現もポンポン出てくる。この苛烈さは、一部のアニメファンが熱望する要素になりうるだろう。 そして演出面での思い切りの良さ。「アニメだから」という殻に閉じこもらず、ケロッとした態度でガンガン実写ドラマを盛り込みハイブリットの形をとるアイディア。以前個別感想でも書いたが、別に「日本人でもできる」ことだったのかもしれないが、「日本人はやらなかった」のだ。その理由はおそらくニーズが無いと判断したためだろうが、中国アニメにそうした恐れは無い。今までやってなかったなら、とりあえずやってみればいいのだ。勝手な予測だが、実写パートのプロットとかは韓流ドラマみたいな部分から持ってきる要素もあるんじゃないかな。頭の硬い私みたいな人間は「その部分もアニメで十全に描けたらパーフェクトなのに」とか思っちゃうところもあるが、「実写にした方が切実さが増し、より手軽に迫力が出せる」ってんならやらない理由はない。面白ければ、なんでもいいのである。 もちろん、日本に入ってくるのは中国アニメの中でも上澄みの一部分だけだという可能性も大いにあるのだが、少なくとも今作は「今」を捉えるのに必要不可欠なサンプルだったと思っている。これはぜひ続きが観たい作品だが……こういうのって、本国ではどれくらいのスパンで作られるものなんでしょうね。 「想星のアクエリオン Myth of Emotions」 5→3 これは煽りでもなんでもなく、純粋な疑問なのだが……「何がしたかってん?」 マジで最後まで観続けたけどその目的意識が分からない。厳密に言うと「何故アクエリオンだったのか」が分からない。アクエリオンってさ、もっとこう、ドキドキユカイでヘンテコなロボットアニメじゃなかったっけ? まぁ、神話との絡みとかは一応「らしい」要素ではあったのだろうけど……別に旧作ファンが求めてる要素ってそこじゃなくね? もっとゲラゲラ笑って「バカだなぁ」っているような、そんな思い切りが観たかったのだと思うのだが……な〜んもなかったね。 一応今作における新たな試みがあるとするなら、2つの全く異なる世界の描写ということになるのだろうか。過去のゴリマッチョ神話世界と、現代のカートゥーン世界。その2つの世界を完全に分け隔てて描くことによって「創世神話」の説得力を増し、見た目にも刺激を増やす狙い。まぁ、それは一応成功はしているのかもしれない。ただ、「だからなんやねん」である。特に神話パートについてはゴリゴリのCGモデリングでなんか不恰好なデザインになってしまっており、アニメとしての魅力に欠ける。おそらくあっちをゴリゴリの世界にして現世(?)をカートゥーン世界にすることで大きなギャップを狙ったものだと思われるが、残念ながら依って立つカートゥーン世界の方もそこまで魅力的に映るわけではないせいで、それをゴリっと変えられたところで「変なの」くらいの印象しか残らない。私の中で一番イメージが近かったのは「gdgd妖精s」の本編(?)と大喜利コーナーの差である。つまり、ギャグとしてやる分には成立したかもしれないのだが……大真面目なんだよなぁ。ほんで別にどっちの世界の出来事もそこまで興味が湧かないっていう……。 必然、評価するとしたらカートゥーン世界の方ということになる。一応キャラの面白さを出そうとしている部分は受け止められて、特にイチキ姉妹は小原好美が必死に頑張ってくれたおかげでちょっと面白いキャラになった気はするが、結局はこの世界における「欠落」という要素が最後まで割とどうでもよかったせいでキャラ造形が半端に終わってしまっている。おそらくもっと青春絵巻というか、「足りない」世界で合体によって互いに満たし合う若者たちの姿を描きたかったのだろうが、その場合にこのカートゥーンデザインは切実さに欠けるせいであまり食い合わせが良くない。どこまでが冗談でどこまでが本気なのか分からんし、分かったところで「世界の奪い合い」の設定とか、なーんか陳腐でそこまで興味を惹かれるものではない。 「そういうセカイ系作品もあるかもな、新しいロボットアニメで何かそれっぽいことやりたかったんだろうな」と、通常なら察して飲み込んでもいいくらいのクオリティではあるんだ。別に画面が崩れるってこともないし、どうせメカ戦はCGだから良いも悪いもない。ただ、「なんでこれがアクエリオンだったんだ」っていう最初の疑問に戻ってくるのである。アクエリオンを使わず、なんかこう、「グランベルムとか「アルドノアゼロ」とか「ヴァルヴレイヴ」とか「ダーリンインザフランキス」みたいな完全に新規のタイトルでやってくれれば「こんなもんやろ」で終わりなのだ。なんでわざわざ10年20年前のタイトルを引っ張り出してきて押し付けたんだ。多分、あの当時盛り上がってたジジイたちが求めたアクエリオンはこれじゃないだろうし、あの当時を知らない若い人にアクエリオンの看板は何の意味もない。どの要素を拾いたかったんだ。よりによって、アクエリオンは当時のCG技術的にはかなり先進的で「サテライトはCGアニメに力入れてるんだな」って評価されてたのに、あれから特に進化しない「既存のアクエリオン」だったせいで逆に時代に取り残されちゃった感じすら出ている。作り手も受け手も、誰も得してないんじゃないか? いや、分からんけどね。なんかこう、熱心なアクエリオンクラスタの人には刺さる要素があったのかもしれないけど……私は思い出せませんでした。花守ゆみり主演作品でピンとこないとか、由々しきことですよ。……えっ、「エガオノダイカ」? 何それ? 「異修羅(第二期)」 ―→7 どこかの偉いかどうか分からない人たちも「やりたいことやったもん勝ち」と言っていました。つまり、やりたい放題やられた私は敗者です。おもろかったんやからしょうがない。 多分アニメとして順当に制作されるのはここまでなんじゃないかなぁ、というヤな予感があるので、ここ数日ずっと悩んでたんだけど多分原作小説買って読むと思います。そのくらいに好きだったし、続きが気になるアニメでした。 ここ最近は「選手入場!」の面白さを活用した作品ってのは色々と増えていて、一番まっすぐなオマージュが「ケンガンアシュラ」で、なんか違うんじゃない、っていうのが「終末のワルキューレ」シリーズだと思ってるんだけど、今作も(少なくともアニメの時点では)この一部に加わっている。とにかく意味も分からん楽しそうなキャラがザクザク登場してただ暴れ回るだけ、という節操のない構造自体がもう面白い。各々に最強を謳う理由がきちんとあって、それを全然関係ないところで好き勝手に発揮するだけ。みんなして方向性が違うから「こいつらがぶつかったら何が起こっちゃうんだーーーーー!!」という興味だけでぐいぐい引っ張られてしまう。「史上最強の男が見たいか!」と叫んだ徳川翁の気持ちがよく分かるというものだ。1期と合わせて20人以上のキャラクターが大挙し、好き勝手に暴れて(一部は)消えていった。そんな化け物たちのフルコースパレード、単なるお祭り騒ぎとしても満足いく代物だった。 もちろんそれだけだったらほんとにバカの所業でしかないわけだが、今作はそんな野放図な魅力をきちんと発揮できるだけの媒体が揃っている。映像制作のパッショーネは最近ほんとに頑張ってくれているし、CG制作には実はサンジゲンが協力している。最終話のアルスなんかで分かりやすいが、人外の異形もだいぶ自然な形で描写できるようになっている。シームレスに作画とCGが繋がればこそ、メスエクさんとトロワみたいな世界観も何もあったもんじゃないドリームマッチが実現するわけで。とにかくド派手に、なんか面白そうに! という全力での煽りは、小説媒体をアニメにする時の一番分かりやすいモチベーションだったのだろう。その辺の「見得」というか、「厨二心にザクザク刺さっちゃう演出」ってのはやっぱ高橋丈夫監督の真骨頂ですよ。しっとり見せる悲哀の物語から、頭がイカれたドンパチまで、無節操に広がり続けるこの世界を、散らかりすぎないように手綱を絞める采配が見事でした。 「アニメの続きがないんじゃないかなぁ」は単にネガティブな見込みというだけなので、もちろん続編を作っていただいても全然構わないです。3期がある時は、原作既読の者として作品に対峙できることを祈っております。 3月は存在感のある声優が続きますね。さぁ、川澄だ。以前もどこかで書いたかもしれないが、私は以前から「もし私が大学で『声優学』を専攻していたら、修士論文を川澄綾子で書き、博士論文で大沢事務所を対象にするだろう」と言っている。その川澄がここにきて登場。つまり私はこれから修論を書かねばならぬのだ。ごめん、無理。
「ハニーレモンソーダ」 4→3 こりゃぁダメだ。もう全然合わなかった。もしかしたら史上最も受け付けない市ノ瀬ヒロインだったかもしれない。 ここ最近はヤな作品は途中で切るという選択肢ができたので、最終評価まで辿り着いて点数が低い作品ってのは、逆にそれなりの理由がある。今作の場合、アニメーションとしての質は低くないというのが一番の理由。キャラ絵は最後までがっつり維持されていたし、クドいくらいの表情デザインとか、かなり手間がかかっていた部分は本来なら評価すべき部分だ。「ちゃんと作ってる」ことが分かるからこそ最後まで試聴して好感度が反転することを期待してはいたのだが……まぁ、一事が万事というか。スタート時点でこうなることくらいは分かってたのだから、余計な期待を抱かずにフェードアウトしておいた方が幸せだったのかもしれない。 一番ダメだったのは、やはりヒロイン・ウカのキャラ造形だ。とにかくもう、自己肯定感が低すぎて見ててイライラしかしないのだ。「引っ込み思案の女の子」が主人公の少女漫画なんてそれこそ佃煮にするほど存在しているだろうし、今作と同じようなデザインの作品も過去に何百と作られているとは思う。だからたまたま私の視界に入ったのがこの作品だったというだけなのかもしれないが、いくらなんでも自分に自信がなさすぎて、いじめられっ子になるとか以前に、一番いじめているのが自分自身なのだ。ここまで自罰的な人間にわざわざ手を差し伸べてやろうと思うほど私は心に余裕がある人間じゃないし、理由もなく彼女に手を差し伸べる不良軍団の気持ちなんて何回転生しても分かる気がしない。ヒロインが何かしら「頑張っている」とか、「変わろうとしている」ところが見えれば応援することもできようが、ウカが自分から何かを変えようと動くフェイズがとにかく少ない。もはや友情とか恋愛じゃなくて「介護」なんじゃないかと思うくらいに、手取り足取りで全部やってもらっているし、周りが「そうしてやる」理由が分からない。少女漫画らしい「勇気を出して何かする」フェイズがほんとに最後の1匙だけなのだ。このヒロインは、好きになれない。 そこにお約束の「見た目は不良だけど俺だけはお前の良さが分かってるぜ」男子が絡む構図なのだが、それが通用するのは視聴者側が「お前の良さ」を分かっている時だけであり、それが分からなかったら単なる「趣味の悪い奴」である。あらゆる好意が空中分解してしまっていて、およそ関係性のドラマとして受け取れなかった。もう、こればかりは信じるものの違いなのかもしれない。 話が受け入れられないと、キャラ造形までなんだか薄気味悪く見えてしまい……一番デザインに手が込んでいた瞳の描き込み、瞳孔が拡散してるみたいで怖かったよ。「少女漫画は瞳がでかい」は日本の伝統だけど、入念に描き込むほどにクリーチャー度合いが上がっちゃって……そこさえ除けばサブヒロインも含めて可愛い子もいたんだけどね……。 「悪役令嬢転生おじさん」 5→6 成立してたねぇ。なろう文化をベースにした作品なので、常にどこかで警戒心を維持しながら見てたし、実際鼻につく部分も無いわけではなかったが……フツーに愉快な作品になっていたのだから、そこは素直に認めちゃったほうが楽ですわ。 重要なのは「咀嚼」だ。本作の作者は主人公の憲三郎と似たり寄ったりのおっさん。ベテラン漫画家が流行りの悪役令嬢物を描くなんて、流行りにおもねった節操のない所業だと頭ごなしに叩きたくもなったが、クリエイターたるものきちんと自分の作品に責任を持っているわけで。おそらく作者は「悪役令嬢もの」というジャンルの存在を知り、試しに1本2本、もしかしたらそれ以上に作品のサンプルを摂取したことだろう。そして当然、おっさんであればあるほど、私に近いさまざまな疑問が浮かんだはずだ。「そもそもゲーム世界ってどういう概念だよ」「破滅フラグってなんだよ」「悪役ってどういう概念だよ」etc. etc. そして、それをしっかり咀嚼し、自分なりの解釈でジャンルそのものを再構築し、満足いく形のギャグ漫画としてアウトプットしたのがこれ。 そう、当然こんな支離滅裂な設定なのだからギャグにするのが一番手っ取り早いし、さまざまな不条理を全部「そういうネタ」にしてしまえば手軽に笑いに転化できるのだ。そうして不条理を笑いつつもそうじゃない部分はしっかりとサポートを盛り込んで「設定として」説明していくことで釈然としなかった部分を解題していく。これによりなろうフォーマットの不利な部分はどんどん減少していくことになる。唯一「おっさん礼賛」というなろう的なファクターは残ったが、まぁ、そこはおっさん作者がおっさんのために残す「良い物」と認識したのだろう。個人的にはおっさんageが強すぎるとちょっと気持ち悪いと思ってしまうので本作でもそこの要素だけ微妙に受け入れがたかったのだが、ここまできたら純然たる好みの問題だ。文句を言うのも野暮というものだろう。 こうして1人の作家がしっかりと責任を持ち、「私の考えた悪役令嬢作品はこういうものです」と示してくれた答えは、なんかもう、面白いとかつまらない以前に、「納得できた」。この感覚はとても重要だ。特にゲーム世界という理不尽の塊について、ゲーム内・ゲーム外の両方からアプローチすることで作品の根幹をなす謎として維持したままでストーリーを進行し、さらにこの2極を家族で分担することによって家族愛のドラマにも接続している設定が実に如才ない。続きが気になる作品でしたわ。 中の人の話にちょろっと触れておくと、当然今作のMVPは主人公の中の人2名ということになるわけだが、無茶苦茶な世界をしっかり支え、賑やかにしてくれたアンナ役の関根明良のお仕事ぶりも大いに評価したい。やっぱ底抜けハッピーボイスはとても元気になる。こういう「馬鹿馬鹿しさ」はいい栄養素ですよ。 「BanG Dream! Ave Mujica」 7→9 俺は全力で贔屓していくぞ。バンドリと共に歩み続けた8年間。溜まりに溜まった堆積物。その重さはあまりにも過酷で。 今年度はこの注釈がやたら多くなっているが、点数をつけたのは今回の1クール分というよりは、ここまでのシリーズの総括としての点数である。ただ、「8年間全部」をつなぎ合わせるのは流石におかしいので、言うても「It’s MyGO!!!!!」との2クール分の総合得点という認識ではあるのだが。間違いなく2つで1つの物語、「MyGO」で組み上げた基盤を足場として最大限に活用し、その踏み込みでもって既存のバンドリ概念をぶち壊す闇の深さを体現する黒船。それがこの作品だった。 基本的な評価ポイントは「MyGO」の時と似たようなものになるが、まずは映像部分の作り込みの評価。完全に現代アニメの1シーンとして定着したサンジゲンによるCGベースのキャラ作画本当にこなれるところまでこなれて、これだけ執拗な心理描写が必要な作品でも充分使用に耐えるだけの技術が完成された。「CGは手間を省くためのサボりツール」という昔ながらの認識をぶち壊すべく、表情芝居の細部の細部まで入念に、少女たちの愛憎劇のためにとにかく手間暇を惜しまない姿勢は本当にお見事。仮面をテーマにした作品でこそ「顔芸」と呼ばれる表情芝居がどんどん花咲いていく様子はなんともパラドキシカルである。 そうして描かれた「ギスドリ」世界線は瞬間最大風速を毎話更新する勢いでひたすら苛烈に情報を叩きつけてくる。そりゃまぁシナリオの細部を見れば「どないやねん」と突っ込みたくなる部分もあるだろうが、エンタメに極振りした刺激まみれのその筋立てはとにかく目を引き、心を引き寄せた。もちろん単に「やり逃げ」するようなこけおどしの昼ドラではなく、1人1人のキャラクターを根っこの部分までしっかり描き切った上で展開される「だからこその軋轢」。人と人との関わり合いというのは本当に難しい。ましてそれがバンドという「運命共同体」であればなおさらのこと。これまでキラキラドキドキを描き続けてきたメディアで、同様の比重でギスギスドロドロを描くことになんの後ろめたさがあるものか。その上で、最終的には「音楽の素晴らしさ」に、「皆で音を作る素晴らしさ」に帰結するのも当然とはいえありがたい話で、我々は楽曲という最大級のご馳走を味わいつつ、その背景に積み上げられた幾重にも折り重なった関係性の情報を貪り尽くす。噛めば噛むほど、中毒症状は深まるばかりである。 そしてバンドリーマーだけの特権として与えられるのがメディアを跨いでのドーパミン無限地獄。リアルバンドの裏にアニメのキャラがおり、アニメのキャラの背後にはリアルバンドが横たわっている。10人の少女の物語とは言っていたが、その実「10人の少女と10人のバンドマンの物語」でもあるのだ。この楽しみ方に特化したバンドリプロジェクトは、ハマればハマっただけの見返りがあることを幾度も示しており、今回もそりゃもう美味しくいただきました。というか来月いただきます。アニメが終わっても、マスカレードが終わらない喜びよ。 ちなみに「10人のバンドマン」で追記なんですが、個人的に一番驚いたのは米澤茜という謎のドラマーの存在でした。この人、ほんとにすごいのよ。ご本人の様子だけ見てたらエロくて豪放な飲んだくれドラマーに見えるんですが、何故か祐天寺若麦としてもすげぇしっくりくる。ぶっちゃけドラムという専門性が高すぎる楽器はどうしても「アニメキャストとの両立」が難しく、バンドリ世界でも夏芽・mika先生とどうしたって「役者としては、まぁねぇ」みたいな配置になりがちなのだが、このドラマー、マジで声の仕事まで面白おかしくこなしてくれる。ドラムが凄まじすぎるので「声優業も頑張ってください」なんて口が裂けても言えないが、それでもなお、「ずっとにゃむちでいてください」だけはお願いしたい。 あと最後まで岡田夢以のツラがいい。「八芒星ダンス」の時のティモリスがグッと涙を拭うモーション、ライブ本番に岡田フェイスでやられたら失神する。 「アオのハコ」 6→5 これも2期かぁ。お金のあるジャンプ漫画はファンにとってはありがたい存在だよね。 基本的に減点要素が無いんだけど何故か減点している。あんま刺さってない、というのが端的な表現で、さらにぶっちゃけると、1話目では「ヒロインのCV的に点が下がるわけもない」くらいの印象だったのだが、それでもどうにも刺さりきらないこともあるもので。 言い訳じみたことを繰り返すが、別に減点要素はないはずなんだ。むしろ良いところを上げる方が簡単なくらいで、2クールもの間徹底してハイクオリティな作画は流石のジャンプ。本作はスポーツアニメとしての側面もあるため、要所でのモーション作画などでクオリティが保証されていることによる恩恵も大きい。王道ラブストーリーでの青春模様も取り立てて違和感もなく、「こういうお話はあるよなぁ」くらいですんなり飲み込める。別に斬新な筋立てを求めるようなジャンルでもなし、これはこれでとても良いものだ。 でも刺さってないんですよ。なんなんでしょうね。非常に丁寧に描いてくれている分、なんか退屈してしまったというか……どうしても間伸びしてる感があったってことかなぁ。ほら、スタート地点が「ヒロインのCV的に云々」の時点で、私の中でヒロインの千夏先輩の存在は絶対なわけですよ。浮気する要素なんて1ミクロンも存在しないし、同居始めたりなんだりで盛り上がったなら秒で告白せいや、と思ってしまうという。あんなふわふわと半端な状態を維持し続けていること自体をネガティブ要素として捉えてしまったのかもしれない。 いやでもジャンプのラブコメなんてそういうもんじゃん、というのは頭では分かってる。今作だけが特別まだるっこしいってほどでもないしなぁ。なんかこう、なまじアニメのクオリティが高かっただけに、バドミントンアニメとして半端な成果を残してしまっているところにモヤったりしてるのかもしれん。あっちもこっちも手抜かりなく、というデザインのせいで八方美人になってしまってる、みたいな。 まー、もしかしたらいい加減高校生のなまっちろい青春なんかで食指が動かなくなってるという老化現象なだけかもしれないんだけどさ……。ちょっと対照実験したいから他の高校生ラブコメアニメ持ってきてください。それでキュンキュンできたらまた考えます。 ところで、これが終わったらここまで連綿と受け継がれてきた「上田麗奈メインヒロインアニメ」がついに途絶えることになるんでしょうか。来期の予定とか知らないので欠乏症を危惧しつつ、ビクビク待ちます。 |
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HN:
Thraxi
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声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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