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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 ん? 高橋李依? 第20話。エンドロールでりえりーの名前出てきてびっくりしたけど、あれか、アバンでおでぶちゃんが背負ってた箱から聞こえてきた声がりえりーなのか。ってことは1期でやられたと思ってた蜘蛛ねーちゃん(ニヒロ)ってまだあの状態で生きてるってことなのか。……どうやって負けたんだっけ?

 よりによって感想をお休みした前回が随分なトンチキ回だったもんで色々とツッコミ機会を逃してしまったが、簡単に確認しておくと前回は2人のNew Challengerが追加された。Aパートが凍れるドラゴンおばちゃんルクノカさん。「タルキールっぽいけどこの人はアタルカじゃなくてどっちかというとオジュタイっぽいな」とか思ってみてました。そしてBパートが前からずっと気になってたスライムのサイアノプ。「異界の図書を熟読してるよ」っていう設定だから頭脳労働者かと思ったら職業タイプが「武闘家(グラップラー)」なの笑っちゃったよ。なろうワールドでもフィジカルを売りにしてるスライム戦士ってなかなかいないよな。しかもCVがグリリバさんって、マジでなんなんだよ。一応次元でいうとウーズなのでムラガンダっぽいと言えなくもないが戦ってた犬戦士たちはアモンケットっぽくもあった。

 という状態から今回のお話。1話1話しっかり閉じてるから1回くらい飛ばしても見やすいのは助かるが、今回のアバンみたいに「あれ、なんか繋がってる!?」という要素が出てくると過去の記憶(特に1期)は飛んじゃってるので大変だ。まぁ、りえりーボイスの謎は次回以降に解決すると信じて、今回のタイトルにも出ているウハクの物語を確認しよう(ウハクはCV稲田徹って書かれてたんだが、今回一言でも声を発したっけ?)。

 ついに出た、超絶カウンター持ちのクリーチャー。最初は聾唖なのがディスアドバンテージなキャラなのかと思っていたが、彼が聞こえていなかったのは「詞術」らしい。この世界における魔法的存在「詞術」について私はいまだよく分かってないんだけど、なんか使うと独特なエフェクトが発生するので、「まぁ、そういう魔法」くらいに受け取っている。ちょっと前にロスクレイさんが他人からスピーカーで借り物してたことから、大切なのは音なのか、詠唱することそのものなのかは良く分かんないけど、とにかく何かを「詩」にする必要はありそうな技術だ。そうして世界を言葉で支配する「詞術」の一番やばいのが、多分1期で出てきたチートキャラのキアだったんじゃなかろうか。

 まぁ、そんな「詞術耐性」を持つ特異なオーガであるウハク。生きるのに不自由していたが、他者との交わりがないというのはこの世界では武器にもなるらしい。突然暴れ出した巨人さん(CV明乃)のおかげでその性質が明らかになった。ウハクさんからしたらせっかく言われた通りにしてただけなのに、人間の勝手で自分が善くされたり悪くされたり、いい迷惑だけどあんまり干渉されないのでまあいいやの精神。かろうじて交流があった婆さんの言うことを聞いて、よその教団(?)関係者のところに身を寄せ、なし崩し的に勇者候補にされてしまったようだ。多分本人には全く野心がないと思うのだが、果たして参戦もモチベは上げられるもんだろうか。こいつが大会に出てくれば無敵だと思われてたキアに対する強烈なカウンターになるのだが……別にぶつかる理由もないんだよなぁ。

 今回のお話でちょっと面白かったのは「巨人」と「オーガ」ってやっぱ違う種族なんだよな、という部分。まぁ「人」と「鬼」なんだろうけど、サイズとか見た目とかは割と似てるんだよな。すでに巨人の勇者候補にメレがいるわけだが、今回出てきた女巨人さんとメレを比較すると、メレの方が随分規格外のサイズだった気もする。巨人によって大きさってそんだけ違うもんなんだろうか。単にメレがクソでかいだけか。MagicでもOgreGiantは明確に違う種族なんだけど、物語としての差分は「話が通じるか否か」くらいのもんで、今回は皮肉にも巨人の方が詞術のせいで話の通じない存在になり、まだウハクの方がコントロールできちゃったってのがなんとも寓話的である。ちなみに「僧侶属性のオーガ」というとオナッケのオーガのイメージなのでウハクはシャンダラーっぽいな。いや、無理やりでもMagicの次元と紐付けといた方が理解しやすいんよ。

 そして最後には何故か婆さんのところに無敵天使マイスターのクゼさんが登場。事前に思い出シーンで彼が「教え子」であると言われていたが、婆さんのいう「教団」ってこいつも関わってたところなのか。いまだにその辺の設定はよく分かってないが……ここからちょっとずつでも1期キャラとの絡みは増えるのかしら? まだ次回は新キャラみたいだが……。

 
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 今期りえりーヒロインはウォーハンマーがよく似合う、第62話。まずは1局の終焉。ここが最初に幕を引くのは意外ではあったが。

 対レグルス戦、そのキーとなるのは当然相手の権能の看破だったわけだが、なんかよく分からんうちにスバルが読み解いてしまったらしい。……いや、視聴者目線だとまだよく分かってないんだけど……まぁ、ざっくり言うと「魔界大冒険」ってこと? 後半に使ってた「時を止めて心臓を維持する」能力と「他者に心臓を預けておく」能力って地続きのものなのかしら。なんかよく分かんないけど……とにかく「囲ってる花嫁全員の心臓を止めれば無敵が解除される」という認識らしい。スバルはどの辺からこんな意味不明な能力に気付いたんでしょうね。「レグルス」の名前も含めて、別にヒントはなかった気もするが……まぁ、かつて何度か権能を相手に戦ったことがあるスバルはその辺の勘が鋭かったということにしておこう。

 一度看破してしまえば、花嫁の心停止に「氷の魔女」の能力を使うところはそこまで難しい発想ではない。結局その後のステゴロも含め、だいたいのことはエミリアがやってくれるのである。まぁ、スバルもあれだけフィジカルに差があるレグルス相手によくも逃げ切ったものだとは思うけど。スバルも言う通りに舐めプの結果なので、ほんとにギリギリのラッキープレイだったことは間違い無いぞ(いや、死んでも別にいいんだけど)。レグルスも、最初に出てきた時にはもっとあっさり殺しにきてたと思うんだけど、下手に煽られたせいか、やたらお行儀よくスバルの無駄口を聞くようになっちゃったよな。即死技しかないのにあんまり緊張感の無いバトルシーンであった。

 そうして「なんかよく分からん権能」「スバルのいつも通りのイラつく煽り口調」などの気に食わない要素はありつつ、今回の結末で「やっぱ石田彰は格好いいな」ということを改めて確認。レグルスは格好良くないよ? 今作は貶めるキャラを徹底的に貶めちゃうのでほんとにダサくて格好悪い死に様にはなるんだけど、あの天下の石田彰が、ここまで格好悪いキャラを徹底してダサく仕立て上げられるのってやっぱりすごい。どう考えても嘘くさいキャラじゃん。ていうか嘘じゃん。こんな奴いるわけないし、こんな奴のこと見ていたいとも思わないはずなのに……なんか魅力を覚えてしまうのはなぜなんだろう。最後の最後までやり切ったキャラの生き様(死に様)に満足してしまうのは何故なのだろう。情けない状態のままでひたすらアキラ節が繰り広げられる最高のエンタメ。アフレコ現場はさぞ盛り上がったことだろう(本人が盛り上がってるかどうかはしらん)。もう、そこだけで満足ですわ。

 さて、これにてようやく大罪司教が1つ落ちた。残りの話数で、ちゃんと全部討滅できるのかしら?

 
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 やはたァ……とがわァ……みすみィィィィ……祐天寺! 第9話ァ!!! 視聴者の多くは同じような状態だと思うんですが、ここ最近の私は、このアニメのことを反芻してるだけで1週間終わります。なんなのこのコールタールみたいなアニメ。

 どっから突っ込んだらいいかも全くわからないんですが、結局若葉睦を中心に物語は回っています。ややこしいのは中心にこいつが鎮座しているせい、そしてそれに対して祥子が未だ正しい対処法を見出していないせい。でもそれはしょうがない。誰も正解なんて分からないんだから。

 多少強引だが単純化するために二極化させると、現在「CRYCHIC復活派」と「Mujica再生派」の2派閥に分かれて、本当の意味での修羅場を演じている。こんなに「修羅場」という言葉がしっくりくるアニメは初めてだよ、という程度には修羅修羅している。そしてそれぞれの主張には恐ろしいほどのエゴが込められており、当然簡単に解決などできるわけはない。

 CRYCHICMujicaという2つのバンドをどちらも生み出した諸悪(?)の根源、豊川祥子から考えていこう。彼女については、「クソ親父を切る」という選択さえできれば一応問題は処理できる。168億が無ければMujicaを始める必要すらなかったわけで、このアニメも存在しなかった。かつては親父を最優先にしたおかげでCRYCHICが解散する羽目になり、我が身を引き裂く思いで離れたバンドの「全てを忘れ」、父親を救うための存在がAve Mujicaだった。しかし年端もいかぬ少女に出来ることなどたかが知れており、夢は潰えてMujicaが空中分解。無理が祟って後に残ったのは2つのバンドの亡骸だけ。何も出来なかった祥子は弔いだけを考えていたが、「Mujicaの消滅=親父の放棄」なので、まずは父親との縁が切れる。現時点で、祥子が父親をどうこうしたいという意識は表れていない。

 するとこの時点でややこしいことに「CRYCHICの復活」は選択肢として復活する。そして彼女には「バンドを殺した」という負い目があり、「CRYCHICの壊滅」については、元メンバーのほとんどがMyGOという拠り所を(あれだけの苦労を伴って)生み出したおかげである程度の禊が済んでいる(長崎が冷たい目でこっちを見ているが)。ただ、彼女の最大の傷は若葉睦という最大の理解者を「壊して」しまったこと。睦を壊した原因であるMujicaを再生させるなどという選択肢があるはずはなく、現在は「睦のために」CRYCHICをやり直したいと考えている。動機が完全に他者にあるというのは、これまで己のためにのみ屍を重ねてきたことを思えば当然の末路か。

 転じてその若葉睦はほんとにややこしい状態。睦自身はそこまで難しい話ではない。実は彼女も最大の動機は「祥子の幸せ」であり、「祥ちゃんが苦しむ」というただ1点においてMujica再生は選択肢にない。そしてCRYCHICのやり直しも「祥ちゃんが救われるから」なわけだが、ここだけが少し問題で、睦と祥子はCRYCHICの再生の動機を互いに依存している状態にある。つまり、お互いに「わたくしは別になくても大丈夫ですわ」「私も」という対話が成立すれば、まぁ、ぶっちゃけCRYCHICはなくてもいいのである。まーそもそも長崎そよはあれだけの仕打ちを受けてCRYCHIC復活の夢をメタクソに潰されたわけだし、「昔とは違う」の一言で済ませてくれたのは彼女の最大の優しさとすら言える。また、ご丁寧に祥子を思って「CRYCHICの詩」を書こうとした燈は、もう「CRYCHICの歌」が作れなくなっていることまで提示されている。まぁ、そのことを指摘したのが審判として全く信頼できない三角だったわけだが……おそらく燈もそのことは薄々分かっていたはずだ。改めて確認するが、やはり「CRYCHICの再生は無い」のである。

 さて、転じてMujica再興派の戦力はどうなっているか。まず、その筆頭になったのが前回飛び出した「面白すぎる女」八幡海鈴。彼女のクレイジーっぷりは散々迸っていたわけだが、正直、何が彼女をそこまでさせるのかはまだ分からないままだった。「居場所になるバンドへの憧れ」は頭では理解できるが、これまで積み重ねてきた八幡海鈴の悪行を思えば、まだそれが本心だったのかは定かじゃない。この女に「本心」などというものがあるのかどうかすら分かっていない。しかし、今回の顛末でそれがちょっとずつ保証されていくようなヤな確実性がある。

 根幹にあるのは「居場所への羨望」。それは間違いない。しかし、そのために彼女1人でどこまで奔走するというのか。まず「モーティスへのギター講習」(正確にはエアギタープレイヤー仕草講習)を行い、バンドとしての体裁を整えるところから始めた。もう、この時点でこいつがおかしいことは分かるのだが、とにかく「入れ物」を作らないことには自分が「入れない」のだ。仮面を被ったお人形に慣れすぎた哀れな傀儡が、必死に糸をたぐろうとしている様子はあまりに滑稽である。

 そして半端な形で「モーティスは抱き込んだ」と判断し、続いてにゃむにも「信用取引」を持ちかけるが、祐天寺はどう足掻いてもMujicaを再開する動機がない。自分にとっては間違いない醜聞。「演じること」に対する余計なトラウマを植え付けた地雷。ストーカーじみた空気の読めない粘着を行うめんどくさすぎるベース。何が楽しくてこんなところに戻りたいものか。おそらく、祐天寺がMujicaに戻るとしたら、そこに「一番格好いい自分」がいないとダメだろう。演技では若葉睦に勝てない。それでも同じ板の上で「戦える舞台」があることに気づけば、もしかしたらにゃむは再び戦場へ戻ってくるかも知れない。

 しかし、残念ながらガラクタ人形の海鈴にそんな人間の心は分からない。都合よく(?)初華を取り込みついにMujicaの過半数を取り込んだと判断した海鈴は揚々と祥子のところへ。「睦がかわいそう」を最大の要素として取り上げる祥子に対し、「そんなん言うたらモーティスだって可哀想やろがい」というゴネを展開。まぁ、モーティスの言うことを全面的に信じるのであれば「Mujicaの消滅はモーティスの消滅」にもなりうるわけで、一応殺人の罪を訴えることにはなるのだが……それだってモーティスという幼い紛い物が勝手に宣っているだけである。祥子を引き戻す要素としては弱い。当のモーティスはというと、結局CRYCHICMujicaの間で揺れ動く睦との折り合いがつかず、「互いに殺し合っている」状態に。しまいには睦を封じて自ら「睦を演じる」というおもしれー最終手段に出るが、そんな大根芝居では野良猫に笑われるだけ。決して人間にはなれやしない。もっと根源的なところでの「統合」が必要である。それはつまり、「CRYCHICMujicaの統合」であろう。より正確に言うなら、「祥子と睦が幸せになれる形でのAve Mujica」。おそらく今作のゴールはそこになるとは思うのだが、おそらくモーティス程度の思慮ではそこに思い至ることはないだろう。

 そして、睦と祥子が必死に手を取りあい、なんとか自分の生き様を探す中、海鈴が涙ながらに自分の生きがいを求める中、にゃむがプライドをかけて生き方を定める中、誰の顔も見ず、ただただ狭い殻の中で嗚咽を漏らす人間が1人。さぁ、三角初華。いよいよお前の出番だ。

 海鈴のモチベーションがなんとも捉え所が無いのに対し、初華の願望は実にシンプル。そしてそれ以外にないためにただひたすら純度が高い。ANON TOKYOからの情報提供を受け、豊川祥子の紆余曲折を思い、その隣に自分がいないこと、そして、全く相手にされていなかったことを最悪の形で知る初華。ことここに及んで、RiNGに乗り込んだ自分の姿すら、祥子は捉えていなかったではないか。祥子はこれほどまでに自分を軽んじていたのか。いや違う。三角初華は、祥子からの依頼を果たせなかった役立たずだったのだ。「すべてを忘れさせて」というオブリビオニス(忘却)を、顕現させられなかった。だから捨てられた。家庭事情の話かと思っていたかもしれない。「忘れさせるべきこと」が世知辛い世の中の話だったら、楽しくみんなでバンド活動ができて、お金も稼げるMujicaがあればこともなしだと思ったかも知れない。しかし実態はそんなもんじゃなかった。祥子にとってCRYCHICは本当に大切で、後から割って入った自分が簡単に「忘れさせる」ことなどできなかったのだ。その最大要因だった高松燈の詩を改めて認め、祥子にこびりついたCRYCHICの残滓の重さを知る。

 ダメだ。自分と祥子が並び立つ場所はMujicaしかないのだ。衣装部屋にあった「オブリビオニス・廃棄」の文字列が深く深く突き刺さる。終わらせるわけにはいかない。どんな手を使っても、Mujicaを取り戻す。もはや「手段のためには目的を選んでいられない」。祥子がどうなろうと、それが初華の幸せなのだから。そのためには、八幡に存分に働いてもらわなければ。ドMの八幡、こいつはいい動きで祥子を追い詰めてくれそうではないか。あの仮面を、また被ってくれそうではないか。それだけで、夢が叶うなら。

「き〜〜んも」。

 
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 さぁ、ここからは歴史です(rest is history)。ちなみに「田村ゆかりのことをなんと呼べば良いのか」というのも悩みどころなんですよ。「ゆかりん」が定型なんですが、「俺あんまり使わんしなぁ」と思ってブログ内を検索したら、最近はさっぱりだけどブログ黎明期(今から10年くらい前)は結構使ってたわ。恥ずかしくなって使わなくなったんだろうか。どういう心理だ?

 


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 「上手くなりたい」、第8話。武田綾乃作品でそんなこと言われたら、そりゃもう橋の上をダッシュするしかないですが……どんなジャンルでも、女子高生は常に上を目指す。

 さて、一週お休みをいただいたもんで秋山周りのあれこれについては省略する形になってしまったが、まぁ、だいたい1話で1人ずつ問題は解決するし人間性も掘り下げられたのでよしとしておこう。前回分で一番びっくりしたのは花奈がやたら堂々と演技できていたことくらいである。元々朗読が好きな人間だし、ある程度「演じる」ことには慣れているのかもしれませんな。

 というわけで今回は、そんな秋山の縁もあってあの西園寺修羅の舞台を観に行ったところから。アニメ的には「日笠がガチでやった朗読(の演技)」を聞くことができる貴重な機会であるが、我々目線だと「日笠だ」というバイアスがかかるのでそれが純然たる西園寺修羅の実力なのかどうかはよく分かりませんね。その分、アニメではダイレクトに効果やイメージをぶっ込むことで「修羅の世界」を構築しており、花奈たちが舞台に何を思ったかはなんとなく窺い知れるようになっている。観覧時に瑞希が薄笑いを浮かべていたのは象徴的だったかもしれませんね。彼女にとっての修羅ってどういう存在なんだろう。また、冒頭の「上手くなりたい」の台詞が花奈から出てきたというのも当然といえば当然だがやっぱり新鮮。これまで「楽しくのんびり、好きな朗読を」というスタンスで生きてきた花奈は、杏に言われるまでは「競技としての朗読」に一切興味が無い様子だったが、いきなり頂点存在を見せつけられたことにより対抗心に火がついた。これはちゃんと杏によって下地ができていたおかげとも言えるね。なんもない状態でいきなり「上手い朗読」を聞かされても感心するだけで終わっていたかもしれないが、しっかり自分で努力を重ね、「技術」がある程度向上したところにぶつけられたからこそ打ちのめされることになる。それでも下を向かず、へつらわず、しっかりと「上手くなりたい」が出てくる花奈は芯の強い子だ。くだんの台詞の時、花奈はまっすぐ前を見ており、杏の方がやや伏目がちだったのは各々の生き様の表れかもね。

 とまぁ、朗読部門も発破をかけられた状態だが、今回は春夏秋冬カルテットの最後の1人、冬賀のお当番回。彼の属性は非常に分かりやすく、「大成しない完璧主義者」の類型と言える。いや、別に彼が何かを成したという認識もないので「その卵」くらいなのだが、物作りをする人間にはほんとによくある「もっとよくできるんじゃ」と言い続けてゴールに至らないというタイプ。いや、ゴールはしてたのかな。中学時代の思い出では上級生から勝手に完成形を出されて激怒しており、今回は誰かに邪魔されることもないが締切がギリギリ。このまま提出できなかったら杏の言うとおり「予防線張ってるだけじゃない?」と思われてもしょうがない。また、遊佐浩二ボイスで「なんか勘違いしちゃおらんか?」とか尋ねられたら人格全否定されたみたいな気持ちになっちゃうけど、やっぱりここでも先生たちの言ってることは正論。クリエイターは好き放題できる全能者ではない。あくまで他者に求められるものを求められる形で提出できて、初めて表現が成るのである。

 とまぁ、世知辛い話にはなってしまうわけだが……それでも上を目指したい若者の青い情動。それをうまいこと刺激して回してくれたのは今回も花奈だったし、名サポーターの箱山先輩もいい仕事をしている。

 「普通なんて嫌だ」という、これまた青っ白い若者の漠然とした反骨心は、どう足掻いたとてゴールに辿り着けるものではない。自分が全能者だと勘違いしているバカ、もしくは本物の天才だったらいいのかもしれないが、大半の人間はどこまで行っても凡人だ。「お前が思いつくようなことは誰かがすでにやっている」のだ。そこをはみ出そうとがむしゃらになることには、実は大した価値はない。しかし若者にはそれが我慢ならぬ。自分の中の「凡」を認めたくないからこそ、過剰に「普通」を嫌って袋小路への進んでしまう。まぁ、冬賀の理想はそこまで閉塞感のあるものではないが、一歩間違ったら今回も「成せずに」終わっていたかもしれないのだから綱渡りだ。周りの人たちの優しさに感謝し、なんとかして、ここから自分なりの特別、「オリジナル」に辿り着けるといいのだけど。

 なんだかんだで、とりあえず放送部全員がスタートラインに立った。あとはここからヒロイン勢が何を積み上げていくことになるか。「上手くなりたい」の先には「特別になりたい」があるわけだが……。

 
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 りえりーですよ。この人もいつの間にか「りえりー」になっていた。多分これはあんまり声優ラジオとか聞かなくなった時代なので、ネット情報とかで眼にする文字列から自然に定着したパターンかなぁ、とは思います。うえしゃまも「りえ」としか呼ばんしね。

 

 


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 「あだなはざーさん な〜んだ?」(ATのア段クイズより)。高らかな……。

 さぁ、2月は引き続きカロリーが高いぞ。一枚看板という意味では今や彼女よりでかい看板もあまり無い、日本の声優界を背負って立つまでに成り上がった怪物ボイス。さて、この人をどのように評したらよいものか……。

 

 


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 我が心の声優十二神将が1人、中原麻衣である。「2柱の神」とか「5本の指」とか色々ありますが、まぁ、その時々で好き度合いを表示する言い方は色々変わりますよ。とりあえず言えるのは、生涯大好き声優ランキングを作ったら、この人はベスト10には入れざるを得ないということくらいでしょうか。そこは不動。ある意味で声優という職業の理想像の1人かもしれない。

 


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 Happiness to you, 第8話。さまざまな局面が変貌していくターニングポイント。薄皮を剥くように明らかにされていく少女たちの素顔。どうでもいい情報ですが、カラオケDAMの端末は履歴に同じ曲が複数並ぶことはありません(ほんとどうでもいいな)。

 まー、私もこれまで散々八幡海鈴という女について期待したり慄いたりいじり倒したりしていたので今回のお話はギャグとして見てしまう側面が強いんですが、一見ファニーに見える彼女のあれこれが、全て切実な彼女の内面から出てくる表現であることを考えると、「笑うしかない」「笑ってられない」というのが正直なところ。ただまぁ、事前に睦という「極まった症例」を見てしまっているので、八幡海鈴の葛藤はまだ「思春期の情動」として一般化できなくもないかなぁ、という思いもあり、まだ心穏やかに受け止められる部分はある。

 今回のお話は大きく分けて2つの局面が描かれる。1つはモーティス。前回のCRYCHICラストライブで完全に浄化されたと思われた若葉睦だったが、それは視聴者側の勝手な願望であって、睦の中に生み出されたモーティスからしたら緊急事態。何を勝手に美しい思い出にして自分を消そうとしとるんや、という話である。一見すると綺麗に掃除されたかに見える睦の私室だったが、残念ながらまだ鏡台はひび割れたままで、自分を映すには至っていない。

 ただ、我々も話が簡単になるからあっさり受け入れていたモーティスという存在も、より客観的に考えれば面倒極まりない存在であり、その実存をどこまで認められるかは難しいところ。こうなってくると「そもそも人格とは何か」という哲学(心理学?)にまで食い込んだ話をしなければならなくなる。

 ここで1つ新たな情報が提供される。それは、「信頼できない観測者」(厳密には、視聴者視点で信頼に足るかどうか分からない観測者)である森みなみからの証言。「睦は生まれながらにして役者であり、そのすべての挙動は演技だった」という話(お笑い芸人わかば、初の顔出し回想)。よりによってそんな話をCV沢城みゆきでさせるんじゃねぇよ、とは思うが、みゆきちボイスだからこそこの恐怖感が際立つというのもあるかもしれない(実存する怪物に言われたら説得力しかない)。ただ、「生まれながらに演技をしている人格」というものが仮に存在したとして、それは果たして「演技」なのだろうか? その辺りの感覚をみなみちゃんともうちょっと詰めたい思いはあるのだが、森みなみもあの通りの性格なので、いかに大人だとて十全に信用できるとも思えない。バンドリ世界線において(少なくとも今作の枠内において)「大人」は完全なるものではなく、往々にして不完全な部分ばかりがピックアップされることが多く、みなみちゃんはその最たる存在だからだ。少なくとも実の娘を「怪物」呼ばわりする親を信用するのは難しいだろう。

 奇しくも時を同じくして、モーティスからも似たようは話が提出される。モーティス自身も含め、睦の外側に見えるあらゆる人格は仮初のものであるという主張。それまで数多存在していた仮の人格は、睦がギターという拠り所を見つけて「不必要」になったために淘汰され、最終的には「睦ちゃん」に集約されるはずだったところを、モーティスのみがMujica絡みのゴタゴタの調整役としてかろうじて生き延びたという話だ。この言説もずいぶん突飛なもののように感じるが、よくよく考えればそれって単なる「思春期までの成長における人格形成」の一形態と言えなくもない。子供というのは、生まれながらに何かを決められるものではない。無限の可能性、ありうべき「自分」があって、成長という名の無数の挫折と断念を経て、その行く先が絞られていく。そうして一意に自分を定めて「安定」していく様を人は成長と呼ぶことがあるわけだが、モーティスからしたらそれは「喪失」であり、自己の消滅すら内包した遠回しな自殺とも言える。モーティスが幼児のままで動かぬ性格を持っていることはまさに幼年期の体現であり、成長を拒否し残す無限の可能性、甘美で安易な「夢」の残滓でもある。これを消すことを成長というのならそれは欺瞞でもあるが、果たしてそれを避け続けることが正しいのか。若葉睦という少女は、歪んだ家庭環境の中で長らく「自分」を見つめる機会を与えられてこなかった。しかしギターに出会い「自己」を見出し、今ようやく人格を得ようとしているところだ。

 ただ、悩ましいのはその「睦」が目指している理想の自分は「CRYCHICの自分」であり、祥子も、立希も、それがもはや終わったものだと断言している。睦はそこを諦めたくない気持ちを持ち続けているが、おそらくそれは叶わぬ夢なのだろう。若葉睦はCRYCHICを手放し、新たなギタリストとして「自己」を確立する場を模索する必要がある。もちろんそれがAve Mujicaである必要はないし、祥子のことを考えればそうではない方が良いとは思っているわけだが、そこにモーティスは反発している。「モーティス」という名を与えられた人格は「ずっと昔から睦ちゃんと一緒にいた」わけだが、今たった「2人」だけで生き残るほどに顕在化しているのはAve Mujicaというバンドが受け皿になり、明確な「入れ物」を用意してくれたおかげ。睦がMujica以外のバンドを組めば、おそらく「モーティス」は不要となる。2つの「未来の可能性」が共存するためには、なんとしてもAve Mujicaでなければならないのだ。しかしそれは、モーティスの、若葉睦という1人の人間のエゴでしかないのだ。

 転じて、今回語られた2つ目の局面、八幡海鈴に話題を移そう。ややこしいモーティスの話に比べれば、どうやら海鈴さんの過去はおよそ想像通りのものだったようで、すげぇ簡単にまとめると「あまりにバンドに入れ込みすぎちゃったからぶっ壊れた過去があり、そのせいで責任を取りたくない、『信用できない』スタンスを取るようになった」とのこと。まぁ、バンドという集団を形成する段にはよくある話で、ディティールは違うが山吹沙綾とチスパあたりにも似たような話があったし、同じくサポートメンバーとして複数のバンドを掛け持ちしたレイヤ、マスキングあたりも「バンド内関係」には悩んでいたこともあった。海鈴さんの場合、残念ながら「一発目」のショックが大きすぎて、その後のバンド活動全般に大きな影響を及ぼしたということらしい。

 これまで秘密のヴェールに包まれていた八幡の日常も一気に明かされたことでその精神性への考察(妄想)も色々と捗ることになる。一番に注目されるのはやはり家庭環境だろうか。地獄の豊川家、煉獄の若葉家と対比的に描かれた熊本の祐天寺家、その他バンドリ世界の「家庭」は温かいものが多いが、どうやら八幡家もふつーにほんわかなご家庭らしい。ちょいぽっちゃりめだがとても人が良さそうな八幡母(CV渕上舞)。娘さんのパンクな生き様もふわっと受け止めて放任しているらしいが、多分彼女の生い立ちにおいて家庭環境はマイナスには働いていなそうである。まぁ、母親の容姿に抵抗があるのかどうか、徹底した体型管理はストイックすぎる部分もあるが、そこはまぁ、思春期の女子なら想定の範囲内だろう。元々ミニマリストの気があるようで、「都内でもそこまで思い切った物件あるかい」と突っ込みたくなるような打ちっぱなしコンクリアパートの室内は本当にものがない。味覚がおかしくなりそうなカロリーメイトの山にプロテイン、そこに対比的に持ち込まれる「目玉焼きをのっけた焼きそば」の話から、彼女がバンド活動を続けるにあたり、そぎ落とし続けたものの大きさが滲み出ているかのようである。まぁ、30のバンドを掛け持ちするには、どこかでタイパを突き詰める必要もあるのだろう。そこまでして彼女がバンドにしがみついているのは、根底に何かしらの情熱があるからなのか、「親の世話にならずに」生きることへの執着があるのか。

 しかし、そんな効率厨になった八幡海鈴の前に投じられた大きすぎる一石。それがどうやらCRYCHICだったようだ。あの豊川祥子が救われたCRYCHICラストライブ。一度は喧嘩別れして崩壊したはずのバンドが、1人の人間を窮地から掬い上げた。何故なのだ。自分を突き放したあのバンドは、何も後には残さなかったというのに。この感情を嫉妬というのかどうか、少なくとも海鈴自身は認識できていないが、周りの連中は着実に外堀を埋めてくる。よりによってあのCRYCHICには海鈴が信頼に値すると判断した数少ない人間の1人である椎名立希が含まれている。あのツンケンしたクールガイ椎名立希が身も世もなく泣きじゃくるほどの経験が、CRYCHICにあったというのか。バンドというのは、そこまでの存在なのか。海鈴はその存在をまだ知らない。

 ストイックな彼女のこと、分からないことがあれば知りたくもなるのだろう。悔しくもなるのだろう。「元鞘」を目指してまずはオブリビオニスの再起を促すも当然失敗。一番話がつきそうな「効率厨」だと思われたにゃむちに話を持っていき、言質を取ることには成功した。あとは、歪みきった状態ではあるが同じモチベーションを持つモーティスをなんとか「使える」状態まで持っていければ、何かしらの糸口は掴めそう。……なんとまぁ、不器用なことで。おそらく彼女は本当にいろんなことを「知らない」のだ。ある意味でモーティス以上に無垢で、まっさらで。さらにタチの悪いことに、モーティスが自然に維持していた「幼児性」というか、成長の拒否を、海鈴は自らの鉄の意志で行なっていた。バンドに裏切られたことで、人間関係の構築、自分からの積極的な他者への介入を遮断し、目を向けてこなかった。そこに一歩踏み込んできた空気を読まない女が椎名立希だったせいで、彼女に対してだけは、どこかで埒外の反応を示してしまうこともあった。やり方が分からないことが多すぎて、カラオケボックスのドリンクバーで戸惑っていたお嬢様・豊川祥子のように、海鈴は間違ったどか買いをしたりする。ミニマリストの彼女がアホみたいな買い物をするという対比構造には、過度のストレスを受けた混乱があり、何かを変革したいという欲求が見て取れる。

 赤ん坊のようなモーティス、何も分からない世間知らずのティモリス。2人の結びつきはAve Mujicaの再びの萌芽となりうるのだろうか。そして、此の期に及んで海鈴からろくすっぽ話すら持ちかけられないほど信頼されていない三角初華は。

 Ave Mujicaは「死」を経験し、祥子は「忘却」した過去に向き合った。だからとて5人にはまだバンドへの「愛」はなく、何を「恐れ」ているかも分からない。その先に待つのは、「悲しみ」だけなのだろうか。

 
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
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