最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
ようやく軌道に乗ってきた、第4話。そうそう、こういうのが見たかったんですよ。いや、単に羽川さんがメインで出てたから気に入ってるってだけじゃないよ。羽川さんのおっぱいに触れるからって楽しいわけじゃないよ。いや、それもあるけどね。羽川さんが「おっぱい」っていうだけで楽しいけどね。もうずっとそれでもいいんだけどね。そういうことじゃなくてね。 「いつも通り」と思われている節のあるこの「物語シリーズ」だが、個人的な印象としては、ここまでの展開はあんまり「いつも通り」ではなかった。特に顕著だったのはスタート時の1時間スペシャルと、前回の話数。いわゆる「解決編」の内容を孕んでいるパートだ。今回の放送を見て気付いたのだが、多分私は西尾維新のアニメ作品に「理論的な解決」なんてものは一切求めていないのだと思う。求めているのは、どこまでキャラを引っ張り上げられるか、というギリギリまでの「キャラ売り」と、それを執拗な画面構成で作りあげるシャフト演出の極みが見たいのである。「論理的な解決」とか、「それっぽい説明」とかになると、どうしても遊びの要素が減ってしまう。おかしなことを言っているようでも、そこには筋を通そうという理性が生じてしまう。そうなると、いかに今作のキャラとて口八丁でフォローしきれるだけの力を毎回発揮しきれるわけではないのだ。 今作は元々「怪異」のお話なのだから、そこに理屈は必要無い。「怪異を司る理屈」はあった方がいいのかもしれないが、撫子の理不尽な暴虐や斧乃木ちゃんの割り切った態度などは、そこに理屈はなく、ただ一本、キャラの信念があるだけだ。今作の演出方向ならば、それでいいのである。どれだけ根深くて、面倒臭くて、理不尽な「わがまま」が眠っているかが見られればそれでいいのである。だからこそ、巻き込まれ型主人公の雄ともいえる阿良々木さんが輝く。彼が巻き込まれるあれこれに、こまっしゃくれた理屈などいらない。「面倒な女が面倒なことを言っている」ことさえ分かればそれでいい。その最たるものが、猫を宿した羽川さんの恋慕だったわけだ。それが成就したからこそ、僕は羽川翼というキャラが大好きになったのだ。もっとわがままが見たい、もっと無理難題をふっかけてくるヒロインが見たい。それがこの世界の存在意義である。 そういう観点からすると、今回の話数はかなり良いものだ。「ラスボス」忍野扇と、「大ボス」羽川翼の直接対決。彼女達が何を思って対決しているのかはまだはっきり示されていないが、「ラスボス」のやばさは天才羽川の感じるところなのだろう。相変わらずやられたい放題の阿良々木さんの代わりに、彼女が扇ちゃんと一戦を交えている。両者一歩も退かない好ゲームであり、今作の特徴でもある無機質な背景描写がこれでもかと2人の内面性を押し上げてくる。工場の排煙や走り回る自動車の騒音は不穏さ、粗雑さをかき立てるだけでなく、画面のポジショニングによって双方の立ち位置、攻め方、情勢を事細かに伝える役割を果たす。こういう「画」が見たかったのですよ。今回コンテを担当した若林信という名前は残念ながら初見だが、演出にはなんと草川啓造がクレジットされている。草川さん、シャフトの仕事に戻ってきたの何年ぶりだよ(また新房さんの下で仕事してもええんやで)。 演出だけでなく、作画そのものも非常に質が高い(これは前回までもそうだったが)。個人的にお気に入りなのは、羽川さんの顔のディティールが細やかに描き込まれれば描き込まれるほど、その対比が強調される扇ちゃんの能面のような無機質な顔の描写。今作の特徴である目尻、目頭の赤みまで描き込んだデザインは羽川さんにだけ適用され、その他の陰影なども羽川さんの顔にのみ映し出される。そんな羽川さんの顔が様々な表情を持つにつれて、扇ちゃんの肌はより白みを増し、人間性を失っていく。この対比がはっきりと2人の関係性を表し、阿良々木さんとの接触において両極を示しているのが楽しい。あと、単純に羽川さんが美人。ひたすらこうして女の子の顔を映しながら、箸にも棒にもかからない、ただ彼女達の我だけがぶつかり続けるシーンをずっと見ていたいものだ。 こんだけやられると次週登場すると思われる老倉さんにプレッシャーがかかるけど、彼女はきちんと仕事が出来るかな。 PR 今期は感想書く番組の選択が難しいよぅ、第4話。ラノベ作品も微妙に「面白い……けど書くほどでもないかなぁ」くらいの当落線上をフラフラしてるのが多くてね、面倒臭いと結局書かなくなっちゃうんだ。「35小隊」も「落第騎士」も。そしてこれも。 今作は1期目の駄目駄目なイメージに引きずられている部分もあるし、実際に大した話をしているわけではないのだが、作品全体のクオリティは1期と比べるべくもない。少なくともキャラの分かりやすい可愛らしさを出そうという方向性では圧倒的だ。まぁ、時代が違うんだから当たり前ではあるんだけど(そうはいっても4年でそこまでの差が出るわけでもないが)。加えて、形はどうあれ、「1期で描かれたキャラクターが先輩として大きく成長し、後輩たちを育て上げる」っていうデザインそのものが魅力的に見えるのかも。「あいつらも立派になったなぁ」っていうのは見ていて嫌なものではないからね。 そして、今回のお話ではこの「立派になったなぁ」が色々な方面からよく出ているので気持ちが良い。1期のメインキャラがそれぞれのポジションから今期のメインキャラに影響を及ぼす様子が面白おかしく描かれている。アリアは典型的な「理想の先輩」であり、学園内では英雄的存在。そりゃ鳥取しゃんしゃん祭りに行きたい気持ちも分かろうというもの。さらに、曲者だった理子も立派に大物臭を漂わせており、やっぱりただ者じゃなかったことが確認出来る。キンジの扱いは……まぁ、もう男なんていらないからあんなもんでいいじゃないかな。 そして、何と言っても白雪である。白雪・志乃のコンビネーションは完璧だ。白雪ってあそこまで危険な性格だったっけ? 別に志向はノーマルだった気がするし、そこまでエグい方法でアリアと争っていた記憶も無いのだが……(いや、あんまり覚えてないだけか)。今期は志乃の先輩として、一定方向への性質特化があまりにも著しすぎる。志乃さん、絶対に行っちゃいけない方向に進化してしまった。あそこまで極まったクレイジー、あかりさんもこれだけ思われてれば本望なのではなかろうか。今後も志乃さんのえげつない攻勢に期待大だ。 地味に「修行するバトルもの」としてもまっとうなシナリオ展開。こういう世界ってのは必ず「訳の分からない特訓」をするのがお約束。次週、一体どういう意味があるのかが分かるのが楽しみですわ。 ところで、鳥取しゃんしゃん祭りってなんなんですかね……。 Aパート終わりから「心が叫びたがってるんだ」のCMにつながって、「あなたも叫びたいことありませんか?」とか言われてて吹く、第4話。まぁ、色々言いたいことはあるわな。チョロ松は特に。 こんだけ腹抱えて笑えるギャグアニメも久しぶりな気がする。いや、合う合わないはあるんだろうけど、不条理ギャグの中にうっすら原作の理不尽さが残ってる感じがとても好き。そして、ニートものということで個人的な心の傷をザクザクえぐってくるのはたまらんものがある。今週のAパートとか、「いかにして親の扶養に居座り続けるか」というニートの永遠のテーマを真剣に(??)作品化したものだからな。もう、共感しかない。そして、だからこそ辛い。全国のニート諸君、限界いっぱいまで頑張ろうじゃないか。 Bパートはそこまででもなかったので今回はAパート中心に。まず、1人で就職活動に(形だけでも)行っていたチョロ松から物語が始まる。アイドルのマネージャーとか言ってる時点で既に駄目臭いが、平日昼間から自宅でゴロゴロしてる残り5人よりかはマシ。あの狭い部屋の中で成人男性5人が昼間っからゴロゴロしてる様子って、もうこの世の地獄だよな。そして、そんな5人の中でもチョロ松とまともに会話が成立するのはおそ松とトド松だけなんだよな。一松はどこぞのネコと2人で語り合い、カラ松は1人鏡とにらめっこ。おそ松は漫画を読みながら転がっており、十四松とトド松がなんと野球盤で遊んでいる。いつの時代なのかよく分からないが、多分おそ松一家は昭和のどこかで時間が止まってるんだろうな……十四松は今回Bパートでも執拗に野球推しだったけど、好きなのかしらね。こないだはどぶ川でダイナミックなバタフライを披露してたけども……おそらく六つ子の中ではパワータイプなのだろう。中の人的にも近距離パワー型なのだろう。 駄目な六つ子をこれまで二十年以上支えてきたのが立派なご両親。そういやこんなデザインだったな。CVは母ちゃんがくじらってのはよく分かるのだが、親父の方が井上和彦という謎。片や新婚さん(?)、かたや離婚慣れしている声優。この一家は中の人まで全部含めてネタ要素で満ちている気がする。あ、六つ子の中の人もいい歳なのに(公式に明らかにしている)既婚者はいませんね。チョロ松はどの口で孫を保証していたやら。 さて、いざかじるスネが無くなるという事態になったら脅威の団結力を見せる六つ子の尽力により、あれよあれよと開催される運びとなった「扶養家族選抜面接」。しかし、扶養になるのはいいとしても、母ちゃんの方は収入あるのかな……パートだけで3人とか養えないだろうし……離婚の慰謝料と養育費でまかなえるものなのか。いや、そもそも成人したニート軍団を引き取って養育費とか出るのか。謎である。そんな謎空間を淡々とコントロールする母親、そして、いち早くそのルールを察知して抜け出るトド松。こいつ、こんだけ卒のない人間だったら職に就くくらい簡単だと思うんだけども……クズはクズでもやっぱり個々に違う方向性のクズなんだよな。一抜けしたときのトド松のテンションが笑える。 2番手はなんと十四松。アピール内容は肩の強さと本塁打数。年間20本だったら確かに検討の余地はある。しかし、残念ながら採用側は外野を任せる予定だったらしく、肩がいまいちだったおかげで一発レギュラーには残れず。……うん、なんの話だ。そして十四松は一体どこへ向かっているのだ。こいつ、もう放っておいても野生に返って生きていけるんじゃないかな。 3番手は「被扶養動機」という斬新な日本語を展開した長男・おそ松。雇う側の母親は冷静な対応ながらも、実直なおそ松の態度が母親のよく分からない琴線に触れて2抜け。まぁ、実際母親ってこういうところあるよね……いかにそれを悪用するか……いや、この話はやめよう。 4番手カラ松、不発。そして「一番行動が読めないジョーカー」一松。正直笑った。この一松の存在感はまさにジョーカー、自分の持ち味をよく分かっている。母ちゃんもあの反応ってことは、一松の普段の様子から警戒心はあったんだろうな。こいつ、マジで放っておいたらどうなるんだろう。犯罪者になるだけの甲斐性があるならどうにかなりそうな気もするが……。 そしてこの時点で面接は打ち切られる。「残り3人は父さんの方へ」という指示に、チョロ松は「この2人と暮らすのは絶対無理!」と絶望。確かに、確実に救いようの無い方2人が残ってるもんな。こうしてみると、六つ子で一番スペック低いのってダントツでカラ松だな。しかし、チョロ松はここ一番で策士っぷりを発揮。最終手段「孫の顔」を発動して事態を振りだしに戻す。母親に「誰が一番性欲強いの?」とか聞かれる、改めて、この世の地獄だ。 オチは流石のシュールさ。しかし、いざドラフトするとチョロ松で競合なあたり、意外と両親はクレバーだよな……ドラフトネタ、時節柄上手いことはまっちゃったあたりが今作の持つ不可思議なパワーを感じさせる。 BパートはAパートに比べるとそこまで勢いがあるわけじゃないが、トト子ちゃんも安定のクズであることが確認出来ただけでも充分か。ちなみに、読み上げていたカンペ、よく見ると台詞が書いてあるのはあの部分だけだったりするのが狂気を感じる。そういえば、こうして全キャラが並ぶと今作は圧倒的にしろくまカフェなんだな。ペンギンさんとパンダ君はクズだったりニートだったりするあたりが共通している。 そしてBパート最大の山場は間違いなく「十四松、卍固め」。あの顔で予備動作無しで一発にキメにくる実力、怖い。 あ、あとエンディングではやくもチョロ松が2回目なんだけど、今回はラストに「おそ松!」っていうのね。逆になんか怖い。 雪山でグロスオーゲンと一緒にスッと消えてしまった怪獣はやっぱりウーのオマージュなんだろうか、第4話。今作はそういう感じのネタが山ほど盛り込まれてそうな気はするんだけど、あんまりそっち方面に明るくないので反応出来ないのは残念。 前回の感想で今作における善悪の扱いについては認識出来たと書いたが、今回はさらに分かりやすく、作中でも再三「正義」と「悪」という言葉が語られている。これまで登場した「お化け」「機械人間」などは人間の生活に密着していたり、そもそも設計者の意志が介在したりするので存在そのものに善悪を問うことが難しかったが、今回はサブタイトル通りに「怪獣」ということで、「生まれながらに善であるか悪であるか」を問題にすることが出来るようになっている。これまで「超人」に関しては徹底して「守る」という姿勢を貫いてきた人吉であるが、怪獣に関してはその態度は真逆で一貫している。「怪獣は自然発生したものであり、地震や台風同様に人間の生活に害を為す現象でしかないため、それを未然に排除出来るのであればそうすべきである」というのが彼の理念。また、彼と同様の考え方は社会でも一般的であり、多くの市民は「迷惑をかけられないうちに超人が怪獣を排除すること」を望んでおり、数多の超人たちも、そんな人間の要望に応えるために特に前提を設けずに怪獣の排除に努めている。そりゃま、登場直後からビルを壊して回ったり、流れ落ちる体液が強酸だったりするデカブツと仲良くなれると思う人間はおらんわな。 しかし、当然のことながら「怪獣は本当に悪なのか」という問いかけがここに介在してくるのが今回のメインシナリオ。これまた怪獣映画の大看板である「ウルトラマン」を紐解かずとも定番中の定番であり、シリーズ作品だったら作中に2度3度と「悪くない怪獣」が出てくるものである。かのゴジラだって元々は人類の愚かな兵器開発の被害者であり、そこに同情するファンだって少なくない。いつしかゴジラは災厄の象徴から人間を守るヒーローへと転化することになるわけで、この世界だってそうした動きがあるのは自然の摂理である。 しかし、本作で不思議なところは、そうした自然な「怪獣愛護論」への進展が起こるのかと思いきや、最後の最後まで「善なる怪獣」が登場しなかったという部分。小さいラゴンが出てきたのでこれが「善なる怪獣」の象徴とも取れるが、結局ラゴンは狂信的な怪獣支持者である博士に改造されて人吉を襲う化け物になってしまった。結果的に「悪」になったラゴンは、生まれながらにずっと善なる存在だったのか、それともあのまま成長していたら人類に害を為す悪へと変貌していたのか、それが描かれていない。結局「悪くなった怪獣」の裏には人間のエゴイスティックな思惑が絡み、今回の事件で描かれたのは「怪獣の善悪」ではなく、「人の業」。「怪獣の善悪」については横槍が入って保留された状態なのである。もちろん、次週が「後篇」なのだからこの続きが描かれることになるのだろうが、おそらくこれまでの編成から考えると5年後の世界の話になってくるだろう。ラゴンを巡る「善なる怪獣」の物語はこのまま放っておかれる可能性も高い気がする。どういう目的意識で今回のお話が描かれたのかがはっきりしないので、次週の展開が気になるところだ。 今回追加された要素としては、まずはとにかく大量の超人連中。本当にありとあらゆるヒーロー要素がぐちゃぐちゃになっているのはこの作品の最大の売りなので、見ていて割と楽しい。ただ、個々のヒーローは別々に怪獣退治の任をこなしているので、出来るならばごった煮状態のヒーローが1つの画面で共闘する姿も見てみたい気がするのだが。カオスになりそうやな。そして、超人課のおやっさんもやっぱり変なやつだったことが判明。エクトプラズム化して同僚連中と精神交信。なんだあれ、危ない。そして、人吉がラゴンを打ち砕いた後に笑美さんに修復されていたわけだが、そこにはおよそメカとは縁遠い呪のような文様が組み込まれている。回想シーンでも人吉の暴走とおぼしき災害に笑美が絡んでいたが……彼の存在って一体なんなんだろう。色んな超人要素のハイブリッド的なものなのかしら? 10月23日 ドラフト模様(BFZ×3) ピック順 【Thraxi】→【Alessi】→【Serra】→【Sea-chicken】→【Sangriter】→【Mei】→
ゼンディカー環境4回目、そして3週ぶりの6人戦である。世間的に見れば6人戦でも不完全なドラフトだろうが、我々の中ではこれが完成形。ピック表を見てもらえば分かるが、5人戦と違って6人戦ではやはりカードの枚数が多いために途中から様子を見てピックを切り替えることにそれほど抵抗がない(5人戦だと泥沼だと分かっていても選択肢が少ないので途中で舵が切りにくい)。やっぱり最低このくらいはあった方がいいかねぇ。この環境の難しさに悲喜こもごもですが、僕は楽しいので一向に構いません。現時点でこの完成度のドラフト環境だと、次のゲートウォッチに余計なプレッシャーがかかるけど、大丈夫でしょうかね。
社はネコのおっぱいについてどう思っているのだろうか、第4話。あれだけ執拗に押しつけられても特に何も反応しないっていうのは……まー、ヴァイスマンも長く生きすぎたからなー。 割と動きに乏しいお話だった。っつうか、なんかやたらと進行がゆっくりなお話だった。圧巻なのは円卓会議改めちゃぶ台会議のシーンで、「緑のクランに対抗するために手を結びましょうよ」っていう本当に簡単な相談のためだけに、やたらと尺を割いてのんびりゆっくりとした画面が続いていた。まぁ、3つのクランの王が同じ場所に出揃う機会なんてのはとても貴重だし(実際は過去の例を見るとそうでもないんだけども)、3つのクランが共闘態勢を表明するというのは歴史的な転換点ともいえるので、その重要さを表すためにたっぷりと尺を取ったとも考えられるか。その割に緊張感が無いのはあの場所を選んだ社が全部悪い。お茶くみに引っ張り出された菊理ちゃんが可哀相である。 映像だけを見ていると「ネコが社に巨乳を押しつけるシーンを延々見せ続けるために偉い人が呼び出された」みたいなシーンではあるのが、実際には重要な会談の場。全てのクランが緑に手を焼いていることは事実であるため、共闘宣言は予想以上にすんなりと締結された。これでもし赤の代表が尊だったらこう簡単には進まなかった気もするのだが、アンナが王になってからは色々と話が早くて助かる。そう考えると、今まで赤やら青やらがごたごたしてたのって、大体は尊さんのせいだったってことになるのだが……まぁ、しょうがないよね。基本的にクランってのはイデオロギーが違うからこそ分かれているんだし。今みたいになあなあで進行するほうが珍しいのだろう。実際、共闘宣言こそとりまとまったものの、「石板」については宗像と社の間でまだ折衷案が見つかっておらず、黄金の王の後釜を巡る問題については色々とデリケートな部分も残っているらしい。宗像さんが現在の身体でそんな重たい荷物を1人で抱えてちゃ、どう考えても死亡フラグにしか見えないのだが、彼のことだしどうせ全てのお荷物を背負い込んで墓の中まで持っていくつもりなんだろうなぁ。結局、あれだけ毛嫌いしていた尊とやってることは大して変わらないのよね。 白銀・赤・青が手を組む中、緑のクランは相変わらずの自由気ままさであるが、今回は猿・八田のコンビを相手にスクナが1人で大立ち回りを演じるというシーンが。うーむ、猿も八田も純粋な武力だけで見ればクラン内でもトップクラスのはずなのだが……完全に噛ませ犬ポジションになってしまっているな。ジャングルは少数精鋭なので純正のクランズマンがやたら強い設定なんだろうか。結局クロも紫相手に勝ち星を拾えてないしねぇ。普通に考えればクランとクランが1対1で対立してるならまだしも、連合組んで3対1ってのはどうなんだよ、と思うのだが、緑のクランの場合は赤や青が馬鹿正直に突っ込んできても何とかなりそうな変な存在感があるんだな。次週から本格的に牙をむくことになるのか。 未だにメンバー3人のチーム白銀。ここから戦力増強って出来るものなんでしょうかね。あ、でも今回久しぶりに一言様のお言葉が聞けたな。クロはあれでドーピングしてなんとかなるのかしら。 「ガッチャマンクラウズインサイト」 5→3 ようやく夏クールの番組が全部終わった……と思うじゃん。まだ残ってるんだぜ、3話も未放送の作品がよぉ……。 まぁそれはそれとしてのインサイト。1期は賛否ある作品だったが目指しているものは理解出来たし、独自の面白味は間違いなくあったと思うので「可」か「良」くらいだったのだが、この第2期については、個人的にはかなり否定的な感想になってしまう。今回だって「やりたいことが理解出来る」という部分は全く同じであるが、1期目とは随分話が違う。端的に言えば、「分かりやすすぎた」。 タイトルに「クラウズ(Crowds)」とある通り、本作のメインテーマは「群衆」である。1期で導入された諸々のバーチャルツールなどの概念は今作で扱う「群衆」というテーマを端的に表示し、そこに善悪の物語を敷設していくための道具として機能した。このテーマが難しいのは、「集合知」というものが善悪では単純に語れない対象であるというのが1点、さらに「集合」をアニメーションとして描き出すことが難しいというのが1点。後者の問題については中村健治監督の独自のデザインセンスをフル回転させ、興味深い演出方向でもって「みんなの意見」を具象化させ、それをベルク・カッツェという「悪」と組み合わせることで1つの対立概念として設定、そこに「正義の味方」ガッチャマンをぶつけることで、「群衆」の正しさについて一定の回答を導き出していた。それが正解だったのかどうかは誰にも分からないが、1つの形としては間違いなく成立していたはずだ。不確かなものに強引に答えを与える為に生み出された一ノ瀬はじめという「神」の存在も、無茶苦茶だとは思いながらも強烈な個性となって視聴者を引きつける要因にもなっていただろう。 しかし、2期ではこうした「描くことの難しさ」を非常に安易な方法で解決しようとして、あまりにもチープで、陳腐なお話に堕してしまっている。まるで小学生の道徳の教科書に載っているような、説教臭く、ご都合主義で、味もそっけもないシンプルすぎる二元論だ。「群衆は愚かであり、考える力を持たない。日本人特有の『空気を読む』行為は思考を伴わず、ただ為政者によって、マスコミによって、善意という名の思考放棄によっていくらでも悪い方向に進んでしまう。だからちゃんと自分の力で考えよう」というのが、「insight」で与えられたお説教の中身の全てだ。もちろん、そうした言説に意味が無いとは言わない。しかし、そのために用意されたゲルサドラというキャラ、つばさちゃんのキャラ、くうさまという設定、どれもこれも「結論ありきで茶番を演じるための装置」にしか見えず、物語の中からテーマを伝えるのではなく、ありきたりな言説を唱えるための人形にしか見えないのである。いくら何でも、ここまで分かりやすすぎてはせっかくのテーマ設定も台無しだ。 二次的な影響として、あまりにも「その他大勢」が愚かになりすぎて、世界そのものが思考を放棄したような状態になっているせいで、そこで異彩を放つはずのはじめちゃんまでもが、超越的な存在というよりも、「逆方向の思考放棄」にしか見えなくなったことである。彼女がうわごとのように「個」を唱え続けるのは1期の時も同じであり、そこに何の後ろ盾もないのはこれまで通りであるはずなのだが、相手が悪意の権化であるカッツェだったときには、その対極に位置する彼女「正義の権化」たり得た。しかし、今回のゲル・つばさたち、そして群衆は「思考放棄の具現」であり、その対極に位置するためにははじめが「思考の権化」になる必要があった。残念ながら、「考えること」は(彼女が再三訴えていることとは裏腹に)はじめの持つ属性とは相容れないのである。何故なら、彼女は考えるまでもなく、生まれもっての正義であるからだ。残念ながら、このinsightの世界では、彼女は特異性を魅力に変換出来ない。 はじめがただの「異物」と化し、世界が陳腐な個の倫理で埋め尽くされてしまうと、もう他のキャラクターが輝くチャンスもない。1期で作りあげた「クラウズの独自世界」は解体され、ただの薄っぺらい舞台装置だけが残された。そこにはガッチャマンの存在意義もないし、中村監督の映像技術で描くべき対象もない。このシナリオは、あまりにもお粗末である。 せめてもう少しガッチャマンがチームとして戦うシーンがあれば、見どころも変わって意味が生まれたのだろうが……うつつちゃんとかるいるいとか、もう今回は全然ガッチャマンじゃなかったしな。タツノコはガッチャマンをどういう存在にしたいのだろうか。謎は深まるばかりである。 この文章は、ぶっちゃけ私信みたいなものですので、大半の方はスルーして頂いてけっこうです。あと、万一「パンデミック・レガシー」をプレイしたい、もしくはプレイ途中の人はネタバレ要素にもなりますのでご注意下さい。
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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