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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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「聖剣使いの禁呪詠唱」 3→2

 語る言葉をもたねぇよ。文句無し、お前がナンバーワンだ……。

 私はできる限り、アニメを観るときは「いいとこ探し」をしようと思って見ている。チラリと1話目を見て、「なんかつまらなそう」とか「〜〜が駄目だ」とかいうのは簡単なのだ。しかし、どんな作品だって一期一会。切って捨てては勿体ないし、それでは分かりにくい良さってのものもあるのだ。「〜〜は駄目だけど○○は良かった」というように、いいとこ探しをすることがアニメと息の長い付き合いをするコツであり、その先に、収穫があるのである。

 でも、どうにも見つからなかったらどうしようもない。この作品は、残念ながら何一つ見つけられなかった。1話目の時点でキャラデザぐずぐず、お話適当、動画やる気なし、ラノベだとしても匂い立ちすぎる諸々の設定。「これは試練だぜ」と思っていたが、この試練、予想以上にハードルが高かったです。画面のクオリティは上を向くことを知らず、お話の適当さは回を増す事に強くなる。女の子のキャラに魅力を覚えることが困難だし、変な男キャラは鼻についたり興味が湧かなかったり。バトルファンタジーアニメなのに、困った時には「思い出した!」というだけで解決してしまうので何の盛り上がりもありゃしない。強さの理由をいくらでも後付け出来る主人公と、そんな主人公に一切の理由無しに付きまとうヒロイン勢、そしてそんなどうでもいい連中に絡んでくる痛すぎる敵キャラたち。まぁ、ある意味で私のラノベ観を煮詰めに煮詰めて凝縮した姿ではあるのかもしれないが……そんな素敵なものをぷるんぷるん天国ならぬざぶんざぶん天国で作られた日にはね……。

 1点じゃなくて2点なのは、多分あおちゃんの台詞が割と多かったから。あと、なんか主演の石川君が不憫に思えたってのもあるかもしれない。あと「これがあるおかげで今期他のラノベアニメを観るときに勇気が湧いた」っていう良さもあるかな。とりあえず、ディオメディアはちょっと休め。

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 綺麗だなぁ、可愛いなぁ……最終話。ホントに良い物を見せてもらったわ……ボロボロ泣いてるんだけど、何も悲しくないのでニヤニヤしながら泣いているという、傍から見たら気持ち悪さマックスの状態での視聴になりました。

 正直、そんなに明確に泣くようなポイントがあったわけじゃないとは思うんだよ。実際、るるの最後を看とった冒頭のシーンなんかは、前回たっぷり味わったのでそのまま自然に流せるようになっていたし、そこさえ乗り越えてしまえばあとは「悲しい」部分は一つもない。しかし、これまでの蓄積が1つ1つしっかりと答えを出していくごとに、やっぱり感極まる部分はあるものでね。二匹の熊が喜び踊り狂うシーンなんかでも、無駄に泣けてくるのはどうしたことだろう。

 今回最大のトピックは間違いなく「紅羽の真実と、紅羽の選択」である。ここまで3人の主人公を中心にして様々に視点を変えながら物語は展開していたが、やはり最終的には紅羽の物語に落ち着くことになった。言われてみれば確かに不自然な部分ではあったのだよね。「銀子がヒトになることを望んだために紅羽が記憶を失う」っていう因果関係は。「銀子が好きを失う」というのであれば、それは「銀子が記憶を失う」べきだった。実際、真実は裏返しの構図になっており、あの日銀子がヒトになることを望んだのは、銀子自身ではなくて紅羽の方だった。断罪のコートは、それは彼女を傲慢であると責めたが、幼い子供にそれを判断しろというのは無理な話だろう。「彼女が熊だからいじめられるのだ」と認識すれば、「彼女が熊でなければ」と思うのは当たり前のこと。そこに代償としての「好きの剥奪」を迫られても、小さな子供にはそれが釣り合った条件なのかどうかを判断することは出来ないだろう。結局、紅羽はこうして一番の「好き」を失い、銀子は熊の世界へ戻され、「ヒトと熊の間」で長い年月を待つことになった。これまで銀子は自分のことを罪熊だと言い続けていたが、改めて見れば、自分勝手な想いから銀子に厳しい人生を強いた紅羽も充分に「罪人」だったのかもしれない。

 その後の時代についてはこれまで語られた通りであるが、この記憶を紅羽が思い出したことで、彼女の決心は確固たるものとなった。銀子から紅羽へとかけられていた愛情は純粋に彼女の本心であり、彼女が壁を越える願いを抱え、ここまで苦労し、命を投げ出すまでの指命を果たそうとしていたのは、全て紅羽自身の責任だったのだ。となれば、もう彼女にこれ以上の負担を強いることは出来ないし、今度は紅羽の側が責任を果たす番である。クマリア様に改めて願う。壁を取り除きたい、二人で壁を越えて本当の好きを手にしたい。彼女を嵐に巻き込み、鏡を割って手を差し伸べてもらったのだから、次に紅羽がするべきことは、手を伸ばしてそれに応えること。自分を破壊し、紅羽は熊との境界を越える。

 好きが届き、クマリア様は再びその姿を取り戻す。これまでのモノローグなどから分かっていたことだが、その姿は泉乃純花のものである。純花の姿をした眼鏡のクマリア様が降臨し、ユリを承認する。そこでの紅羽は、純花の姿を見ても一切の躊躇いを持たず、その視線の先には銀子だけがいた。純花は大切な友達であり、彼女の「好き」を取り戻してくれた大切な人であることに変わりはない。しかし、今彼女が応えるべきは銀子であり、彼女を受け入れ、彼女に受け入れてもらう時に、そこに純花を介入させる余地は無かった。二人のユリは承認され、本当のキスを交わした2匹の熊は、そのまま次の次元へと旅立つのである。

 「次の次元に旅立つ」という結末は、常人には理解し得ないものである。彼女たちは一体何を成し、これからどのようになっていくのか。それは誰にも分からないが、少なくとも物語はここで間違いなく終わる。澪愛の描いた絵本もここで終わり、アニメもここで終わるのは間違いないだろう。しかし、それでも時間は進み、世界は続いて行く。彼女達が去った後にも、この世界には断絶の壁が残りつづけているし、学園はそのままの姿でヒトの世を作り続ける。その代表となったのは、最後までヒトとして、嵐の中心を維持し続けた大木蝶子である。残された「ヒト」として、蝶子は最後までめざましい活躍を見せてくれた。「壁を越える者への嫌悪」を強く示し、最後まで「私たちは透明であらねばならない」「悪は排除すべし」の姿勢を崩さずに透明な嵐を維持し続けた。「透明になったら、誰があなたを見つけてくれるというの」という紅羽の訴えに対しても、彼女は一瞬の躊躇いこそみせたものの、最後の最後まで、理屈ではなく信念で「透明であること」を崩さなかった。なるほど、これまでたくさんの「ヒト」が透明であることを望み、そのたびに熊に滅ぼされてきたが、最後の最後まで残った蝶子こそ、ヒトの体現者、嵐の体現者として最良にして最適である。熊へ辿り付いた紅羽を見て、他の生徒たちがその力を維持出来ずに挫けていく中で、彼女は必死に叫び続けていた。「迷うな」「考えるな」。それこそが「透明な嵐」であるための条件。彼女もまた、自分の世界を求め、貫き通したもう一人の主人公であったのかもしれない。

 透明な嵐には、常に「悪を排除する」ことが求められる。このことは、不可思議な矛盾を孕んでいる。何しろ悪になってはいけない、異分子はいけないと言い続けながら、その異分子を常に内部に見出し、排除することでシステムが回るのだ。椿輝紅羽という「悪」が消え去り、ヒトの世界は平穏になった。しかし、システムはまた次の悪を求め続けている。新たに登場した亜依撃子は、クマリア様をその目で認識してしまったおかげなのか、サーチイビルの最中に集団を抜け出し、排除された百合川このみに手を差し伸べた。彼女は新たに壁を越える存在として、嵐の中に飛び込んでいくことになる。最終的にこのみさんはとてもとても美味しい役回りになってちょっと嬉しい。サイボーグ熊にされたときには本当にどうなるかと思ったものね。毎週ゲスゲスビリビリいうだけの機械になるのって、どの熊よりも悲惨な扱いじゃないかと思っていたのだけど、最後にこういう救いが差し伸べられるのは良いな。常に嵐があり、熊があり、そこにユリがあるのだ。

 また、当然といえば当然だが、るるの物語にもきちんと結末が用意されていたのは嬉しいところ。そうだね、るるは銀子に想いを伝え、好きを、未来を残して退場したわけだが、彼女にはまったく同じようにして無償の愛を訴え続けていた大切な弟がいたのだった。ひょっとしたら、最終話で最大の救い、ハッピーエンドが与えられたのはるるだったのかもしれない。初めて心からの笑顔で会話出来た姉弟の笑顔は、本当に眩しい。みるんと2人で幸せに過ごせるといいなぁ。

 いい最終回だった。ユリに幸あれ、熊に幸あれ。


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「弱虫ペダル GRANDE ROAD」 5→6

 うむ、お疲れである。無事に幕を閉じることが出来たインターハイ。まさかここまでくるのにトータルで5クールもかかるとは思っていなかったが……。コミックもいつの間にか40巻近く出てるのかよ。……時代の流れが速すぎるよ、つい最近連載始まった気がしてたのに(7年前だとさ)。

 1期目はとにかく盛り上げておきながらもよりによってとんでもねぇところで終わってしまうというなかなかチャレンジングな構成だったわけだが、考えてみれば5クール使ってインターハイ1年分、その間で分割しようにも、なかなか綺麗に切るタイミングなんてなかったようで、いっそのこと盛り上がってるとこで休憩挟んでしまえ、っていう選択は正しかったんだろうな。あれよりも後で切るとこなんて絶対無かったわけだし。かといって間をつめてギチギチにしちゃうのも確実に駄目だ。このアニメはちゃんと尺を取って、伸び伸びやってくれたからこそ結果を出せたものであろう。原作は毎週読んでるとはいっても割と適当に見ているだけだったので、改めてアニメでみて「そういやこんな色んなことがあったんやなぁ」と懐かしく振り返らせてもらった。「自転車漫画」なんて、言ってしまえばどんだけ速いかを競い合うだけなので、ず〜っと見てても「俺が速い」「俺の方が速い」と言いながら野郎がぶつかり合っているだけ。どう考えても面白い要素なんて無い気がするのだが、これがちゃんと盛り上がるのが「弱ペダ」の偉いところ。結局後半2クールも特に退屈になるシーンってないんだよな。広島絡みのところなんかは言ってしまえばサブイベントなのでひょっとしたらダレるかとも思ったのだが、待宮のキャラが予想以上に立っていたために、充分過ぎるくらいに面白かった。御堂筋君だってバリバリ働いてくれたし、2期目になってようやく本領発揮できた荒北さんの溜め込んだ物を全部吐き出すような活躍も見どころ。もちろん御堂筋君だってナイスインパクトよ。

 結論:やっぱこのアニメ変。さて、次に3期が放送されるのはいつになるのか。

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 ホルホースよりもオインゴの方が歌唱力の点では盛り上がるな! 第36話。てっきりエンディングは次回になるかと思ってたけど今回来ちゃうのね。これって「アク役協奏曲」の2番扱いってことでいいんでしょうか。カラオケでいれると「アク役協奏曲〜オインゴとボインゴ(TV Size)」って表記されるってことは、多分2つ合わせてフルサイズってことなんだろうな……(歌うのか?)

 ハードな最終決戦を前に、一服の清涼剤のごとき心温まるホルホースエピソード。ここまでヘンテコな敵キャラはたくさん登場してきたが、やっぱりこうしてみると一番ジョジョ世界を体現している良い敵キャラっていうと、このホルホースなんだろうなぁ。単なる「悪役」ではなく、きっちり自分の主義信条で動く点は全くぶれない。そしてその主義自体も「No.1よりNo.2」という独特のもので、普通の少年漫画ではなかなかお目にかかれない設定だろう。そりゃぁ初登場時にはあっさりとアヴドゥルを殺してみせたのだから悪い奴には違いないが、エンヤ婆のときにはポルナレフの命を救ってくれたわけだし、今回だってすっかり打ち解けてまるで旧友のようにハートフルな(?)会話を聞かせてくれている。DIOを暗殺しようとする心理というのもなかなか興味深く、彼が決して「目立ちたくない」とかいう吉良吉影みたいな生き方じゃなくて、「自分の能力を活かすのはサポートが一番」と思っているからこそのNo.2設定であり、やれると思ったら思い切って天下を狙うだけの野心も持ち合わせている。こうして柔軟に戦える腰の軽さこそがホルホースの強さであり、キャラとしての魅力なのかもしれない。

 また、ここで久しぶりにDIOを登場させることは、漫画的な盛り上がりにも一役買っている。未だ顔を見せないDIO様がどういう状態でお休みになっており、何を目論んでいるのかが垣間見えるし、それとなくザ・ワールドの顔見せをすることで不気味な印象を強めている(格ゲーの技名で言えば「恐怖の片鱗」である)。また、ホルホースとの接し方で彼が部下とどういう関係を築いているのかも何となく分かる。ああしてホルホースが簡単に謁見出来るってことは、おそらくアレッシーとかンドゥールだって直接顔合わせしてミッションを命じられているに違いない。もし警護を厳重にするなら、ホルホースみたいな信用出来ない奴をダービー(弟)やヴァニラアイスが大人しく通すとも思えないし、DIOが「いいよ、どうせ俺殺されないから」って余裕を見せてるってことだ。今回のホルホースとの対話を見てると、「どうもホルホースの野郎は心から忠誠を誓うところまでいってないし、ここらで一発脅しておこうかな」ってんでわざとあのくだりを見せてやった可能性もある気がする。「ホルホースの背後に移動する」のは能力を使えば可能だけど、「静かに背後を狙うホルホースに気付く」には心の準備が必要なわけで、エンペラーを構えているかどうかを確認するためにわざわざ本を読んでるふりして能力使ってたのかも。ドキドキしながらザ・ワールド起動して、ちょいちょい振り向いてホルホースの様子を確認してるDIO様を想像すると、割と萌える。

 で、そこからホルホースは一旦アスワン経由でカイロへ戻ってくるわけだが、原作では、実際はDIO暗殺イベントはダービー戦の前に挿入されているため、日程としては「ホルホースがDIOに謁見」→「ダービーとポーカー」→「ホルホースがポルナレフに再会」の順番。この数日間に何があったかと言えば、彼は突然たばこをやめて禁煙パイポに変更しているのである。何故突然たばこをやめたかといえば、単に荒木先生が「何となくタバコがイヤ」になったというすげぇ適当な理由であり、おそらく、ダービー戦を連載してる数ヶ月の間に気が変わったのだろう。アニメ化にあたってDIO暗殺イベントの挿入箇所が移動したことで「なんか突然ホルホースがタバコやめた」感が強くなっているのだが、こうして繋げてみると、「DIOにたばこを取られた上にへんなパフォーマンス見せつけられたから、タバコが怖くなってやめた」という風に見えないこともないな(アニメスタッフがそんなこと考えてるかはしらんが)。

 さて、そんなこんなで無事にボインゴとコンビを組んだホルホース。サソリキック(格ゲーの技でいうと立ち強)イベントをこなしつつ、いざ感動のご対面。自分たちを殺しにきた敵ともフランクに会話出来ちゃうポルナレフの気立ての良さが眩しいね。本人も言ってた通りにアヴドゥルがマジで死んでたらこうも行かなかったんだろうけど、一応エンヤ婆のところでの一件もあるし、思い出話にも花が咲くってもんですわ。しかし、ポルナレフとホルホースってインドが初対面のはずなのだが、その割にポルナレフはホルホースのパーソナリティをよく知ってるよな……。案外DIOに肉の芽を植えられて自我が弱い時点で面識あったのかもね。

 結局注目されていたボインゴの予知の一部は黒歴史として闇に葬られ、今回登場したのは「鼻に指つっこみーの」だけ。まぁ、そりゃそうか。その分、おそらく史上もっともスタイリッシュかつエキサイティングな「指突っ込み」になっている。しかし、ポルナレフってのはつくづく穴を犯される運命にある男だ。尻穴を豚に舐められ、口はウンコを舐め、鼻に指突っ込まれ、最終的にはディアボロに眼球潰されてる。可哀想に。一週間鼻に指突っ込まれた状態で次回のヘンテコエピソードまで待機しててください。ちなみに、次回最大の注目ポイントは、「ポルナレフにおもいっきりくしゃみされて困り顔の承太郎」。原作だと承太郎がめったに見せない変な笑顔だった気がするんだ。あの顔、アニメでどういう風に再現されるかなぁ(すげぇどうでもいい)。

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「夜ノヤッターマン」 6→5

 なんか、期待してた方向とは違う方に向かってしまった感がある作品。まぁ、これも「元の作品」を知らないから何とも言えないのだが……ちょっとした疎外感。

 1話目で期待していたのは、想像以上にハードな設定が飛び出し、それを余計なギャグで濁さずにストレートに書き込んでいたため。明らかにほわほわしたイメージのあるファミリーアニメのヤッターマンから、まさか「荒廃した大地に生き残るドロンボー一味」が出てくるとは思わなかっただろう。幼女ドロンジョ・レパードちゃんはそんな中でもたくましく生き抜く良い子であり、彼女の立身出世、壮大な復讐劇のためにハードな戦いに身を投じる作品になるのであれば、クールに決まった映像世界と相まって何かとても面白いものが出てくるんじゃないかという期待があった。

 ただ、はっきり言ってしまえばそういう方向にはあまり先鋭化されなかった。まー、そりゃそうだよな。元々はヤッターマンなわけだしな。こちらが無い物ねだりというか、無茶な期待をしていただけなのは事実。要素に元ネタを挟まなきゃいけないわけで、頭から尻までずっとシリアスでいられるはずはない。そんなこたぁちょっと考えれば分かっただろうに。ただ、期待してしまったものはしょうがない。割とすぐにそうした「冷たい世界」の描写にはほころびが出て、あっさりとヘンテコギャグに転げ落ちるのに時間はかからなかった。元の世界を考えればそれは構わないはずなのだが、どうにも滑ってるように見えてしまうんだよなぁ。一度違う方向性でイメージを埋め込まれたせいなんだろうなぁ。

 ゲストキャラが登場してみんなで一緒にヤッターマンを退治する。そのテンプレの中で動き回るのは綺麗に元祖の逆構図になっているはずで、これが1年とかずっと続く夕方枠だったら問題無いだろう、と思える展開も、あくまでこれは1クールきっかりの深夜アニメである。その中心にはヤッターキングダムを壊滅させるというメインシナリオが必要であり、そのためにはバンクだけを重ねてマンネリを持ち味にするわけにもいかない。バトルにもギャグを盛り込まなければいけないので、戦う姿自体は割といい加減なものになり、「何故勝てる?」「何が出来る?」という部分はノリと勢いで処理されるようになった。一番最初に期待した「ハードな復讐戦」プロットの場合、そういう「逆転する理由」っていうは一番大事なファクターなんだけどなぁ。そこを雰囲気出処理されるとなぁ。結局、あの世界における「死」ってのはどういう概念だったんだろうか。ラスボスの正体についてのどんでん返しなんかが盛り込まれていたわけだが、正直、あの時点で「敵が誰なのか」ってどうでもいい問題なんだよね。レパードちゃんたちが復讐したかった相手は「ヤッターマンという名前のヤツ」じゃなくて、「自分たちの家族を不幸にした悪」なわけで、それがヤッターマンだろうがドクロベエだろうがあんまり問題じゃない。世界の不条理は、単に序盤から中盤にかけての「ヤッターマン像」を歪めるだけで、あんまり得してなかった気がするよ。

 まー、どうしても期待感とのギャップが大きかったので受け止めにくい部分は多かったのだが、そうした先入観無しで見れば本編は可もなく不可もないくらいのレベルじゃないかな。動くところはきちんと動いていたし、レパードちゃんは可愛かったわけだし、元ネタの入れ方だってこのくらいだったらバランスとしては問題無いだろう。原作ファンにどういう風に映っていたかは気になるところだけども。とりあえず、平田さんが楽しそうにボヤッキーをやっていたので、そのあたりだけでも良しとするべし。

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「戦国無双」 3→3

 今期一番地味だった作品。あれだけのヒットタイトルのゲーム原作なのに……。

 結局、新番チェックの時に持った印象がそのまま最終回までダラダラと続いただけである。最後までキャラデザのチープさは受け入れられなかったし、「歴史再現ドラマ」をアニメでやられてもしょうがないという。いや、別に再現じゃないけどね、これだって立派なフィクションなんだけどね。フィクションならフィクションなりにもっとアピールの強い話をやって欲しかったよな……。いやまぁ、まさか大阪戦をフルの尺でがっつりやるアニメだとは思ってなかったので、そこは意外だったよ。普通「戦国」って言ったら信長から始まって関ヶ原で締めるのが基本だと思っていたので、まさかの関ヶ原後〜冬の陣という時代設定はびっくりした。他のジャンルでもなかなか描かれにくい時代ではあるので、その部分を取り扱ったということに意味はあるのだろう。いわゆる群雄割拠の乱世とは違い、この時代区分ならば既に世の趨勢は決しており、勢い任せではない「侍の心」を描くことも可能である。真田の兄弟を中心に据えた物語になっているのは、そうした乱世の終幕に際し、血を分けた兄弟が2つの勢力にはっきりと分かれた悲哀や葛藤を描くためのセッティングなのだから、ドラマ作りとしては理にかなっている。単なるドンパチだけを見せるお話にはしない、という制作側の意図ははっきりしているだろう。

 ただ、そうした意義は認めつつ、やっぱり地味じゃないかな。それこそ「純潔のマリア」と同じように、戦争においてどちらが正しいとか、戦うことに正義があるかなんて問題は、絶対に答えが出ない泥沼であり、ましてやこの物語は歴史がはっきりと答えを出し、「勝てば官軍」の言葉の通り、時代を切りひらいた「正義」は決定している。そこで敢えて幸村を主人公にし、豊臣の凋落にスポットを当てるという「すっきりしない方」を選び、どこまでのドラマを描きたかったのか。結局、幸村の物語を描くにしても、「関ヶ原に至るまでのドラマ」が書き込まれていないせいで、彼の人生としても薄いんだよなぁ。せっかくのタイトルなんだから、いっそ腹を決めて「1」から延々長いシリーズ構成で最後までやるくらいの覚悟が欲しかったもんである。まぁ、それでもこのキャラデザだと長続きはしなかった気もするけども。

 残念ながら、ゲームとしては確実に後追いだし邪道だしゲームシステム的には下位互換に見えるBASARAに、アニメジャンルでは先に美味しいところを持っていかれてしまったのである。残念無念だが、コーエーはこれに懲りず、いっそのこと三国無双をアニメ化してほしい。アニメでビュンビュンビームを飛ばす諸葛亮とか見たい。キャラの数も多いから「戦国」よりも長尺でね。「戦国」なんて女性キャラがクッソ適当なもんだから、メインヒロインなんて名もなき「くのいち」だからな。ラストの幸村とのクライマックス、幸村の方が名前を呼ぶわけにも行かないせいで(「くのいち〜〜!!!」なんて叫べないだろう)すげぇ不自然な台詞回しになってるのとか、興ざめですわ。

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「ヒーローバンク」 ー

 一応、1年間観てましたよ、っていう報告だけでも。夕方の番組はあまり押さえないのだが、1年前にこっちは一応見てたのに「妖怪ウォッチ」を見ていなかったという先見の明のなさ。いや、別にこの作品が悪かったというわけではないが。

 1期2期と1年間続けてきたわけだが、個人的には1期目の方が好きかな。ヒーローバトル自体は世界規模の集客効果もあるみたいだが、あくまで小学生が主人公なのだから、やっぱりご町内くらいのサイズが身の丈に合っている。そこから肥大化してマネーゴーストと戦うくらいの尺がしっくり来る気がした。2期目も基本的にやってることは変わらないのだが、どうしても「都道府県ネタ」との絡みで敵の印象が散逸的になり、また典型的で毒の強くないキャラ造形になってしまった気がするんだよね。セキトが増えたおかげでガッポリカンパニー内部でのあれこれもちょっと薄れてしまったし、タッグバトルがメインなので個々のキャラだけで引っ張りにくくなるのはしょうがないが、どうにも問題が多すぎるとめまぐるしくていけない。まー、ゲームの「2」の方がそういうシステムなのだから合わせるしかないんだろうけど。狙った年齢層のお子さんたちが楽しんでくれていればそれでいいか。とりあえずウンコチンコ言っとけば大丈夫やで。間違いなくみゆきちが史上もっとも「ケツ」って言ったアニメである。

 個人的に気になったのは、2期に入ってナガレが完全にぶっ壊れてしまったこと。そりゃ1期からアウトはアウトなのだが、2期目はもう隠そうともしない完全クレイジーサイコホモキャラで振り切れちゃったからなぁ。愉快ではあるのだが、お子さんの情操教育にはあまりよろしくないのでは? そもそも腐女子ってこんなアニメ見てるのか?(やつらを舐めちゃいけないが) ミツオ×フクタものの同人誌とか、絶対読みたくないな……。

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「純潔のマリア」 6→6

 とても「善い」アニメだったんじゃないでしょうか。漫画原作でもこうやって3巻くらいの内容を1クールできちんとまとめてくれるっていうのはいい選択だと思うねぇ。

 先にこのアニメの難点をあげておくと、それは大前提となるテーマの設定だ。何しろマリアとミカエル(というか魔女と天使)が争う中心となる議題は「戦争は正しいか」である。これはもちろん戦争の大義名分とか、人を殺すことが悪くて動物を殺すことはOKなのかとか、突き詰めていけば生と死の根源的な問題に行き着いてしまう宗教的、哲学的に泥沼以外のなにものでもない問題であり、そんなもん、たかだか3巻の書籍、しかも漫画で答えが出るわけがない。マリアの主張は「戦争、とにかく駄目」という子供じみてシンプルなものなので決してややこしいとは感じられないが、彼女の主張が清廉潔白なものであるなどとは誰も保証出来ないであろうし、それなら彼女はどうするのが正しいのかなどという正解もあり得ない。始まった直後から、「何となく終わること」を宿命づけられた作品だったのである。視聴している間も、この人類不偏の大命題を常に突きつけられた状態で話が進むわけで、心底スカッとできるような部分というのは決して多くはない。

 しかし、そうしたテーマ設定が「仕方ないもの」であり、この作品においては「この作品なりの」正義を提示するものなのだ、と割り切ってしまえば、充分に納得のいく結末になっていたし、理不尽さは感じられない。神の存在を肯定し、魔法を使う魔女が実在する次点で条理など無いわけだし、この作品は「ヒロインマリアの物語」である。たとえ納得しない人間がいても、たとえ神がそれを許さずとも、マリアがまかり通る動機付けが確定し、彼女の信念が最終的に肯定されるのであれば、それはそれで充分なカタルシスとなるだろう。アニメシリーズも、全体を通じてそうした「不条理な条理」を描ききるという目的意識がはっきりしており、最終話でマリアがめいっぱい幸せそうな顔をしていれば、それで充分満足出来るのである。むしろ、こうして強烈な宗教観、倫理観の出そうな問題でも、へろっと女の子が可愛い漫画で描いてしまえるあたり、やっぱり日本ってのは(都合の)良い国なんだと思いますよ。多神教万歳。

 まぁ、そんなアタシの宗教観は別にいいとして、今作は谷口悟朗監督作品ということで、「かっちりハマる」感覚がとてもとても心地よい。1話目で注目された「地べたを這うような泥臭い戦争」の様子も素晴らしかったし、卑近で狡猾ながらもなんだか憎めない人間共の矮小さ、したたかさも嫌味にならないレベルで彫り込まれており、単なる夢物語で終わらないだけの写実性も持ち合わせている。そうして作られた「人間の世」に、マリアたち魔女が介入してくると滅茶苦茶になってぶっ飛ばされる様子が、アニメーションならではのどでかい映像で炸裂し、「魔女のお話」としての説得力を補強する。処女の看板を掲げ続けるマリアのキャラ設定も阿漕であるし、鳥類トリオの可愛らしさもばっちり。萌えアニメとしても見ていて退屈しない。物語を盛り上げるためにはセックス&バイオレンスが基本。そういう意味ではとても基本に忠実なお話。個人的にはやっぱり小動物好きなので、アルテミスたち鳥類軍団が活き活きしているシーンが楽しかったかな。みんなしてホント可愛かったわ。それとは対照的なやたら濃い野郎共の絡みも実に暑苦しくて、最終的にトチ狂っちゃって彼岸へ旅立たれたベルナールさんが美味しすぎましたね。そうかー、ちょっと気付くの早過ぎたかー。「あれ、俺世界を知っちゃった?!」って盛り上がってる櫻井の独壇場は本当にキレてて最高でしたわ。ガルファさんの容赦無い「強さ」ももちろん下衆格好良い。あの時代の義手、ロケットパンチ装備出来るんだなぁ。

 そんなわけで、色々と見どころの多い、身の丈にあった尺にまとまった良作でした。アニメ業界はダラダラ長いラノベとかじゃなくて、もっとこういう小綺麗にまとまった漫画原作とかを探してくればいいのにね。中の人については、とりあえずひーちゃんお疲れ。彼女の場合大体そう言われるだけの腕があるからなんだが、やっぱりこれもハマリ役だよなぁ。あと、キーキー声の花澤はホント好き。ラストに一番美味しいところを持っていくのがずるいですわ。あとエドウィナさん。卑屈で詰まりまくったゆーみんの声、ホント好き。

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「探偵歌劇ミルキィホームズTD」 5→4

 ん〜〜〜〜、いや、決してつまらないアニメではなかったんだ。充分ギャグのエッジは効いてたし、割と端々に「あのミルキィ」の片鱗は見えていたと思うのだが……なんだろう、体が慣らされてしまったのだわ、びくんびくん。

 結局何がいけないかを考えていたら、「ミルキィホームズの面々がトイズを使っているのを見るだけで違和感を覚える」という私の状態がいけないのである。そりゃこの世界のミルキィは名探偵なのだからしょうがない。何もせずとも「伏線の壺」を抱えていられるような連中なのだからしょうがない。クライマックスにはそれなりのシリアスピンチも迎えるだろうし、その中には人情芝居だって入ってくるだろう。1クールのアニメなんだから、シリーズ全体で起承転結がきちんと作られているのは、むしろいい事なのである。……でも、ラードの神もいないし、トゥエンティもいなかったんだよね(いたけども)……僕らのアルセーヌ様はほぼ声を発さず、代わりに出てくるのは白と黒のフェザーズのみ。……うん、別にフェザーズも嫌いじゃないけどね……どうせシナリオに大した絡み方しないんだから、もう「ミルキィは6色です」っていうアピールはいいんじゃないかな……。やっぱり刺激がまだまだ足りないのさ。ミルキィホームズはお馬鹿には違いないが、「間違った犯罪捜査を行う馬鹿」ではないんだ。「犯罪捜査って何なのか知らない馬鹿」なんだよ。そのあたりのパンチはやっぱり1期2期には及ばないんだよなぁ。まぁ、今回は我らが名探偵ミルキィではなく、「アイドル請負人ミルキィ」だったから、色々と制約があったのはしょうがない。あくまでメインヒロイン茉莉音ちゃんの引き立て役なんだから……でも、その茉莉音ちゃんがあんまりキャラ立ちしてなかった気もするんだけどね。エレメントもたくさん出てきて、それぞれのキャラでもっとバリエーション増やせそうなもんなんだから、ガンガン吹っ切れた脚本書けた気はするんだけどなぁ……ちょっとキャラが多くなりすぎた弊害なのか、あんまり常識外れなことは出来なくなっちゃったよな(まぁ、それでも充分不条理ではあるのだが)。

 あかんな、歳を取ったせいか、古い作品に対する印象が随分美化されている気もする。進化し続けるミルキィが明日はどちらの方向を向いているのか、懲りずに見守っていくよ。

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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子
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