最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
語る言葉が見あたらない、第11話。なんかもうね、最終的に出てくるのは「綺麗だなぁ」っていうすごくアホみたいな言葉になってしまう。本当に色んなところで見映えが良くて、端正で、それがつまり「綺麗」。ギブミー表現力。 今回がラス前ってことで、これまでモザイクのように組み上げられてきた全ての要素がどんどん透けて、見通しが良くなっていく。もうここまで来れば意外なことはほとんど無く、収まるべきところに収まっていく。そして、それが全て「今まで見てきた景色」に色をつけていくおかげで、単なる説明以上のカタルシスになる。わずか12話のお話で展開されるイクニ作品なんてどうなってしまうんやと冷や冷やしていたが、この尺だからこそ組み上がる絵っていうのもあるものでね。正直、濃厚なイクニファンにとってはこういう「端正さ」っていうのがどう映っているのかは気になるところなんだけど、私みたいに必死に1クールを追いかけている人間からすると、非常に助かるし、「こんな形もできるもんやなぁ」と感心し通しである。 シナリオラインとして今回付加された「カイソウ」は銀子の「あの日の真実」。「ともだちの扉」を開けて出会った銀子と紅羽は、あの雪原で単に「銀子が救われた」だけではなかった。気付けば幼い紅羽は銀子を背負って歩くこともままならなくなっており、結局どっちがどっちを助けたのか分からないような状態に。あんな窮地だったからこそ生まれたのが「本当の好き」なのだろうし、その状況を知っていたからこそ澪愛も2人の間に本当の好きを見出すことが出来たのだろう。しかし、そんな2人の間にもやはり透明な嵐が吹き荒れる。今更になって、最初の最初に疑問に思ったこの作品タイトルの意味がはっきりと分かる。「ユリと熊が出会って嵐が起こる」。なるほど、まさに今回展開されていた回想シーンの通りである。銀子が雪原に倒れた「熊の社会」に、まず「排除」があった。「足手まといは排除しましょう」「排除だ」「排除だ」、そう言われて銀子は死を覚悟した。そして救われて移り住んだヒトの世界、今度は救ってくれた友人が自分のせいで排除される。足手まといでもなく、群れになんの危害も加えていないはずの紅羽が、「銀子が熊である」という理由だけで嵐を引き起こし、排除されてしまう。 この「排除」のシーンも非常に刺激的な画面になっており、文字通りに「突き上げをくらった」紅羽は、一体何をされたものなのか、ボロボロの状態で地面に横たわることになる。これ以上無い形で自己承認を否定された銀子は、熊にも排除され、ヒトにも排除されたという事実をどんな気持ちで見ていたのだろうか。はっきりと異なっているのは、ヒトと熊は排除に全く別な意味を持たせているということだろう。熊の排除は「名付けの排除」。クマカロンたちによって「ヒトリカブト」と名付けられた銀子は、個として認識されながらも「足手まといになった」ために排除された、翻って、ヒトの世界では排除を行う個人の顔さえろくに見えない状態。透明な嵐によって突き上げられた紅羽は、顔の見えない力によって名を奪われる。彼女はあくまで「悪」でしかないのである。こうして苦汁をなめさせられた幼い銀子は、「自分がヒトであれば、透明にならずに済むものを」というシンプルな気持ちから断絶のコートに初めて立つことに。いつも通りの承認を経て、彼女は一度「好き」を手放す。ここで分かる新しい事実は、澪愛が彼女のペンダントを銀子に与えた理由だろうか。以前のエピソードでは「ユリーカとの大事な思い出をそんなに簡単に手放すのは何故?」と疑問に思ったものだが、澪愛から見れば、紅羽は何らかの外的理由で銀子との記憶を消されるという異常事態に陥っていたわけだ。このような異例の事態を打開するために、彼女は自分の「好き」の象徴である、2人を繋ぐ鍵を銀子に託すことで、娘たちの幸せを願ったのであろう。 こうして熊の世界に戻った銀子だったが、既に扉を隔てた向こうの世界を経験した彼女は異物にしかならず、もとより入れるはずもなかった熊の世界から追い出され、ひたすらクマリア様からの神託を待つ。その途中でるるとの運命の出会いを果たし、彼女は「本当の好きを求める」傍らで、るるから無償の「好き」を受け取り続けていたという。これまで中心的だった「銀子と紅羽」の物語に、改めて「銀子とるる」の物語が浮き上がってくる。銀子はるるに対し、はっきりと「最初から本当の友達だった」と断言している。言い換えれば、既にるるとの間に「本当の好き」が存在していたということでもある。思えば何とも数奇なもので、るるはかつてみるんという最愛の弟から「無償の好き」を提供され続けたにも関わらず、結局それを受け入れることが出来なかった。そんなるるが今度は銀子に向けて無償の「好き」を提供し続けるものの、現状ではまだそれは形を成さない。更に銀子は紅羽に向けて全身全霊をかけて「好き」を訴えているのである。この一方向性はどうにも揺るがない。「るるは本当の友達だった」と銀子が述懐した直後にアイキャッチが入るわけだが、彼女達の持つその「好き」の一方向性は、「愛の弾丸(LOVE BULLET)」として形容されるものである。 現在の銀子は、「欲望」であると語る自己に内在する感情、百合園蜜子によって走り続けている状態だった。何度も挫けた彼女の人生、あまりの苦境に挫けそうになり、いつの間にやら「好き」が理をこえ情をこえ、本能にまで行き着いた。狩るものと狩られるもの、熊とヒトとの戦いはここに極まり、熊は嵐と戦い続けるが、嵐とヒトも激しくぶつかる。既に「嵐」の頂点へと達した大木蝶子。今回彼女はあまりにもはっきりと彼女たちの真実を語っている。「この世界に神様なんていない。透明な空気だけが世界を支配する」。結局「嵐」とはそういうものなのか。上も下もなく、支配といえばそれは「空気」なのだと。個が失われ、世界が透明になることこそが、ヒトの生きる世界なのだと。絵本を破り捨て、神の存在、好きの存在を真正面から否定する蝶子。前回までは殺熊光線のためにサイボーグ熊を使っていたわけだが、今回ついにサイボーグ熊のこのみさんも力尽き、ヒトはヒトの力のみ、その猟銃で決戦に挑む。 対抗する熊は何を持って勝負するか。百合園蜜子は「欲望」を振りかざす熊の化身であったが、最終決戦の地へ向かう銀子は、「本当の好き」に辿り付くために、そんな蜜子を振り払い、道を違えた。自分の中の「欲望」との決別、つまりは自分との対面。やはり、月と森を隔てる鏡に映っているのは自分自身だった。千に砕き、万に引き裂くことが、2人を遮る最後の「壁」を超える手段。銀子はついに、紅羽の下へと辿り付いた。最後の「好き」をためされるその場で、どうやらこれが最後の試練だろう、ヒトからの狙撃と、熊による自己犠牲。るるは、弟のみるんがかつてそうしたように、本当の好きを与え続けた相手のために、ためらいなくその身を捧げるのである。 今回どうにも言葉にならなかったのが2つの「綺麗」。1つは銀子と蜜子の対話だ。自己の内部との対話、なんていうととても陳腐な印象もあるのだが、蜜子はあくまでも蜜子であり、「銀子のクマ性」とかいう単純な存在には還元されない。その証拠に、彼女は退場する際にその象徴である腕章を残している。彼女が単なる銀子の野生の体現であるなら、あそこで腕章はいらないはずだ。蜜子という別個の存在を銀子の内部に取り込んで対話させることで、銀子の孕んでいた問題をものすごく端的に、非常に少ないシーンで全て語ってしまっている。この複層構造がこんなにサラリと組み込まれているというのが既に驚きだし、構造がちゃんと「百合」に還元されて一歩も世界観からはみ出ないようになっているのがすごい。 そしてもう1つの「綺麗」はやはりラストの銀子とるるの対話だろう。るるの登場に際し、ちゃんとその前に蝶子がLINEで「ともだちの扉が開いている」という情報を受け取っているあたりに如才なさを感じるのはもちろんのことだが、ここに来ていきなりド直球で描かれる「別離」は、ここまでのお話で「死」がどんどん象徴的なものになっていたこととのギャップのために、何とも不可思議なインパクトがある。るるが銀子に与え続ける無償の愛、それは理屈では説明されないある種理不尽なものであるのだが、このシーン1つでそんな疑問が指し挟まる余地は無い。何しろ、「るる、かしこ〜い」のだから。彼女が集めて来た「好きの未来」の存在も、この物語に結末を刻むための重要なパーツとなるだろう。ヒトが否定した未来を、熊が再構築して希望を与える。この状態になって、その渦中にある紅羽はどのような決断を下すのだろう。どのように嵐と向き合うのだろう。 シャバダドゥ。 PR 黒塗りになるってことはポルナレフのウンコ=承太郎のタバコ、第35話。1部の時にも話題になってた黒塗りタバコ、今回はかなりストーリーに関わる部分だったから、シリアスな場面をナイス邪魔。でもまー、制作陣としては下手に改変せずにそのまま描ききってくれたってことなのだから尊重しないとなぁ。問題なのはこんなアホな規制をかけてる放送業界の方だからな。そもそもあそこだけ黒塗りにしたって「煙草吸ってる」以外の何物でもないんだから隠す意味ねーじゃん。「いや、あれは承太郎が加えてるんじゃなくて、何故か宙に浮いてるんです」とでも解釈しろってのかよ。 とまぁ、そんなちょっとしたことも気になってしまう緊迫の場面ですよ。ジョジョの象徴ともいえる大舞台の後編。改めて見てると、オシリス神の能力ってけっこうえぐいんだなぁ。だって「一筆書いてもらうだけでも我がスタンドは効果を発揮する」って言ってたけど、それってつまり花京院とかホリーの意思確認は一切必要無いってことだもんな。一応「魂を賭けの代償として差し出すことをいとわないくらいの信頼感」とかが制限として入ってるのかもしれないけども、それは確認のしようがないし、どうもダービーの言い方からするとそういうことは関係無くて、勝負してる相手がそれに同意するだけで第三者の魂を持ってこられるみたいだ。しかも、この場合は入院している花京院の魂を取りに行けるということになるので、スタンドの有効範囲がめちゃめちゃ広いってことに。公式では「射程距離D」らしいが、絶対嘘である。まぁ、ホリーの魂を回収しに行けるかどうかは、本人が言及してないので不明。一応「エジプト全土くらいは余裕」っていう射程距離なのかしら。あくまでも対戦相手との精神勝負なので、そのあたりの能力は付加的なもんなんだろうけどさ。ちなみに、今後登場する弟のアトゥム神との違いについてはよく「下位互換やんけ」などという話が出るが、大丈夫、オシリス神には「魂をコインに換える」という素敵な能力がある。おそらくこれは兄弟の性格の違いが現れており、弟はとにかく「勝負に勝つ」ことをのぞんだのであんな能力に、兄の場合はあくまでも「勝負を楽しむ」ことが目的だったので、相手の魂をより柔軟にゲーム目的で変える能力になったんじゃなかろうか。まぁ、戦闘でどっちが強いかって言われたらそりゃ弟なんだけども。多分「そんなイカサマはギャンブラーじゃない」ってのがお兄ちゃんなりの主張なのだろう。 さておき、そんなダービーの能力をフルに発揮したポーカー勝負。何度も何度も原作を読み返している身には「突き詰めれば単なるブラフ対決」という記憶の残り方ではあるのだが、確かリアルタイムで読んだ時はやたら盛り上がったし、改めて見てもやっぱり盛り上がる。確かに承太郎がやってるのはどこまでもクソブラフである。これ見よがしにスタープラチナの素早さを見せるために色々と小細工を弄するところも、なんだか白々しい。だが、承太郎が上手かったのはそこまで持っていく手順だったのかもしれない。「ギャンブラーが最も得意としているであろうポーカーで勝負」という相手有利の状況を作り、ダービーが調子に乗るようにする。その上で相手の出鼻を挫き、「スタプラはえぇなぁ、やっぱり承太郎はどんな状況でも油断できねーぜ」という一種の恐怖感を植え付ける。そしてあの状況からの大ブラフ。ブラフといっても結局は「スタプラってどれくらいすごい? 実は想像してた以上に超すごい?!」という疑心暗鬼を産むことが目的なので、そこまでのセッティングが上手いこと効いてるわけだ。1セット目で負けておくことで、相手の心の緩みを生み出すことも忘れない。絶頂状態からの疑心暗鬼ってのは、勝負師であればあるほどに「こんなに上手く行くわけがない」という人生訓が足を引っ張るものである。最終的に、ダービーは己の完璧さに負けたみたいなもんである。 そう考えると、承太郎の「単にイカれてるレベルで肝が太いだけ」ってのはやっぱりダービーの天敵だったわけだ。理屈じゃねぇからな(あとジュース持ってきた能力は1話目以来の遠距離スタプラだしな)。これまでたくさんの犠牲を払い、命懸けでやってきたエジプト旅行を、こんなところの気まぐれで全部捨てる気なんてそうそう起こらない。そう思わせた時点で勝ちなのかも。ダービーさん哀れ。でもまぁ、見せ場としては最高のところを見せられたし、戦績だけを見れば2勝1敗。この記録を残せたのはンドゥール以来の快挙。他を探しても3部スタンド使いでは残ったヴァニラアイスくらいのもんだろう。アヴドゥルたちが言ったように「1人で4人をまとめて相手した」ことは賞賛されるべき戦績なのであった(あれ? 残りの1匹は?)。 そんな壮絶な試合の演出は相変わらずのコッテコテ。今回はOPカットしての尺のばし。オープニングやエンディングを切ると作画枚数が一気に増えるから負担が尋常じゃないって偽まるが言ってた。そしてクライマックスとなるダービーが灰になるシーンの愉快な演出。単に震えてるだけかと思ってたら、どんどん画面が白くなっていって、気付けば周りの連中までラフ画みたいになってて笑う。しかもダービーが頑張ってるところの細かい動き、リップシンクが完全に合ってたし、下手したらプレスコなんじゃないかしら。もしくはちゃんと画がついた状態のアフレコで、万丈さんが神業の合わせを見せたかのどっちか。今回はダービーが色々愉快だったので「流石のベテラン」ってなもんだが、こういう緩急が楽しめるのもベテラン声優のお見事なところである。これでおっさん声優対決も見納めかなぁ。今回他の声優としては、「その辺のガキ」役が石上静香でした。普通に考えるとダービー弟はCMのままでべーさんになる気がするので、残されたキャストはヴァニラ、ヌケサク、そしてウィルソンフィリップス上院議員……あと乞食。ペットショップは「鳴く」けどしゃべれないからわざわざキャストを当てるかどうかは微妙なところよね。当てたとしても福圓先生以上に無駄遣いになるしなぁ。 「暁のヨナ」 5→6 やっぱり「花とゆめ」アニメは何故か相性が良い。毎週楽しみに正座視聴、ってほどではないし、同誌掲載の「それせか」ほどのヒットでもないのだけど、実は割と楽しんで観ていた作品でした。なんか、すげぇ懐かしい匂いが漂っている作品だったのです。 筋立ての基盤は、とても王道路線のファンタジー活劇。国を追われた王女様が、伝承を手がかりに各地に散らばる「四龍」の青年を捜し求め、1人1人を手に入れる中で人情あり、恋愛ありのドラマを紡いでいく。仲間集めをしながら少しずつ成長していくヨナを見ていると良質のRPGをプレイしているような気分になり、「パーティーが大きく強くなってるなぁ」という達成感と「家族のような広がりの中が温かいなぁ」という充足感が得られる。私の中で王道ファンタジーの原体験というとおそらく「ロードス島戦記」になるのだろうが、アレと似たような、「それほど大きくもない社会の中を旅して、各地でミッションをこなすとパーティーレベルが上がるよ」という設定が、すごく見やすかったんじゃないかと思う。また、少女漫画的要素はヨナを中心とした男連中の逆ハーレム状態から得られるわけだが、ここでの恋愛要素が少女漫画にありがちな押しつけがましいコッテコテの「女に都合がいい」目線ではなく、基本的には「主従」の関係を守りながら、ハクが中心的ポジションとして少しずつヨナとの関係を深め、残りの取り巻きはそこにちょっかいを出さず、あくまで主君の幸せを見守ってくれている、という穏やかな関係がとても優しい。そりゃまぁ、ドロドロと取ったり取られたりの恋愛ドラマもそれぞれに楽しさはあるが、ヨナの場合、生い立ちで既に苦労していて道中全てが試練なのだから、男女関係くらいは穏当に育んでほしいのが親心なのである。 そう、結局このアニメの中心を定めるとするなら、ヨナという1人の少女の人間性に帰結する。彼女が四龍を従えるに足る主君であり、その上で一人の女性として魅力的であることによって、この珍道中が説得力を持ち、その成長が達成感を提供してくれる。1話の時点で既に「千和礼賛」の一環としてヨナを褒めていた気もするが、現在は別にキャストありきではなく、普通にドラマの中で「ヨナはいい女だよ」と思う事が出来る。まー、ぶっちゃけ困った時には「王家パワー!」とばかりに主人公補正が働くのだからずるいといえばずるいのだが、物語の主人公ってのはそれで良いのである。きちんと彼女の人間性が真正直でカリスマ性を備えていることは台詞や設定以外からも伝わってくるし、彼女は信頼を得るに足るだけの努力をし、態度で示しているのだ。そこに群がってくる男共にご都合主義を感じることもない。ありきたりな「お姫様のお話」としてテンプレ的に処理するのではなく、「幼なじみであり、憧れの対象であった男に国を簒奪された」という彼女なりの煩悶がきちんと人間形成を豊かにしており、ラスト前でスウォンと再会した時の複雑な感情などは、無茶なシチュエーションなのになんだかストンと腑に落ちる説得力がある。ハクとの信頼関係は動かず、父親の仇としてスウォンを恨まないといえば嘘になるが、彼女は「国がそうなってしまった理由」を自己の内省から追い求め、ふがいない自分を客観的に見て、現状を受け入れているのである。ここまで「聡明な」女性主人公キャラって、なんだか久しぶりに見た気がする。こういう真正直で魅力的なヒロインって、なかなか男向けの漫画や小説では出てきにくいものなのかも。どうしても「相手」として描出してしまいがちになるので、個として立たせる機会が少なくなってしまうからねぇ。 そんなわけで「ヨナが立派」というのがこの作品の最大の眼目であるが、もちろん、そんなヨナに従う四龍+αだってきちんとキャラが活きている。青龍との物語はずしんと重たい中にも慈愛が感じられるし、緑龍のエピソードはいかにもファンタジー世界にありがちなミッションで綺麗にまとまっている。ラストの黄龍登場はどやねん、とは思ったが、まぁ、こればかりはアニメの尺の問題なのでしょうがないし、彼の問いかけによって「ヨナの成長経過」が非常に分かりやすく表れ、最終回の「俺たちの冒険はこれからだ!」エンドを綺麗にまとめ上げる効果もあったので、シリーズ構成はとても良かったと思う。やっぱり花とゆめアニメにはずれ無しやで。同時期に放送してる「神様はじめました」より僕はこっちが好きです(あっちも嫌いじゃないけど)。 千和以外のキャストだと……まぁ、野郎連中はいつも通りの濃さだったから何も言うまいよ。でも6人の男パーティーにしこりん、下野、皆順っていう3人が並ぶのは、ちょっと声が可愛すぎやしませんかね。あ、一番可愛いのはそりゃプッキューですよ。実はこっちの作品の方が「山本希望主演作品」だった可能性が。
「アブソリュート・デュオ」 4→3 さぁ、ラノベアニメ最終回ラッシュの時間だよ! 出会いがあれば別れもある。惜しむ別れもあれば……ホッとする別れもある。今期は怒濤の「区別がつかないラノベラッシュ」があったわけで、当然「区別がつかないラノベ最終回ラッシュ」もあるわけなのです。そんなラッシュの中で、本作はどんな位置取りになっただろうか。 一言でいうなら「残念」である。個人的には視聴モチベーションは完全に「ヤーちゃん役ののじょさん頑張れ」だったんだけど、あの子あんまりしゃべらないからなぁ……結局ハーレムアニメになるから、正妻ポジションのインパクトもそこまで強くないし。そもそも「デュオ」っていうシステムのおかげでどこをどういじってもユリエが不動のパートナーであることは疑いようもなく、他のハーレムラノベみたいに恋のさや当てで物語が膨らまないんだよね。そりゃま、途中で告白して振られたヒロインの1人がヤンデレ化するなんて事件もあったけども、元々主人公にそこまでやる義理もないし、ヤンデレ状態もそんなに大事件にいたらずに収束しちゃうし。もう少しみやびちゃんたちの百合関係が強く出ればラストの達成感も違ったのだろうが、基本的なシナリオ回しは中の下である。 そして、そんな中の下ポジションを更に下げるのは、何と言っても作画のショボさ。特徴的なオープニング映像なんかで期待を呼んだ部分もあるにはあるのだが、それが作中のクオリティには繋がっていない。1話時点で「なんか作画のディティールが適当過ぎないか?」って思ってた部分がモロに悪い方に進んでしまい、櫻井が引き連れる謎のパワードスーツ軍団とかシュールなレベルで世界に溶け込まないCGモデルの量産機がギャグにしかみえなかったし、顔だけ出てる状態の雑コラ感、それが手描きパートとバトルするときのカクカクした救いようの無いモーションなど、「CGが売りだったはずのエイトビットがこんなもん作るなんて」というショックが大きかった。エロパートで巻き返そうという意気込みはあったのかもしれないが、もう、そんなもんは求めてないのよ。このアニメだけで見られるセールスポイントってなんだったんだ、って話。強いて良かった点を上げるなら…………なんか円卓会議みたいなお偉方の集まりがあったときのキャストクレジットが笑える、っていうことぐらいかな。こういう世界の二つ名って、お互いが考えてつけてあげる文化なんでしょうかね。怖いわ。 中の人については、まぁ、のじょさんは頑張った。「山本希望主演作品」っていう看板があればこそ、最後まで視聴が継続出来た部分は大きい。あと「先生役」という年相応の部分でやまなこの2人が楽しそうにしてたのはほっこりする。エイトビット製作アニメだと田村ゆかりが謎ウサギにならなきゃいけない決まりでもあるんでしょうかね。
ラストシーン卑怯やろ、第23話。あんなもん、涙腺緩んだおっさんはもらい泣きするに決まってるやないか……。よかったなぁ宮森よぅ……。正直、この作品にはあんまり純然たるP.A.イズムって感じる機会が(他作品に比べて)多くないんだけど、ああやって丁寧な演出と表情芝居を見せられると、やっぱり大好きだなぁ、って思うね。今回のコンテはP.A.の代表格とも言える許琮氏と、「凪あす」19話演出などで良い仕事を残している菅沼芙実彦氏。こりゃ最終話は監督コンテ回で締めですかね。 今回のお話、ぶっちゃけると中身は予想外の部分はないし、どないやねん、てな印象が強い。まぁ、思ってたほどにピンチがピンチじゃなかった、というのが一番の理由なんだけども、その更に根幹となる原因はこれまでずっと抱えてきた「理不尽」が本当に理不尽な理不尽だったせいだろう。つまり、茶沢という害悪について、これまでムサニの面々は甘んじてその好き勝手を受け入れていたわけで、実際にはあんなもんをほったらかしにしておく理由は無かったのである。以前キャラデザの時にも一悶着あり、あのときにはなんとか問題が解決してしまったために深入りしなかったという設定になっているが、もし今回のことを予見するならば、さっさと茶沢という男の問題を取り除いておくべきだったし、それをやらない理由がなかった。実際、今回は「万策尽きた」ことであれこれと方策を考え、結局「原作者に直接メールすればよくね?」という至極当たり前の解決策でもって、わずか1日ですっきりさっぱり解決したのだ。こんな状況になる前に、さっさとそれをしておけばよかったのに、という感想はどうしても生まれてしまうので、これ即ち「理不尽な理不尽」である。 しかしまぁ、そのあたりがあまり無茶になりすぎないよう、シナリオラインにも最低限のフォローは入っている。やはり業界内部で「編集を通して原作者と話す」というのが絶対的な条件であるようだし、ムサニ側も「野亀先生は人嫌いだから会ってくれないだろう」という先入観もあったみたいだ。今回は本当にやむにやまれぬ理由があったからこそ、木下監督も動けたということだろう。最後の一押しをしてくれたのが本田さん、っていうのも良いセッティングよね。「これまで何度も万策尽きてきた僕がいうんだから」って、すげえ名言だよな。私の策は53万です。 そして、そんな「VS原作者」という最後のトラブルシューティングの機会に、「ラス前でやりたいこと全部やっとこ」という水島節がこれでもかというくらいに炸裂する。今作のメインヒロインは実は木下監督だったんだと言われても驚かないくらいの、大・木下劇場である。眼鏡デブが恰好よく大活躍するアニメなんて、シュタゲとさばげぶくらいしか見たことないわ(結構あるな)。波動腹、昇龍腹、竜巻旋風腹。しかもCVは勇者王。この男、ただもんじゃない。いや、馬鹿なんだけどもね。茶沢がやっつけられるところはまだしも、編集長らしき男のゴルフアタックのとこなんかは、もう完全に「この物語はフィクションっていうか木下監督の脳内です」レベル。いや、茶沢のくだりも充分変か。なんで木下監督は入館証チェックされてるのにP二人はこっそりビル内に紛れ込んでるんだよ。清掃員に化けて侵入って、確実に違法行為やぞ(真面目に突っ込む意味なんて欠片もないことは分かってるけどさ)。野亀先生が最上階の大会議室でラスボス然として待ち構えているのも、完全に「勇者木下の冒険」のラストダンジョン風味。思った以上に話の分かる人でよかったし、ちゃんと(なんだか随分丸くなった風の平岡から)彼がアニメでの改変に過剰反応する理由も語られてたし、茶沢を一喝するくらいの常識は持ち合わせてるし、CV櫻井だし、もっと早くにメールしておけば良かったね。ちゃんと作家としてのこだわりがあって木下監督となあなあじゃない話し合いしてるのも良い雰囲気である。まぁ、目の前の一ファンと話してる程度で解決する問題だったら編集との相談とかで解決しておけよ、とは思うが。相手が茶沢じゃぁどうしようもないかなぁ、変な話。 モンブランパワーで全てを打ち抜いた木下監督。彼の尽力のおかげで脚本総取っ替えの憂き目に遭わずには済んだが、結局新規部分を入れる必要があるので50カット削って100カット追加とか。これでも充分キツイ仕事内容である。ムサニは残された最終話のために、社内一丸となって完成を目指す。新人製作も、おでん屋で管巻いてた作画班も、そして宮森も。彼女が最後のアフレコ現場で見た光景は、(視聴者には分かりきってたけど)まさかのずかちゃん登場である。いいねぇ、このくらいの起用、このくらいの成功が、一番無理がなくてすっきりしているよ。いきなり主役抜擢とかだと上手くいきすぎてるからね。 前回濁った目でテレビの向こうをうらやんでいたずかちゃんの、打って変わって晴れやかな良い表情。そして、彼女が精一杯仕事をした後の宮森との一連のシーン。あのシーン、ずかちゃんは目を潤ませてこそいるものの、決して涙は流してないんだよ。それが彼女なりの決意の表れになっている。彼女にとって、この仕事は確かに大きな第一歩だが、決して目標でもないし、まだまだ苦しい生活は変わらない。あくまでも夢への第一歩として踏み出したところなのだから、こんなところで泣いているようでは業界を渡り歩くことなんてできやしない。きっと報せを受けた日にはめいっぱい泣いただろうが、現場ではあくまでプロフェッショナルに、毅然とした態度で仕事をまっとうし、胸を張って帰るのだ。そんな姿を見て、彼女の苦労を一番良く知っている親友だけが涙を流す。宮森にとって、この大仕事の窮地の舞台で、いわば「助けてくれた」親友の存在はどれだけ大きく、どれだけ嬉しかったことだろう。どれだけ辛い仕事の中でも涙など見せなかった宮森が、親友の第一歩を見て、歓喜の涙が止められない。 幸せなお仕事アニメ、「希望を持って終わらせなきゃ駄目だ」という木下監督の言葉も染みいりますね。次回、最終回!! 3月20日 ドラフト模様(FRF TKT×2) ピック順 【Mei】→【Alessi】→【Sangriter】→【Thraxi】→【Serra】→
環境最終戦! まぁ、いうてもわずかに9回しかやってない環境の最終戦だけどね……。次の世界に旅立って、我々は何か新しいものを得ることが出来るのだろうか。結局この環境は手探りの連続だったしなぁ。まぁ、楽しかったからいいのではなかろうか(楽しくない人がいる場合がありますが、仕様です)。
今年度最後のたほいやの2回目。なんか1人の男をドヤらせるだけに終わってしまった。
Round1・「まくらずもう」 1.遊里で客が遊女に相手にされず、一人寝をすること。 2.長崎県枕崎における祭事。砂浜で相撲をとり、身体が濡れた方が負け。 3.握りこぶしの上に枕を立てて突きあい、落ちた方を負けとする遊戯。 4.香川県理里村の奇祭。村の男が背を地面につけて体をゆすり、自らを誇示する。 5.(まくらは真っ暗の転)「暗闇相撲」に同じ。 楽しげ。④は「どういう状態やねん」と話題に。奇祭だからね。
Round2・「しゃばいらい」 1.死者が生前の知人に対してするあいさつ言葉。 2.江戸時代、遊郭内で知人にあったときの挨拶の言葉。 3.唾液、吐瀉物などを介して伝染する病気の総称。 4.渡来僧。ミャンマーの人。1927年に来日、二国間交流のかけ橋となる。1953年に帰化。 5.明治時代に流行した川柳、狂歌の技巧。末句を初句の逆さ言葉にする。 ①の何言ってんだお前感(なお、2票入る模様)。⑤については「これどういうこと?」と聞いたところ、「え、何となく、『しゃばいらい なんちゃらかんちゃら いらいばしゃ』みたいな」というよく分からない答えを頂きました。
Round3・「なりぼし」 1.(「一つ星みつけた、長者になろう」という童歌から出た語という)成金。 2.フランスの建築家、歴史家。多くの神殿風建築で有名。「大浴殿」「広場宮」。 3.(相撲用語)昇格を決定的にする勝利。 4.仁義礼智忠信孝悌の八心のこと。 5.死んだ子に見立てて呼ぶ星。 「一つ星見つけた」→「長者になろう」。なぜなのか。
Round4・「ごりょん」 1.牛車の通り過ぎていくさまを示す音。 2.酒五合の隠語。 3.(ゴリョウニンの訛)他人の妻または娘の尊敬語。 4.(親しみをこめて)お稲荷様。 5.御両人。 ゴリョンて。ググると「大阪を中心に西日本で使われる」って書いてあったのに、大阪人だけはずしてるという謎。
Final Round・「まるめくらんど」 1.業腹な役人。 2.対馬の英語名。 3.古代大陸の一。赤道上にあり、インドとオーストラリアに分かれたとされる。 4.江戸初期の剣客。タイ捨流の祖。 5.コロンビアの鉱山都市。エメラルドを産出し、栄えた。 ググったらエロゲの主人公だったんだけど……。 「四月は君の嘘」 6→8 今期最終回ラッシュはこの作品からスタートだが、スタートからどえらい作品ですよ。そりゃもう、滂沱の涙ですよ。こんだけわんわん泣かされた最終回も久しぶり。視聴後しばらくは空っぽの状態で放心しておりました。 何から何まで完璧な作品。本当に非の打ち所がないので、いったいどこから評していいのか困ってしまうくらいである。途中までは出来うる限り感想を書いていたので、各話の良さについてはそちらをあたってもらった方が早いだろう。最終回でのまとめということで1つずつ要素を見ていくと、とにかく王道中の王道であるドラマを、一切の衒い無く、真正面から描ききったことが最大の見どころなのではなかろうか。中学生男女のほのかな恋愛に始まり、主人公の克己、成長物語。そこに音楽という戦いの場で戦い続ける若者たちの姿も加わり、最終的には人の生と死という永遠不変のテーマでもって締めくくる。あらすじだけを見れば、まるでお話作りのハウツー本にでも載っているんじゃないかと思えるくらいに直球ばかりのシナリオラインである。しかし、王道が王道であることには理由があるわけで。様々なテーマを描き、それを人の心に訴えかけるのに最も先鋭化した形が王道である。ラブロマンスも、スポ根も、人生ドラマもギャグでさえも、全てがきちんと一本の芯に収まり、真っ直ぐに引き立て合う方向に伸びていく筋運びは、22話という限られた話数の中に一切の無駄を作らず、見事に伝えるべき事を伝えきった。 そして、今作で白眉なのはそのメインモチーフに「音楽」が採用されているというところである。普段我々はアニメを「見て」いる。アニメというのは画があり、声があり、動きがあり、音があって成り立っているものだが、どうしてもその中で視覚情報というものに重きを置きやすい。これは人間として当たり前の傾向であるが、今作は、そんな視覚的な情報と聴覚情報、つまり音を、同時多元的に伝えることに重きを置いている。普段ならば脇役になりがちな「音楽」を、舞台の中心にまで引っ張りあげ、それをドラマ作りのツールとして最大限に活用して見せた。もちろん「音楽をテーマとしたアニメ」は過去にもたくさんあるし、特に昨今は演奏シーン、ライブに力を入れる作劇は中心的な位置にあるが、今作のように「ドラマの筋立ての中に音楽が食い込み、物語全体を音楽が有機的に形作っていく」スタイルというのはなかなか出来るものではない。有馬公生という主人公の人生そのものが「演奏」に還元されていき、彼の生き様に影響を与えた2人の女性、有馬早希と宮園かをりという人物も、「演奏」で彼の人生を動かし続ける。こうして「音」が「生き様」になり、「音楽」が「ドラマ」になる。当然作画面での方向性もこの「音のドラマ化」に寄与する形になり、総合芸術としてのアニメーションとして完成を見る。ここまでの完成形を見出しただけでも、今作のスタッフは素晴らしい仕事をしたのだと断言出来る。イシグロキョウヘイ氏は素晴らしい演出家であったが、今作で改めて堂々たる実績を刻む事が出来た。今後の活躍にも期待したい。 細かい部分を見ていけばきりが無いが、既に過去の感想で有馬早季の人生についてはある程度書けたと思うので、やはり最終回で言及されるべきは宮園かをりの人生であろう。彼女が残したものは、見方によってはひどく中途半端であるし、エゴイスティックなものにも映るかもしれない。彼女は結局公生との約束を守れず、ただでさえ傷ついた彼の人生に救いを与えるどころか、大きな傷跡を残したと言っても良い。ただし、それは公生を中心として見た場合の都合であって、彼女の人生において、これ以上に振り切った結末というのはあり得ない。彼女は自らの人生を最高の形で彩るための努力をし、自分の証を全力でこの世界に残すために生きた。それは公生にとっても力になるものであり、公生が彼女を背負って、演奏家としての道を歩み切りひらかれることで、2人の人生は揃って完成する。形こそ違えど、公生の中に自分の生の全てを注ぎ込んだ有馬早季と宮園かをりは、実に似通った選択をしたわけだ。もちろん、その根底に愛情が根付いていることはいうまでもなく、それは公生を傷つける目的ではなく、彼の人生を華やかにし、完成させるための慈愛である。だからこそ公生は、これからの人生も顔を伏せずに生きていくことが出来るのだろう。「四月は君の嘘」というタイトルもきっちり回収し、宮園かをりは、我々視聴者の中にも確実な生の証を残して去っていった。これ以上のものを、どうして望めるというのだろう。 残された者の物語は続いていく。個人的にはやっぱり椿の物語が気になるところではあるが、どうやら最終回を見る限りでは大丈夫な様子。彼女がはっきりと告白宣言をした場所は、やっぱりあの電車道なんだよね。これまでずっと抱えてきた「三角関係」だったはずなのに、なんだか希望が持てる終わり方になっているのは実にありがたい。あ、渡を入れれば四角関係でもあるのだが……まぁ、彼は強い子だからさ……。最終回の凪ちゃんが阿漕なくらいに可愛いのはちょっとずるいと思いました。茅野魔性。 というわけで最後はやっぱり中の人の話。中の人の話をしようとすると君嘘ラジオがよぎってきて色々と迷惑なわけだが……種ちゃんが楽しそうにしているのは聞いてて元気が出るので大変よろしい。アゲイン。また新しい種田ヒストリーが刻まれてしまう。アゲイン。そして、そんなメインヒロインを押さえ込む活躍を見せた佐倉綾音。あやねるはやっぱりいい役者に育っている。こういう彩りの多い現場でもっともっと磨き上げてほしいもんだ。そして花江・逢坂の男連中。花江君はこういう役で本当に輝くからすごい。あと幼少期で別キャスト立てなくていいからちょっとだけお得。ひょっとして梶君が人気あるのってそういうニーズもあるのかしら? そして早見、茅野、水瀬、園崎……いい現場でしたなぁ。ノイタミナはこういう作品が作れるというだけでも価値ある存在だと思います。枠が減ってしまうのはちょいと残念ね。 久しぶりに強烈な回がきました、第9話。元々「地獄少女」ファンからの流れで(?)この作品を気にしていた身としては、こういうヘヴィなお話が一番のストライクゾーン。いやはや参った。 今回はいくつかの「うおぅ」が入り交じっているので、1つずつ見ていくことにしよう。まずは脚本、前回の引きの時点で「この2人が完全に無関係ってことはないよね」と言っていたわけだが、ここまで濃い絡みになっているというのは流石に予想の斜め上。どっちかがどっちかを殺した、っていうのも当たりではあったが……こんな展開になっているとは。辰巳(刑事の方)が殺された理由は、そこだけを切り取ればなかなか理不尽である。はっきり言って「誤認殺人」なわけで、本当にとばっちり、島田(青年の方)がちゃんと相手を確認しないうっかりっぷりにも困ったものだ。一応「彼は殺人現場を見られたと思って、目撃者を全員殺すつもりだったのか?」とも考えたが、彼の性根を見る限りではそういう意図ではなさそう。あくまで「ストーカー男の家に上がり込んできたってことは、きっとこいつが共犯に違いない」というすげぇ適当な予断で辰巳を殺してしまったことになる。ちょっと軽率過ぎる気はするが、まぁ、いざ人を殺めてしまった後となると、そのあたりの判断力は鈍っていたのかもしれないからしょうがないか。 ただ、その1点がやや理不尽だったように見えた以外は、今回のシナリオはかなり「面白い」。「復讐心」という共通する動機を持って人を殺めた2人の男たちが出会い、互いに励まし合い、奮い立たせながら次の行動に移るように手を取り合っていたところを、少しずつ記憶が戻ることによってその構図が歪んでいく。本作の最大の特徴はこの「失われた記憶が少しずつ戻っていく」部分にあり、その超常現象による理不尽な展開がたっぷりと楽しめる。島田君の方は、「実際には手を下した後だった」ということを思い出してショックを受けた。「殺したい」と願うほどの復讐心だったはずなのだが、いざ「殺してしまったこと」を思い出すとやっぱり手が震えるし、そんな事実を目の前にいる刑事に話してしまったことも絶望的であった。彼の復讐心は、この時点では「人並み」の域を出ない。しかし、話した相手が悪かった。なんと、目の前にいる頼れる刑事は、実はネジの外れたサイコパス。復讐心が募りに募って、最終的にはぶっ壊れてしまったシリアルキラーなのである。結果的にはその殺人鬼を「殺して」しまった島田だったが、元々仲間だと思っていた「復讐者」というカテゴリのあまりの落差に感情が追いつかない。そして明かされる妹の真実。味方から仇へと180°振り切れてしまった相手を前に、青年の心は揺れに揺れまくるのである。 このセッティングは、明らかにノーナさんが意図してデキムの元に送り届けたものであろう。「心無き裁定者」という、今回瀬戸ちゃんが必死に抗った忌むべき存在を問い直すためには、一番手っ取り早いのはデキムの前に別な「裁定者」を引きずり出すことである。今回のペアリングのおかげで明るみに出たのは、辰巳のあまりに悪辣で、偏った正義感である。独善的で暴力的なその信念は、殺された妻の声を免罪符にしながら暴れ回る単なる殺人者のものであり、裁定者でもなんでもない。しかし、辰巳の中でその信念は揺らぐことはなく、瀬戸ちゃんの言葉によって、「デキムたち裁定者も同じ穴の狢である」ことが晒される。彼女の涙ながらの訴えも色々と考えさせられるものがあり、これまでなんだかんだと仲良く過ごしてきたデキムに対し、今までに無いキツイ言葉を色々浴びせかけた。「生きたこともないくせに」っていうのはけだし名言である。最初はいつも通りの鉄面皮だったデキムも、瀬戸ちゃんの涙に明らかに狼狽する。彼が暴き出した「人間のどす黒い部分」というのは、そのまま自分たちの中にも横たわっていることを指摘されてしまったのである。相手の中に見るべきものを自己の内部に認識してしまった時点で、デキムはもはや「心無い裁定者」ではいられなくなってしまう。今後、彼がどのように形を変えていくことになるかは、本作最大のテーマといえる。 そして、こうした怜悧なシナリオラインを盛り上げた今回の作画・演出面が手放しで面白い。前回はエアホッケーの部分がやや淡泊な描写になっており、「せっかくのデスゲームアニメ(仮)なのになんだか勿体ない」と思っていたものだが、今週はまるで何かに取り憑かれたかのような鬼気迫るコンテ・作劇になっている。ゲームシーンだけでもこれだけの温度差を設けているということは、前後編という2話またぎになった構成を最大限に活かし、後半の盛り上がりを印象づけるための方策だったのだろう。そして、いざゲームが終わったあとが今回の山場であり、仮面を脱いだ辰巳の大上段に構えた演説、それを聞きながらもがき苦しむ島田、必死に自己の正義を訴え続ける瀬戸ちゃんと、3者3様の心理描写はまさに迫真。1話の監督コンテ回に勝るとも劣らない、見事な「切実さ」でもって、この大舞台を演出してみせた。今回のコンテを担当した小林寛氏という名前は恥ずかしながらこれまで認識してこなかったが、今後は注意して観なければいけない名前になった気がする。ラスト、エンディングテーマをはさみながら島田が包丁を振り下ろすシーンなんかは本当に圧巻だ。辰巳の立ち居振る舞いも、瀬戸ちゃんの涙ながらの訴えも、全ては最後の島田の「笑顔」の為に用意された道具立て。こういう怖気の走るアニメがもっと見たいです。 そしてもちろん、今回の立役者として、忘れちゃならない中の人たち。なるほど、ここに藤原啓治なわけだね……。ほんと、彼が実際に役作りのために2,3人殺してるって言われても驚かない自信がある。今回の辰巳役は、新たなけーじくんヒストリーの1ページに加えてしまって問題無いでしょう。そして、そんな辰巳の迫力に押されがちではあるものの、あれだけの圧力を受け止めきれるのが櫻井孝宏という男なわけで。最後の「笑み」をすとんと落としてくれるあたり、ぐうの音も出ないですわ。こんなおっさんたちに戦いを挑まなければならなかった瀬戸ちゃんもものすげぇプレッシャーだったろうが、負けじと押し返せてたのが流石だなぁ。 いやぁ、本当に恵まれたアニメになってますよ。 |
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