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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「らんま1/2(第2期)」 ―→5 このテキストを書いてる時点で「ミンキーモモ」の新規アニメ制作決定の報が。さらに、「サムライトルーパー」やら「北斗の拳」やら「レイアース」やらも続々作られているらしく、令和という時代が昭和・平成の焼き直しなんじゃないかという寂しい空気が流れている。偉大な先人へのリスペクトは大事だが……フロンティアスピリットを失ってしまっては、日本のアニメ業界は前へ進むことができるのだろうか。 などということを心の片隅に置きつつ、今作は今作で決して悪いものではない。元のアニメへの思い入れがない人間からすれば単なる「新作」として受容するだけなので、リメイクがどうこうとかいう部分は一切問題にならないのである。アニメとしてのクオリティは決して低くないし、ウリとなったベテランキャスト陣も頑張っている。かっぺーちゃんはもとより、高音域を維持するのが大変じゃないかと危惧していた女性声優陣が素晴らしい仕事ぶりを見せてくれており、さすがのレジェンドと舌を巻いた。林原・日高両名は他作品でもたくさん声を聞いていたので「出来るやろな」という予感はあったわけだが、シャンプー役の佐久間レイも変わらず可愛かったのがお見事であった。サンリオヒロインズ、強すぎる。男性陣も山寺宏一/関俊彦あたりの活躍はたまらんものがあり、「このキャスティングで行けるならサムライトルーパーじゃなくて『天空戦記シュラト』もリメイクできるよな……」とか思ったり、思わなかったり。 そうして「現代に甦った前世紀」がちゃんと形を成していたことは良かった部分として受け止めるが、反面、そこまでしてリメイクするほどの新規性を得たかと言われるとそれはそれで疑問が残り、トータルで「うる星やつら」よりもやや点を下げた。これはなんとも逆説的な話なのだが、時代が近い今作の方が「うる星」よりも「古さが残る」というか、元のままで引っ張った部分にマンネリズムを残してしまった感があったため。時代を飛び越えて再生産された「うる星」は製作陣も相当な覚悟でもってリブートしたと思うし、40年分の時代感覚の差が現代では逆に新鮮さにつながった。対して今作の場合、未だ現代コミック文化と地続きの部分が多く感じられ、その分新鮮さに欠けた感覚がある。これってむしろ凄まじいことで、30年前の高橋留美子はすでに「現代的な」ものを完成させていたということになる。だからこそ、「犬夜叉」→「境界のRINNE」と連なるるーみっくワールドを知っていれば「見たことはあるな」という感覚になるのだ。 聞けば、らんまはそれなりに長い漫画なので今回のアニメ化で全てを拾えたわけではない様子。もしかしたら更なる続編もあり得るかもしれないが、あとは世間的なニーズがどれくらいあるかだ。続くようであれば私としては視聴することに抵抗はないが、このあたりのレベルのリメイクがウケるかウケないかは、今後のアニメ業界の潮流に大なり小なり影響は与えそうである。 PR 「機械じかけのマリー」 5→5 まだまだ続く、「ただひたすら甘々な青春カップルを見守る」作品の4本目。いや、今作はだいぶ波瀾万丈ではあったからそこまで甘々ではないのかもしれないが……共通要素としてどれもこれも「最初からほぼ両思いやんけ!!」みたいなノリがあるので、どうにもヤキモキさせられますね。 今作はそんなラブコメ作品の中でもトップレベルに現実感の乏しい作品。何しろ最初から最後まで「人間をアンドロイドと思わせる」というひとネタだけで引っ張っているのだ。まぁ、当然それだけでお話が引っ張れるわけもないのでアーサーの方も中盤過ぎに「ロボじゃないんかい!」に気づいてしまうわけですが、その後のすったもんだとか、「お互い正直に言えば解決する部分やろがい」と思う部分を多少強引にすれ違わせてお話が進んでしまうため、多少のモヤモヤは残る作品である。でもまぁ、1話目の設定からして「無茶なギャグやで」という意思表明はできてるわけで、そこに真面目にツッコむのも野暮でしかないとは思うけど。 1話目時点で「僕の妻は感情がない」の逆バージョンみたいだ、なんて引き合いに出したが、今期は同時進行で見ていたせいか「転生悪女の黒歴史」のノリの方がむしろ近い気はしたわね。「分かってる」メインヒロインが色々と秘密を隠そうとしてドタバタしながらも小憎らしいラブを育んでいく設定と、ヒロイン周りのトンチキ具合がなんとなく重なっているというだけなんだけど。ほんとに1ネタで引っ張ってる割には案外ドタバタの方向性は広くて、ことにマリー2がちゃっちゃと加入したおかげで現実ラインがグッと引き下がり、「なんでもあり」になったのでギャグの回し方はかなりやりやすくなった印象。メタ発言で「ラスボスが早くも登場」って言うてしまってたしな。霊長類最強クラスってんでマリーが駆り出されてるのに、その存在意義全否定のマリー2がすぐに出てくる構成、ぱっと見には意味分からんのに話として成立してるのちょっと面白い。 映像部分は正直「可もなく不可もなく」レベルではあったが、あんまり線の多い画風でもなし、これくらいのクオリティでだらりと見られるくらいでちょうどいい。「最終的にマリーが可愛くなればそれでいいんだろ?」って部分はしっかり心得ていたみたいだし、それをダイナミックに補強してくれる奈央坊ボイスのおかげでヒーリングミュージックみたいな付き合い方させてもらってたので余計なまでに気楽ではありました。奈央坊&あみっけで歌うエンディングがとてもお気に入り。この2人のデュエットって何気に貴重だったよね。 「終末ツーリング」 5→4 これで「放送終了です」と言える胆力はすごいと思う。ありがたくはないけど。 新番チェックの時点で「よく分かんなかったから保留」という評価を下したのだが、なんとまぁ、その保留が最後まで続いてしまった「死ぬまで保留する」作品となってしまった。いや、ハナから未完の作品だってのは分かってたんだけど、ここまで何も明かされない作品だとは思ってなかった。 まぁ、結局これまた最初に感じた通り、今作は「終末」はあまり重要な要素ではなくて「ツーリング」がやりたい作品なのだろう。「旅行が描きたい」というよりは、ほんとにバイクの方が描きたかった感が強く、バイク関連の話をしている時の解像度だけが明らかに上がってイキイキしていたのはちょっと面白い。単に女の子2人で観光名所を回っても大したヒキにならないため、わざわざ日本列島を「終末」でデコってみたらこうなりました、みたいな制作理念なのかもしれない。 もちろん、終末なんてものはスナック感覚でさっくり作っていいもんじゃないわけで、「終末に至る理由」をちょっとずつ作品に混ぜ込んで不穏さ、物寂しさを掻き立てていくというデザイン自体の意義は理解できる。オタクが好きそうなモチーフだし、実際に私だって「これ、どういうオチになるんだろう」ということが気になったからこそ最後まで視聴してたわけだし。ただ、おかげで「分からんのかい」という結末になってしまったら不満は残るわけでね。2人の主人公のバックグラウンドに理解が及ばなかったら、そりゃ長い長い珍道中にも身が入らないのはしょうがない。「ついていけなくなる」リスクを取った構成になっている上で、1クールの放送ではあまりヘッジできなかったというだけの話である。 ただまぁ、そうして「切り捨てた」部分はあるにせよ、作品全体の統制は効いている。(なんでか分からないけど)荒廃した日本列島の雰囲気は何かしらを感じ取れたし、終末なりの楽しさを感じる少女たちというモチーフ自体が「見たことのないもの」なわけで、文句は言うもののこっちだってどういう描き方が正解なのかは知る術もない。そうしたふわふわした状態での1つの試案として、今作はやりたいことはやり抜いたのではなかろうか。ただ純粋に、私がそこにあまり面白みを感じられなかったというだけの話である。まぁ、バイクに一切興味がないからな……。 来週で終わっちゃうのかぁ……第12話。ほんとに「善い」お話なのでお別れは寂しいなぁ……。 私という人間は、基本的に性善説を信じたい人間なんですよ。そりゃエンタメにはいろんな刺激が必要だから悪い話も酷い話も喜んでいただきますけど、こうしてほんとにただ「善い」話を身に受けている時の多幸感っていうのも格別なものでして。世界はこんなふうに、笑顔の絶えないものであってほしいとは思ってるんです。ほんとだよ。 Aパート、想定外で始まった2つの宴会のお話。まずはチーム滝沢による色々おめでとうパーティー。滝沢センセ、今回集まった3人以外にもこれまでたくさんアシなんて使ってると思うんだけど、わざわざこの3人で集めたってことは、うまいこと業界で生き残れたこの3人の「弟子」たちをそれなりに特別に感じてくれてはいるのだろう。面識のない梨田&早池峰を集めたあたり、別に1人1人に気ぃ遣ってるわけでもないだろうし。そうして改めて「うまくいってる」ことを確認し、互いの健闘を称え合いながらこれから先の未来に繋いでいく。良き指導者ですよ。まぁ、自宅とはいえ今時室内でスパスパ煙草吸うのだけはどうかと思うけど……多分、滝沢アシ時代の双見もめっちゃタバコ臭い服で帰ってたんだろうなぁ。 そんな滝沢先生が唱える「縁」の大切さ。この世界には基本的に悪人がいないので、みんなそれぞれに出会いは善きものであるはず。双見は真っ先に佐藤さんの名前を挙げていたが、はーさんだって欠くことのできない大切な出会いだったろうし、ねこのてさん、塔子さん、はーさん姉、そして梨田に至るまで、あらゆる恵まれた出会いの果てに今この場にいる。そんな当たり前を改めて実感する機会を与えてくれる滝沢先生にはちゃんと感謝しないとね。梨田、お前もだ。 時を同じくして、うっかりミスの佐藤さんは双見宅ではーさん・塔子さんとの3人女子会。彼女が語る双見との出会いの顛末は誰がどう見ても「純愛」には違いない。こっちもこっちで出会いの大切さをしっかりと噛み締めているし、なんならはーさんの大切さも噛み締めている。こういうコネクションからはーさんが将来的に独り立ちするための「出会い」につながっていくといいですね。 Bパート、そんな佐藤さんが伝え忘れていたのか、単に双見が記憶から消去していたのか、突発のように見えて予定通りだったらしい、双見の地元・岩手でのサイン会。そうか、岩手出身だったのか。ちなみにねこのてさんが青森在住らしいので、移動距離だけで言えばねこのてさんの方が圧倒的に楽なイベントだったな。 最初はコミュ障拗らせてイヤイヤしてた双見だったが、この子はいうてもコミュ障がそこまで深刻ではないので、いざイベントが始まったら最低限の対応はできる。そして、そんな双見の目の前に広がるのは、作家として世に創作物を発表している人間からすれば一番幸せな「自分が認められている」光景。ファンばかりが集まるのだから当たり前ではあるが、以前の「書店で本を買ってもらえた」の100倍規模の多幸感、そりゃ自己肯定感アゲアゲで最高の舞台には違いない。まぁ、佐藤さんから「漫画にステ全振り」という太鼓判(?)を押されている双見のこと、やっぱり作品自体はめちゃ面白いのだろう。サイン会で盛り上がるファンたちも嬉しそうである。 そして最後にはさらに双見の人柄が見えるエピソードを1つ追加で。ファンがいてくれるからこその商売なのだから、そのファンに優しくなれるのは当然のこと。でも、きっと双見はファンじゃない人にだってこういう対応ができる人間なんだろうね。書店やイベント関係者の皆さんも嫌な顔一つせずに双見の提案を聞いてくれた。いろんな人の善意で、この世界は回っていくのだ。どうか、笑顔を絶やさずに。 「野原ひろし 昼メシの流儀」 4→4 なんか一部界隈で不思議と話題になっていたらしい作品。ただ、残念ながら私にはその理由がよく分からない。 DLE制作に任せた時点でハナから通常のアニメとは戦う土俵が異なり、作画が云々みたいな話はあまり意味がなくなる。そういう意味ではうまいこと逃げた部分もあるし、そこまでコストをかけたくないアニメ制作の一手法としてはうまいことやったとは思っている。古く勃興の時代には完全に1枚絵を動かす紙芝居形式だったDLEも現代はCGモデリングを使うことで(どこか気味悪く)動くようにもなっているし、この作品をアニメ化する上で必要な要素は案外これだけでも足りている。新番チェック時点で言及済みだが、「飯アニメ」の矜持を保つために食品だけは実写を取り込んじゃうっていう割り切り方も上手い判断だっただろう。ただ、いうてそれだけである。 個人的には「お話を味わうだけならこれで充分」というDLE作品であるならちょっと前に放送された「ヒューマンバグ大学」の方が絶対に面白かったと思うのだが、そっちが話題にならずにこちらだけが話題に上がるというのはやはりスタート時点の知名度の差ということになるのだろうか。おそらく「ヒューマンバグ大学」はそもそも触れてすらいない人も多いだろうし、こんな形でも奇妙な「原作力」の差は表れるものである。ただ、別にこの原作だってわざわざアニメにしてみたいものかと言われたら余裕でノーであり、食漫画としても、ギャグ漫画としても決してレベルは高くない。 これで原作の原作である「クレヨンしんちゃん」の面白さに依拠している部分があるとするなら、そちらにノータッチの私には分からない部分に面白さが潜んでいた可能性はあるのだが、雰囲気から察するにそうした要素はかなり少なそう。となると、残るのは大したことない「孤独のグルメ」の焼き直しの焼き直しみたいなグルメ漫画と、ネタ回しがずいぶん昭和くさいギャグ漫画である。作中では変な女の子をメインにしたアンジャッシュコントみたいなパートが目を引いたりもしたが、そういうネタ回しのやり方がさっぱりこなれておらず、残念ながら笑いに繋がる部分はほぼゼロといった状態である。まぁ、だからこそこの画でやり過ごすくらいの扱いなのだろうが……。 まぁ、こちらの方向性も今後のアニメ業界が生き残るための1つのルートではあるのかもしれない。でも、世のオタクが全て低予算アニメで満足するようにはならないだろうからなぁ。 可愛いの大渋滞、第11話。なんかもう、画面見ながらずっとニヤニヤしちゃうだけのアニメ。たまに変な声も出ちゃうくらい可愛い。普段から可愛いのに猫まで出てくるとコンボが強すぎる。 Aパート、「吸血鬼ちゃんと反省会」。冒頭「最近石川さんに頼りっぱなしだ」と猛省する大鳥を見た時点ですでに「善い奴すぎるだろォ!」と叫びたくなる。ほんと、この主人公は何を言っているんだ。以前からこのアニメは「阿波連さん」とよく似ていると思っていたが、ある意味で大鳥はライドウすら超える黄金の精神を持っているのかもしれない(あいつの輝き方は別次元だが)。そして、そんな大鳥に負けず劣らずの善性を誇るのが我らが月菜ちゃんなわけで。美少女の涎まみれの髪の毛なんて、単なるご褒美ですやん。いや、本人からしたらイヤなのは分かるけども。「よだれ」って可愛く言っても別な表現だと「体液」ですからね。これはこれで距離感バグってるダイレクトコミュニケーションですよ。 そうして2人であの日の夜のことを思い出しつつ、次に向かったのは打ち上げのお好み焼き屋。アニメの高校生、お好み焼き屋大好き説(前クールの「ブスに花束を」など)。みんなでそれぞれに作って分け合うなんて文化、私の周りにはなかったなぁ。そしてクラスみんなの打ち上げの座席で「女子3:男子1」で平然と座れる大鳥とかいう化け物。いや、クラス全体でもすでにこの配置はデフォなのだろうが……冷静に考えると思春期の男の子でこれを平気でやれるのって結構すごくない? そして、その座席がベストだという現実もすごくない? お好み焼き屋でのあれこれは月菜が全部可愛すぎて悶絶したが、最終的にその可愛いビームが全部楠木さんに叩き込まれることになり、今回は楠木さん大崩壊。その後の猫カフェも含めて、だいぶ大きく月菜との距離感も変わったんじゃないでしょうか。猫カフェという黄金郷(エルドラド)においてもまだ可愛さを失わない月菜の強さよ……まぁ、結局可愛さの種別が「小動物」ってことなんだろうけど。猫カフェの猫は基本的にこっちから抱っこしにいけないから気をつけろよ。あの着ぐるみは楠木が一晩で全部こしらえたんでしょうかね。 Bパート「吸血鬼ちゃんのサプライズ計画」。まさかの大鳥と月菜が離れ離れになるエピソード。普通のラブコメなら「何かちょっとしたすれ違いから喧嘩になって……」みたいな展開になりそうなものだが、今作では離れ離れになる理由も全部甘々。互いの新鮮さを増すために距離を取るという、倦怠期のカップルみたいなことをやり始めたわけだが、これが天変地異クラスの不具合を起こすってんだから、もう2人の共依存は病的なものになっているということ。人はそれを愛と呼ぶ……のかどうか微妙なところだが、クラス全員からのストップが入っちゃうくらいに見てらんない。そもそも「距離を置いたらサプライズが新鮮に」も意味わからんしな。それにしたって「月菜が大鳥の血を吸えずに不調」は分かるが、大鳥がシナシナになるのは意味わからんけどな。イマジナリー月菜を抱えてないと精神の失調をきたすレベルの依存度ということは、今後の人生で月菜と離れ離れになったらマジで命に関わるぞ。 ということで、もうこの2人に関してはEver Afterであるが、次回でまさかのパパン登場。「娘はやらん」とか言い出す展開だったらどうしよう……いや、でもあのママンの様子を見ると、多分父親も割とポンコツ寄りな人物な気はするんだよな……。 「SANDA」 6→7 またうっかり、最終話の感想で満足して総評を忘れるところだった。まぁ、毎週感想は書いていたので追記する要素はあまりないのだけど。 話題作にやや乏しく、ちょっとのめり込める作品が少なかった秋クール、そんな中でも輝く筆頭候補がこの作品となった。原作ありの作品は原作を読んだか読んでないかでずいぶん印象が変わってしまうので、今作においても原作ファン目線でどのように受け止められているかは定かでないが、初見の身からすると非常に刺激的で満足度の高い映像化だったと思う。ちなみに、映像品質に不満がなくても原作が既読の場合にちょっと視聴時の真剣さが薄れて評価が下がってしまう場合があるのは悩ましい問題だ(今期だと「シンデレラグレイ」や「SPY×FAMILY」あたりが原作既読だったのでちょいと視聴姿勢が雑になってしまっている)。 「BEASTARS」で知ってその魅力に引き込まれた板垣巴留の世界。今作でも独自のセンスは大爆発しており、「サンタクロース」というなんとも幼稚くさいメインテーマを設定しているにもかかわらず、そこから出てくる世界設定やストーリー展開がなんとも刺激に満ち溢れている。「サンタを主人公にしたバトルもの」と言われて、例えば「ソリなんかを武器に使うんじゃない?」とか、「赤い服を着たら変身するなんてのはどうだろう?」くらいなら平凡な頭でも浮かびそうではあるが、そこから「子供の願いを叶える存在ってことは、子供が敵だったら大苦戦するよね」とか、「子供との恋愛関係を主軸に考えてみようか」までいくとだいぶ危険な領域に入っていくし、「こうして子供を描くの主目的になるなら、いっそ子供と大人の違いを考えて、それこそが核となるディストピアを描いてみよう」までいくとだいぶイカレてやがる。次々に飛び出す不穏な設定は、刺激的でありながら、なぜか腑に落ちて「考えさせられる」設定になっている。このクリエイティビティはとんでもないものだ。 そうしてひねくり出されたトンデモ設定だけでもお話は面白くなりそうだが、「BEASTARS」の頃から存分に発揮されていた原作者の文学的なセンスがこれをさらに加速させる。いや、「文学的」とか言ってもあたしゃそれを評価する道具立てなんて持ち合わせてないので「なんか好き」ってだけなのだが……これ、ここで書くことかどうかはわからないのだが、私は何故か昔から「女性の描くストーリー」がやたら刺さる傾向にある。アニメに傾倒した後で考えてみても、シナリオ構成で高く評価している人物といえば岡田麿里、山田尚子、そして原作者ならなんと言っても武田綾乃。ワードセンスの素晴らしさであれば「やが君」の仲谷鳰にも痺れたものである。これが偶然なのか、単にそういう記憶だけを都合よくピックアップしてるだけなのかは定かじゃないが、この人の「寓話」の描き方は本当に機知に富んでいて愉快だと感じている。これはとても幸せなことだ。 そして、そんな愉快な物語を鮮やかに彩るのはサイエンスSARUによるアニメーションである。ひと昔前までは湯浅政明氏の悪ふざけの本拠地みたいなイメージだったスタジオだが、「平家物語」「ダンダダン」など、着実に実績を重ね、今や「個性的」では終わらないだけの実力と実績を伴った気鋭のスタジオへと進化している。今作においてもどこかユルさを含んだ以前からの「らしさ」を残しつつ、原作の狙いを忠実に拾い上げた見事な「ダーク童話」の世界を生み出している。やべぇ奴らしかいないこの世界、不思議と憎めない印象になり、適宜絶妙なポイントで笑い、泣けるのはアニメの力が大きいだろう。本当に、恵まれたマッチングであった。こうしてみると、板垣巴留はオレンジに続いてこのスタジオに任せているわけで、なんとも豪運な星の下に生まれた人物であることよ。……お父さんの方のアニメは……まぁ……ね(1つの作品が長すぎんねん)。 さて、2期はあるんでしょうか。無いと困るぞ。あたしゃ原作読んだ方がいいんか? 我慢した方がいいんか!? 「父は英雄、母は精霊、娘の私は転生者。」 4→4 意外かもしれないが、N話切りを回避して最後まで視聴するに至ったなろう作品である。まぁ、毎クール全てのなろうを切ってしまうとなろう観測が完全に終わりを迎えてしまうので、何本か「耐えて」視聴しようという意識は少しあるのだが、今作はそこまで「耐え」の意識はない。まぁ、だからとて面白かったかと言われたら色々と考える必要はあるのだけども。 今作の最大のセールスポイントは、いわゆるなろうとは方向性が異なっていること。主人公のロリっこは冒険もしないしモンスター討伐も(あんまり)しない。魔王もいなければダンジョンでレベル上げもしないし、巨乳の奴隷をはべらしてハーレムを作ったりもしない(まぁ、ロリっ子だし)。初っ端から「父親の実家に帰って身内の問題解決」というよく分からんところからスタートしたし、その後も国家レベルでの医療体制の改善という目標設定は、ベーシックなろうの中では外縁に位置するジャンルであろう。まぁ、もちろん医療ものも過去に何本かアニメ化されているので「新ジャンル」ってわけではないのだけど(残念ながら既存の作品のタイトルすら思い出せないのでここで例示できないが)、与えられたトンチキな出自の設定と、そこからのドラマ展開がテンプレからちょっとずつずれているおかげで、「一応考えて作られた物語ではあるな」くらいの認識にはなったのである。 惜しむらくは、やはりヒロイン・エレンの「元素を自在に操れる」は設定としてやりすぎというか、作者自身もコントロールしきれずにふわっとした扱いになってしまった。「元素を扱える」はイコール世界の全てを自在に御することができることになるはずなのだが、そこまでの異能を炸裂させるわけではなくてせいぜい化学室の実験の延長線上でのみ何かをやろうとしているのは逆に「転生者」の常識が限界を規定していたせいなのだろうか、結局は現代科学知識マウントを取るにとどまり、「使っている道具立て」自体は既存のなろうフォーマットからはみ出すものにはなっていない。まぁ、そこはなろうという媒体事態が求めているものが決まっているので動かしようがなかったのだろうが……この設定とストーリーの方向づけができるなら、きっとなろうテンプレを使わずとも物語は作れたんじゃないかな、という残念さがある。いくらか発展的な「残念さ」ではあるよ。 加えて、「無限ガチャ」に続いてこちらもJ.C.STAFFの作画ということで要所でのキャラデザの締め方もいくらかプラスに計上してもいいだろう。ただ、なんかモーションの付け方にちょっと癖があるというか、なんか既存のツールみたいなのを使ってる感覚はあったのだが……この辺は各アニメスタジオがどういう処理機材を導入しているのか分からんのでなんともいえない。大手スタジオは、今後どういう画面の構築を目指していくのか、ちょっと気にはなるところですな。 「ガチアクタ」 6→5 ごめん、先に白状しておくと、あんまり真面目に観られなかったです。おかげで評価軸を見失ってしまい点数を下げざるを得なかったのですが、これは多分に私自身の責任な可能性があります。ファンの方には本当に申し訳ない。「途中から雑に観てるくらいなら視聴やめるか、せめて評価文なんか書くなよ」と思われるかもしれないが、記録の意味で何かしら出力せねばならない性分なので、そこだけご容赦願いたい。 「いや、もしかしたら雑な視聴姿勢になってしまった理由が作品にあるのかもしれないぞ?」という目線でマイナスポイントを検討しようかとも思ったのだが、胸に手を当てて聞いてきたところ「……放送スケジュールが過密すぎる土日の最終盤に放送してたもんで体力的にキツかっただけだな……」という結論に。今期はさ、感想執筆作品が土日周りに集中してたもんで、まともに処理しきれなかったのよ。そんな中での「まぁ、感想書くほどではないか」作品はどうしても集中力が続かない。これは作品の責任じゃなくて私の視聴姿勢が悪いだけなのである。……本数はある程度削ったし、一昔前ならこれくらいの情報量は集中して処理できたものだが……加齢で体力が減衰してるからなぁ……。あと、もしかしたらおっさん世代でもいわゆる「ショート動画症候群」みたいな症状で集中力を削がれているのかもしれない。最近、アニメ見ててもどっかでPCいじりたくなることが増えた気がするし……由々しき事態である。どこかで療養したい。 閑話休題。単なる愚痴と弁明に終始して今作の感想ゼロは流石にまずいのでちょっとずつ触れていくと、個人的には今作は「桃源暗鬼」と同じカテゴリに入ってるんですよ。少年漫画原作で、ダークテイストの能力バトルもの。主人公が「堕ちた」立場というのも共通している。そして差分があるとしたら、「桃と鬼」というヘンテコな設定で簡単な二元論にまとめた「桃源暗鬼」と異なり、こちらの作品は世界設定に複雑な部分が多く、オリジナルの用語も多ければ物語に絡む勢力の数も単に2つでは終わらない。その辺のちょっとした複雑さは、普通なら「色々な刺激があるなぁ!」という面白みにもつながるはずなのだが、上記のような集中力が欠如した状態だとちょっと追いかける時の負担になってしまった。キャラの数もかなり多く、どれが誰だったか分からなくなっちゃうと週一の視聴スケジュールでついていくのも大変である。 ……いや、でも普通に考えたらそれって「いい要素」だよな……キャラの濃さとか、変態的な性格描写のクドさは普通に魅力的には映っていて、だいぶ思い切って露悪的なキャラも描いているのに、最初から「ダークに描くよ」っていう前提でスタートしているので余計なまでの暗さになりすぎず、それなりのアツさになったり、ギャグに転化できたり、設定を作り込んだ分の見返りはあった作品な気がしている。加えて地下世界のドロドロとした暗さや「ゴミ」の汚らしさといった作品のキーポイントは映像としてしっかり表現されているし、アニメとしてのクオリティはどちらかといえば高い部類。そう思うからこそ、冒頭で「ファンの人、ついていけなくてごめんなさい」という謝罪が先に出たのである。 現状、2期の制作も発表されているし、反省と対策として原作にあたっちゃうのはありかなぁ、とは思っている。……ここで「録画分を見直す」っていう選択肢を選べないあたりが私の弱さだな……。
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プロフィール
HN:
Thraxi
性別:
男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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