|
最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「転生したらスライムだった件(第4期)」 ー→4 もはや何も語ることができないくらいの距離感になってしまったのだが……一応視聴完了のお知らせまで。ぼちぼち、次シリーズからは手をつけない方がお互いに幸せかなぁ、とか思い始めている。 作品の良し悪しを語るにはあまりに適当な接し方しかしてないので、しょーじき内容なんてほとんど追いかけてない。ビッグタイトルだからってんで一応は観てるフリはしていたが、すでに前クール、なんなら前々クールあたりから話なんておっかけちゃいなかったのかもしれない。その上で、何かインスタントな刺激があればありがたいし、視聴モチベが回復する可能性もあるかと縋りついていたのだが、残念ながら今期はそうした動きはなく、より混迷を深める結果となってしまった。 前クールの「会議アニメ」からは脱却したが、今期クライマックスは謎のタイムリープ展開。まぁ、長期シリーズになって新たな刺激を入れるとしたらこういうギミックを使うのが手っ取り早かったのだろうが……タイムリープものってさ、それだけで作品構造が決まってしまう諸刃の剣だし、なろう以外の媒体も含めて、擦られまくってすでに塵と化してしまっているジャンル。長大なストーリーの一片として片手間で取り扱って得するようなものではない。余計なややこしさを孕んでシナリオがぐちゃぐちゃになってしまうリスクを抱えながら、安易だという印象を与えてしまうというデメリットばかりが目立つことになってしまう。よりによって今期はその手の作品の本舗である「リゼロ」と同時期に放送されてしまったこともあり、「なんでお前らがそんなことしてんだよ」というツッコミの対象となってしまった。 いや、ちゃんと観てたら筋が通ってて刺激的な素晴らしいプロットだったのかもしれないが……遺憾ながらすでに私はそれを判断する術がない。そうしてシーズンごとの推し要素が受け取れないと、やっぱり基本構造の時点であんまり楽しいと思えてない作品ではあるんだよ。やっぱ主人公とその判断器官(天の声)が分離してる構造は単なる「無責任」なんだよなぁ。何もかもがオートで進行するゲームは確かに現代らしくはあるんだろうけど。さらに同時期に「天の声」(もどき)に思いっきり裏切られる「無職」があったもんで、こっちのお花畑感が際立つことになったのもなんの因果なのか。 まぁ、5期目が始まったらその時に改めて接し方を考えますわ。 PR 「令和のダラさん」 6→7 今期の「毎週感想は書いてないけど良いと思いながら観てた作品」2つ目。そしてこいつはギャグとして思い切りドはまりしてたので、ちょいとタイプは違うが今期のヒーラー枠と呼んでしまってもいいかもしれない。ちなみに、序盤に1回「感想書いたのにブログにupするの忘れてた」というタイミングがあり(多分デトックス期間)、あまりのショックで感想書かなくなっちゃったというどーでもいい裏話がある。趣味のブログで記事のお蔵入りとかあるんや。 とりあえず、1話目で面白いと思った要素が素直にそのまま伸びた作品で、とにかくギャグのテイストが肌に合ってそのままの速度で走り抜けた印象。強大な力を持つダラさんを取り込み、超絶ハイスペ姉弟が「またなんかやっちゃいました〜?」と無双する話と解釈できなくもないのでベースになろう的チート成分も伴うのだが、今作の本質はそこじゃないので無問題。むしろ全能者たるダラさんは毎度毎度振り回されて困る役ばっかなのでチートでもなんでもないよな。土地神にマジレスさせ続ける三十木谷姉弟のスペックがおかしいだけや。 本作はそうした「土地神かわいがりギャグ」をベースにしきつつ、結局最後まで必ず1話の中で過去話も並行して走らせ、ドン引くくらいにダークで救いのない過去の怪談話も描写するのが最大の特徴。ダラさんの地獄のような末期を考えれば「何わろてんねん」クラスの話なのだが、その辺りを飲み込んじゃうって話は最序盤で結論が出ており、「これはこれ、それはそれ」でシリアス怪異ものと現代怪異ギャグが全く同じ熱量で垂れ流される異様。そのくせ何かがブレてるという感じにもならず、ちゃんとダラさんを中心に1本の物語として成立しているのが綺麗だ。よくもまぁ、こんなトンチキな構成を思いついたもんである。 異常者たちが全員ちゃんと異常者でどこを拾ってもキャラが濃いのはギャグとして秀逸だが、やはり個人的にはそれらを牽引した中の人たちの頑張りに触れなければいけない。1話目からずっとage続けてるんだけど、作品の空気を支配し続けていたのは間違いなく薫役の寺澤百花。なんでこんなクソガキテイストが似合いすぎる声なんだろう。今期はわがままショタっ子役を同時に2役こなしており、どちらも存在感があって実に良い「弟気質」を発揮してくれている。もちろん、そんな寺ちゃんのやりたい放題をブーストさせている日向役の津田ちゃんもいい仕事。津田ちゃんも今期は「姉」役で2キャラ担当してるが……これは温度差が凄すぎてあんまり比較できんな。 他のキャラもいちいち濃くてエグくて笑える連中ばかりだが、途中でちょっと触れたけどおろちこと谷跨斑の芳忠さんがまた可愛らしくてね。「でこぼこ魔女の親子事情」で推してた土師さんフェニックスに近い美味しさがある。蛇ってもしかしたら可愛いのかもしれん。 今作は原作の展開からして2期はそうそうなさそうだが、当然「原作読みたいな」作品にはカウントされてます。どうしようかな……。 「ヤニねこ」 4→4 今作の最大の功績は「稲田徹の実写態をフル活用したこと」じゃなかろうか。まぁ、東映作品でも実写出演したりするけども。稲田さんもノリノリだったし、おっさんが50を超えて人生初グラビアを撮影したり、そういう稀有な経験を与えるアニメだと考えると、なるほど特殊な立ち位置に意味はあるのかもしれない。 でもまぁ、話題性の高さから一応最後まで眺めてはいたが……1話目で抱いた「この作品が嫌いだ」という印象が変わることはなかった。そりゃそうだ、「生理的に無理」は生理が変わらなかったら更新されないんだから。いろんなところで俺には「無理」が揃っていた。個人的な嗜好でいうと、結局私はどこまでいっても「はみ出せない」人間なのだろう。モラルに反した人間を「ただそのハズレた様子を見るため」だけに描写されることが嫌悪にしかつながらず、全く笑いには転じなかった。別に社会道徳に反することを描写するなということではない。わたしゃ殺人を扱ったミステリが大好きだし、アニメによく出てくるサイコな殺人鬼とかを気に入る時もたくさんある。ただ、それはフィクションという分厚い幕の向こうに置いとくから安心して楽しめるわけで、今作における「クソ野郎ども」は「フィクションですよ」という免罪符を振り翳しながら、描写に「日常感」を求めてもいる。これだって所詮はフィクションなんだから笑い飛ばせよ、と思われるかもしれないが、残念ながら単に何かが「劣る」というだけで人を笑う感覚はだいぶ鈍い。 いや、違うのかも。もしかしたら、私の生活がどこかでヤニねこたちの生活ですら「嘘と言い切れない」くらいに汚れて乱れているからこそ、何かを自分に引き寄せて嫌悪感を覚えているのかもしれない。……そう考えるとちょっと立ち直れないな……。いや、そこまで俺も人として堕ちちゃいねぇよ……そう信じたいよ。 今作を笑い飛ばしてすぐに忘れられる人は、きっとこれをフィクションとしっかり区分けできる幸せな生活を送っているのだ。そういう人たちは、その分厚い幕の存在を大事にしてほしい。獣人たちの荒んだ生活は、意外と身近なところに転がっているのかもしれない。 「スーパーの裏でヤニ吸うふたり」 4→4 まー、印象は特に変わらず。もしかしたらこういう話を求めている人はいるかもしれないなぁ、という他人事のような理解はありつつも、少なくともその誰かの中に俺は含まれてないな、という気持ちが変わることはなかった。 「だらだらするだけの会話劇」って別にあってもいい作品構造ではあるんですよ。最近だとフードコートでだべってたJKがいたし、伝説に残るきららアニメ「ゆゆ式」だって面白さのほぼ10割が会話劇。アニメにする意義が薄いんじゃないかという疑問は常につきまとうが、決して「意義がない」フォーマットではない。逆に難しいからこそ、アニメにした時の創意工夫が輝くジャンルとすら言えるかもしれない。 ただ、今作はそうして振り切れた「会話劇」で終わるものではなかった。焦点は「会話劇」というよりは「ラブロマンス」にあって、まだるっこしい関係性でいちゃいちゃしている佐々木と山田を見守ることこそが本作の主軸。そうなると2人の人間性は会話劇の時以上に重要になってくる。そして私は、主人公の佐々木という男のメンタリティがどうにも理解できずに最後まできてしまったのである。よく揶揄されるのは「おっさんと若い子がいちゃつく話でおっさんが感情移入できるように作られた非現実さえないおっさん像」っぽいキャラ。ただひたすらに善人で、鈍臭いくせにズレてるポイントが変なとこで女の子に刺さる。「自然体で行動しててもいつの間にか女の子を気にさせちゃう」という理想の中年男性像。そして、そんなキャラを掘り下げれば掘り下げるほどに、非現実が加速する。 対する山田も非現実っぷりは突き抜けており、やはり「漫画だから」と言われても山田と田山の一人二役の無茶さはだいぶリアリティラインを引き下げている。佐々木の善人っぷりに負けず劣らずの「んなわけあるかい」要素で、そこを嘘だと思いながら見ると、喫煙所の対話劇をどこまで「等身大」にしたところで、近さや親しさを覚える以前に胡散臭さを感じ取ってしまうのである。 まぁ、まとめると「こんなおっさんが可愛い女の子に惚れられてるのは許せねぇなぁ」というやっかみだけなのかもしれませんけどね。俺多分タバコ吸ってる女の子とは一緒に過ごせないだろうから別にいいや(負け犬ハウリング)。 「お前のは分かりにくいんだよ」最終話! さすが義満公、言いにくいことをばっさりと言ってくれる。でも、ほんとそう。そして芸能の機微なんてもんは、得てして分かりにくいもんでして。 これにて仕舞いかぁ。ふむ、分かるようで分からない、でも少し分かるお話でしたね。多分この分かりにくいいかにも日本的な決着(?)について、少しでも説得力を増すための方策として「犬王との対比構造」が組まれたのだろう。犬王が見せたのは徹底的に個人の技術に依拠した文字通りの「一人舞台」で、卓越した犬王の身体能力がなければ実現し得なかったもの。当然その超絶技巧に人々は魅了されるし、「国が支えるべき舞の文化」ってのはこういうもんだと思わせるだけの説得力があった。そりゃ義満だってこっちの方が好きだ。 対する鬼夜叉は、そんな犬王の舞を見て以降ずっと自分の立ち位置に悩まされてきたし、いうことを聞かなくなってしまった自分の身体にもなかなか折り合いがつけられていなかった。しかし、悩んだ末の実家で気づくことができた「初心」。そこには猿楽のいろはを叩き込んだ父がいて、切磋琢磨してきた石也が、五郎がいた。周りには舞の修練を重ねる小さな子供もいて、脈々と受け継がれる観世座の歴史が息づいていた。 そこで単に「この座の伝統を守りたい」で落ち着いていれば鬼夜叉も単なる人の子で終わっていたのだが、そこからもう一歩進めたのが彼の歴史的な偉業なのだろう。「良いものは守らねばならぬ。そして、守るためには変わっていかなければいけない」。彼が初心に戻って得た結論は、自分の身体性を超えたあらゆる「座を取り巻く環境」、否、「猿楽という文化を取り巻く環境」を全て飲み込んだ上で、それを再出力して舞の形に残すこと。そしてその形状に名前をつけてやること。個人で作る舞には限界があるが、形成と継承が進めば、それは身体の檻を破り、歴史・文化に根付く「形」となっていく。そして今、その形には「能」という文字が当てられている。 今回の舞台で、鬼夜叉の狙いが一般大衆に届いたかどうかは定かではない。客席にはブーイングと共に帰っちゃうお客さんもいたし、「遅すぎる」シーンなど、どうしたって頭でっかちで理解の及ばない場面もある。おかげで義満にはあんなことを言われてしまったわけだが、少なくともこれまで猿楽を見守ってきた人間たちには、鬼夜叉の思いはいくらか届いたようである。千晴、増次郎、そしてコガネ。全ての出会いを巻き込んだ鬼夜叉の人生は、次第に鬼夜叉という個を離れ、「風」の「姿」を「花」と成し、「伝」えられるべきものとなっていく。とてもではないが一個人が大成させられるものではないだろうが、鬼夜叉の目指す「良い」形とは、時代のくびきを飛び越えて、未来へと伝えていくものなのだ。 成ったか、成らずか、鬼夜叉はそれを感じて人生を送ったのだろうか。判断すべきは、数百年後の未来に生きる、我々なのかもしれない。 「幼女戦記Ⅱ」 ー→5 あの終わり方で3期の発表無いことあるんやな。どうみても「Ⅱ」が消えてその後ろから「Ⅲ」が浮かんでくる演出だと思ってたのだが……1期との間隔を考えると、3期の放送は2035年ごろです。 うーむ、時間とは残酷なもので、1期の時は大いに楽しんでいたこの作品も、久しぶりに始まったらなんだか目の前を通り過ぎるだけになってしまい、あんまり感想を書きたいと思えるような作品ではなくなっていた。これがねぇ……結構不思議なことで、アニメーションのクオリティは全然落ちてないんですよ。むしろ準備期間が長かった分リソースは追加されてるんじゃ無いかと思えるレベルで、話数によっては劇場版と見まごうダイナミックな戦闘描写が実に見事。1期も劇場版もその凄絶な戦争風景の強さで人気を勝ち取ってきた作品なのだから、映像で見劣りしないなら1期と同じくらいに盛り上がり、楽しめて然るべきである。 ただ、何故かそうなってない。心がそこまで踊ってない。これはもちろん「1期のお話を忘れちゃってるから」というのもあるのだが、それ以上に2期のシナリオラインが地味な部分が多かったのが最大の理由じゃなかろうか。2期の主人公、もはやターニャじゃなくてゼートゥーアさんなのよね。物語としてはゼートゥーアとルーデルドルフのおっさん2人の友情物語が8割で、幕引きもそのためだけに花道が用意されていた。いわば今作は「幼女戦記Ⅱ」ではなく「おっさん×おっさん戦記Ⅰ」だったのである。 まぁ、今作の魅力の1つに「渋いおっさん大集合」があるので、そこを押し出された作劇でも何にも間違っちゃいないのだが……でも、やっぱり「戦記もの」としての画面は地味になるよね。腹芸の出し合いとジジイマインドの意固地さの戦い、むしろ共感性は上がってる気もするんだけど、戦時下のノンストップ軍人とマインドを共有するわけにもいかず、結局は一歩引いて「おっさん達可哀想やな……」と思うぐらいしかやることがないのである。おっさんが始めた戦争でおっさんが死んでいく様子……なるほど実に地獄絵図だ。 でもまぁ、今回のお話がちゃんとアニメとして放送されたことは意味がある気もしている。こういう言い方をすると大変失礼な部分もあるので先に謝っておくが、ルーデルドルフ役の玄田さんが元気なうちに見せてもらえたことが嬉しいのである。玄田さん、以前体調を崩して休養してたこともあるし、お歳がお歳なのでどこまで頑張れるか分からない。でも流石に今作のルーデルドルフは玄田さん以外に考えられない。お元気なうちに素晴らしい仕事を見せてもらいました。(芳忠さん、まだまだ頑張れ)
さすがにエージくんの扱い悪すぎやしないですかね? まー、やってきたことだけ見れば極悪人には違いないので真っ当な末路ではあるのだが……。 立て込んでるので最終話感想も込みでの総評となるが、常々思ってたことを一言でまとめると「なのはじゃなくていいよね」なのは間違いない。最終話でも結局ヴォルケンリッターにセリフまわってこなかったし、懐かし要素とかもほとんどなくて肝心のなのフェイも終始バックアップ係で舞台装置と化している。流石に看板に掲げた作品での扱いではないだろう。 ただ、これは別にそういう構成が悪いってわけじゃない。なのはシリーズが作り上げてきた「サイバーマジカル」な世界観で新しい作品をやりたいというモチベーションは理解できるし、いつまでもなのはさん達を擦り続けるにも(彼女達の出世が早すぎるせいで)不都合な部分もあるだろう。全く新しい世代の話で仕切り直し、物語を紡いでいくならそれはそれでいい。今回のお話だって、シイナとトワの物語としては(あんまりひねりはなかったが)問題なく成立しているのだ。ただ、それなら看板の書き方は一工夫あってもいいんじゃない? って話。以前「なのはForce」の時に「魔法戦記」というタイトルになっていたので、いっそこの「魔法戦記」というのを「なのはさん達が戦いを繰り広げる次元」という解釈に当ててしまい、「魔法戦記プレデターシイナ」とかでも良かった気がするのだ。……まぁ、それだとオリジナル扱いで客が呼べなくなってしまうのかしらねぇ。 そういうわけで名付けとコンセプトに引っ掛かりは残るが、結果的に出てきたドラマについてはとにかく「ふつー」という以外にない。そこそこに熱血、そこそこにお涙、そこそこに友情、そこそこにキャラ萌え。……やっぱなのは/フェイトの出番削って新キャラの掘り下げに使った方が可能性はあったかもしれんが……。少なくとも全般的な筋立て自体に不足はない。いや、ぶっちゃけ最終話だけ見ると「なんで最終決戦でよりによって篠宮の意志が介在しないバトルになるんだよ。今作で見るべきは篠宮の執着だけだったろうが」という不満はあるのだが、これは中盤から「篠宮くらいしか見たいキャラがいないんだけど」という偏りが生じてしまったせいなので、真っ直ぐシイナたちの結末が見られてよかったじゃん、という評価もあることだろう。その辺は好みの問題かも。あくまで「なのはシリーズ」とするなら、救われ、生き延びた人たちの物語に筆を割くべきなのは間違いないので、別にこの結末が間違っていたとも思わないし。いや、でも最後に勢い任せで非戦闘系のユズまで戦場に飛び出してたのはおかしいやろがい。完全に絵面優先である。 なんか「その辺のソシャゲのイベントシナリオの1つ」みたいで個人的に刺さりはしなかったが、もしかしたら届いたファンはいるのかもしれない。勝手に想像してみたんだが、これ、同じくらいのクオリティで扱ってるのがシンフォギアだったら俺は満足してた気がするし。そういうもんやで、長寿IPで食い繋ぐってのはさ。 「対ありでした。〜お嬢様は格闘ゲームなんてしない〜」 6→6 原作既読なもんでそこまで身を入れて視聴できていたわけではないが、取りこぼし無しと判断して評価は据え置き。まー、変な作品だったのは間違いないけど。 本作を評価する際の焦点の1つは「スト6実写の扱いをどうみるか」であろう。原作では架空のオリジナルゲームで対戦していたところを、余計な説明を廃して分かりやすくするためにカプコンと正式に提携し、ゲーム部分を全て実在するスト6の話にリライト、その結果アニメの対戦画面は全て実際のゲーム画面をそのまま取り込んでいる。この変更……というか「処理」を是とみるか非とみるか。個人的には、長短あれど最終的には「是」で取った。 一番のポイントは何といっても画面の分かりやすさだ。実際のゲーム画面はいわば「実写」であり、これ以上ないくらいに「格ゲーの機微」を表すことができるツール。私のように格ゲーの細かい要素が分からない素人でも、実際のゲームにがっつり解説をつけてくれれば理解しやすくなるし、最低限「見たことがあるもの」ではあるため、知らんものを初めて見るようなハードルも下がる。また、本作の阿漕な見どころの1つは「お嬢様たちが全く不似合いな格ゲーをガチでやるというギャップ」であり、アニメの画面としてもゲーム画面を「異質なもの」として取り込むことで通常の画面と対戦時の画面でギャップを生み出すことができる。もし、格ゲーシーンも1から作画で作っていたら(流石に労力が桁違いだろうし)このような「異物感」の演出にはつながらなかっただろう。きっと原作者も作って欲しかった「動くこの作品」はこの画面で良かったんじゃないかと思えるものだった。 アニメ部分に大きな加点は無いが失点はなく、理屈抜きのスポ根演出も方向性はマッチしている。ユルくなってしまうのは主にモブが出しゃばる部分とかなんだけど、その辺は元からギャグ要素としても取り上げられるべき部分なので、「ガチお嬢様」と「それを見守る変なモブ」という部分でもギャップのメリハリが効いていたのは正しいディレクション。「主人公たちのすごさをモブに語らせる」といういわゆるワンピース的(?)演出は最近では賛否が分かれたりするが、今作においてはそこをまるっとネタ扱いしてうるさくならないように(うるさくても許されるように)しているのは面白い部分じゃなかろうか。いや、それにしたって刃牙パロ軍団が大活躍しすぎだったとは思うけど。結局なんだったんだよあいつら。 さて、こうなると気になるのは2期があるかどうかですわね。1期で綺麗に終わるようにエピローグを紡いでしまったのでこれで完結でも文句はないわけだが……反響次第では続きもありそうよね。格ゲー業界が熱視線を送って……るかどうかは知りません。どうなることやら。 「炎の闘球女 ドッジ弾子」 5→4 なんだか残念なことになってしまった。基本的には画の失点ではあるが、作品の軸がブレたのか、はたまたコロコロ的な素養が私になかっただけなのか。 1話目の雰囲気の時点でギャグ強めの作品になることは分かっていたのだが、まずはそのスカしを含めたユルめの要素が「理屈の抜きのバカ熱血スポ根」と微妙に相性が悪い。理屈抜きでのスポ根をやるのだったら、「それが価値のある世界」を構築すべきなのだが、ベースがギャグだとそうした精神論がおバカに上書きされてしまう。さらに本作はギャグ+エロという追加要素まであり、ますます「ガチ」で見るのは難しい状態。視聴中にどのテンションで観るのが正しいのかが分からなくなってしまった。 まぁ、そんな小難しいこと考えずにバカギャグとして享受しておけよ、と思われるかもしれないが、作中でしばしば引用される「旧作」の雰囲気がそれを阻害する。旧作の絵は基本的に原作漫画をそのままピックアップしているのだが、この絵が非常に魅力的で、一世を風靡したドッジ漫画としての説得力がとにかくすごい。熱血スポ根漫画の絵柄として完成しているし、そこで匂わされている白熱バトルの内容も面白そうだ。そうして「先代」の真面目さ、アツさがたびたび引用されるせいで、今作のユルくなってしまった部分が殊更に際立つことになり、「ふざけてんなぁ」というのがプラスに働かなくなってしまう。時代の要請か、時代を経たことによる気まぐれか。どうせだったら旧作路線で突き抜けてくれた方が価値があったんじゃないかと思ってしまう。 そして、この「絵的にも」という部分で致命的だったのが作画の低迷。最初のうちは「まぁ、ギャグアニメなら……」と許容できていたヘロヘロ作画が、回を重ねるごとにひどくなっていき、「ギャグだから」で済まされないショボさにまで落ちてしまった。これは原作に責任のある部分ではないので残念無念という他ないが、「ギャグと称してスカされてしまった」というがっかり感に拍車をかけたのは事実。見せ方次第では充分に味のある作品だったと思えただけに、この結果は非常にもったいなかった。 一応、「可愛い女の子キャラのイチャラブもの」という視点で見れば濃密なライバル関係とかもあっていろんな味わい方があったのは救いかもしれない。ちんこの存在はおっきな発明だったのは間違いないし、チームメイトは皆魅力的なポテンシャルを持っていたとは思う。……いや、冷静に考えてキャプテンの体型は単なるバケモノだが……。 |
ブログ内検索
リンク
最新記事
(09/30)
(09/30)
(09/30)
(09/29)
(09/29)
(09/29)
(09/29)
(09/28)
(09/28)
カテゴリー
プロフィール
HN:
Thraxi
性別:
男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
アーカイブ
|

