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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「男女の友情は成立する?(いや、しないっ!!)」 5→4 だからしねぇっつってんだろ! それ以外の結論なんてあるかよ! とりあえず、今作においても今期の他の作品と同じく、最初に「作画がさぁ……」という話から始めなきゃいけないのがとても辛い。ラブコメラノベなんてヒロインたちが可愛く描けてナンボだというのに、途中で作画が力尽きて悪夢みたいな映像がちらほら。過去に似たような地獄を味わったラノベアニメがたくさんあった気がするのに、人類は何も学んでいない。J.C.STAFFなら大丈夫だと思ったが、限界ってのはどこで訪れるか分かったもんじゃないですね。 この作画ではどう足掻いても加点は無理。そして筋立てについても取り立ててみるべき点はなく、こんな思わせぶりなタイトルで煽られるほどのこともない。個人的に一番の問題だと思ったのは、一番大事なメインヒロインの日葵が、あまりに「女友達」という存在を考えすぎたせいで恋人や友達の枠を飛び越えて単なる人格破綻者になってしまったこと。たとえば遥か昔から「ツンデレ」と「暴力」の関係性って議論されることがあるじゃないですか。ツンデレって言えば聞こえはいいが、何かにつけて暴力を振るうヒロインの何がいいものかと。あたしゃ戯画的な暴力描写にそんなに目くじら立てなくてもええやんけ、と思うスタンスの人間だが、似たようなトラブルを本作は孕んでいる。今作においてはツンデレが「女友達」というステータスに置き換えられ、「何かにつけて粗野な態度で侮辱してくる」という態度に変換される。余計なまでに関係性を縮めないようにする日葵の態度は、戯画的なレベルを超えて単なる「腹の立つやつ」になっている。そこにヒロインとしての魅力を与えるための二面性の描写は非常にコスパが悪く、どう頑張っても埋め合わせは効かない。おかげで最終的に「美少女だから」という一番ズルい免罪符を振りかざすことになる。 結局、分かりやすい「女性として意識せずに済む女友達」という描写を「粗野」という性格設定でしか表現できないのが問題なのだ。世の男性が追求している「女友達」は、結局のところ「見た目が女性なのに性格がまるきり男」な存在なのだろうか。過度にふざけ合って神経を逆撫でするだけの存在なのだろうか。おそらく違うだろう。最終的に「(いや、しないっ!!)」の方に帰結することは分かっているとしても、もう少し「理想の女友達」という概念についての思索を深めてみたかったが、残念ながら、今作でそれは叶わなかった。 まぁ、「ラノベ相手に何をガタガタいうてんねん」と言われたらそれまでなのだが……でも、過去にはラノベでも最低限の思索に耐えうるちゃんとした「小説」もあったと思うのよね。いつの日か、また新しいラノベ文化に出会えますように。 PR 「ゴリラの神から加護された令嬢は王立騎士団で可愛がられる」 5→5 カリッサさんが最後まで健気でよかったですね。 今期なろう作品の中では一番「不可がない」作品だったかな。まぁ「不可もなく」の前には普通は「可もなく」がつくわけで、あんまり褒める時に使う表現ではないのだけど、でもなろう作品を評する時に「マイナス要素が少ない」って、それだけでプラス要素なんですよ(禅問答かな?)。 チートをもらったヒロインがそれをぶん回して最終的に王子様とくっつくお話。それだけ聞いたらそりゃまぁなろうでしょ、って言われるかもしれないけど、これって別になろうのフォーマットに限った話じゃなくて、「天から授かったギフトで世界を救いましょう」っていうより一般的な英雄譚なんですよ。確かにゴリラの設定を都合よく使いすぎてる部分はあるけど、「力強い! 動き速い!」という単なるバフだけなので、ここまで来ちゃうと余計なこと考えなくて済む。戦略も策謀もなく、敵が来たら殴ればいい、解除できない爆弾があったら空高く放り投げればいい。暴力、暴力こそが全てを解決する……。そして、普通なら「またやっちゃいました?」がイラッとポイントになるところも、確かに妙齢の女性が「単なるパワー」をいきなり与えられて暴れ回るのを躊躇するのは気持ち的に理解できる部分であり、「こんなことしたくないのにっ!」というモチベの描写も無難なもの。総じて、「この設定ならまぁ、納得できるな」の範疇なのだ。納得が及ばなかったのは1話目時点で書いた「じゃぁこの世界のリアルゴリラってどこでなにしてんねん」みたいな話くらいで、それだって「いや、別にどうでもいいやん」と言われたらそれまでなのだ。 「単なるパワー系女子が頑張る話」はそこまで面白くもなさそうだが、いちいち恥ずかしがるヒロインの立ち振る舞いはそこそこ可愛いし、一応は「○○の加護持ちだぜ!」と言って出てくる新たな能力披露なんかもちょっとしたフックにはなっており、すごくユルいジュウオウジャー、いや、人の形をしたけものフレンズだと思えばネタもそこそこに。あとは性根の優しいソフィアの周りに自然に人の輪ができていくところに良さと納得を得られるかだけである。私の場合は「映像もちゃんとしてるし、別になんも悪いことしてないからな」というので冒頭の評価に落ち着いたわけだ。 改めて確認するけど、アニメを見てわかる通りに今作はすでに完結しており、執筆期間も1年程度とだいぶコンパクトにまとまっているのだ。世のなろう作品も、まずこれくらいの規模で身の丈にあった程よいシナリオラインを書くところから練習してみるのがいいんじゃなかろうか。……誰目線でのコメントだ? 「魔神創造伝ワタル」 4→5 真面目にふざけた作品だった。ちゃんと責任を持ったおふざけってのは、子供向けアニメには大切な要素だとは思っています。 初期評点の低さの理由が「明確に子供向けなのでNot for me」ということは最初に書いていた。その上でやや上げめにして評価しているのは、上述の通りに「子供向けなりの責任を果たしてくれていた」と思ったためだ。責任というのは、シナリオラインのまとまり、そして2クール通しての作画クオリティの維持の2点についてだ。 「動画配信者」という、現代の子供たちが最も関心を持っている(と言われている)テーマを徹底的に擦り倒し、そのジャンルにコミットしている子供であればウケそうな展開をしっかりと維持している。いや、おっさんが作ったものをおっさんが評価しているだけなのでリアルキッズにとってどれくらい面白いかは分からないのだが、いつの世も子供の感性ってものに共通するものがあるとするなら、ある程度は「面白さ」につながっている要素はあったと信じている。こういう時って半端にすり寄るような姿勢が一番格好悪いものだし、思い切り「YouTubeネタ」に振り切ってそれだけで2クール貫き通したというのは勇気ある判断だったと思うし、意義のあるものだったとも思う。 プロットにしても、どこか現代劇っぽい斜に構えたところがありつつ、例えばショウとマイガーの存在など、真っ当な御涙頂戴のドラマがあり、意外性を孕んだどんでん返しあり、真っ当に見ていればドキドキに繋がりそうな要素は豊富。多分30年前ならたっぷり1年かけて繰り広げるであろう「異世界サーガ」を2クールで走りきっちゃう「出し惜しみなし」の姿勢も、多分に現代的な「ファストな」造りだ。まぁ、おっさん目線ではちょっとその辺りに「もう少し情緒を……」みたいな気持ちはあるのだが、多分これは時代の速度についていくのが大変なおっさんの泣き言なのだろう。 別路線でおっさん目線での不満というか不安があるとしたら、「あまりメカの魅力にフィーチャーできてなかったな」という部分はある。これもキッズにどう届いているかは分からんのだが、かつて私自身が心躍らせた幻神丸の魅力だとか、堂々たる龍神丸の格好良さみたいな部分について、今作はあんまりメカの魅力を追求した話作りにはなってなかったので、あんまり印象に残らなかったかなぁ、という印象。メカ戦闘は全てCG処理なのでそこにことさらに意味を置くことが難しかったのかもしれない。でもまぁ、これもまた現代的な感覚でそう思うかは分からないからね。 なんとなくの雰囲気なんだけど、制作側としてはこの1作だけでこのタイトルを終わらせる気はないんじゃないかな。ここから改めて「創造伝ワタルⅡ」みたいな展開は普通にありそうだし、その「あそび」を残したデザインでもあった。新時代にもワタルというタイトルが生き残っていけるのか、それはここから先の世代の子どもたちが判断するのだろう。 「俺は星間国家の悪徳領主!」 4→3 こちらの作品を切らずに最後まで観ていた理由は……①一応はSF設定の部分だけでも他と差別化できている可能性があったから。②しゃま。③しゃま。④しゃま。 てな感じで最後まで観てはいたが、まー、一点突破で低減できる不快感にも限度はあるわけで……今作についてはマジで「なんか中学生が書いてるみたいなシナリオだな」とはずっと思ってる。全体的なプロットもそうなんだけど、いちいち細かい台詞回しとか、用語の使い方とか、多分、これ書いてる人って別にSFフォロワーじゃないよね。本気でSFやりたい人が書けるシナリオじゃないよ。 いや、別に「SFらしからぬ」が大きな減点ってわけじゃないですよ。でもどこかで見た展開と理屈抜きのご都合主義、とにかく目先のザマァのためにだけ繰り広げられる即物的な展開の数々を物語とは呼びたくない。今作はいわゆるラッキーマン設定なのだが、その理由が何一つ無いくせして好き勝手やってる時点で何かしら説得力のある世界を描こうとしているとは思えない。裏に「暗躍する子安」をおいて「運命のネガ方向への動力」を設けているのに、それを乗り越えるラッキー要素が何の後ろ盾もないものなので、「作者目線での物語への介入」に何一つクッションを挟むことなく「作者がこうしたいからこうしています」というだけの物語の表層しか見えてこない。これ、原作小説はいったいどんな状態になってるんだろう。 一応アニメ化することによってSF的な虚飾を施して誤魔化せる可能性もあったのだが、当然なろうアニメ的な作画クオリティはお察し。何か拾うべき要素が無いかと必死に探した結果、直前で言及した通りに「エロスーツ竹達のキャラはちょっと面白い」でエンド。 「小市民シリーズ(第2期)」 ―→6 さて、最初に宣言をしよう。私は今作を認める姿勢を示す。長年にわたる「私とよねぽ作品」の劇的雪解けである。いや、こっちが勝手に意固地になってただけなんだけど。過去の感想は別に変わらないし、今回だってかなりビミョーなラインを攻めてはいるのだが、自己の変遷を可能な限り客観的に内省したところ、今作は面白かった。さて、何が変わったのか、今から無理やりでも理屈をつけていこう。 改めて確認しておくと、私は米澤穂信作品が嫌いだった。その端的な例が「氷菓」であり、京アニ+佐藤聡美という対俺兵器として必殺の破壊力を持っていたにもかかわらず「なんだいこのエセミステリは」と受け付けないものになっていた。なんなら今作1期目でもその姿勢は維持されており、「なんだいこのエセロジックは」とどうにも気に食わなかった。ただ、その上で評価は「ぼちぼち」になっており、「ま、いうほど悪くないんじゃない?」とツンデレる伏線を張ってるみたいな状態。そしてこの2期にいたり、「まぁ、世間的な好評も納得できないわけじゃないんだからね」と手のひらを135°くらい返している。さて、その変心の理由やいかに。 まぁ、まだ「羊宮要素4割、ラパントラック要素4割くらい?」と嘯いてはみるものの、小山内ゆきというヒロインを成立させたのは間違いなく手柄であるし、彼女を取り巻く不自然極まりない設定を丸め込んで成立させてしまったことは大きな加点要素だろう。「氷菓」の時点では「高校生の青春ノベル」要素がどうにも上滑りしていた感があるが、今作は青春は青春でも厨二じみたダーク路線での学園ドラマであり、こちらの方がミステリというガワを載せる時には当然座りがいい。小山内ゆきというありえない化生を最高到達点に置いておけば、そこまでのミステリ的展開に多少の疑問があっても、強引に踏み潰してまかり通ることができる。1期時点ではそんなハイパー素材・小山内ゆきを飲み込みきれていなかったが、2期に至って馴染んだこともあって、「品質がどうか分からない肉でもサンチュで丸め込んだらなんかうまい」みたいな食い方が可能になった。 そして、この「小山内もの」と呼ぶべき構造をアニメに落とし込んだスタッフの手際も光る。常々「ミステリとアニメの相性は悪い」と言い続けているわけだが、その端的な理由の1つに「やってることが地味すぎる」というのがあり、丁寧で質の良いミステリになればなるほど、解明されるべき伏線は渋く、じわりと効くものであるべき。そんなもんアニメにされても画面映えはしないわけで、ミステリとしての完成度が高ければ高いほどに見せ場が渋くなるという矛盾を孕んでいる。 今作においても、小鳩と小山内さんが解明すべき謎の本質は地味っちゃぁ地味である。画面に映える要素なんて特にない。ただでさえ「場持ち」の悪い映像になってしまうが故に、大抵のミステリアニメってのは適当な要素で画を盛った上で、丁寧にやらなければいけない部分でアクセルを踏んで雑にすっ飛ばしてしまったりする。今期は「謎解きはディナーのあとで」がこの部分に「ちょっとコミカルなテイストを混ぜ込むことでギャグのテンポに合わせていく」という技法でお茶を濁していたが、今作の場合「もう、間延びしたいならしたらええやんけ」という開き直りを見せるという斜め上の解決(?)策をぶっ込んできた。よほど画面の質に自信がなければ選べないこの姿勢、実は今作にドンピシャでハマっており、「なんかジリジリしてる空気は出てるけど、大した密度で話は進まない」という実態を一点ものの映像クオリティで乗り切っている。思わせぶりな小山内さんのワンカットを陳列することで鑑賞に耐えるものにしている。この「むしろ急がない」というきっぱりした判断が、これまでのシリーズに比べて今期の内容を際立たせる役割を果たしたのではなかろうか。 まぁ、全ては偶然かもしれないし、「結局お前は羊宮ボイスの畜生ヒロインに満足しただけでは?」と言われたらそれまでなのだが、間違いなく言えることは、これの続編があるとしたら私はそれを楽しみにするということである。俺の手のひらは、まだ45°の回転角を残しているからな!
「片田舎のおっさん、剣聖になる」 4→4 剣聖になったならもう終わったらいいじゃん。なんで2期あるんだよ。 一応の評価を残しているのは、今作に関してはなろう系の割に作画環境に恵まれていたから。コストの掛け方で言ったら今期なろうでは文句なしにトップだっただろう。ただまぁ、戦闘シーンで使われたCGバトルに関してはまだ賛否あるところだとは思うけどね。とりあえず「なんか綺麗に見える」というのがプラマイ両面ある状態だよね。「綺麗」は普通に考えたら褒め言葉なんだけど、なんかこう、バトルシーンだとその綺麗さって、「雑味のなさ」みたいな受け取り方になっちゃうことがある。まぁ、でもここは要検討かな。多分練度がもっと上がれば作画パートに負けない迫力を出せるようになる可能性もあるとは思う。 とまぁ、作画クオリティだけでいえばやや加点でもいいくらいの作品だったが……まぁ、なろうだから……。何がすごいって、タイトルに冠している「片田舎のおっさん」要素が一番いらないってこと。今作が「剣聖、国の騎士団を育成する」だったら(それはそれでつまらなそうだが)成立してたと思うんだよ。単なる英雄譚だったら余計なこと考えずにバトルやらなんやらを楽しめる路線もあったと思う。それなのに、全ての要素に「片田舎のおっさん」というステータスが自虐風自慢という余計な調味料をぶっかけまくるせいで、全部のシーンに変な匂いがついて美味しくなくなっちゃう。なんでこの話の作り方しか知らないんだろう。そして、この造りにしたところで誰が得するんだろう。そりゃ俺もおっさんだけどさ、こんな作品をおっさんが見たところで気恥ずかしさとか情けなさが先立ってとても見てられないのだけど……。 もう、本人が「片田舎のおっさん」って言いすぎてるせいでなんらかのミームなんじゃないかとすら思えてきたわ。俺もこの先の人生で「どうも、片田舎のおっさんです」って言い出したら半裸の女性の好感度が上がったりするんだろうか。多分オチは「厭世になる」。 「この恋で鼻血を止めて」 6→5 変なアニメで、面白いアニメではあった。funnyでもあり、interestingでもあり。ただ、これがauthenticかと言われると、うーん。 シナリオラインのファニーさについてはもういいだろう。とっかかりの発想が面白くて「この方向でどう掘り下げていくんだろう」と思ったらとにかく思いついた方向にどんどんアクセルを踏み続けるような展開は、感心半分呆れ半分。どうしても色眼鏡で見ていた気がするのでなかなかフラットな評価は難しいのだが、やはり「日本人じゃなかなか振り切れない方向性だよなぁ」とは思った。小利口にまとめるよりも刹那的な享楽に任せているようなライブ感。これはこれで面白おかしく見られる部分はあるかもしれないが……終わって一歩冷静に引いてみると「結局何だったんだ?」という気持ちもある。ドタバタエイリアンサスペンスラブコメ。そこにサイコホラー風味(?)のネタも思いつく限り混ぜ合わせて……うん、やっぱりカオス。 ぶっちゃけ、この要素だけだったらやっぱりファニーが勝っているので「なんだかんだで面白かった」で終わらせたかったところなのだが、どうしても俎上に上げなければいけないのは独特の作画方法だ。1話目時点で「作画はへたれてるのにAIやらなんやら(推測)で見られる画にしている」と評したのだが、これが良くも悪くも12話の間ず〜〜〜っと維持されており、一時的な作画の保全手段ではなく、根本的に「これでアニメを作るんだ」という技術班が固定されている様子。AIっぽさ、と表現している部分は実際にどうやって作ってるのかよく分からないが、多分、そこに「動かそう」という意思はあっても「画面を作ろう」という意志は薄弱であるかのように感じる。これから先の時代のアニメーションはこうした作劇法が進化し、隆盛していく可能性は存分にあると思っているが、少なくとも現時点においては、私の求めている「アニメーション」という媒体の本質はそこにはないような気がしている。 ただ、これはただ新技術にアレルギーを示しているというわけではなく、どっちかというと既存のツールでいえばフラッシュアニメに近い何かだ、と思っているだけである。評価軸を別に取り、「こういうアニメにはこういうアニメで表したい何かがあるのだろう」と、その事実は認めて然るべきだと思うし、今後の発展次第では充分に「見たいもの」に仕上がっていく可能性もあるだろう。この方向性にちゃっちゃと着手し、可能性を模索しているのが、たまたまよその国だったというだけの話である。 引き続き、各人で動向を監視しておいてください。 「炎炎ノ消防隊 参ノ章」 ―→5 「相変わらずよなぁ」と思うことだらけ。これについては「良くも悪くも」だけど。 分割ってことなので現時点ではキリが良くないし、過去のシリーズの中でも一番座りが悪いというか、なーんも終わってない状態なので現状で評価をする意味はあんまりない。ただ、話が動いた規模で言えば特大なのでこれでなにも言えないってのも妙な話。まぁ、「世界がぶっ壊れてる〜」という大仰な節回しはこの作者の一番の持ち味だからね。それを言い始めると、今期2話目あたりで世界はグルンとひっくり返っちゃったから残りの10話が蛇足だったと言えなくもない。 今期、アニメ試聴中に「もう倫理観がぐちゃぐちゃよ」とモラルをぶっ壊される作品が多かったが(そしてそれが楽しかったが)、ある意味で元祖倫理観ぐちゃぐちゃ作品と言えるかもしれないのがこちら。「正義とは何か」に分かりやすい答えなど出さず、単なる善悪の2極対立を描くのではなく、複数の勢力がそれぞれの「世界との関わり方」でぶつかり合うのが本懐。おかげで受容する側はなかなか単純な絵図が描けずにもやもやする部分も多く、設定をかき混ぜられると「そんなん言われても」と途方に暮れてしまうことも多いのだが、そうした厳しさというか、残酷さみたいなものも慣れてくるとクセになってくる。キャラの1人1人が濃すぎるくらいにミッチミチなのでどの絡みを見ても一筋縄ではいかず、よくいえば全編クライマックス。悪く言えばメリハリがどう付いてるのかがよく分からない。これ、アニメとして構成まとめるのも一苦労だし、どの部分に作画リソースを割くかも悩ましいところだよな。Davidはその辺りの舵取りも心得たもので、独特の「炎バトル」やクセ強すぎる「創世神話」の断片なども説得力のある画で展開してたのはありがたい部分。 まぁ、こんだけクドい話だからこそ、「ブランク空いちゃう分割は勘弁してくれよ」とは思うのだけど。 「謎解きはディナーのあとで」 4→5 何か得るものがあったわけではないが、そんなに邪険に扱うもんでもないかな、というのが最終結論。これはこれでメディア化の1つの正しい形かもしれない。 ミステリアニメで毎度言及している「ミステリはアニメに向いてないんじゃないか問題」については特に変わりはしない。相変わらず、地味な部分は地味だし、あまりアニメにする旨味は感じない。ただ、本作の場合は画面のテイストに明確な方向性が定まっており、「こういうどこか抜けた雰囲気を最優先で出したかったんだろうな」というのは理解できた。1話目を観た時点では「なーんかチープで古臭いデザインだなぁ」と思ったものだが、最初から最後までそのチープデザインが安定していたし、この表現だからこそ許される雰囲気もあっただろう。あえていうならこのおふざけ混じりの雰囲気こそが「アニメ化した意義」だったのかもしれない。 そこさえ認められれば、「ミステリアニメ」というよりは「ライトコメディアニメ」として成立してたんじゃないかとは思うわけですよ。いわゆる「キャラもの」ってやつで、麗子・影山のコンビが仲良く喧嘩してるのを見るのが主目的だと思えばそこに大きな不満は出ない。まぁ、この辺は中の人たちの頑張りも大きいとは思うけども。 なんかこぅ、「中庸」が貴重に思えるシーズンだったんだろうなぁ。 |
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声優のこと全般
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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