最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「社畜さんは幼女幽霊に癒されたい。」 4→4 こんだけロリキャラ大集合でロリ役声優も大集合だったのに、よりによって最終話で登場した新キャラが誰よりも若い17歳だったのは笑ってしまった。ヲイヲイ。 あんまハマらんでただボーッと流れていっただけの作品。性質上、なんかにめくじら立てて叩く気も起こらないが、「別に無くてもよかったな……」くらいの塩反応しかできません。最大の要因は「可愛いって言われてるのにそこまでキャラが可愛くない」というところだろうか。こればかりは本当に好みの問題なのでどうしようもないのだが、どうにもキャラデザが刺さらない。当方、ロリは好きなことも多いがさすがにペドになると守備範囲を超えてしまい、今作ヒロイン(?)勢を愛でるためには純粋に犬猫と同じ目線で見守るしかないのだが、そこであんまり細やかな「愛らしさ」みたいなものを発揮するデザインじゃないのよね。まー、社畜さんのデフォ設定が目の下にクマなもんだから全然心休まらないってのもでかい気がするけど。可愛いを売りにするには、なーんか病的な雰囲気が拭えないのよな。 あと、1話目でも気になっていたことだが、なんで幽霊ちゃんが「幼女」であったのかという部分の必然性が結局無かった。数多出現したロリキャラの中で「ロリであること」にきちんと理由があって自然なのは化け猫ちゃんだけ。おかげで幼いみゃーこはそれなりに可愛いと思えたのだが、幽霊ちゃんはなんで幼女なのか分からないのでモヤモヤするし、800歳超えた神格がロリで、立ち居振る舞いが子供そのものであるのも釈然としない。「いや、可愛いって言いたいからやんけ」と主張されたらそれで仕舞いだが、別にこの作品じゃなくても摂取できるような無理矢理な「可愛い」なら、別に無くてもいいんじゃないかと。画でそこまで押せるパワーが無いせいなのか、「毎回話題性のありそうな男性声優を連れてきてひたすら可愛いと言わせる」という謎展開もありがたみはないので要素として浮いてしまっている。幼女を愛でたいと思うような視聴者だったら、あのボイスは単に邪魔だっただけなのでは? 色々とこだわって作ろうという気配は感じられたのだが、残念ながら私のところにはいまいち届きませんでした。まぁ、届くべきところに届くならそれでいいとは思うよ。
PR 「古見さんは、コミュ症です。(第2期)」 ー→6 今期は阿波連さん・古見さんというコミュ症ヒロインが活躍したクールでしたね。また、同時に古見さん・かぐや様(あとひよりちゃん)という古賀葵ヒロイン活躍クールでもある。そういう意味だと他の作品でも摂取できる成分もあるにはあったが、やはりこの作品はこの作品ならではの楽しさがありましたね。 終盤に作画の崩れでちょいケチはついてしまったものの、トータルで見れば品質は高かっただろうし、そこをあまり減点対象にする気はない。まー、そりゃずっと最高ならサイコーだったのだが、ないものねだりをしてもしょうがない。むしろ今作はストレートな作画の品質以上に書き文字とか静と動のメリハリでインパクトを出していく作風だし、一貫して魅力は発揮できていたんじゃなかろうか。 個人的には修学旅行エピソードが印象的で、加藤さん・佐々木さんのペアが想像以上にいいキャラになってたのは嬉しかった。あとはこの手の作品の常としてどうしてもメインカップルの関係性だけに終始してしまうと「閉じた」世界になって尻すぼみになりがちだが(そこを正面から突き抜けたのが阿波連さんだが)、今作は修学旅行で古見さん個人の人間関係を只野くん抜きで広げてみせたし、片居くんの登場で只野くんが別方向に魅力を広げたりと個々のキャラがそれぞれに立ち位置を保持していたのも良いところ。そしてその精髄と言えるのが山井さん…………。どうか、法で捌ける範囲内での活動をお願いします。 さて、3期はいつになることやらね。
「史上最強の大魔王、村人Aに転生する」 3→3 本作に良かった点があるとするなら、「CV羊宮妃那のサキュバスにあまやか死させられたい」という願望が叶いそうだということです。この欲求は「CV上田麗奈のクソ女になぶり殺されたい」という感情の親戚になります。 なろうなので特に感想も無い虚無な作品ですが、これを見ていると「なろう作家だって苦労してるんだよなぁ」ということがちょっとだけ同情的にもなる。何しろスタート時点でもう「史上最強キャラがチートする」ことを義務付けられている(?)わけで、フツーに考えたらそんな状態からドラマを広げることなんてできるわけがないのだ。単に無双してきゃっきゃしてるだけでは流石に無理だ。いや、過去にはそれだけでまかり通った作品もいっぱいあるんだけども、そろそろダメだということにしてくれ。頼む。そんで、もし無理なのだとすると、「なんか強い敵出してバトル展開を盛り上げないとなぁ……でも史上最強って言っちゃってるしなぁ……」というジレンマに陥るわけだ。いや、ジレンマなんて上等なもんじゃなくて、単なる「設定の欠陥」でしかないのだけども。 そこから先をどう広げていくかってのが作家の腕の見せ所なのだろうが、今作のように「史上最強って言っちゃったから、それならその『史』の方をいじるしかない。よし、別な世界線を作ろう」という解決法も最近は割とありがちな気がする。というか、たまたま同じタイミングで「盾の勇者」が「異世界の異世界」とかいう訳のわからんところに行ってるのが印象に残ってるだけだろうけど(あれは別に最強設定でもないんだけどな)。今作は、「最強転生した魔王をageつつ戦う相手って誰かなぁ……せや、転生前の自分だったらどうや? あ、でも転生後の方が強いって言っちゃってるし……せや、もっと別な世界線で未来の自分を出したらどうなるんや?」というドラえもんもびっくりの解決策を捻り出したのである。いや、解決してないんだけどね。 こういう設定って、もしかしたら作品内部ではきちんと理屈がついて成立しているのかもしれないのだが、それを「そうあるもの」として納得させるのにはそれなりの筆力が求められるのよね。視聴者目線で「それがありならもうなんでもええやんけ」と思っちゃったら、その時点で設定を追うモチベは無くなってアウト。今作の場合は、導入からしばらくのチート展開がほんとのほんとにしょうもなかったので、渾身の自分バトル展開に入る前に、もう色々と切り捨てられてしまっているのである。結局これも「小学生が行き当たりばったりで適当に進めるTRPGごっこ遊び」にしか見えないからなぁ……。 それにしても、どんな異世界でもだいたいサキュバスがいるのって……なぁ……。
「勇者、辞めます」 4→5 なんか変な作品だったわね。1クールできっちり完結するなろうって珍しいなぁ、って思ったけど、改めて確認したらなろうじゃなかった。番組開始の時にチェックしたはずなのにすぐ忘れる。 「なろうだろうが、なろうじゃなかろうがそれが作品の質自体に影響はせんだろ」と思われるかもしれないが、今作が「完結した」というのが一番の違いとして分かりやすいんじゃなかろうか。野放図に広がり続けて終わりが見えないなろう媒体と違って、例えばラノベなら1冊単位で管理がしやすいし、「終わること」がずっと認識しやすい。今作は厳密にはカクヨムが出自らしいのでもしかしたらなろうとラノベの間くらいの存在なのかもしれないが、レオを中心とした「勇者と魔王の物語」にケリがついたのは間違いなく事実だし、途中で進行を阻害するノイズも少ない。「スタートからゴールまで、道が一本設定されている」というのは物語にとって当たり前の前提のはずなのだが、なろうではそれが通用しない。「完結した」というだけでも、今作は1つ責任を果たしたと言えるんじゃなかろうか。 ただ、そうして終わらせた物語が全部面白かったかと言われると……んーーー、いや、世界の切り取り方とか、途中でのひねり方、まとめ方なんかはちゃんと山あり谷ありでデザインは悪くないと思うんだけども、中盤以降に一気に押し寄せた「勇者レオの物語」をやるにあたって、どうしても序盤の展開がそぐわないんだよなぁ……。あの序盤の「管理職に学ぶ、有能経営術基礎」みたいなマウント取り講義形式は、本当になろう的悪い要素ばかりが見えてあんまり面白くなかった。いや、そのままのテイストで突っ走って「凸凹カンパニー魔王城」みたいなコメディになるならそれでいいのだけど、一通り四天王との関係性を繋いだらあとは一気にセカイ系に転じてデカすぎる風呂敷を畳もうとするもんだから、流石に前半後半でノリが違いすぎて、本当に同じレオなのか? って身体が馴染まなかったのである。 一応、「序盤で四天王と仲良くなったおかげで最終的にレオが救われる」っていう展開は最後を見据えてのものだとは思えるし、決して「全くつながらない」わけじゃないので目をつぶることも出来るのだが……うーむ、原作者の人はどこまで想定して書き始めたんだろうね? 書籍媒体だと2〜3冊分らしいが、絶対最初は「会社経営パロディ異世界」のつもりでスタートしたと思うんだよな。途中で思いのほか反響があったもんだから、そこからシナリオを完結させるためにレオの設定を後付けしていったんじゃないかなぁ。まぁ、それで綺麗に収まったのだから文句はないのだが……アニメ版は最後にどこに着地するかが見えてる状態で製作するのだから、序盤から多少なりとも匂わせて接続をマイルドにしても良かった気がするんだ。 ま、とりあえず結果オーライということにしておきましょう。エキドナちゃんはかわいかった。基本的に本渡ヒロインは全部可愛いのよ。 「パリピ孔明」 5→6 やぁみんな、今作に関してはどういう出かたにしたらいいか悩んでるP.A.WORKS大好きおじさんだよ! いや、別に好きなもんは好きだって言っとけばええやんけ。 話題性もあったしきっちり結果を出した作品だと思う。唯一問題になるとしたら、今作について、世間的にチラホラと「失速」というワードと共に話題になっていたこと。「最初のうちは面白かったのに、途中からつまらんくなった」という話だ。これについて、私は共感半分、不満半分である。まず、実際に中盤以降のシナリオが多少の間延びを伴っていたのは事実だろう。ただ、こればかりはシナリオの構造上どうしようもないところで、序盤のように毎回毎回「孔明の計略」が結果を出し続けるわけにもいかないし、大きな舞台を用意し、そこに向かって溜めを作るのもまた正しい構成であろう。そりゃぁ欲を言えば毎週毎週底抜けに楽しい方がいいだろうし、世の中には恐ろしいことにそれを実現している作品もあるのだが、シリーズアニメなんだからある程度長期的な視点に立って「着地点」を決めに行くのも間違った選択肢ではない。原作ありで動かせない部分がある作品であればこそ、覚悟を決めて「12話で1つの作品」と定めるのは、アニメ作品ではずっと昔から採られてきた方策なのだ。 あとはまぁ、それが言い訳に聞こえるかどうかって話でね。すごく真っ当なシンデレラストーリー、そしてマガジン漫画なんかではよく見られる「一見すると無茶苦茶に見えるが実は有能な軍師」構造、これらはどっちもあんまり短期的に結論を出すデザインじゃないのでねぇ。わたしゃ最終話できちんと晴れやかな気持ちになれたのだから、これで成功だったと思ってますよ。 あとはもう、「P.A.WORKSは今作できちんと頑張れたのか」というのが個人的な関心事でして。音楽を扱ったアニメは昨今掃いて捨てるほどあるが、実はP.A.がこっち方面に真正面から取り組むのは久しぶり(ある意味「TARI TARI」以来?)。アイドルアニメっぽくしすぎても浮いちゃうし、かと言って地味すぎてもアニメ化の意味を問われるし、というので何をもって正解とするのかが難しい作風だったと思うのだが、あまり奇策に走らず、真っ当に「歌姫」を描くという方向性が結局はP.A.の持つ作画力をフルに発揮でる方向性だったのだろう。正直、あんまり「P.A.っぽさ」が強く出なかったので粘着ファンからすると物足りなさはあるのだが……そりゃファンだって「天晴爛漫!」や「天狼」ばっかり作れよ! と思ってるわけではないので……。まー、今後スタジオがどういう方向で業界を切り拓いていくのかはじっくりと見極めさせてもらおうじゃないか。あ、とりあえずチキチキバンバン好き。
「理系が恋に落ちたので証明してみた。r=1-sinθ」 ー→5 このアニメでリケクマ見た後に「妖怪ウォッチ」でうんちく魔にも出てこられると笑っちまうんだよな。「なんで俺は週に2回も変なクマに解説されなきゃいけないんだ……」ってなる。 想定の斜め上か斜め下かよく分からん方向に落としてきたなぁ。まー、1期目の時点でメインカップルがほぼくっついてる状態だったわけで、そこをどんだけ引っ張ったところで話は続かない。あとは脇のカップルをいじってやるくらいしかやることないのは当たり前か。クライマックスとして用意されたのが奏ちゃんの恋愛観だったのは真っ向から雪村・氷室ペアと対抗できる位置だったためだろうか。明確な「彼氏」を設定せずにこの世界の常識を問うというスタンスも、最終的にどう落としたところでメインカップルの邪魔にならないよう、無難にまとめ上げるための配慮と言える。最終回前に一度「事実上の最終回」を用意してメインをまとめておき、残った話数は「当たり障りはないけど波風は立つ」といういい具合のサブエピソードでまとめ上げる、よく考えると苦肉の策ではあるのだが、別に違和感も無いので案外うまい構成だったんじゃなかろうか。 個人的にはどっちかというと棘田・トラスケカップルが見てて楽しかったので、雑多なエピソードだらけだったけど最終的には「まぁ、これだけ見せてもらえればまずまず満足かな」というくらいの感想。映像部分にあんまり見るべき点が無いのは残念だし、やっぱり1期から引き続いて「理系……とは?」みたいなところが釈然としなかったりするのだが、「ギャグ」からはみ出さないようにしなきゃいけないし、あんまり綺麗にまとまりすぎても良さが失われてしまうのだろう。そう考えると、いろんなところで結構アクロバティックなバランスを保持していたのかもしれない。 この作品を機に、理系を目指す若人が増えるといいですね(あまりに適当なまとめ)。
「ヒーラー・ガール」 6→7 今期、お別れが寂しい作品文句なしのNO.1。もうかな達のアホみたいな顔を見ることもないのか……。 毎度の感想で言いたいことはだいたい言ってたので改めて書くこともあまり無いが、とにかく常に挑戦をやめない貪欲な姿勢がお見事な作品だった。普通に考えれば、「どこぞから誕生した歌手のユニットを起点にしてアニメを作りましょう」なんてプロジェクトは大コケの温床でしかないと思うのだが、今作は意外なほどにプロジェクトの縛りが無く、「ヒーラーガールズ」というユニットを売り込みたいという商売っ気が匂うわけでもないし、無難な落とし所を探して形だけの青春ドラマに終わるなどということもない。常に「歌いながら治すアニメとはなんぞや?」という自己言及を怠らず、結果的に毎回が刺激の連続となっていた。いや、この方向性を「刺激」と感じるのは一部の人間だけなのかもしれないが……でもさ、生半可な覚悟で「音声医療」とかいうよく分からない概念を渡されたら、ふつーのクリエイターはもてあますでしょ。「どういうこと? ちゃんと説明しないとダメなの? 命のドラマをやればいいの?」とあたふたしてどこかで見たような安っぽい御涙頂戴で終わっていた可能性だって大いにあったはず。しかしそうはならなかった。それが奇跡なのだ。 申し訳ない話だが、監督の入江泰浩氏については、これまでちょいちょい名前は見てきたがあまり印象に残っていなかった気がする。今作では半数以上の話数でコンテを担当しており、おそらく方向性を決定づけるデザインワークの大部分を務め上げたであろうことが想像できる。一見してコケる要素しかない素材をパスされて「これ」を出してくることができるクリエイターはそう多くはないだろう。私の中の監督ランクが一気に上昇し、今後は気を付けてお名前を追いかけようという気になりました。よくもまぁ、2話3話とアクセルを踏み続ける決断ができたよなぁ。また、毎回のミュージカル演出をどう使うかというのも自由度があまりに高いせいで非常に判断の難しい要素。安易な萌え、安易なアイドル的要素、逃げようと思えばいくらでも逃げる手段(そしてコケる手段)はあったと思う。しかし、決して妥協を許さずに「このアニメで描きたいヒーラーってのはこれなんじゃい」という主張を崩さなかったことで、最後までごんぶとの芯を貫き通すことになったのだ。いやはやお見事。スタジオ3Hzも良いお仕事をしてくれました。 まぁ、おかげでこのアニメがこんだけ面白かったというのに現実のユニットとしてのヒーラーガールズについては特に興味も湧かずに終わってしまったわけだが……アニメ単品で成功したならそれでいいよネ!
「ブラック★★ロックシューター DAWN FALL」 5→6 ノリトくんの声50年で渋くなりすぎワロタァ! まぁ、そりゃあんな激動の時代を生き抜けば、海千山千で声も渋くなるってもんでしょうが……。 いろんなところが「腑に落ちる」作品になったと思う。SFアニメとして見た時にあまり破天荒なことはしてないし、筋立てだけを見たらSFファンからしたら陳腐なものかもしれないが、1クールという尺の中でそれなりのスケールとそれなりの落とし前を見せてくれる展開は、本当に身の程にあっており、試聴後に「あぁ、大きな物語を見られたのだな」という満足感がある。オリジナル企画として始まった時には「どっから出てきて、何がやりたい作品なんだ!?」と困惑したものだが、なるほど既存のIPを使ってやる単発作品としては非常にソツのない仕上がり。減点がほとんど無いので、あとは面白かった部分を素直に加点要素と捉えてしまっていいんじゃなかろうか。 筋立てが陳腐かどうかは分からないが、ドラマ冒頭からいきなり地球が終わりかけてる末法末世であり、何故そうなってしまったのか、解決策はあるのかといった根本的な問題にきちんと解を出している。厳密に言えば最終回の出した答えは「俺たた」ではあるのだが、少なくともメインヒロイン・エンプレスの物語としては収束したはずだし、この世界に生きる人類に対し、ご都合主義に堕すことなく希望を与えてくれる気持ちのいい終わり方。唯一、大佐の扱いだけはすごく寂しかったので「そんなことせんでも……」と思ったのだが、まー、あそこで大佐が生き延びるとエピローグとの時間関係もあって処理が面倒くさかったのだろう。その辺はやたらドライ。 ヒロイン(?)勢の関係性もそれなりに楽しめるものになっており、個人的に外せないのはやっぱりデッドマスターの純愛(??)でしょうかね。トチ狂った百合展開に早見沙織を絡めるナイス采配で、たまたま時期的にこれが「ヒロインたるもの」のクソメガネと被ったもんだから味わいもひとしおである。ストレングスの絵に描いたようなツンデレっぷりも可愛いですね。最終的にCGバリバリのキャラクターデザインもうまいこと世界観に落とし込めて愛せるようになったし、やはり技術というのは適材適所だなぁ。 そしてラストのあの曲の入り方は予想できてもよかったはずなのに全く警戒してなかったもんだからいい具合に不意打ちを食らってちょっとグッときてしまった。そこに落とし込むための、溜めに溜めての前振り12話分だったってことだよなー。よくもまぁ、このタイミングで作品を展開しようと思ったもんである。過去の遺物みたいに思われてるコンテンツも全ては製作者のセンスと使い方次第。あまり後世まで語り継がれるような作品でもなかろうが、ちょっとでもノスタルジーが得られて、新しい思い出になったならそれで良いのではなかろうか。 「乙女ゲーの世界はモブに厳しい世界です」 4→3 今作のよかった点:サークラな佐倉さんをボコボコにいじめることができる点。今作の悪かった点:それ以外だいたい全部。 まぁ、なろうだしね……。ほんとに出てくる要素がいちいちイラっとする、なろう界隈の中でも特に「癇に障る」ことが多い作品だった。虚無のようにして何一つ引っかからずに通り過ぎるだけのなろうよりも存在感があるという意味ではマシなのかもしれないが、受容している身には、やっぱり毒にも薬にもならない方がまだマシで、毒にしかならない作品ってのはキツいもんである。 最大の難点はやはり映像部分なのだろう。とにかく省エネに省エネを重ねた作画スタイルは、なんでメカやら空中戦やらと作画コストの重そうな作品をこの方向で受けてしまったのだろうと甚だ疑問。キャラ作画に関しては(完全に好みから外れてはいるが)描き込みも多くて何か爪痕を残そうという意識が見て取れるものだったはず。その選択をしたなら、ちゃんと動かしてみせることで責任を取れよ。動かしづらいキャラデザという茨の道にわざわざ踏み込み、できませんでしたってんでヘナヘナの作画を見せられたら、そりゃ心象が悪くなるのもしょうがないだろう。こんだけ生理的な「不気味」を体現できたキャラデザもなかなか無いんじゃなかろうか。 シナリオラインに関しては途中から適当にしか観てなかったのであまりいうこともないのだが、やっぱ主人公のキャラの鼻につく様子がとにかくマイナスで気分が悪い。設定上「モブとしての自分」を甘受したいのか乗り越えたのいのかもよく分からず、場面によって「モブであり続けたい、余計なことしたくない」という消極的な姿勢が出るのに、基本理念は「モブだから生きにくいこの世界はなんなんだ」という憤りを動力としている。そしてどう考えてもそんな世界を2、3回は塗り替えられるくらいのチート能力を有しているはずなのに、それを使う工夫も見せず、ただ流れに任せて、目の前の出来事にマウントをとってドヤることしか考えていない。この主人公のどこに魅力を感じろというのだろうか。そしてそんな主人公をageるための手段が「とにかく周りのIQを下げる」というなろう的お約束の所作である。せめてバカ王子5人衆にもっと魅力があれば「主人公サイドとモブ」という対比が活きて面白いシナリオも構築できたかもしれないのに、「主人公」という要素を「ただのバカ」と同義にしてしまった時点で、この設定はもう破綻してしまっている。スタート時点での設定はそれなりに面白そうなのに、やってることはいつも通りのなろうへの急降下なので、結局見どころは残っていないのである。 まー、ヘナヘナロボットバトルなんかは「一周回って」でクソアニメとして需要がありそうなのだが……いつも言ってるけど、「一周回って」はダメなんだって。ほんとに。
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Thraxi
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声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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