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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 まるでバンドアニメみたいだな、第10話。これまで何度も見届けてきた、バンドリアニメの真骨頂であるライブシーン。しかしその意味すらも、この作品は捻じ曲げてくる。仮面はまだ、剥がれない。

 オープニングもエンディングもカットし、CMが入るのが冒頭5分時点と、とにかく特殊編成でこれでもかとライブシーンに全力を注ぐ。これまで散々「どこがライブアニメだ」とか「ライブシーンが全然ないじゃないか」とか言われていた今作だが、満を辞して繰り出された新曲2曲と、それに付随する渾身のライブシーン。見事な演出とサンジゲンの真骨頂であるダイナミックな見せ方。本来であれば、「ラストに持ってくるライブシーン」は禊ぎの存在であるはずだ。過去のバンドストーリーは、必ず最後の演奏シーンが救いとなっていた。RoseliaSong I amRASBeautiful BirthdayMyGOの詩超絆、そしてCRYCHICの春日影。事を成し、バンドを繋ぐのがライブシーンであるべきで、そこに相応しい言葉は「大団円」以外にない。そりゃそうだ。「みんな同じステージの上で音を合わせる」なんて、こんなわかりやすくて安直な「関係性」の描写はないのだし、バンドリプロジェクト自体、そうしたものを描くための「バンドメディア」なのである。ライブの新曲は、最大限の「ハレ」の表現であるはずだ。

 しかし今作は違った。話数にしてまだ10話目。そして木っ端微塵に砕かれたAve Mujicaというバンドの再生が、たかだか1話2話でできるはずもない。あくまでも「道半ば」でのライブシーン。「何も繋がっていない」ライブシーンだったのだ。

 とはいえ、もちろん今回の「再生」のために全力で頑張った人間はいる。今回も問答無用でMVPを持っていく最大の功労者は祐天寺若麦。誰もが後ろ向きな動機でMujicaという存在に縋り付く中、唯一正面を向き、前に進むためのMujicaを選択することができたのがにゃむである。まだ自分が一番輝ける場所かどうかは分からないが、追い詰められた彼女にとって、もはや「勝つための」場所はここしかない。おまけに「怪物」若葉睦の体たらくまで見せられて、失望のままに終わるわけにもいかない。幼稚で半端なモーティスなんかじゃなく、なんとかして「若葉睦」を引きずり出し、向き合わなきゃ行けない。見届けなきゃいけない。見せつけてやらなきゃいけない。そのために彼女は、Mujicaの再始動を決意する。やっていることは八幡と同じはずなのだが、2人の明確な差は社会経験と、人の心を理解する真っ直ぐな性根。RiNGでの顛末を見届けた結果、にゃむは最短でステージを再建するルートを突き進むことになる。

 熱意は人一倍だったが空回りを続けた女、八幡海鈴。こいつについてはまだ何一つ問題が解決していない。モーティスという駄々っ子問題児もMujicaの抱えた難題ではあるが、ぶっちゃけ精神的な幼さでいえば海鈴も似たり寄ったり。モノマネ機械のモーティス同様、彼女だって少ない手札だけで精一杯虚勢を張っていただけなのだ。彼女が最優先していたのは誰でもない、椎名立希という「信頼できる」友人(知り合いか)の言葉。ただ一言「信用」という言葉がひっかかっていた海鈴は彼女なりのやり方でMujicaメンバーの信用を勝ち取ろうと必死になっていたが、その行動は祥子にもにゃむにもほとんど響いちゃいない。とんちんかんな空回りを修正してくれたのは、ここでもやはり立希。「信頼を取り戻すためには」という道徳の授業を、1から始める他ないのである。釈然としていなかった海鈴が最終的にはいうことを聞いちゃうくらいには、立希は信頼されている。

 おかげでモーティスのお守りをなんとかこなしていた海鈴(そよママに全部任せたいところだが)。彼女の思惑とは全然関係ないところであれよあれよと進んだMujica再生計画にウッキウキのご様子だったが、彼女はおそらく「お前の努力が身を結んだわけじゃない」ことや「ここにあるのはまだお前の望む居場所としてのMujicaではない」ことにも全然気づいていない。八幡海鈴が本当に「信用」を知るまでには、もう一山、大きな荒療治が必要となるだろう。

 とはいえ、形の上では達成されたMujicaの再生。上述の通りににゃむの功績が大きいが、にゃむがとった手段は「情に訴えるのではなく理で詰める」という彼女らしい方法だった。端的に言えば「お前が始めた物語だろうが」であり、こんだけとんでもない状況に巻き込んじゃったメンバー5人に対しての責任を取れ、と祥子に要求しただけ。そして、この路線で詰められると祥子には思い当たる節があるあるある、ありまくる。よりによってあの日のそよさんまでフラッシュバックした日には、自分がやらかしてきた大きすぎる前科に押し潰されかねないくらいだ。祥子は不器用な子で、そして責任感も人一倍大きい。「責任取れ」と言われたら、そりゃ形だけでも返礼は考えねばならぬ。168億の負債を抱えた親父と同じにならないためにも、貸し借り無しで対等に世間と渡りあわねばならないのだから。

 幸いにして、モーティスと祥子の間での利害関係は今のところは一致。前回触れた通りに「互いに幸せになれるMujica」ならこの2人が共存する可能性は存在している。海鈴の調教の副産物であるエアギターは祥子が望むものではないが、再生Mujicaは祥子の箱庭ではなく、ただのハリボテである。そこに放り込むモーティスがエアだろうがなんだろうが別に構わないのだ。そう言われてしまえば、モーティスだって頑張れる範疇の提案。睦を「殺した」罪悪感もあって、駄々っ子モーちんも首を縦に振るしかなかったのだ。ちなみに祥子は今回睦に対して1度たりとも「モーティス」とは呼びかけず、ずっと「睦」と呼んでいる。彼女の中で、一緒にステージに立つ人間は若葉睦をおいて他にないのだから。

 こうして再生したAve Mujica 2nd(仮)。浮かれているのは「元鞘です!」と表面だけ見ている海鈴だけ。そして再チャレンジの機会を得たにゃむも、一応スタートラインには立てた。正直に自分と向き合った彼女はついに「アモーリス(愛)」の自認が。彼女は「怪物」に目を奪われ、魂をも奪われた。しかしそれは決してネガティブなことばかりではない。毎週書いていることだが、「圧倒的才能への羨望」はバンドリ世界線では最大級の動機である。紆余曲折を経て、アモーリスはようやく白鷺千聖の、青葉モカの、氷川紗夜のステージまで上がってきた。及ばぬ自分を認め、眩しい他者を受け入れる。そこから始まる戦いだ。「愛を恐れない」、アモーリスはここに確かに立っている。

 ドラムは自分なりに上を目指す。ベースは浮かれ気味で確かなラインを刻む。キーボードは義務感に駆られて粛々と音を綴る。未だチグハグなバンドの中で、ギターが歌を生み出し始める。まぁ、そう簡単に睦が消えるなんて誰も思っちゃいませんて。結局は「睦が悲しまないMujica」はそこまで見つけるのは難しくなかったってことだ。フェーダーを上げる1カットで「キャラクターの復活」を示す演出、ここでしか出来ない心憎い見せ方である。ギターが歌を歌い始めれば、若葉睦にもいつか救いの手は差し伸べられるだろう。

 しかし。

 仮面はまだ剥がれていない。八幡海鈴以上に都合のいい表面だけを享受し続ける女。三角初華。さぁ、ようやく彼女が断頭台へと登るのか。冷静に考えて、初華に対する祥子の態度はあまりにも冷たすぎる。そりゃ祥子の立場も苦しいところは多々あったが、当時あれだけ世話になっていた初華に対して、あまりにも対応が塩すぎていた。今回だって「流石にそれはないんじゃ」と思えるような態度だったわけだが……どうやら、祥子は何かに気づいていたようである。ライブ中も一度たりとも目を合わせなかった、三角初華という存在に。豊川邸への来訪時にも何やら含みのある入り方をした初華に。

 初華、お前の罪を数えろ。

 
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 やはたァ……とがわァ……みすみィィィィ……祐天寺! 第9話ァ!!! 視聴者の多くは同じような状態だと思うんですが、ここ最近の私は、このアニメのことを反芻してるだけで1週間終わります。なんなのこのコールタールみたいなアニメ。

 どっから突っ込んだらいいかも全くわからないんですが、結局若葉睦を中心に物語は回っています。ややこしいのは中心にこいつが鎮座しているせい、そしてそれに対して祥子が未だ正しい対処法を見出していないせい。でもそれはしょうがない。誰も正解なんて分からないんだから。

 多少強引だが単純化するために二極化させると、現在「CRYCHIC復活派」と「Mujica再生派」の2派閥に分かれて、本当の意味での修羅場を演じている。こんなに「修羅場」という言葉がしっくりくるアニメは初めてだよ、という程度には修羅修羅している。そしてそれぞれの主張には恐ろしいほどのエゴが込められており、当然簡単に解決などできるわけはない。

 CRYCHICMujicaという2つのバンドをどちらも生み出した諸悪(?)の根源、豊川祥子から考えていこう。彼女については、「クソ親父を切る」という選択さえできれば一応問題は処理できる。168億が無ければMujicaを始める必要すらなかったわけで、このアニメも存在しなかった。かつては親父を最優先にしたおかげでCRYCHICが解散する羽目になり、我が身を引き裂く思いで離れたバンドの「全てを忘れ」、父親を救うための存在がAve Mujicaだった。しかし年端もいかぬ少女に出来ることなどたかが知れており、夢は潰えてMujicaが空中分解。無理が祟って後に残ったのは2つのバンドの亡骸だけ。何も出来なかった祥子は弔いだけを考えていたが、「Mujicaの消滅=親父の放棄」なので、まずは父親との縁が切れる。現時点で、祥子が父親をどうこうしたいという意識は表れていない。

 するとこの時点でややこしいことに「CRYCHICの復活」は選択肢として復活する。そして彼女には「バンドを殺した」という負い目があり、「CRYCHICの壊滅」については、元メンバーのほとんどがMyGOという拠り所を(あれだけの苦労を伴って)生み出したおかげである程度の禊が済んでいる(長崎が冷たい目でこっちを見ているが)。ただ、彼女の最大の傷は若葉睦という最大の理解者を「壊して」しまったこと。睦を壊した原因であるMujicaを再生させるなどという選択肢があるはずはなく、現在は「睦のために」CRYCHICをやり直したいと考えている。動機が完全に他者にあるというのは、これまで己のためにのみ屍を重ねてきたことを思えば当然の末路か。

 転じてその若葉睦はほんとにややこしい状態。睦自身はそこまで難しい話ではない。実は彼女も最大の動機は「祥子の幸せ」であり、「祥ちゃんが苦しむ」というただ1点においてMujica再生は選択肢にない。そしてCRYCHICのやり直しも「祥ちゃんが救われるから」なわけだが、ここだけが少し問題で、睦と祥子はCRYCHICの再生の動機を互いに依存している状態にある。つまり、お互いに「わたくしは別になくても大丈夫ですわ」「私も」という対話が成立すれば、まぁ、ぶっちゃけCRYCHICはなくてもいいのである。まーそもそも長崎そよはあれだけの仕打ちを受けてCRYCHIC復活の夢をメタクソに潰されたわけだし、「昔とは違う」の一言で済ませてくれたのは彼女の最大の優しさとすら言える。また、ご丁寧に祥子を思って「CRYCHICの詩」を書こうとした燈は、もう「CRYCHICの歌」が作れなくなっていることまで提示されている。まぁ、そのことを指摘したのが審判として全く信頼できない三角だったわけだが……おそらく燈もそのことは薄々分かっていたはずだ。改めて確認するが、やはり「CRYCHICの再生は無い」のである。

 さて、転じてMujica再興派の戦力はどうなっているか。まず、その筆頭になったのが前回飛び出した「面白すぎる女」八幡海鈴。彼女のクレイジーっぷりは散々迸っていたわけだが、正直、何が彼女をそこまでさせるのかはまだ分からないままだった。「居場所になるバンドへの憧れ」は頭では理解できるが、これまで積み重ねてきた八幡海鈴の悪行を思えば、まだそれが本心だったのかは定かじゃない。この女に「本心」などというものがあるのかどうかすら分かっていない。しかし、今回の顛末でそれがちょっとずつ保証されていくようなヤな確実性がある。

 根幹にあるのは「居場所への羨望」。それは間違いない。しかし、そのために彼女1人でどこまで奔走するというのか。まず「モーティスへのギター講習」(正確にはエアギタープレイヤー仕草講習)を行い、バンドとしての体裁を整えるところから始めた。もう、この時点でこいつがおかしいことは分かるのだが、とにかく「入れ物」を作らないことには自分が「入れない」のだ。仮面を被ったお人形に慣れすぎた哀れな傀儡が、必死に糸をたぐろうとしている様子はあまりに滑稽である。

 そして半端な形で「モーティスは抱き込んだ」と判断し、続いてにゃむにも「信用取引」を持ちかけるが、祐天寺はどう足掻いてもMujicaを再開する動機がない。自分にとっては間違いない醜聞。「演じること」に対する余計なトラウマを植え付けた地雷。ストーカーじみた空気の読めない粘着を行うめんどくさすぎるベース。何が楽しくてこんなところに戻りたいものか。おそらく、祐天寺がMujicaに戻るとしたら、そこに「一番格好いい自分」がいないとダメだろう。演技では若葉睦に勝てない。それでも同じ板の上で「戦える舞台」があることに気づけば、もしかしたらにゃむは再び戦場へ戻ってくるかも知れない。

 しかし、残念ながらガラクタ人形の海鈴にそんな人間の心は分からない。都合よく(?)初華を取り込みついにMujicaの過半数を取り込んだと判断した海鈴は揚々と祥子のところへ。「睦がかわいそう」を最大の要素として取り上げる祥子に対し、「そんなん言うたらモーティスだって可哀想やろがい」というゴネを展開。まぁ、モーティスの言うことを全面的に信じるのであれば「Mujicaの消滅はモーティスの消滅」にもなりうるわけで、一応殺人の罪を訴えることにはなるのだが……それだってモーティスという幼い紛い物が勝手に宣っているだけである。祥子を引き戻す要素としては弱い。当のモーティスはというと、結局CRYCHICMujicaの間で揺れ動く睦との折り合いがつかず、「互いに殺し合っている」状態に。しまいには睦を封じて自ら「睦を演じる」というおもしれー最終手段に出るが、そんな大根芝居では野良猫に笑われるだけ。決して人間にはなれやしない。もっと根源的なところでの「統合」が必要である。それはつまり、「CRYCHICMujicaの統合」であろう。より正確に言うなら、「祥子と睦が幸せになれる形でのAve Mujica」。おそらく今作のゴールはそこになるとは思うのだが、おそらくモーティス程度の思慮ではそこに思い至ることはないだろう。

 そして、睦と祥子が必死に手を取りあい、なんとか自分の生き様を探す中、海鈴が涙ながらに自分の生きがいを求める中、にゃむがプライドをかけて生き方を定める中、誰の顔も見ず、ただただ狭い殻の中で嗚咽を漏らす人間が1人。さぁ、三角初華。いよいよお前の出番だ。

 海鈴のモチベーションがなんとも捉え所が無いのに対し、初華の願望は実にシンプル。そしてそれ以外にないためにただひたすら純度が高い。ANON TOKYOからの情報提供を受け、豊川祥子の紆余曲折を思い、その隣に自分がいないこと、そして、全く相手にされていなかったことを最悪の形で知る初華。ことここに及んで、RiNGに乗り込んだ自分の姿すら、祥子は捉えていなかったではないか。祥子はこれほどまでに自分を軽んじていたのか。いや違う。三角初華は、祥子からの依頼を果たせなかった役立たずだったのだ。「すべてを忘れさせて」というオブリビオニス(忘却)を、顕現させられなかった。だから捨てられた。家庭事情の話かと思っていたかもしれない。「忘れさせるべきこと」が世知辛い世の中の話だったら、楽しくみんなでバンド活動ができて、お金も稼げるMujicaがあればこともなしだと思ったかも知れない。しかし実態はそんなもんじゃなかった。祥子にとってCRYCHICは本当に大切で、後から割って入った自分が簡単に「忘れさせる」ことなどできなかったのだ。その最大要因だった高松燈の詩を改めて認め、祥子にこびりついたCRYCHICの残滓の重さを知る。

 ダメだ。自分と祥子が並び立つ場所はMujicaしかないのだ。衣装部屋にあった「オブリビオニス・廃棄」の文字列が深く深く突き刺さる。終わらせるわけにはいかない。どんな手を使っても、Mujicaを取り戻す。もはや「手段のためには目的を選んでいられない」。祥子がどうなろうと、それが初華の幸せなのだから。そのためには、八幡に存分に働いてもらわなければ。ドMの八幡、こいつはいい動きで祥子を追い詰めてくれそうではないか。あの仮面を、また被ってくれそうではないか。それだけで、夢が叶うなら。

「き〜〜んも」。

 
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 Happiness to you, 第8話。さまざまな局面が変貌していくターニングポイント。薄皮を剥くように明らかにされていく少女たちの素顔。どうでもいい情報ですが、カラオケDAMの端末は履歴に同じ曲が複数並ぶことはありません(ほんとどうでもいいな)。

 まー、私もこれまで散々八幡海鈴という女について期待したり慄いたりいじり倒したりしていたので今回のお話はギャグとして見てしまう側面が強いんですが、一見ファニーに見える彼女のあれこれが、全て切実な彼女の内面から出てくる表現であることを考えると、「笑うしかない」「笑ってられない」というのが正直なところ。ただまぁ、事前に睦という「極まった症例」を見てしまっているので、八幡海鈴の葛藤はまだ「思春期の情動」として一般化できなくもないかなぁ、という思いもあり、まだ心穏やかに受け止められる部分はある。

 今回のお話は大きく分けて2つの局面が描かれる。1つはモーティス。前回のCRYCHICラストライブで完全に浄化されたと思われた若葉睦だったが、それは視聴者側の勝手な願望であって、睦の中に生み出されたモーティスからしたら緊急事態。何を勝手に美しい思い出にして自分を消そうとしとるんや、という話である。一見すると綺麗に掃除されたかに見える睦の私室だったが、残念ながらまだ鏡台はひび割れたままで、自分を映すには至っていない。

 ただ、我々も話が簡単になるからあっさり受け入れていたモーティスという存在も、より客観的に考えれば面倒極まりない存在であり、その実存をどこまで認められるかは難しいところ。こうなってくると「そもそも人格とは何か」という哲学(心理学?)にまで食い込んだ話をしなければならなくなる。

 ここで1つ新たな情報が提供される。それは、「信頼できない観測者」(厳密には、視聴者視点で信頼に足るかどうか分からない観測者)である森みなみからの証言。「睦は生まれながらにして役者であり、そのすべての挙動は演技だった」という話(お笑い芸人わかば、初の顔出し回想)。よりによってそんな話をCV沢城みゆきでさせるんじゃねぇよ、とは思うが、みゆきちボイスだからこそこの恐怖感が際立つというのもあるかもしれない(実存する怪物に言われたら説得力しかない)。ただ、「生まれながらに演技をしている人格」というものが仮に存在したとして、それは果たして「演技」なのだろうか? その辺りの感覚をみなみちゃんともうちょっと詰めたい思いはあるのだが、森みなみもあの通りの性格なので、いかに大人だとて十全に信用できるとも思えない。バンドリ世界線において(少なくとも今作の枠内において)「大人」は完全なるものではなく、往々にして不完全な部分ばかりがピックアップされることが多く、みなみちゃんはその最たる存在だからだ。少なくとも実の娘を「怪物」呼ばわりする親を信用するのは難しいだろう。

 奇しくも時を同じくして、モーティスからも似たようは話が提出される。モーティス自身も含め、睦の外側に見えるあらゆる人格は仮初のものであるという主張。それまで数多存在していた仮の人格は、睦がギターという拠り所を見つけて「不必要」になったために淘汰され、最終的には「睦ちゃん」に集約されるはずだったところを、モーティスのみがMujica絡みのゴタゴタの調整役としてかろうじて生き延びたという話だ。この言説もずいぶん突飛なもののように感じるが、よくよく考えればそれって単なる「思春期までの成長における人格形成」の一形態と言えなくもない。子供というのは、生まれながらに何かを決められるものではない。無限の可能性、ありうべき「自分」があって、成長という名の無数の挫折と断念を経て、その行く先が絞られていく。そうして一意に自分を定めて「安定」していく様を人は成長と呼ぶことがあるわけだが、モーティスからしたらそれは「喪失」であり、自己の消滅すら内包した遠回しな自殺とも言える。モーティスが幼児のままで動かぬ性格を持っていることはまさに幼年期の体現であり、成長を拒否し残す無限の可能性、甘美で安易な「夢」の残滓でもある。これを消すことを成長というのならそれは欺瞞でもあるが、果たしてそれを避け続けることが正しいのか。若葉睦という少女は、歪んだ家庭環境の中で長らく「自分」を見つめる機会を与えられてこなかった。しかしギターに出会い「自己」を見出し、今ようやく人格を得ようとしているところだ。

 ただ、悩ましいのはその「睦」が目指している理想の自分は「CRYCHICの自分」であり、祥子も、立希も、それがもはや終わったものだと断言している。睦はそこを諦めたくない気持ちを持ち続けているが、おそらくそれは叶わぬ夢なのだろう。若葉睦はCRYCHICを手放し、新たなギタリストとして「自己」を確立する場を模索する必要がある。もちろんそれがAve Mujicaである必要はないし、祥子のことを考えればそうではない方が良いとは思っているわけだが、そこにモーティスは反発している。「モーティス」という名を与えられた人格は「ずっと昔から睦ちゃんと一緒にいた」わけだが、今たった「2人」だけで生き残るほどに顕在化しているのはAve Mujicaというバンドが受け皿になり、明確な「入れ物」を用意してくれたおかげ。睦がMujica以外のバンドを組めば、おそらく「モーティス」は不要となる。2つの「未来の可能性」が共存するためには、なんとしてもAve Mujicaでなければならないのだ。しかしそれは、モーティスの、若葉睦という1人の人間のエゴでしかないのだ。

 転じて、今回語られた2つ目の局面、八幡海鈴に話題を移そう。ややこしいモーティスの話に比べれば、どうやら海鈴さんの過去はおよそ想像通りのものだったようで、すげぇ簡単にまとめると「あまりにバンドに入れ込みすぎちゃったからぶっ壊れた過去があり、そのせいで責任を取りたくない、『信用できない』スタンスを取るようになった」とのこと。まぁ、バンドという集団を形成する段にはよくある話で、ディティールは違うが山吹沙綾とチスパあたりにも似たような話があったし、同じくサポートメンバーとして複数のバンドを掛け持ちしたレイヤ、マスキングあたりも「バンド内関係」には悩んでいたこともあった。海鈴さんの場合、残念ながら「一発目」のショックが大きすぎて、その後のバンド活動全般に大きな影響を及ぼしたということらしい。

 これまで秘密のヴェールに包まれていた八幡の日常も一気に明かされたことでその精神性への考察(妄想)も色々と捗ることになる。一番に注目されるのはやはり家庭環境だろうか。地獄の豊川家、煉獄の若葉家と対比的に描かれた熊本の祐天寺家、その他バンドリ世界の「家庭」は温かいものが多いが、どうやら八幡家もふつーにほんわかなご家庭らしい。ちょいぽっちゃりめだがとても人が良さそうな八幡母(CV渕上舞)。娘さんのパンクな生き様もふわっと受け止めて放任しているらしいが、多分彼女の生い立ちにおいて家庭環境はマイナスには働いていなそうである。まぁ、母親の容姿に抵抗があるのかどうか、徹底した体型管理はストイックすぎる部分もあるが、そこはまぁ、思春期の女子なら想定の範囲内だろう。元々ミニマリストの気があるようで、「都内でもそこまで思い切った物件あるかい」と突っ込みたくなるような打ちっぱなしコンクリアパートの室内は本当にものがない。味覚がおかしくなりそうなカロリーメイトの山にプロテイン、そこに対比的に持ち込まれる「目玉焼きをのっけた焼きそば」の話から、彼女がバンド活動を続けるにあたり、そぎ落とし続けたものの大きさが滲み出ているかのようである。まぁ、30のバンドを掛け持ちするには、どこかでタイパを突き詰める必要もあるのだろう。そこまでして彼女がバンドにしがみついているのは、根底に何かしらの情熱があるからなのか、「親の世話にならずに」生きることへの執着があるのか。

 しかし、そんな効率厨になった八幡海鈴の前に投じられた大きすぎる一石。それがどうやらCRYCHICだったようだ。あの豊川祥子が救われたCRYCHICラストライブ。一度は喧嘩別れして崩壊したはずのバンドが、1人の人間を窮地から掬い上げた。何故なのだ。自分を突き放したあのバンドは、何も後には残さなかったというのに。この感情を嫉妬というのかどうか、少なくとも海鈴自身は認識できていないが、周りの連中は着実に外堀を埋めてくる。よりによってあのCRYCHICには海鈴が信頼に値すると判断した数少ない人間の1人である椎名立希が含まれている。あのツンケンしたクールガイ椎名立希が身も世もなく泣きじゃくるほどの経験が、CRYCHICにあったというのか。バンドというのは、そこまでの存在なのか。海鈴はその存在をまだ知らない。

 ストイックな彼女のこと、分からないことがあれば知りたくもなるのだろう。悔しくもなるのだろう。「元鞘」を目指してまずはオブリビオニスの再起を促すも当然失敗。一番話がつきそうな「効率厨」だと思われたにゃむちに話を持っていき、言質を取ることには成功した。あとは、歪みきった状態ではあるが同じモチベーションを持つモーティスをなんとか「使える」状態まで持っていければ、何かしらの糸口は掴めそう。……なんとまぁ、不器用なことで。おそらく彼女は本当にいろんなことを「知らない」のだ。ある意味でモーティス以上に無垢で、まっさらで。さらにタチの悪いことに、モーティスが自然に維持していた「幼児性」というか、成長の拒否を、海鈴は自らの鉄の意志で行なっていた。バンドに裏切られたことで、人間関係の構築、自分からの積極的な他者への介入を遮断し、目を向けてこなかった。そこに一歩踏み込んできた空気を読まない女が椎名立希だったせいで、彼女に対してだけは、どこかで埒外の反応を示してしまうこともあった。やり方が分からないことが多すぎて、カラオケボックスのドリンクバーで戸惑っていたお嬢様・豊川祥子のように、海鈴は間違ったどか買いをしたりする。ミニマリストの彼女がアホみたいな買い物をするという対比構造には、過度のストレスを受けた混乱があり、何かを変革したいという欲求が見て取れる。

 赤ん坊のようなモーティス、何も分からない世間知らずのティモリス。2人の結びつきはAve Mujicaの再びの萌芽となりうるのだろうか。そして、此の期に及んで海鈴からろくすっぽ話すら持ちかけられないほど信頼されていない三角初華は。

 Ave Mujicaは「死」を経験し、祥子は「忘却」した過去に向き合った。だからとて5人にはまだバンドへの「愛」はなく、何を「恐れ」ているかも分からない。その先に待つのは、「悲しみ」だけなのだろうか。

 
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 いい最終回だった。第7話!!!!!!! 冗談でもなんでもなく、今回は最終回です。これ、ガルパやってる人間ならわかるんですが、演奏しながらメンバー1人1人の独白を入れていくっていう形式は各バンドごとのメインストーリー最終話のフォーマットなんですよ。つまり、今回はガルパに実装こそできなかったが、実質「CRYCHIC」というバンドの最終話だったのです。4月のライブ、現時点で意味が重なりすぎて会場潰れるんじゃなかろうか。

 前回の雰囲気から何となく、今回で「モーティス編」は最終話になりそうだ、という予感はあった。全て自分が悪かったということをすでに認めている豊川祥子、そして間を取り持つ長崎そよ。この2面攻撃でもって、モーティスという仮初の人格が成立しなくなるのも時間の問題。前回時点ですでに睦自身が何とか表に出ようと必死になっている様子が描かれたわけで、「睦を守りたい」が最大のモチベーションであるモーティスが今更その存在を頑なにする意味がなかったのだ。それでも何とか祥子憎しの感情で表にで続けたモーティスだったが、そんな虚しい人形の心を溶かしたのが、かつての同志・CRYCHICのメンバーたちであった。

 今回全員で集まって誤解を解いた通り、そもそも睦はCRYCHICが憎かったわけではない。純粋に大切な存在ではあったが、ギターという唯一の存在証明すらもバンド活動の中で表現しきれなかった自分がもどかしく、それが一番不器用な言葉で出てしまっただけだった(それにしたって不器用が過ぎるが)。まぁ、あのタイミングでは睦だけが祥子の件を知っていたのだし、祥子1人を悪者にするわけにもいかないので「バンドは楽しいから存続しよう」などと言えるはずもない。睦なりに悩んだ末のあの発言だったのだろう。

 そうして、長年後悔し続けた睦の懊悩はモーティスも知るところ。睦はギターが好き、そして(祥子は別にしても)CRYCHICも好き、というのがモーティスなりの理解。だからこそそよに対して心を許してもいたし、ギターに憧れるから楽奈にくっついてもいた。モーティスの一挙手一投足が、睦の中のCRYCHICへの想いを体現していたとすら言える。だからこそ、最後の一押しはそのメンバーたち。すったもんだの末に祥子の口からもCRYCHICの名が出たことにより、モーティスも祥子を許すことを決意する。歴史的な雪解け。まず、1つのピースがつながった。

 CRYCHICの最終章ということで、当然祥子と睦以外の3人にもスポットが当たる。前回からフル回転だった長崎そよ。そよが持ってきたシナシナきゅうりが役に立ったとは思えないが、少なくともそよにしかできない返礼だったのは間違いない。CRYCHICという十字架を背負い続けているのは睦もそよも同じこと。今改めて、2人が力を合わせて過去を乗り越えた。そよ目線だと、あの夜祥子から受けた手痛い扱いについても、責めるに責められないしちょっと恥ずかしいところだったのかもしれないが。

 これまで蚊帳の外だった、というか、割り切ったつもりでいたのが立希。まぁ、短気な彼女はあんな揉め方をしたバンドメンバーに対して、自分から和解案なんて持ち出す気はさらさらなかっただろうが、①今やってるバンドに支障が出そう ②何よりも燈に支障がでそう ということで渋々和平へ乗り出した。思えば随分月日も流れ、久しぶりにあった祥子は想像以上に縮こまってしまっている。椎名立希さんは怖い女だが、怯えている女子供には優しかったりするのである。途中、姉との関係性で何だか妙な気掛かりを残してはいるが、まぁ、CRYCHICについては泣き虫立希ちゃんにはこれくらいで良いのだろう。

 この度、しばらく元メンバーは4人で対話しており、メインボーカルの燈は介在しないままで話が進んでいた。しかし、やはりCRYCHICMyGO同様に燈の歌で成り立つバンド。最後に燈は「新曲」を持ってきた。それが今の祥子を一緒のステージに立つ一番の道具だと考えたのだろう。そして燈は相変わらず正直だ。同じステージに立ち、同じ歌を歌い、あの頃の甘い思い出に戻ってしまえばそれで終わりだったかもしれないのに、敢えて本心を言葉にしてしまう。「全然分からない」と。かつて、祥子は初めて燈の歌詞を見たときに「私の歌」だと言った。燈は「今の祥子は分からない」という。同じステージに立つとはいうものの、それはCRYCHICの再結成を促すものでも、祥子を慰めるためのものでもない。自分たちの「今」を見定め、先行きを暴き出すための暴力的なまでの本音の吐露だ。そうした真っ直ぐな燈の言葉に、祥子はいつだって動かされてきたのだから。

 こうして紡がれた2つの歌。誰もがその意味を理解し、「なんで」なんて誰も言わない春日影。穏やかな春を謳ったこの歌。春は別れの季節でもあるのだ。豊川祥子の、若葉睦の新たな旅立ちへ、かつてのメンバーが最高の花向けを送り届けた。

(観客にいた愛音と楽奈は楽しそうだった。楽奈、空気読んで必要なときだけ姿消すのすごい)

 これで終われば、1つの物語としては綺麗なものだ。しかしまだ問題は残っている。モーティスがまた眠りについたとして、まだ睦はマイナスからゼロに立ち戻っただけ。彼女の人生は、まだその先が真っ暗で何も見えていない。豊川祥子にしても、睦に対する過ち、CRYCHICへの過ちこそ贖罪を遂げたものの、彼女の暗澹たる人生は何もプラスに転じていない。改めて作る必要があるのだ。祥子と、睦が、輝ける場所を。

 そして次の曲が始まる。開始を告げるは八幡海鈴。ただでさえ謎に包まれた彼女の本心、先週に引き続き、たった一言で全てを持っていくパワーファイター。彼女は何故、春日影に唇を噛んだのだろう。彼女は「成されたバンド」に何を思うのだろう。

 そして未だ埋伏を続ける三角初華。まず間違いなく、この物語の最終章は三角初華の章であろう。

 新たなマスカレードの幕が上がる。

 
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 長崎そよ、捲土重来の兆しあり、第6話! まだまだびっくり設定が飛び出すぞ。これ、ほんとにバンドリ世界線の物語として成立してるんだろうか……これまで超常的な要素が絡んだエピソードってほとんど無かったと思うが……(花咲川の怪談エピソードとかRoseliaのホラーエピの時なんかあったかなぁ)。

 相変わらずの渦中。どこから手をつけていいかもさっぱり分からない展開になっているが、何とか要素をまとめていこう。ほんとなら最後に触れたいところだが忘れないうちに「今回触れられなかったこと」に言及しておくと、まずは何と言っても「三角初華、1コマも登場せず」というのがエグい。前回も含め、多面的な展開になった時でも必ず全てのメンバーに触れるようにしていた今作だが、ついに今回は初華が一切登場しなかった。しかしこれは「描く必要が無かったから」ではない気がする。とにかく周到なシナリオを構築してくる今作スタッフのこと、何の意図もなければ、むしろにゃむと同様に「ちょっと現在の状況を挟む」くらいの描き方をするはずだ。実際、にゃむは「現在にゃむは自分なりの活動に邁進して頑張ってますよ(あとラーメン銀河に激辛ラーメン売ってますよ)」ということを示すためだけに1シーンだけ登場している。それに対し、まださっぱり問題が解決してるように見えない初華の方だけ登場しないという、このぽっかりと空いた陥穽がどうしようもなく怖い。この1ヶ月、初華はどこで何をしているというのだろう。

 にゃむは上述の通り「うまいことやってる」状態であることが伝えられた。まぁ、激辛食レポが望んだ姿かどうかは分からんが、少なくとも本人の望むルート上にあるのは間違いない。言及されなかったってことは巴もマスキングもバイトしてないタイミングでの撮影だったっぽいですね。

 そして更なる刺激をぶっ込んできたのは八幡海鈴。きたきたきたきたきたキタァ! ついに鋼の硬度を誇ったティモリスの仮面にヒビが入った。いったい何が彼女を不愉快にさせたのか、それは現時点ではまだ分かっていない。いくつものバンドの最後を看取ってきたであろう海鈴にとって、別に「あのバンドに愛着なかったんか」とか言われることはそこまでストレスではないはず(「YES」と答えればしまいなのだ)。しかし、明らかに立希のあの一言で海鈴は苛立った。それは言った相手が立希だったことが要因なのか、はたまたAve Mujicaというバンドが彼女の中で何か特別な意味を持っていたからなのか。「崩れた」ことによってようやく八幡海鈴という1人の人間を探る糸口が見えたが、ここから先がまだ長そうだ。それにしても……たった一言、「頑なに守ってきた丁寧口調が崩れる」1ワードだけで胸中に蠢く不穏な感情が漏れ出る脚本が本当に周到。本当にこの作品をやるための準備が着実に「It’s MyGO!!!!!」の時から積み重なっていたことが分かる。

 さぁ、残るは祥子・睦、そしてモーティスということになる。そしてここに新たに楽奈とそよも絡んでくるため、話はCRYCHICというバンドの記憶へ。豊川祥子は、今も昔もあったもんじゃない。身の回りの状況を受け入れるだけで手一杯だろうし、自分がやらかしてきたことを思えば過去なんて振り返りたくない。何もかもを忘れて「知りませんわ」と言いたくなる気持ちも分かる。そして残念ながら、そんな彼女の思い出したくない「過去」を一番喚起するのが高松燈という存在なのだ。彼女が丁寧にしたためていた大量の付箋は燈との思い出の大切さを物語っているが、今やそれら全ては彼女を苛むものでしかない。睦の現状についても大きな後悔は抱えているものの、ここまで己の無力さを思い知らされた彼女には、贖罪の機会も再起の意志も起こり得ない。

 そんな祥子が残した最大の病巣がモーティス。今回のお話、まずもってモーティスがそよのことを悪しからず思っていたという事実は少々意外だった。どう考えても睦にヤなプレッシャーを与えてクソ女ムーブをしていたわけで、睦のメンタルを第一に考えているモーティスからしたら、ここ最近(MyGO編からの時系列)のそよは敵視されてもおかしくなかったはずだが。しかし実際には幼い思考しか持たないモーティスがママ味溢れるそよを肯定する。モーティスの判断基準は「CRYCHICが好きだったから」とのことで、そよは「睦もCRYCHICが好きだった」というモーティスの一言にショックを受けていた。そんなことすら伝えられないような「あんまり親しくなかった」間柄の2人だが、それでもモーティスはそよを受け入れている。もしかしたら、あの寒々とした若葉家の中で、初めてモーティスの言葉に耳を傾けたのがそよだったことも理由なのかもしれない。少なくともCRYCHIC時代にもよくしてもらっていたはずだし、モーティスには長崎そよという裏表女の悪い部分は認識されていないのだろう(まぁ、自身の「二面性」に比べれば可愛いものだし)。

 三日三晩の診察と看病(?)の結果、そよはモーティスという人格を認めざるを得ないと結論づける。Ave Mujicaのメンバーが秒で受け入れてたのがどう考えてもおかしいトンデモ現象なのだが、今にして思えば「メンバーに興味がない海鈴」「祥子以外に興味がない初華」あたりは悪い意味で睦の異状を気にしなかったのだろう。にゃむだけは何かしら反応してもおかしくなかったが、もしかしたら「2つの人格」についても若葉睦の演技力の延長線上として捉え、「認めたくない」という感情があったのかもしれない。とにかく、そよは睦のことをよく知った上で真正面から初めて「モーティス」に向き合った人物であり、そのことでモーティスからの一定の信頼を得るに至った。

 そしてもちろん、そよはこんな異常事態を放っておくことはできない。いや、彼女にとって睦がどういう存在かを一意に定めるのは難しいかもしれないが、おそらく彼女の中で、「唯一すがる場所であるMujicaを失ったモーティス」という図がかつてのCRYCHICを失った自分と重なってしまったのだ。「またしても祥子によってバンドを奪われてしまうのか」という感情から、彼女はとにかくモーティスに力を貸そうと考えたのだろう。たとえ睦に対して愛憎入り混じっていたとしても、自分の人生を滅茶苦茶にしたあの事件を、繰り返す理由にはならないのだ。

 そしてRiNGに連れてこられるモーティス。見せ物の如き彼女の容体を、まさかの柚餅子色の心眼が見通す。ほら、猫ってたまに何もない空中をじっと見てる時とかありますから……まさかの設定。要楽奈はそのオッドアイでもって2つの世界を見通せる。……何だその設定。このためのオッドアイだったんか?! そんなキャラデザあるぅ? もしかしたらゆにこが「オッドアイ」から思いついた脚本かもしれんけど……こんなところで楽奈に新しい属性が付与されるとは……。

 とにかく、楽奈の人智を超えた理外の才にモーティスは新たな依存先を見つける。しかもありがたいことに、そよが「睦ちゃんに色んな刺激を与えてみては」という(心理療法的にはそこそこ正しい)アドバイスをしたところに、これ以上ない天然ギタリストという属性までもっている。楽奈の暴走ギターによって、「ギターしか頼るものがない」睦がついにわずかな意識を取り戻す。それまで必死にギターケースを抱えて駆けずり回っていたモーティスの頑張りもようやく実を結んだと言える(踏切でちゃんと一時停止できるお利口さんである)。しかし、残念ながらモーティスと睦が対等に対話できるというわけでもない。祥子に対する評価が真っ二つに割れた2つの魂は、主従を巡って虚しい争いを繰り広げる。その様子が、新たな火種になるとも気付かずに。……未だ物言わぬ人形の姿しか取れない「睦」の瞳にホワイトノイズが反射してまるで泣いているかのように見える演出がゴツいです。モーティスはテレビの画面を通して睦に外の様子を伝えているが、「外の世界に直接触れないように」という過保護な精神からきているこの行為が、睦の一番恐れていた「テレビカメラ」という存在を介在させているのがあまりに残酷。「スマホ(カメラ)」という睦の恐怖の対象にいち早く気づいてかばいにいった長崎そよ、現時点ではモーティスすら超えて睦の一番の理解者になった。

 そしてそんなそよさんを信頼し、祥子が居を移したことを知らないモーティスはよりによってクソ親父ハウスの住所を伝える。睦があれだけ頑なに守り通した秘密があっさり漏れた結果、そよさん、何故か2週連続でホラー展開の犠牲者に。……まぁ、月ノ森のお嬢様からしたらクソ親父アパートはそれだけでホラーかもしれん(そよさんが再婚前に住んでたアパートもここまで安っぽくはない)。おかげで一発で祥子の窮状を理解することができた察しのいいそよさん。地面師がらみの168億円事件がMyGOメンバーに共有され、相変わらず全く意識しないところで「またなんかやっちゃいましたぁ」と情報を漏らす愛音経由で、そよは祥子の現状を聞くのである。

 長崎そよは、CRYCHICを抱えながら生きることを誓った女。MyGOという新しい居場所のおかげで前を向いて歩くことはできるようになったが、燈と一緒に、その影を背負い続ける女。そんな人間に、発起人である祥子が「何も知らん」などとのたまっていたことが伝わった。あの日、「自分のことばかり」と自分を蔑んできたあの豊川祥子が、あろうことか睦を犠牲にして何もかもを終わらせたという。

 長崎そよは抱えて進む。忘却(オブリビオニス)など絶対に許されない。反撃の無路矢をあげろ。

 
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 さぁ、アニメが地獄の3丁目だというのにライブをやるらしいぞ。しかも今回はこないだのシングルを買った人は抽選でご招待。漏れてしまった人も、なんならCD買ってない人だって無料で配信が観られちゃうという、ちょっと信じられないような慈善事業ライブだ。開始数分で「こんなライブやって金取らないとか、運営は馬鹿なのか!?」と思ったが、違うな。これは撒き餌だ。こんなもんを見せられたら、今後は死に物狂いでライブチケットをもぎ取ろうとする人間が激増するだろう。もう、逃げられないのだ。人の心がない企業、ブシロード。ありがとうございます。

 

<以下、セトリに従い、いつも通りにリアタイツイート垂れ流し方式です。今回はアーカイブもないので、何が起こったのかを確認しようがないけどな。俺もないせいで自分が何を思って書いたのかもよく分からない>

 


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 椎名ァ! 第5話! みんなして必死になすべきことを成している時に、何1人だけ色ボケしとんねん! 流石に爆笑したわ! あ、あと野良猫さんは何週ぶりかの登場おめでとうございます。

 てなことからも分かる通り、少しずつMyGO組にもパスが渡り始める展開。これまでの4話に比べると明確な波風は多少収まって、心臓を鷲掴みにされるのではなく、ギリギリと万力で締め上げられるような回になりました。まぁ、ここまでの4話が起承転結だと「起」「驚天」「驚天」「驚天」みたいな流れで来てたので、ここで「転」くらいで一呼吸置きましょうよ。いや、展開だけ見たら何一つ治ってないし、次の展開への種まきでしかないのだけど。

 流石に先週と同じフォーマットを続けていると感想として発散し続けてしまいそうなので一旦簡単にまとめていこう。拾わなきゃいけない要素が多すぎるのでリアタイ視聴後の単発感想でどこまで拾えるかも分からないが、現状で私が見たい要素をピックアップすることで感想に替えたい。その場合、やっぱりキャラ1人1人で分けて考えるのが楽かな。

 まず、先週までは世間を賑わす坩堝のど真ん中にいたモーティスさん、今回はなんとほぼ登場せずという凋落。まぁ、最後に強烈な爆弾をぶん投げて2週続けてのホラー展開というノルマは果たしてくれたが、シンプルに「願いが歪み、全く想定していない方向に自分が全てを台無しにしてしまったせいで壊れる」という展開である。タチが悪いのは、あれだけやっといて壊れたのがモーティスではなく睦の方だということ。いや、壊れたってのも表現が違うか。モーティスに全部任せた結果大失敗したもんで、そりゃもう二度と出てこられなくなった。あまりにも自己肯定できずにいたため、もしかしたらモーティスの中でも若葉睦という存在はかき消えてしまいそうなのかもしれない。モーティス自身は睦を害する意図など全く無く、むしろ救いたいと思っての行動だったのに結果は真逆。そりゃ焦る。何が酷いって、睦がこれだけの状況になってしまい「1ヶ月引きこもり」という具体的な問題を抱えているというのに、そよが自宅を訪れた時にも対応したのはメイドさんだけなのである。父親のわかばも、みなみちゃんも娘に何一つ寄り添っていない。壊れるべくして壊れてしまったお人形に、そよは再び睦を宿らせることはできるのだろうか。

 此の期に及んで(いや、こんな事態だからこそ)表舞台に頑なに上がらない八幡海鈴。今や世間のMujicaファンの注目は「いつ八幡の(壊れる)ターンが来るんだ」という部分に集まっているが、Mujicaというバンドにも何一つ拘泥することなく、解散ライブ後に秒で帰った女。現時点でこいつがどんな綺麗事を並べようと、流石にMujicaが好きだったとかいうことは信じられないだろう。今後どこかでMujicaの唯一性を示し、先週モーティスが言っていた「たった1つの居場所」であると海鈴が感じられれば良いのだが、これまでの醜態を見せつけられて、海鈴にそんな感情が宿ることがあるのだろうか。それこそ「遅かれ早かれ」の1例でしかないわけで……よっぽど強烈な感情を海鈴自身に向けられる人物がいなければ海鈴の感情も跳ね返ってはこない。……椎名、おめぇ何ゆるんでんだ。お前だけが頼みの綱なんだから、なんとかしてくれ。

 そしてひたすらに株を上げ続ける奇跡の女、祐天寺若麦。ほんとすごい。解散の直接の原因になったくせに株が落ちない。むしろストップ高。今回Mujicaメンバーの中で楽器を弾いてる(練習してる)シーンが描かれたのってにゃむだけなのよ。自分が「終わらせた」バンドがあるのに、まだにゃむの中で「ドラマー」の仕事は終わっていない。それはもしかしたら今後のキャリアを考えての練習なのかもしれないが、例えば「演技の仕事」については若葉睦の影を睨みつけてグッと踏みとどまり、自己研鑽の糧としているのに、ドラムについてはそうした自制すら及んでいない。自宅に並べられた大量の演技理論の書籍に倍するだけ、彼女はドラムに打ち込んできたに違いない。現時点で一番バンドリ次元にふさわしい「キラキラドキドキ」の権利を有してるのって、間違いなく祐天寺。世間が何を思おうとも、彼女だけは最終的に不幸になってはいけない。彼女自身は「バラエティで売れてればOKです」とか嘯くだろうが、彼女の仮面は、いつだって脆弱なのだ。

 動きのなさで言えば睦と並ぶのが三角初華。今回彼女がやったことはただ消えてしまった祥子の幻影を追うことだけ。にゃむとは逆に放送開始から株を下げ続けるこの女が、未だ浮上の兆しを見せずに沈み続けているのは、この後にどんな地獄を用意しているからなのか。プリンの瓶の底から世界は暗転する。2杯のコーヒーを淹れようにも彼女には同居する友も、仮面を被った「ドロリス」すらいないのだ。にゃむにシカトされ、海鈴にも塩対応をくらった三角、こいつほんとにバンド内でも信用されてなかったのだろう。ちなみに今回明かされた三角絡みのもう1つの要素として、「回想シーンで2人で天体観測する燈と祥子」というシーンがある。燈は、祥子と一緒に(同じ)星を見ていた。そんな彼女が傷心で挫けそうになった時に行ったのがプラネタリウム。そしてそこで三角初華と出会っている。おそらく祥子は、幼かった頃に南の島で初華とも星を見ている。遠く輝く星が2人のボーカルに縁をもたらしたというのに、初華の視線はただ自室で虚空を見つめるばかりだ。

 そして1話目以来、久しぶりに全てのシーンがこの女のために費やされた、豊川祥子。彼女の人生行路にはツッコミどころも目白押しで、解散後に速攻でコールセンターに戻れたのも意味が分からんし、やっぱ赤羽警察署とマブであり続けていたのもなんだかなぁ。まるでAve Mujicaとして過ごしていた期間がすっぽり抜け落ちてしまったかのように、彼女の生活は地べたへ落ちた。ガールズバンドものとは思えないくらいに定点カメラが大活躍する小津安二郎の世界からまろびでた女子高生だ。彼女が戻った安アパートの光景、作曲ではなく学校の宿題をやるだけの机。彼女が忌み嫌った世界に戻ったにも関わらず、祥子の表情は今回一度たりとも動いていない。悲しみも何もない、ただ茫漠とした日常。失われたAve Mujicaの時間、そして苦しさも悲しさも何もかもを消し飛ばす、それはあたかも「忘却」であるかのような筆致である。ただ無関心であれば、人は不幸ではなくなる。バンドを失い、あれだけ固執して守ろうと必死だった父親との繋がりもすでに切れた。彼女にはもう、何も残されていない。

 いや、祥子自身が忘れても、世間がオブリビオニスから関心を失ったとしても、この世界には豊川祥子を忘れない者たちがいる。本来なら初華がその立場になるべきなのだが……未だ彼女はその域に辿り着けない。今回唯一、祥子の表情を動かした人物。かつての記憶への涙を喚起した人物。地べたに落ちた物を拾い上げられるこの世界の人物。もちろんそれは石を、ダンゴムシを、ただ掬い上げていたまっすぐな視線。高松燈以外に無いのだ。彼女は上履きのままで必死に走る。本来その靴で踏み越えてはいけない領域を跨ぐ。「校内→屋外→豊川邸」へと無遠慮に踏み入る。それはあたかもCRYCHICMyGO!!!!!Ave Mujicaと、音を繋ぐ意志でもあるかのようだ。

 燈の煽りにしか見えない付箋紙の不器用さは空いた口が塞がらない。ほんとにこの子は生きづらすぎる性格をしているが、CRYCHICを解散させたあの頃とは違い、燈の周りには友達がいる。余計なまでに口を開き、余計なまでに人を繋げる千早愛音がいる。毎年アンカーだった彼女の走力が役に立ったかどうかは分からないが、細い細い線を愛音が繋いだ。燈が再び、豊川家のピアノに辿り着いた。そこから音楽が生まれた。人形だった全てを忘れても、「人間になりたい」歌が生まれたあの場所へ。

 バンドを、やろう。

 

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 無  理  。第4話。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。2話3話はさ、事前にくらってたからまだ対処できたんだ。4話もう無理。胃の腑が変。

 もう、まともに感想書くことはできないので、以前も採用した「映像再生ながら何かを垂れ流す」形式で書き留めていくことにします。分からない人は映像流しながら読んでください。来週以降はまた考える。

 

・開幕長崎そよ。「登場するだけでおもしれー女」とか言われてるのは伊達じゃない。

Mujica内であっさり受け入れらるモーティスさん。いや、海鈴とにゃむはまだ分かるが、初華、お前はそれでええんか……。でも、冷静に考えたら睦と初華ってMujica以前に繋がりはないのか。……この流れで「いい雰囲気」とか言い切っちゃう三角、こいつほんとになんも分からずにその場の空気で適当なこと言ってるだけだな。

・「今のMujica好きだよ」。三角……。

・最終日に初披露の楽曲。この後に及んで祥子に負担かけさすなよ。祥子のこの様子を見て何も感じない初華、やっぱだめだろ。「疲れてる」じゃないんだよ。

・初華&睦、タクシー内での対話。「なんかまなちゃんに似てる」。初華、その比較はどうなんだ。お前純田のこともろくに見てないんか?

・「メンバーがやめるのはバンド解散と同じ」。わざわざ言質とってそこの紐付けするのか。

・モーティスも祥子のことは守ろうとしている→睦の意思を尊重している。ただ、どうしようもないくらいに方向性を誤っている。モーティスに最大目標が伝わらなかったのは祥子の努力不足だったんだろうか……。

・濃厚なうみたき。写真撮り過ぎだろ。そんなに大量の内容を自学自習でカバーできるもんか。数学得意なのは納得だけど。立希、お前の中で海鈴はどこまで行っても「有名になったクラスメイト」か。

・「燃え尽きる前の線香花火みたいですね」。八幡ァ!!!! お前さぁ! ほんとさぁ!

・ゆるい雰囲気に生まれ変わったMujica。「いい意味でMujicaっぽくない」→祥子の考えていたMujicaなど無用。

・「私もこの写真好きだな」。結局何も分かってなかった三角。ほんとお前さぁ。お前の最優先が全く守られてないんだが?

・モーティスオンステージ。「お笑い芸人わかば」は面白いやつなんだろうか。

・にゃむの表情。やはり配信者は本気のタレントには及ばない……ってこと?

・にゃむさん自宅シーン。祐天寺……祐天寺ィ! この短期間でこんだけゴリゴリ好感度上げられるキャラいるぅ?! すみません、方言ところどころわかりません。

・「若麦」。……地元愛も強い……なんて素敵な女なんだ……にーちゃんねーちゃん弟妹。まさかの山吹さんちよりも大家族かよ。この女が他人の不幸なんて望むはずがないじゃん……。

・モーティス、衝撃のCO。なんでギリのリハまで誰も気づかなかったんだよ。モーティスは元々睦と一緒にいた存在。それが睦がギターを始めたことによって唯一の「自己」を見出して分化した存在であるとするなら、ギターを弾いているからこそ睦なわけで、それってつまり「モーティスはギターを弾けない」になるんだよな。いや、理屈では分かるが……天はなかなか二物を与えないか……。先週時点でギターを置いてたのはモーティスなりの明確なメッセージだったんだな。まぁ、どっちにしろ意思疎通は下手くそだが……このテンションと論法、タレント森みなみの血が嫌というほど伺えるの最悪やな。

・「モーティスはギターが弾けない」を受け入れるのが早すぎるメンバー。こいつら、超常現象に対する対応力無駄に高いな。とりあえず病院連れてけ。

・月夜の邂逅/祥子VSモーティス。今回のハイライトにして地獄を煮詰めた味。モーティスにはモーティスなりの論理も倫理もあるんだ。「他者と対話する」という睦に最も欠けている素質をモーティスがカバーしてあげた。それが祥子の望みだと思ったから。

・「睦ちゃんは死んじゃったよ」。カット回しによる表情の変化。

・「私の名はモーティス。ずっと昔から睦ちゃんと遊んでいました」。「ずっと昔」のことを知らない祥子。結局、祥子は睦を見てあげられなかった。

・「だから私は祥子ちゃんが嫌い」「睦ちゃんと、睦ちゃんが大好きだったバンドは守るから」。モーティスの行動原理の1つに「睦を守る」があるのがなんとも……。「バンドを守る」については完全に間違っちゃったし……。

・「睦ちゃん、2度と戻ってこないかもね」。それって結局死の宣告では。豊川はあの日の長崎そよに「だから私が終わらせた」と言った。お前が終わらせたものがあるなら、他人がお前の何かを終わらせることもあるんだ。

・「あれは、睦ではありません」。「二重人格」という言葉で一応は受け入れられるのか。

・圧倒的ホラー構図。ここだけは正直笑った。ここまでいくとギャグなのよ。祥子さんからしたら真正面からのホラーだけど。

・「生演奏にこだわっていたのが、裏目に出ましたね」。なんで此の期に及んでクレバーなんだこいつ。どこまで行っても他人事だな。

・「すぐにサポートを手配しますが」。やはりバンドというものにこだわりはない模様。

・モーティスはさ、多分精神年齢もマジで「分化前」で止まってるから幼稚園児くらいなんだろうな。まぁ、母親があの年齢であの状態なので、元々幼い家系なのかもしれんが。

・祐天寺の決意。ブレない彼女の信念。ほんとに顔がいい女……ここにきて、祥子もにゃむも「望んだライブができない」という共通の壁にぶち当たったが、当然手を取り合うことはできない。

・「あたし、抜けるわ」。これ、無茶してるように見えるけどにゃむ目線では正解だし、祥子目線でも「それしかない」結論なんだよ。気づいてないのはモーティスだけ。いや、初華もフラフラしてるから結局は一緒なんだけど。

・「バンドは共に音楽を奏でる、運命共同体なんだよ!」。「睦ちゃんが好きなバンド」はそうだったのかもしれません。でも、そこにお前の居場所はないんだ。

・「Mujicaしか、祥子ちゃんにはこの世界しかないんでしょ!」。確かにそうは言った。でもな、結局5人全員が同じ「この世界」を見てる瞬間なんて1度もなかったんだ。

・「遅かれ早かれですよ。続くバンドの方が少ないんです」。ほんとにひでぇやつだな、とは思うが、多分何度もこんなシーンを見続けてきたんだろうな。だからこそMyGO!!!!!騒動の時の八幡はクレバーでいい仕事をしてくれた。しかし、ここまで何一つ響かない集団には話し合いの余地もない。損切りは早い方がいいんだ。

・モーティスの抗弁。ほんとに「人の心を持たないお人形」なのだなぁ。

・「海鈴ちゃんだって、Mujicaが自分の居場所になるといいって、言ってたのに」。海鈴、ノーコメント。ここで海鈴が何を思うかだよなぁ。

・「なんであんたMujicaにいんの」。一見残酷すぎるにゃむの言葉だが、彼女なりの敬意と思いやりの表れではあるし、事実上の敗北宣言なんだ。これを言えるから祐天寺は強いのだが、今この瞬間、その誠実さは凶器になってしまう。

・Cパート。これをライブ会場で見せられるお客さん、どんなリアクションしたらええねん……。

・このアニメは、青春バンドアニメです……。

 スペシャルサンクス、バンドリーマーの皆様。

 俺 た ち の せ い じ ゃ な い。

 
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 よ  う  こ  そ  第3話。

 さぁ、全人類が無事にここまで到達しましたね。視聴にあたった皆様方におかれましては、私が年末年始ずっと体調が悪かった理由がご理解いただけるかと思います。なお、3週間ぶりに再び観る光景に、やっぱりゲボ吐きそうにはなりました。散々やり散らかしておいてさ、エンディングで最後に「バンドリーマーの皆様」ってクレジットが出るんですよ。「こんなアニメが作られてるのは、全部おまえらが望んだことだからな」って言われてるみたいで、すげぇやるせなくなるんですよ。Hail 2 U!

 とはいえ、このお話まではまだ心の準備ができていたことに加え、今週まではリアタイ視聴ではなく、放送翌日に辛抱できずに大量にタグサーチした後でこのテキストをアウトプットしているため、なかなか自分自身の意見や見解をまとめるのが難しい。こと今作においては世界中のみんなが本当に全力で考察し、感じ取ってくれているため、それらの感想を見ているだけでも満足できるくらいの情報量があるのだ。中には私が気づかない視点を提供してくれるものもたくさんあり、やはり世界規模での共有知ってのは恐ろしいもんだと痛感させられる。そんなわけで、今回までは個人的に無視できない部分をピックアップするにとどめておこうと思う。まぁ、来週以降は何かをアウトプットする気力すら残されてるか分からないけど。流石に今週よりも地に堕ちることはないよね!

 とはいえどうまとめたらいいかも分からないので、先週同様に1キャラずつスポットを当てる形にするか。ぶっちゃけ「若葉睦」についてはもはや何を書いても無駄な気もするし、来週以降の姿を見てから俎上に上げるべきだとは思うので省略。情報としては、「先行上映の劇場で会場がどよめいたシーン」がエンドロールだったという答え合わせだけしておきますね。お客さんもさ、もっと前のシーンでも色々と叫びたかったとは思うんだけど、「劇場ではお静かに」のルールを守って、みんなして口の中を噛んで血だらけの状態で耐えてたと思うんですよね(私は体調が悪すぎて動けなかった)。ただ、あのラストシーンで呼吸が止まり、エンディングに入ったところで一瞬弛緩してしまったんですよね。「ひとまずこの地獄もここで終わりだ」ってんでふっと緩んだところにあの文字列を叩き込まれたもんで、みんなして「ひえっ」って声が出てしまった。スタッフもわかってて書いてるからな、あれ。

 さて、そんなむっちゃんを取り巻く4人のムジカメンバーたち。中でも注目を集める今作の中心人物はなんといっても祐天寺にゃむである。この作品が始まるまでは他のキャラとの絡みが全然なかったせいで「誰やこいつ」みたいな一番外の存在だったくせに、わずか3話でどんどん人物像が完成して、しかも1話のあのご乱心からのスタートとは思えないくらいに好感度が爆上がりしてんのやべぇでしょ。いや、人によってはまだ受け付けられない可能性もあるが……祐天寺の血の通ったキャラクターの描き方、ほんとに一分の隙もないのよ。今回までの流れを知ってたので前回感想で漏れ出てしまっていたが、にゃむの持つ「焦りと嫉妬」の要素はバンドリ世界の原動力。そして、そんな彼女自身が単なる我欲に囚われた身勝手な人間ではなく、その欲を満たすためにどこまでもストイックに、多大な犠牲を払って突き進む女性であることが描かれている。祥子を苦しめているという一面だけ見ると悪役に見えるかもしれないポジショニングだが、別ににゃむの言ってることは何一つ間違っていないのだ。あくまでも商業主義的な路線が祥子と理想を違えているというだけで、むしろ「ゲストの希望」という1点だけを考え、ショーとしての出来だけで評価するなら、にゃむの方が正しいとすら言える。2話でむっちゃんが壊れた時の寸劇でのにゃむのガチ演技を評価する声も多く、彼女は与えられた仕事は全て完璧にこなす。

 そして、今回衝撃的だったシーンの1つに「お隣の和奏さん」がある。このシーンについては「バンドリ世界線との雑な接続」とも取れるし、一部では「にゃむちの年齢がまさかの高1?!」というところでやたら盛り上がっているが(芸能学校だとするとレイヤが「先輩」だからって必ずしも高1の年齢かどうかは分からんが)、その実、このレイヤとの関係性でスタッフが示したかったことは、「祐天寺にゃむという女の本質」の一部であろう。そう、レイヤが一言「マスキングが誉めていた」と言った彼女のドラムワーク。この世界においてこれ以上絶対的な評価軸もない。誰がなんと言おうと、たとえ祥子から練習が足りないと言われようと、にゃむのドラムはガチなのである。それを誉められたにゃむは謙遜とも取れる反応を示していたが、その後の自室でのがむしゃらな練習シーンによって、彼女が現状で一切満足していないことも分かる。若葉睦という「天然の才」を見せつけられたからというのもあるが、彼女はおそらく、誰にもナメられたくないのだ。「マルチタレントとして成功する」ことが望みだという彼女。この「マルチ」は「器用貧乏」を意味しない。「何をやらせても出来るタレント」。彼女はそうなろうとしている。その向上心は、白鷺千聖にも負けていないのではなかろうか。

 そんなにゃむと真っ向からぶつかる豊川祥子についても、睦同様に現時点で語れることはあまりない。むっちゃんの惨状にばかり目がいってしまうが、その実、祥子の方だって問題は何一つ解決していないところにさらなる揉め事がエンドレスで追加されているのだ。彼女が「壊れず」にギリギリで踏みとどまれていることの方が奇跡に近い。そんな状態で睦を犠牲にしてしまった彼女を、誰が責めることができようか。……まぁ、やっぱ辛いけどね……。にゃむとの対比で見てしまうと、確かに彼女の「ムジカ論」は単なる理想というか、独りよがりには見えてしまうんだよなぁ。ただ、高校1年生の彼女が人生一発逆転劇のためにゼロから生み出したこのマスカレードを、なんとか自分なりの理想像まで持っていきたいというこだわりも理解は出来る。「ムジカが全て」といってしまっている今、内圧によってその聖域が破壊されようとしている現状は、彼女にとっては耐えられないものだろう。

 そしてそんな祥子をただただ見つめる三角初華という時限装置。やはり現状ではこの女が一番ヤバそう。今週は目立った動きこそなかったが、例えば冒頭で「あの演出は睦と祥子が事前に打ち合わせてたんですか?」と海鈴が発言した時の「えっ? ちょっと待って、私聞いてないよ。祥子ちゃん、なんで2人だけで?」みたいな表情。祥子が睦の話をしてる時の「私も幼馴染なんだけど、会う機会は睦ちゃんより少なかったせいで……」みたいな反応。暴れるにゃむを見て「とりあえずさきちゃんの味方しなきゃ!」ってんで大してレスバもできないのに食ってかかっちゃう浅慮。睦はあの揉め事を見ながらそこに過去のCRYCHICの顛末がフラッシュバックしていたが、その時に初華と重なったのは長崎そよである。祥子から「ご自分のことばかりですのね」と一蹴されてしまったそよの日和見的なあの態度が初華と重なってしまうと、2つ目のバンド騒動にも地獄の予感しかない。そして最大の問題は、長崎そよは1人でぶっ壊れてご自宅で鬼LINEする程度で済んだが、三角初華は抱えているものが多すぎるのである。どこかの書き込みで見て怖気が走ったが、彼女が祥子を思って出したのが「半分に切ったドーナツ」だったのが怖すぎるというお話。「sumimiは解散しませんよー」への回答が1週遅れての「ムジカは解散させないッ!」だったこの女。今作の最終ステージはやっぱりこいつなんですかね。

 となると余っちゃう1人、相変わらず何してるか分からねぇ八幡海鈴。行動だけ見るとバンド内の揉め事で火に油を注いでいる状態。こんだけやってて未だムジカに対するこだわりや愛着は一切無いらしいのだが、この女がキラキラドキドキバンドストーリー世界に入ってきて友情を紡ぐイベントとか、発生するもんだろうか。何をさせたとしても煽りにしか見えない気がするのだが……。今回の海鈴の行動で一番のホットスポットは「祐天寺さんの実力が足りないと思ったことはありません」の部分だろう。本当にバンドの揉め事に対して「我関せず」を貫くなら黙っておけばいいはずのシーンで、彼女は言わずにいられなくてにゃむのフォローに回っている(この時のにゃむの反応が「余計なこと言うな」だったのも実に香ばしい)。これは単に「自分が正しいと思ったことを言わずにいられなかった」という正論マシーンとしての本能だったのか、それともにゃむの行動原理になんらかの共感を持っての擁護だったのか。海鈴の場合はさ、1ミリも空気を読むことなく正論だけを吐き続ける八潮瑠唯(初期型)ともまた違って、そこになんらかのエゴも混ざってる気はするんだよなぁ。なんにせよ、ここでディスラプションの海鈴からもサポートが入ったことでにゃむのドラムスキルがさらに補強されることになったり。現時点ではどうにも椎名さんがいないと孤立無縁の八幡であるが、3月を迎える頃には、バンド内の誰かと1本くらい線が引けるようになってもらわないと困るぞ。ただ……そうして八幡海鈴の内面に迫ってぐちゃぐちゃにしていく話も怖すぎるので見た…………い!

 というわけで、来週以降の睦の動向が今後のムジカを大きく揺さぶることになるのだろう。「モーティス/死」を自分の代替品として選択した若葉睦。彼女はただ豊川祥子のことを想い、彼女が壊れてしまってはいけないというのでムジカを守り通す選択をした。そのために、もはや存在意義を見出せない「若葉睦」という自己を放棄し、祥子が用意してくれた仮面、モーティスに全てを委ねたのである。もちろん、祥子の台本にはそんな項目は用意されていない。まさに勝手に動き出してしまったお人形。命(アニマ)を吹き込まれた存在が、次に誘うのは生か死か。

 ただね……個人的に1つだけ希望を持っている要素がありまして。多分関係ないとは思うんだけど、Anglesの歌詞には「“死(モーティス)それは私たちを結びつける」とあるのですよ。

 怖くなるほど、綺麗でしょ。

 
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