「葬送のフリーレン」 6→7
説明不要。……いや、ほんとはこういう作品の方が言葉を尽くして説明するべきなんだけどね。全盛期の俺なら全話がっつり感想書こうとしてたかもなぁ……。
感想書くのが難しい作品なんですよ。表層をサラッと撫でると「日常もの」みたいなテイストがあるじゃないですか。実際第1話の時の2時間枠の時は「なんかのんびりしたアニメなんやなぁ」と思って構えを解いてしまった感もあるし、ただ環境音楽のように美しい風景を流しておくだけでも得られるものがある作品。ただ、それだけにしっかりと要素を掴んで引っ張り出すのにはかなり神経を使う。その労力を惜しんで感想からは逃げてしまったのである。まぁ、世間でも充分騒がれてる作品だし、別に俺なんぞが触れなくても問題なかろうよ……(いつものことながら、どういうスタンスなんだろう)。
というわけで、以上が「触れてなかったけど好きだったんですよ、楽しんでましたよ」の言い訳コーナーでした。改めて2クールの放送を終えてまとめようとするとやっぱり大変なことは大変なのだが、1つだけ間違いなく言えることは、今作をもって間違いなく作家・斎藤圭一郎の地位が不動のものとなったな、ということである。私も存分にニワカなので彼の名前を意識したのは「Sonny Boy」のあたり……いや、確認したら「ACCA」のOVAのコンテでその片鱗は感じ取っていたが、それでも履歴としてはやっぱり「ぼっち・ざ・ろっく」の1本で一気に脚光を浴びた印象が強い。そしてぼざろはあの通りの飛び道具というか、何かしらの反則を働いた可能性も拭いきれないつくりだっただけに、氏の本当の実力が確認できたのがこの「2発目」だった。ぼざろのような飛び道具は絶対に使えない作風の中、期待から1ミリたりともずらさず、予想を遥かに飛び越える結果を残した氏の手腕は間違いなく本物である。
もう少し具体的に評価点を挙げるなら、今作で多用されたサイレント作劇の持ち込み方が個人的にはすごく好み。「長い長いフリーレンの一生の中のほんの一瞬」を切り出している本作は、人間の時間感覚で言えばとんでもなく長い時間でも、主人公から見たら瞬き1つ。「時間尺度のズレ」そのものが大上段のテーマになっている本作において、いかにして「長い時間を短く詰めるか」というのは大きな課題になるのだが、そこを端的に示すべく、セリフなしの情景の切り取りだけで描く構成がさまざまなシーンで登場していた。別に珍しい表現でもなんでもない、そのままさらりと流してしまえる描写なのだが、これを「流してもいいが、流せない」ウェイトに置くのがすこぶる上手い。下手な作家が構成したら単なるシーンの断片の羅列になってしまいそうなところを、存分に物語性を含めて、要所で効果的に見せてくれる。こういう緩急というか、見せる部分と削る部分のバランス感覚というのは本当にセンスだと思う。原作ありアニメってのはそうしていかに原作のエッセンスを搾り取り、そこにアニメ独自の肉付けをしていくかの勝負だと思うのだが、ぼざろにおける最大限の「盛り」に加え、今作では「詰め」の妙味を味わわせてくれた。「カットの美学」みたいないなものを感じさせてくれる実に見事な采配。
改めて、「葬送のフリーレン」は不思議な作品である。魔王討伐の「その後」のお話、魔法もバトルも盛り盛りなのに、決して倒すべきラスボスを用意してるわけでもなく、あくまでも主体となるのはほわほわフリーレン一座のロードムービー。あまりに掴みどころがなく、ともすれば単なるぼんやり日記で終わってしまいそうな作品が、これだけ刺激に満ちた作品になったのだ。本当に恵まれたアニメ化だったんじゃなかろうか。
……2期とか、あるんすかね。
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