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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 抱えてた喫緊のお仕事が片付いたので、(流行病に戦々恐々としながら)劇場に行ってきました。ずっと観たいと思ってた作品だったんですが、なかなかタイミングが合わずに封切りからこんなにずれ込んでしまった。無事に視聴できて何よりでした。まぁ、正直おっかなびっくりではあったんですがね……。とりあえずネタバレ無しで1つだけ言えることがあるとするなら……「空腹状態で行くな」ですね。

 

<以下、一応ネタバレなど含みますが……ネタバレ……うん、ネタバレな……>

 




 さて、正直どこをどう切り取ったらいいのかもよく分からないでこれを書き始めてるんだよな……。こちとら面倒な性分なもんで、実は毎度毎度映画を観ながら「感想はどういう方向でまとめたらいいかな……この話題を軸にしたら書きやすそうだな……この要素を拾うとさっきの要素と繋がるな……」みたいなことを考えてるんですが、今作の場合は、なかなか予断をもって受け止められなかったために、ある意味全部予定調和のくせして全てが不意打ちみたいなところもあって……難しいのよ。とにかく前提として言えるのは、みんな多分「劇場版って、なにしたらええねん?」って思ったでしょ? 映画化の報を聞いたときにはまず間違いなくみんなそこに首を傾げる。さらにしばらく後になってトレーラーが公開され、「大人編」という事実が判明したらさらにもう一回首を傾げる。何しろ原作もまださっぱり完結しておらず、なでしこ達が大人になった後のことなど、(冗談全開のへやキャンの中以外では)一切触れられていないのだ。これからも原作が続いていくであろう現状で、「さらにその先」である大人編を劇場版でやるなんて、そんな暴挙が許されるはずがない。

 しかし容赦無く映画は始まった。そして、特に断りも無しにさっさと導入されるしまリン大人版。ふつーに一人暮らしして、ふつーに満員電車で鮨詰めになり、ふつーにデスクワークをこなしている。確かにそこには図書委員として窓口にいたあの頃のしまリンのイメージが無くもないが、もしトレーラーなどの事前情報が一切無い状態で劇場版から見始めた人がいたら、この時点でポカンとしてしまうだろう。「あ、へやキャンにも似たようなコンセプトはあったし、きっと妄想オチ、夢オチだよね」と思うかもしれない。実際、私も中盤までその可能性を捨てきっていなかった。盛大な夢オチ、ラスト数分で犬子が「ホンマのことやで〜」って言ってあの目になるオチ。そういうものがあるんじゃないかと思っていた。なんならなでしこが重機を持ち出したあたりでその思いがピークになった。「いやいやそれは無理やろ。無い無い絶対無い」と。しかし、今作は間違いなく「ゆるキャン大人編」だったのである。なんの事前準備も無い、「10 years after」だったのである。その時点で、受け止めるのが大変だった。あと、飯食いすぎで大変だった。ただ黙ってカニを食い続ける映像を見るとかいう新手の拷問だった。お腹すいた。

 とにかく、そうして大人になっちゃったらいろんなしがらみが生まれて世知辛い話になるし、そんなのユルくもなければキャンプでもない、なんなら話が地味だから映画でもない、つまり「映画・ゆる・キャン」の全部の要素が嘘やんけ! と文句を言う気満々だったのだが……2時間の視聴を続けているうちに、いつの間にか確かに「ゆるキャン△」にはなっていた(「映画」になったかどうかは今でもよくわかっていない)。なるほど確かに、別に「ゆるキャン△」の必要条件に「女子高生であること」は含まれていない。先生だって立派なゆるキャニストであるし、なでしこ達がその中心にいるならば、その物語は「ゆるキャン△」なのである。大人になったからってそこになんの齟齬も無い。そして、キャンプ場づくりなんて無茶なテーマ設定も、「なでしこ達の交流を描く」という大上段のテーマに比べたら些事である。確かに無茶だし、どう考えてもあり得ない設定だという感想は最後まで変わらないが、そんなあり得ないことが起こったからこそ、わざわざ大人になった後にも「ゆるキャン△」が語られることになったのだろう。

 結局、最後の最後まで「素人の女性5人によるキャンプ場づくり」という無茶な設定は受け入れられるかどうかは分からない。特に5人全員がそれぞれの本職を持ちながらの週末ボランティアという設定はどう考えても限界があり、よっぽど平常業務が暇で超絶ホワイトな勤務先でなければ実現し得ないであろう。一応仕事的に一番融通が効きそうななでしこ、そしてキャンプ場計画が仕事の一部である大垣はぎりぎり可能性があるレベルだが、残り3人はやはり片手間で手伝うなんてのは本当に微力のサポートだけになるだろう。特に名古屋からいちいち通いでやってくるリンはとんでもねぇ負担である。いくらもじゃ先輩が優しいからって、物には限度がある。ただ、そうして無茶苦茶すぎるタスクがメインテーマになってしまったが故に、そこには「現実感を放棄した超常性」みたいなものが生まれており、「もう、この世界はリアルの辛さなんか忘れちゃっていいのよ」という誘惑が巻き起こる。途中まではこの世界に一切のストレスは存在せず、なんなら大晦日から元旦まで会社で徹夜作業をしていたリンがなでしこ達から初詣の写真をもらったとしても笑って済ませてしまえる世界である。冷静に考えて「正月休み返上徹夜」とかイカれた所業だし、そんな状況に友達が遊んでる写真なんて送られてこようものなら発狂モンだと思うのだが、リンはそれを受け入れてしまえるだけの余裕と、未来への希望があった。「ゆるキャンとは、そういう世界なのだ」と捩じ伏せられた気がした。

 しかし状況は変わる。「もう、この世界にネガティブな感情は存在しないのかもしれない。ず〜〜〜っと、ユルく、ず〜〜〜っと優しいだけの世界、そんな2時間の劇場作品が万一成立したとしたら、それはそれですげぇぞ」と思い始めた頃に、ついに今作最大のネガティブが押し寄せる。流石に劇場作品。起承転結かどうかは分からないが、どこかでシナリオ上の「変化」は起こらざるを得ないか。一応今作らしいのは、「キャンプ場制作中止」という最大限のピンチ展開ではあるのだが、そこに何者かの悪意だとか、理不尽すぎる天変地異なんかは存在していないという部分。強いて言うなら余計なものを見つけてきてしまったちくわが最大の戦犯なのだが、まぁ、そこは責めてもしょうがないし、上の力で強制的に開発中止になる展開ではあっても、「なんか、それはまぁ、しょうがないよな……」という斜め上の条件設定でやむなく表情を曇らせるのである。

 そんでまた、曇った後の展開が怒涛の攻めでどんどん不安になるのよ。やっぱりほら、この作品でネガティブな感情が巻き起こることなどこれまで一度たりとも無かったから……ねぇ。大垣のところに告知が来る、同時に犬子の学校の閉校イベントが重なる。その辺りまではまぁ、シリアスに「起こるべくして起こった悲しい出来事」が描かれているだけなのだが、面白いのは他の連中、なでしこが受けるネガティブのサインは「曇って自室から富士山が見えない」、斉藤は「雨でちくわが散歩に行けない」。リンは「美味しいお菓子を食べてもなんか気が晴れない」であった。この辺りの怒涛のネガティブ責め、あまりの下落にどんどん不安が募っていって、斎藤が後日川辺でちくわの散歩してるシーンがあまりに意味深すぎて、途中で「え? もしかしてちくわが突然永眠したりしないよね? 大丈夫だよね?! ちくわ?!」ってめっちゃ不安になった。いや、絶対あり得ないんだけど、それくらいに不穏な空気ががっつり不穏だった。これが普通の作品だったら「まぁ、劇場版だから当然ピンチの1つや2つ起こるよね」で終わりなのだが、モノが「ゆるキャン△」なだけに、こちらもピンチに対する心構えがなかなか出来んかったのである。怖かったよう。ちくわフォーエバー。

 そんでまぁ、折り重なるネガティブを乗り越えるためのブレイクスルーが映画としてのクライマックスになるわけだが、最終的には「ちょっぴり仕事に疲れた社会人女性2人が登山の末に露天風呂に浸かってデトックスして、あの頃の思い出話に花を咲かせる」というシーンで転換である。なんやねん、邦画か(そのツッコミも変だ)。ただ、上述の通りに「突然の大人編は本編とのつながりがデリケート」という問題もあり、温泉でのなでしことリンの対話も、多方面に配慮した繊細な進行になっている。ここのトークで「あの頃は良かったね」は絶対に言っては行けないセリフ。何しろ劇場版は劇場版で1つの「ゆるキャン△」として成立しなければならないわけで、もし回顧に走ってしまったら、「大人編は高校時代よりもくすんでしまっている」というバッドエンドにしかならないからだ。女子高生だろうがOLだろうが、ゆるキャン△は絶対にゆるキャン△である。それならば、高校時代の良さもありつつ、大人だからこその良さを最大限に見せていかねばならない。ことここに至って、なるほど「キャンプ場づくり」という無茶苦茶なテーマも、「どんな状況でも楽しめる仲間がいて、キャンプがある」という今作のテーゼに着地するための方策だったと言うことが分かる。高校生にはできなかったことが、大人のなでしこ達にはできるのである。高校時代には経験不足から冬山で凍死しかけたことがある。予算の都合、足の都合で行けなかったりやれなかったアクティビティがある。しかし社会人ならそれを乗り越えられる。自由な時間は減ったし責任も増えた。それでもなお、新たな良さを見出すべき「ゆるキャン△」があるのだ。それを見せつけられれば、今作は成功だったのである。

 というわけで、終わってみればなるほどドラマが成就した。視聴中は色々と捉えどころがなくて「文句を言った方がいいんだろうか?」と悩んでいた部分も、最終的には「ちゃんとゆるキャン△が観られたな」という達成感にかき消えた。本当に不思議な作品である。はたしてこれが劇場版として最善の姿だったのかはよく分からんのだが、劇場版以外では絶対に見られないゆるキャン△ワールドだったのは間違いないし、気づいたら2時間経っていたことを考えれば、1本のドラマとしてもまとまりは良い。この感覚を端的に表すなら……「公式が、盛大に同人作品を展開した」みたいな状況だろうか。「こんなゆるキャン△もいいよね!」という1つの別解。制限された土壌だからこそ生み出された珍妙な妄想ストーリー。それがこの劇場版の正体だったと、そう思えばいいんじゃなかろうか。贅沢な二次創作なのだとしたら、それってつまりお金出す価値あるってことですからね。私、間違ってます?

 追伸:犬子の嘘やでフェイスが最後まで出てこなかったのでヒヤヒヤしてたんですが、エンディングの蕎麦鵜丼で見られてホッとしました。

 

 

 

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