最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
気付けば残り2話しかないという事実に愕然とする第11話。そりゃなぁ、原作があれしかないんだからもう終わるよなぁ。
Aパート「人形じゃなイカ?」。徹底的なホラー風味が貫かれており、正直私のようなチキンハートの持ち主は、これだけでも充分怖い。水島監督はグロ気味の映像は何故か気合いを入れて描く傾向にあるせいで、メインテーマとなった人形の描写が本当に薄気味悪い。全体的にカラートーンを落としておどろおどろしさを強調してみたり、普段は(そこそこ)常識人であるはずの栄子のセンスをちょっとおかしくして違和感を出してみたり、まるでイカ娘じゃないかのようなしっかりした脚本・構成である。 普段はイカ娘がボケで栄子が突っ込みなのだが、今回ばかりは栄子の方が天然気味におかしなセンスを発揮しており、視聴者は完全にイカ娘視点から物語を追うことになるわけだが、気付けば「赤外線」だのなんだのとすっかり人間界の言葉に詳しくなっているイカ娘に、予想以上に共感を抱きやすくなっている。加えて、昼間にダラダラと家でくつろぐイカ娘の姿があまりにも自堕落で、生活感溢れるものになっているので、その辺りにも妙な親近感を抱いてしまう。あの長さのスカート(?)であられもなくグダグダしてると、絶対見えるところからは見えているはずなんだが、あの家で男はたけるしかいないから構わないのか。それにしても、早苗が来た時にベッドの上で本を読んでるイカ娘の格好が何か変だったけど……あんな格好で雑誌読む人っているのかしらね。 Bパート「疑惑じゃなイカ?」。シンディーと三馬鹿の魔の手が、イカ娘以上に謎の多い千鶴へと変更されるというお話で、筋を追うと本当に予定調和で何もしていない1本。やっぱりこういう救いようのない脚本を見ている方が、イカ娘を見ている気分が出ます(アレ?)。そんな中でもさりげなく三馬鹿の埒外の技術力を披露してみせたり、イカ娘のちょっとした触手の使い方でみせたり、作品の空気を維持するファクターはそこかしこにちりばめられている。というか、それしかない。千鶴メインだからもう少し千鶴のアクションで見せてくれるかと思ったのだが、今回はそんなこともなかったぜ。 Cパート「登山しなイカ?」。海の使者を山に連れて行くだけのお話で、「イカ娘に何かを初体験させればそれだけで1つのエピソードになるよね」という分かりやすい構成。いかに真夏とはいえ、あの軽装で出かけたイカ娘が虫に刺されないのだろうか、というのが一番の見どころである。あ、あと千鶴の「キングコブラがイカ娘の触手をマングースと間違えたみたいね」っていう部分も、どこをどう突っ込んでいいのか分からないという意味では見どころかもしれない。どういうことやねん。 オチは、せっかく早苗を持ち出してきたのに特にありませんでした。めでたしめでたし。 PR
らめえん! な第11話。この作品に普通の話なんぞ望んじゃいないが、エンディングに向けて盛り上がる王道展開は、これはこれで見応えがあるぞ。
序盤は、退学・解散したミルキィホームズの面々が野に下ってアルバイトしている様子がシャロ中心に描かれる。これまでの10話分で分かっちゃいたことだが、こいつらは本当にトイズが無いと一切の生活力が無いな。これだけどうしようもない連中だとたとえどれだけ強力なトイズを持っていても馬鹿にしかなれない気もするんだけど……現役時代は大活躍してたんだよなぁ。トイズすげぇな。そもそも、宿舎にいた時にはデパ地下巡りとかでそれなりの食糧調達は出来ていたはずなのに、なんでネロとコーデリアはあそこまでやつれてしまったのやら。やっぱり仲間との別れが精神的に響いていたってことなのか。もう少し生きる手段に賢くなろうよ。 各々の生活を見てみると、「お前ら肉親とかおらんのか」と思わないでもないが、とにかく一人で暮らしていこうと必死の4人。コーデリアは「いくらでもあるお花」を売りながら生活しようとしているが、そりゃま、生活基盤を構築できるような商売にはならんわな。「花売り娘」って水商売の代名詞的なイメージが出るはずなんだけど、何故かコーデリアではエロさが一切無いのは流石。「お花……いくらでもありますよ……」って、お前の背後に生み出される花は具現化系能力の1つだったのかよ。ネロは、ファミレス勤務が無理だと分かってすぐにヴィジャ板を使った占い師に転職。でも、あのヴィジャ板って別にネロの特技ってわけじゃないよね。それともご先祖様にあやかろうとしていたのだろうか? 考えてみりゃ、一番特徴が薄いキャラクターがネロなのか。 そして見た感じ最も生活力に乏しいエリーは、「詩集を売る」という、意外にも一番自己顕示の激しい商売にチャレンジ。うまくいくわけもないのだが、彼女の生態については謎が深まるばかり。他の3人もよくこいつを放っておく気になったものだ。そして、我らがシャロはドジっ子主人公の面目躍如、場末のラーメン屋で元気に看板娘を勤め上げる。海から侵略してきたイカですら出来る業務でことごとく失敗してみせる技量は見事なものだし、あれだけのことをしても最後の最後まで首にならずにいたのは人徳ゆえのことか。今回一番面白かったのはラーメン屋を巡るあれこれだった気がするね。いや、正確には「ラメーン屋」か。そう言えば舞台がヨコハマで、中華街じゃなくて「米菓街」になっていたのもちょっと面白かったぞ。 各々の生活に必死なミルキィホームズの落ちぶれっぷりを見て、憤怒の形相を浮かべるのはアルセーヌ。彼女が何故そこまでシャロたちにご執心なのかはよく分からないが、やっぱりあまりに強すぎるために強力なライバルを求めているということなのだろうか。これまでにないシリアスな作戦でもって、最後の最後までミルキィホームズを待ち続ける。意外にもシャロと仲が良かったG4の面々を一蹴し、最大最後の捨て身のプランを発動。その結果として、見事にシャロたちのトイズが復活しました。これまでの流れで、「世のため人のために、何としてもトイズを使わねばならない」というシチュエーションに追い込まれてのトイズ復活という絵図は確定事項だったと思うのだが、その対象が、アルセーヌ本人であった、というのが何とも良い話。すごく普通の盛り上がりを見せる展開も、異質さは感じられず、素直に受け入れることが出来るシナリオである。現場に着く前にこれまで助けてきたキャラクターたちが総出でミルキィホームズのサポートに回ってくれる展開とかも、なかなかアツいものがあるよね(引き出物の皿の使い方の適当さは面白すぎたが)。 相変わらずの小ネタのテンポもそれなりに維持しつつ、シャロは愛らしく、展開はアツく。なんとまぁ、本当に立派なクライマックスのお膳立てが整いましたよ。次回はいよいよ最終回。こんなに楽しみな作品になるなんてね! そうそう、今回は各キャラクターが色々とアツい部分をみせてくれただけに、中の人の活躍も際立っておりました。特に見どころが多いのは、やはりシャロの中の人、三森すずこ。新人とは思えない安定感と芸幅の広さには驚くばかりだが、噂では某夢の国のアトラクターをやってたとか? 金の卵には違いないなぁ。沢城みゆきに新谷良子、後藤沙緒里などを発掘した木谷系列のキャスティングは、今後も伝説を作ることになるのか。
Aパートが全て、第11話。久し振りに神がかってましたなぁ。主に麻奈実的な面で。
Bパート以降とか、正直どうでもいいんですよ。人格破綻者気味の妹の暴挙を涙流してまで許してあげる京介の聖人のごとき家族愛には感服するが、いくら何でも甘やかしすぎだろう、という義憤が先立ってしまうし、作品タイトルと裏腹に、どんどん桐乃に対する好感度が下がるんですよ。黒猫は……面白いけど、何にせよ人格破綻者には違いないよね。あ、桐乃のものまねがやたら上手いところに妙な友情が感じられるのは面白いですけど。 で、Bパートで桐乃が少し京介に歩み寄り、謝罪の言葉を述べたということは、つまりAパートでの自らの行為を悔いて謝ったっていうことだよね。それってつまり、「もう邪魔はしないので麻奈実と暖かい家庭を築いて下さい」っていうメッセージだよね。そう考えないとつじつまが合わないよね。合わないに違いない。 掃除に料理、家事が完璧な上に、並んで座ってお茶を飲んだ時の絶大な安定感。そして部屋を訪れた際に、幼馴染みがちょっと片寄った性癖を持っていると判明したときの、何とも度量の広い寛容な受け答えと、ちょいと気の利いた切り返し。一言でこれらの要素をまとめる単語は、日本語でいうと「天使」です。もしくは「田舎のおばあちゃん」。もう、どう考えても結婚する以外にないじゃない。「お兄ちゃんはねー、妹にしか欲情しない変態さんナンダヨー」。読むな読むな、その声で読むな。他にも「喧嘩……しないで?」とか「眼鏡の子ばっかりだった……」とか、一言一言の台詞の破壊力が半端じゃない。こんな状態で平穏を保てる京介の精神構造が分からない。 今期最大級にして最強のしゅが美キャラである田村麻奈実。彼女の牙城は崩れることがない。アニメ本筋の流れとか、そんなん知らん。
まさかの展開、第12話。この作品のことだから最後まで投げっぱなしのイロモノ展開で来るのかとばかり思っていたのだが……意外や意外、ちゃんと最終話に向けて風呂敷をたたみに来た。
Aパート24話「D.C.コンフィデンシャル」。ダテンシティ市長・コルセットと、デイモン姉妹がいかにパンティ達に苦い思いをさせられているかを振り返る、一種の総集編のごときエピソード。デイモン姉妹の報告とともに過去のゴーストたちの活躍の様子がプレイバックされるが、元々の映像がかなりキているので、総集編でまとめようとしてもしっちゃかめっちゃか。おまけにスキャンティ姉さまが「大便」だの「鼻くそ」だの「精子」だのを連呼するため、真面目な事務報告をしているはずなのに何とも救いようのないお下劣な印象になってしまう。そりゃま、この作品なら仕方ないことなんですけど、改めて振り返られると本当にひどいことしかやってないことがよく分かる。 まとめて流されるとよく分かるのが、作中でのコンセプトの統一効果。特に毎回ゴーストが爆発する実写の特効シーンは、今回のようにまとめられると1つの指標として統一感があり、あれだけやりたい放題の話なのに何となくまとまっているような気がしてくる。各回の演出方向の違いが顕著に出てしまうため、どこか1つでも共通のパートがないと、多分エラいことになっていただろう。 律儀に全てのエピソードを振り返っているのも馬鹿正直。例えば「チャック・トゥ・ザ・フューチャー」なんかはデイモン姉妹たちは振り返る必要が無いので2人でいちゃいちゃし始めているところに映像が流れるだけなのだが、それをちゃんとファスナーが見ていて、色々とリアクションしてくれているのが面白い。そして、最後には「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ガーターベルト」や「インナーブリーフ」の映像で、コルセットがガーターの存在に気付くわけだ。総集編ぎみのくせに細かいところでの構成にちゃんと筋が通っているあたりが小憎らしい(しかし、ガーターが地下の秘密基地でSMプレイに興じている映像は、一体誰が撮ってきたものなんだろう)。 「ま、単なる総集編兼クライマックス前のワンクッションだし」という軽い気持ちで見られる1本だとは思うのだが、実は貴重なデイモン姉妹メインのエピソードであることを忘れてはいけない。二人がいちゃいちゃする様子は、是非ともリアルパートで描いて欲しかったところなのだが……どこまでいっても引き立て役か。エロいキャラなのにサービス控えめ、それが彼女たちのルゥール! Bパート25話「パンティ+ブリーフ」。まさかの天界帰還エピソードで、あれだけぶつくさ言いながらの仕事だったにも関わらず、いつの間にやらヘヴンが溜まっていたことが判明する。前回の「ナッシング・トゥ・ルーム」の時もちょっと驚いたのだが、やっぱり2人は天界に帰りたがっていたのだなぁ。なんだかんだと後ろ髪を引かれながらも帰ろうとする2人なのに、何故かパンティだけが乗車拒否され、追試のために地上に取り残されてしまう。よくよく考えてみると、ダイエットしたり恋したり、ストッキングをフィーチャーした回はそこそこあったのに、パンティオンリー回って今まで無かったのか(一応4話はそれっぽいけど)。 天界に戻る権利を失い、さらに愛銃バックレース、愛車シースルーにまで愛想を尽かされる堕天使パンティ。最後に彼女を受け入れてくれたのは、まさかのイケメンモードを搭載していたギークボーイ、ブリーフであったと。うーむ、まさに最終回に向けて、って感じの展開で、あんまりこの作品にそぐわないからコメントのしようもないな。あんなしおらしいパンティを見てもあんまり面白くないんだが……ま、千葉繁がトバしてるので、それを見て楽しむことにしましょう。次回はいよいよ最終回。何がどうなるか、見当も付かないし、正直どうでもいい気もしますが、とりあえずデイモン姉妹には幸せになって欲しいです。あとチャックにも。 12月17日 ドラフト模様(SOM×3) ピック順 【Serra】→【Sangriter】→【Thraxi】→【Newcomer】→【Alessi】 寒いですね。我々がドラフトをやっているブースもあまり暖かい環境とはいえないので、この時期はかじかんだ手を温めつつのドラフトになります。いや、別にそこまで寒くないんだけども。むしろ寒いのは私の神話レア事情ですよ。それなりに少なくない回数のドラフトをやっているはずなのに、ここ最近全くプレインズウォーカーさんの顔を見ていません。前の環境ではギデオン先生がちょろっと出たけど、他の連中はうんともすんとも言わないんだよなぁ……ここまでのピック表を見直すと全てのレアが分かるんだけど、神話枠だと「ワームとぐろエンジン」3体、「白金の帝像」3体、「ゲス」さんと「水銀のガルガンチュアン」もそこそこ多いな。……どこにいるんだ、ペスさんコスさん。
鬼のような作品であった。脚本家泣かせで監督泣かせで、アニメーター泣かせで、そして視聴者泣かせ。ここまで身を切る覚悟が無ければ完成を見ないアニメ原作というのも、希有な存在である。
個々のエピソードについてはくどいほどに各回の感想で書いているので総論のみになるが、終わってみればかなり楽しめた作品であったのは間違いない。キワモノ作品にありがちな「特異な演出だけは見応えがあった」とか、私の感想にありがちな「中の人の声だけ聞いてれば幸せだった」とか、そうした一面的な価値ではなく、きちんと総合技術としての「アニメーション」としての完成度が高い、見どころの多い作品であったと思う。 この作品をアニメ化するにあたって、最も苦労したのはシリーズ構成・脚本を組み立てる人々であろう。月一の1時間枠というのは、普通のアニメシナリオになれてしまった熟達者であればあるほどに異質に見えたであろうし、30分という枠に慣れてしまった視聴者にとっても、1時間の「長丁場」をダレることなく見続けられる脚本の線など分かるはずもない。そんな中で、「原作本まるまる1冊分」からアニメ脚本を再構築する作業は、並大抵の苦労ではなかったはずだ。当初は「月一で発売されてた本を月一のアニメにすればいいんだから楽じゃない?」とか考えたりしたのだが、この作品は残念ながら、西尾維新の作品なのだ。通り一遍の技術でアニメになるはずがないのである。シリーズ構成の上江洲誠氏を始め、脚本を担当した待田堂子氏、長津晴子氏にはとにかくお疲れ様と言わねばなるまい。 その上で、脚本をどのようにアニメに落とし込んでいくか、という部分は、実にチャレンジングな物作りが試みられている。最も顕著だったのは田中基樹の手による第7話だったと思うが、それ以外にも小松田大全や小林智樹など、多芸な演出家たちの手によって「台詞アニメ」であったこの作品に艶と味が付け加えられ、毎回異なった楽しみ方が出来た。もちろん、統率者としての元永慶太郎監督は言わずもがな。画面の質についてはあまり触れられる機会のない作品ではあったが、癖の強いイラストレーションを毎回安定した質で提供してくれたWHITE FOXの1年のがんばりにも賛美を送りたい。とにかく、スタッフの実力と、愛に恵まれた作品であった。 1ヶ月ごとに1時間枠で1本、というスタイルは色々な事情と思惑があって実現したスタイルではあると思うが、その試みは充分成功していたと見ていいだろう。ステロタイプな王道パターンを心得ながらも常に捻くれる西尾維新の作品そのものが、「区切らずに1話を1本で」やる前提のスタイルになっており、その意志を十全に再現するには、この方法しかあり得なかった。時間的な余裕もあって質が落ちなかった部分もあるだろうし、今後のアニメ放送のスタイルサンプルとしては興味深いものだ。昨今は、WEB配信などの様々な形態が模索されるアニメ業界の過渡期とも言える時代。その1つの先例として、悪くない結果を出したのではなかろうか。放送本数や放送時期など、財政的な問題で不必要な労苦が多いアニメ業界において、「無理を減らして作品の本質を掘り下げられるスタイル」というのはそれだけで価値があった。なかなかこれに追従することは難しいと思うが、今後もこうした「既存のスタイルに縛られない」作品作りに期待したい。 少し作品内部のことにも触れておくと、「一月に1本の刀を手に入れるために、一月に一人の敵キャラを倒す」というシンプルな構成のおかげで、各々のエピソードに魅力的なキャラクターを丁寧に配することが出来たのが根源的な強み。刀の所有者であげると、2話で登場した宇練銀閣と10話で登場した彼我木輪廻が印象深い。全てのキャラクターが、ちゃんと「七花の成長物語」という大きな縦のラインにちゃんと絡んでいるという構成も心得たものである。全てのキャラが愛らしかった真庭忍軍の中でも、初登場でインパクト絶大だった蝙蝠は最高の敵キャラだったし、人鳥と鳳凰は最後まで作品を盛り上げてくれた名バイプレイヤー。そして、メインキャラクターである七花・とがめ・否定姫・右衛門左衛門。七花は最初「あんまり魅力的じゃないなぁ」と思っていたのだが、とがめとの相乗効果からか、終わってみればなかなか味のある「主人公キャラ」に成長していた。個人的にお気に入りだった否定姫も、ぶれない生き様が実に魅力的。こういう阿漕なキャラを作らせると、悔しいけど西尾維新のセンスってのは妙に刺さる。そして、そんなキャラクターたちの中でも一番のお気に入りは鑢七実である。男の子はね、やっぱり最強キャラには無条件で惚れるもんなんですよ。 当然、キャラが盛り上がったということは、私の視点は「中の人大フィーバー」ということ。本当に毎回名前を挙げているのでよく飽きないものだと我ながら感心するが、戸松遥、田村ゆかり、小山力也に置鮎龍太郎。こんな異様な世界の中で、よくもまぁ、活き活きと動いてくれたものです。でもMVPはやっぱり中原麻衣のもの。次点は……インパクト重視で鈴木千尋かな。ちーくんは本当にお気に入りなんですよ。 のんびりと1年間付き合ってきた全国行脚の12話分。終わってしまうのはとても寂しいが、長丁場で引っ張っただけの意味は充分にあったし、期待以上に楽しませてもらいました。是非とも、このスタッフでまたこうしたチャレンジングな作品が見たいものです。
もう、なんだかよう分からなくなってきた第11話。慶彦のキャラ描写がブレ過ぎてるからどこに感情移入して見たらいいのか判断出来ない。
前回あたりもあまり盛り上がったように見えなかった本作だが、今回はなんと、1話まるまるかけてやったことが慶彦との問答だけ。その間に宗朗が覚醒したり、義仙の手引きで天草四郎が復活の予兆をみせたり、クライマックスといえばそうなのかもしれないが、実際のバトルで一番花を持たせてもらったのはダルタニアンだったし、慶彦のポリシーが何とも捉えにくい状態のままなので、彼の大望が正しいようにも見えるし、妹の千姫にすら愛想を尽かされた最低の男のようにも見える。脚本でもそうした二面性を描こうと思っているのだろうが、なんだか「1人の人間が持つ二面性」というより、単に「慶彦がその場の気分次第でちぐはぐな行動を取っている」ようにしか見えないのである。 まず、宗朗サイドから見た「徳川喜彦」。サムライの立場にある幸村、千姫、十兵衛からすれば、今回の慶彦の態度はまさに最低野郎と呼べるもの。自分を慕って必死に仕えるダルタニアンを罵倒し、彼女の真意など解する様子もなく一方的に使い捨てる彼の態度は、どう考えても擁護出来るものではなく、これまで身内の情に揺れていた千姫ですら反発を強めてしまっている。十兵衛はそうした嫌悪感を最もストレートに表しており、「気にいらねぇから天草軍勢などどうでもいいんでぶちのめそう」という姿勢がはっきり見て取れる。 ただ、そんな十兵衛たちと少しだけ違うスタンスなのが宗朗である。彼はあくまで慶彦を「将軍」として立てており、彼の不遜な態度も国を思ってのものであって、腹を割って話せばちゃんと伝わると信じている。結果的には望むようにはいかなかったが、彼の「臣下を信じろ」という思いが極限まで純化され、信頼に足ると思っていた慶彦に現実を覆されたために、自らの内にあった将としての資質を覚醒させることが出来た。 そして、どれだけ悪し様に罵られようと、過去の想い出を信じ、将を守り続けんと死力を尽くすダルタニアン。一度は慶彦に抵抗を見せた彼女だったが、最後は自らの想いに殉じた。そこに残された信頼関係は、出会った頃の本当に些細でどうでもいい記憶。結局、ダルタニアンはただの愚かしい女でしかなかったが、他人への思いを貫く力だけは、誰よりも強かったというわけだ。本当に、仕える将さえ間違わなければ、といったところである。 そして、当の慶彦は基本的に最低の人格ではあるのだが、一時の興味から親交を深めたダルタニアンという1人の女性のために、最後の最後で何か大切なものを取り戻すことは出来たようだ。確認しておくが、彼の「国を想う気持ち」は本物である。あくまで最大効率を持って敵対勢力に当たろうとする際、彼の世界の中では、「サムライとの忠義関係」が不必要であっただけなのだ。もちろん、それが人として正しい姿だったとは思えないが、ダルタニアンがいてくれたおかげで、わずかでも救いの道が残されたのは幸運といえるだろう。 一途なダルタニアンのおかげで何とか美談には昇華された今回のお話。ただ、やっぱり回想が挿入されて彼女の想いの末路を描くには、いささか唐突すぎたし、押しつけがましさは消せない。慶彦が「本当に最低の男なのか」という部分もぶれてしまい、そのとばっちりで、宗朗の覚醒もイマイチ説得力の無いものになってしまっている。もっと物語の核心部分に十兵衛の存在が食い込めば、宗朗の成長物語としても見るべき部分が出た気がするのだが……なんだか勿体ない話である。 話の筋がイマイチな分、今回はダルタニアンと十兵衛という最大戦力のぶつかり合いのバトルがそれなりに面白い。墨汁の色によって攻防が表現されるのはこの作品独自の持ち味で、次々と墨汁の色を変えるダルタニアンに対して、黒一色で挑む十兵衛のスタイルが格好いい。斬撃が墨の痕跡で残る演出なんかも、動きの激しさが目に見えやすくなる面白い効果といえる。せっかくの「サムライ」ストーリーなんだから、もっと剣で語るパートを増やせば良かったのにね。 でもまぁ、今回は十兵衛と十兵衛の会話パートとか、相変わらずのあおちゃん劇場が聞けたので満足としましょう。
長かった1年の決着、最終話。長かったとはいっても、実質普通のアニメで言えば24話分の尺ですが……やっぱり、ゴールしたなぁ、という感慨があります。
今回のエピソードの中で起こった事件は、たった1つ。それはもちろん「奇策士とがめの死」である。先月狙撃シーンで幕を下ろし、まさかそのままということも無いだろうと思っていただけに、あまりに真っ直ぐそちらへ向かったのは正直ショックだった。これだけ様々な場面で「最強」であることを話題にし、「最も賢い」ことを誇ってきたとがめと七花。その2人が、為す術もなく「死」というあらがえぬ現実に打ちのめされる姿は、じわりじわりと物語の終幕を伝えていく。 「とがめが死ぬ意味」については、いかにもこの作品らしい話ではあるが、末期のとがめ自身が全てを語ってしまっている。とがめ自身から見れば「駒という存在からの解放」であり、その死をもって奇策の完成となす。もしあのままとがめが生存した状態で尾張城へと乗り込んでいたならば、七花は幕府軍に敗れていたであろうし、最終目的である「歴史の改竄」には到達しない。そして、もし無事に目的を果たしたとしても、とがめがとがめであり続ける限り、いつかは七花を「駒として」殺す日がやって来る。それを避けるための手段は、「とがめの死」以外には無かったという。実際には、今の2人の関係を見れば決してそんなことはないのだろうが、それが「とがめの死ぬ意味」として、最も優しい解答であった。「自らの死を策と成し、成就した後にはお互いに駒である必要がなくなる」。己を含むあらゆる事物を奇策の手駒として使い続けてきたとがめの、文字通り命を賭した最後の奇策。この結末こそが、とがめにとって、七花にとって、否定姫にとって、右衛門左衛門にとって、そして世界にとってあるべき姿ということか。 「とがめの死」を受けた七花は、駒としての役割、刀としての役割から解放されるのと同時に、あらゆる目的を失う。残された道は「死」への1本のみ。これまでは「自分を守れ」とのとがめの命があったからこそ選択できなかったその進路を、今ならば気兼ねなく取ることが出来る。そして、それを叶えてくれる人間は右衛門左衛門をおいて他にはない。最後に残された虚刀・鑢は、全ての刀を越えて、完了形へと至る。 奇策士の死は、否定姫と右衛門左衛門の最後の一手。七花の動きまでを全て読み切った上での行いだったのかどうか、今となっては闇の中であるが、否定姫の大願と、それを叶えるために動き続けた従僕の願いは、最後まで果たされることなく終わった。つまり、最終的に「奇策士の死」は、単なる「奇策士の死」でしかなかったわけだ。 あまりに何の変哲もない単なる「終幕」は肩すかし以外のなにものでもないが、考えてみれば「ま、そうなるか」という、妙な得心が残る。最大の関心事は「はたして七花はどのような精神状態になり、どうやってこの先を生きていくのか」という部分だが、とがめのいう通り、彼女は七花にしてやるべきことは全て託し終わっていた。そして、本人が自らの死を悲嘆していなかったのである。ならば、七花はこの喪失を、単なる悲劇と受け止める必要も無い。「やりたいことをやれ」という最後の命令には「ただただ悲嘆に暮れ、残りの人生を棒に振る」という選択も可能だったわけだが、それが最愛の奇策士の望みでないことは、いかに七花とて理解出来たはず。自分を除けばとがめの最大の理解者であったであろう否定姫との珍道中は、彼の中でも、自然に受け入れることが出来た「次の物語」であったのかもしれない。 終わってみれば「なんじゃそれ」と投げ捨てることも出来る、テキトー極まりないエンディング。こけおどしの尻すぼみ作品とこき下ろすことも出来ようが、どうも、そうすることも作者の狙い通りのようで気にくわない。「終われなかったこと」「終わり方が分からなかったこと」、それがこの作品の「幕引き」だったのではないか。「尾張城を真っ二つに切る」というビジュアルに、「おわらず」という右衛門左衛門の声が聞こえてきそうなのは、あまりに穿った見方であろうか。 メインシナリオでは色々と思うところもあるが、その他のパートではこれまでの集大成と言えるおふざけと苦心がいっぱい詰まっている。序盤で延々続いたとがめとの分かれのシーンは、いかにもこの作品らしい、一切の場面転換のない長口上のパート。作品が始まった時にはどうなることかと思った空気を読まない長台詞も、今となってはごく当たり前の光景。じわりじわりと死に歩み寄っていくとがめの様子に、悲しさも伴いつつ、どこか穏やかな収斂を感じさせる。 これまで集めてきた刀を丁寧に破壊しつつ天守閣へ上り詰める戦闘パートは、ジャンプ漫画の王道展開のテイストを残しつつ、皮肉たっぷりのネタ仕込みが憎らしい。絶刀・鉋をあっさりと叩き折ったり、賊刀・鎧を苦もなくぶっ壊してみせた七花に理屈抜きの力を感じ、王刀・鋸や誠刀・銓のパートでは「ま、そりゃどうしようもないよな」という肩の力の抜けたギャグも交える。どう考えても「塔登りバトルパターン」なんて実現できないはずのセッティングなのに、敢えて最終回だからっていうのでそれをやってのける根性と底意地の悪さに溜息が出る。いちいち名前つきで登場する敵キャラが全然分からなかったのはご愛敬だな。誠刀・銓をもってた奴とか、なんで幕府直属の11人に名前を連ねていたのかさっぱり分からんな。 最上階での右衛門左衛門との戦闘。一応「ラスボス戦」ということだが、もうここまで来たら理屈抜き、とにかく「なんかすげぇことが起こってる」感が出せればそれで充分という姿勢。野暮はいいっこなしで、とにかく「強い者が強い者に負けた」のである。 そして、全てに決着をつける否定姫との初会談から、エンディング。対面したことすらほとんど無い否定姫と七花だが、当たり前のように会話が成立しており、この2人の関係性の最終形態こそが、とがめの作り出した結末であることが伝わってくる。最後の最後まで否定姫というキャラクターは一筋縄ではいかない造形だったのだが、様々な心中を暗示させる細かい台詞回しが心憎い。 右衛門左衛門戦の前に「姫様、あんた……」と口を開きかけた七花。のちの展開から、彼はそこで「とがめのことが好きだったのか」と問うつもりであったことが分かるのだが、彼女はその質問を押しとどめさせている。右衛門左衛門との勝負の前に、「それ」を聞かれることは七花の姿勢に影響を及ぼすためだ。あくまで「勝った七花」こそが彼女と心をかわす権利を持つのであり、その前にとがめとの関係性に答えを与えることが出来なかったのである。また、右衛門左衛門の最後の言葉を伝えられた時に、彼女は一笑に伏したわけだが、その時に口から出た言葉は「否定」ではなかった。「案外否定的」な彼女であるが、ラストシーンの頭飾りを見て分かる通り、右衛門左衛門との関係性だけは本物であったわけだ。 そして、最後の一撃を見舞う七花の、渾身の「ちぇりお」。時代の改竄こそうまくいかなかったわけだが、奇策士唯一の望みである「ちぇりお」については、長い長い時を越えて、この現代に結実した。そして、右衛門左衛門戦では「いつ言うのだろう」と思って身構えていた「だがその時、あんたは八つ裂きになっているだろうけどな」が、何故か最後に否定姫に向けて放たれる。右衛門左衛門戦においては、七花は「自分を守れ」などのとがめとの約束事をことごとく破ることで勝利しており、その約束事には、毎回きちんと守っていた「決め台詞を言うこと」も含まれていたのだろう。記録者であるとがめの死をもって、彼はその台詞を言う必要がなくなったはずである。しかし、最後の最後で、彼は否定姫に向けてその一言を使ってみせた。自身の人生が、まだどこかで記録されるのかもしれない。もしくは、自分自身の記録は、ちゃんと残しておく方が良い。そう思えば、彼は「最後に殺すはずだった対象」の否定姫に、律儀にそれを言っておかなければならなかったのだろう。 とにかく、これだけのシナリオ、これだけの台詞量の中に、ありとあらゆる憶測が可能な、読者泣かせ、視聴者泣かせの作品である。最終回を見終えた後でも、その感想は変わらない。本当に、ふざけた作品でした。そして、だからこそ楽しめました。1年間お疲れ様です。 最後に蛇足。ラストシーンでこれまで登場してきたキャラクターの顔が全員流れたわけだが、あの順番で見ないと、錆白兵はわからねぇよ……
最近ではすっかりお馴染みのOVA商法でありつつ、3年ぶりのアニメ復帰作にもなるという、何とも微妙な扱いの1本。個人的にはスタッフ&キャストの総入れ替えによるまったく別な作品にしか見えないわけだが、おかげでどの程度の出来になっているのかが気になっての視聴である。やっぱり30分1本で3000円超えはきついんですがね……
原作は嫌いではない本作だが、アニメ1期の評価を振り返ってみると存外低くて3点を付けていたのに驚いた。当時の迫井作品というとどうしてもピントのずれたものが多くてアニメとしての魅力に欠けていたというのもあるが、放送時はまだ原作を読んでいなかったこともあり、この作品独自の「見方」みたいなものを心得ていなかったことも原因であったろう(それにしたってアニメの出来は良くなかったと思うが)。しかし、それでもシリーズ2クールは全部見ていたわけで、それなりに愛着があったのも事実。特にメインキャストの布陣は最高のものだったと思うので、今回完全な「世代交代」を行った結果がどうなるか、実に気になる部分である(今回のメインキャスト5人の年齢の平均値が22歳というのだからとんでもない「若返り」である)。 改めてこの作品のエッセンスを原作から確認していくと、1期で四苦八苦していたのは独特の雰囲気作りの部分であったと思う。ホラーをメインテイストにしており、しかもシナリオラインが1話1話でブツ切りになり、捻くれた導入だったり、難解な解決だったり、1本のストーリーとして消化しにくい部分が多い。さらに怪異の表現についても、原作者の癖のある絵柄でごり押ししている部分が少なくないため、アニメ絵にしたときに表現しづらく、何とか画面に表そうと解題すると、どうしてもチープな印象になってしまいがち。ホラーなのに既存のホラーの手法ではうまくいかず、かといって「萌えもの」のようなキャラクター主体の見せ方をしようにも設定がかみ合わない。実にアニメスタッフ泣かせな原作。 今作はOVA媒体ということもあり、1期では規制されていた残酷描写などはストレートに表現しやすくなっており、緊迫感を出しやすくなっているのは救われる部分。加えていかにもホラーらしい一人称視点の導入など、変化球気味の構図を多用することによって、原作の持つ「不安定さ」みたいなものを再現しようとしている部分は上手い。いわゆる「ホラーもの」であるならば、それなりに満足できるクオリティであろう。 しかし、この作品はそう簡単ではない。何せ、ホラーと言っても、やってることは実に単純で、「あまり怖くない」内容なのである。今回のエピソードも、ふたを開けてみれば単に「光が苦手な怪物」が大挙して押し寄せるというだけのもので、冒頭から引っ張ってきた「暗闇から伸びる腕」の演出が、終盤になればばるほど単なるこけおどしであったことが分かってしまう。「電気を消すと消えている」といった魅力的な導入もあっという間に意味を成さなくなり、「ホラーとして」見ていると思い切り肩すかしを食らう。こういう「中途半端なストーリー」は原作にも見られるものなのだが、漫画版の場合、これを光永絵の不思議な癖で押し切ってしまう。残念ながら、アニメではそうもいかない。 メインスタッフは川口敬一郎とタツノコプロというちょっと珍しい組み合わせで、川口さんらしい阿漕なサービス精神はそこかしこに確認出来る。単純な流血描写などによるサービスや、序盤のホラーっぽい仕立て方、姫とヒロの関係性の見せ方なんかは、それなりに満足できるものだ。しかし、やっぱりこの作品は普通のアニメ演出の処理では限度がある気がしてしまう。その証拠に、そういう点を気にしなくていい特典映像の「ケルベロッテちゃん」の方は普通の面白かったりするのである。むーん。 そして、もう1つの焦点はやはりキャスト変更の結果だ。どうしても先代キャストの完成度に目がいってしまうので、新キャストには微妙な印象を抱きがち。あの喜多村英梨のリザ役ですら、先代が甲斐田裕子である印象が強いせいで違和感は否めないのだ。違和感なく受け入れられたのはフランドル役の井口ぐらいじゃなかろうか。トータルで見ると、井口フランドルは文句無し、キタエリのリザはやや違和感があるけど「これはこれで」くらいのレベル。問題は、先代が大沢コンビ(川澄・能登)だった姫と令裡ということになる(紗和々については先代が反則技なので対象外とする)。 まず、令裡役の豊崎愛生。確かに頑張っているし、これはこれでアリな令裡像であると思う。ただ、やっぱり「一度能登がやってしまった役を他人がやる」というのは厳しい。あのイメージを覆すのは並大抵の労力ではないからだ。アニメシリーズになってしばらく聞いていれば慣れるものなんだろうけどなぁ。そして、さらに厳しいのは姫役の早見沙織。キタエリ・豊崎の場合は「先代とのギャップが違和感になる」レベルなのだが、早見の姫は流石に分が悪い。言ってしまえば、「威厳が薄い」。もちろん早見は腕のある役者なので、精一杯自分が出来る「姫」に到達しているとは思うのだが、どうしたって音域が高いし、あの姫をやるには声が柔らかすぎる。とにかく音域を抑えることばかりに労力を割かれてしまい、その裏の芝居にまで追いついていないのが現状だ。数多の王位を渡り歩いた川澄綾子と比べてしまうと、どうしたって威厳不足は否めない。 総じて見ると、キャストの音域が軒並み高音になっており、演出方針とも加味するといくらか「素直な萌え」方向に歩み寄った形の配役になっていることが分かる。もちろん、これはこれでアリな方向性だとは思うのだが、ことこの作品に関しては、食い合わせの悪さが気になってしまうのである。スタッフ陣の力量は決して不足しているわけではないので、何か「この方向性」にしたことによるうま味を、次作でガツンと一発発揮して欲しいとは思うのだが。今のところ一番面白かったのが「ケルベロッテちゃん」というのは、口惜しいではないか。あぁ、でもエンディングテーマは良かったな。結論、フランドル可愛い。 |
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
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