最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
恐ろしき偶然の一致、第22話。エントロピープル? 宇宙の意志? ひょっとしてあの愛らしい副部長も、背中でグリーフシードを食べちゃったりするわけ? もうやめて!
さておき、本編のほとんどが観劇シーンという、ある意味五十嵐・榎戸コンビの真骨頂のような構成の1本。コンテも監督自らが手がけていることから、今回のエピソードが本編を構成する上で非常に重要な役割を担っていることが分かる。そして、これまでの物語を振り返って、実に様々な含意と変革が予期される、本当に「難しい」エピソードでもある。どこまでが脚本家の本意で、どこからが「深読みしすぎ」なのか、判断出来ないやきもき感はほんとにたまらない。多分、榎戸さんのことだし、絶対に全部作為的にやっていることだとは思うのだが…… まずは、実際に夜間飛行が披露した劇の内容から考えていこう。高校の文化祭でやる演劇としてはやや地味で、登場人物も演劇部員の人数でまかなえる、ごくごく小規模なもの。舞台装置などはなかなか凝っているが、信頼と実績があるらしい夜間飛行ならば、これくらいは出来て当然なのだろう。 登場人物は、まず作中の劇中の更に物語中という3重の入れ子構造の中で活躍する第1の主人公、スガタ演じるコルムナと、そんな彼から愛される存在、クレイス。2人のラブストーリーが「一番下の層」の物語となる。そして、魔女アインの計略でもって愛する人を忘れてしまったコルムナの悲哀は、一つ上の階層の物語、少年マルクが、語り部からコルムナの人生を教えられるパートで教訓となる。マルクは、コルムナの生き様を教えられ、自らの意志で「船とクレイス」という選択肢からクレイスを選び出すことでハッピーエンドとなる。何とも単純な物語だ。 だが、これに更に2層の重ね合わせが行われることで、話はややこしくなってくる。1つ目の「意味」は、コルムナ・クレイス・マルクという3人の登場人物と、スガタ・ワコ・タクトというキャスト陣の重ね合わせ。実に明示的な対応関係が、この作品の本質である3人の関係性に様々な刺激を与えていく。 コルムナは、一番最初にクレイスの存在に気づくことが出来た男だ。彼は誠実で、クレイスとの愛情は本物だった。彼の懐には、常に「一本のナイフ」が忍んでおり、彼女との関係を阻むもの、魔女アインに容赦無く突きつけられる。しかし、魔女の奸計により「船」という道具を手にしてしまったコルムナは、いつしかその心からクレイスがいなくなってしまう。彼女の奇妙な性質により、文字通り「いなくなって」しまったのだ。魔女の与えた「船」は、最も高い位置にある「玉座」の意味を持つ。「玉座」を手にしたコルムナは、次第に玉座そのものと一体化し、そのまま玉座の奥深くに消えていった。 このコルムナの存在は、スガタの来し方行く末を暗示する存在となる。幼い頃から築き上げたワコとの関係性が「初めてクレイスと出会った男性」として描出され、「玉座の船を手に入れた」ことは、彼が王の印を受け継いだことに対応する。一度はスカーレットキスの手により王の柱が暴走してしまったスガタは、玉座の船を手に入れ、それに魅入られてクーデターを引き起こし、最愛の人を忘れてしまったコルムナに対応する。彼は玉座そのものと一体化して「王位を示す道具」となりはて、スガタも、「王の器」として綺羅星(ヘッド)に付け狙われる存在である。そこには、既に彼の意志が現れる余地がない。 他方、「聞き手」という完全な外部世界に回った少年マルクは、突然島を訪れ、タウバーンによって島の争乱の引き金を引いたタクトに対応する。マルクの活躍シーンは少ないが、彼はコルムナの物語を聞き、それを教訓としてついにクレイスの唇に触れている。「懐のナイフで船を手にするか、クレイスを手にするか」と問われた時、彼はナイフを振るうことを拒否した。これは独断でスガタのナイフを拝借し、「使わないこと」を強要するためにワコにプレゼントしたことと対応する。この物語が作品本編とリンクするとしたら、コルムナが最後まで手にしなかったクレイス、つまりワコを手に入れるのは、外部から訪れたタクトということになるだろう。 だが、もちろん話はそんなに単純ではない。演劇の中では語り部が進行を務め、マルクは己の正しい選択を自覚的に判断出来たが、現実世界のタクトとワコはそんなに簡単ではないからだ。そして、そこにメタレベルが1つあがった「観察者」として、演劇部部長、サリナの存在がある。突如劇中でアドリブを入れ、「エントロピープル」を名乗りだしたサリナ。彼女は「わたし”たち”がエントロピープルである」と名乗り、そこに現れたのは副部長だ。サリナと副部長。2人は宇宙の意志として「魔力を使わないと決めた傍観者」であることをタクトに明かし、その上で、「船を使うか、クレイスを手に入れるか」の選択を迫った。これすなわち、サリナはマルクではなく、タクトに対し、「タウバーンを使い王位を狙うか、ワコを手に入れるか」を迫ることにも繋がる。唯一違うのは、コルムナは既にクレイスから遠い存在になってしまったが、スガタとワコについては、一切そんな状態ではないということだ。改めて船に乗ったコルムナがマルクの前に現れたとしたら、マルクはそれでもクレイスの手を握っていられたのか? 決してそう簡単な話ではないだろう。今回の演劇は、あくまで「1つの可能性」としてサリナがタクトに問いかけた練習問題にすぎない。ナイフを置き、コルムナと違ってクレイスとマルクの存在を同時に受け入れている「王」スガタは、玉座に沈むことになるのか、それともマルクを理解し、彼と運命を分かち合うのか。今回の演劇だけでは、そこは語られていないのである。 そして、今回のエピソードのもう1つの「意味」は、この演劇が「魚の惑星」のお話であるところに現れる。イカ大王が暴れる魚の惑星は、あのサカナちゃんの語るイカ刺しサムの物語と全く同じもの。マルクがイカ大王の存在を知っているということは、サカナちゃんが語ったサムの物語は、今回の演劇の後日談となるものだ。そして、その中に登場するのは「不老不死であることを後悔する王様」である。コルムナは、玉座に沈み込んだ後に、自分の選択を後悔し、苦悩していたのだ。その結果、彼は玉座となった船をサムに受け渡し、自らの命を絶つように依頼した。王は、王であることに失敗していたのである。サカナちゃんとサリナがどのような繋がりを持つのかはさっぱり分からないし、偶然の一致であるととらえることもできるが、1つの物語として、コルムナの人生は完結している。これがスガタの人生に重なるものなのかどうかは、誰にも分からない。 ただ、現時点ではマルク=タクトであって、サムが誰になるのかが分からないし、サムの愛した女性が、クレイスだったのかも分からない。サカナちゃんの話では、玉座を手にしたサムもコルムナと同じ過ちを犯しており、この物語の中で輪廻から逃れられたのはマルクだけであったことが臭わされている。サリナがわざわざこの演劇を作り上げてタクトに問いかけた意味は、そうならないうちに、スガタを悲しみの輪廻から解き放って欲しい、という意思の表れであるのかもしれない。 ゼロ時間が起動していないにも関わらず眠りについてしまったスガタ。彼は演劇の中のワコとタクトの関係性に、少なからず影響を受けたと考えられる。そして、ついにひがにしの巫女、ケイトの存在にも気が付いた。これで王たる準備が整ってしまったわけだが、彼の進むべき「航路」は、一体どうなってしまうのだろうか。そして、サムの物語に続いて、コルムナの物語にも興味を示したヘッドことミヤビレイジ。彼の欲望は、最後の1役、サムの人生をトレースしてしまうことになるのだろうか。 泣いても笑っても、残すところあとわずか。一瞬たりとも目が離せない本編を、刮目して見よ。 蛇足・今回はイカ刺しサムと違って、キャラクター名に逆読みとかのネタは仕込まれてないのかな…… PR
事実上の最終話、1期DVD特典の特別編。実は知らなかったんだけど、これって2期最終話じゃなくて1期のおまけなのね。本当によく分からない放送スケジュールだな。ま、買わないで見られたのだからありがたい話ではあるんだけどさ。
特別編といっても、そして2期じゃなくて1期といっても、何も変わらないのがこの作品。せいぜいオープンエンドが違うくらいで、本編が始まれば全く変わらない光景が繰り広げられる。 そして、特別編だからかどうかしらないけど、中身はかなりの俺得展開。何せひとはの困り顔が堪能出来るエピソードの他、ほとんどがみつばメイン。やっぱりこの作品で一番引き立つメインヒロインはみつばですよ。しかも杉崎絡みで全編通しており、最後には杉崎との笑顔のツーショットまで披露してくれる。みつば×杉崎好きとしては辛抱たまりません。お嬢っぽさを発揮して愛嬌を振りまく杉崎が可愛かったり、変態ママがみつばのM字開脚を激写してる脇でこっそりほくそ笑む杉崎がえぐかったり、みつば以外の丸井家家族にはちゃんと礼儀正しい杉崎がいい小学生だったり。「お寿司がうぃーんってしてる! うぃーんってしてる!」の そして捨てがたいのはみつばに対するひとはの絡みね。突如サド属性を思い出すみつばにもたまらんもんがあるが、「忘れた頃にサドになるのやめて」っていう冷静な突っ込みがすごい好き。視聴者もそう思う。 あー、でもやっぱ杉崎だな。こいつら中学進学しても絶対おんなじクラスになるんだろうなー。いい最終回だったぜ。
3月4日 ドラフト模様(MBS,SOM×2)
ピック順 【Sangriter】→【Newcomer】→【Thraxi】→【Serra】→【Alessi】 包囲戦4戦目。1回につき5パックしか使わないので、全然包囲戦のカードが揃わないのが困りもの。どこかでシールド戦でもやってパック剥いちまおうかなぁ……ひとまずテゼレット先生がすごく欲しいんじゃよ。なんで試し組みしたデッキのうち2つにテゼレットさんが入ってるんだろう。あの人楽しすぎる。ま、ワールドウェイクをあれだけ剥いてジェイスさんに巡り会えなかった人間が言っても説得力ねぇけどな! ちなみに業務連絡ですが、来週は確実に人員が揃わないらしいので、集まっても無駄です。
突如アニメシャワーに現れた謎のアニメ。一体何なのかと調べてみれば、なんかまた国が立ち上げた「アニメって日本の誇れる技術だな!」企画であるらしい。詳しいことはググってくれた方が早いと思うが、とにかく若手のアニメーターを育てる名目で立ち上げられたオリジナルアニメ製作の企画だ。昔からこういう主旨の企画って立ち上げられているんだけど、結局単発になることがほとんどで、あまり業界のてこ入れになってない気もする。ま、1本でも2本でも費用の面を保証されて作品が作れるなら、クリエイター側にはありがたいコトなのかもしれないけどね。
そして、そんな企画の結果生み出されたのが4本の25分オリジナルアニメ。これを全国の劇場で一挙放送し、うまいこと人気があればそのまま製作会社が自由に使えるコンテンツとなるし、わずかながらも興業が出来るっていうことになる。そして、宣伝のためにテレビ放送もしちゃおうっていうわけだ。……でもさ、結局MBSで全部やってくれるなら、わざわざ劇場まで見に行く必要無いよね。関西人はけちくさいからどうせ劇場になんか来ないだろうから、とにかく見てもらおうって事なのか? でも地上波放送したら、絶対良からぬ輩が動画サイトに上げてしまうと思うぞ。むー、商売第一の企画ではないといっても、なかなかそのあたりの折り合いを付けるのは難しそう。 いやいや、逆に考えるんだ。テレビ放送した結果、「これは是非劇場でもみなけりゃならぬ」と思えるだけの作品に仕立てればいいだけの話。もしくは「うは、これと同じ品質の作品があと3本も? 飯喰ってる場合じゃねぇ!」と短気なオタクが劇場に駆け込みたくなる作品にしてもいい。そうすれば、一応興業としても成り立つ。どっちにしろ、魅力的なコンテンツを生み出さない限りはプロジェクトとしては失敗なわけだからね。 で、その顔見せとなったこの作品だが……うん、悪くないよね。製作体勢に余裕があるおかげで、画面自体は綺麗だし、丁寧なのは分かる。製作がP.A.worksということで、こういう見た目に好印象な画面作りは手慣れたものである。ただ……言ってしまえばそれだけという感も否めない。 クライマックスの川で子犬を救うシーンのコンテ割りや動画の処理は確かに面白い出来になっているのだが、なんだか逆に丁寧過ぎて、「若い才能が憧れてやりたいことをやってみました」みたいな実利を伴わない装飾過多にも見える。偉そうなことをいえば、物語を見せるためのアニメ、というよりもアニメを見せるためのアニメになってしまっている気がする。それが悪いとも言えないが、筋立てがシンプルなだけに、ちょっと複雑にいじり回すだけで、何か大切なものが霞んでしまうような気がするのだ。プロジェクトの主旨が主旨なので、斜に構えて見てしまった部分はあるのだろうが、単発シナリオとして何か心に残るかというと、ちょっと物足りない。 ま、それでも大本の制作理念を考えれば、NHK教育が夕方6時頃に放送するアニメとしては丁度いいかもしれない(単にピーマンから連想して「おばけのホーリー」を思い出しただけだが)。色々と文句は言ってみるものの、特に不満が出るような出来でないのも確かなのだ(あまり劇場まで見に行こうとは思わないが)。多分、これ以上の文を書こうとすると次の段落は絶対「早見沙織」という言葉が3回以上出てくることになるので、この辺にしときます。来週はどんな作品が出てくるのだろうか。
いよいよ佳境、第9話。いかにも1クールもの、っていうくらいのバランスでおさまりそうな小利口さは、吉と出ているのか凶と出ているのか。
真の悪役の判明と、共闘する仲間との交流など、バトルものでは盛り上がるべき要素がてんこ盛りの内容。それぞれのシーンでは画のクオリティが高くて、シンプルな中にも充分なセールスポイントは見出すことが出来る。特に今回は女性陣が4者4様で存在感をアピールしてくれており、夢路を中心としたハーレム的な雰囲気としても楽しい画面である。やっぱりデフォルメされてアホっぽい表情を見せるメリーが可愛いね。 そして、メインとなるバトル描写や先生覚醒シーンなど迫力が重視される画面では、今回はこの作品に特徴的なゆっくりとした画作りがあまり見られず、「分かりやすいアニメ」として伝わって来る。これまでこの作品はバトル描写なども癖が強く、夢の持つ不安定さ、曖昧さが面白い形で表出していたのだが、いよいよもってクライマックスが近付いているためか、奇妙な味付けは控えめにして、直接的に訴えかける動画になってきている。現実世界が舞台となる実際の暴行シーンなんかは、これはこれで悪くない出来。「先生、そんだけボコると、夢云々関係無しで単なる暴行事件です!」とかいう突っ込みは置いとくとして。 とはいえ、やっぱりこの作品を普通にやられるとなんだか物足りないんだよなぁ。シナリオ自体は陳腐の極みだし、「フツーのアニメ」されるとそこらのラノベアニメと差が見いだしにくいんだ。個人的には、吉野裕行の怪演が楽しいピエロ夢魔とのやりとりとか、エンギのデイドリームの中に広がる茫漠とした麦の野原の雰囲気なんかが、いかにもこの作品らしい怪しげな雰囲気があって好きですな。ミストルティの悪辣さも相変わらずでいい感じ。彼女の戦闘シーンは、スピーディーな切り込みが見せ場なので、あんまりのんびりした画面だと楽しめないけどね。 ちなみに、先生による「意外な悪役」登場回なのに、特にそこに触れてないのは、既に事前に了解していたためです。いや、作品の概要を知るために、wikiとか覗くじゃない。するとさ、先生の人物紹介のとこに「アニメオリジナルキャラ」って書いてあるのよね。だと、やっぱりオリジナル敵キャラになるんだろうなぁ、っていうのは分かっちゃうからさ……ネットネタバレには注意。
かぁぁぁっこいいなぁ! 惚れちゃいそうだよぉ! このアニメ! な第21話。もう、適当に見てる身としては何が何だかさっぱり分からない展開になってるんですが、アニメとして見る分には理屈抜きで面白いです。流石にラスト近くになって盛り上げてきましたね。
実は1期後半の流れがよく分かってなかったので、学園都市の暗部が云々とか、もっと直接的に言うと風斬氷華の存在自体がよく分かってないので、今回何が起こっていて誰と誰がどう敵対してるのかすらよく分からなくなってるんですが、とにかく巨悪が動いており、それに向かって主人公パーティーが正面から勝負を挑んでいることが分かり、少年漫画的な盛り上がりは感じることができます。そして、それを見せるための画作りが、けれん味たっぷりで有無を言わさぬ説得力がある。ビルごと突っ込ますアクセラ特大アタックとか、理屈も意味もわかんねぇけどとにかくすごいし。堪能したわぁ、と思ってスタッフロールを見れば、コンテは毎度お馴染み福田道生、そして演出はなんと池端隆史監督じゃないですか。そら安定するわ。 そして、今回も素敵なキャストの皆さん。一方通行と木原クンの掛け合いは実に見事ですね。冒頭に書いた台詞もそうだけど、電話越しの会話と、対面しての会話。壊れモノどうしの丁々発止のやり合いは、どれだけ厨臭い台詞でもビンビン来ますわ。一方通行が、愛するラストオーダーのためになりふり構わず突っ込む勇姿も格好良く、突如窓の外に飛来する一方さんの影には、申し訳ないが笑わせてもらった。元気だなぁ。 普段はいちいち気に入らない当麻の偉そうな物言いも、何か切羽詰まって中央に集まりつつあるこの状態なら、格好良く聞こえることもある。特に御坂が来てくれてテリーマンポジションに回ったため、彼女の格好良さも加味されて美味しさアップです。御坂さん、いちいちイケメン過ぎて困るよね。 そしてそんな若人たちを外から観察する関俊彦ボイスの誰か(未だに誰だかよく分からん)と、対抗しようと粋がるヴェント。2者のキャラとしての温度差が、メリハリの効いた戦闘を演出する。ベテラン勢が魅せてくれるのが、この作品のいいとこです。 繰り返しになるけど、正直何が起こってるのかはよく分かりません! でもま、楽しいからいいや。当麻・御坂・一方通行の3大主人公そろい踏みっていうだけでも、初めての画面だからね。後の課題は、本当は主人公なはずのインデックスさんが活躍出来るか否かにかかっているぞ!
今年もやって参りました。業界きっての出来レースという悪評も絶えない公然の身内褒め、声優アワードです。ただ、個人的には何度も繰り返すように、作品の縛りを抜きにして声優が一堂に会して行うお祭りごと、っていうだけで悪いイベントじゃないと思ってるんです。選出基準があやふやだろうと、一応は各役者たちも「選ばれてちょっとは仕事が増えるかもしれない」っていうモチベーションにはなるだろうし、毎年一定の受賞者を選出してくれているので、歴史的な指標としても役に立つことがあるし。
結局、この結果を見てああでもないこうでもないと批判して楽しむのが、声優ファンのたしなみってことですよ。今年も無事に発表された賞の概要を俯瞰しつつ、雑感をまとめていくぞ。今年の「予想記事」と昨年分の「結果寸評」はリンク参照ね。
めくるめく巨悪、第9話。欲望とか、衝動とか、そういうものによって突き動かされる悪党っていうのは、まだ「分かる」からそこまで怖いものじゃないんだ。一番怖い悪役は、自分がまったく悪いと思っていない奴。
前回の衝撃展開を受けてのエピソードなので、今回はシナリオライン上は静かに物語が進行した印象。最終的には魔法少女の席がまた1つ空席になってしまうという大事件が起こっているわけだが、前回のさやかのやりきれない最期を見た後だと、今回の杏子の最期は、本人の顔に浮かんだ笑顔のおかげでそこまで悲壮なものには感じられず、間違っていると分かっていても、後味は良い。このささやかな「救い」の物語が、次回以降のワルプルギスの夜による最大の災厄の序章でしかないとしたら、さらなる爆弾が恐ろしくなってしまうのであるが。 今回1つ目のトピックは、当然杏子というキャラクターの行く末である。登場時は完全に敵対勢力として描かれていた杏子は、気づけば最も人間的な思考を有し、最も希望を感じさせてくれるキャラクターになっていた。杏子は物語に含まれない過去の部分で既に「失った物語」があったが、その部分はアニメではほとんど前景化されない。そのため、彼女の魔法少女としての活躍と、新しく得た大切なものを守るための信念の戦いのみが描かれ、この作品の中では最も「幸せな」扱いを受けている。こういう捻り方も脚本家の手の内だとは思うのだが、視聴後の爽快感は最初で最後なんじゃないかと思えるくらい貴重なものなので、今回の彼女の勇姿は、最後の励みとして心に刻んでおきたい名シーンである。 思えば、あらゆる事象が倒錯したこの世界において、さやかと杏子という2人の魔法少女の人生は、最後の最後で綺麗に入れ替わって幕を閉じたことになる。「利他」を信念として生まれたさやかは、「誰かを救った分、誰かを呪っていく」とほむらがいう通りに、自分が救った以上の不幸を引き起こすことになってしまった。見返りの無い「利他」という精神が礎となった存在であったばかりに、彼女が生まれ変わった魔女は、その根源に利己の要素がない純粋な害意として存在している。彼女が命を賭して守ろうとした信念とは、真反対の存在に帰着してしまったわけだ。 そして、そんなさやかと対峙する杏子は、元々「全ては自己責任である」という開き直りをみせた「利己」の象徴であった。それがいつの間にかさやかという「他者」を得てしまい、今回はその救出のためにまどかにまで頭を下げ、自分が一切得をしないさやか救出という無謀なミッションに挑むことになる。結局、それは不可能以外の何物でもなく、自分も含めて誰1人得をしないものであったわけだが、それでもわずかな「利他」の可能性を信じて、彼女は戦い抜いた。その最期は、まどかという他者を救い、さやかという他者を牢獄から解き放つための最大の自己犠牲である。個人の憎しみと慈悲が釣り合うというのなら、さやかの残した絶望は、杏子の生み出した希望と等価交換なされたのかもしれない。2人のシルエットが赤と青で絡み合い、1点に収束して沈んでいく描写が、2人の「完成形」を暗示しているようで実に印象的であった。 そして、その果てには「魔法少女2人がソウルジェムを破壊して消え去る」という結果だけが残される。この「ジェムの破壊」こそが、地球上、宇宙上のエントロピーを無視した新たなエネルギー発現機会であり、宇宙の救済者たるインキュベーターの求めていたものであった。彼にとって最良の結果となった2人の魔法少女の愛憎劇は、全て計算のうちにあったものなのか。 キュゥべえが恐ろしいのは、「感情がない」という自らの個性を認めつつも、それが「感情を理解出来ない」とイコールでは無いという部分である。これまでも「人間は訳が分からない」などの台詞を吐いて認識のズレを主張してきたキュゥべえだったが、今回の発言では、さやかの魔女化によって引き起こされた杏子の救出作戦が、ワルプルギスの夜を見越しての「魔法少女殲滅戦」の意味を持っていたことが明らかにされている。つまり、彼は「感情」というリソースに理解も示さないし、共有もしないが、それを前提とした上で利用することが出来るのである。杏子が理外の行動を取り、勝手に死んでいくことを、彼は理解した上で押し進めたのだ。そして、それが純粋な自分の目的のためであり、最大効率で行われたことに満足している。作意はあっても悪意が無いために、あれだけのことをしながら平気でまどかの枕元やほむらの部屋に現れることもできるのだ。本当に恐ろしい「悪役」である。 キュゥべえの話す目的意識については、当然地球人ならば賛同出来るものではない。たとえ一切の嘘偽りがなかったとしても、宇宙規模でものを考えて献身出来る少女などいるはずがないし、そもそも彼の話の真偽を知る術もない。まだ宗教団体が「来世で幸せになれる」と説く方が身近に感じられるくらいだ。それでも、キュゥべえは事実を包み隠さず話せたことに満足したらしく、「宇宙を救うために死ぬ気になったら、また連絡しろ」という冷酷非情な台詞を残して消えた。そして、その前提として、ワルプルギスの夜というまどかの契約トリガーは仕込んであるのだ。完全に外堀を埋めてしまった状態で、まどかは宇宙規模の犠牲となってしまうのだろうか。 もう、考えることもおっくうになるくらいひどい話満載の今作であるが、今回は久し振りに作画面での面白さが際立った。特に魔女さやかの生み出したイヌカレー空間は、荘厳さを持ちながらもさやかの「1人の人間」としての不完全さもイメージさせており、彼女の未練が画面一杯に広がっているような虚無感を与えてくれる。また、そこで必死に戦う杏子の派手な戦闘エフェクトも、彼女の大ざっぱながらも気骨に溢れる人柄を体現しているようであった。 冒頭、杏子がさやかの「死体」を運んで線路を歩くシーンでは、足下の線路が何度も交錯したり、×印を描いてさやかと杏子の「交わり」を暗示している。いや、ひょっとしたら純粋に今の環境が「駄目だ」ということを表しているだけかもしれないが。ほむらが絶望的な宣告をした後に、画面上を電車が走り抜けるのが何とも切ない。前回のエピソードではさやかが魔女となる最後の一押しとなった「電車の走行」は、今回まどかたちの歩く向きとは逆方向に向かっており、さやかの意志が既にここにはないということを暗示しているようである。無機質なオブジェクトによる画面の流れの生み出し方は、久し振りにシャフトらしさが堪能出来た気がする。これ以上、「負への流れ」は見たくないとも思っているのだが……次週は、どうなる?
新たなる墓標、第8話。以下ネタバレ注意、とか書こうと思ったが、この作品を、本来の意味でのネタが楽しみで見てる人なんかいないだろうから別にいいよね。
この作品の感想を書かなくなって久しいが、そりゃまぁ、ここまで適当なシナリオラインで真面目に議論するのも馬鹿馬鹿しいってもんでさ。や、まぁ、別にそんなこたぁどうでもいいんだ。どうせ「ヴィクトリカちゃん可愛い」っていいながら見る作品だから。BONES作品だから画面は綺麗だし、実は京田知己、松尾衡、福田道生など、結構贅沢な面々が製作に携わっていたりするのだ。アニメーションとしては不満は出にくい……はずだけど、やっぱりシナリオがメタメタだからコンテ切る人も大変だろうな。どう料理しても無茶苦茶なのはごまかせないしな。くわばらくわばら。 いや、だから愚痴はいいんだって。今回はちゃんと記録しておかなきゃいけない大事なエピソードじゃないか。もちろん、桑島法子の新しい墓標として。いやぁ、見事に死にましたね。これ以上ないひどい死に方だったし、これ以上ないひどいキャラクターでしたね。わずか6歳で理不尽な動機の殺人を行い、それを20年越しに公衆の面前で暴かれて錯乱、そのまま村中を破壊してまわり、最終的には自分の意志に沿わない墜落死ですよ。すげぇ、ここまで救われない死に方も久し振りだ。イサラ・ギュンター伍長の爪の垢を煎じて飲ませてあげたい。どっちにしろ死ぬけど。 そして今回担当したハーマイニア、桑島キャラの中でも割と独特な音域で攻めてくるキャラクターになっていて、顔芸と合わせて、超低音のガラガラ声、雄叫ぶ奇声と、色んな声が楽しめます。桑島死亡シーン愛好家達にも充分満足できる出来ではないかと。せっかくつい最近まで「陽の光浴びる一輪の花」なんてやってイメージチェンジにも成功してたのにな……いや、いいです。こういう役が出来るっていうのは、やっぱり実力の表れですから。 と言うわけで、今回はそれが伝えたかっただけなんですが、クライマックスの九条救出シーンのヴィクトリカの泣きもいいシーンでした。あおちゃんは色んな先輩の色んな演技を見て、ますます芸を磨いてほしいと思います。 |
カレンダー
ブログ内検索
リンク
最新記事
(07/01)
(06/30)
(06/30)
(06/30)
(06/30)
(06/29)
(06/29)
(06/29)
(06/29)
カテゴリー
プロフィール
HN:
Thraxi
性別:
男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧 |